TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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52 契約交渉

 夕闇が、トレセン学園の第二トレーニングコースを濃い藍色に染め上げていく。練習を終えた他の生徒たちが寮へと引き上げ、静寂が支配し始めたこの場所で、ボク、ロールフィヨルテは、一人の少女と対峙していた。

 

 その少女――ウオッカは、荒い息を吐きながら、挑発するようにボクを睨み返していた。短く切り揃えられた黒髪が、額に張り付いた汗を吸って重そうに揺れている。彼女の放つ熱量は、冷え込み始めた夜の空気さえも焦がさんばかりだった。

 

「……ロールフィヨルテ……?」

 

 彼女は、まるで不吉な名前でも耳にしたかのように、ボクの名を喉の奥で転がした。その瞳には、隠しきれない驚きと、それ以上に深い、剣呑なまでの疑念が渦巻いている。

 

「ああ、知ってるぜ。ジャパンカップも有馬も勝った、あの『日本総大将』だろ。新聞やテレビで見ねぇ日はなかったからな。……でもよ、あんたは『走る方』の人間だろ。教えるなんて、一度も聞いたことがねぇ。……それとも何だ? 有名人の気まぐれな道楽か、引退後の暇つぶしに、この俺を付き合わせようってのか?」

 

 ウオッカの声は、低く、鋭い。その響きからは、周囲に媚びることを潔しとしない、ウマ娘としての高い矜持が感じられた。彼女にとって、ボクという存在は尊敬の対象である以上に、「自分たちの神聖な領域を荒らしに来た余所者」に近いのかもしれない。けれど、その奥底に秘められた彼女の生真面目さが、ボクの言葉を無下に無視することを彼女に許さなかった。

 

「道楽なんかじゃない。ボクは本気で、君を導きたいと思っているんだ、ウオッカ。……君の中に眠っているのは、単なる才能じゃない。それは、時代を塗り替えるための『咆哮』だ。でも、今のままじゃその声は誰にも届かない。……それを世界に響かせられるのは、ボクしかいないんだ」

 

「……はっ、大きく出たな」

 

 ウオッカは鼻で笑い、乱暴に腕で額の汗を拭った。

 

「俺が欲しいのは、有名人の後ろ盾でも、綺麗事の並んだお墨付きでもねぇ。俺は、誰よりも『カッコいい』走りをして、一番の座を掴み取りたいだけだ。……あんたに、それが教えられるってのか? 自分が速く走れることと、他人の足を速くすることは、全く別の話だぜ。他人の人生を預かる覚悟、あんたにその覚悟があるのかよ」

 

「覚悟なら、とっくに決めてきた。……だから、まずは証明させてほしい。……ウオッカ、君はさっきの走りを全力だと思っていたかもしれないけど、ボクから見れば、君は自分の秘めた力を半分も使いこなせていない」

 

 ボクが静かに、けれど断定的にそう告げた瞬間、ウオッカの瞳に不快そうな火が灯った。だが、ボクは止まらない。脳内では、すでに「彼女たち」が騒ぎ始めていた。

 

『論理的に説明しなさい、ロール。彼女の重心、左脚の蹴り出しの角度……すべてが非効率だわ』

 アーモンドアイが冷徹に、精密な走行データをボクの視界に展開する。

 

『ふん、魂の輝きは悪くありませんが、いかんせん使い方が稚拙ですわね。女王の器を育てるなら、まずはその無作法な筋肉を矯正すべきですわ』

 ジェンティルドンナが、不敵に笑いながら彼女の「芯」を見定めている。

 

『ギャハハ! 良い面構えだぜマスター! もっと煽ってやれよ、こいつは叩けば叩くほど光るタイプだ!』

 ゴールドシップが、脳内の特等席でポップコーンでも頬張りそうな勢いで囃し立てる。

 

「君の走りは、確かに力強い。荒削りで、見ていて胸が熱くなるようなエネルギーに満ちている。……でも、無駄が多すぎるんだ。特に左の踏み込み。加速の際、わずかに出力が外側に逃げているね。それを無理やり体幹の捻りでねじ伏せようとしているから、後半の伸びが鈍り、スタミナも無駄に消費している。……君が憧れている『カッコいい走り』っていうのは、そんなに苦しげなものなのかな? 理想とするのは、もっと無駄がなく、研ぎ澄まされた稲妻のような走りじゃないのか?」

 

「っ……!」

 

 ウオッカが、言葉を失って息を呑んだ。

 それは、彼女自身が自分の中で漠然と感じていた、形にならない違和感の正体だったに違いない。誰よりも速く、誰よりも美しくありたいと願う彼女にとって、その技術的な欠陥を「怪物」の手で白日の下にさらされることは、屈辱であると同時に、抗いがたい希望の光でもあったはずだ。

 

「……何で、それを。……あんた、ずっと俺を見てたのか?」

 

「見ていたよ。君という原石が、どんな理想を抱いて、どんな壁にぶつかっているのかをね。……ウオッカ、君はダービーを勝ちたいんだろう? マイラーの君には不可能だとか、そんな世間の常識を笑い飛ばして、自分自身の力で歴史をぶち破りたいんだろう?」

 

 ボクは一歩、彼女のパーソナルスペースに踏み込んだ。熱意を隠さず、けれど押し付けるのではなく、対等な「勝負師」として彼女の魂に呼びかける。

 

「ボクと契約してくれ。ボクがこれまで見てきた景色、魂に刻んできた『最強』の理論、そのすべてを君に注ぎ込む。……君を、歴史に名を刻む最高のウマ娘にしてみせる。これはボクの、トレーナーとしての最初の、そして最大の賭けだ」

 

 ウオッカは黙り込んだ。沈黙が重く流れる中、彼女は自分の右手の拳を強く握り、爪が食い込むほどに力を込め、それからゆっくりと開いた。彼女の瞳の中で、疑念と情熱が激しくせめぎ合っている。

 

「……いいぜ。あんたがそこまで言うなら、お話だけは聞いてやるよ。……ただのレジェンドの気まぐれじゃねぇってこと、少しは分かったからな」

 

 彼女は少しだけ毒気を抜かれたように、けれど譲れない一線を引くように言った。その声には、ボクという人間を真っ向から試そうとする意志が宿っていた。

 

「でもな、いきなり専属契約なんてのは、まだ早すぎる。あんたが本当に信頼に値するトレーナーなのか、俺の身体を預ける価値があるのか……それを俺の目で見極めさせてもらう。……まずは『仮』だ。来月の選抜レースまで、あんたのメニューに従ってやるよ。地獄だろうが何だろうが、俺は逃げねぇ」

 

「選抜レースまで、か。……十分すぎるよ」

 

「ああ。そこで俺自身が、自分の走りに『これだ!』って思える納得ができたら、そん時は正式にあんたの軍門に降ってやる。……でも、もし俺を満足させられなかったら、その時は即刻解散だ。有名人だろうが何だろうが、俺の人生を無駄にする権利は誰にもねぇ。……分かったか?」

 

 不敵な笑み。夕闇の中でも、ウオッカの「ウマソウル」の輝きが、挑戦的な火花を散らしている。その強気な姿勢に、ボクは思わず満足感で口端を上げた。それでこそ、ボクが見込んだ「伝説の継承者」だ。

 

「分かった。最高の条件だ。選抜レースで、君が自分自身の走りに惚れ直すような、そんな最高の魔法をかけてあげるよ。……後悔させないさ」

 

「……けっ、おめでてぇ自信だな。……いいぜ、ロールフィヨルテ。あんたのその熱意、言葉だけじゃねぇってところを俺にたっぷり見せてみろよ!」

 

 ウオッカはぶっきらぼうにそう言い捨てると、ベンチに置いていたスポーツバッグを荒っぽく肩に担いだ。寮へと向かって歩き出す彼女の背中は、まだ細く、未完成で、危うさに満ちている。けれど、夕陽の残滓を背負って歩くそのシルエットは、確かにいつか「王」として君臨するであろう風格を、静かに予感させていた。

 

(……アイちゃん、聞いた? 仮契約だってさ。一歩前進だね)

『……ええ。喜びなさい、ロール。最短距離で彼女を最適化し、その荒々しさを損なわずに研ぎ澄ます……そんな難解なパズルを、これから貴女は解くことになるわ。……覚悟しなさい。彼女を育てるのは、貴女が自分一人のために走るよりも、ずっと過酷で、血を吐くような努力が必要になるわよ』

(望むところだよ。……自分の走りで勝つのも楽しかったけど、誰かの可能性を花開かせるのは、それ以上にワクワクするじゃないか)

 

 ボクは夜の帳が降りたトレーニングコースに一人立ち、消えていくウオッカの後姿をいつまでも眺めていた。

 かつての戦友たちが、今、一人の不遜で真っ直ぐな少女の姿を借りて、ボクの目の前に現れたのだ。

 一人は新人トレーナーとしての道を歩み始めたレジェンド、もう一人は生意気で高潔な原石の新入生。

 二人のデコボコな、けれど熱い歩みが、トレセン学園に新しい、誰も見たことのない伝説を刻み始める。

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