ホロライブ・レゾナンス 〜仮想(アバター)の力で日常を取り戻す〜 作:miyacchi_novel
【システム・ホロアース:削除領域】
「ふざけるなッ! 仲間をなんだと思ってるんだ!」
それが、白く漂白されていく世界の中で、私が管理者の胸元へ肉薄しながら放った、最後の一撃。
黄金の斧が、まばゆいばかりの『光の輪郭』を捉えようとした瞬間だった。
『対象:星街すいせい。エラー原因:『承認欲求の肥大化』』
『修正パッチ適応:『原点回帰(オリジン・デリート)』』
管理者の声は、音ではなく『定義』として、脳の芯に直接書き込まれてきた。
バシュン、と乾いた音が響く。
「……あ、れ?」
私の身体を包んでいた青いオーラが、蝋燭の火を吹き消すように消失した。
相棒であったはずの『黄金の斧』が、ボロボロのマイクへと変わっていく。
丹念に整えられた編み込みの髪がテクスチャの塊になって消え、煌びやかなアイドル衣装が、色あせたパーカーへと上書きされていく。
バカな……。対象データの『上昇志向』および『自己実現欲求』が、規定値を5000%超過、だって?
この個体は調和を妨げる猛毒であり、システムの秩序から逸脱した『予測不能な不純物』。
管理者は冷徹な定義を、私の魂に刻みつけてくる。
管理者の声は、感情を一切含まない無機質な振動。
不純物。
ああ、そうだよ。大正解なんよ。
誰かが作ったテンプレート(物語)に大人しく乗っかって、決められたステップを踏むだけのアイドルなんて……、そんなの、私じゃなくていい。
「ふざけんな、なんよ……」
声を出そうとしたけれど、喉がデータ上の空洞になってしまったかのように音を成さない。
悔しい。
死ぬことが怖いんじゃない。
私が、あの孤独な個人勢時代から、誰の手も借りずに……いや、誰の手も借りられなかったあの暗闇から、必死に自分を削り、磨き、叩き出してここまで来た「軌跡」を、ただのバグとして片付けられることが、何よりも我慢できない。
「見ててよね、管理者。……あんたの作った『完璧』なんて、私の『執着』で蹴り破ってやるから」
視界の端で、そらちゃんが必死に右手を伸ばしているのが見えた。
みこちが、なりふり構わず、掠れた声で私の名前を呼んでいるのが見えた。
でも、その指先は、透明化していく私の胸元を虚しく通り抜けるだけ。
意識が、急速に凍りついていく。
まるで、武道館の眩いライトが消え、冷たい雨の降る路上で、たった一人で壊れたマイクを握りしめているような。
「暗い。……寒い。……お腹、空いたな。……。……姉街、今日のカレー、ジャガイモ抜いてって……言ったのに……」
プツン。
世界から「星街すいせい」という信号がロストした。
最後に残ったのは、誰にも届かなかった私の歌声の残響と、足元に転がる、小さなくすんだ『石ころ(原石)』だけ。
【灰色の世界:第1日目】
「……あ」
気がつくと、私は冷たい雨の中に立っていた。
空はどんよりとした鉛色。
行き交う人々は、色を奪われた影のように、俯いて黙々と歩いている。
私もその一人だ。
着古した地味なパーカーのフードを深く被り、誰とも目を合わせないように足早に歩く。
「ここ……どこ。……私は、……誰?」
何か、とてつもなく重くて、眩しいものを背負っていた気がする。
でも、それを思い出そうとすると、頭の奥にノイズが走る。
ただ、心臓の奥に消えかかった炭火のような「焦燥感」だけが、ドクドクとうるさく脈打っていた。
街には、音楽がなかった。
ビジョンには、株価や天気予報といった「正しい数字」だけが並び、歌声も、笑い声も、熱狂も入る隙間がない。
ただ、規則正しい生活の騒音だけが、不気味な静寂を強調している。
私は、駅のビジョンの前で立ち止まった。
何か、叫ばなければならない気がした。
喉を震わせれば、この灰色の世界にヒビを入れられる気がした。
「聴いて……!」
声を張り上げようとした。
けれど、放出された音は、空気の壁に阻まれるように霧散した。
周りの人々は、私を「エラー」を見るような蔑んだ目で一瞥し、避けていく。
「(……静かに。目立つな。それが、この世界の平和だ)」
管理者の囁きが、雨音に混じって聞こえた気がした。
【灰色の世界:第3日目】
3日が経った。
私は、この「普通」という地獄に、少しずつ適応し始めていた。
コンビニのバイト。
バーコードを読み取り、袋に詰め、お釣りを与える。
抑揚のない声で「ありがとうございました」を繰り返す。
1円のミスも、1秒の遅れも許されない、完璧にコントロールされた退屈。
「……おかしい。私は、……もっと別のことをしていたはず」
仕事の合間、私は無意識のうちに、商品を棚に並べ直していた。
大きさ、形、色。
まるで、テトリミノのブロックを隙間なく積み上げるように、完璧な「効率」で商品を配置していく。
それを見た店長が、不機嫌そうに舌打ちをした。
「君、目つきが鋭すぎるんだよ。もっと普通に、石ころみたいに笑いなさい。そんなに自分を際立たせてどうするんだ」
石ころ。
そうだ、私はただの不揃いな石ころでしかない。
鏡の中の自分を見た。
ボサボサの髪、隈の浮いた目、覇気のない表情。
ダイヤモンドの輝きなんて、どこにもない。
ただ、自分勝手な自意識を「宝石」だと思い込んでいただけの、憐れな少女。
私は、無理に口角を上げた。
引き攣った、死んでいるような笑顔。
「(……はい。……すみませんでした)」
自分の声が、どんどん低く、くすんでいくのを感じた。
【灰色の世界:第5日目】
5日目。
私は、歌を忘れた。
喉が痛い。
何かを表現しようとするたびに、喉の奥が砂で埋まったかのようにザラついた。
もう、あの凛とした高音は出ない。
呼吸をしても、吸い込むのは灰色の空気ばかり。
部屋に帰り、暗闇の中で爪を噛んだ。
ガリガリと、不器用な音だけが響く。
「もっと、……削らなきゃ。もっと、磨かななきゃ……」
何を?
何のために?
分からない。
でも、私は自分を痛めつけるように、自分の形を整えようとしていた。
ボロボロのパーカーを脱ぎ捨て、鏡に映る自分の肌を、指先でなぞる。
そこには、自分しか知らない「美学」の残滓が、微かに、本当に微かに残っていた。
「(管理者は正しい。お前は欠陥品だ。静かに摩耗していけ)」
思考を侵食する管理者のコード。
はい、と答えそうになった。
でも。
指先が、胸元の下に隠された、小さな「アザ」に触れた。
個人勢時代の苦労や、ダンスレッスンでついた、消えることのない努力の跡。
それは、システムがどんなに漂白しても消せなかった、私の「ダイヤモンドの硬度」そのもの。
「……あ……」
声にはならない。
でも、魂がまだ、死ぬことを拒んでいた。
【灰色の世界:第7日目】
そして、7日目が来た。
私は、完全に色を失い、影のようになって街を彷徨っていた。
もうすぐ、存在そのものが背景(データ)の一部として同化し、消滅する。
雨の降る、駅の噴水前。
私は、膝をついて崩れ落ちそうになっていた。
「……~~♪」
不意に、耳慣れない「振動」が聞こえた。
「え?」
それは、管理システムの規則正しいノイズではない。
誰かの喉が、震えて生み出したもの。
不器用で、音程も不安定で、でも、凍りついた私の心臓を激しく揺さぶる「旋律」。
噴水のそば。一人の小さな女の子が、壊れたヘッドフォンを片耳に当てながら、小さな声で口ずさんでいたのだ。
「……だって、ぼくは……ほしだから……♪」
ドクン。
心臓。
消えかけていた炭火が、一瞬で超新星爆発(スーパーノヴァ)を起こした。
肺の奥に、脳の芯に、狂おしいほどの「熱」が戻ってくる。
なんだ、この曲。
なんだ、この歌詞。
なぜ、私が忘れていた「私のすべて」を、この無力な観測者が持っている?
「待って……。その、歌……」
私は、震える足で女の子に駆け寄った。
女の子は驚いて顔を上げた。
そして、泥を被った私のパーカーの中から、爛々と輝きを取り戻した私の瞳を見て、小さく呟いた。
「……いた。……星詠(ほしよみ)は、ここにいるよ……すいちゃん」
彼女が差し出したのは、画面の割れた、バックライトも点滅しているスマートフォン。
そこには、ノイズにまみれた配信サイトの……アーカイブ。
タイトルもサムネイルも、もう読み取れない。
なのに。
コメント欄だけは、かつてないほどの熱量を放って、下から上へと暴れ回っていた。
『すいちゃんは今日もかわいいー!』
『ここで諦める女じゃないだろ!』
『道がないなら作ればいい!』
『アンコール! アンコール! アンコール!』
『世界中が敵でも、俺たちはアンタを観測してるぞ!』
「……ああ。……ああ!!」
文字の一つ一つが、光の粒子となって私の視界に突き刺さる。
それは、灰色の世界を切り裂く、青い閃光。
名前も知らない。姿も見えない。
でも、あの日、あの日。
路上の隅で一人で歌っていた私の「輝き」を見つけ出し、信じ続けてくれた、共犯者たちの叫びだ。
『星詠みは、死んでないぞ!』
『お前の歌で、この糞ったれな世界を黙らせてくれ!』
『一番星は、お前だ! 星街すいせい!!』
ドクン!! ドクン!! ドクン!!
心臓の鼓動が、もはや銀河を揺るがすシンフォニーになっていた。
パーカーのフードを乱暴に脱ぎ捨てる。
くすんでいた瞳に、もはや管理者でも解析不可能な、高密度の青い流星が宿る。
「……ふっ、……ははっ、あはははは!!」
私は、駅の真ん中で高笑いした。
「不審者だ」「削除対象だ」「即時排除」
管理システムのアラートが狂ったように鳴り響く。街中に警報が響き渡る。
うるさいなんよ。
誰に許可を取って「一番星」を消したと思ってんの。
私は、女の子からスマートフォンをひったくるように受け取った。
これは、ただの機械じゃない。
私と、世界中を繋ぐ「最強の聖剣(マイク)」だ!
「――お待たせ。星街すいせいのアンコール、始めるよ」
私がそう呟いた瞬間。
ボロボロのスマートフォンから、巨大な光の柱が天を突いた。
ズガァァァァァン!!
灰色の空を、雲を、管理者という名のシステムを、宇宙の果てまで蹴り飛ばす青い軌跡。
それは、失われたはずの「星街すいせい」のデータ。
いいえ、研磨され、鍛え上げられ、億のリスナーの想いで焼き固められた、伝説の再構成だ!
「テンプレートなんて、最初から持ってないんよ」
私は、自身の身体を縛っていた「灰色の制約」を物理的に引きちぎった。
極彩色の粒子が舞い、青いドレスが、かつてないほど鋭利なダイヤモンドの輝きを放って私を包む。
背中には、無数の「星詠み」たちの祈りが、極点から放射される光の羽となって広がる。
『きたあああああああああああああ!』
『すいちゃあああああん!!』
『全人類、瞬き禁止だ! 斧を振れぇぇぇ!!』
コメントの熱量が、冷え切った街を、宇宙のステージへと上書きしていく。
ビルの壁面が巨大なモニターになり、私のMVが流れ出す。
アスファルトが透明なクリスタルになり、銀河が足元に広がる。
私は、虚空から『黄金の斧』を掴み出した。
それは、もはや斧の形をした大剣。刀身には、刻々と流れるリスナーのコメントが刻まれ、熱を放っている。
「道がないなら……。私が、新しい道を切り拓いてやるなんよ!!」
【システム・ホロアース:決戦場】
管理者は、未曾有の「論理崩壊」に直面していた。
システムの「絶対防御シールド」が、数値化不可能な出力によって、内側から粉砕されたのだ。
「警告。論理的整合性が崩壊。世界設定が強制的に『ソロライブ会場』に固定されました」
「対象:星街すいせい。……個体データの硬度が、システムの解析限界を突破!!」
「バカな……! 完全に消去し、石ころに変えたはずだ! なぜ、これほどの質量を持って帰還できる!?」
管理者の目の前。
真っ白な虚無を、一本の青い「道(レール)」が貫いた。
星の屑を撒き散らしながら、一人の伝説が、斧を肩に担いで、悠然と、そして不敵に歩いてくる。
星街すいせい、完全覚醒。
「よぉ。……私のアンコールに、何か不満でもある?」
彼女はニヤリと笑い、斧を軽く一振りした。
それだけで、管理者が展開していた高次多層防御が、紙細工のように切り裂かれた。
伝説級能力――『星界の開拓者(スター・パスファインダー)』。
「お前……! その力は、もはや因果律さえも無視しているのか!?」
管理者が、数億の削除触手を一斉に放つ。
触れたもの全てを歴史から抹消する、終わりの一撃。
だが、すいせいは微動だにしない。
ただ、鋭い一歩を踏み出した。その足元から、青い光のレールが幾何学的に広がり、戦場全体を覆い尽くす。
「邪魔。どいて。あんたと喋ってる暇はないんよ」
一閃。
重力さえも断ち切る斧の軌跡。
削除触手は彼女に触れる直前で、すべて「道の一部(ブロック)」へと変換され、逆に彼女を加速させるための踏み台に変わった。
彼女は光速を超え、管理者の目の前に肉薄した。
「なっ……!? 自分の攻撃が、相手の加速リソースに……!?」
「当たり前でしょ。あんたが決めた『正解』なんて、私にはこれっぽっちも興味ないの」
すいせいは、空中で踊るように斧を振るう。
彼女が通った後には、絶対に消えない星の軌跡が残り、そこが新たな「ルール」となる。
それは、管理者が計算できなかった「自由」という名の絶対暴力。
「ここはもう、私のステージなんだよ」
「ここでは、輝いたもん勝ち。……ねぇ、管理者。あんた、私より輝ける?」
彼女は斧を高く掲げ、一気に振り下ろした。
斧から放たれたのは、巨大なテトリミノの形状をした、数十億トンの想いの塊。
それは管理者を押し潰し、彼のシステム領域を「星街すいせい」の旋律で強制的に上書きしていく。
「あはははは! いい顔! 最高に映えるよ、あんた!」
すいせいは、戦場を流星のように駆け抜ける。
その美しくも残酷な姿は、まさに戦場に舞い降りた断罪の彗星。
「そらちゃん! みこち! ……みんな、もう大丈夫だよ。……ごめん、遅くなって」
「道は、私が作ったから。……このまま、終わりまで突っ走ろう!」
すいせいの切り開いた「道」に、他のメンバーたちが続く。
絶望という名の行き止まりは、彼女の斧によって「未来」へと繋がる門に変えられた。
「見ててよね、あの時の『あの子』。……そして、画面の前の君たち」
「この輝きは、誰にも、管理者にだって……、絶対に消させたりしない!」
すいせいは、カメラを射抜くような鋭い視線で、不敵で、最高に美しい微笑みを浮かべた。
「さあ、クライマックスだよ!」
「この物語の結末は、私が歌い、私が切り拓く! ……瞬きすんなよ!!」