TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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57 本番に向けて

 十二月の冷たい風が阪神レース場の並木道を揺らし、ジュニア級の女王を決定する阪神ジュベナイルフィリーズの開催が目前に迫っていた。

 ボク、ロールフィヨルテはトレーナー室のデスクで、ウオッカの最終調整プランを練りながら、同時に出走予定ウマ娘たちの詳細な分析を行っていた。今回のレースに最大のライバルであるダイワスカーレットの姿はない。実質的にウオッカの一強ムードが漂っているが、ボクの視線はある一点で止まっていた。

 

 二番人気に支持されているアストンマーチャン。短距離からマイルにかけての圧倒的なスピードは、データ上ではウオッカにとって最大の脅威であるはずだった。しかし、手元のウマ娘雑誌やスポーツ紙をどれだけ捲っても、彼女に関する記事が驚くほど少ない。

 写真の一枚もなく、インタビューの一行すら見当たらない。二番人気のウマ娘が、まるで最初から存在していないかのようなこの扱いは、あまりにも不自然だった。

 

 ボクは胸騒ぎを覚え、彼女の練習風景を確認するためにトレーニングコースへと足を運んだ。冬の朝靄が立ち込める中、ウオッカが大地を爆破するような咆哮を上げて駆け抜けていく。

 その前を、音もなく、影のように滑るように走る少女がいた。それがアストンマーチャンだった。彼女は確かにそこにいた。けれど、コース脇で時計を取るスタッフたちは彼女の通過に気づかず、隣を走るウマ娘さえも彼女の気配を認識していないようだった。彼女の周囲だけ、世界の解像度が極端に落ちているような、そんな不気味な違和感。

 

「……これ、どういうことなんだ」

『あー、貴女には見えちゃったか』

 

 とんでもない違和感に思わず声が出たところで話しかけてきたのはいつもの三女神様であった。

 

「どういうことです?」

『彼女の運命は崩壊に向かっているのよ。あと2年もないわね。再来年の夏前には、彼女は消え去るでしょう。まるで今までいなかったのように』

 

 ボクは頭を抱えた。

 運命というやつはどうしてこうも無茶苦茶なのだ。

 思わず神様の頭をぶん殴ってやりたいという衝動に駆られると、三女神様が頭を抱えた。

 

『だから私じゃ運命はどうしようもないんだってば』

「すいません女神様をぶん殴りたいわけではないので」

 

 女神様とそんな話をしているとドンナさんが珍しく割り込んできた。

 いつもならこちらから声をかけないと反応がないのにずいぶんアグレッシブだ。

 

『認めませんわ……! このような不条理、あってはなりません! ロール、貴女の力でどうにかできないのですか!? 私の同門の先輩が、誰の記憶にも残らずに塵に還るなど、わたくしが許しませんわ!』

 

 ボクの前世の記憶が薄れているから知らなかったが、アストンマーチャンとドンナさんは同門、同じ調教師の担当だったようだ。

 まあそんなことがなくてもボクとしてもどうにかしてあげたいと思うところだが……

 さてどうするべきか。ローレル先輩やスズカの時とかは全力でレースで殴ればどうにかなったが、同じ方法が通用するのか。いや、なんとなく無駄な気がする。あれはボクが格下もしくは同格だったから使える方法だ。レジェンドとなり、トレーナー側に来てしまったボクでは彼女の横には立てない。

 頭を悩ませていると、ある奇妙な姿をした男に目が留まった。

 アストンマーチャンの大きな着ぐるみを身に纏い、滑稽なダンスを踊りながら、必死に周囲の注目を集めようとしている一人の人間。彼は自分の尊厳を投げ打ち、道化となって、ただひたすらに叫んでいた。「アストンマーチャンを見てくれ」「彼女はここにいるんだ」と。

 

 それが彼女のトレーナーであることを、ボクは直感的に理解した。

 世界が彼女を忘れようとするなら、自分が最も目立つ道化となって、強引に人々の網膜に彼女の姿を焼き付ける。それはあまりにも泥臭く、不器用で、そして狂気に満ちた愛の形だった。

 彼もまた、ボクと同じように彼女の消えゆく宿命に気づき、たった一人で「世界」という巨大な敵に喧嘩を売っているのだ。

 

 ボクは差し出そうとした手を、ゆっくりと下ろした。

 今のボクが手を貸すことは、彼の覚悟を汚すことになるのかもしれない。彼は自らの人生のすべてを賭して、彼女の「存在」という一点を守り抜こうとしている。その凄絶な献身は、ボクが軽々しく口を出せる領域ではなかった。

 

「……大丈夫だよ、ジェンティルさん。彼女には、世界で一番強い味方がついている」

『……わかりました、信じることにします』

 

 ボクはそう呟き、静かにその場を立ち去った。

 トレーナーという仕事は、なんと歯がゆく、そして残酷なものだろう。担当するウマ娘のすべてを背負い、時には運命そのものを捻じ曲げるために、己のすべてを差し出さなければならない。しかしそこまでしても彼女らの過酷な運命を代わってあげることすらできないのだから。

 

 胸の奥に残る切なさを飲み込みながら、ボクは自室へと戻った。

 明日、阪神のターフで、消えゆく光と、荒々しく咆哮する破壊者が激突する。

 ボクにできるのは、観測者として、その一分三十数秒のすべてを記憶に刻みつけることだけだ。

 

「さあ、ウオッカ。最高のレースをしよう。それが、彼女への一番の礼儀になるはずだからね」

 

 ボクは夜空に浮かぶ冬の星を見上げ、まだ見ぬ明日への決意を固めた。トレーナーの道。それは、愛する者のためにどこまでも残酷に、そしてどこまでも美しくなれる、茨の道なのだと痛感しながら。

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