TS転生ウマ娘、才能が空っぽだったので歴代競走馬の魂を借りて伝説を作る 作:雅媛
放課後の人気のない校舎裏で、ボクは一人の男と対峙していた。アストンマーチャンのトレーナーだ。彼は大きな着ぐるみの頭を地面に置き、縋り付くような目でボクを見つめていた。
「ロールフィヨルテさん。貴女だけは、彼女のことを正しく捉えてくださっている。……お願いです。マーチャンを、貴女の傍に置いて、一緒に連れ歩いてはいただけないでしょうか」
「ボクと一緒に、ですか?」
「ええ。貴女は今や時の人だ。貴女が誰かを連れて歩けば、世間はその相手を嫌でも注視する。貴女の放つ眩い光があれば、消えかかっている彼女の輪郭を、この世界に繋ぎ止めることができるはずなんです」
ボクは彼の必死な形相に、思わず言葉を呑んだ。確かに、ボクという存在を広告塔にすれば、彼女の知名度は飛躍的に上がるだろう。けれど、ボクは首を横に振った。
「……それは、逆効果かもしれません。ボクという光が強すぎれば、隣にいる彼女はかえってその影に隠れてしまう。人々は『ロールの隣にいる子』として彼女を認識し、彼女自身の魂を見失ってしまう。それは彼女を救うことにはならないんじゃないかな」
「そんな……。ですが、もう私にはいい手が……」
彼が絶望に肩を落とした、その時だった。ボクの脳内で、爆音のような怒号が響き渡った。
『――いい加減になさい! ウジウジと、見苦しいですわ!』
ジェンティルドンナだ。彼女の激しい気配がボクの意識を強引に押し退けると、ボクの口が勝手に動き始めた。
「なんですの、その情けない顔は!ですがこの男の執念、わたくしは嫌いではありませんわよ!」
「えっ……ロールさん?」
驚愕するトレーナーの肩を、ボクの中のジェンティルさんが力強く掴んだ。
「理屈で守れるほど、運命は甘くありません。……よろしい、この男の執念、わたくしが直々に買い取って差し上げますわ!」
「あ、あの……?」
「この娘を繋ぎ止めるのに、認識の焦点などという微温い理屈はいりませんわ! 世界が彼女を忘れると言うのなら、わたくしが、この『ジェンティルドンナ』の誇りと覇気をもって、全人類の記憶に彼女を強制上書きして差し上げます!」
ジェンティルさんの意識が、ボクから離れ、そのトレーナーの魂に直接突き刺さるような感覚があった。彼女の凄まじい「存在感」が、今後はトレーナーを通じてマーチャンを支える強力な錨として機能するといいのだが。
『ロール、貴女は自分の教え子に集中なさい。この男の魂と、アストンマーチャンの運命……このわたくしが、直々に『管理』して差し上げますわ! さあ、行くわよ、着ぐるみ男!』
「……任せたよ、ジェンティルさん。彼女のこと、よろしくね」
ボクは、見えない力に引き摺られるように去っていくトレーナーの背中を見送りながら、溜息と共に苦笑した。
その足でトレーニングコースに向かうと、ちょうど練習を終えたダイワスカーレットがこちらに歩いてきた。彼女の走りは桜花賞の時よりもさらに洗練され、ボクの模倣を超えて、完全に彼女自身の「支配」へと昇華されていた。
「ロール先輩! お疲れ様です!」
「やあ、スカーレット。さらに凄みが増したね。もうボクが教えることなんてなさそうだ」
「ふふ、ありがとうございます。……先輩、ウオッカに伝えていただけますか? 『オークスでは、私が完璧に勝たせていただきます』って。彼女に勝ってこそ、私の理想に近づけると思うので!!」
その真っ直ぐな瞳に、ボクは言い淀んだ。
「……それがね、スカーレット。ウオッカはオークスには出ないんだ」
「……は? 先輩、今なんて仰いました?」
スカーレットの笑顔が凍りつく。ボクは覚悟を決めて告げた。
「ウオッカの次走は、日本ダービーだよ」
「ダービー!? 正気なの!? 先輩、彼女はティアラの一冠目を獲ったのに? ティアラ三冠の権利を捨てて、わざわざクラシックの頂点を決めるレースに出るなんて……!」
「彼女が選んだんだよ。誰も成し遂げていない歴史を壊しに行きたいって」
「無作法! あまりにも無作法だわ! 私がどれだけ、彼女との二四〇〇メートルでの再戦を、完璧なリベンジの舞台として用意してきたと思っているの!?」
スカーレットは地団駄を踏み、怒りに頬を膨らませた。
「先輩も先輩です! どうして止めなかったんですか!? そんなの逃げです!」
「ボクも最初は驚いたよ。でも、彼女の瞳を見たら、もう止められなかった。……スカーレット、君との決着は、また別の場所で必ずつけると彼女も言っていたよ」
「……っ、知りません! 彼女が無謀な挑戦をして、無様に負けて帰ってくるのを、私はティアラの頂点から笑って見ててあげますから! ……でも、もし。もしもあの子が勝って戻ってきたら、その時は……」
スカーレットは一度俯き、拳を強く握りしめてから、顔を上げた。
「……その時は、ダービーウマ娘である彼女を、私が完膚なきまでに叩き潰してあげます! ロール先輩の理想は、彼女ではなく私であることを、証明してみせます!」
彼女は激しい闘志を撒き散らしながら、嵐のように去っていった。
その日の夜、トレーナー室で月を見上げていたウオッカの隣に、ボクは腰を下ろした。
「ウオッカ。スカーレットに散々怒られちゃったよ。逃げるな、ってね」
「へっ……。あいつ、分かってねぇな。逃げてんのはどっちだよ、って話だぜ」
「彼女からすれば、三冠の道こそが王道であり、君との決着の場だからね」
「王道か……。悪いけどな、ロール。俺は、誰かが敷いた綺麗なレールの上を歩くのは柄じゃねぇんだ。オークスではなくダービーに勝つ。それが、俺にとっての『カッコいい』だ」
ウオッカは立ち上がり、ボクを真っ直ぐに見据えた。
「なぁ、ロール。アンタ、俺を信じてくれるんだろ? 日本中の奴らが無理だ、無謀だって笑う中、アンタだけは俺を……『行け』って言ってくれるんだろ?」
「もちろんさ。ボクは君のトレーナーだ。君が歴史を壊したいと言うなら、ボクはそのための最高の槌になるよ」
「……へっ、言ってくれるじゃねぇか」
ウオッカは不敵に笑い、自らの拳を掲げた。
「見てろよ。府中の二四〇〇メートル……あの場所を、俺の咆哮で支配してやる。歴史を塗り替えるんじゃねぇ。歴史を『破壊』して、新しく作り直してやるんだ」
「ああ。君のその魂、日本ダービーという舞台に叩きつけてやろう。世界中を驚かせる準備は、できているかい?」
「当たり前だろ! 行こうぜ、ロール。俺たちの、伝説の始まりだ!」
夜の静寂の中、二人の拳が力強く合わさった。黄金の轍は、既存のすべての常識を置き去りにして、未踏の荒野へと走り出す。