分かっている。
貴方が彼女をまだ愛していることも。
私が単なる友人でしかないことも。
分かっては、いるのだ。
それでも、どうしても望んでしまう。その黒の瞳を、ほんの少しでいい、私にも向けてくれないだろうかと──。
一言で表すなら昔の学友兼現同僚。それが今の私達の関係である。正確に言えば、彼──セブルス・スネイプは魔法薬学教授で、私は魔法生物飼育学並びに薬草学教授補佐。私達の接点といえば、魔法薬の調合に必要な材料を彼の城である地下牢教室に持って行く時だろうか。あとは週1回ほど夕食後にお茶を飲むくらい。そんな少ない機会でも、私は嬉しいのだ。彼の役に立てることが。彼と同じ空間で過ごせることが。
これ以上を望んではいけないとも分かっている。彼は今でも彼女──リリーのことを愛している。そこに私の入る余地など無いのだから。
以前頼まれていた薬草を持って、地下への階段を下る。それぞれの寮へ生徒が戻った後の城内は静かで、私の靴音がコツコツとよく響いた。
「セブルス、私よ。入っても大丈夫?」
教室のドアをノックして声をかけると、中から「入れ」と答えが返ってきた。
少しだけ開けた隙間からするりと中に入り、ドアを静かに閉める。部屋の主はちょうど調合中だったようで、「そこの机に置いておけ」とこちらを一瞥もせずに言った。その無愛想さはいつものことだったので、私は「はいはい」とおざなりに返事して薬草の入った籠を机上に置いた。そしてそのまま籠の隣に腰かけ、彼の調合する様子を眺めた。
セブルスの調合はとても丁寧で、繊細で、美しい。流れるような動作と繊細な手つきで材料の準備をし、素早く、かつ無駄のない動きで調合していく。ポーションマスターの名を欲しいままにしているのも頷ける。
「……いつまで居座る気かね?ヴァレー教授補佐は随分お暇な様だが」
「貴方にこの薬草たちを持ってきたから、今日の仕事は終わりなの。良かったら、お茶でもどう?」
「フン……。もうすぐ終わる。そこで待っていたまえ」
そう言い置いて、セブルスはさっさと大鍋に向き直った。私はといえば、お茶の誘いを断られなかったことが嬉しくて、上機嫌でにこにこしながら彼の作業が終わるのを待っていた。なんせ3回に1回は断られるのだ。今週初めてのお誘いを受けてもらえるだけで、私の心は少し浮き足立ってしまう。
今日調合している薬は瓶に詰める前に冷ます必要があるそうで、私達は大鍋の横でお茶にすることとなった。ここでお茶会にするのは良くあることで、次点は私の部屋の手前にある準備室兼実験室だ。
私が杖を振って紅茶を淹れている間に、セブルスは先週私が持ち込んだクッキーの詰め合わせの残りを、彼の私室から持って来てくれた。それは私がわざわざマグルのお店から通販を使って取り寄せた物で、先週残った時に食べていいとは言っておいたのだが、律儀に取って置いてくれたようだ。
こういう所があるから、中々諦めがつかない。不器用な優しさをチラつかされ、年単位で振り回されっぱなしなのだ。ある意味悪い男だと思う。本人にそんな意図は全く無いのだけれど。
「相変わらず美味しいわね、このクッキー」
「ああ、我輩がわざわざ保存魔法をかけておいてやったからな」
「なあに、それ」
セブルスの言い回しが面白くて、つい吹き出してしまう。目の前の顔は意地悪く口の端を上げていた。
ひとしきり笑った後にお礼を言ったら、セブルスは満足気に軽く鼻で笑ってカップに口をつけていた。
こうやって冗談を言い合ったり、日々の愚痴や他愛無いことを喋ったりできる時間が愛おしい。こんな風に彼と過ごせる今が本当に大切で、壊したくて、私はいつも踏み出せずに「良い友人」という位置に縮こまっている。
そもそものきっかけは、セブルスとリリーとの絶交という、彼にとって最悪とも言える出来事だった。
ホグワーツに入学した当初から魔法薬学での成績が優秀だったセブルスと薬草学が得意だった私は、寮は違えど授業外でも立ち話をするような仲だった。人を寄せつけない彼のことだから、友人というよりは同志に近いような感覚だったと思う。
そして、あの事件が起きた。リリーに「スニベルス」と言われた時の彼は、正直見ていられなかった。絶望と後悔と、色々な感情が混ぜこぜになったその顔を、私は一生忘れないだろう。
事件後、私がセブルスに話しかけることができたのは、彼とリリーが絶交してから数日経ってからだった。日に日に顔色が酷くなっていくセブルスを、どうしても放っておけなかったのだ。
「セブルス」
「……君か、何の用だ」
昼休み前の授業がスリザリンとレイブンクローの合同授業だったため、私は授業が終わってすぐに教室の外で彼を捕まえた。
袖を掴まれたセブルスは迷惑そうに眉を寄せたが、振り払いはしなかった。そのことに少しホッとしながら、私は彼を初めてお茶に誘った。
しかし、セブルスは眉間の皺を更に深くして「どうして、僕が」と呟いた。今にも断りの文句を口にしそうな彼を遮って、私は再度言った。
「どうしても話したい事があって。前に少し伝えたアビシニア無花果の使い方について、ぜひとも貴方の意見を聞かせて欲しいの」
「…………分かった」
長い沈黙の後、セブルスはため息をついてから頷いた。「ありがとう」と微笑むと、彼は「早く案内しろ」とばかりに顎をしゃくった。
人目を気にするだろう彼のために手近な空き教室に入ると、朝から厨房の屋敷しもべ妖精に頼んでいたティーセットが出現した。なんとサンドイッチまで付いている。さすがの気配りだ。
適当な椅子に向かい合って座り、アビシニア無花果について話しながらサンドイッチを頬張る。しかし、セブルスは食欲が無いのかあまり手を付けようとしない。
「セブルス、もっと食べないと」
「結構だ。そんなにおなかは空いていない」
絶対嘘だ。例え本当に空いていなくても、食べる量があまりにも少な過ぎる。私は中身が3分の1ほどになった皿をセブルスの方へ押しやった。
「残りはあげる。私もうおなかいっぱいなの」
「僕もいらない。ヴァレー、君が持って帰ればいいだろう」
「そんなのできないわ。残すのも悪いし、食べて。……ねえ、お願い」
私の懇願にセブルスはしばし押し黙った後、そのまま無言でもそもそとサンドイッチを食べ始めた。
彼が皿の上を綺麗にするのを見届け、私は気付かれぬようにホッと息を吐いた。顔色は青白いままだし、この数日で黒々とした隈は居着いたままだが、サンドイッチとは言え何かしら食べてくれたのは安心だ。
ふと見ると、セブルスの口の端にパンの欠片がついている。
「セブルス、口の端にパンが付いてるわよ」
指摘すると、彼はゴシゴシとローブの袖で口元を拭ったのだが、微妙に位置が違うためパンの欠片は付いたままだ。
「ちょっと待って、じっとしててね」
「ん」
何それ、可愛い。
私はハンカチを持ったまま固まってしまった。言われた通り無防備に待っているセブルスに、思わずキュンとときめいてしまった私は悪くないと思う。
「……ヴァレー?」
固まったままの私を不振そうに見やるセブルスの声で我に返り、私は慌てて何でもない風を装って彼の口元を拭ってやったのだった。
初めてのお茶会から、私は何度もセブルスをお茶に誘った。もちろん毎回受けてくれる訳は無く、断られることも多かったが、私はめげずに誘い続けた。
回を重ねるにつれ、セブルスは雑談にも少しは応じてくれるようになった。それと比例するように、元々闇を孕んでいた彼の瞳は更に昏く深くなっていった。
私は何も言えなかった。怖かった。指摘すれば、このお茶会はきっと無くなるだろう。廊下での立ち話も。
私は知っている。向かいの廊下を歩くリリーを目で追うセブルスを。その瞳の切ない色を。引き結ばれた唇の端が、リリーから目を逸らされた時に少し震えることを。
時たま、眠れない夜がやって来る。そんな時、私は自分の行動を思い返しては自嘲している。
こんなに利己的なことってある?
自分保身のために、セブルスが危ない方へ進んで行くことを止めないなんて。
どれだけ眠れない夜を過ごしても、私は1歩踏み出せなかった。
そしてそのまま7年生になり、卒業を目前に控えた6月。私は急にダンブルドア校長に呼び出された。寮監であるフリットウィック先生に付き添われて校長室へ向かった私を待ち受けていたのは、両親の訃報だった。
私の父は闇祓いだった。そして母はマグル生まれ。闇の陣営──例のあの人の標的となるには十分だった。
その日のうちに、私はフリットウィック先生に連れられて聖マンゴへ行った。遺体が両親であることの確認と遺品の引き取りのためだった。
他にも葬儀の手配など細々とした手続きを終え、ホグワーツに戻れたのは両親の死から数日経ってからだった。
フリットウィック先生に寮の出入口まで送ってもらったものの、すぐには部屋に戻る気にならず、ふらふらと暗く静かな城内を歩き回った。
そうしてたどり着いたのは吹きさらしの渡り廊下。しとどに降る雨は私の陰鬱な気分を代弁しているかのようで、夜の渡り廊下でぼんやりと外を眺めていると、不意に人の気配がして振り向いた。
「……セブルス」
夜闇に同調するかのような黒髪の彼が、立っていた。私が彼の名前を呼ぶと、セブルスはツカツカと私の横まで歩いてきて「もうすぐ、消灯の時間だ」とぼそりと言った。
彼から視線をそらして外を見続けると、吹き込む雨の雫に構わず彼も同じように外を見始めた。横に並んで外を見ているから、彼の表情は分からない。分からない方が、良かった。
「両親が、死んだの」
そっと囁いたその言葉は、存外にあたりの空間に響いた。セブルスの身体がびくりと震えた、気がした。
「親戚もいなくて、……私、独りになってしまったわ」
闇が強くなっていく中で、覚悟していたつもりだった。ただ、つもりは所詮つもりに過ぎなかったのだ。
「……ヴァレー、君は、」
何かを言いかけたセブルスの言葉が、不自然に途切れた。私の頬を滴る雫が雨だけではないと気付いたのだろう。
「セブルス……肩を、貸してくれる……?」
私のお願いに、彼は何も言わなかった。だけど、拒否もしなかった。そのことに甘えて、私は彼の肩に横向きに顔をうずめた。
両親に最後に会ったのはクリスマス休暇だった。プレゼントを贈りあって、少し豪勢な夕食を楽しくお喋りしながら食べた。頻繁に家に帰っていた訳では無いけれど、家族仲は良かったと思う。でも、こんなことになるなら、もっと帰れば良かった。まだまだ話したいことが、してあげたいことが山程あった。
どうして私の両親が死ななければならなかったのだろう、どうして──
私の涙がセブルスのローブを濡らす。肩口の布の色が変わっても、彼は何も言わずにそのままでいてくれた。どうしたら良いか分からなかったのかもしれない。
けれど、その優しさが、その温もりが嬉しくて、ここにいるのが彼で良かったと、私は更に泣いた。
「ねぇ、名前、呼んで」
「……何故」
「お願い……」
「…………メリル」
長い沈黙の後、彼はそっと私の名前を初めて口にした。正直忘れているかもしれないとも思っていたから、少し驚いてふるりと身体がわずかに震えた。
もう少しだけ、わがままを言っても良いだろうか。甘えていいだろうか。
「メイって……呼んで、くれる……?」
それは両親が--お父さんとお母さんが、幼くて舌の回らなかった私に付けてくれた愛称だった。家族しか知らない、大切な呼び名。
私の言葉に、セブルスは先程より長く沈黙した後。
「メイ」
ああ、と心が震えた。
酷く深く、酷く優しい声で呼んでくれたセブルス。
──ああ、私、彼に恋をしているのね。
初恋だった。そして初恋とは叶わぬものである。セブルスはリリーを想い続けているから。
私の恋は自覚したと同時に破れたのだった。
ホグワーツを卒業後、私はスコットランドを飛び出してイギリス各地──時には国外も──を訪ね歩いた。前々から自分の目で様々な魔法生物や薬草を見てみたかったからだ。また、自分のルーツであるケルトの文化にも触れたかったのだ。──本当は、ホグワーツを離れたかった、というのが大きな理由だった。安全なこの城を出て外に出るという危険を犯してでも、ここから、思い出たちから距離を取りたかった。
セブルスには、何も伝えなかった。卒業後どうするか聞くこともしなかった。それは薄々勘づいてたせいもあったけれど。彼を諦めたかったのもあって、私は一切何も告げずに城を去った。
私は家の管理を申し出てくれたフリットウィック先生にお願いして、いの一番に魔法生物の権威であるニュート・スキャマンダーさんに会いに行った。
スキャマンダー夫妻は突然の訪問にも関わらず、暖かく迎えてくれた。色々とお話を伺い、魔法生物への接し方など学びを得て私は次の地へと旅立った。
そうして、私が懐かしの学び舎であるホグワーツに戻ってきたのは、卒業してから数年経ってからだった。
実は1年ほど前からダンブルドア校長から手紙は届いていたのだ。魔法生物飼育学と薬草学教授補佐に着いてくれないか、と。
先延ばしにしていたのは、踏ん切りがつかなかったからだ。ホグワーツに戻れば、否が応でも思い出が蘇る。私はそれらに上手く折り合いをつける自信が無かったのだ。──そんな自信、今でも無いけれど。
夜のホグズミードに姿現しした私を出迎えたのは、マクゴナガル先生だった。
「マクゴナガル先生!お久しぶりです!」
「久しぶりですね。お元気そうで良かったです」
笑顔で迎えてくれたマクゴナガル先生とぎゅっとハグをする。彼女は私の両親が亡くなってから何かと気にかけてくれていて、卒業後も何度かふくろう便を送り合っていたのだ。家族が、大切な人がいなくなる悲しみや辛さを、夫を亡くした彼女はよく知っているからかもしれない。
マクゴナガル先生と共にホグワーツの門をくぐると、そのまま校長室へと案内された。ダンブルドア校長は変わらないキラキラと輝くスカイブルーの瞳で私を出迎えた。
「久しぶりだのう、メリル。元気そうで何よりじゃ」
「ダンブルドア校長も、お元気そうで良かったです」
「ありがとう。さあ、かけなさい。紅茶でも淹れよう」
「ありがとうございます」
「では、私はこれで」
「ミネルバもご苦労じゃった」
「いいえ」
マクゴナガル先生が退室し、私はダンブルドア校長と彼の淹れてくれた紅茶を挟んで向かいあった。相変わらず和やかに細められた目に、私は「帰ってきたんだな」と少し肩の力が抜けた。どうやら緊張していたらしい。ついでに忘れない内に、と目前の甘党の先生のために買ってきていたお菓子の詰め合わせを差し出した。
「校長先生、これ、お土産です」
「おお、ありがたい!これは嬉しいのう。どれさっそく」
ダンブルドア校長はお菓子の箱を開けて、クッキーを1枚頬張った。そのまま美味しい美味しいと数枚続けて食べてくれた。お口に合ったようで何よりである。
「さて、2、3聞いてもいいかの?」
「もちろんです」
「日刊預言者新聞は読んでおったかね?」
「ええ、ふくろう便の届く範囲で、ですが。例のあの人は死に、『生き残った男の子』がいると。……リリーは、死んだのですね」
「そうじゃ。ハリーを守って、ジェームズもリリーも亡くなってしもうた。……暗い時代じゃった」
「本当に」
一口、紅茶をすする。分かってはいたが、同級生が亡くなったという事実は私の心に暗い影を落とした。
「そういえば、フィリウスが君を助手に欲しかったと嘆いておったぞ」
「フリットウィック先生が?光栄ですけど、呪文学はあまり得意では無くて…」
「何を言う。しっかりE(良)を取っていたと聞き及んでおるぞ」
寮監の授業で不合格を取るわけにはいかなくて必死で詰め込みました、とは言えない。私は苦笑して誤魔化した。
「まあしかし、魔法生物と薬草の世話の方が人手が必要でな。フィリウスには悪いが少々我慢してもろうた」
「ふふ、フリットウィック先生にはお世話になりっぱなしなのに申し訳ないです」
「たまにお茶にでも付き合ってやってくれるかの?」
「もちろんです」
その後は今後の生活についての説明と、明日からスプラウト先生とケトルバーン先生に付いて世話の仕方の引き継ぎを受けるよう伝えられた。
一通りの話が終わった、ちょうどその時。校長室の扉がノックされた。
「おお、良いタイミングじゃ。入ってくれ」
「失礼する」
え、と思った瞬間、ドアを開けて現れたその姿に目を奪われた。
真っ黒な髪に同じ色の瞳とローブのその人は、間違いなくセブルスだった。在学時代より目の下の隈や眉間のシワが染み付いているように見えるが、生きている。暗い方へ行ったはずの彼が、生きているのだ。そのこと自体は嬉しかったけれど──
「彼はこちら側じゃよ。今は先生をしておる」
思わず立ち上がってぱっとダンブルドア校長の方を向いた私へ、最高峰の魔法使いはお茶目に笑った。彼が言っているなら真実なのだろう。経緯は分からないが、セブルスは闇側から脱したのだ。
「セブルス、新年度から魔法生物飼育学と薬草学で教授補佐を務めてもらうメリル・ヴァレーじゃ。親しくしとったから覚えておるじゃろう?」
「ええ、まあ」
セブルスはちらりと私を見て、ダンブルドア校長へ視線を戻した。ぴくりとも動かない表情に、私は突っ立ったまま呆然としていた。
何年も連絡していなかったのだ。彼にとっては、私はもう友人ではないのかもしれない。もしくは元々何とも思っていなかったか──。
「メリル」
「っ、はい」
急にダンブルドア校長に名前を呼ばれ、私は驚いて我に返った。眼前の老魔法使いは本当の祖父かのように優しく微笑んでいる。
「今日はもう遅い。部屋の準備は済んでいるからもう休みなさい。何かあったらまた明日以降来たら良い」
「ありがとうございます」
気遣いに笑顔で礼を言うと、ダンブルドア校長は優しい笑みをそのままに爆弾を落とした。
「部屋にはセブルスに案内してもらうと良い」
「えっ」
「何故我輩が」
「我輩」!?学生の頃は「僕」だったわよね?いやいや今はそれ所ではなく。
「あの、部屋の場所を教えてもらえれば大丈夫です。自分で行けます」
「女性を夜に1人で歩かせるのは気が引けてのう。セブルス、連れて行ってあげてくれるかの?」
「城内ですので問題はありませんって。大丈夫ですよ、子供でもあるまいし」
「やってくれるじゃろ?セブルス」
駄目だ、何言っても通じない……。
にっこりと笑ったダンブルドア校長に私はため息をついてから、さっきから黙ったままのセブルスをそぅっと振り返った。
部屋中の視線を集めた彼は、眉間のシワをそのままに長めのため息をついて「承知しました」と言った。
「よしよし、ご苦労じゃが頼むぞ」
「それでは」
「え、え、ちょっと待っ……」
セブルスは私を置いてさっさと校長室を出て行ってしまった。残された私に向けて、ダンブルドア校長がお茶目にぱちんとウィンクして見せる。それへ私は苦笑するしかなかった。
校長室を退室して階段を降りると、像のすぐ脇でセブルスが静かに待っていた。
「遅い」
「えっと、ごめんなさい。その、本当に部屋の場所さえ教えてもらえればそれで……」
「喧しい。ついて来い」
私の言葉を遮って、セブルスはローブの裾を翻してさっさと歩き出してしまう。私も慌てて後を追った。
セブルスの横に並んで歩くと学生の頃に戻ったかのようで、懐かしさや嬉しさや寂しさが胸の中に渦巻く。そして、やっぱりまだ彼のことを諦めきれていない自分を自覚した。
ホグワーツを卒業する頃には変声期は終わっていたけれど、さっき聞いたようなバリトンボイスではなかった。それに、数年見なかっただけなのに随分と雰囲気が落ち着いていて、同い年に対する言葉では無いが、大人っぽくなっている。
そうやって私がジロジロと観察している視線が鬱陶しかったのか、セブルスは不審そうに顔を顰めた。
「……我輩の顔に、何か付いているかね?」
「え、いいえ、そうではなくて……その、久しぶりに会ったな、と思って」
「ああ、どなたかが何も言わずにいなくなるものでな」
「えっと、私のことを気にしてくれていたの?」
ちょっと自意識過剰だったかしら、と思っていたら、セブルスは私をちらりと見て押し黙ったままだった。
沈黙は肯定と受け取っていいのだろうか?
「アー……その、気にかけてくれてありがとう。私もセブルスが教授になってるなんて驚いたわ。何の教科を教えているの?」
「魔法薬学だ」
「ああ、セブルスは得意だったものね」
「……君もそうだろう」
じとりとセブルスが横目で私を見る。「それはそうだけど」と苦笑。
「貴方ほどでは無かったし、どちらかと言うと魔法生物学や薬草学の方が好きだったわ」
「そうかね」
セブルスはフン、と鼻で笑った。
私がこの数年間どこで何をしていたか簡単に話しながら歩いていると、突然セブルスが1つのドアの前で立ち止まった。
「ここだ」
「ここ?前は空き教室じゃなかった?」
「ダンブルドアが君の部屋として使えるようにしたそうだ」
そう言いつつ、セブルスがドアを開ける。中を覗くと、以前あった机や椅子はほとんど無くなり、代わりに壁に沿って棚が作りつけてある。物置や保管場所として使えそうだ。
「奥にある扉の向こうが君の私室となる。荷物も全て運び込んであるそうだ。手前の空間も自由に使って構わないとダンブルドアが言っていた」
「準備室にでもしようかしら。助かるわ、ありがとう」
「我輩は何もしていない」
「でも、案内も説明もしてくれたでしょう?」
「それくらい、大した手間ではない」
セブルスは眉をしかめてふいっとそっぽを向いてしまった。本当に素直でないというか、感謝をまっすぐ受け止められない所は全く変わっていない。
「じゃあ、私もう寝るわね。改めてありがとう。……生きていて良かったわ、おやすみ」
「っヴァレー」
部屋に入ろうとした瞬間、咄嗟に手首を掴まれて引き止められた。あのセブルスに。
びっくりして彼を呆然と見上げていると、セブルスは何度か口を開け閉めした後苦々しい声で「……いや、何でもない」と言って手を離した。
「どうしたの?」
「何でもない。それでは失礼する」
さっと身を翻して去って行くセブルスの背中を、私は驚きの余韻に浸りながら見送った。
……彼に掴まれた手首が熱い。彼が呼んだ名前を拾った耳も。心臓の鼓動がうるさくて、頬も何だか赤くなっている気もする。そして、あの目。私を見つめるセブルスの瞳の中に何かの色が感じ取れたが、その意味は私には分からなかった。
ホグワーツに戻ってからの数日間は、魔法生物や薬草の世話の仕方の引き継ぎやらフリットウィック先生に管理をお願いしっぱなしだった家の片付けやらで慌ただしく去って行った。
息抜きに城内をふらふらと散歩していると、ちょうど昼食を終えて大広間から出てきたセブルスと出くわした。
「こんにちは、セブルス」
「ああ。……今から昼食かね?」
「ええ、そうなの。あ、そういえば、スプラウト先生が貴方から頼まれていたマンドレイクの根を午後収穫するから、後で教室まで持って行くわね」
「分かった」
頷いたセブルスはそのまま早足で去って行き、入れ替わりで大広間に入った私は、食事中のマクゴナガル先生に挨拶しながら席に着いてテーブルに現れた昼食を食べ始めた。
食事中もどうしても考えてしまう。さっきの私は変ではなかっただろうか。事務的な話しかしてないから大丈夫だとは思うのだけれど。
まだ少し早い鼓動には、気付かぬフリをした。
スプラウト先生と共に安全にマンドレイクの根を収穫し終え、私は少し緊張しながら地下牢教室へ向かった。
「セブルス?入っても?」
ノックしながら中へ声を掛けると、無言でドアを内側から開けられた。相変わらずの無愛想な顔で「入れ」と促した本人は、さっさと大鍋の側へ戻って行く。変わらないなと苦笑して私はセブルスに続いた。
「これくらいの量で足りるかしら?」
「充分だ」
マンドレイクの根を無事にセブルスに渡して、私の仕事は終わりだ。だけど……。
「……まだ何か?」
頼まれ物を渡した後もその場に立ち尽くす私を、セブルスは不審そうに見やる。その視線を感じながらも、私は思い切って口を開いた。
「アー、その、良ければお茶しない?もちろんセブルスが嫌でなければなんだけど」
「……別に構わない。待っていろ、準備してくる」
「カップや茶葉の場所さえ教えてもらえれば私が……」
「人の私室に勝手に入る気かね?」
意地悪く口の端を吊り上げるセブルスへ、私はとんでもないと慌てて首を横に振った。その様子が面白かったのか、彼はフッと鼻で笑って私室へお茶の準備に向かった。
こうして、私とセブルスの不定期のお茶会は復活したのだった。
さて、教授補佐と言っても一日中ずっと仕事をしているわけではない。昼休みはもちろんのこと、空き時間もあるわけで。
そんな時間に私は気分転換に場内を散歩したり、今の様に女性の教授陣と女子会--今回はマクゴナガル先生とスプラウト先生、そしてシニストラ先生の3人との会だ--をしたりしている。
「今月のあのお店の新作が──」
「最近生徒たちの間で──」
4人で他愛も無い話に花が咲く。女性はいくつになっても女子なのである。
「そういえば」
と、ふと話題が途切れたタイミングでマクゴナガル先生が口を開いた。
「メリル、あなた、まだセブルスに恋を?」
「ぶっ」
とんでもない爆弾を投下してきた副校長様は、どこかの校長先生のようにお茶目に微笑んでいる。カーッと顔が赤くなっていくのが分かる。残り2人の先生はきゃあっと少女の様な歓声をあげた。
「な、何をっ、え、せんせい!?」
「あら、その様子だと今も想っているのですね。それと、『先生』ではなく『ミネルバ』と呼びなさい。いつまでも学生気分じゃいけませんよ」
「あ、は、はい、すみません」
反射で謝ってしまったが、それ所の話ではない。スプラウト先生──ポモーナもオーロラも目をキラキラさせてこちらを見ているのだ。とっても嫌な予感。
「セブルスのどこが好きなの?」
ほら来た。女性はいくつになっても女子であるので、恋バナの気配に敏感だしグイグイ来るのだ。
「あー……えっと……」
「誤魔化しや嘘は無しよ?」
オーロラが琥珀色のアーモンドアイを煌めかせながらじりじりこちらに迫ってくる。彼女は全女子生徒が1度は憧れるほどの麗人だから、より圧が強いのだ。
「どこと言われましても……向上心というか、知識欲が強いところとか」
「今でも薬草について質問を受けるわ」とポモーナ。
「真面目なところとか」
「息抜きを覚えて欲しいくらいね」
ミネルバが苦笑する。
「あと、分かりにくいけれど優しいところとか」
「それは近しい人間しか知らないことね」
愉快そうにオーロラが笑う。
「「「そして1番のポイントは?」」」
3人が声を揃えて言うものだから、私は少し笑ってしまった。本当に皆女子学生みたいな瞳の煌めきだったから。
でも、その答えを言うのは、私には少し勇気がいることで。
「……一途で、情が深いところ」
私の言葉に、ミネルバがハッとした顔をした後、切なそうに微笑した。彼女は大まかなことは知っているのだろう。ポモーナとオーロラは、ミネルバの表情から何かを察したのか神妙な顔になっていた。
そんな顔をさせたい訳ではなかったから、ツキリと胸が痛む。
「彼には、伝えないのですか?」
ミネルバがそっと聞いてくれる。きっと私の心を案じてくれているのだろう。
「伝えるつもりはありません。セブルスの負担になりたくないんです。そうでなくても深く傷ついているのに……」
「そう……。心の傷は、もちろん時間も癒してくれますが、愛もまた癒しとなり得るのです。覚えておいてくださいね」
「分かりました」
私の返事に、ミネルバは慈愛に溢れた笑みを浮かべて頷いた。
初めまして、細雨(さざめ)と申します。
ずっと好きだったハリポタに何度目か分からない再燃しましたので書きました。
これから気長によろしくお願いします。