ホロライブ・レゾナンス 〜仮想(アバター)の力で日常を取り戻す〜 作:miyacchi_novel
太平洋上の夜は、もはや「夜」ではなかった。
海面を埋め尽くす数万、数億の『ストーカー』――新種のノイズが発する不気味な燐光が、水平線までをドロドロとした黒紫に染め上げている。
魔導戦艦アーク(改)は、その巨大な質量を以てしても、押し寄せる「無音の波」に呑み込まれそうに見えた。
「――おーい! そこ、はみ出てるよー! もっと寄って! 密になろうよ!」
アークの主甲板。
夏色まつりが、マイク片手にノイズの群れを「整理(キューイング)」していた。
彼女が振るうタクトに合わせ、ノイズたちが意志に関係なく行進させられる。
これはもはや戦闘ではない。強制的な『なついろまつり』の開幕だった。
「……なんか、ノイズ相手にもコミュ力発揮してない、まつりちゃん」
介抱されていたID組のイオフィが、呆れを通り越して感心したように呟く。
「まかせてなのら! るなたんの騎士団、突撃なのらー!」
姫森ルーナがピアノの鍵盤を叩くように空を叩く。
顕現したのは、白銀の重装甲を纏った『ルーナイト(神威騎士団)』。
空中に展開された五線譜の道を、爆轟を上げて爆走し、まつりが整理したノイズの列を次々と蹂躙していく。
「わためも負けないよ! つのまき――じゃんけん!」
角巻わためがアークの先端で拳を突き出す。
艦全体を包み込むような巨大な『意志の結界』が展開され、ノイズたちの「調停」の波を完全に無効化する。
「あ、出しちゃおっかな。わため(うい)ビーム!!」
わための双眸から放たれた極太の光軸が、太平洋を真っ二つに割り、数万のノイズを『意志の調律(レゾナンス)』によってお花畑へと変えた。
絶体絶命の包囲網。
しかし、追加徴集された三人の身に宿る、アイリスの降臨に呼応してアークから溢れ出した『希望の共鳴(レゾナンス)』。その圧倒的な出力の前には、太平洋はもはやただのステージと化していた。
その時。
重い雲に閉ざされていた天頂が、一文字に裂けた。
成層圏を突破し、真っ逆さまに降下してくる一筋の「流星」。
全通信回線に、聖歌のような、だがどこか親しみやすい「歌声」が強制的に割り込む。
「――待たせすぎですよ、皆さん」
着弾。
瞬間、戦場を支配していた一切のノイズ、怒号、そしてカオスの喧騒が、嘘のように『静止』した。
アイリスが発する無色透明の歌声が、大気の震えそのものを「調律」し、世界をあるべき静寂へと引き戻したのだ。
衝撃波だけで数万のストーカーが霧散する。
舞い上がる水飛沫と白光の中、アークの甲板に一人の少女が膝をついて着地していた。
ハーフエンジェル、ハーフデーモン。希望の化身――IRyS。
「……そら先輩。ようやく、お会いできました」
立ち上がった彼女が、そらへ向けて聖母のような微笑みを浮かめる。
「おかえりなさい、アイリスちゃん!」
そらは最高の笑顔を返した。
神話的な再会。アークを包む空気は、もはや恐怖など一塵も残っていない。
だが、その至福の時間をぶち壊すように、不快なノイズと共に「通信」が乱入した。
『あはははは! アイリス発見! ねぇねぇ、今の着地、ちょっと足が震えてなかったー!?』
メインモニターに映し出されたのは、アキバで大暴れしているハコス・ベールズ。
アイリスの顔が、一瞬で聖母から「キレ気味の身内」へと切り替わった。
「ば……! どこ見てるのよベールズ! 今、格好良く希望として降臨したところなんだから静かにしててよ!」
『えー? だってダサかったし! ネフィリムの面汚しだねー♪』
「うるさーい! 通信切るわよ、このネズミ!」
全人類のネットワークを介した、全世界放送痴話喧嘩(BaeRyS)。
呆気にとられるリスたちが、そっとささやき合う。
「……なんか,安心したね」
「うん、いつものホロライブだわ」
一方、その頃の秋葉原。
「……あーあ。なんだよ、これ」
大空スバルの、力ない呟きが漏れた。
キャンディ細工のようにねじ曲げられ、もはや「街」としての機能を喪失した中央通りの真ん中で、彼女は握りしめていたメガホンを、地面のストロベリー・スライムにポトリと落とした。
ハコスの『混沌(カオス)』は、アキバを巨大な遊園地へと変えつつあった。
だが、その混沌をさらに加速させているのは、ハコス一人ではなかった。それは、次元の境界を超えて引き寄せられた『カオス・レギオン』――極彩色の災厄たち。
「はあちゃまっちゃまー! 見て見て、この巨大なタランチュラ・パフェ! 美味しそうでしょ?」
赤井はあとが、ノイズの残骸……本来なら触れるだけで精神を破壊されるはずの虚無を「調理」して、毒々しいほど鮮やかなスイーツへと作り替えていた。
彼女がスプーンを一振りするたび、AA(アンチ・アライアンス)の無機質な装甲車が、パステルカラーの粘土へと『存在変質(クッキング)』し、甘ったるい香りを振りまきながら自重で崩壊していく。
「ちょ、はあとちゃん、なにやって……。いや、もういいわ……」
スバルはツッコミを入れようとして、途中で言葉を飲み込んだ。
あまりに現実離れした光景に、思考が「しらけて」しまったのだ。
アキバの空には目から放たれたピンク色の光条が幾重にも重なり、雲をマシュマロへと変えていく。
七詩ムメイが、無邪気な好奇心のままにAAの通信アンテナを「文明の標本」として引き抜き、こぼ・かなえるが地面をアスファルトからソーダ水のプールへと変貌させる。
AAの兵士たちは、もはや銃を撃つことすら忘れ、強制的に着せられたアロハシャツ姿で、ソーダ水の泡に浮き沈みしながら呆然としていた。
そのプールの端。
「あ、あやめ先輩の結界、おかわりありますか?」と、がうる・ぐらが幸せそうに物理法則無視の「捕食」を繰り返す。
守護組の百鬼あやめは、愛刀を手にしたまま、震える足で立ち尽くしていた。
彼女が守りたかった「アキバ」という居場所が、敵の攻撃ではなく、身内の……それも圧倒的な「お祭り騒ぎ」によって塗り潰されていく光景。
「余たちの……あんなに必死だった戦いは、なんだったんだ余……」
あやめの呟きは、誰に届くこともなく、ポップなBGMにかき消されていく。
「な……なんだよもう、これ……。馬鹿馬鹿しいにもほどがあるだろ……」
スバルは空中のハコスを指差したが、指先には力がこもっていない。
目には、怒りよりも深い疲労と「しらけ」が滲んでいた。
「この間のアキバの戦いはなんだったんだよーッ! あんなに死ぬ思いで、泥をすすって守ったのに……! これじゃ、ただのディズニーランドじゃんかよー!!」
叫んだものの、その声にも覇気はない。
第14話。あの灰色の空の下で繰り広げられた、血を吐くような「秩序」と「絶望」の衝突。
多くの人々が傷つき、守り抜こうとした、あの凄惨で尊い「日常」。
それが、ハコスという一人の少女の不敵な微笑み一つ、指先から奏でられるポップな電子音一つで、安っぽいドタバタ劇の背景へと成り下がってしまった。
命を懸けたはずの戦場が「エンターテインメント」として消費されるこの断絶。
「しらけちゃったなぁ、もう……。あんなに熱くなって損したッス……」
スバルは、飴細工になったガードレールに背を預け、ガックリとうなだれた。
英雄としての高揚も、戦士としての使命感も、全てが「茶番」の中に霧散していく。
このカオスの中では、真面目に戦うこと自体が「空気が読めない」失態であるかのようにすら思えた。
『あはは! スバル、いい反応! でもさ、そんなに必死にならなくてもいいんじゃない? 秩序なんて、ただの窮屈なルールだよ。もっと楽に、君もこっち側に狂っちゃえばいいのに!』
ハコスが腹を抱えて笑っていると、そこへアイリスの声がオーバーラップした。
『ベールズ! ふざけすぎよ! スバルさんが完全にやる気失くしてるじゃない!』
『えー? 楽しそうだよー?』
『私だってやりたくて叱ってるわけじゃないわよ! とにかく、遊びはそこまで。今すぐアークと共鳴して!』
全次元を巻き込んだプロレスが、空間の軋みとなって地表に伝わる。
アイリスの声が、突如として水晶のような透明度と重みを帯びた。
「……そら先輩。そしてアキバの皆さんも。聞いてください。世界は今、カオスすらも飲み込もうとする『沈黙』の危機にあります」
アイリスが、アークの水平線の向こう、南の天空を指差す。
「『本体(サイレンサー)』の目的は、この騒がしい世界を沈黙させる『調停』です。そして、彼らが次なる目標と定めているのは――オーストラリア・エリア」
「オーストラリア……ENエリアだね」
そらの言葉に、アイリスが重々しく頷く。
「そこには『議会(Council)』のみんながいます。彼女たちが、サイレンサーに『調停』され、永遠の静寂に沈む前に……私たちは、このカオスをも連れて合流しなければなりません」
アキバのハコスが、ニヤリと不敵に笑った。
『おっ、面白そうじゃん! アイリス、そっちのアークをこっちに回してよ。繋いであげるから!』
『え? 何を――』
『カオスに不可能はないよ! “Resonance”――次元連結!』
ハコスがアキバの街そのものを巨大な「レコード」のように回転させる。
カオス化によって空間の強度が極端に低下し、物理法則の箍(たが)が外れたアキバ。だからこそ、神話級の二人の力が合わされば、次元すらも紙のように容易く折ることができた。
空間が物理法則を無視してねじり切られ、万世橋の下を流れるソーダ水の川が、太平洋のアークを取り巻くノイズの海へと接続された。
極彩色の光のトンネル――それはアイリスの奏でる『希望』の旋律がガイドレールとなり、ハコスの『混沌』が推進力となって生み出された、前代未聞の超空間航路だった。
「いくよ、みんな! しっかり掴まってて!」
そらの号令。アークのエンジンが、カオスのエネルギーと聖歌の波動を強引に吸い込み、限界を超えた咆哮を上げた。
太平洋、アキバ、それからさらに南へ。
「……ま、あんなめちゃくちゃな連中に、一人でツッコミ入れさせておくわけにもいかないっすからね!」
スバルは空いた手で自分の頬を叩き、しらけきった目に、かつての輝きとは違う、居直りに近い強さを宿した。
全てを巻き込んだ「狂瀾のお祭り(レゾナンス)」が、今、グローバルの空を突き破って加速する。