ホロライブ・レゾナンス 〜仮想(アバター)の力で日常を取り戻す〜 作:miyacchi_novel
インドネシア近海。
そこは、世界の「蓋」が外れたかのような、混沌の海域だった。
日本が「アキバ・サンクチュアリ」によって「調律」された反動か、「サイレンサー(本体)」の接近による影響か。地球上で最も濃密な「虚無(ノイズ)」がこの海域に集積し、惑星規模の「ノイズの嵐(デリーター・ストーム)」を形成していた。
「ギチ…ギチギチギチ……!」
その嵐の中心で、一隻の小型漁船(を改造した居住船)が、巨大な顎(あぎと)に噛み砕かれる飴玉のように悲鳴を上げていた。
「(ダメ…! 『技術(テック)』が、ノイズの『法則(ルール)』に上書きされる…!)」
甲板で、リスの尻尾が恐怖に逆立っていた。
彼女の手元にあるのは、漂流ゴミから拾い集めた部品で組み上げた、即席のハッキング・デバイスだ。だが、その粗末な液晶画面からは、黒い泥のようなノイズが溢れ出し、彼女の指先を侵食しようとしていた。
「(回線(パス)が通じない…! どんなにセキュリティを組んでも、物理的に食い破られる…!)」
覚醒したての「導きの力(Tech Hack)」は、この圧倒的な「虚無」の前では、スマートフォンのライトほどの役にも立たなかった。
「(重力が…! 嵐の『質量』が、大きすぎて…私の『力』が、弾かれる…!)」
船倉では、ムーナが必死の形相で虚空を睨みつけていた。
彼女の能力「重力制御(Gravity Control)」で、船の周囲に「斥力フィールド」を展開し、押し寄せる荒波と瓦礫を弾き飛ばそうとしているのだ。
だが、相手はただの波ではない。「虚無の質量」を持った、概念的な「死」の奔流だ。
「(くっ……ぁ……!!)」
ムーナの鼻から、ツーっと鮮血が流れる。限界を超えた能力行使の代償だ。
「(ムーナ! もうやめて!)」
マストの上から、イオフィが叫ぶ。
彼女の手には、ボロボロになったスケッチブックが握られていた。
そこには、三人が笑い合う「未来」の絵が描かれていたはずだった。だが今、その絵は、降り注ぐ黒い雨によって塗りつぶされ、ドロドロに溶け落ちていた。
「(読めない…何も読めない…! 宇宙(そら)の声が、聞こえないよぉ…!)」
イオフィの能力「宇宙からの情報(Alien Link)」は、本来なら星の彼方から「解決策」を受信できるはずだった。
しかし今、彼女の脳裏に響くのは、宇宙の叡智ではなく、「絶望」と「孤独」を囁くノイズの幻聴だけ。
三人は、ここ数日間、生き地獄を漂っていた。
食料はとっくに尽きた。
最後に残った一枚の乾パンを、「私はお腹いっぱいだから」と震える手で分け合ったのは、いつだったか。
「(……私が、やるしかない)」
ふと、ムーナが虚ろな目で呟いた。
彼女の周囲の空気が、キーンと張り詰める。重力のベクトルが、内側へと収束し始めた。
「(私の全存在を『特異点』にして、この嵐に風穴を開ける。その一瞬なら、二人は逃げられるかも)」
「(は!? 何言ってんのムーナ!)」
リスが血相を変えて飛びつく。
「(そんなことしたら、ムーナが消えちゃうでしょ!?)」
「(でも、このままじゃ全滅だよ! 私たちがここで終わったら、誰がこの国のみんなを救うの!?)」
「(三人が揃わなきゃ意味ないでしょ! ID(わたしたち)は、三人で一つなの!)」
「(そうだよムーナ! 一緒じゃなきゃイヤだ!)」
イオフィもマストから飛び降り、ムーナにしがみつく。
三人は互いに抱き合い、ガタガタと震える船の上で、迫り来る「死」の影に怯えた。
嵐の中心部、その渦の「目」で、デリーター級の「何か」が、ゆっくりと「開眼」する気配がした。
「(あ…あ…)」
イオフィが、腰を抜かす。
巨大な、あまりにも巨大な「虚無の眼」が、小さな小舟を見下ろしていた。
「(リス! 本当に『SOS』は届いたの!? 『先輩(センパイ)』なんて、本当にいるの!?)」
「(わからない…! でも、送った! アキバの『光』は、本物だったから…!)」
リスは、祈るように、ノイズまみれのデバイスを胸に抱いた。
「助けて」。その一言を乗せた電波は、本当にこの黒い嵐を抜けたのだろうか。
それとも、このまま誰にも知られず、海の藻屑となるのか。
「(……Senpai……Tolong(助けて)……)」
三人の「導きの力」が、絶望に飲まれ、フツリ、と消えかかった。
その、直後である。
ズドォォォォォォォォォォォォン!!
世界を引き裂くような轟音と共に、嵐の外壁が「粉砕」された。
【ホロライブ・アーク(改)・ブリッジ】
「(うわー、こりゃヒドイね)」
同時刻。 その「ノイズの嵐」の「外側」に、超弩級・魔導戦艦「ホロライブ・アーク(改)」は、悠然と停泊していた。 ブリッジのメインスクリーンに映し出される、惑星の「傷」のような、絶望的な光景。 だが、ブリッジにいるJPメンバーに、緊張の色は一切なかった。
「(あー、これ、第1部の『デリーター・OD』の100倍はマズい『味』がするよ)」 おかゆが、「斥候(ステルス)」から戻り、艦長席(キャプテンシート)に座る宝鐘マリンに報告する。 「(『王』じゃないけど、デリーター級の『核』が、嵐の中心にいる。後輩ちゃんたち、あれにロックオンされてるね)」
「(『掃除』のし甲斐がありそうだ)」 さかまたクロエが、アークの「影」から現れ、静かにダガーを磨いている。
「(フブキ、座標は?)」 マリンが、葉巻(シオンの魔力生成品)をくゆらせながら問う。 「(バッチリ。『万象連結(フレンズ・ネットワーク)』で、三人の『光』、物理的に掴んでる)」 フブキが、コンソールを操作しながら笑う。 「(いやー、いいねぇ、覚醒したての『原石』って感じ。泣き叫んでるのが、こっちまで伝わってくるよ)」 その「余裕」は、死闘を乗り越え、自らの「力」を完全に「掌握」した、「先輩」の余裕だった。
「(艦長。嵐から、エネルギー反応。来ます)」 らでんの冷静な「解読」と同時に、ノイズの嵐から、数千、数万の「虚無の触手」が放たれ、アークへと襲いかかった。
「(おっと)」 マリンは、避ける素振りも見せない。
「ガギイイイイイイイイイン!!」
「虚無」の触手は、アークの船体を覆う、かなたの「神格装甲(ディバイン・アーマー)」に触れた瞬間、その「存在定義」ごと「圧殺」され、霧散した。 船体は、一ミリも揺れていない。
「(チッ…鬱陶しいな)」 ブリッジの後方で待機していたすいせいが、立ち上がった。 「(船長、船首(トップ)、開けて。あたしが出る)」 「(あいよ。ステージのお出ましだ、すいちゃん!)」
アークの船首甲板が、ゆっくりと開いていく。
そこは、物理的な死の世界だった。
叩きつける暴風、鼓膜を破るようなノイズの悲鳴、そして視界を埋め尽くす黒い絶望。
だが、星街すいせいは、その「地獄」のただ中で、ふわりとスカートを翻して立っていた。
「(……聴こえるか、後輩ども)」
彼女は、フブキの「万象連結」回線に、自らの「意志」だけを乗せた。
嵐の中で絶望していたリス、ムーナ、イオフィの三人の脳内に、突如、クリアな「声」が響き渡る。
「(え…!?)」
「(あんたたちが泣く場所(ステージ)は、そんな『クソみたいな嵐』の中じゃないだろ!)」
すいせいは、右手を天に掲げた。
その手の中に、眩いばかりの青い光が収束していく。
脳裏に浮かぶのは、アキバに残してきた「相棒」の顔だ。
『すいちゃん、カッコいいとこ見せてくるにぇ!』
あおのポンコツエリート巫女の、能天気な声援が聞こえた気がした。
「(……まったく。みこちが見てると思ったら、手加減なんてできないでしょ)」
すいせいは、獰猛な笑みを浮かべた。
彼女の身体から、物理法則を無視した青白い燐光が噴出し、アイドル衣装が「概念武装」へと昇華されていく。
「(あたしたち『先輩』が来たからには…)」
彼女は、自らの「能力中核(コア)」を、リミッターごと粉砕し、最大出力まで燃焼させた。
「(――その『絶望』ごと、道を拓く!)」
構えた手から、青い光の粒子が翼のように広がる。
それは、かつて数多のステージで観客を魅了した輝き。
だが今は、世界を救うための、絶対的な「破壊の光」だ。
次の瞬間、星街すいせいの「アバター」は、物理的な「人」の姿を捨てた。 彼女は、一筋の「青い彗星(コメット)」そのものへと変貌した。 それは、第1部の「流星(ステラ)」ではない。 物理法則も、空間も、時間すらも超越する、高次元の「光速の軌跡」。
青い彗星は、アークから放たれ、惑星規模の「ノイズの嵐」へと、真正面から突入した。
「(な…に…!?)」 嵐の中心で「開眼」しかけていたデリーター級の「核」が、ありえない「光」の侵入を感知する。
だが、認識した時には、遅かった。
「(――遅いんだよ!)」
すいせいは、嵐の「端」から「端」までを、コンマ1秒にも満たない「光速」で、「一刀両断」した。
それは、剣技ではなかった。 「星街すいせい」という「存在」が「通過」した「軌跡」そのものが、ノイズの「法則」と「虚無の質量」を、根源から「切断」したのだ。
インドネシア近海。 さっきまで世界を覆っていた、絶望的な「ノイズの嵐」が。 まるで、巨大なケーキをナイフで切ったかのように。 真ん中から、綺麗に、「二つに割れた」。
割れた「嵐」の隙間から、アキバで見たものと同じ、「調律」された「青空」が、光の帯となって差し込んだ。
【インドネシア近海】
「(…うそ)」 リス、ムーナ、イオフィ。三人は、自分たちの小型船が、突如として「静寂」と「青空」に包まれたことに、言葉を失っていた。 左右を見れば、さっきまでの「嵐」が、まるで「壁」のように「切断面」を見せて、そこに「存在」している。
その「光の道」の向こうから。 超弩級・魔導戦艦「ホロライブ・アーク」が、悠然と、その姿を現した。
「(…あれが…アキバの…船…)」 イオフィが、震える声で呟く。
アークが、小型船に接舷する。 「カシュッ」 アークの側面ハッチが開き、そこに、彗星の姿から「アバター」の姿に戻った すいせい が、肩をすくめながら立っていた。 彼女は、ID組の甲板へと、軽やかに飛び降りた。
三人は、目の前に現れた「本物」の先輩――自分たちが画面越しに憧れていた「導き手」の「原典(オリジナル)」の一人――の、圧倒的な「オーラ」と「実力」に、ただただ圧倒されていた。
すいせいは、呆然とする三人の頭を、ぽんぽん、と軽く叩いた。
「遅かったじゃん?」
彼女は、第1部の頃のような、焦りも、気負いもない、絶対的な「強者」の笑みを浮かべた。
「ま、先輩だから」 「助けに来てやったよ」
「(…せん…ぱい…)」
リスは、その一言を呟くのが、やっとだった。
腰が抜け、へたり込んだ彼女の視界に、次々と「光」が降りてくる。
「(はーい、そこまで! すいちゃん、あんまり後輩ちゃんたちをイジめないの!)」
続いて、アークから、フブキが舞い降りた。
その後ろには、威風堂々とした海賊帽を被ったマリン、もふもふとした尻尾を揺らすおかゆところね。
さらに、元気よく飛び出してきた夏色まつり、のんびりとポテチを頬張る角巻わため、そして雅な日傘を差した姫森ルーナ。
遠征組のJPメンバーが、ID組の甲板にずらりと整列した。
その一人一人が放つ「存在感(オーラ)」は、あまりにも強大で、温かかった。
「(うわぁ! リスちゃんかわいい! リス耳ナデナデさせて!)」
まつりが、目を輝かせてリスに突進しようとし、「(ステイ)」とフブキに首根っこを掴まれている。
「(だいじょぶ? わためのお菓子食べる?)」
わためが、震えるイオフィに自分のポテチを差し出す。
「(まったく、世話のやける後輩なのらねぇ。でも、無事でよかったのら)」
ルーナが、生意気そうに、でも安堵した表情で鼻を鳴らす。
「(う、あ……)」
イオフィは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
目の前に、ときのそらが立っていた。
配信でしか見たことのない、憧れの、始まりの始祖。
そらは、聖母のような微笑みを浮かべ、汚れたイオフィの手をそっと握りしめた。
「(怖かったね。……もう大丈夫だよ。お腹も、空いたでしょ?)」
そらは、どこからともなく取り出した、ふかふかの「あんパン」をイオフィの手のひらに乗せた。
「(そら……せん…ぱい……! うわあああん!!)」
イオフィは子供のように泣き叫び、あんパンを握りしめたまま、そらの胸に飛び込んだ。
一方、呆然とするムーナの前には、一人のウサギ耳の少女が歩み寄った。
「(……怪我はないぺこか? ムーナ)」
「(……社長……?)」
ムーナの声が震える。
ぺこらは、いつものようなふざけた態度は見せず、少し照れくさそうに、しかし真っ直ぐにムーナを見つめていた。
そして、不器用に手を差し出す。
「(会いに来たぺこよ。……遅れて悪かったぺこな)」
「(う……うぅ……ぺこら……先輩っ……!!)」
「(ちょっ、泣くなぺこ! 抱きつくなぺこ!? ウザうれしいぺこ!!)」
ムーナもまた、ぺこらに抱きつき、張り詰めていた緊張の糸が切れたように号泣した。
「(あらあら〜、いいわねぇ、この湿度。キテるわね)」
マリンがニヤニヤしながら茶々を入れるが、二人の世界に入っている二人には届かなかった。
「(……よし、感動の再会はそこまで!)」
パン!と手を叩く音が響く。
フブキが、泣きじゃくる三人の前に進み出た。
その瞳は、涙を拭い去り、ゲーマー特有の冷徹かつ熱狂的な「解析モード」に切り替わっていた。
「(さて、と…)」
彼女が空中に指を走らせると、三人の周囲に無数のホログラム・ウィンドウが展開された。
それは、彼女の能力「万象連結」によって可視化された、三人の「精神ステータス」と「能力ツリー」だった。
「(リスちゃんはAGI(敏捷)特化の『技術(テクニック)』タイプ…ふむ、イタズラ心(トリッキー)な撹乱工作にはうってつけだね)」
「(ムーナちゃんはINT(知力)とMP極振りの『重力使い』…なるほど、『月』との親和性が高い。マップ兵器としての素質がある)」
「(イオフィちゃんは…おや、ユニークスキル持ちかな? 『情報』と言語野(ランゲージ)の帯域が広い。バフ・デバフのスペシャリストになれそうだ)」
フブキは、三人の「可能性」を一瞬で「解析」し終えると、最高に楽しそうな、そして少し意地悪な「先輩」の笑顔を見せた。
「(素材はSランク。でも、使い方がなってないなぁ)」
「(え…?)」
ポカンとする三人に、フブキは宣告する。
「『万象連結(フレンズ・ネットワーク)』――開花(ブースト)モード、起動」
フブキの「力」が、三人の「核」に流れ込む。
「(な…!? なに、これ…! 熱い、熱いよ!?)」
リス、ムーナ、イオフィは、自らの「力」が、フブキという「規格外のOS」によって、強制的に「デバッグ」され、最適化(チューニング)されていくのを体感した。
「(ようこそ、ホロライブ・アライアンスへ)」
「(私たち『先輩』が、あんたたちの『力』、実戦形式(スパルタ)でちゃんと『開花』させてあげる!)」
ID組の三人は、自分たちの「絶望」が終わったこと、そして、それ以上に「とんでもないブートキャンプ(先輩の授業)」が始まろうとしていることを悟り、喜びと恐怖で、再び震え上がるのだった。
【東京・上空】
そんな「感動の再会」を、遠く離れた日本の上空から見下ろしている影があった。
赤と青のオッドアイ。
混沌を司る「議会(Council)」の一員、ハコス・ベールズ。
彼女は、瓦礫の山となった渋谷スクランブル交差点の頂上で、ニヤリと不敵に笑った。
「(あーあ、合流しちゃった。つまんないの)」
彼女の手元では、赤くサイコロの目が回っている。
「(まあいいか。役者が揃ったほうが、パーティは盛り上がるしね?)」
「(さて、『AA(アンチ・アライアンス)』のお馬鹿さんたちを焚き付けて、次はもっと派手に……カオスにしてやるか!)」
彼女が指を鳴らすと、背後の影から、無数の「ノイズ兵士」が姿を現した。