ホロライブ・レゾナンス 〜仮想(アバター)の力で日常を取り戻す〜 作:miyacchi_novel
【電忠社・撮影スタジオ】
「——カット! OK!」
矢沢健一の声が、スタジオに響いた。
「素晴らしい……完璧な『悲劇』だ」
モニターの中には、雨に打たれて泣き崩れるときのそらの姿があった。
誰もいないステージ。折れたサイリウム。
『私には……誰にも届かない……』
その演技は、見る者の心を締め付けるほどにリアルで、痛々しかった。
「お疲れ様でしたー」
撮影終了の合図とともに、そらが立ち上がる。
濡れた衣装をスタッフにタオルで拭いてもらいながら、彼女は小さく震えていた。
寒さのせいではない。
自分が演じた「嘘」への拒絶反応だ。
矢沢は、その様子をじっと見ていた。
以前の彼なら、単純に「いい画が撮れた」と喜んでいただろう。
だが、今は——
「……これで、本当にいいのか」
呟きが、口をついて出た。
「何か不満かね? 矢沢監督」
背後から、冷ややかな声がかかる。
神崎透だ。
「データ上は完璧だ。このシーンの瞬間視聴率予測は、これまでの3倍。観客の『同情指数』は最高値を叩き出している」
神崎は、タブレットの数字を見せつけた。
「『可哀想な少女』は金になる。大衆は、無垢な存在が傷つく姿を見て、涙を流し、消費するんだ」
矢沢は、唇を噛んだ。
反論できなかった。
彼自身、そうやって「売れる作品」を作ってきた実績があるからだ。
数字が全て。結果が全て。
その論理で、業界を生き抜いてきた。
「……分かっていますよ」
「ならいい。次は『みこめっと』の共依存シーンだ。もっと過剰に、もっと痛々しく演出してくれ」
神崎はそう言い残し、去っていった。
【撮影スタジオ・裏口の喫煙所】
矢沢は、紫煙を燻らせていた。
コンクリートの壁に寄りかかり、空を見上げる。
バーチャル空間の空は、どこまでも青く、そして作り物めいている。
「監督」
声をかけられ、振り返る。
ときのそらだった。
「……ああ、そらさん。さっきは良かったよ。素晴らしい演技だった」
条件反射で、褒め言葉が出る。
しかし、そらは嬉しそうな顔をしなかった。
「監督。私……悲しくなりました」
「悲しい?」
「さっきのシーンの『私』です。誰にも認められず、たった一人で……かわいそうでした」
「まあ、そういう脚本だからな」
「でも」
そらは、真っ直ぐに矢沢を見た。
その瞳には、強い光が宿っていた。
「私の『本当の記憶』は、違います」
「……」
「最初は13人からのスタートでした。でも、孤独じゃなかった。見てくれる人がいた。応援してくれる人がいた。スタッフさんや、Aちゃんがいてくれた」
そらの声は、静かだが、力強かった。
「人数なんて関係ない。私は……幸せでした」
矢沢の持っていたタバコが、指の間から滑り落ちた。
「幸せ……だった?」
「はい。だから、『悲劇のヒロイン』なんかじゃありません」
その言葉が、矢沢の胸に突き刺さった。
かつての自分。
若い頃、「作りたいもの」を作っていた頃。
評価されなかった。数字が出なかった。
だから、「自分は不幸だ」と決めつけていた。
「売れなければ意味がない」と、心を殺した。
でも——本当にそうだったのか?
あの頃、自分の作品を見て「面白かった」と言ってくれた友人がいた。
「感動した」と手紙をくれた、名もなき観客がいた。
その「一人」の声を、自分は無視したんじゃないか?
「一万人」の称賛を求めるあまり、「一人」の熱意を切り捨てたんじゃないか?
「……俺は」
矢沢は、落ちたタバコを踏み消した。
「俺は、何てダサいんだ……」
数字の奴隷になり、役者の心を踏みにじり、作り物の感動を売り捌く。
それが「プロ」だと思っていた。
だが、目の前の少女は——たった13人の観客の前でも、「幸せだった」と言い切った。
どちらが、表現者として「本物」か。
比べるまでもない。
「……そらさん」
矢沢は、顔を上げた。
憑き物が落ちたような、晴れやかな顔だった。
「俺も……見たいよ。『本当の君』を」
「監督……?」
「『孤独なアイドル』なんて、つまらない。君が言う『幸せだったアイドル』の物語の方が、よっぽど見たい」
矢沢は、ポケットからボイスレコーダーを取り出した。
今まで、神崎からの指示を録音していたものだ。
「俺にできることは、演出だ。嘘を真実に変える手伝いはできないが……『真実』をより輝かせる演出なら、できる」
「それって……」
そらの顔が、パッと明るくなる。
その時、物陰から一人の女性が現れた。
高橋美玲だ。
「監督……今の話」
「ああ、聞いてたのか。高橋」
矢沢は苦笑した。
「神崎さんにバレたら、俺もお前も業界追放だな」
「構いません。私、もう覚悟決めてますから」
美玲は、そらと顔を見合わせ、微笑んだ。
「監督。私たちの『計画』に、力を貸してください」
「計画?」
「映画のプレミア当日……『本当の物語』をライブ配信します。その時の——画作りをお願いしたいんです」
矢沢は、目を丸くし——やがて、ニヤリと笑った。
それは、疲れ切った中年男の顔ではなく、悪戯を企む少年の顔だった。
「面白え。やってやろうじゃねえか」
「予算ゼロ、リテイクなし、一発勝負のライブ配信だ。……燃える現場だな」
矢沢健一、52歳。
かつての「夢追い人」が、戻ってきた。
【電忠社・本社ビル:神崎の部屋】
「……視聴率、順調か」
神崎は、ワイングラスを傾けながらご満悦だった。
矢沢の心変わりなど、露知らず。
だが、画面の隅に表示されたパラメーターが、わずかに揺らいでいることに、彼はまだ気づいていなかった。
『管理者の残滓:共鳴率——低下』
「……?」
神崎の中に潜む「影」が、不快そうに蠢いた。
完璧なはずのシナリオに、小さな亀裂が入り始めていた。