TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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50 トレーナーへの道

 四月。

 トレセン学園の並木道には、淡い桃色の花びらが雪のように舞い落ちていた。新入生の初々しい喧騒と、それを見守る上級生たちのどこか落ち着いた空気。一年で最も希望に満ち、そして慌ただしい季節が、今年もまたやってきた。

 

 学園の事務棟に入ると、外のうららかな陽気とは対照的に、独特の緊張感が漂っていた。新年度特有の大量の書類と格闘する事務員たちの手元から、インクと紙の匂いが混ざり合った、この時期ならではの香りがボクの鼻をくすぐる。

 ボクは受付カウンターへと歩み寄り、見慣れた職員さんに声をかけた。

 

「あ、ロールさん。おかえりなさい! ドバイ、本当にお疲れ様でした」

 

 職員さんは一瞬、作業の手を止めて顔を上げると、パッと表情を輝かせた。ドバイでの結果は振るわなかったが、それでも「日本総大将」としての凱旋を誰もが温かく迎えてくれる。

 

「ありがとうございます。今日は、例のドリームトロフィーリーグへの移籍手続きに来たんです」

 

「承知いたしました。……そうですね、この時期ですものね。寂しくなりますが、あちらでのご活躍も全職員、そして生徒一同期待していますよ。では、こちらの受理印を……」

 

 差し出されたペンを取り、ボクは数枚の厚い書類に署名を走らせる。一筆ごとに、トゥインクルシリーズで駆け抜けた激動の日々が、形を変えてアーカイブへと仕舞われていくような感覚。これでボクの名前は現役の名簿から消え、「ドリームトロフィー」という、実績者のみに許された自由な楽園へと籍を置くことになる。

 

「……これで、ボクの第一章は終わり、かな」

 

 小さく零した独り言に、職員さんは優しく微笑んで頷いた。

 けれど、ボクが今日ここに来た目的は、それだけではなかった。ボクは署名を終えたペンを置き、少し声を潜めて、けれど確かな意志を込めて切り出した。

 

「……あと、もう一つ。個人的な相談があるんですけど、トレーナー試験に関して、どなたか詳しい方はいらっしゃいますか?」

 

 その言葉が落ちた瞬間、カウンターの奥で書類を整理していた空気が、ピタリと止まった。

 

「おや、ロールさん。私でよろしければ、お話を伺いましょうか」

 

 落ち着いた、けれどどこか背筋が伸びるような凛とした声。

 事務室の奥から姿を現したのは、トレセン学園の理事長秘書──駿川たづなさんだった。彼女の穏やかな微笑みは、学園のすべてを見通しているような、不思議な安心感を湛えていた。

 

 

 

 たづなさんは、ボクを事務棟の奥にある静かな応接スペースへと促してくれた。

 淹れてくれた温かい緑茶の香りが、少し高ぶっていたボクの神経を優しく解きほぐしていく。ボクはカップから立ち上る湯気を見つめながら、自分の中に芽生えた、まだ柔らかいけれど決して無視できない「新しい夢」について話し始めた。

 

「ボク……トレーナーを目指したいと思っているんです。ウマ娘がライセンスを取れると聞いたのですが、本当に規則上は可能でしょうか」

 

 たづなさんは一瞬、翡翠色の瞳を驚きに丸くした。けれど、それはすぐに深い納得の色へと変わる。

 

「トレーナー、ですか……。ええ、もちろん規則上は可能です。ウマ娘であるということが、指導者の門戸を閉ざす理由にはなりません」

 

 たづなさんは手元のタブレットを操作しながら、穏やかに、しかし重みのある口調で続けた。

 

「実は、あなたよりも数年早く、その前人未到の道に挑んでいる『先駆者』が一人います。ミホノブルボンさんです」

「ブルボンさんが……?」

 

 ボクの脳裏に、あの「サイボーグ」とまで称された鉄の意志を持つウマ娘の姿が浮かぶ。ライスシャワーさんを止めるときに手伝ってもらった彼女は確かにトレーナーの勉強をしていた。

 

「はい。彼女はドリームトロフィーリーグへ移籍した後、指導者としての道を志されました。現場での下積みを始めてから、足掛け四年。現在はトレーナー試験の最終段階、まさにゴール直前まで到達しています。彼女が合格すれば、ウマ娘初のトレーナー誕生という、歴史的一歩になりますね」

 

 ブルボンさんが五年近くもかけて、じっくりと、着実に歩んでいる道。

 その事実は、ボクにとって心強い指針であると同時に、その道の険しさを突きつける冷徹な現実でもあった。

 

「ですが、ロールさんの場合は、ブルボンさんとはまた違う種類の『壁』にぶつかるかもしれません」

 

 たづなさんは、少し困ったように、けれど誠実な眼差しでボクを見つめた。

 

「トレーナーになるには、現役トレーナーの下で二年の実務研修を受けるか、専門の養成学校を卒業するか。道は二つです。ただ……」

 

 たづなさんは一度言葉を切ると、少し言い淀むように視線を落とした。

 

「GⅠ十勝という、前代未聞の実績。そんなあなたを『下積み』として雇えるトレーナーが、果たしているでしょうか。ミホノブルボンさんの時でさえ、現場の受け入れ先探しは難航を極めました。最終的には、彼女の父親がトレーナーとして現役復帰することで、ようやく研修先を確保したという経緯があります」

 

 ボクは絶句した。

 ボクには、トレーナーとしての父親はいない。そして、ボクの実績はあまりにも「巨大」すぎた。自分より遥かに実績のあるウマ娘を、バケツ運びや時計係の弟子として迎え入れる。そんな度胸と覚悟を持ったトレーナーが、今のトレセン学園に何人いるだろうか。

 

「実績が、逆に足枷になる……ってことですか」

「ええ。受け入れ先のトレーナーが萎縮してしまえば、それは研修になりませんから。……一方で、もう一つの養成学校ルートですが、こちらは実績を問わず入学できます。ですが、重大な問題が一つ。養成学校は外部の機関ですから、トレセン学園に在籍したまま通うことはできません。つまり、学園を『中退』する必要があります」

「中退……。そうなるとボク、学歴的には中卒になっちゃうってことですよね」

「ええ。学園は中学・高校一貫の義務教育課程も兼ねていますから。……史上最高のウマ娘が、夢のために学園を去り、中卒の受験生として一から理論を学ぶ。それは世間的にも、あなた自身のキャリアとしても、あまりにも大きな賭けになります」

 

 たづなさんの言葉は現実的で、けれどどこまでもボクのことを想ってくれる温かさに満ちていた。

 今のボクはまだ十代。本来なら青春の真っ只中にいるはずのウマ娘だ。それをすべて捨て、実績という名の鎧も脱ぎ捨てて、誰もいない荒野へ一歩を踏み出せるのか。

 

「……ブルボンさんが長い時間をかけて慎重に進めてきたこの『ウマ娘トレーナーへの道』。彼女が今まさに、最終コーナーを回って直線に入ろうとしています。あなたがその轍をどう追いかけるのか、あるいは別の道を行くのか。よくよく考えてください」

 

 たづなさんはそう言って、重みのある資料の封筒をボクの前に置いた。

 

「今日ここで決める必要はありません。今までお世話になった方々や、ご家族……そして何より、あなた自身の心と、もう一度ゆっくり相談してみてください。前例が作られようとしている今だからこそ、あなたの決断は、未来のウマ娘たちにとっての『希望』にも『重荷』にもなり得るのです」

「……ありがとうございます、たづなさん。まずは、いろんな人の意見を聞いてみます。自分一人で決めるには、少し……あまりにも、重い夢みたいですから」

 

 たづなさんの激励を受け、ボクは封筒を大切に抱えて事務棟を後にした。

 

 建物を出ると、四月の柔らかな風が、ボクの頬を撫でていった。

 桜の香りが、少しだけ鼻の奥をツンとさせる。

 ミホノブルボンという偉大な先駆者が、今まさにゲートを叩き、新しい時代を開こうとしている。その後ろ姿を、ボクはどう追いかければいいのだろう。

 

 ドバイの砂漠を走るのとは違う種類の、けれど同じくらい険しく、そして抗いようもなくワクワクする挑戦。

 ボクの脳内で、魂たちがそれぞれの声を上げ始めているのを感じる。アイちゃんは効率的な学習ルートを計算し、ジェンティルさんは「中卒など恐るるに足りませんわ」と不敵に笑い、ゴルシちゃんは「学校でも暴れようぜ!」と囃し立てる。

 

(さあ、どうしようかな。……みんな、ボクに知恵を貸してよ)

 

 第二の人生へのゲートイン。そのファンファーレが、春の空に遠く響いたような気がした。

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