TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る 作:雅媛
入学式後の喧騒の中。
ボク、ロールフィヨルテは、校舎の裏手にある人気のない中庭のベンチで、一人の少女と向き合っていた。
「……嫌よ」
「そこをなんとか! 頼むよドーベル! ボクの命がかかってるんだ!」
ボクが拝み倒している相手は、メジロドーベル。
クールな目元が印象的な美少女だが、その実は極度の人見知りであり、特に男性が大の苦手という内気なウマ娘だ。
メジロ家に出入りしていたボクとは、8年来の幼馴染にあたる。
彼女はボクのことを「中身がちょっと枯れたおじさんっぽいから、安心できる」という理由で、心を許してくれている友人だ。
「なんで私が、あんな人がいっぱいいるところに行かなきゃいけないのよ。……無理。帰って漫画描きたい」
ドーベルがベンチの上で膝を抱えて拒否する。
彼女の纏うオーラは完全に「帰宅部エース」のそれだ。
「一人だと心細いんだよ……。相手はあの『皇帝』シンボリルドルフだよ? 今はURAの重鎮として来賓室にいるんだ。ボク一人で突撃したら、緊張で胃に穴が開く」
「自業自得じゃない。ラモーヌさんの頼みなんて、適当に流せばよかったのに」
「それができたら苦労しないよ……」
渋るドーベルに対して、ボクは最後の切り札(カード)を切ることにした。
「……わかった。じゃあ、次の『夏の祭典』。売り子やるよ」
「っ!」
ドーベルの耳がピクリと反応し、顔がバッと上がった。
彼女は趣味で漫画を描いている。それも、かなりの大手サークルだ。
夏の祭典――すなわち、同人誌即売会。そこでは大量の在庫搬入と、長時間の接客という重労働が待っている。
「……本気?」
「本気だ。肉体労働どんとこいだよ。段ボール箱4つくらいなら同時に持てるし、大量搬入もどんとこいだ」
「……それだけじゃ足りない」
ドーベルの瞳が、クリエイター特有の怪しい光を帯びる。
「売り子やるなら……コスプレもして」
「は?」
「アンタのその体、映えるから。私の新刊のキャラ、ちょうどアンタみたいな高身長でグラマラスな女騎士なの。……客寄せパンダになりなさい」
「ええええ……」
ボクは絶句した。
中身おっさんのボクに、女騎士のコスプレをして晒し者になれと?
だが、ドーベルの目はマジだ。「それが条件」と語っている。
背に腹は代えられない。
「……わ、わかった。やるよ。着ればいいんだろ!」
「交渉成立ね。……ほら、行くわよ。さっさと終わらせて帰る」
ドーベルは満足げに口元を緩めると、すっくと立ち上がった。
現金なやつだ。
来賓室へと続く廊下。
そこは、入学式を終えた新入生や保護者、そして学園関係者でごった返していた。
「うぅ……やっぱり人多い……帰りたい……」
さっきまでの威勢はどこへやら、ドーベルがボクの背中に隠れるようにして歩く。
彼女にとって、ボクのデカい体は物理的な「遮蔽物」として機能しているようだ。
ボクの制服の背中をギュッと掴む手から、彼女の緊張が伝わってくる。
「大丈夫だよ。ボクが前を歩くから」
「……うん。お願い」
ボクたちは人波をかき分け、ようやく重厚な扉の前にたどり着いた。
『来賓控室』のプレート。
中には、かつてトレセン学園の生徒会長として君臨し、現在はレース界を統べる立場にある「皇帝」がいる。
(……よし、行くぞ)
ボクは深呼吸をして、ノックした。
許可の声を聞き、扉を開ける。
部屋の中には、革張りのソファに深く腰掛けたシンボリルドルフがいた。
10年前の映像よりもさらに大人びて、洗練されたスーツ姿。
その瞳には、現役時代とは違う種類の、底知れぬ理知的な光が宿っている。
彼女はボクたちの顔を見るなり、「おや」と表情を緩めた。
「新入生のロールフィヨルテ君に……後ろにいるのは、メジロのドーベル君だね?」
知られている。
ボクはラモーヌさんの使いっ走りとして何度か顔を合わせているし、ドーベルはメジロ家の令嬢として面識があるのだろう。
「し、失礼します! 本日は、ある方からの伝言を預かって参りました!」
「ほう? ある方、というのはラモーヌかな?」
ルドルフが察したように苦笑する。
ボクは直立不動になり、意を決して「爆弾」を投下した。
「はい! 『いつまで会議室でふんぞり返っているの。貴女が走らないと、帝国の威光も錆びつくわよ』……以上です!」
言った。言ってしまった。
URAの幹部に対して「ふんぞり返っている」「錆びつく」という暴言。
部屋に、重苦しい沈黙が落ちた。ドーベルがボクの背中で「ひっ」と息を呑む。
だが次の瞬間。
「……クックック。ははははッ!」
ルドルフが、声を上げて笑った。
それは作り笑いではなく、心の底から愉快そうに響く笑い声だった。
「いや、失敬。……まさか、こんな晴れの日に、彼女からそんな痛烈な祝辞をもらうとはね」
彼女は立ち上がり、窓の外のターフを見下ろした。
「『ふんぞり返っている』か。……耳が痛いな。確かに最近は、書類と睨めっこばかりで、土の匂いを忘れていたかもしれない」
その背中から、ゆらりと陽炎のような覇気が立ち上る。
「伝えてくれ。『錆びついた剣など持っていない。いつでも抜けるよう、研いである』とね」
「は、はい! 必ず!」
そして、ルドルフはボクの方へ向き直り、その瞳をスッと細めた。
そこには、穏やかな重鎮としての光ではなく、獲物を見つけた猛獣のようなギラついた光があった。
「それと、ロールフィヨルテ君」
「はいっ?」
「昨日の試験。……見せてもらったよ。この目でね」
ドキリとした。
やはり、あの時スタンドにいたのは幻覚ではなかったのだ。
「凄まじいレコードだった。……いや、タイムだけではない。あの爆発的な加速、あのフォーム。まるで『マイルの極致』を見せつけられたようだった」
ルドルフが一歩踏み出す。
空気がビリビリと震える。
「正直に言おう。……火がついたよ。久々に、私の奥底にある『皇帝』としての血が騒いだ。君のような規格外のルーキーが現れたことにね」
「き、恐縮です……」
なんだかんだで寛容な態度しか見たことがないボクは、今まで見たことのない鋭い視線を向けられて腰が引ける。
「期待しているよ。その規格外の能力で、この学園にどんな嵐を巻き起こすのか」
そして、彼女の視線はボクの背後のドーベルにも向けられた。
「ドーベル君もだ。メジロのおばあさまからは、君の素質の高さを聞いている。メジロの悲願……君なら、あるいは」
「っ……! は、はい……!」
ドーベルが小さく、しかし力強く頷く気配がした。
「よし、用件はそれだけかな? 私もそろそろ次の会議がある。それではな」
廊下に出ると、ボクたちは同時に大きく息を吐いて、その場にへたり込んだ。
「……し、死ぬかと思った……」
「心臓に悪いわよ……。あの人、笑いながら目が燃えてたわよ……」
ドーベルが胸を押さえて荒い息をつく。
ボクも同感だ。
まさかあんなに真正面から「火がついた」宣言をされるとは思わなかった。
「でも、助かったよドーベル。君がいてくれてよかった」
「……私は何もしてないわよ。ただ後ろにいただけ」
「それが大事なんだよ。……さて、これで夏コミの件は確定だな。女騎士のコスプレでもなんでもやってやるよ」
「ふふ、言質取ったからね。逃がさないわよ」
ボクたちは顔を見合わせて、小さく笑った。
窓の外では、桜の花びらが舞っている。
これから始まる学園生活。
同期には、タイキシャトルやサイレンススズカといった怪物たちがいる。
そして、上にはあんな恐ろしい皇帝がいる。
「ねえ、ロール」
「ん?」
「……アンタは、どうしたいの? この学園で」
ドーベルが、不意に真面目な顔で聞いてきた。
「私は……人前に出るのは苦手だし、目立つのも嫌いだけど……でも」
彼女は自分の手をぎゅっと握りしめた。
「ティアラが、欲しいの」
「ティアラ?」
「うん。トリプルティアラ。……メジロの家の悲願とか、そういうのもあるけど。私自身が、あの輝きに憧れてる。……ラモーヌさんみたいな、強いウマ娘になりたい」
内気な彼女の奥底にある、確かな熱。
それは、ボクが知っている「メジロドーベル」という名牝の輝きそのものだった。
「そっか。……応援するよ、ドーベル」
「……アンタは?」
ボクは空を見上げた。
何物でもないボク。空っぽの器。
だけど、そこには今、いろいろな魂と、それらに協力してもらった身体と技術があった。
「ボクは……見せたいんだ」
「何を?」
「『あらゆる走り』を。古今東西、すべての名バたちの輝きを、この体で再現して証明したい」
ボクは拳を握りしめる。
「何者でもないからこそ、何にでもなれる。……ボクは、この世界で一番自由で、一番変幻自在なウマ娘になってみせるよ」
それは、途方もない夢だ。
でも、口に出してみると、不思議と体の底から力が湧いてくる気がした。
「……ふーん。欲張りね」
「まあね。君の漫画のネタには困らせない自信があるよ」
「期待しとくわ。……つまんなかったら、修正液で消してやるから」
ボクたちは立ち上がり、廊下を歩き出した。
筋肉痛の足はまだ痛む。胃もまだ痛い。
だけど、隣には夢を語れる幼馴染がいて、前には無限の走路(ターフ)が広がっている。
ボクたちの「黄金の物語」は、まだ始まったばかりだ。