TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る 作:雅媛
選抜レースの喧騒が遠ざかり、夕闇が学園のトレーニングコースのスタンドを静かに包み込んでいた。
勝利の余韻に浸る観客も、悔しさに肩を落とす敗者たちも、それぞれの家路へとついている。そんな静寂の中で、ボク――ロールフィヨルテは、検量室へと続く回廊の隅で、一人の少女に呼び止められた。
「……ロールフィヨルテ先輩。少し、お時間をよろしいでしょうか」
ダイワスカーレットだった。
真っ赤なリボンは少しだけ形を崩し、その誇り高い瞳は、先ほどの敗北による涙を堪えるために潤んでいた。けれど、彼女の言葉には、絶望ではなく、ある種の「すがりつくような熱」が宿っていた。
「どうしたんだい、スカーレットちゃん。今日の走りは本当に素晴らしかったよ。君の刻んだラップは、まさに完璧の一言に尽きる」
「……いいえ、負けましたわ。あのウオッカという無作法な走りに、私は……。ですが、それ以上に、私には耐えられないことがあります」
スカーレットは一歩、ボクに歩み寄った。彼女の放つ熱量は、敗北の痛みによってかえって鋭さを増している。
「ロール先輩がトレーナーを始められるという噂、そしてウオッカを『仮契約』の相手に選んだというお話……。どうして、私ではないんですか? 私は誰よりもロール先輩を尊敬し、貴女のレースを数万回と見返し、その走りを自分の中に再現しようと努めてきました。貴女の理論を、貴女の理想を、最も正しく体現できるのは私のはずです!」
彼女の告白は、悲痛な叫びに近かった。
ダイワスカーレット。彼女はボクの現役時代、純粋にボクの「背中」を追いかけ、ボクという鏡に自分を映し出してきたのだろう。
あまりの熱量に若干気恥ずかしさを覚えるレベルだ。
確かにボクが教えれば、彼女はボクが望む「正解」を、ボク以上の正確さで演じてみせるだろう。それは、トレーナーという立場からすれば、これ以上ないほど「扱いやすい」逸材に違いない。
ボクはゆっくりと、彼女の潤んだ瞳を見つめ返した。
「……スカーレットちゃん。君がどれほどボクの走りを愛してくれているか、そしてどれほどの努力を重ねてきたか。それは今日の走りが何よりも雄弁に物語っていたよ。君は、ボクが過去に見せてきた走りを、トレースしてみせた」
「……だったら!」
「だからこそ、ボクは君を教えることはできないんだ」
ボクの拒絶に、スカーレットは弾かれたように息を呑んだ。
「……え、どうして……。私が、貴女の期待に応えられないと、そう仰るのですか?」
「逆だよ、スカーレットちゃん。君は応えすぎてしまう。……ボクが君を教えれば、君はもっと完璧な、もっと『ボク』になろうとするだろう。でもね、ウマ娘の歴史において、『コピー』が『本物』を超えることは絶対にないんだ」
ボクは残酷な事実を、けれど最大限の慈しみを持って告げた。
「君がボクを模倣すればするほど、君の走りから『ダイワスカーレット』という魂の色が失われていく。それは、ボクの再生産でしかない。ボクはもう一人のロールフィヨルテを作りたいんじゃない。ボクを超えていく新しい才能を見たいんだ」
「……私が、私自身のままで、ロール先輩を超えてみせます! 貴女の指導があれば、それが……!」
「いいや、ボクが君の隣に立てば、君はボクという太陽の光に焼かれて、自分自身の影を見失ってしまう。……君には、ボク以外のトレーナーが必要だ。ボクとは違う視点で、君の中にある『ボクではない美しさ』を見つけ出してくれる、そんなパートナーがね」
ボクは彼女の肩に優しく手を置いた。
「君は、誰かの二番煎じで終わっていい器じゃない。……ダイワスカーレットという唯一無二の女王になりなさい。ボクの教え子であるウオッカと競い合い、互いに高め合う中で、君にしか辿り着けない『頂点』を見つけるんだ。それが、ボクが最も見たい景色なんだよ」
スカーレットは震える唇を噛み締め、俯いた。彼女の肩から、一粒の涙が石畳に落ちる。
しばらくの間、彼女は言葉を失っていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。そこには、まだ悲しみはあるものの、何かが吹っ切れたような、清々しい「決意」が芽生えていた。
「……わかりましたわ。……貴女にそこまで言われては、引き下がるしかありません。……見ていてください、ロール先輩。私は、貴女の模倣ではなく、貴女を絶望させるほどの『ダイワスカーレット』として、いつか貴女の教え子を、そして貴女の思い出さえも、すべて引き千切ってみせます!」
「……ああ。楽しみにしているよ、緋色の女王様」
スカーレットは、深々と一礼すると、背筋を伸ばして歩き去っていった。その足取りは、先ほどよりもずっと力強く、自分自身の道を切り拓こうとする意志に満ちていた。
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「……本当、ひどいこと言うぜ、あんたは」
スカーレットの姿が見えなくなった頃、回廊の柱の陰から、ウオッカが姿を現した。彼女はスポーツタオルを首にかけ、少しだけ気まずそうな、けれどどこかホッとしたような複雑な顔をしていた。
「あいつ、ロールの大ファンなんだぜ。……毎日毎日、あんたのレースビデオを見て、ノートを真っ黒にして。……そんなあいつを、あんな風に突き放すなんてな」
「……全部聞こえていたのかい、ウオッカ」
「ああ、隠れるつもりもなかったけどよ。……なぁ、本当によかったのかよ。あいつの方が、あんたの言う『正解』に近いんだろ? 実績も、現状の完成度もさ。……俺なんかより、あいつの方がずっと『扱いやすい生徒』だったはずだぜ」
ウオッカはぶっきらぼうにそう言い、視線を逸らした。
彼女は、自分が選ばれ、スカーレットが拒絶されたことに、一抹の罪悪感と、そして自分に対する不安を感じているようだった。
ボクはふっと笑い、ウオッカの前に立った。
「……ウオッカ。君、スカーレットちゃんが羨ましいのかい?」
「……んなわけねぇだろ! 俺は俺だ! 誰かの代わりなんてごめんだぜ!」
「だったら、心配なんていらないよ。……ボクが君を選んだのは、君が『ボクに似ていない』からだ」
ボクは彼女の鋭い瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「君の中には爆発的な『未知数』がある。……ボクは、その荒々しくて、カッコよくて、予測不可能な力に惚れたんだ。……ボクという『正解』を破壊して、新しい時代の扉を蹴り開けるのは、優等生のスカーレットちゃんじゃない。……君なんだよ、ウオッカ」
ウオッカは息を呑み、ボクを凝視した。
ボクの言葉は、彼女が抱えていた「レジェンドへの引け目」を、一瞬で焼き尽くすほどの熱を持っていた。
「ボクは、君がいいんだ。……君と一緒に、誰も見たことがない景色を見たい。……だから、あんな風に親友を振ってまで、ボクは君の手を取ったんだよ」
ウオッカの顔が、夕焼けのせいだけではなく、林檎のように真っ赤に染まった。彼女は慌ててタオルで顔を隠し、ぶつぶつと文句を並べる。
「……あ、アンタ、本当に恥ずかしいことさらっと言うよな……っ。……分かったよ、もういい! 契約したんだから、責任取ってもらうぜ!」
「ああ、もちろんだよ。……さあ、寮に帰ろうか。明日からは、今日のレースで見つかった課題を一つずつ潰していくよ。……君だけの『カッコいい走り』、完成させるのはこれからなんだから」
「……へっ、望むところだぜ、トレーナー!」
並んで歩き出す二人の影が、長くターフへと伸びていく。
模倣を拒み、破壊を望む。
ロールフィヨルテのトレーナー道。
その最初の契約は、夕闇の中で、黄金よりも固い絆として結ばれた。