TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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42 宝塚記念

 6月下旬。阪神レース場。

 梅雨の合間の湿った熱気が、2200mの芝コースに立ち込めていた。

 宝塚記念。

 上半期を締めくくるドリームレースであり、ファン投票によって選ばれた強豪たちが集う夢の舞台。

 

 パドックには、異様な緊張感が漂っていた。

 だが、ボク、ロールフィヨルテの心は、奇妙なほどに澄み渡っていた。

 まるで、台風の目の中にいるような静けさだ。

 

「……変わったね」

 

 隣を歩くメジロドーベルが、ボクの顔を覗き込んでポツリと呟いた。

 彼女の瞳は鋭い。以前のような依存の色はなく、ボクを「倒すべき敵」として認識し、覚悟を決めた女の顔だ。

 

「そうかい? 体重は安田記念の時と同じだよ」

「違うわ。……纏っている空気が、違う。凪いでいるようで、底が見えない」

 

 ドーベルの直感は鋭い。

 今日のボクの中にいるのは、緻密な計算をするライスシャワーでもなければ、華麗なステップを刻むアーモンドアイでもない。

 ボクの肉体の基礎を作り上げ、8年間苦楽を共にしてきた、最初の相棒。

 常識も、理屈も、空気も読まない、黄金の不沈艦。

 

『ヒャッハー! 見ろよマスター! みんな難しい顔してやがるぜぇ!』

 

 脳内で、ゴールドシップがケラケラと笑い転げている。

 

『あーあ、つまんねぇ空気! こりゃアタシらが一発、ドデカい花火を打ち上げるしかねぇなぁ!? 焼きそば買ってこい焼きそば!』

 

 彼は常にシャドーボクシングをし、何もない空間にドロップキックを放っている。その過剰なほどポジティブでカオスなエネルギーが、ボクの緊張をすべて吹き飛ばしていた。

 ああ、そうだ。こいつはいつもこうだった。

 

「……おい優等生」

 

 背後から、しゃがれた声がした。

 ステイゴールドだ。

 天皇賞、安田記念とボクの邪魔をし続け、そしてボクの「心の隙」を見抜いて激昂した黄金の暴君。

 彼女は今日も不敵な笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「今日はどんな『お上品な走り』を見せてくれるんだ? また綺麗に負けて、ヘラヘラ笑うのか?」

 

 挑発的な言葉。

 以前なら、彼女の言葉に動揺したり、あるいは大人の余裕で受け流そうとしていただろう。

 だが、今のボクの感想は――。

 

(……ちっちゃいなぁ)

 

 これに尽きた。

 純粋に物理的な話だ。170cmを超えるボクに対し、彼女は小柄だ。

 その小さな体で、精一杯虚勢を張って、キャンキャンと吠えている。

 必死に自分を大きく見せようとしているようにみえる姿が、なんだか微笑ましいとすら思えてしまう。

 

(おもちゃ売り場で駄々をこねる子供みたいだ。……反抗期かな?)

『ブフォッwww 反抗期www オヤジ捕まえて反抗期とかwww』

 

 脳内でゴルシがのたうち回って爆笑している。

 自分の父親(史実)にあたる存在を「反抗期の子供」扱いするボクの感性がツボに入ったらしい。

 

『テメー、言うようになったじゃねぇか! 調子戻ってきたなオイ!』

(君のおかげだよ。……肩の力が抜けた)

 

「……あぁん? 何ニヤついてやがる」

 

 ステイゴールドが眉をひそめる。

 

「いえ。元気そうで何よりだなと思って。……あまり無理して怪我しないでくださいね?」

「ハァ!? 舐めてんのかテメェ!!」

 

 本気で心配したつもりなのだが、なぜか火に油を注いでしまったようだ。

 まあいい。

 彼女がどうであれ、やることは変わらない。

 シンプルに、走りたい。

 シンプルに、勝ちたい。

 それだけだ。

 

 その向こうでは、女帝エアグルーヴがボクたちを一瞥し、フンと鼻を鳴らしている。

 マチカネフクキタルは「凶」のおみくじを見て青ざめているが、その背後には神懸かり的なオーラが見える。

 そして、先頭を歩くサイレンススズカ。

 彼女は誰とも目を合わせず、ただ一点、ゴール板だけを見つめていた。

 異次元の逃亡者。今の彼女に追いつくことは、影を踏むことより難しいと言われている。

 

『面白ぇじゃねぇか』

 

 ゴルシがニヤリと笑う。

 

『全員まとめて海に沈めてやろうぜ。……理屈なんていらねぇ。お前のそのデカい図体は、何のためにあるんだ?』

(……走るためだ)

『そうだ! 本能のままに駆け抜けろ! 邪魔なもんがあったら踏み潰して焼きそばの具にしちまえばばいいだけの話だろ!?』

 

 そうだ。

 ボクは小綺麗に走る必要なんてない。

 全距離制覇? 王者の品格? 知ったことか。

 ただ、誰よりも早くゴールしたい。

 そんな原始的な感情に従えばいい。

 

 

 

 本バ場入場。

 大歓声が地響きのように響く。

 ゲートイン。

 ボクの枠は、奇しくもステイゴールドの隣だった。

 彼女はゲートに入った瞬間から、ガタガタと音を立てて威嚇してくる。

 

「オラオラ! ビビってんじゃねぇぞ! 今日は逃がさねぇからな!」

 

 うるさい。

 本当にうるさい。

 授業中に騒ぐ男子生徒のようだ。先生に怒られないと分からないタイプか。

 怒られてしょんぼりしているステイゴールドちゃん(ようじょ)を想像してしまった。

 

『ぶほっ!!! おやじが!! ようじょ!!!!』

 

 ゴルシもノリノリだ。

 ボクはゲートの中で、大きく息を吸い込んだ。

 そして、全身の筋肉をバネのように収縮させる。

 120億円事件の気配? いや、あれは「やる気がなくて立ち上がった」だけだ。

 今のボクたちは違う。

 やる気がありすぎて、爆発しそうなのだ。

 

 ガシャン!!

 

 ゲートが開いた。

 絶好のスタート。

 散々練習したロケットスタート。地面を蹴り砕くような踏み込みで、ボクは飛び出した。

 

「ふんっ!!」

 

 先行策? 様子見? そんな悠長なことはしない。

 ゴルシのアドバイス通り、本能のままに。

 ボクは一気に加速し、先頭を伺う勢いで突進した。

 

「なっ……!?」

 

 一瞬スズカよりも前に出たボクを見て、大外から逃げを打とうとしていたスズカが、驚愕の表情でこちらを見る。

 彼女の計算では、ボクは中団で控えるはずだったのだろう。

 だが、今日のボクは違う。

 本能が告げている。「逃げる獲物は、追いかけて食らいつけ」と。

 

「……ごめんよスズカ。今日は、一人旅はさせないから」

 

 ボクはスズカの直後、2番手の位置を強引に奪取した。

 本来ならオーバーペースだ。2200mの距離で、最初から飛ばせば最後にはバテる。

 だが、ゴルシの魂が叫ぶ。

 『ペース配分? 知るか! バテたら根性で走れ!』

 滅茶苦茶な理屈。だが、不思議と力が湧いてくる。

 

 1コーナーから2コーナー。

 スズカが逃げる。ボクが追う。

 その差は2バ身。

 いわゆる「つつく」形だ。逃げウマ娘にとって、一番嫌な距離感。

 

 すると、外から不穏な影が忍び寄ってきた。

 

「チッ……! 調子に乗ってんじゃねぇぞォ!」

 

 ステイゴールドだ。

 彼女はボクの好スタートに虚を突かれたが、すぐに立て直して絡んできた。

 天皇賞、安田記念と同じ。

 ボクの外側に張り付き、内へ押し込めようと幅寄せしてくるラフプレイ。

 

「そこは俺の指定席だ! どきやがれ!」

 

 ガッ!

 激しい衝撃。

 ステイゴールドが、全体重を乗せてボクの肩にぶつかってきた。

 物理的なタックルに近い。

 普通のウマ娘ならバランスを崩し、減速する場面だ。

 前回のボクなら、技術でいなしてやり過ごそうとしただろう。

 

 だが、今のボクは冷静に、彼女のことを見ていた。

 

(……危ないなぁ。そんな勢いでぶつかってきたら、自分が怪我するよ?)

 

 ボクは避けなかった。

 押し返しもしなかった。

 ただ、体幹に力を入れ、その場に「岩」として存在し続けた。

 170cm、体格もとてもいいと言える巨体。鍛え上げられた筋肉の鎧。

 一方彼女は142cmしかない。今回のレースの参加者で一番小柄だ。

 その質量差は、いかんともしがたい。

 

 ドムッ!!

 

 鈍い音がした。

 ボクは微動だにしなかった。

 対して、ぶつかってきたステイゴールドの方が、反作用という物理法則に従って弾き飛ばされた。

 

「ぐえっ!?」

 

 ボールのように弾かれ、外へよろめくステイゴールド。

 彼女の目が見開かれる。

 そこに映っていたのは、「壁」に激突した衝撃と、信じられないものを見る目。

 

『ギャハハハハ! ピンボールかよ! 100点!』

 

 ゴルシが大喜びしている。

 ボクは少し同情した。

 

(大丈夫かな。痛かっただろうに……)

「……ハッ! ハハハッ! カッチカチじゃねぇか!」

 

 ステイゴールドは体勢を立て直すと、狂ったように笑いながら再び襲い掛かってきた。

 懲りない。

 ボクも引かない。

 ぶつかる。弾く。

 ボクにとっては「子供がじゃれついている」程度の感覚だが、端から見れば激しい肉弾戦だ。

 

「どけ! そこはボクの走路だ!」

「うるせぇ! 力ずくで奪ってみろ!」

 

 二人のウマ娘が、火花を散らしながら並走する。

 その余波で、後続のエアグルーヴやドーベルが割を食っていた。

 

「なっ……! 何をしている、あの馬鹿者どもは!」

 

 エアグルーヴが悲鳴に近い声を上げる。

 ボクとステゴが暴れまわるせいで、ペースが滅茶苦茶になり、コース取りもままならないのだ。

 

 第3コーナー。

 ボクはステイゴールドを質量で弾き飛ばし、再びスズカへの追撃を開始した。

 スズカは、後方の乱戦を嫌ってさらにペースを上げている。

 その差、4バ身。

 セーフティリードに見える。

 

 だが。

 

『おいマスター、ここだろ? ここだよなぁ?』

 

 ゴルシがウズウズしている。

 

『あいつの背中、遠くてムカつかねぇか? ……行っちゃおうぜ、今すぐ!』

(……そうだね。待つのは性に合わない)

 

 ボクは理性を捨てた。

 第3コーナーから、常識外れのロングスパートを開始する。

 まくり。

 それは、スタミナの消費を度外視した、自殺行為にも等しい戦法。

 だが、これこそがボクたちの真骨頂。

 

「行こうか……!」

 

 一気に加速する。

 不沈艦の進撃だ。

 

「うそ……っ!?」

 

 スズカが気配を感じて振り返る。

 彼女の視界に、楽しそうに笑いながら迫るボクが映ったはずだ。

 恐怖したか? いや、彼女もまた笑った。

 ようやく、本気の「怪物」が来てくれたと。

 

 4コーナー。

 差が詰まる。

 ボクの背後には、必死に食らいつくステイゴールドと、歯を食いしばるドーベルがいる。

 

「ロール! 待ちなさい!」

 

 ドーベルの声。

 彼女もまた、この乱戦の中で覚醒していた。

 ボクを倒す。その一心で、彼女は自分の殻を破り、突っ込んでくる。

 

(すごいな、ドーベル。……やっぱり君は、ボクが選んだ最高のパートナーだ)

 

 直線。

 阪神の急坂が待ち構える。

 スズカの足色が鈍る……わけがない。彼女もまた、極限の領域で進化している。

 だが、ボクの勢いはそれを上回る。

 

 残り200m。

 並んだ。

 異次元の逃亡者を、黄金の不沈艦が捕らえた。

 

「行かせない……っ!」

「悪いけど、通るよ」

 

 スズカとボクの叩き合い。

 技術ではない。ただの意地の張り合いだ。

 そこへ、外からドーベルが、内からステイゴールドが強襲する。

 4人が横一線。

 観客の絶叫が、耳鳴りのように響く。

 

 苦しい。肺が痛い。足が千切れそうだ。

 でも。

 

(ああ……楽しいなぁ)

 

 最高だ。

 綺麗に勝つことなんて、どうでもよかった。

 泥をかぶり、体をぶつけ合い、唾を飛ばして走り抜ける。

 これこそが生きているということだ。

 

『行けぇぇぇぇッ! マスター!! 一番乗りだぁぁぁッ!!』

 

 ゴルシの絶叫と共に、ボクは最後の一歩を踏み込んだ。

 地面が割れるほどの踏み込み。

 体中の筋肉が歓喜の歌を歌う。

 

 スズカをかわす。

 ドーベルを振り切る。

 ステイゴールドを突き放す。

 

 誰よりも前へ。

 ただ、本能のままに。

 

 ――ゴール!!

 

 

 

「……ふぅ。勝った」

 

 ゴール板を過ぎ、ボクは芝の上に倒れ込みそうになるのを堪え、天を仰いだ。

 1着。

 小細工なしの、力づくの勝利。

 なんだ、最初からこうすればよかったんだ。

 こんな単純なことすらわかってなかったんだからそりゃドーベルに愛想つかされてラモーヌさんに呆れられるわけだ。

 

『……やったな、マスター。へへっ、やっぱお前はそうじゃなきゃな』

 

 脳内でゴルシが満足げに笑い、スッと気配を潜めた。

 

「……いってぇ……」

 

 隣で、ステイゴールドが肩を押さえて顔をしかめていた。

 ボクが弾き返した箇所だ。

 

「あーあ、クソッ! また負けた! しかも弾き飛ばされるとか、聞いてねぇよ! 岩かテメェは!」

 

 彼は悪態をつきながらも、その表情は晴れやかだった。

 

「へっ……やっと目が覚めたか、優等生。……その凶暴な面構えの方が、よっぽどお似合いだぜ」

「おかげさまでね。……君のおかげで、退屈しなかったよ」

 

 ボクは微笑んだ。

 

「勘違いすんな。次は絶対、俺が弾き飛ばしてやるからな」

 

 ステイゴールドはニヤリと笑い、足を引きずりながら去っていった。

 そして。

 

「……ロール」

 

 メジロドーベルが、息を切らしながら歩み寄ってきた。

 彼女は3着。スズカに次いでの入線だった。

 悔しそうな顔。けれど、その瞳には以前のような「迷い」や「依存」の色はない。

 

「……強かったわ。ロール」

「君もね。……背筋が凍るようなプレッシャーだったよ」

「当たり前でしょ。……私、本気でロールを倒すつもりだったんだから」

 

 ドーベルはボクの胸をドンと叩いた。

 

「おかえり。……私の、最強のヒーロー」

「ただいま。……待たせてごめん」

 

 ボクは彼女の手を握った。

 汗ばんだ手。熱い体温。

 言葉はいらなかった。

 ボクたちはライバルとして戦い、そして恋人として再び結ばれたのだ。

 

 スタンドからの万雷の拍手。

 それは、復活した王者への祝福であり、これからの激闘を予感させる号砲でもあった。




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