TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る 作:雅媛
トレセン学園の寮に、桜の花びらが舞い込む季節。
ボク、ロールフィヨルテの学園生活は、入学早々にして「天国」と「地獄」が同時にやってきていた。
まずは天国から話そう。
「あら、あなたが新しいルームメイト? はじめまして。私はサクラローレル。よろしくね、ロールちゃん」
目の前で、鹿毛の髪を揺らしてふんわりと微笑む先輩ウマ娘。
その笑顔は春の陽だまりのように温かく、ボクの心臓を鷲掴みにした。
(う、嘘だろ……!? サクラローレル!? あの「不屈のサクラ」がルームメイト!?)
ボクの前世の記憶が、ファンファーレを鳴らして歓喜している。
サクラローレル。
今はまだナリタブライアンの影に隠れているが、後に年度代表馬にまで登り詰める大器。そして何より、ボクの前世での「最推し」の一人だ。
こんな至近距離で、あの聖母のような微笑みを見られるなんて、前世でどれだけ徳を積んだんだボクは。
だが、同時に地獄の釜の蓋も開いた。
ボクの脳内データベースが、残酷なカウントダウンを告げたからだ。
【サクラローレル:体質が弱く、デビュー前から球節炎や骨膜炎に悩まされる。1995年初頭、中山記念を制し本格化の兆しを見せるも、4月末、天皇賞(春)に向けた調教中に両前脚を骨折。長期休養を余儀なくされる】
カレンダーを見る。今は4月の上旬。
彼女は先日、GⅡ中山記念を勝利し、勢いに乗っている。次走はもちろん、最強ステイヤーを決める「天皇賞(春)」。
つまり、Xデーまであと2週間もない。
よく目を凝らすと、彼女の脚には真っ黒な靄がまとわりついている。
ボクにしか見えないようだが、いやな予感をひしひしと感じさせる不吉な靄だ。
(……笑えない。推しの笑顔が、あと数日で曇るなんて絶対に嫌だ)
ボクは引きつった笑顔で「よ、よろしくお願いします、ローレル先輩!」と頭を下げながら、心の中で誓った。
この人を守る。
推しを救えるなら、ボクの学園生活なんて安いものだ。
それからの数日間、ボクの行動ははたから見れば「先輩に懐きすぎたウザい後輩」、あるいは「狂信的なSP」だった。
「ローレル先輩! 荷物持ちます! 全部!」
「えっ? 参考書1冊だけだよ?」
「指一本でも負担をかけたくないんです! さあ貸してください!」
「あ、あら……ありがとう?」
移動教室での徹底的な荷物持ち。
「ローレル先輩! この廊下の角、飛び出し注意です! ボクが安全確認します! ……よし、クリア! 進んでください!」
「ロールちゃん、なんだか本当にSP(セキュリティポリス)みたいね……ふふ、頼もしいわ」
廊下での過剰な警護。
そして何より、日常生活への介入だ。
「先輩、その靴! 紐の結び目が甘いです! 踏んで転んだら大変だ、ボクが結び直します!」
「先輩、階段は危ないです! エレベーターを使いましょう!」
「先輩、今日の湿度は関節に悪いです! 除湿器、ボクの部屋から持ってきました!」
ローレル先輩は、そんなボクを「ちょっと変わった、心配性で可愛い後輩」として受け入れてくれていた。
だが、肝心のトレーニングへの情熱だけは、ボクの過保護さでも止められなかった。
「今年はね、絶対にブライアンちゃんに追いつきたいの。だから、休んでなんていられないわ」
彼女の瞳に宿る、静かだが激しい炎。
ナリタブライアン。同世代の怪物。その背中を追って、彼女は今、あえて茨の道を進もうとしている。
(……尊い。その向上心が尊いんだ。でも、今はそれが命取りなんだよ……!)
ボクは心の中で叫びながら、毎晩彼女の足を入念にマッサージした。
……熱い。
微かだが、膝関節のあたりに熱を持っている。
本人は「好調の証」だと思っているかもしれないが、これは悲鳴だ。限界を超えつつあるサインだ。
早朝のトレーニングフィールド。
まだ朝霧が残る中、ジャージ姿のローレル先輩が、いつくなに真剣な表情でシューズの紐をきつく結び直していた。
その背中から立ち上る気配は、いつものおっとりした彼女とは別人のように張り詰めている。
「おはよう、ロールちゃん。……今日はね、今まで以上に負荷をかけたハードトレーニングをするわ」
彼女は立ち上がり、誰もいない走路を見据えた。
「内容は、天皇賞(春)と同じ3200m。これをレース本番を想定したペースで、毎日追い切る……今の私が、淀の坂を越えられるかどうかの試金石よ」
ボクは戦慄した。
3200mのタイムトライアル。しかもレースペースでの全力疾走。
今の彼女の「ガラスの脚」で、そんな高負荷の長距離を繰り返し走ればどうなるか。
確実に、折れる。
Xデーがすぐそこに迫る。そんな運命を感じた。
「……ダメです。無謀すぎます」
ボクは強い口調で止めた。
「今までのトレーニングで先輩も疲れがたまっています。3200mの全力疾走を繰り返すなんて……今の先輩の足では耐えきれません。壊れてしまいます!」
ボクは必死に訴えた。
だが、ローレル先輩は困ったように眉を下げ、それでも譲らなかった。
「ありがとう、心配してくれて。……でもね、私、もう決めたの」
彼女の瞳に、静かだが激しい炎が宿る。
「ブライアンちゃんと同じ舞台で戦うには、この距離への恐怖心を克服しなきゃいけない。殻を破るためには、多少のリスクは承知の上よ」
「リスクの桁が違います! 選手生命に関わります!」
「大丈夫よ。今の私は絶好調だもの。そんなに弱くないわ」
先輩が、スタート地点へ向けて一歩踏み出す。
それと同時に一段と黒い靄が濃くなった。
その芯の強さが、今はあまりに危うい。推しの輝きが、自らを焼き尽くそうとしている。
彼女のトレーナーを見るが困っているばかりで頼りない。
言葉で説得できる段階は過ぎた。
なら、実力行使しかない。
「……わかりました。そこまで『大丈夫』だと言うなら、ボクにわからせてください」
ボクはローレル先輩の前に回り込み、行く手を阻んだ。
「え?」
「ボクと3200mの併せで勝負しましょう」
ボクは自分の胸をドンと叩いた。
「……ロールちゃんと? 3200mを?」
ローレル先輩が目を丸くした。当然だ。
3200mという距離は、シニアクラスのステイヤーですら過酷な長丁場。デビュー前の新人ウマ娘が走る距離ではない。完走すら危ういだろう。
「はい。ボクはまだデビュー前の新人です。長距離経験なんてゼロのド素人です」
ボクは一歩、先輩に近づき、挑発的な視線をぶつける。
「もし、万全だというGⅡウイナーの先輩が、こんな長距離素人の新人に遅れを取るようなら……それは『調子が悪い』という動かぬ証拠です。その時は潔く一週間の完全休養をとってください」
生意気な口上。
だが、これくらい言わなければ、彼女のプライドには響かない。
一人で走らせれば、彼女は無意識にリミッターを外して限界を超えてしまう。だが、隣にボクがいれば、ペースを乱し、最悪の場合はボクが身体を張ってでも止めることができる。
「……面白いわね。ロールちゃん、あなた本気?」
ローレル先輩の瞳に、勝負師の光が宿る。
普段のおっとりした雰囲気は消え、そこにあるのは「サクラ」の看板を背負う者の凄味。
「いいわ。その勝負、受けて立つ。……デビュー前の新人が、淀の長丁場と同じ距離を走る怖さ、教えてあげるわ」
交渉成立。
ボクは拳を握りしめた。
まともにやれば、勝てるわけがない。
相手は現役の重賞ウイナー。しかも長距離適性は抜群だ。対するボクは、長距離なんて走ったこともない。
だが、ボクには能力がある。脳内で、ゴルシがニヤリと笑った気がした。
そして何より、この勝負に負ければ、推しの足が折れるという未来への恐怖が、ボクを突き動かす。
(……ごめんなさい、ローレル先輩。今日だけは、ファン失格の暴挙に出ます)
10日後に怪我するサクラローレル
その運命をねじ曲げるための、最初で最後の長距離勝負。
ボクたちは無言でスタートラインに立った。