試験は大きなトラブルも無く、無事に終了した。
そう、試験「は」。
私はというと、セブルスと同じ空間にいるのが気まずいことこの上無かった。食事の席は隣同士だし、試験監督も補助として行ったしで、顔を合わせるタイミングはあったのだが、言葉を交わすことは一切無かった。むしろ避けられていた。
こちらも何と声を掛けて良いか分からなかったため積極的に話し掛けに行くことはしなかったのだが、そのままあれよあれよという間に放課後になってしまった。
試験の後片付けを済ませ、セブルスを探そうとした矢先、魔法省からダンブルドア校長宛に特急のふくろう便がやって来た。急いで校長室に持って行き手紙を手渡すと、ダンブルドア校長はその場でそれを開封した。
「ふうむ、緊急の呼び出しのようじゃ。ミネルバにわしが魔法省に出向くことを伝えてくれるのかの?」
「分かりました」
いつも持ち歩いているフクロウフーズをあげると、魔法省から来たふくろうは嬉しそうにホーゥと鳴いた。
玄関ホールまでダンブルドア校長を見送りに行くと、ちょうど大量の本を抱えたミネルバに出会した。魔法省からの呼び出しがあったことを伝えると彼女は少し驚いたようだった。
「まだ試験が終わったばかりなのに、一体何の用でしょう」
「行ってみれば分かるじゃろう」
「ミネルバ、本を運ぶの手伝います」
「ありがとう、メリル」
ミネルバの細い腕から多めに本を取り、2人でダンブルドア校長を見送った。
彼女は本を図書室まで運ぶと言うので、一緒に歩き始めた。するとすぐに、ついさっきまでいた玄関ホールにバタバタと走り込んで来た人物がいた。
「そこの3人、こんな所で何をしているの?」
サッと振り向いたミネルバが声を掛ける。遅れて私も後ろを見ると、ハリー、ロン、ハーマイオニーの仲良し3人組だった。
「ダンブルドア先生にお目に掛かりたいんです」
ハーマイオニーが緊張気味に言うと、ミネルバは訝しげな表情になった。
「ダンブルドア先生にお目に掛かる?理由は?」
ハリー達は一瞬グッと言葉に詰まったが、すぐに「ちょっと秘密なんです」と言った。
……物凄く怪しい。そんな理由では、どんなに優しい先生でもダンブルドア校長に会わせなければとは思わないだろう。
私の予想通り、ミネルバは素っ気なくダンブルドア校長が出掛けたことを子供たちに告げた。
「魔法省から緊急のふくろう便が来て、すぐにロンドンに飛び発たれました」
「先生がいらっしゃらない?この肝心な時に?」
ハリーが慌てたように大声を出した。
肝心な時?何だろう、何かあっただろうか?
内心首を傾げながら、私はミネルバと3人のやり取りを見守っていた。
「ポッター。ダンブルドア先生は偉大な魔法使いですから、大変ご多忙でいらっしゃるーー」
「でも、重大なことなんです」
「ポッター。魔法省の件より貴方の用件の方が重要だと言うんですか?
「実は……先生……『賢者の石』の件なのです……」
「!?」
何故そのことをこの子たちが……!?
驚きにヒュッと息を呑む。
隣でバサバサと本が落ちる音がして、私は我に返った。
「どうして、それを……?」
ミネルバが珍しくオロオロとしている。本を拾おうともしない彼女に、その動揺の強さを知る。私も似たような物なのだけれど。
それでもハリーは構わず言葉を続けた。
「先生、僕の考えでは、いいえ、僕は知ってるんです。スネ──いや、誰かが『石』を盗もうとしています。どうしてもダンブルドア先生にお話しなくてはならないのです」
「知ってる」?どういうことだろう?ハリーが何を知っていると?あの「石」のことは、教員たちとハグリッドしか知らない筈だ。
私が考えを巡らせている間に、ミネルバも自身の動揺を抑えて平静を取り戻したようだった。しばらくハリーたちを見つめてから、キッパリした声で言った。
「ダンブルドア先生は、明日お帰りになります。貴方たちがどうしてあの『石』のことを知ったのか分かりませんが、安心なさい。磐石の守りですから、誰も盗むことはできません」
「でも先生……」
食い下がろうとしたハリーに、ミネルバは首を振った。
「ポッター。二度同じことは言いません。三人とも外に行きなさい。せっかくの良い天気ですよ」
「ヴァレー先生、聞いてください」
「ハリー、ミネルバの言う通り大丈夫よ」
ハリーが縋るように私の方を向いたが、私は言い聞かせることしかできない。あの「石」の守りには、ダンブルドア先生を筆頭に多くの先生たちが関わっている。何かあったとしても、簡単には突破できない筈だ。
ミネルバが本を拾うのを手伝い、私たちは納得いっていない顔の3人と別れて図書室に向かった。
「……どうしてあの子たちが『石』のことを知っていたのでしょう……」
本をマダム・ピンスを返して図書室を出たところで、思わずといった風にミネルバは呟いた。
「全く分かりません。でも……少し気になりますね」
「ええ、そうですね。念の為4階を見て来ようと思います。メリル、貴女は今日はこの後休みになっていましたね?」
「そうですけれど、良ければご一緒しましょうか?私も気になりますし」
「いえ、それには及びませんよ。せっかくの天気です、貴女も外に行ってきなさい」
「分かりました」
ミネルバは優しく微笑み、階段ホールの方へ歩いて行った。私も言われた通り外に出て気分転換しようと、玄関ホールへと足を向けた。
すると。
「あ……」
廊下の向こうからセブルスが歩いて来た。思わず立ち止まった私に気付いたのだろう、彼は苦々しい表情になった。そのまま、立ち尽くす私の横を足早に通り過ぎ、セブルスは職員室の方へと去って行ってしまった。
以前だったら一言二言言葉を交わしていたタイミングだったのに。
──もしかして、嫌われてしまったのだろうか。
その可能性に思い至った瞬間、疲れのせいで重かった身体が更に重くなった。その上鼻の奥もツンとしてきたため、私は慌てて外に出た。
至る所で生徒たちが試験からの解放を喜んでいるのを横目に、私は人目を避けるように禁じられた森へと早足で向かった。
ハグリッドの小屋の側まで来ると、その影になる場所に白銀色がチラついた。もしかして、と思って近付くと、やはりあの日瀕死の重傷を負っていたユニコーンだった。
「おや、ヴァレー先生、いつの間に来てたんで?」
擦り寄ってきたユニコーンの鬣を撫でていると、小屋の扉からひょっこりとハグリッドが顔を出した。
「ついさっきよ。この子、あの日助かった子よね?」
「ああ、そうです。先生を覚えとるみたいですな」
ハグリッドは「俺にはちっとも撫でさせちゃくれねぇ」と文句を言いつつも顔をデレデレさせている。その言葉通り、側まで歩いて来たハグリッドが気に入らないのか、ユニコーンは蹄で地面を掻いた。
「しばらくこいつはここに置いとかにゃならんが、名前が無いと不便でならねえ。先生、名前付けてやってくれねえですか?」
「私?」
「ああ。こいつも先生を気に入っとるみたいなんで」
「構わないわよ。そうね……」
うーん、としばらく視線をさ迷わせる。名付けなんて今までしたことないから妙に緊張してしまう。この子らしい名前を付けてあげたい。ユニコーンといえば無垢なる生き物よね、純真な生物……。
「そうだ、『アルバ』はどうかしら?ラテン語で『白』を意味するのよ」
「良い名前だな。こいつも気に入ったようだです」
ユニコーンは嬉しそうに鼻先を私の手の平に擦り付けてきた。どうやら気に入ってくれたみたいでホッとした。
「ちょくちょく様子を見に来てやってくだせえ。こいつも喜ぶ」
「ええ、もちろんよ。また来るわね、アルバ」
手を振って別れを告げると、ユニコーン──アルバはぶるりと首を降って答えてくれた。ハグリッドが手を振って見送ってくれたのに応えながら、私はホグワーツ城へと戻った。
アルバのお陰で冷静さを取り戻した私は、夕食前にシャワーを浴びようと自室に帰って来た。
熱いシャワーを頭から被っていると、セブルスの存在で失念していた問題がふと思い出された。
「ハリーたちは何故『石』のことを知っていたのだろう……それに、盗むって誰が……?」
何者かが城に入って来るということ?ホグワーツに忍び込むのは中々に大変だ。姿現しはできないし、ホグワーツ特急は乗車人数ちょうどになるようにコンパートメントが拡大されているから、1人でも溢れていたらすぐに分かる。可能性があるとしたらホグズミード村からの侵入だけれど、不審者の知らない匂いをミセス・ノリスが見逃すとは思えない。猫は人間の何倍もの嗅覚を持っているからだ。しかも魔法生物飼育学の一環でニーズルも飼育している。あの子たちは悪い人間を見分けることができるから、下手に忍び込んで来た者がいてもすぐに分かる筈だ。
「でも……何の根拠も無くあんなことを言う子たちじゃないわ……」
どうしてもあの発言が引っ掛かる。スッキリしたようなモヤモヤしたような頭を抱えたまま身支度を整え、私は夕食を摂るために大広間へ向かうために部屋を出た。
朝と変わらず、夕食も気まずさを味わって終わった。この状態が続くなら、ポモーナの横にでも席を変えてもらった方が私にとってもセブルスにとっても良いかもしれない。……全く気乗りしないけれど。
さっさと自室に引っ込んだ私は、試験の間疎かになってしまった薬草たちを丁寧に世話した。もう少し危険度の高い薬草も栽培してみたいが、如何せん現段階でかなりプランターが多いため、中々難しいかもしれない。
少し元気の無くなっていたクマツヅラに手を翳して、慎重に魔力を分け与える。こうすることで余程枯れかけでない限りは、薬草が回復することを最近発見したのだ。まだ実証実験段階ですらないが、育ちも良くなっている、と思う。以前セブルスに渡したウルフスベーンも、同じように魔力を流すことで発育を促した物だ。彼も品質が良いと評価していたから、私の推察も間違っていない筈だ。
今後どういう薬草で実験してみるか考えながら世話していると、いつの間にか消灯時間をとうに過ぎてしまっていた。
もう学生ではないからベッドに入らなければならない訳ではないが、時刻を意識すると何となくそわりとしてしまう。
まだハリーの言葉でモヤモヤが晴れないし、少し嫌な予感もするから、念の為4階を見回ってから寝よう。
そう思い、私は部屋を出て動く階段までやって来た。
「こんばんは、ミセス・ノリス」
途中、ミセス・ノリスが1匹で見回っているのに遭遇したため挨拶すると、いつもは擦り寄ってきてくれる彼女が今日ばかりはジッとこちらを見上げたままでいる。
──何かあったのかしら。
嫌な予感がいや増した。誰かと一緒に行った方がいいのかもしれない、そう思ったその時。
「…………何をしている」
「っ!セブルス……」
背後から投げ掛けられたバリトンボイスに、びくりと肩が震えた。ゆっくりと振り返ると、案の定全身真っ黒な彼が苦虫を噛み潰したような表情でそこに佇んでいた。
「こ、こんばんは。貴方こそどうしたの?見回り?」
「その様な物だ。君は猫と見つめ合っていたようだが、喧嘩の売り買いでもしていたのかね」
「いえ、あの、そういう訳じゃないのだけれど……」
目と目を合わせたら喧嘩を売っている合図、とは猫の習性で良く聞くことだ。まさかセブルスが知っているとは思わなかったが。
突然のセブルスの登場に動揺したのだろう、思考が明後日の方向へ行きそうになるのを引き戻し、私は一緒に4階に行くことを提案した。
「……何故そこに?」
セブルスは眉間に皺を寄せて訝しげに問い返してきた。
「ミセス・ノリスもいつもと違う様子だし、何だか嫌な予感がするの。誰か呼びに行こうと思ったところで貴方が来たから、その、都合が悪くなければ……」
「…………君の勘は良く当たる。急ごう」
さっと階段を登り始めたセブルスに続いて、私も階段が動く前に急いで駆け上がった。
いつも思う。嫌な予感程外れて欲しいと。それが叶ったことなど無いに等しいのに。
4階のあの部屋の前に辿り着いた私たちが見たのは、半分程開いた扉とその奥でしょんぼりしているフラッフィーの姿だった。その足元の扉はしっかりと開いている。
「嘘でしょ……」
「ダンブルドアに報せを送る。少し待て」
「分かったわ」
杖を取り出すセブルスを横目に、私はぐるりと室内を見渡した。申し訳なさそうに私を窺うフラッフィーを安心させるために微笑み、気付いた。部屋の隅に大きなハープが置いてある。
間違い無い、侵入者だ。しかもフラッフィーの弱点を分かっている。ということは、他の守りについても知っている可能性が高い。
私は胸中の気まずさを放り投げて、急いでセブルスへ叫んだ。
「セブルス!『石』が危ない!私見てくる!」
「待て!」
フラッフィーの足元の扉に飛び込もうとすると、ぐいっと腕を引かれた。驚いて振り返ると、セブルスが目に焦燥の色を浮かべながら私の腕を掴んでいた。
「危険だ、ダンブルドアを待った方が良い」
「でも……!」
恐らく時は一刻を争う。危険なのは承知だが、フラッフィーを突破できてしまったのなら他の守りも破られてしまうかとしれない。担当した先生方からどんな守りにしたのか、概要は聞いている。1人でも何とか対処できるはずだ。
しかし、セブルスの言い分も理解できる。侵入者の力量が分からない以上、下手に先走ってもどうにもならない可能性もある。
迷ってふと目を逸らした先、白銀の牝鹿がさらりと走り去って行くのが見えた。守護霊だ。彼らを呼び出すためには幸福な記憶が必要となる。セブルスにとっての幸せはリリーとの時間だろう。だから、あの牝鹿はきっと彼女だ。
見ていられなくて、ズキズキと痛む胸が促すまま目を逸らす。その様子をどう見たのか、セブルスは「メリル」と焦りの滲んだ声音で私の名前を呼んだ。
「1人で行こうと思うな」
「……ダンブルドア先生は魔法省よ。いつ帰って来られるか分からない。私は行くわ」
改めてセブルスの目を見詰めて言うと、彼はしばらく私を凝視した後長い長い溜息を吐いた。
「…………我輩も行こう」
「ありがとう」
ゆっくり私の腕を放したセブルスは、再度溜息を吐いた。
室内に踏み込むと、さっきまで項垂れていたフラッフィーが唸り声を上げて威嚇してきた。その顔は3つともセブルスの方を向いている。前に押し入って来た──セブルスとしては『石』の安全を確認したかったのだろう──人間がいるのだ、当然の反応とも言える。
杖を構えたセブルスを制し、私はフラッフィーに「フラッフィー、おすわり、待て」と命令した。
渋々おすわりしたフラッフィーが、それでもじっとセブルスを睨み付けているのを尻目に、私は足元に開いている扉の中を覗き込んだ。
「良く躾られたな」
同じく慎重に覗き込んできたセブルスが呟く。
「何度か餌をあげて遊んであげたのよ。それで懐いてくれたみたい。……先に行くわね」
「おいっ!」
セブルスの制止の声を振り切って飛び降りる。何とか着地して無事を知らせると、盛大な舌打ちと共にセブルスも降りて来た。
「単独行動は危険だと何度言ったら理解するのかね」
「でも、あの扉は大人2人同時には潜れないわよ。ルーモス」
素早く抜いた杖先に光を灯すと、密やかに足元に絡みついてきていた悪魔の罠がその蔓をザザザッと音が鳴る程勢い良く退けた。
「……一言ぐらい何か無いのかね」
「セブルスだって気付いていたでしょう?」
「当たり前だ」
下に思い切り落とされたセブルスは、何とか尻餅をつくことは免れたようだ。不意打ちのせいだろう、苦虫を噛み潰したような顔で睨み付けられてしまった。「じゃあ問題無いわね」と言うと、大きな溜息が返ってきた。
一本道になっている通路を歩き始めたところで、セブルスが早口で「実は」と口にした。
「消灯時間の直前に、ドラコが相談に来た。ポッターたち3人がしていた話の内容が気になったと」
「どういうこと?」
「試験終わりに湖の側で話していた言葉が切れ切れに聞こえたそうだ。『石』、『フラッフィー』、それに『スネイプ』と。問い質そうとした時には走り去ってしまったそうだが、我輩の名前が出ていたゆえ悩みながらも伝えに来たようだ」
「それって……あの子たちがこの先にいるってこと?」
「玄関ホールで何やらコソコソしていた、可能性はある」
私は無言で走る速度を上げた。ハリーたちがいたとしても、ハープを持ち込んだのは彼らでは無いだろう。縮小呪文はまだ習っていないはずだし、ハープを手に入れる手段も無い。ということは、どこかで侵入者と鉢合わせているかもしれないのだ。
ようやく通路の出口に出て、私は絶句した。室内を無数の小鳥、いや羽のついた鍵がそこら中を飛び回っている。呼び寄せ呪文は使えない。次の部屋へ続く扉の前には箒が3本。あれで取れということだ。
「セブルス、貴方、箒はお得意?」
「口が裂けても得意とは言えんな。君は?」
「右に同じくよ。でもどの鍵かは分かるわ。あの明るい青の羽の鍵よ」
私が指差した先で、羽が片方ひんまがった銀の鍵がヨタヨタと飛んでいる。私とセブルスは目を合わせて頷き合い、走って箒を掴み地面を蹴った。
「壁際まで追い込むわ。後は頼んで良いかしら?」
「何とかしてみせる」
「頼むわね」
右に左に飛行しながら、牧羊犬のように鍵の群れをセブルスの待機する場所まで追い込む。反対側からセブルスが群れに突っ込んだ。
「セブルス!」
「掴んだ!行くぞ!」
勢いそのままに着地し、バタバタと暴れる鍵を力尽くで鍵穴に突っ込んで回した。
扉が開くと鍵は素早く逃げ去ったが、用は済んだため私たちは一瞥することなく次の部屋に入った。
すぐに目に入ったのは大きなチェス盤。ミネルバの言っていた通りだった。
「先生!先生!!ここです!」
「ハーマイオニー!」
「やはりか……!」
部屋の端に積み上がったチェスの向こう側から、ハーマイオニーの必死の叫びが聞こえた。彼女からは私たちの姿が少し見えたらしい。急いで声の方向に向かうと、横になったロンの頭を膝に乗せたハーマイオニーが今にも泣きそうな顔で私たちを出迎えた。
セブルスの姿を捉えた瞬間ハッとした表情になった彼女は、しかしすぐに「ハリーがこの先に……!」と揺れる声で言った。
「ハリーが?あの子1人で?」
「そうです!ああ、私もついて行けば良かった……!でも、ハリーが戻れと言ったから……」
「ハーマイオニー、落ち着いて。ロンは気を失っているだけね?」
「そうです、先生。でもチェスの駒に頭を殴られました!」
「不用意に動かすのは危険ね。セブルス、浮遊呪文でロンを運んで。ハーマイオニーと一緒に」
「君は?」
それまで黙っていたセブルスが口を開いた。
「私はハリーのところに行くわ」
「危険だ。我輩が行く」
「いいえ、貴方の方がダンブルドア先生が到着する前に何かあった時にすぐ動ける。説明も的確だし、もしもの時に治療もできるわ。……頼むわね」
「メリル!」
走り出した私の後ろから、セブルスが「待て!」と制止の声を投げてきた。振り向くと飛んで来たのは1本の試験管。それが何なのか聞く前に、セブルスは「それを飲めば通り抜けられる」と苦々しく言った。セブルスが担当した部屋で使うのだろう。
「ありがとう!」
私は次の部屋への扉を押し開けた。
おそらく侵入者が倒したのだろう、血だらけで気絶しているトロールの横を走り抜け、更に扉を開ける。その敷居を跨ぐと、たちまち入口が紫の炎に包まれた。同時に前方の扉にも黒い炎が立ち昇る。
「ここで飲めということね」
テーブルの上にある巻紙を流し見て、意味するところを読み取る。本来は空の2つの瓶の内、1番小さな物を飲み干せば先に進めるらしい。
次が最後の部屋だ。あそこの仕掛けに関しては、ダンブルドア先生に聞いてもにっこり笑ってはぐらかされたから、何が待ち受けているのか全く分からない。
腹を括った私はセブルスに貰った試験管の中身を一気に飲み干し、炎の出口を潜った。
そうして、見た。
ハリーの上に跨って焼け爛れた手で杖を構え、今にも死の呪文を唱えんとする──クィリナスの姿を。
「クィリナス!」
咄嗟に攻撃呪文をクィリナスに向けて放ったが、彼はギリギリのところでプロテゴでそれを弾いた。しかしおかしなことに、クィリナスは引き攣った顔になって私を凝視した。次第に青い顔で震え出した彼は、ヨタヨタと覚束ない足取りでハリーの上から退いて後ずさる。
その隙に、私はハリーを庇うようにクィリナスの前に立ち塞がって杖を向けた。目を合わせたクィリナスの瞳は、動揺からか激しく揺れている。
「メリル……ああ、どうして……どうして来てしまったのです……」
「生徒を守るためよ。私は教師だもの。貴方もそうでしょう、クィリナス」
「……い、いいえ、いいえ私は……」
「クィリナス、貴方は賢くて優しい人よ。まだ引き返せる。だって、貴方はユニコーンの命を奪わなかった、そうでしょう?」
「あれは、あれは違うのです……あれは貴女が……」
「何をぐずぐずしている!愚か者め、そんな女、さっさと小僧ごと始末してしまえ!」
「誰!?」
唐突に響いた別人の声に、鋭く誰何の声を投げる。ハリーがすかさず私の後ろから「ヴォルデモートです、先生!クィレルの頭に引っ付いてるんだ!」と叫んだ。
頭に引っ付いている!?どういうことなの!?
咄嗟にクィリナスの頭部を見ると、ターバンも髪も無い頭頂部の向こう側で、何かが蠢いているのが辛うじて見て取れた。
全く意味が分からないが、あれが「例のあの人」らしい。心臓が早鐘を打つ。いつの間にか、ネックレスが火傷しそうなくらいに熱を持っていた。
あれが、予感の正体か。クィリナスと近付く度にネックレスに熱を持たせた原因。
どうする?あんな状態になっている理屈が分からないから、対処方法も正直検討がつかない。でも、ハリーは守らなくては……!
私が静かに動揺している間も、眼前のクィリナスの震えは大きくなり縋るように杖を両手で持っている。
「殺せ!早くしろ!」
「ご主人様、私には……私にはできません……!ああ、メリル……!」
「この愚か者が!殺せ!殺すのだ!」
「お許しを……ご主人様……!できないのです……!どうしても!」
クィリナスが悲痛な声で叫んだその時、ハリーが私の背中から飛び出した。私が止める間も無く、ハリーは震えるクィリナスの両手を自らの両手で掴んだ。
「あああああああぁぁぁっ!!」
酷い悲鳴が室内に響き渡る。ハリーが掴んだ部分から、どんどんと凄い速さでクィリナスの皮膚が焼け爛れていく。あまりの痛みにクィリナスが暴れ、ハリーを引き剥がそうともがく。しかし、ハリーは力の限り強くしがみついて、決してその手を離さなかった。
爛れが首元にまで及び始めたその時、クィリナスの後頭部から黒い霧が飛び出した。それは天井近くまで飛び、くるりと方向転換した。
霧に顔がある!白い蝋のような、恐ろしい顔が!
その顔はギリギリと歯を食いしばるような悔し気な表情でクィリナスへ吠えた。
「愚か者め!わしを拒絶したな!?」
「ああ……ああ……ご主人様……!」
「貴様ああああああああ!」
手も首も焼け爛れ、崩れ落ちる様に倒れ伏すクィリナス。その手にしがみついていたハリーも一緒に倒れた。黒い霧──『例のあの人』はその2人へ向けて突進した。
「ハリー!クィリナス!」
目まぐるしく変わる展開に手をこまねいていた私は、咄嗟に2人を守るために覆い被さった。
「ああ……!」
霧が身体を通り抜けた。酷く冷たい衝撃が全身を襲う。ごっそりと魔力が持って行かれて、意識が遠のく。
ハリーは、クィリナスは、無事だろうか……..。
意識が闇に落ちて行く間際、瀕死のクィリナスにエピスキーを唱えたのを最後に私の意識は途絶えた。
どこか遠くで、ハリーと私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
夢を、見た。
まだホグワーツの生徒だった時の夢だ。偶然通りがかった廊下の向こう側から、例の4人組がバタバタと曲がってきて危うくぶつかりそうになった。
「気を付けろよ!」
「なっ……!」
そっちが走ってきたからじゃない!
口から飛び出かけた言葉は、結局向こうが走り去ったことでどこにも行かなかった。最後尾にいたリーマス・ルーピンだけが、申し訳なさそうにちらりとこちらを見て同じく走って行ってしまった。
理不尽に憤慨しながらも、廊下を曲がって驚愕した。
「セブルス!」
「……君か」
全身びしょ濡れのセブルスがそこにいた。脇に抱えた教科書や巻紙までぐっしょり水浸しになってしまっている。もしかしなくてもさっきの4人の仕業だ。
「待ってて、すぐ乾かしてあげ「必要無い!」……セブルス?」
「僕に構うな!」
私を睨み付けたセブルスの瞳は、燃えるような怒りの色を宿していた。
伸ばした手は振り払われて、セブルスは背を向けて走り去った。
今なら分かる。私は彼を傷つけてしまったのだ。4人組に、特にジェームズ・ポッターにしてやられたばかりか、私に同情されたことに耐えられなかったのだ。
もちろん私に悪意は無かったが、そんなことは関係無い。
私のせいでセブルスは傷ついた。それが全てだ。
そうして、私はまた同じ間違いを犯した。同情したと思われるような行動を取ったのだから、セブルスが怒るのも当然なのだ。誤解だとしても。
彼に謝りたい。隣にいられなくても、唯一になれなくても。少しでも共にいられるように。
お願い……私を嫌わないで、セブルスーーーー
眩しい光の中で、私は目を開けた。ベッドを囲う白いカーテンが真っ先に目に入り、今いる場所が医務室だと分かった。
ふっと視線を横に向けると、頭のてっぺんから爪先まで真っ黒な男が枕元に静かに佇んでいた。
「セブルス……?」
「…………メリル」
ふーっとセブルスが長く息を吐き出した。それは紛れもなく、安堵の色を滲ませていた。
ああ、と思った。目覚めて安心されるくらいには、まだ嫌われていない。
それでも、私はセブルスに言わずにはおれなかった。
「セブルス……ごめんなさい」
「……君が謝る理由が分からない」
1度伏せた目をセブルスへ向ける。その黒色に、申し訳なさで今にも泣きそうな女の姿が反射していた。
「私、貴方を傷つけたわ……憐れんだつもりは全く無かったけれど、そうと思われても仕方が無かった……」
「それはっ……それは、君のせいでは、断じてない。我輩は、君が原因で傷ついたことなど1度として無い」
……そうなのかな、でも、貴方が言うならそうなのかもしれない。
何とも分かりにくいセブルスのことだから、その言葉全てを鵜呑みにはしにくいけれど。
「私を、許してくれる……?」
「勿論だ。そもそも君に責など無い」
ーーああ、良かった。
嬉しさと安堵で胸がいっぱいになる。
「……何故泣くんだ」
つうっと流れた一筋を、セブルスの指が優しく拭う。その感触が少し擽ったくて目を細めると、セブルスが1度口を開け閉めした後、意を決したように重い口を開いた。
「メリル、我輩は、私はーー」
その時、ハッとした表情になったセブルスは私の頬を撫でていたサッと手を引っ込めて元の体勢に戻った。どうしたことだろうと首を傾げたのと同時に、閉まっていたカーテンが少しだけ開かれ、ダンブルドア校長がひょいっと顔を覗かせた。
「おや、お邪魔してしまったかの?」
「いいえ、先生、今起きたところです」
「すまんが、ちと失礼するぞ」
ダンブルドア校長は、キラキラとした目を細めながら歩いて来てセブルスの隣に立った。未だ横たわったままの私を覗き込んで、うんうんと確かめるように2、3度頷くと、
「うむ、大丈夫そうじゃな。あとはゆっくり寝ていれば元気になるじゃろう」
と優しく微笑んだ。
そこで私はようやくハッとして、慌てて身を起こしながら、
「先生、ハリーは無事でしょうか?クィリナスは……?」
と聞いた。そんな私にまだ寝ているように促しながら、ハリーは昨日目を覚ましたことをダンブルドア校長は教えてくれた。
大人しくベッドに戻りながらも、もう1人の方は、とじっとダンブルドア校長を見詰めると、彼はふぅっと悲しげに息を吐いた。
「……クィリナスは聖マンゴに入院しておる。かなりの重傷じゃった。しかし、メリル、君の応急処置呪文のお陰で何とか命を拾ったらしい」
「では生きているのですね……!良かった……」
2人の無事に安心したせいか、本格的に涙が出てきてしまった。
ダンブルドア校長は私が落ち着くのを辛抱強く待ってくれた。
「……取り乱してすみません。あの、クィリナスがハリーに触ると触った部分が焼け爛れていたのは何故なんでしょう?それに、『石』はどうなったのですか?」
「君もハリーも同じことを気にするのじゃな。いやはや、驚いた。ハリーに教えておいて君には教えんとはいかぬじゃろう。まず1つ目の質問じゃが、ハリーの母上リリー・ポッターはあの子を守るために死んだ。その深く強い愛があの子には残っておる。その素晴らしいものゆえに、愛を理解できないヴォルデモート、そして彼を宿していたクィリナスがハリーに触れるのは苦痛でしかなかったのじゃ。そうして、2つ目の質問じゃが、……『石』はの、壊してしもうた」
「えっ!?」
壊してしまった!?では、フラメル夫妻は……!
「ニコラスたちは死ぬじゃろうが、あの2人は身辺をきちんと整理するのに十分な命の水を蓄えておる。わしとニコラスはおしゃべりしてこうするのが1番良いということになったんじゃ」
だから大丈夫だと言いたいのだろうか……?
時折、ダンブルドア校長の真意が掴みかねる時があるが、今はまさにそれだ。しかし、フラメル夫妻も同意の上なら、「石」は無くなって良かったのだろう。存在すれば、また「例のあの人」に……
「先生、そうだ、『例のあの人』がクィリナスに引っ付いていたんです……!最後は黒い霧になってクィリナスから出ていったのですが、『例のあの人』はいなくなったのですか?」
「いや、いなくなったわけではない。どこかに行ってしまっただけじゃ。クィリナスのように、誰か乗り移る身体を探していることじゃろう。本当に生きている訳ではないから、殺すこともできん。もしかすると、また誰かが今回のように戦わなければならないかもしれん」
「そう、ですか……」
またあんな命懸けの戦いがあるかもしれないと考えるだけで身震いする。もし次も巻き込まれてしまったら、次は生き残れるだろうか……。
私が暗い表情になったのを見逃さなかったのだろう、ダンブルドア校長は殊更優しく、
「安心しなさい。今回ヴォルデモートはかなりのダメージを負ったはずじゃ。しばらくは何もできんじゃろう」
と言ってくれた。
私がホッと息を吐いた時、またもカーテンが開かれ、マダム・ポンフリーが顔を出して目を丸くした。
「まあ、メリル!起きていたのですね。本当に良かった!」
マダムはセブルスやダンブルドア校長と逆の枕元まで早足でやってくると、「痛いところは?違和感があるところはあるかしら?と矢継ぎ早に聞いてきた。その全てに「いいえ」と答えると、マダムはようやく安心したかのように息を吐いた。
「後遺症は無いようですね。それにしても、人が2人もいながら誰も私にこの子が起きたことを知らせてくれないなんて!」
マダム・ポンフリーがぷりぷりと怒るので、ダンブルドア校長は「すまんのう」と苦笑した。
「お詫びと言っては何じゃが、セブルスが回復薬を調合してくれるじゃろう。何せ今日の夜には学年末のパーティーがある。生徒たちもメリルの顔を見たいじゃろうて」
「今日が……学年末パーティー!?私、4日間も眠っていたのですか?」
「そうじゃよ。だからセブルスは君のことを心配して毎日見舞いに……「ダンブルドア」おっと、口が滑ってもうた」
ダンブルドア校長の言葉をセブルスが遮ると、先生は悪戯が見つかった子供のようにお茶目にウィンクしてみせた。
「とにかく!パーティーまではメリルにはしっかり休んでもらいますからね」
「はい、マダム。心配かけてごめんなさい」
「そこはお礼を言ってくれた方が嬉しいわ」
「ありがとうございます」
にっこりと笑ってくれたマダム・ポンフリーに微笑み返していると、ダンブルドア校長が「そろそろお暇しようかの」とカーテンの向こう側に出た。しかし、すぐに顔だけ戻して、
「またパーティーで会えるのを楽しみにしておる」
とだけ言い残して医務室を出て行った。
セブルスも再度私の顔をじっくりと見た後、無言でカーテンの向こう側へと去って行った。
「やれやれ……。何かしら一言でも言ってから行けばいいのに」
気が利かないんだから、とマダム・ポンフリーが首を振るのに苦笑し、薬が届いたら起こしに来るというマダムの言葉に甘えて私はもう一度目を閉じた。
10話目です。半分クィレル先生のための回と言っても差し支え無い、かもしれません。その割に本人は出て来ませんが。 原作にどう主人公を入れ込んで行くか、常に悩むところですね。 主人公がちょこちょこ置いていた布石が作用してクィレル先生はあのような結果になりました。それについての物語はまた別で。