ホロライブ・レゾナンス 〜仮想(アバター)の力で日常を取り戻す〜   作:miyacchi_novel

1 / 60
序章
第01話: 始まりの音(ゼロ・レゾナンス)


 

世界から、音が消えた。

 

私、ときのそらは歌おうとしていた。横浜アリーナでの通しリハーサル。ペンライトが揺れる光景を想像しながら、マイクを握りしめていた。

 

声が出ない。

 

「――え?」

 

自分の声が聞こえない。心臓の音も聞こえない。叫んでいるスタッフたちの口が動いているけれど、何も聞こえない。

 

完全なる無音。静寂が、アリーナを包む。

 

寒い。耳の奥でキーンとする。

 

 

そして次の瞬間、視界が激しく明滅した。

 

 

ザアアアアアアアアアアアアアアアアアア――!!

 

 

それは音ではなかった。不快な感覚の濁流。テレビの砂嵐を彷彿とさせるような「虚無」の波動が、私を襲った。

 

「(なに!? 痛い、痛い!)」

 

私は頭を抱えてうずくまった。

 

 

目を開けると、アリーナは地獄と化していた。

スタッフたちは耳を塞ぎ、倒れていく。

 

「(み、みんな! しっかりして!)」

 

叫ぼうとした。だが、声は出ない。

 

その時、私は自分の「手」を見た。白い肌。細い指。そして袖口には、見慣れた青いチェック柄の衣装が見えている。

 

「これ……私のアバター!?」

 

アリーナの壁面に設置された巨大モニターは、電源が落ちて黒鏡のようになっていた。そこに、私の姿が映っている。青いワンピース。茶色の髪。頭上に浮かぶ星の髪飾りとエンジェルリング。

 

紛れもない。バーチャルアイドル「ときのそら」の姿だ。

 

「なんで? どうして私が、この姿に?」

 

現実と虚構の境界が崩壊したような眩暈が襲う。だが、事態は困惑する時間を与えてくれなかった。

 

アリーナのゲートの奥から、「それ」が染み出してきた。

 

黒い霧。いや、砂嵐のような微細な粒子の集合体だ。「ヒス(Hiss)」。意味を持たぬ虚無の群体が、ゆっくりとアリーナを侵食していく。

 

ヒスは生き残ったスタッフに群がった。触れられた瞬間、スタッフの瞳から色が消える。物理的な傷はない。けれど、魂が削り取られていくのがわかる。

 

「だめ……やめて!」

 

私は立ち上がろうとする。だが、足が震えて動かない。

 

怖い。何が起きているのかわからない。私はただのアイドルだ。戦う力なんてない。ライブは? みんなは? 私の歌は、もう誰にも届かないの?

 

ヒスの群れが、獲物を求めて蠢いている。その先には、逃げ遅れた親子がいた。母親は意識を失っている。その腕の中で、幼い少女が泣いていた。声のない、静かな泣き顔。

 

ヒスの黒い手が、その少女に向かって伸びていく。

 

動かなきゃ。助けなきゃ。

 

どうやって?

 

その時。少女と目が合った。

 

絶望に染まった瞳。けれど、その奥には微かな光が宿っていた。少女は震える手で何かを握りしめている。

 

古びたペンライト。私のグッズだ。

 

少女の唇がゆっくりと動いた。音は聞こえない。けれど、その唇の動きは確かにこう紡いでいた。

 

『そらちゃん、うたって』

 

ドクン。止まっていた心臓が、跳ねた。

 

『うたって』

 

その言葉が、凍りついた思考を打ち砕いた。走馬灯のように、私の記憶が蘇る。

 

 

そのとき、デビュー当時のことを思い出した。配信を始めても、観客はいなかった。画面の向こうには誰もいないと思っていた。それでも私は歌い続けた。一人でも、誰かに届くと信じて。

コメント欄に光が灯った。

 

『がんばれ』

『そらちゃん、かわいい』

『歌、好きだよ』

 

たった13人。でも、その13人がいなければ、今の私は存在しない。「そらとも」と呼ばれる、私の最初のファン。どんなに辛い時も、歌だけは止めたくないと思わせてくれた人たち。

 

この子のために。たった一人の、目の前のあなたのために。私は、歌うためにここにいるんだ!

 

「そうだ……」

 

恐怖が消えたわけではない。でも、それ以上に熱いものが胸の奥から溢れ出してくる。音がなくても。マイクがなくても。想いは、届く!

 

私は立ち上がった。床を蹴って駆け出す。ヒスの群れが私に反応し、一斉に殺到してくる。

 

構わない。

 

私は少女とヒスの間に立ちはだかった。大きく腕を広げる。そこは私のステージだ。

 

「聞いて!」

 

大きく息を吸い込んだ。肺いっぱいにアリーナの冷たい空気を満たす。頭上のエンジェルリングがかつてないほど眩しく輝き始める。青い光がアリーナの闇を切り裂いていく。

 

そして。

 

「――――あああああぁぁぁあああ!!」

 

世界に音が戻った。

 

いや、それは物理的な音波ではない。魂を震わせる、純粋な「意志」の波動だ。絶望を塗り替える、希望の歌声。「原初の歌声」が炸裂した。

 

閃光が走る。青く澄んだ光の波紋が、私を中心にして全方位へ解き放たれていく。

 

「ギイイイイイイ!?」

 

ヒスの群れが断末魔を上げて霧散していく。「無意味」な存在である彼らは、「絶対的な意味」を持つ歌声の前では存在を維持できなかった。黒い霧が晴れ、アリーナに本来の空気が戻ってくる。

 

だが、その代償は小さくなかった。

 

「う、くっ……!」

 

歌いながら、私の指先がジジッと音を立ててピクセル化し、明滅する。喉が焼けるように熱い。ただ声を出すだけではない。自分の存在(データ)を削って世界を記述し直すような、途方もない負荷が全身を襲う。

 

それでも、私は声を張り上げ続けた。

 

倒れていた人々が光の粒子を浴び、次々と目を覚ましていく。少女の瞳に生気が戻る。

 

歌は止まらない。

 

アリーナの外壁さえも透過し、横浜の夜空へ広がっていく。世界を覆うノイズの空に、一筋の青い光が走った。

 

「届いて……! みんなに!」

 

無心で歌いながら、鉛のような疲労が全身にのしかかる。涙が頬を伝ったが、それは感動だけではない。強烈な生存本能の悲鳴でもあった。

 

これが私の力。仮想(アバター)の身体で、現実(リアル)を救う力。そして、その痛みを引き受ける力だ。

 

歌い終わった時、アリーナは完全な静寂ではなく、温かな安らぎに包まれていた。

 

私は膝から崩れ落ちるように座り込んだ。荒い息をつきながら、自分の両手を見つめる。指先のピクセル化は収まっている。けれど、小刻みに震えていた。

 

「できる……私にも、戦える」

 

その時。私の脳裏に微かな「声」が響いた。鈴を転がすような、懐かしい声だ。

 

『――そら先輩!?』

 

「え……?」

 

私は顔を上げた。声は遠くから聞こえてきた。物理的な距離を超えた、魂の通信(リンク)だ。

 

『聞こえる……そら先輩の歌だ!』

『みんな生きてる! 希望はここにあるよ!』

 

白上フブキ。私の大切な仲間。その声には確信と熱気が満ちていた。そして、力強く告げる。

 

『アキバへ――!』

 

アキバ。私たちの始まりの場所。そこに行けば、みんながいる。

 

「……うん!」

 

私は強く頷いた。一人は微力だ。けれど、無力ではない。そして集まれば、きっと世界だって変えられる。

 

立ち上がり、北の空を見据える。

 

その瞬間、私は息を呑んだ。

 

東京の夜空が、おかしい。黒と赤がまだらに渦巻く、禍々しい雲が首都全体を覆っている。そして、その中心――秋葉原の方角から、巨大な圧力が放たれていた。

 

ビリビリと、空気が軋む。

 

あれは、ヒスとは比べ物にならない。もっと根源的な「虚無」だ。

 

「アキバが……!」

 

仲間たちが、あの中にいる。

 

恐怖で足がすくみそうになる。けれど、私の喉はまだ熱い。私の歌声は、世界を救える武器になった。

 

だったら、使わなきゃ。

 

「待ってて、みんな――!」

 

私は駆け出した。

 

この歌声を武器に、私は戦場へ向かう。

 

物語が、ここから始まる。

 

 






20251216 描写について全般的に変更
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。