TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る   作:雅媛

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60 桜花賞

 四月の阪神レース場は、散り始めた桜の花びらが風に舞い、淡いピンクの絨毯をターフの上に広げていた。ティアラ三冠の一冠目、桜花賞。前哨戦のチューリップ賞で完璧な敗北を喫したウオッカにとって、ここは女王の座を奪還するための、文字通り背水の陣であった。

 

 レース前夜、ボク、ロールフィヨルテは、厩舎の明かりの下でウオッカと二人きりで向き合っていた。ウオッカは、自分でデザインしたあの「カッコいい」勝負服のメンテナンスをしながら、いつになく静かな闘志を燃やしていた。

 

「ウオッカ。明日の作戦だけど、基本はチューリップ賞と同じだ。君がマイルで油断さえしなければ、直線の半ばで必ずダイワスカーレットと並ぶことができる。ボクの計算では、君の末脚ならそこまでは確実に辿り着けるはずだ」

 

 ボクがそう切り出すと、ウオッカは顔を上げずに「……並んだ後は?」と短く問いかけた。

 

「そこからは、もうボクの教えられることは何もない。最後は理屈じゃない、気合の勝負になる」

 

 ボクは一度言葉を切り、夜の静寂の中に響く自らの鼓動を確かめるように胸に手を当てた。

 

「ボクのことを完璧だったと言う人は多いけれど、そんなことは一度もなかったんだよ。クラシック三冠も、その後のレースも、いつだって最後はハナ差やクビ差の、薄氷を踏むような勝利ばかりだった。ボクが勝てたのは、ライバルたちよりもほんの少しだけ、ゴール板に鼻先を突き出したいという執念が勝っていたからに過ぎない」

 

 ボクの告白に、ウオッカの手が止まった。ボクは苦笑いを浮かべ、かつての苦い記憶を呼び起こした。

 皐月賞の叩き合い、ダービーでぎりぎりですり抜けた直線、菊花賞でも叩き合いだった。三冠だけ見てもどこがパーフェクトなのか。全く泥臭いレースばかりしてきたものだ。

 そしてその後のふがいなさを思い出して、思わず苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべるしかできない。

 

「シニアクラスに入ったころ、ボクは気合を抜いて無様なレースをしたことがある。三冠を獲ってどこかで慢心していたんだね。その時、ライバルのステイゴールドにこっぴどく怒鳴られたよ。『お前、今のレースのどこに魂があったんだ』ってね」

 

「……あの、黄金の暴君に?」

 

「そう。あの時思い知ったよ。レースを最後に決めるのは体力でも技術でもない、心なんだって。だからウオッカ、明日並びかけた時、最後の一歩を絞り出すのは君の魂だ。ダイワスカーレットの『支配』を力ずくでこじ開けるだけの、誰にも負けない気合を見せてくれ。」

 

 ウオッカはしばらく黙っていたが、やがて不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。

 

「へっ……。完璧なレジェンド様からのアドバイスにしちゃ、随分と泥臭いじゃねぇか。でも、嫌いじゃないぜ。……分かったよ、トレーナー。最後の一歩、俺の気合がどっちに転ぶか、特等席で見届けてくれ」

 

 

 

 

 当日。阪神レース場は、チューリップ賞の再戦を期待する大観衆の熱気に包まれていた。パドックに現れたウオッカは、昨夜の静かな雰囲気とは一変し、全身から青白い炎を立ち昇らせるような圧倒的な気迫を放っていた。一方のダイワスカーレットも、一切の妥協を許さない完璧な仕上がりを見せていた。さらに、不気味な存在感を放つアストンマーチャン。彼女が前に行き、スカーレットと競り合うことでペースが乱れるという予想もあったが、ボクたちの視界に「他人の動きに惑わされる」という選択肢はなかった。

 

 特にトラブルもなくレースは始まり、ゲートが開いた。

 

 アストンマーチャンが閃光のような速さで飛び出し、それをダイワスカーレットが追う。チューリップ賞よりも厳しい流れ。だが、スカーレットは一切怯むことなく、自らの理想とする「支配」の走りを完遂しようとしていた。ウオッカはその後ろ、中団のインコースでじっと息を潜めていた。ボクとの約束通り、一瞬たりともスカーレットの背中から目を離さず、しかし冷静に、自らの内側に爆発のエネルギーを溜め込んでいた。

 

 第四コーナー。阪神の長い直線が牙を剥く。

 

 逃げるマーチャンを、スカーレットが坂の手前で力ずくで捕らえにかかる。スカーレットの脚取りは、今日もまた完璧に見えた。しかし、その時だった。

 

「――らぁぁぁぁぁ!!」

 

 大外から、空気を引き裂くような咆哮が轟いた。ウオッカだ。

 最も苦しい坂の途中で、自らの筋肉に「破壊」の命令を下した。大地を砕くようなフットワーク。風を切り裂く黒い勝負服。ウオッカは、スカーレットが築き上げた完璧なリズムという城壁を、外側から粉々に砕きながら肉薄していく。

 

 残り二百メートル。坂を登りきったところで、二人の鼻面が完全に並んだ。

 

「……来たわね!!」

 

 スカーレットが待ちかねたかのように叫んだ。すぐにその瞳に烈火のような闘志が宿る。

 彼女もまた、負けることを許されない女王の誇りを持っていた。二人の叩き合いが始まった。

 

 右のダイワスカーレット、左のウオッカ。

 一歩も譲らない。互いの身体が触れ合い、火花が散るような激しい競り合い。どちらかが一歩出れば、もう一方が意地で差し返す。もはやそこには戦術も理論も存在しなかった。昨夜ボクが語った通り、純粋な気合と、執念のぶつかり合い。

 

「負けない……! 私は、私の理想を示すんだから!」

 

「うるせぇ……! 俺は、俺のカッコよさを証明するんだよ!」

 

 最後の五十メートル。観衆の歓声は地鳴りとなって地表を揺らした。ウオッカの脳裏には、おそらく先日の「無様な敗北」の記憶と、それを乗り越えようとする自らの魂があった。彼女は最後の一歩、肺が焼け付くような苦しみの中で、文字通り全身の力を一点に集中させた。

 

 ハナ差。いや、それ以下の、肉眼では判別不可能なわずかな差。

 二人が同時にゴール板を駆け抜けた。

 

 一瞬の静寂の後、長い長い写真判定の時間が流れた。掲示板の前で、ウオッカとスカーレットは互いに肩を上下させ、汗だくのまま睨み合っていた。どちらも、自分が勝ったという確信が持てないほどの極限の勝負だった。

 

 掲示板に、一着の番号が灯った。

 

 三番、ウオッカ。

 

「……勝った……のか?」

 

 ウオッカが掠れた声で呟いた。着差は、わずか数センチ。気合で、執念で、彼女は宿敵の完璧な支配を、最後の最後で突き崩してみせたのだ。

 

「……信じられない」

 

 ダイワスカーレットは、膝をつきそうなほどの悔しさを滲ませながら、ウオッカを、そしてスタンドで見守るボクを仰ぎ見た。彼女の目には、初めて味わう、自分には足りなかった「泥臭い執念」への畏怖が浮かんでいた。

 

 ウオッカはボクの方を向き、震える拳を高く突き上げた。その姿は、ボクがこれまで見てきたどのレースよりも、どの勝利よりも、残酷なまでにカッコよかった。

 

「おめでとう、ウオッカ。君の気合、しっかりとこの目に焼き付けたよ」

 

 ボクは彼女の元へ駆け寄り、その汗に濡れた肩を抱き寄せた。桜舞い散る阪神で、新しい女王が、自らの魂で掴み取った最初のティアラ。

 

 しかし、旅はここで終わるわけではない。次なる舞台は、東京。日本ダービーという名の、さらなる不条理と栄光が待つ荒野へ。ボクとウオッカ、そして敗れたスカーレットの物語は、ここからさらに激しく、熱く加速していくことになる。

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