TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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54 選抜レース

 五月の晴天。初夏を思わせる強い日差しと、選抜レース独特の熱気に包まれていた。

 この日のメインイベントは、デビュー前の注目株が集う二四〇〇メートル戦。「原石」たちが、自分たちの価値を証明するための舞台だ。

 

 二四〇〇メートル。それはウマ娘たちが生涯一度きりの栄誉を懸けて戦う「日本ダービー」と同じ、過酷な距離。マイルに絶対的な適性を見せるウオッカにとっては、明らかに「長い」未知の領域だった。逆に、無尽蔵のスタミナと完璧なラップ管理を誇るダイワスカーレットにとっては、自分の庭のような有利な舞台と言えた。

 

 パドックに並ぶウマ娘たちの中に、その二人の姿があった。

 真っ赤なリボンを誇らしげに揺らし、まるで女王のような風格で歩くダイワスカーレット。そして、その数歩後ろを、獲物を狙う狼のような鋭い目つきで歩くウオッカ。

 

「……随分と気合が入っているみたいね、ウオッカ」

 

 スカーレットが歩調を緩め、振り返りながら不敵な笑みを浮かべた。その声には、格下を憐れむような、それでいて強烈な対抗意識が混じっている。

 

「悪いけど、今日の距離は私のために用意されたようなものよ。マイルでしか走れないような子が、背伸びをしてついてこられるほど、この距離は甘くないわ。今のうちに棄権して、マイルのレースにでも逃げたらどうかしら?」

 

「……うるせぇよ、優等生」

 

 ウオッカは低い声で吐き捨て、スカーレットの瞳を正面から射抜いた。

 

「距離が長いとか短いとか、そんなのは走ってみなきゃ分からねぇだろ。俺は、あんたのその完璧に作り込まれた『支配者の走り』ってやつを、この手でぶち壊しに来たんだ。あんたがロールさんの真似事をして悦に浸ってる間に、俺はあんたの鼻先を『俺の走り』で突き抜けてやるよ」

 

「……っ、真似事なんて、心外だわ! 私は私の実力で、高みへ辿り着くのよ! あんたのような無作法な走りに、負けるわけがないわ!」

 

 火花を散らす二人を、観客席の片隅で見守るボク――ロールフィヨルテは、静かに双眼鏡を下ろした。

 

(……良い雰囲気だ。ウオッカ、君の負けん気は最高潮だね)

 

 脳内では、アイちゃんたちが最終的なレースシミュレーションを行っていた。

 

『……距離適性の差は歴然。普通に走れば、二〇〇〇メートルを過ぎたあたりでスタミナが底を突くわ。……勝機は、ラチ際の一点突破のみ』

 

 アイちゃんの冷静な分析に、ゴルシちゃんがニヤリと笑う。

 

『リスクは最大、成功率は一桁。だが、だからこそ「カッコいい」ってわけだ。ぶちかましてやれよ、あのガキ!』

 

---

 

 ファンファーレと共に、ゲートが弾けた。

 好スタートを切ったのは、やはりダイワスカーレットだった。彼女は一切の迷いなくハナを叩くと、まるで教科書のような美しいフォームで、淀みのないラップを刻み始める。

 

 対するウオッカ。

 ボクが彼女に授けた作戦は、無謀とも言える「死んだふり」だった。

 

「……っ、我慢だ……我慢しろ……!」

 

 ウオッカは最後方、最もスタミナを温存できる「内ラチ(柵)の際」に、ピタリと張り付いた。

 二四〇〇メートルの長丁場。スタミナに不安があるウオッカが最後まで脚を使い切るには、一ミリも無駄な距離を走ることは許されない。最短距離を行き、風を避け、ただひたすらに体力を溜め込む。

 

 だが、内ラチ沿いを走るということは、同時に「囲まれる」という致命的なリスクを背負うことでもあった。

 

 レースはスカーレットの独壇場で進んだ。

 千メートル、千六百メートル、二千メートル。彼女の刻む完璧なリズムに、後続のウマ娘たちはじわじわと体力を削られていく。スカーレットの背中は遠く、輝いている。

 

 第四コーナー。

 勝負所を迎え、後方のウマ娘たちが一斉に外側へ進路を持ち出す。

 その隙を突いて内側から抜け出そうとしたウオッカだったが、前を走るウマ娘がフラつき、外側からは他の集団が蓋をするように押し寄せてきた。

 

「……くそっ、囲まれた……!?」

 

 完全に進路を塞がれている。前にも横にも壁の絶望的な展開。

 

 ボクの隣で観戦していたドーベルが、思わず悲鳴のような声を上げた。

 

「ロール! これじゃ……!」

 

「いいや、見てて、ドーベル。あの子は、あんな壁じゃ止まらない」

 

 ボクは確信していた。

 ボクが教えたのは、ただのスタミナ温存だけじゃない。

 窮地に陥ったとき、魂の底から絞り出す「一瞬の隙間」を見極める目だ。

 それはもともと、彼女から教えてもらった、彼女のための方法だ。

 

(……今だよ、ウオッカ!)

 

 その瞬間だった。

 先行集団が最後の一踏ん張りのために横に広がった、わずか数センチの隙間。

 普通のウマ娘なら「道がない」と諦めるその場所を、ウオッカはまるで幽霊のように、抵抗なくすり抜けた。

 

 ボクがかつてダービーで見せた、あの捉えどころのない、幻惑的な加速。

 それが、ウオッカの爆発的な筋肉と融合し、物理法則を無視したような鋭い一歩へと昇華された。

 

「――っらぁぁぁ!!」

 

 咆哮と共に、青い閃光がバ群の中から弾け飛んだ。

 一瞬で包囲を突破したウオッカの眼前には、悠々とゴールを目指すスカーレットの背中があった。

 

 残り二百メートル。

 誰もがスカーレットの勝利を疑わなかったその場所で、二人の「最強」が並びかけた。

 

「……なっ!? 何で……あんたがそこに!?」

 

 驚愕に目を見開くスカーレット。

 彼女の「支配」という城壁を、ウオッカという「雷光」が粉々に粉砕する。

 二人の脚が、ターフを叩く音がシンクロする。

 スカーレットの赤いリボンと、ウオッカの青い魂。

 二頭の怪物が、火の出るような叩き合いを演じる。

 

 二四〇〇メートルという距離が生み出す疲労。

 スタミナはもう、限界を超えている。

 けれど、ウオッカを突き動かしていたのは、肺の苦しさよりも、足の痛みよりも、ただ一つの渇望。

 

(……カッコよく……あいつを、抜き去る……!)

 

 ゴール直前。

 ウオッカの最後の一歩が、スカーレットの鼻面をわずかに制した。

 

 一着、ウオッカ。

 

 静まり返るスタンド。そして次の瞬間、地鳴りのような歓声が東京レース場を包み込んだ。

 マイル適性の少女が、ダービーの距離で「女王」をねじ伏せた。

 それは、新しい時代の扉が、力任せに蹴り破られた瞬間だった。

 

---

 

 レース後の検量室前。

 汗だくになり、膝を震わせながらも、ウオッカは満足げな不敵な笑みを浮かべていた。

 少し離れた場所では、ダイワスカーレットが、「屈辱」に唇を噛み締め、涙を堪えて立ち尽くしていた。

 

 ボクはゆっくりと、ウオッカの元へ歩み寄った。

 

「……ナイスラン。最高の『破壊』だったよ、ウオッカ」

 

 ボクが差し出したスポーツタオルを、彼女は無造作に受け取った。

 

「……はぁ、はぁ……。けっ……。あんたの言った通り、あの隙間……本当に行けるとは思わなかったぜ」

 

 彼女は荒い息を整えながら、まっすぐにボクの瞳を見た。

 そこには、最初に出会った時の疑念はもう欠片もなかった。あるのは、一人の師に対する、不器用で真っ直ぐな敬意。

 

「……ロール。……あんたのメニューは最悪にキツいし、性格も食えねぇけど……」

 

 ウオッカは懐から、ボクが渡したままになっていた「正式契約書」を取り出した。

 彼女はそれを、まるでお守りのように強く握りしめ、ボクに差し出した。

 

「……俺を、ダービーへ連れてってくれ。あんたとなら、俺はどこまでもカッコよく走れる。……そう確信したぜ。……よろしくな、トレーナー」

 

 ボクは彼女の手から、少し汗で湿ったその紙を受け取った。

 史上最高のウマ娘が、新人トレーナーとして交わす、初めての「絆」。

 

「ああ、任せてよ。君が誰よりもカッコいい『ダービーウマ娘』になるその日まで、ボクは君を離さない」

 

 五月の風が、二人の間を吹き抜けていく。

 導き手としてのロールフィヨルテ、そして破壊者としてのウオッカ。

 黄金の轍は、今、新しい風を巻き起こしながら、さらなる高みへと伸び始めた。

 

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