TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る 作:雅媛
五月の晴天。初夏を思わせる強い日差しと、選抜レース独特の熱気に包まれていた。
この日のメインイベントは、デビュー前の注目株が集う二四〇〇メートル戦。「原石」たちが、自分たちの価値を証明するための舞台だ。
二四〇〇メートル。それはウマ娘たちが生涯一度きりの栄誉を懸けて戦う「日本ダービー」と同じ、過酷な距離。マイルに絶対的な適性を見せるウオッカにとっては、明らかに「長い」未知の領域だった。逆に、無尽蔵のスタミナと完璧なラップ管理を誇るダイワスカーレットにとっては、自分の庭のような有利な舞台と言えた。
パドックに並ぶウマ娘たちの中に、その二人の姿があった。
真っ赤なリボンを誇らしげに揺らし、まるで女王のような風格で歩くダイワスカーレット。そして、その数歩後ろを、獲物を狙う狼のような鋭い目つきで歩くウオッカ。
「……随分と気合が入っているみたいね、ウオッカ」
スカーレットが歩調を緩め、振り返りながら不敵な笑みを浮かべた。その声には、格下を憐れむような、それでいて強烈な対抗意識が混じっている。
「悪いけど、今日の距離は私のために用意されたようなものよ。マイルでしか走れないような子が、背伸びをしてついてこられるほど、この距離は甘くないわ。今のうちに棄権して、マイルのレースにでも逃げたらどうかしら?」
「……うるせぇよ、優等生」
ウオッカは低い声で吐き捨て、スカーレットの瞳を正面から射抜いた。
「距離が長いとか短いとか、そんなのは走ってみなきゃ分からねぇだろ。俺は、あんたのその完璧に作り込まれた『支配者の走り』ってやつを、この手でぶち壊しに来たんだ。あんたがロールさんの真似事をして悦に浸ってる間に、俺はあんたの鼻先を『俺の走り』で突き抜けてやるよ」
「……っ、真似事なんて、心外だわ! 私は私の実力で、高みへ辿り着くのよ! あんたのような無作法な走りに、負けるわけがないわ!」
火花を散らす二人を、観客席の片隅で見守るボク――ロールフィヨルテは、静かに双眼鏡を下ろした。
(……良い雰囲気だ。ウオッカ、君の負けん気は最高潮だね)
脳内では、アイちゃんたちが最終的なレースシミュレーションを行っていた。
『……距離適性の差は歴然。普通に走れば、二〇〇〇メートルを過ぎたあたりでスタミナが底を突くわ。……勝機は、ラチ際の一点突破のみ』
アイちゃんの冷静な分析に、ゴルシちゃんがニヤリと笑う。
『リスクは最大、成功率は一桁。だが、だからこそ「カッコいい」ってわけだ。ぶちかましてやれよ、あのガキ!』
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ファンファーレと共に、ゲートが弾けた。
好スタートを切ったのは、やはりダイワスカーレットだった。彼女は一切の迷いなくハナを叩くと、まるで教科書のような美しいフォームで、淀みのないラップを刻み始める。
対するウオッカ。
ボクが彼女に授けた作戦は、無謀とも言える「死んだふり」だった。
「……っ、我慢だ……我慢しろ……!」
ウオッカは最後方、最もスタミナを温存できる「内ラチ(柵)の際」に、ピタリと張り付いた。
二四〇〇メートルの長丁場。スタミナに不安があるウオッカが最後まで脚を使い切るには、一ミリも無駄な距離を走ることは許されない。最短距離を行き、風を避け、ただひたすらに体力を溜め込む。
だが、内ラチ沿いを走るということは、同時に「囲まれる」という致命的なリスクを背負うことでもあった。
レースはスカーレットの独壇場で進んだ。
千メートル、千六百メートル、二千メートル。彼女の刻む完璧なリズムに、後続のウマ娘たちはじわじわと体力を削られていく。スカーレットの背中は遠く、輝いている。
第四コーナー。
勝負所を迎え、後方のウマ娘たちが一斉に外側へ進路を持ち出す。
その隙を突いて内側から抜け出そうとしたウオッカだったが、前を走るウマ娘がフラつき、外側からは他の集団が蓋をするように押し寄せてきた。
「……くそっ、囲まれた……!?」
完全に進路を塞がれている。前にも横にも壁の絶望的な展開。
ボクの隣で観戦していたドーベルが、思わず悲鳴のような声を上げた。
「ロール! これじゃ……!」
「いいや、見てて、ドーベル。あの子は、あんな壁じゃ止まらない」
ボクは確信していた。
ボクが教えたのは、ただのスタミナ温存だけじゃない。
窮地に陥ったとき、魂の底から絞り出す「一瞬の隙間」を見極める目だ。
それはもともと、彼女から教えてもらった、彼女のための方法だ。
(……今だよ、ウオッカ!)
その瞬間だった。
先行集団が最後の一踏ん張りのために横に広がった、わずか数センチの隙間。
普通のウマ娘なら「道がない」と諦めるその場所を、ウオッカはまるで幽霊のように、抵抗なくすり抜けた。
ボクがかつてダービーで見せた、あの捉えどころのない、幻惑的な加速。
それが、ウオッカの爆発的な筋肉と融合し、物理法則を無視したような鋭い一歩へと昇華された。
「――っらぁぁぁ!!」
咆哮と共に、青い閃光がバ群の中から弾け飛んだ。
一瞬で包囲を突破したウオッカの眼前には、悠々とゴールを目指すスカーレットの背中があった。
残り二百メートル。
誰もがスカーレットの勝利を疑わなかったその場所で、二人の「最強」が並びかけた。
「……なっ!? 何で……あんたがそこに!?」
驚愕に目を見開くスカーレット。
彼女の「支配」という城壁を、ウオッカという「雷光」が粉々に粉砕する。
二人の脚が、ターフを叩く音がシンクロする。
スカーレットの赤いリボンと、ウオッカの青い魂。
二頭の怪物が、火の出るような叩き合いを演じる。
二四〇〇メートルという距離が生み出す疲労。
スタミナはもう、限界を超えている。
けれど、ウオッカを突き動かしていたのは、肺の苦しさよりも、足の痛みよりも、ただ一つの渇望。
(……カッコよく……あいつを、抜き去る……!)
ゴール直前。
ウオッカの最後の一歩が、スカーレットの鼻面をわずかに制した。
一着、ウオッカ。
静まり返るスタンド。そして次の瞬間、地鳴りのような歓声が東京レース場を包み込んだ。
マイル適性の少女が、ダービーの距離で「女王」をねじ伏せた。
それは、新しい時代の扉が、力任せに蹴り破られた瞬間だった。
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レース後の検量室前。
汗だくになり、膝を震わせながらも、ウオッカは満足げな不敵な笑みを浮かべていた。
少し離れた場所では、ダイワスカーレットが、「屈辱」に唇を噛み締め、涙を堪えて立ち尽くしていた。
ボクはゆっくりと、ウオッカの元へ歩み寄った。
「……ナイスラン。最高の『破壊』だったよ、ウオッカ」
ボクが差し出したスポーツタオルを、彼女は無造作に受け取った。
「……はぁ、はぁ……。けっ……。あんたの言った通り、あの隙間……本当に行けるとは思わなかったぜ」
彼女は荒い息を整えながら、まっすぐにボクの瞳を見た。
そこには、最初に出会った時の疑念はもう欠片もなかった。あるのは、一人の師に対する、不器用で真っ直ぐな敬意。
「……ロール。……あんたのメニューは最悪にキツいし、性格も食えねぇけど……」
ウオッカは懐から、ボクが渡したままになっていた「正式契約書」を取り出した。
彼女はそれを、まるでお守りのように強く握りしめ、ボクに差し出した。
「……俺を、ダービーへ連れてってくれ。あんたとなら、俺はどこまでもカッコよく走れる。……そう確信したぜ。……よろしくな、トレーナー」
ボクは彼女の手から、少し汗で湿ったその紙を受け取った。
史上最高のウマ娘が、新人トレーナーとして交わす、初めての「絆」。
「ああ、任せてよ。君が誰よりもカッコいい『ダービーウマ娘』になるその日まで、ボクは君を離さない」
五月の風が、二人の間を吹き抜けていく。
導き手としてのロールフィヨルテ、そして破壊者としてのウオッカ。
黄金の轍は、今、新しい風を巻き起こしながら、さらなる高みへと伸び始めた。