らんま1/2 ~男溺泉の最強師匠、手違いで乱馬の「公認彼氏」になり、天道家公認で夜の営み(武術)に励んでます~   作:この俗物怪物くん

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どうも皆さま、作者です。
今回の話は風林館高校の日常を描いた……と言いたいところですが、
日常にしては色々空を飛びすぎています。

なぜ自転車が飛ぶのか?
なぜ巨大ヘラが落ちてくるのか?
なぜ女子高生は他人を直立不動にできるのか?

その答えはひとつ。

「風林館だから」です。


空から乙女が降ってくるのは風林館の仕様です

風林館高校の屋上。そこは青春の汗と涙、そして物理法則を無視した格闘技が飛び交う聖域だ。コンクリートの床が真昼の太陽に照らされ、陽炎を揺らしている。

 

早乙女乱馬は、その熱気の中で不敵に笑う。彼の目の前には、涼しい顔をした七瀬はるかが立っている。彼女の立ち姿は、まるで散歩の途中で立ち止まったかのように自然体だが、乱馬には分かる。あれは、隙がないのではなく、隙だらけに見せて誘っている構えだ。

 

乱馬は拳を握りしめる。今日こそは。今日こそは、あのアイスキャンディーのような涼しい顔に、一泡吹かせてやる。彼は丹田に力を込め、自身の闘気を練り上げる。

 

「今日こそは一本入れるぜ!七瀬!覚悟!」

 

乱馬が叫ぶ。喉が裂けんばかりの大声だ。これくらい気合を入れないと、この底知れない女には届かない気がするからだ。

 

対するはるかは、あくびを噛み殺すような顔つきで、ひらひらと手招きをする。

 

「はいはい、威勢だけはいいわね。……来なさい」

 

その言葉は、駄々っ子をあやすような響き。それが乱馬のプライドを逆撫でする。カチンとくる音が、乱馬の頭の中で響く。

 

乱馬が地面を蹴る。シューズの底が、屋上のコンクリートを削り取るほどの摩擦を生む。爆発的な加速。もはや人間の目では捉えきれない速度で、乱馬ははるかの懐へと飛び込む。

 

勝てる。

 

乱馬の脳裏に勝利の二文字が浮かぶ。右の正拳突きが、はるかの顔面を捉える軌道に乗る。完璧なタイミング。完璧なフォーム。

 

その瞬間だ。

 

世界にノイズが混じる。

 

キキーーーーーッ!!

 

ジュウウウウウウウッ!!

 

鼓膜をつんざくような金属音と、食欲をそそる脂の焼ける音が同時に発生する。しかも、それはあろうことか、頭上から降り注いでくる。

 

乱馬の動きが止まる。いや、正確には、彼の野生の勘が「前方」ではなく「上方」への警戒を命じ、無理やりブレーキをかけたのだ。

 

「……あ?」

 

乱馬の口から間の抜けた声が漏れる。

 

はるかもまた、視線を上空へと向ける。彼女の表情から初めて余裕が消え、「なんだあれ」という純粋な疑問が浮かぶ。

 

青く澄み渡る空。白い雲。そして、逆光の中で黒いシルエットとなって迫りくる二つの影。

 

一つは、自転車だ。ママチャリだ。前カゴにはスーパーの袋まで入っている。なぜ自転車が空を飛んでいるのか。物理学の教科書が泣いて逃げ出す光景だ。

 

もう一つは、巨大なヘラだ。お好み焼きをひっくり返す、あのヘラだ。その上に人間が乗っている。サーフボード代わりというには、あまりにも鉄板臭い。

 

上空からの声が、ドップラー効果を伴って響き渡る。

 

「乱馬ーーっ!浮気は許さないアルよーーっ!!」

 

中国訛りの可愛らしい、しかし殺意に満ちた絶叫だ。

 

続いて、上空からの声が、関西弁のイントネーションで空気を震わせる。

 

「乱ちゃん!男と付き合ってるってホンマかーーっ!?」

 

乱馬は空を見上げたまま、口をあんぐりと開ける。思考が追いつかない。浮気?男と付き合ってる?誰が?俺が?

 

「は……?」

 

乱馬の疑問符が宙に舞う。

 

しかし、重力は待ってくれない。

 

屋上の高いフェンスなどものともせず、自転車に乗った美少女・シャンプーと、巨大ヘラに乗ったお好み焼き屋・久遠寺右京が、ミサイルのような正確さで乱馬めがけて降ってくる。

 

彼女たちの目には、乱馬以外の景色は映っていない。愛ゆえのダイブ。あるいは、愛ゆえの特攻。

 

乱馬の網膜に、急速に拡大する自転車の前輪と、熱を帯びた巨大ヘラの底面が焼き付く。

 

避ける暇などない。

 

ドカバキグシャァッ!!!

 

屋上の床が揺れる。コンクリートの粉塵が舞い上がる。

 

「あぷっ!!」

 

乱馬の短い断末魔が聞こえる。それは、肺の中の空気が強制的に排出された音だ。

 

静寂が訪れる。

 

砂煙が晴れていく。

 

そこには、現代アートのような惨状が広がっている。

 

乱馬は仰向けに倒れている。いや、埋まっていると言った方が正しい。

 

彼の顔面には、シャンプーの乗った自転車の前輪が食い込んでいる。タイヤの溝のパターンが、乱馬の頬に鮮明なスタンプを押している。ゴムの味が口いっぱいに広がる。

 

そして、彼の下半身から腹部にかけては、右京の巨大ヘラが重しのように乗っている。さらに悪いことに、そのヘラの下には、右京が空中で焼いていた特製お好み焼き(豚玉・大盛り)が敷かれている。

 

熱々のソースが、乱馬の道着に染み込む。マヨネーズが、芸術的な模様を描きながら飛び散る。かつお節が、乱馬の鼻の穴の前でゆらゆらと踊り、くしゃみを誘発しようとしている。

 

乱馬の手足が、ピクピクと痙攣する。それは、生存を確認する唯一のシグナルだ。

 

はるかは、その惨劇の現場から一歩下がり、腕を組んで見下ろしている。彼女の顔には、同情よりも、珍しい昆虫を観察するような興味が浮かんでいる。

 

「お、おう?……大丈夫か乱馬!随分と派手な交通事故だな」

 

はるかの声は冷静だ。空から自転車と鉄板が降ってきた現象を「交通事故」という言葉で片付けるあたり、彼女の肝の太さがうかがえる。

 

乱馬の手が、わなわなと震えながら持ち上がる。彼は顔面にめり込んだ自転車のタイヤを無理やり押しのけ、なんとか呼吸を確保する。

 

「(顔面ソースまみれ)……な、何しやがるシャンプー!!右京!!」

 

乱馬が叫ぶ。しかし、その顔はオタフクソースで茶色くコーティングされ、青のりが歯に付着しているため、迫力が半減どころかマイナスだ。甘辛い香りが漂う格闘家。新ジャンルだ。

 

自転車のサドルにまたがったまま、シャンプーが身軽に着地する。チャイナ服の裾をひるがえし、彼女は愛用のボンボリ(巨大な錘)を地面に叩きつける。

 

「乱馬!お前、あかねだけじゃなくて、男にまで手を出したって聞いたネ!曾祖母ちゃん泣いてるヨ!」

 

シャンプーの瞳は潤んでいる。だが、その手にある武器は、明らかに殺傷能力が高い。彼女の論理では、愛する者が道を誤った場合、物理的な制裁で正すのがルールなのだ。

 

一方、巨大ヘラから飛び降りた右京もまた、仁王立ちで乱馬を見下ろす。背中の巨大なコテを取り出し、カシャンと音を立てて構える。

 

「せやで乱ちゃん!ウチという許嫁がいながら、男に走るとはどういう了見や!焼き入れたる!」

 

右京の怒りは、お好み焼き屋のプライドと乙女心が複雑に絡み合ったものだ。「男に走る」という情報の出所がどこなのかは不明だが、彼女の中では既に確定事項となっているらしい。

 

乱馬はようやく上半身を起こす。背中に張り付いたお好み焼きが、ベリベリと不快な音を立てて剥がれる。彼はソースまみれの顔を拭うことも忘れ、両手を振り回して抗議する。

 

「だーかーらー!なんでどいつもこいつも俺が男好きって話になってんだよ!!誤解だっつーの!」

 

乱馬の叫びは切実だ。しかし、この場にいる二人の少女には届かない。彼女たちの耳には「男好きフィルター」がかかっている。乱馬の弁解は、すべて「罪を隠すための嘘」として変換されてしまう。

 

ふと、二人の視線が動く。

 

乱馬の向こう側に立っている、はるかの存在にようやく気づいたのだ。

 

シャンプーが小首を傾げる。猫のような鋭い視線が、はるかを上から下までスキャンする。

 

「ん?誰ネ、この女」

 

シャンプーの声色が、甘えたものから、敵を値踏みするものへと変わる。

 

右京もまた、目を細める。彼女の関西商人の勘が、はるかから漂う「タダモノではない」オーラを敏感に察知する。

 

「美人やけど……乱ちゃん、まさかこの人とも?」

 

右京の疑惑の矛先が、新たなターゲットに向けられる。「男好き」という誤解を解消する前に、「新しい女」という疑惑が追加される。乱馬にとっては、火に油どころか、火薬庫にナパーム弾だ。

 

はるかは、二人の殺気を受け流すように、軽く肩をすくめる。

 

「ああ、私は七瀬はるか。乱馬のクラスメートで……まあ、今は師匠みたいなものかな?」

 

「師匠」

 

その言葉が、場に爆弾を投下する。

 

シャンプーの眉がピクリと跳ね上がる。彼女の脳内で「師匠」という言葉は、「乱馬を指導するという名目で近づき、あわよくば手篭めにしようとする女」という意味に変換される。

 

「師匠?……嘘ネ!その顔、乱馬をたぶらかす女の顔ヨ!乱馬に近づく女、殺す!」

 

シャンプーが叫ぶ。論理の飛躍が凄まじい。「たぶらかす女の顔」とは一体どんな顔なのか。しかし、恋する乙女にとって、自分以外の女はすべて泥棒猫だ。シャンプーはボンボリを構え、臨戦態勢に入る。

 

右京もまた、小ヘラを指の間に挟み、投擲の構えを取る。

 

「ウチらの邪魔するなら、あんたもまとめて鉄板の上や!」

 

右京の理屈もまた、極端だ。邪魔者は焼く。それがお好み焼き屋の流儀らしい。

 

乱馬は慌てる。自分への誤解を解くどころか、今度ははるかが標的になってしまった。しかも、この二人は本気だ。

 

「おい、待てって!七瀬は関係ねーだろ!」

 

乱馬が止めに入ろうとするが、足元のソースで滑り、無様に転倒する。再びお好み焼きの上にダイブする形となり、二次被害が発生する。

 

はるかは、そんな乱馬を一瞥もしない。彼女は目の前の猛獣たち、いや、恋する乙女たちを見つめ、小さく息を吐く。

 

「やれやれ。野蛮な子猫たちだこと」

 

その言葉には、余裕と、ほんの少しの呆れが含まれている。

 

風が吹く。ソースの匂いと、殺気が混じり合う奇妙な風だ。

 

シャンプーが地面を蹴る。自転車を置き去りにし、身一つで突っ込んでくる。

 

「死ぬヨロシーーーッ!!」

 

右京が小ヘラを投げる。

 

「ジュウといわしたるわーーーッ!!」

 

二つの攻撃が、同時にはるかへと襲いかかる。

 

乱馬は叫ぶ。

 

「七瀬、逃げ……!」

 

しかし、はるかは動かない。いや、動く必要を感じていないのか。彼女はポケットに手を入れたまま、迫りくる愛の凶器を見据えている。

 

 

 

 

 

 

 

シャンプーのボンボリ(錘)は岩をも砕く破壊力を秘めているし、右京のヘラ捌きは鉄板の上で鍛え上げられた神業だ。普通の人間なら、瞬きする間にネギ間のようにミンチにされているだろう。あるいは、綺麗にひっくり返されて裏面もこんがり焼かれているところだ。

 

しかし、七瀬はるかは動じない。いや、動じていないどころか、退屈そうにあくびを噛み殺している。彼女の目には、迫りくる二人の美女が、スローモーションの映像のように映っているに違いない。

 

はるかがスッと半歩前に出る。その動きは、幽霊のように音がなく、それでいて不気味なほどスムーズだ。

 

パパンッ!

 

乾いた音が響く。

 

それは打撃音ではない。軽やかな音だ。はるかの両手が、左右から迫るシャンプーの肘関節と、右京の手首のツボを、絶妙な力加減で叩く。

 

その瞬間、物理法則がバグを起こす。

 

シャンプーの突進力が、行き場を失って空回りする。右京の遠心力が、逆に自分自身を縛り付ける力へと変換される。二人の体が独楽のようにクルンと回転させられる。

 

視界が回る。空、床、フェンス、ソースまみれの乱馬、そして空。

 

回転が止まる。

 

ビシィッ!!

 

空気を切り裂くような音が、二人の足元から響く。

 

気づけば、シャンプーと右京は、はるかの目の前で並んでいた。それもただ並んでいるのではない。踵を揃え、つま先を六十度に開き、背筋を定規が入っているかのように伸ばし、手のひらを太ももの側面にピタリとつけた、完璧なる姿勢。

 

そう、それは日本の学校教育が誇る、至高のポーズ。

 

「気をつけ(直立不動)」だ。

 

シャンプーと右京の声が重なる。

 

「「あれ??」」

 

二人の脳内は疑問符で埋め尽くされる。なぜ自分たちは今、攻撃の真っ最中だったはずなのに、朝礼の校長先生の話を聞くような姿勢で固まっているのか。筋肉が言うことを聞かない。まるで、見えない力で全身を拘束されているかのようだ。

 

はるかは腕を組み、二人をジロジロと眺める。その目は、完全に体育教師のそれだ。

 

「姿勢が悪い。重心が浮いてるわよ。顎を引いて、背中で手を組むイメージを持ちなさい」

 

ダメ出しだ。命のやり取りをしている最中に、ポージングの指導が入る。

 

シャンプーの顔が真っ赤になる。彼女は誇り高き女傑族だ。こんな屈辱、許せるはずがない。

 

「な、何アルか!妖術ネ!?もう一回!」

 

右京もまた、プライドを傷つけられていきり立つ。お好み焼き屋の看板娘として、こんなマヌケな姿を乱馬に見られるわけにはいかないのだ。

 

「偶然や!偶々足が揃っただけや!とりゃあ!」

 

二人は強制された姿勢を無理やり解き、再びはるかへと躍りかかる。今度は左右に散開し、挟み撃ちを狙う。学習能力はある。しかし、相手が悪すぎる。

 

はるかが溜息をつく。

 

「はい、脇が甘い」

 

彼女の手刀が、空を切るような速さで閃く。シャンプーの脇腹を軽く小突く。それだけで、シャンプーのバランスが崩壊する。体が勝手に回転し、足が地面に吸い寄せられる。

 

ビシィッ!!

 

再び、完璧な「気をつけ」

 

シャンプーが悲鳴を上げる。

 

「アイヤッ!?」

 

右京が背後からヘラを振り下ろす。勝った、と彼女が確信した瞬間、はるかは振り返りもせずにバックステップを踏む。右京の足先を、自身の足で軽くタップする。

 

「足元がお留守」

 

右京の体が宙に浮き、着地と同時に踵が強制的に合わせられる。

 

ビシィッ!!

 

「なんでやーっ!」

 

右京の絶叫がこだまする。彼女の体は、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、直立不動の姿勢へと回帰してしまう。

 

そこからは、まさに無限地獄だ。

 

「遅い」 ビシィッ!! 「踏み込みが浅い」 ビシィッ!! 「呼吸が乱れてる」 ビシィッ!! 「はい、やり直し」 ビシィッ!!

 

屋上に、リズミカルな足音が響き続ける。軍隊の行進練習でも、これほど揃った音は出せないだろう。シャンプーが飛び蹴りを放てば、空中で回転させられて着地と同時に「気をつけ」。右京が小麦粉をばら撒いて目くらましをしようとすれば、その粉が舞う中で回転させられ、粉まみれで「気をつけ」

 

端で見ている乱馬(ソースまみれ)は、開いた口が塞がらない。

 

「な、なんだありゃ……」

 

乱馬の目から見ても、はるかの技術は異常だ。相手の力を利用し、関節の可動域をコントロールし、強制的に一番安定した姿勢=直立不動へと導く。それは武術というより、もはや人体を使ったパズルだ。

 

数十回、いや百回は繰り返されただろうか。

 

屋上には、荒い息を吐く二人の少女と、汗一つかいていない涼しい顔の女がいた。

 

シャンプーと右京は、地面に崩れ落ちている。体力の限界ではない。「気をつけ」をしすぎたことによる、精神的な摩耗だ。ふくらはぎがパンパンに張っている。

 

しかし、シャンプーは諦めない。彼女の瞳には、まだ執念の炎が燃えている。彼女はよろよろと立ち上がる。その姿は、ゾンビ映画のラストシーンのようだ。

 

「くっ……!女傑族の掟!女に負けた場合、その女を殺す!覚悟するネ!」

 

シャンプーの論理は常に極端だ。負けたら殺す。シンプルだが、迷惑極まりない。

 

シャンプーが唇を尖らせる。「死の接吻」だ。そして相手の隙をついて噛み付くような捨て身のタックル。あるいは、キスをする勢いで相手の喉元を食いちぎるつもりか。

 

彼女が飛びかかる。まるで恋人に抱きつくような軌道だが、そのオーラは殺意の塊だ。

 

はるかは首を傾げる。

 

「はい、殺気が漏れてる」

 

はるかの手が、空中のシャンプーの肩を掴む。そして、まるで布団を干すかのように、空中で一度パンと叩き、そのまま重力に従って地面へと降ろす。

 

シャンプーの足が地面につく。踵が合う。背筋が伸びる。

 

ビシィッ!!

 

空中キャッチからの、強制着地&気をつけコンボだ。芸術点が高い。

 

シャンプーは直立不動のまま、唇だけを尖らせてプルプルと震える。

 

「うううぅぅぅ〜〜っ!!キスもできないアルー!」

 

もはや攻撃すら成立しない。近づけば姿勢を正される。これは暴力ではない。過剰な礼儀作法の強要だ。

 

右京もまた、へたり込んだままヘラを握りしめているが、立ち上がる気力がない。彼女のヘラには、まだ焼く前の生地とお好み焼きが乗っている。戦闘中もそれを落とさなかったのは、さすがプロ根性と言うべきか。

 

はるかは、ふっと表情を緩める。先ほどまでの冷徹な指導官のような顔が消え、近所の優しいお姉さんのような笑顔になる。

 

「(ニッコリ)なかなか強いな、君たち。バネもあるし、迷いがない。いい戦士だ」

 

その唐突な褒め言葉に、シャンプーと右京は目を丸くする。鞭のあとの飴。DV彼氏の手口にも似ているが、はるかの場合は純粋な評価だ。

 

はるかの視線が、右京の手元に向けられる。右京が最後の力を振り絞って投げようとしていた、小さな豚玉だ。

 

はるかはスッと手を伸ばし、そのお好み焼きを空中でひょいと摘み上げる。まだ湯気が出ている。

 

「いただき」

 

はるかはそれを口に運ぶ。パクり。

 

咀嚼する。

 

屋上に沈黙が流れる。乱馬も、シャンプーも、右京も、固唾を飲んではるかを見守る。なぜなら、この学園において食べ物を口にする行為は、しばしば毒見や爆発の前触れだからだ。

 

しかし、はるかの顔が輝く。

 

「うん!美味い!生地に出汁が効いてるし、キャベツの切り方が絶妙だ。空気を含ませて焼いてるから、食感がフワフワしてる」

 

的確な食レポだ。彦摩呂も裸足で逃げ出すレベルの分析力だ。

 

はるかは残りのお好み焼きも一口で平らげ、指についたソースをペロリと舐める。そして、右京に向かってウインクを送る。

 

「……君もだ。戦わなくても、この料理の腕があれば大抵の男は落ちるよ。胃袋を掴むのは武術より強い武器だ。少なくとも、私はこの味、好きだな」

 

右京の顔が、一瞬で茹でダコのようになる。

 

彼女はお好み焼き一筋で生きてきた。武術も得意だが、本分は料理人だ。その料理を、しかも命のやり取りをした直後の相手に、ここまで手放しで絶賛されたのだ。

 

右京の関西弁が上ずる。

 

「え?……ほ、ホンマ?……いや、出汁は昆布とカツオの合わせ出汁やけど……って、乗せられへんで!」

 

右京は慌ててコテを構え直すが、その切っ先は震えている。頬が緩みきっている。完全にデレている。「乗せられへんで」と言いつつ、尻尾をブンブン振っている犬のようだ。

 

「あんた……味の分かる女やな……」

 

右京の呟きが漏れる。彼女の中での「敵対心」メーターが急激に下がり、「常連客への愛想」メーターが上昇していく。

 

シャンプーが不満げに声を上げる。

 

「ウッちゃん!騙されるなネ!その女、口が上手いだけヨ!」

 

「いや、でもシャンプー、この生地の空気の含ませ方は素人には分からへんのや……」

 

「料理の話してないネ!乱馬の話ヨ!」

 

はるかは、そんな二人のやり取りを微笑ましく見つめながら、未だソースまみれで倒れている乱馬の方を向く。

 

「さて、乱馬。君の許嫁候補たちは、なかなか面白い特技を持っているじゃないか。これなら、退屈しなさそうだ」

 

乱馬はピクリと体を震わせる。

 

「……てめぇ、面白がってねーで、助けろよ……」

 

乱馬の声は、ソースの中に埋もれて消えていく。

 

はるかという特異点が、このラブコメバトルのパワーバランスを、根底から崩し始めていた。

 

シャンプーはまだ唇を尖らせて唸っているし、右京は「次はマヨネーズ多めにしたろか?」とかブツブツ言っている。二人はまだ気づいていない。自分たちが既に、はるかのペースという名の「檻」の中に放り込まれていることに。

 

はるかは青空を見上げる。

 

「さて、昼休みも終わる。……全員、教室に戻るまでが遠足、じゃなくて特訓だ。解散!」

 

ビシィッ!!

 

はるかの一声で、なぜか乱馬までもが、寝転がったまま「気をつけ」の姿勢を取ってしまった。条件反射の恐怖。それは、これから始まる波乱の日常の、ほんの序章に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

強制直立不動の地獄が終わり、屋上には奇妙な連帯感と、濃厚なソースの香りが漂っている。

 

嵐は去った。いや、正確には嵐の中心にいる人物が、一時的に気圧配置を変えただけだ。

 

七瀬はるかは、埃ひとつついていない制服のスカートを軽く払い、まるでティータイムの会話でも始めるかのように口を開く。

 

「で、乱馬の彼氏のことだけど……」

 

その一言で、弛緩しかけていた空気が再び凍りつく。

 

地面にへたり込み、身体中の穴という穴からソースの匂いを放っている早乙女乱馬が、ビクッと反応する。彼は反射的に叫ぶ。

 

「だから彼氏じゃねえって!」

 

乱馬の悲痛な叫びは、秋の空に虚しく響く。彼の顔面は未だ茶色くコーティングされており、必死な表情を作れば作るほど、顔料のように乾き始めたソースがひび割れ、滑稽さを増していく。

 

はるかは、そんな乱馬の抗議を、そよ風程度にしか受け止めていない。彼女は人差し指を立て、チッチッチと左右に振る。

 

「恋愛観は人それぞれだからね。否定は良くない。でも、乱馬がバイセクシャルだからって、君たちが焦ることはない。あかねちゃんと普通に競えばいいのよ」

 

「バイ……?」

 

シャンプーが首を傾げる。聞き慣れない単語だ。彼女の辞書には「殺す」「愛する」「中華まん」くらいしか重要な単語が載っていない。

 

右京もまた、コテを杖代わりにして立ち上がりながら、訝しげな顔をする。

 

「やっぱり男が好きなん?『バイ』って、倍返しとかの倍?」

 

「両方いける口、ってことさ」

 

はるかが爽やかに解説する。

 

その瞬間、シャンプーと右京の顔色が青ざめる。あかね一人でも厄介なのに、全世界の人口の半分である「男」までもがライバルになるというのか。競争率がインフレを起こしている。

 

はるかは、絶望する乙女たちを見渡し、さらに爆弾を投下する。

 

「乱馬の才能は底知れない。それは武術だけに限らないかもしれないぞ。愛情の容量も大きいかもしれない。……もし乱馬が全員好きなら、全員抱けばいいじゃないか」

 

「「「はぁぁぁ!?」」」

 

三人の声が完全にハモる。

 

乱馬は顎が外れそうになる。シャンプーは目を白黒させる。右京は持っていたコテを取り落とす。

 

全員抱く。その言葉の響きはあまりにも強烈だ。

 

はるかは真顔だ。冗談を言っている気配は微塵もない。彼女はまるで明日の天気を予想するように、淡々と、しかしとんでもない未来図を提示する。

 

「君たちが惚れた男が、それほど器の大きな男なら、それもまた一つの形だ。英雄色を好むと言うだろう?歴史上の偉人は皆、多くの愛を持っていた。乱馬にもその資格があるかもしれない」

 

屋上に沈黙が落ちる。

 

風が吹く。ソースの匂いが鼻孔をくすぐる。

 

シャンプーと右京は、ゆっくりと顔を見合わせる。そこには、争ってきたライバル同士にしか分からない、無言のコミュニケーションが生まれる。

 

(……ないな)

 

(……せやな、ないわ)

 

二人の思考がリンクする。

 

そして、二人は同時に乱馬を見る。

 

そこには、ソースまみれで、青のりを歯にくっつけ、マヨネーズでベタベタになりながら、「な、なんだよその目は……」と情けなく後ずさりする男がいる。

 

シャンプーと右京は、示し合わせたように首を横に振る。高速ワイパーのような動きだ。

 

シャンプーが断言する。

 

「無理ネ。乱馬、器ちっちゃいアル。肉まん一個で喧嘩する男ヨ。私がデートに誘っても、いつも逃げることしか考えないネ。そんな甲斐性、乱馬にはないヨ!」

 

右京も深く頷く。

 

「せやな。乱ちゃん、甲斐性なしのヘタレやし。優柔不断で、どっちつかずで、タダ飯食らいや。ウチのお好み焼き、ツケでなんぼ食べてると思ってんねん。そんな大層な『器』なんかあらへん。お猪口くらいのサイズやで」

 

辛辣だ。愛ゆえの辛辣さだ。彼女たちは乱馬を愛しているが、その人間性(特に生活能力と決断力)については、氷点下の評価を下している。

 

乱馬の額に青筋が浮かぶ。ソースの下で血管がピキピキと音を立てる。

 

「てめーらっ!勝手に決めつけんじゃねーよ!俺の器はでっかいわ!太平洋より広いわ!なんなら日本海溝より深いわ!」

 

乱馬が立ち上がり、拳を振り上げて抗議する。しかし、その主張の内容が「俺は全員抱けるほど立派だ」という意味に聞こえてしまうことに、彼は気づいていない。

 

はるかが、ポンと手を叩く。

 

「ふふ、本人がそう言うなら、ハーレムでいいじゃないか。あかねちゃんも、シャンプーも、右京も、そしてその彼氏も」

 

「だからその男はカウントすんなって!そもそもいねーんだよそんな奴!」

 

乱馬のツッコミは鋭いが、はるかのペースには全く追いつけない。はるかは、まるで駄々っ子をあやすように、乱馬の頭(ソースで固まっている髪)をポンと叩く。

 

「照れるな照れるな。……だが、私の見たところ」

 

はるかの声のトーンが、ふと真面目なものに変わる。

 

乱馬が動きを止める。シャンプーと右京も、その変化に敏感に反応し、耳をそばだてる。

 

はるかは、乱馬の目を真っ直ぐに見つめる。その瞳は、すべてを見透かすような透明な輝きを帯びている。

 

「乱馬が本当に好きなのは、あかねちゃんだけなんだよな」

 

ドキン。

 

乱馬の心臓が早鐘を打つ。

 

図星だ。ど真ん中の直球だ。

 

「ッ……!?」

 

乱馬は言葉を失う。顔が一気に熱くなる。元々ソースで赤いのか茶色いのか分からない状態だが、耳まで真っ赤になっているのが分かる。

 

シャンプーと右京の殺気が、一瞬で膨れ上がる。

 

「な……やっぱりそうかネ!?」

 

「乱ちゃん! 今の反応、図星なん!?」

 

しかし、はるかは追撃の手を緩めない。彼女はニヤリと笑い、さらに続ける。

 

「それと、その彼氏のことも、武術家として相当好きっぽいが……」

 

乱馬がずっこける。

 

「(顔を真っ赤にして)うっせー!余計な分析すんな!なんでそこで男の話に戻るんだよ!俺は男に興味ねーっつーの!強い奴とは戦いたいだけだ!」

 

乱馬は必死だ。しかし、「強い奴とは戦いたい」というセリフが、はるかの文脈では「強い男(彼氏)には興味がある」という肯定に聞こえてしまうマジックにかかっている。

 

シャンプーがギリギリと歯ぎしりをする。

 

「ム……やっぱりあかねが一番邪魔ネ!でも、男の方も油断できないネ。乱馬、武術バカだから、強い男にホイホイついて行く可能性あるヨ!」

 

右京もコテを構え直す。

 

「あと、その男も探し出して焼き入れたらなアカンな!乱ちゃんをたぶらかす男狐は、天かすにしてバラ撒いたる!」

 

二人のターゲットが更新される。

 

第一位:天道あかね。

 

第二位:正体不明の男(彼氏)。

 

はるかは、そんなカオスな状況を楽しげに見下ろしている。

 

「やれやれ。元気なことだ」

 

はるかは微笑む。その笑顔は、純粋なようでいて、底知れない悪戯心を秘めている。

 

乱馬は、二人の乙女に詰め寄られ、「違う!」「誤解だ!」「俺の器の話はどうなった!」と叫び続けている。しかし、その声は空しく空に吸い込まれていく。

 

屋上のフェンス越しに、午後の授業の予鈴が鳴り響く。

 

乱馬は空を見上げ、心の中で泣いた。

 

(あかね……助けてくれ……いや、あかねが来たらもっとややこしくなるから来なくていい!)

 

矛盾する願いを抱えながら、乱馬はソースまみれの道着を引きずるようにして、出口へと向かうのだった。もちろん、背後には「逃さないヨ!」「待ちぃな!」という叫び声を引き連れて。

 

これが、風林館高校の日常。 平和という言葉が、辞書から家出している場所での一幕である。




読んでくださってありがとうございます!
今回のテーマは 『愛と嫉妬とソースと気をつけ』 でした。

乱馬は人生で初めて、
「お前に甲斐性はない」
「器はお猪口」
「ハーレム? 無理!」
と三方向からバッサリ斬られるという稀有な体験をしました。

作者としては、
「この混沌が続いたら風林館が壊滅するのでは?」
と少し心配していますが、読者の皆様の反応が良ければ
壊れる前に続編を書くつもりです。
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