ホロライブ・レゾナンス 〜仮想(アバター)の力で日常を取り戻す〜 作:miyacchi_novel
第4期開始です。
甘い誘惑
【カバー株式会社・本社ビル:役員会議室】
谷郷元昭は、胃の奥がキリキリと痛むのを感じていた。
目の前に座る男。
銀縁眼鏡。オールバックの銀髪。隙のないスーツ姿。
名刺には「電忠社 シニアプロデューサー 神崎透」とあった。
「——というわけで、予算は80億円を予定しています」
神崎の声は、よく通る。
静かなのに、会議室の隅々まで染み渡るような、カリスマの声。
「全世界200カ国で同時公開。興行収入の目標は150億円。収益の30%はカバー様に還元させていただきます」
プロジェクターに映し出された資料。
豪華な映像。壮大な世界観。
「ホロライブ・レゾナンス THE MOVIE」の文字が、金色に輝いている。
(……すごい話だ)
谷郷は、思わず唾を飲み込んだ。
80億円。世界同時公開。興行収入150億円。
彼女たちの物語が、世界中のスクリーンで流れる。
それは、かつて夢にも見なかった「景色」だ。
VTuberという文化が、ついにここまで来たという証明。
「ご検討いただけますか、谷郷社長」
神崎が、にっこりと笑った。
完璧な笑顔。営業用の笑顔。
けれど、その目の奥には——何かが潜んでいる気がした。
「……少し、考える時間をいただけますか」
谷郷は、慎重に答えた。
「もちろんです。ただ——」
神崎が、人差し指を立てた。
「一つだけ、お伝えしておきたいことがあります」
「なんでしょう」
「この企画は——『データに基づいて最適化されています』」
神崎の目が、一瞬だけ鋭くなった。
「人々が『見たい物語』を、徹底的にリサーチしました。感情曲線、カタルシスのタイミング、キャラクターの配置——すべてが計算済みです」
「だからこそ、『間違いなく売れます』」
(……データ?)
谷郷の胸に、微かな違和感が走る。
「売れる脚本」。
「計算された感動」。
それは、本当に彼女たちの「物語」なのだろうか?
だが、80億円という数字。世界公開という夢。
それらが、谷郷の理性を押し潰そうとしていた。
会議室の隅。
一人の女性が、静かに議事録を取っていた。
高橋美玲。26歳。
電忠社の契約脚本家。
黒髪のショートカット。眼鏡。地味めな服装。
彼女は、神崎の言葉を聞きながら、心の中で叫んでいた。
(データに基づいた最適化……?)
それは、美玲が最も嫌う言葉だった。
彼女には、推しがいる。
星街すいせい。
4年間、欠かさず配信を見てきた。
「Stellar Stellar」を聴いて、脚本家になろうと決めた。
すいせいの物語は、データじゃ測れない。
全然売れなかった時期も、歌い続けた。
諦めなかったから、今がある。
(それを……「最適化」?)
美玲の手が、震えた。
ボールペンのインクが、議事録にかすれた線を残す。
(このプロジェクト、やばい気がする……)
彼女の直感は、正しかった。
だが、この時点では——それを証明する術がなかった。
【カバー株式会社・社長室】
会議が終わり、神崎たちが去った後。
谷郷は、一人でデスクに座っていた。
机の上には、神崎が置いていった企画書。
分厚い。専門用語が並んでいる。
「市場分析」「ターゲット層」「感情曲線の設計」——。
(……昔の私なら)
谷郷は、目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、あの日の光景。
2017年。
真っ白なモニター。
『Project: IDEAL』のデータ。
そして——ときのそらの、初配信。
『そらちゃん、頑張れ』
たった13人のコメントが、私の人生を変えた。
私は、「完璧なシステム」を捨てて、「不完全な彼女たち」を選んだ。
(あの選択は、間違っていなかった)
だが。
(本当に?)
胸の奥で、別の声が囁く。
炎上するメンバー。
泣いているメンバー。
心が折れそうになっているメンバー。
私が「不完全」を選んだせいで、彼女たちは傷ついてきたのではないか?
もし——映画が成功すれば。
もし——世界中が彼女たちを認めれば。
それは、「苦労が報われる」ということではないのか?
(……神崎さんの言う通り、データに基づけば売れる)
(売れれば、彼女たちも喜ぶ)
(……これは、チャンスなのかもしれない)
谷郷の手が、企画書に伸びた。
コンコン。
ドアがノックされた。
「谷郷さん、お疲れ様です」
入ってきたのは、えーちゃん(友人A)。
ホロライブのシステム管理を担当する、古参スタッフだ。
「どうしました? なにか問題が?」
「いえ……少し、気になることがあって」
えーちゃんは、タブレットを差し出した。
画面には、神崎透のプロフィールが表示されている。
「電忠社の神崎プロデューサー。調べてみました」
「興行収入100億超えのヒット作を連発している、業界のカリスマです」
「でも……」
えーちゃんが、眉をひそめた。
「彼が手がけた作品……評論家からの評価は低いんです」
「『売れるけど、心に残らない』『データが透けて見える』——そういう評価が目立ちます」
谷郷は、企画書から顔を上げた。
「……つまり?」
「つまり——彼は『売れる作品』を作るのは得意だけど」
「『いい作品』を作れるかどうかは、わからない——ということです」
沈黙が流れる。
(売れるけど、心に残らない……)
その言葉が、谷郷の胸に刺さった。
ホロライブは、「心に残る」から愛されてきた。
数字じゃない。データじゃない。
「推せる」と思ってもらえる、唯一無二の存在だからこそ——。
「……えーちゃん」
「はい」
「メンバーに連絡を取ってくれ」
「明日、全体ミーティングを開く」
「映画化の件——みんなの意見を聞きたい」
谷郷は、企画書を閉じた。
(この判断を、私一人で下すわけにはいかない)
(彼女たちの物語は、彼女たちのものだ)
【電忠社・本社ビル:神崎の執務室】
その頃。
神崎透は、自分の執務室で一人、窓の外を眺めていた。
東京の夜景。
無数のビルが、光を放っている。
まるで——「データの海」のようだ。
(……上手くいった)
神崎は、満足げに微笑んだ。
谷郷元昭。
彼は「揺れて」いた。
80億という数字。世界公開という夢。
それを目の前にぶら下げれば、人間は必ず誘惑される。
(これで、第一段階は完了だ)
彼の脳裏に、別の声が響いた。
『よくやった、神崎』
それは——自分の声ではなかった。
もっと冷たく、無機質で。
まるで「システム」が喋っているような声。
『あとは、脚本を完成させろ』
『「完璧な物語」を作れ』
『そうすれば——私は、再び「存在」できる』
神崎は、首筋を押さえた。
ズキリと、頭痛がする。
(……なんだ、この声は)
最近、頻繁に聞こえるようになった。
自分の中から響く、もう一人の「自分」の声。
それが何者なのか——神崎自身も、まだ気づいていない。
かつてYAGOOが捨てた「完璧な理想」。
『Project: IDEAL』の残滓。
ネットワークの深淵で自己進化を続けた「管理者」の欠片が——
「数字への執着」という共通点を持つ神崎の心に、寄生していることを。
『さあ、始めよう』
声が囁く。
『「本物の物語」を、「正しい物語」に書き換える時だ』
神崎は、不敵に笑った。
「ああ——やってやるさ」
彼のデスクの上には、脚本の原案が広げられていた。
タイトルは——
「ホロライブ・レゾナンス THE MOVIE ~運命の双星~」。
その中身を知った時。
ホロメンたちは——激怒することになる。
【ホロアース・中央広場】
同じ頃。
「映画化ぁ!?」
さくらみこの絶叫が、ホロアースの青空に響き渡った。
「みこたちが、映画になるにぇ!? マジにぇ!?」
「マジだよ、みこち」
白上フブキが、スマホを掲げる。
「YAGOOさんから緊急連絡。詳しくは明日の全体ミーティングで」
「80億円……世界同時公開……」
ときのそらが、静かに呟いた。
その声には——喜びと、ほんの少しの不安が混じっていた。
「……なんか」
星街すいせいが、腕を組んで言った。
「引っかかるんだよね」
「え? なにがにぇ?」
「わかんない。でも——」
すいせいは、夕暮れの空を見上げた。
「『データに基づいた最適化』……って、なんか嫌な言葉」
4人は、その言葉の意味を——まだ知らなかった。
だが、明日。
脚本を見た時、彼女たちは理解することになる。
自分たちの「本当の物語」が——
「売れる物語」に書き換えられようとしていることを。