百合の影から覗いて   作:細雨

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「幸福」~中編〜

自分の城でもある魔法薬学の教室に戻ってきた私は、すぐに魔法薬の調合に取り掛かった。もちろん、乱れに乱れた精神を平静に戻すためだ。

時間を忘れる程に集中した結果、いつの間にか昼を過ぎていた。曲がっていた背を伸ばすと、盛大に骨が鳴る音がする。それ程の時間、調合に集中していたという証拠だが、最近作成できていなかった魔法薬も調合できたため良い復習になった。

調合の片付けと室内の整頓をしていると、そろそろ夕食のために大広間へ向かわなければならない時間となっていた。

少々の達成感と共に部屋を出て廊下を進んでいると、後ろから声を掛けられた。

「セブルス」
「……メリル」
そわりとざわつく内心を無愛想な表情で覆い隠して、私は足を止めて振り向いた。少々照れているような顔のメリルが横に並ぶのを確認し、再度歩みを開始する。
「何か用か」
「アー、あの、言いそびれていたのだけれど、クリスマスプレゼントありがとう。それで、その、夕食後にお茶でもどうかしら?もし暇なら、だけど」
「見回りの前なら空いている」
「良かった、そちらにお邪魔しても?」
「ああ」
私が頷いたのと同時、夕食の香り漂う大広間に到着した。

直前に生じた内心のさざ波を抑え、夕食は何事も無く終了した。

自室に戻りしばらくすると、地下牢教室の扉がノックされる音が響いた。訪ねてきたメリルを中に招き入れ、いつも通り適当な椅子に腰掛けようとする彼女に待てを掛けた。
「どうしたの?あ、別のテーブルを使う?」
「そうではない。……こっちへ来い」

勝手に彼女の私室に入ったのだ、私も招くのがフェアだろうと、私室の扉前まで歩いた。

しかし、振り返るとメリルはその場に立ち尽くしたまま。

一体どうしたというのだ。何かおかしな事でも言っただろうか。……ああ、いや、今朝の件のせいか。私室にズカズカと入り込んだ私を嫌悪したのだろう。恋人でもない男に勝手に私室に入られて、不快にならない訳がないのだ。

重石を乗せられたように、胸がズンと重くなる。黒い感情が心中を埋め尽くすのを感じながら、私は早口で捲し立てた。
「何をしている。ああ、我輩の私室は避けたいのかね。それ程嫌がっていたとは存じ上げず失礼した、もちろんこの教室でも構わないとも」
「違うわよ、勝手に話を進めないで。貴方の部屋に招いてもらえると思ってなくてびっくりしただけ」
「……ふむ、何度か君は我輩の部屋に来たことがあったと思っていたが、記憶違いかね?」
「何度来ても慣れることはないでしょうね。あぁもちろん、貴方を嫌っているということではないわ」
笑って肩をすくめるメリルの様子に、なるほど少し思考が飛躍してしまっていたらしいと悟る。朝に摂取したアルコールが残っているのかもしれない。

気分を切り替えるためにフンと鼻で笑い、私室のドアを潜った。彼女も今度こそ私の後に続いた。

暖炉の薪が爆ぜる音を聞きながら、手早く紅茶を入れてソファに腰掛けている彼女の元に戻る。

カップをメリルの前にサーブし、自身も彼女の面前のソファに座った、その瞬間。

「お納めください」

メリルが素早くある物をウエストポーチから出てきたため、反射で杖を向けてしまった。
「……これは何だ」
「見ての通り、ウルフスベーンよ。質は保証するわ。……って、どうして杖を構えているの?」

不思議そうな顔をしたメリルに問い質され、自らに染み付いた反射に苦い思いをしつつ大きく息を吐きながら「何でもない」と杖を仕舞った。
「アー、その、今朝のお詫びというか……。迷惑かけてごめんなさい、セブルス。ベッドまで運んでもらって、申し訳なかったわ」
「…………いや、気にするな」

午前中の記憶がぶわりと頭の中に広がるが、理性でその記憶に伴う感情やら衝動やらを抑えきった。

メリルにはこれに懲りて、もう二度とあんな無防備な姿を晒さないでいただきたい。次は私とてどういう行動を取るか予測がつかないのだから。いや次など無いだろうが。
「まさか眠ってしまうなんて思ってもいなかったの。そんなにお酒は弱くないはずなのに……。とにかく、セブルスの手を煩わせてしまったから、これ、受け取ってくれる?」
「そんなに大層なことはしていない。せっかくのウルフスベーンだ、君が使いたまえ」
「それじゃあ私の気が収まらないのよ。貴方とこうしてお茶するのも気が引けちゃうから、どうか受け取って欲しいの」

メリルの必死な様子に、私は渋々一目で上質と分かるウルフスベーンを受け取った。

こんな物無くとも、君が遠慮する必要は無いというのに……。

彼女が気にするかと大きくため息を吐きたいところを我慢し、私はウルフスベーンを棚へ仕舞った。

希少な物であるし、これを使う魔法薬など早々調合することは無いと思うが、ここぞという時に使うとしよう。

ソファへ戻ると、メリルがお茶請けにスコーンをポーチから取り出していた。

スコーンは甘さ控えめになっており、普段甘い物に対してあまり感じないが美味しく思った。

甘い物好きな彼女が、わざわざあまり甘くない物を探してくれたのだろう。そういう細やかな心配りは彼女の美徳だ。

消灯時間の少し前までお茶を飲み、私たちは部屋を出た。これから見回りがあるためメリルとは地下牢教室に繋がる階段を上がったところで別れ、私は寒々しい廊下を歩き出した。

 

クリスマス休暇は夏季休暇と違い、日数が少ないためすぐに新学期となる。

その少ない休暇中も平穏には終わらなかった。

いつもは帰省しているウィーズリーがホグワーツに残っていることもあり、城内は昨年と違って騒がしい。ポッターもウィーズリーと行動を共にしているようだ。

クィレルの奴もいつもオドオドしており、いくら追及しても何も白状しない。そのくせ私の開心術も通じないのだから、非常に厄介だ。だが、クリスマスを過ぎてから奴の体臭に変化が生じた。にんにく臭さは相変わらずだが、それだけではない、微かに甘い匂いが混じっている。何の心境の変化か知らないが、どうせ問い詰めても口を割らないだろう。

この休暇で一番の収穫は、メリルの発見に関する事柄だ。彼女に魔法生物やその餌の説明を受けている時間は実に有意義だった。

一度スピナーズエンドの自宅に帰ったが、最低限の掃除と片付けだけをしてすぐにホグワーツに戻った。あんな場所にいるより、メリルと過ごしている方が精神には良い。

案外やることが多く過ごした休暇も終わり、一斉に戻ってきた生徒たちで城内は一気に騒がしくなった。
教授と寮監としての仕事やクィレルの監視、時に死喰い人の残党の動向の確認と日常をこなしていると、月日などあっという間に過ぎて行く。

メリルの論文については、何度も指摘と修正を繰り返し、中々形になってきている。しかし、彼女にとって学会は敷居の高い物だったらしく、どうにかそこは回避したいとのことだったので学会誌への寄稿で手を打った。それにしたって、論文はまだまだ修正も推敲も必要な段階なのだが。

思う所あってクディッチの審判を引き受けるなどしたが、ポッターへの不快感が増す結果となった。奴が死なないように立ち回っているというのに、何故あんなにトラブルに自ら突っ込んでいくのか、心底理解しかねる。似るのは顔だけにしてもらいたい。

メリルは私の内面を察したのか、薬草を多めに持って来てくれた上に愚痴にも付き合ってくれたため、何とか機嫌は持ち直したのだった。

イースター休暇前になると、メリルの論文はほぼ完成し、最後の微修正を繰り返すくらいになっていた。もちろんまだ調整しないといけない部分は残っているが、初めて正式に論文を書くにしては速い仕上がりになりそうだ。

 

試験が近付くにつれ、教師陣の忙しさは加速度的に増えていく。もちろん、私も例外ではない。

生徒たちも次々出される課題にてんてこ舞いだろうが、その課題を採点した上試験を作らなければならない側も目が回るような忙しさなのだ。

毎年メリルも手伝いに来てくれており、今日も今日とて試験作成中の私の側で課題の採点をしてくれていた。

そんな彼女が、不意にぽつりと零した。
「……ねえ、4階って今年は立ち入り禁止だったわよね?」

ダンブルドアが入学式に周知していただろう。もう忘れたのか?
「採点中にお喋りかね?ヴァレー教授補佐は中々に余裕のようだ」
「もう、真面目な話なのよ。それに私でも採点できる分はちゃんとやってるわ」
お互い目線は机上の羊皮紙に固定したままの応酬である。

先程は皮肉ってしまったが、メリルの勘は良く当たる。彼女が引っかかっているということは、何かあるのかもしれないと私は考えを改めた。
「……先程の質問だが」
「ええ」
「今年度の初めにきちんと生徒は立ち入り禁止と周知されている。何かあったのか?」
「何かあった訳では無いんだけれど……。実は、ハリーらしき子たちがあそこにいたのを見たのよ」
「……何?」

思わず羊皮紙から顔を上げ、メリルを見る。眉間に皺が寄るのが自分でも分かる。
「どういうことだ」
「どういうことも何も、人影を見たというだけなの。ハリーたちだという確証も無いわ。でも、セブルスには言っておいた方が良い気がして……」
「勘かね?」
「ええ。余計なお世話だったかしら?」
「……いや、君の勘は良く当たる」

本当に余計なことしかせんな、ポッター……!

はぁ、と大きく息を吐き、生じた苛立ちを共に吐き出す。ついでに眉間を指で押して、疲労やらあれやこれやで重くなった頭の回転を促した。

1年で最も忙しい時期に、新たな頭痛の種を投下されてしまった現状だが、相手が相手であるため無視もできない。

また監視の頻度を上げねばならん……。どいつもこいつも、大人しくしておけばいいものを。

くしゃくしゃの黒髪と紫のターバンを思い出して、更に苛立ちが募った。

深呼吸して頭を切り替え、再び羊皮紙に向き直る。そうしてしばらくすると、メリルが不意に立ち上がった。

「どうした」
「紅茶でも淹れようかと思って。少し休憩にしましょう。カップを借りても?」

ここで茶を淹れる気なのか?普段なら断っても世話を焼いてくるのに、全く、変な所で遠慮するのだな……。

私は無言で杖を振って私室の鍵を開けた。
「キッチンくらい使っても構わん。君なら汚さんだろうしな」
「ありがとう」

メリルが部屋に行って少しすると、シュンシュンと湯の沸く音が聞こえてくる。

普段なら、誰であれ他人が私室に入るなど言語道断だ。しかし彼女になら許せた。彼女はいつだって自然に、私の空間に存在している。

眼前の羊皮紙から逸れていく思考に休憩の入れ時かと悟り、大きく息を吐きながら顔を上げるとタイミング良く良い香りが漂ってきた。

程なくして、メリルが紅茶を持って戻って来た。
「お疲れ様、セブルス」
「ああ、君も。採点はどうだ、進んだかね」
「貴方に確認してもらわないといけない分を除くと、あとは学年ごとに纏めたら終わりよ」
「そうか、助かる」

さっそく紅茶を一口啜ると、温かいそれが内臓に染み渡った。相変わらずお茶を淹れるのが上手い。

私の様子に、メリルは苦笑しながら自分もカップに口を付けた。
「無理し過ぎて倒れないでね」
「誰に向かって言っている。栄養剤などの調合もお手の物だとも」
最早片手間でできる。質も他の先生方の折り紙付きなのだ。その辺の下手な栄養剤よりも効くことには自信がある。

日々の業務に忙殺されている中、また面倒事が飛び込んで来た。ドラコが夜中にベッドを抜け出していたというのだ。グリフィンドールでも、ポッターとウィーズリー、それにロングボトムも出歩いていたと聞く。

奴らはともかく、ドラコは一体何故そんな愚かな事を……。

聞けば、ポッターとウィーズリーの夜間外出の証拠を掴んだためフィルチにご注進したとのこと。そこで後はフィルチに任せて自分は寮にいれば良いものの、気になって見に行ってしまったらしい。そういうところはルシウスとは違い、まだまだ詰めが甘い。

「Mr.マルフォイと纏めて罰則を受けさせようと思いますが、よろしいですか、セブルス?」

「構わないですとも」

ドラコの違反と罰則の確認に訪れたミネルバに、私はそう返した。後に、罰則内容があの森番と禁じられた森の見回りに行くことだと聞かされ、その危険度に頭を抱えることになるのだがそれはまだ預かり知らぬことであった。

罰則を終えて顔を青くして帰ってきたドラコに内容を聞くと、こちらが想定する以上の危険に遭遇したと知った。それをメリルが荒っぽいやり方ながら庇ってくれたとも。そもそも何故メリルも参加しているのだ。さすがにあの森番だけでは心許なく思ったのか?ならばまず罰則内容に禁じられた森を選ばないでいただきたい。

はあ、と息を吐くと、叱られると思ったのかドラコがビクッと身を震わせた。

「す、すみませんでした、スネイプ先生」

「……次は気を付けたまえ。お父上も心配されるであろう」

「はいっ」

殊勝な態度にそれ以上は何も言わず、時間も時間なため早々にドラコは部屋へと帰した。

傷付けられたユニコーンに黒い影……。またも懸案事項が増えたと舌打ちが漏れた。

特に問題はユニコーンだ。角もたてがみも魔法薬の材料となるが、一番の特徴はその血液にある。それを飲んだ者は、生きながらに死んだ状態となるという。呪われた永遠の命だ。命を脅かさない角やたてがみを採取するだけでも苦戦する程強いユニコーンを傷付けるとなれば、その目的は血液にあるだろう。そして、それを欲する人物に心当たりがある。……我が君、ヴォルデモートだ。この推測が当たっているなら、やはり引き込んだのはクィレルしかいない。ダンブルドアには報告するとしても、引き込んだ方法に検討が付かない。それにどこに匿っているのかも。これについては奴の居室が怪しいが、それを調べる方法も無い。何にせよ、分かればすぐにでもクィレルを弾劾してやるというのに……。

私は頭を降って気持ちを切り替え、校長室へと向かって歩き出した。

翌日。いつものように隣席にやって来たメリルが、ちらりとクィレルを伺った。しかし、クィレルの方は気まずげに視線を逸らすという、珍しい光景を視界の端に捉えた。

はぁ、と聞こえるか聞こえないかぐらい微かにメリルが息を吐く。何かあったのだろうか。

あまり積極的に交友関係を広げようとしない彼女が、珍しくも気に掛けているようだ。やはり何かしらの思惑、もしくは感情が奴にあるのか……?いや、以前彼女自身がそれを強く否定していたではないか。

朝から考え込んでしまいそうになる頭を切り替え、私はともかくも口を開いた。

「…………信じ難いことだが、奴と諍いでもしたのかね?」
「え?」

驚いた様子のメリルがこちらを見る。その目元にはうっすらと隈が浮かんでいるのが見て取れた。
「奴って?」
「クィリナスだ。……それに顔色も優れない。自分で気付いていないのか?」
「クィリナスと喧嘩なんてしてないわ。それに体調も問題無いわよ。心配してくれてありがとう」

少し疲れたような顔をしながらも微笑む彼女に、無理しないように見張っておかねばと思い直しながら、
「……倒れる前に我輩の所へ来たまえ。元気爆発薬くらいは調合してやる」

と言った。
「セブルスのお手製なら、一瞬で元気になりそうね」
そう笑うメリルにフン、と息を吐いて返し、私は食事を再開した。

試験が近付くにつれ、業務量も加速度的に増えていく。そうでなくとも寮監も兼任しているため必然的に仕事は多いのだが、そこにポッターとクィレルの監視やその他諸々が乗っかってくるために、私はこの時期色々と削りながら何とか日々をこなしている。

そんなある日、夕食を摂るために地下牢教室を出て階段を昇ったところで思わぬ光景に出会した。

「……ここで何をしている」
呼び掛けると、大人1人子供2人が揃って飛び上がって驚いた。

慌てたように振り返った大人1人──メリルと、子供2人──ドラコとグレンジャーは対照的な表情になっていた。具体的に言うと、ドラコはパッと顔を輝かせ、グレンジャーは眉を顰めた険しい顔だ。
「もう夕食の時間だ」
「え、もう?2人共引き止めてごめんなさいね。一緒に大広間まで行きましょう。セブルスも」
「我輩は結構だ」

学生ではないのだから、わざわざ連れ立って大広間に行かずとも良いだろう。

そう思ってさっさと歩き出したのだが、メリルは子供たちを伴ってすぐに追い付いてきた。
「向かう場所は同じなのだから、一緒に行かずとも合流することになるわ、こんな風にね」
「それは君が追い付いてきたからだろう」
「私たち、隣同士の席なのよ?追い付こうとしなくても追い付けるわ」
「ふん、そうかね」

メリルと喋っていると、後ろでドラコとグレンジャーも声を落として話しているのが聞こえた。
「……ヴァレー先生の方がスネイプ先生より強いのかしら?どう思う?ドラコ」
「強いかどうかは分からないが、仲は良さそうに見える。君はどう思う、ハーマイオニー」
「そうね……仲は良さそうよね」

──全て聞こえているぞ、全く。それにしても、いつの間にか名前で呼び合っているのではないか。グリフィンドールとスリザリンだ、親しくなる要素が無かった筈だが……。

大広間について教員席へ向かう途中も、子供たちが名前で呼び合うようになった経緯を知っている可能性のあるメリルが気になって仕方無かった。

席に着いてすぐに夕食は始まった。美味しそうに食事を頬張るメリルへ、目立たぬように低く問い掛けた。

「どういうことだ」
「何の話?」

こてりとメリルが首を傾げる。
「ドラコとMiss.グレンジャーだ。あの2人は名前で呼び合う程仲良くはなかっただろう」
「ああ、お試し期間中なのよ」
「……何だと?」
心底意味が分からない。何のお試しだ?そもそも何故そんな物をするようになったのだ?

疑問しか湧かない私に対して、メリルは簡潔にそうなった経緯を説明してくれた。

あの2人が名前で呼び合うことになった経緯は分かったが、新たな懸念事項が出てきた。

ドラコはマルフォイ家の嫡男。正真正銘貴族である。そしてマルフォイ家は純血主義を掲げている家だ。優秀ではある──グリフィンドールを評価するのは良い気はしないが普段のレポートにもそれは現れている──ものの、マグル出身のグレンジャーと交流することを父であり家長であるルシウスが許可するかどうか……。

私の曇った表情に気が付いたのだろう、メリルが不思議そうに「何か問題でも?」と聞いてきた。
「いや、……ルシウスが何と言うか」
「Mr.マルフォイ?貴方もドラコと同じ事を言うのね」
メリルが呆れたように軽くため息を吐く。

ドラコも同じ懸念に行き当たったらしい。さすが聡い子だ。
「Mr.マルフォイってそんなに厳しい人だったかしら?学生時代話した時もクリスマスに貰った手紙も、とても紳士的だったイメージがあるのだけれど」
「厳しいという訳ではな……何だと?」
言いかけて、思わず眉を上げてメリルを見た。

クリスマスに、手紙、だと?
「何か変なこと言った?」
「昔話したことがあるのは聞いていたが、クリスマスに手紙?最近の話か」
「ええ、昨年のクリスマスに頂いたのよ。ドラコから私がホグワーツで働いてるって聞いて送ってくれたみたい」
「何と書いてあった」
「え?ええっと……『セブルスとの親交は続いているだろうか?』『またいずれ』とあったわ」
「『またいずれ』だと……?」

どういうつもりだ、ルシウス。私への手紙にはそんなことはお首にも出さず、その内訪ねてくる旨を書いていたというのに。

妻であるナルシッサと婚約していた頃から女性に甘いというか、良くそんな浮ついたセリフが言えるなと思えるくらいの言葉を女性らにかけていたルシウスだ。メリルと会えばどんなちょっかいを掛けるか分からない。もし本当に会うとなれば、メリルから何としてでも日程を聞き出してナルシッサに注進しなければ……。

高速でここまで思考したところで、メリルが恐る恐る声を掛けてきた。
「アー、何か問題が?」
「…………何でも無い」

彼女はまだ何か聞きたそうにしていたが、それには気付かないフリをして夕食を食べるのに専念した。

少しすると彼女も聞き出すのは諦めたようで、渋々食事に戻って行った。

 

試験準備期間はもちろん、試験期間中も忙しさに目が回るようだ。疲労の蓄積も留まる所を知らず、栄養剤を摂取しても間に合わない程だ。その上、つい先日ある出来事を耳にして、不快感が腹の底にとぐろを巻いている状態が続いているのだ。

今日も今日とてメリルが手伝いに来てくれているが、以前のように軽口を叩き合えるような気分では到底無い。その余裕も無い。

毎日机に向かっている筈なのに何故か溜まっている書類をひたすら捌いていると、不意にメリルが席を立った。
「セブルス」
「……何だ」
「休憩にしましょう。お茶を淹れるわ、キッチンを借りても?」

彼女の言葉に私は無言で杖を振り、私室の扉の鍵を開けた。

メリルがキッチンへ向かうのを横目に、眼前の仕事をキリの良い所まで進めておく。何とか一段落つけ、彼女がハーブティーを持って戻って来たのと同時にテーブルまで歩み寄った。

すると、メリルはそのウエストポーチから瓶とクラッカーを取り出した。

──それは。

ジリジリと灼きつける不快感の原因が頭を過ぎった。同時に、腹がカッと熱くなる。

自分の顔が強張るのがありありと分かる。
「セブルス、これ──って、何故そんな顔を?」
「──我輩への施しかね」
「何ですって?」

メリルの眉間に皺が寄る。彼女にしては珍しく剣呑な声が上がったが、構ってはいられなかった。
「君は毎年職員室に差し入れを持って来ていることは把握していた。我輩もおこぼれに預かったからな。しかし、今年はわざわざ奴の部屋まで届けに行ったらしいではないか。例年ならばそのような特別措置はしていなかったはずだ」
「ま、待って、セブルス、奴ってクィリナスのこと?」
メリルが困惑したように奴の名を口にする。

それが分かるということは、私の言葉に心当たりがあるということか。特別措置──つまりは特別扱いだ、奴だけ!以前は奴への特別な感情は無いと言っていたが、それが本当ならそのような対応をする筈が無い。
「白を切る気かね?いやはや君ともあろう者が。奴から直接聞いたとも、そのジャムの味の感想と共にな。とても食べやすく美味しかったと好評だったぞ。そのすぐ後に我輩がそれを食べていないと知って酷く申し訳なさそうにしていたが」
募る苛立ちの余り、自身の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。到底そんなことでは憤りは収まらず、高まるイライラと共に思考速度と舌の回転はいや増していく。もうメリルの様子を見る余裕も無い。
「どうせ奴から聞いたのだろう?我輩がそれを食べていないことを。それでお優しい君は、わざわざ我輩の所までそれを持って来てくれたという訳だ。美しい同情だな!」
ハッと嘲笑し吐き捨てた。頭も腹も沸騰したように熱い。身の内を灼く炎は際限を知らぬかのようだ。
「……同情なんかじゃないわ。まして、施しでもない」
「だったら何だと言うのかね?十二分に忙しい君が、わざわざそれを持って来る理由が他にあるとでも?」
そんな物、有り得ない。「美しい同情」以外には。君は私のことなど、親しい同僚くらいにしか思っていないだろう?
「何よ!一緒に食べたいと思って何が悪いの!?これだって、最初から貴方用に取り分けていた分よ!」

メリルが声を荒らげる。釣られて、
「嘘だ!今までそんなことはしていなかっただろう!」

と怒鳴り返してしまった。一瞬怯んだメリルは負けじと叫んだ。
「今までは必要無かったもの!それにこれには事情があるのよ!」
「うるさい!その事情とやらも大したことないのだろう!」
「違うわ!セブルス、聞いて!」
「黙れ!私を憐れむな!出ていけ!」
「っ!」

彼女が、息を飲んだ。

シン、と静まり返った教室内に、冷たく重い空気が満ちる。

上がった息もそのままに、メリルを睨み付ける。そして気付いた。

メリルの身体が震えていることに。その瞳が潤んでいることに。
「……本当に、貴方用に取って置いたのよ。試験前に渡したかったけれど、時間が無かったの。……食べたくなかったら、捨ててちょうだい」

抑えられた、しかし震える声音で彼女はそう言って、教室を出ていった。

ハッとした。冷水を浴びせられたように、頭が冷えた。急速に戻って来た冷静な理性が、何てことをしてしまったのか、と自らを責める。

あれ程身の内を灼いていた炎はすっかりその鳴りを潜め、後悔が私の心に満ちる。

彼女の置いていった瓶の蓋を、恐る恐る開けた。

ふわりと香る爽やかな甘い匂い。

彼女の優しさのようなその香りが、私を余計に苛んだ。
試験が終わる、前日の夜のことだった。

 

試験自体は大きなトラブルも無く、無事に終了した。
そう、試験「は」。

あの日以来、メリルと顔を合わせるのが気まずいことこの上無い。何をどう話せば良いか皆目検討がつかず、ついつい彼女と話すことを避けている自分を自覚していた。

メリルも積極的に話し掛けてくることもなく、そのまま放課後になってしまった。
グリフィンドールの3人組──ポッター、ウィーズリー、グレンジャー──が何かしら企んでいるようなのを、にっこりと牽制しつつ溜飲を下げた後玄関ホールを歩いていると、

「あ……」

と細く息を飲む音がした。メリルだ。

もう彼女に何と話し掛けたら良いかも分からない。あの日のことは、確実に私に過失がある。

最後の彼女の様子から、彼女の言葉に嘘は無く、本当に渡し損なっていたのだと分かる。あのジャムには未だに手を付けられずにいる。クラッカーも、保存魔法をかけた箱に入れて保管してある程だ。それらは今も私を、無音で責め立ててきているような心地にさせる。

その負い目が私の口を重くさせた。

立ち尽くすメリルから目線を逸らし、私は彼女の横を無言で通り過ぎた。

藍の瞳に怒りや悲しみが渦巻く様を見たくなかった。

廊下の角を曲がるまで、背中にずっと彼女の視線を感じていた。

夜、夕食を終えて教室で試験の採点をしていると、控えめなノックの音が響いた。

消灯時間間際に何の用かと入室を促すと、恐る恐るプラチナブロンドの頭が覗いた。ドラコだ。珍しく1人で行動しているようだ。

「……こんな時間に何の用かね」

「すみません、あの……」

問い質しても、ドラコは扉の前でモジモジとしたままだ。埒が明かず、はぁ、と息を吐くと、少年はビクッと身を震わせた。

「とりあえず掛けたまえ」

試験の解答用紙を素早く片付けて私の近くの椅子を勧めると、ドラコはしばし躊躇った後大人しく歩いて来て腰を下ろした。

手早くハーブティーを淹れ、ドラコの前にカップを置く。飲むよう促すと、少年は恐る恐る口をつけた。

ホッとしたように小さく息を吐いたドラコに、再度何の用か訊ねるとようやく「実は」と口を開いた。

「今日、試験終わりに用があってグレンジャーを探していたのですが、いつもの3人組で湖の側で座って深刻そうな顔をして話し込んでいたんです。試験も終わったのに変だなと思ってそっと近付いたんですけど……」

そこで言い淀むドラコに、目線で続きを促す。少年はお茶に目線を落として悩みながらも、再び話し出した。

「それで、僕、聞いてしまったんです」

「……何を」

「3人の口からスネイプ先生の名前が出るのを。あの、でも、全部聞き取れた訳じゃなくて、切れ切れなんですけど」

「他に、何か言っていたか」

「ええっと……『石』、『フラッフィー』と言っていたと思います。僕の聞き間違いではなければ、ですが……。意味は分かりませんが、先生の名前が出ていたので気になって問い質そうとした時には、3人共走って城に戻って行ってしまっていました」

「そうか……」

最早嫌な予感しかしない。『石』とはまず間違い無く『賢者の石』のことだろう。何故奴らがそれを知っているのかはさて置いて、あの三頭犬のことまで知っているとなれば不味いことこの上ない。玄関ホールで何やらコソコソ企んでいると思ったら、最悪の中でも本当に最悪なパターンなのではないか……?しかも今日はダンブルドアもいない。もしそれを知っているのなら、奴にとっても奴らにとっても、動くには格好の夜だろう。

念の為、見に行かねばならないだろうな、これは。

「あの、先生……」

黙り込んだ私が怒ったとでも思ったのか、ドラコがおずおずと声を掛けてきた。不味いことを言ったと思っているのか、すでに後悔し始めているのがその表情でありありと分かる。幼い時から時折会っているが、相変わらず感情が表に出やすい子だ。ルシウスとは全く似ていない。

「いや、何でもない。それを飲んだら帰りたまえ」

「はい、先生」

「ああ、有益な情報を報告してくれたためスリザリンに1点与える」

「ありがとうございます!」

ドラコはパッと顔を輝かせてハーブティーを飲み干すと、「お茶ありがとうございました。おやすみなさい、先生」と挨拶して帰って行った。

片付けや細々とした雑務を終わらせ、消灯時間が過ぎた頃、私は試験管を1本懐に忍ばせて部屋を出た。

もしこの時間にポッターらが出歩いていたら、問答無用で減点の上寮に帰らせることができるからだ。

そして動く階段まてやって来た時、見覚えがあり過ぎる金髪の後ろ姿と出会した。

正直非常に気まずいが、声を掛ける他無い。

「…………何をしている」
「っ!セブルス……」

呼び掛けると、肩を震わせた後にゆっくり振り向いたメリルは心底驚いた顔をしていた。
「こ、こんばんは。貴方こそどうしたの?見回り?」
「その様な物だ。君は猫と見つめ合っていたようだが、喧嘩の売り買いでもしていたのかね」
「いえ、あの、そういう訳じゃないのだけれど……」

目と目を合わせたら喧嘩を売っている合図、とは猫の習性で良く聞くことだ。彼女は猫ではないが、ニーズルにもミセス・ノリスにも懐かれているのだから似たような物だろう。

現実逃避するかのようにそんなことを思っていると、メリルから「アー、一緒に4階に行って欲しいんだけど……」と遠慮がちに提案された。
「……何故そこに?」
「ミセス・ノリスもいつもと違う様子だし、何だか嫌な予感がするの。誰か呼びに行こうと思ったところで貴方が来たから、その、都合が悪くなければ……」
「…………君の勘は良く当たる。急ごう」

自分の予感だけならまだしも、メリルも嫌な予感がしているのならば、事態は重いかもしれない。

魔女の勘は良く当たると言われているが、その中でもメリルの勘は当たる確率が高いと感じる。在学中も、彼女と居た時はあの4人組にほぼ出会わなかった。彼女と共に回り道したり寄り道すると、不思議と面倒事を回避できていたのだ。

とすれば、ここは早急に確認した方が良いだろう。

私は先行して階段を登り、4階のあの部屋へと急いだ。

そうしてそこに辿り着いた私たちが見たのは、半分程開いた扉とその奥でしおらしく頭を垂れている三頭犬の姿だった。その足元の扉はしっかりと開いている。
「嘘でしょ……」
「ダンブルドアに報せを送る。少し待て」
「分かったわ」

杖を取り出し、急く心を静めながら注意深く守護霊の呪文を低く唱える。白い靄が杖先から躍り出て、牝鹿を形取る。守護霊の呪文に必要なのは幸せな記憶だ。私の場合はリリーとの思い出。その筈だった。……最近は、守護霊の形が少し揺らいでいるのを感じている。原因は分かっているのだ。見ないフリをしているだけで。
「セブルス!『石』が危ない!私見てくる!」

メリルの叫びに、ハッと我に返る。慌てて振り返ると、今にも三頭犬の足元の扉に飛び込もうとする彼女の姿が。
「待て!」
慌ててその腕を掴んで引き留める。

何故そうも無謀な行動をするのだ……!
「危険だ、ダンブルドアを待った方が良い」
「でも……!」

メリルの言うことも理解できる。三頭犬を突破したのだ。他の守りも侵入を防ぐことができないかもしれない。

しかし、侵入者の力量が不明な以上、我々が先走って逆に迷惑をかけてはならない。

急いで杖を振って守護霊をダンブルドアの元へ走らせる。そして視線をメリルの方へと戻すと、彼女は辛そうに眉を顰めて目を伏せていた。もしかして、自分1人でも行かねばと思っているのか。
「メリル、1人で行こうと思うな」
「……ダンブルドア先生は魔法省よ。いつ帰って来られるか分からない。私は行くわ」

ひた、と私の目を見据えて彼女は宣言した。その藍の瞳には強い決意が宿っている。私が何と言おうとも、例え1人でも彼女は行くだろう。

私は諦めにも似た感情のまま、長い長いため息を吐いた。
「…………我輩も行こう」

「ありがとう」

せめてもとゆっくりと掴んでいた彼女の腕を離したが、彼女は笑顔で礼を言ってきた。

できれば突入して欲しくないという私の思いは、全く伝わっていなさそうだ。

私は再度ため息を吐き出した。
室内に踏み込むと、さっきまで項垂れていた三頭犬が唸り声を上げて威嚇してきた。その顔は3つとも私の方を向いている。『石』の安全を確認したかったとはいえ、以前に押し入って来た人間がいるのだ、当然の反応とも言える。

杖を構えた私を制し、メリルが三頭犬に「フラッフィー、おすわり、待て」と命令すると、驚くことに奴は渋々ながらその命令に従って座った。相変わらず私を睨み付けたままではあるが。
「良く躾られたな」
三頭犬の足元の扉を覗き込んでいるメリルの横で、同じく慎重に様子を窺いながら呟いた。
「何度か餌をあげて遊んであげたのよ。それで懐いてくれたみたい。……先に行くわね」
「おいっ!」

喋りながら滑らかに飛び降りるものだから、思わず制止が遅れてしまった。

だから、単独で動くなと言ってるだろう……!

呑気に着地を知らせてきた彼女に舌打ちしてしまったが、私は悪くない。

自分も扉に飛び込んでメリルと合流したが、真っ暗で彼女の表情は分からなかった。
「単独行動は危険だと何度言ったら理解するのかね」
「でも、あの扉は大人2人同時には潜れないわよ。ルーモス」

私の皮肉にも何処吹く風、言い返してきた彼女は素早くルーモスを唱えてその杖先に光を灯した。その明るさに、密やかに足元に絡みついてきていた悪魔の罠がザザザッと音が鳴る程勢い良く退いた。
「……一言ぐらい何か無いのかね」
「セブルスだって気付いていたでしょう?」
「当たり前だ」

たたらは踏んだものの、何とか尻餅をつくことは免れた。悪魔の罠くらい気付いてはいたが、下に落とすなら落とすで事前に一言くらいくれても良かったのではないか。

「じゃあ問題無いわね」

ケロリとメリルがそう言うものだから、またしても大きなため息が出てしまった。
一本道になっている通路を歩きながら、情報共有のためドラコの報告について伝えることとした。
「実は消灯時間の直前に、ドラコが相談に来た。ポッターたち3人がしていた話の内容が気になったと」
「どういうこと?」
「試験終わりに湖の側で話していた言葉が切れ切れに聞こえたそうだ。『石』、『フラッフィー』、それに『スネイプ』と。問い質そうとした時には走り去ってしまったそうだが、我輩の名前が出ていたゆえ悩みながらも伝えに来たようだ」
「それって……あの子たちがこの先にいるってこと?」
「玄関ホールで何やらコソコソしていた、可能性はある」
メリルが無言で走る速度を上げたため、私もそれに続く。我々の懸念が当たっていれば、最悪あの3人組が侵入者と遭遇してしまう。
ようやく通路の出口に出て、私たちは絶句した。室内を無数の小鳥、いや羽のついた鍵がそこら中を飛び回っている。呼び寄せ呪文は使えない。次の部屋へ続く扉の前には箒が3本。あれで取れということだ。
「セブルス、貴方、箒はお得意?」

振り返ったメリルが苦笑しながらそう言うのに、フンと鼻息を返した。
「口が裂けても得意とは言えんな。君は?」
「右に同じくよ。でもどの鍵かは分かるわ。あの明るい青の羽の鍵よ」
メリルが指差した先で、羽が片方ひんまがった銀の鍵がヨタヨタと飛んでいる。お互いに目を合わせて頷き合い、走って箒を掴み地面を蹴った。
「壁際まで追い込むわ。後は頼んで良いかしら?」
「何とかしてみせる」
「頼むわね」
右に左に飛行しながら、メリルが鍵の群れを私が待機する場所まで追い込む。そうして向かってきた鍵たちに向かって、反対側から群れに突っ込んだ。
「セブルス!」
「掴んだ!行くぞ!」
勢いそのままに着地し、バタバタと暴れる鍵を力尽くで鍵穴に突っ込んで回した。
扉が開くと鍵は素早く逃げ去ったが、用は済んだため私たちは一瞥することなく次の部屋に入った。
すぐに目に入ったのは大きなチェス盤。おそらくミネルバの考えた守りだろう。
「先生!先生!!ここです!」
「ハーマイオニー!」
「やはりか……!」
部屋の端に積み上がったチェスの向こう側から、ハーマイオニーの必死の叫びが聞こえた。彼女からは私たちの姿が少し見えたらしい。急いで声の方向に向かうと、横になったロンの頭を膝に乗せたグレンジャーが今にも泣きそうな顔で私たちを出迎えた。

私を見て何やら悟った顔をしたグレンジャーは、しかしすぐに「ハリーがこの先に……!」と揺れる声で言った。
「ハリーが?あの子1人で?」
「そうです!ああ、私もついて行けば良かった……!でも、ハリーが戻れと言ったから……」
「ハーマイオニー、落ち着いて。ロンは気を失っているだけね?」
「そうです、先生。でもチェスの駒に頭を殴られました!」
「不用意に動かすのは危険ね。セブルス、浮遊呪文でロンを運んで。ハーマイオニーと一緒に」
「君は?」
問い掛けると、メリルは張り詰めた表情で私を見据えた。
「私はハリーのところに行くわ」
「危険だ。我輩が行く」
「いいえ、貴方の方がダンブルドア先生が到着する前に何かあった時にすぐ動ける。説明も的確だし、もしもの時に治療もできるわ。……頼むわね」
「メリル!」

思わず名を呼んだが、君は、もう私が何を言っても聞かないんだろう。

「待て!」

制止の声に、既に走り出していたメリルが振り向いた。その彼女に内ポケットに入れていた試験管を投げる。

「それを飲めば通り抜けられる」

キョトンとした顔のメリルにそう言うと、試験管の使用方法が伝わったのだろう、彼女はパッと表情を明るくさせた。
「ありがとう!」
笑顔で次の部屋への扉を押し開けた彼女の背を、私はずっと見送っていた。

この時に、もっと強く引き止めていれば、いや、私が行けば良かったのだと、後からどれ程悔いたかしれない。

「せ、先生……」

グレンジャーの声掛けにハッと我に返り、扉から視線を引き剥がしてグレンジャーとウィーズリーに向き直った。

「ウィーズリーの状態はどうだ」

膝をついてウィーズリーの顔を覗き込む。顔色は少し青いが、問題無い程度だ。

「え、えっと、頭を殴られて、それで気絶したんだと思います」

「出血は無いな。どの部分を殴られたか分かるか」

「た、多分、横だと思います。……あの、先生、私たち、先生が、その……」

「我輩が『石』を掠め取ろうとしているとでも思ったのかね?ミス・グレンジャー、君にしては珍しく主観的な情報に踊らされたようだな」

「っ!ごめんなさい!」

心底申し訳なさそうに項垂れるグレンジャーを尻目に、ザッとウィーズリーの様子を観察する。マダム・ポンフリーに任せればタンコブ程度で済む筈だ。

「いやはや、参った。2人は無事かね?」

浮遊呪文でウィーズリーを運ぼうと杖を構えた時、ダンブルドアが颯爽と現れた。グレンジャーが表情を明るくさせて「大丈夫です!」と答えた後に、私が大雑把に経緯を伝えた。「すぐに最後の部屋に向かわねば」と表情を引き締めたダンブルドアに「私もお供します」と言うと、彼は同意するように頷いた。

「しかし子供たちをこのままにはしておけん」

ダンブルドアが杖を一振すると、瞬く間にグレンジャーとウィーズリーを包む膜のような物が出来上がった。結界のような物だろう。恐らくこんな簡単に使いこなせる物でもない筈だが……一体どこまでの実力なのだ、この狸は。

2人にこの場を動かないように言い付け、ダンブルドアと私は最後の部屋へと向かった。

そうして見てしまった。

黒い靄のような何かに身体を貫かれ、倒れ伏す彼女の姿を。

衝撃で解けた髪が金のカーテンのように広がりってゆっくりと降り落ちた光景が、まるでスローモーションのように目に映る。

「メリル……!」

──君まで、いなくなるのか。

思わず硬直してしまった私の前で、ダンブルドアが素早く杖を振る。何らかの魔法を使ったのだろう、バシン!と大きな音をたてて向かってきた靄を跳ね返すと、それはそのままの勢いで天井まで飛んで行き、どこかに消え去ってしまった。

「ハリー!ハリー!」

ダンブルドアの声で何とか我に返り、2人して倒れたままのメリルとポッターに駆け寄った。

矢も盾もたまらず、私は目を閉じたままのメリルを抱き起こした。

温かい。

ああ──生きている、生きている生きている生きている!

あの日の冷たいリリーとは違う。メリルはまだ、生きてここにいる。

知らず冷えていた指先に、全身に、彼女の生命の温もりが伝わってくる。

「セブルス」

衝動のままに彼女を抱き締めていると、柔らかなダンブルドアの声が耳朶を打った。ノロノロと顔を上げて彼を見ると、キラキラした水色の瞳が優しく私を見詰めていた。

「彼女は生きておる。ハリーも、そしてクィリナスもじゃ。ただ、今すぐマダム・ポンフリーに診てもらわねばならん。分かるな?」

言葉も無く頷くと、ダンブルドアは杖を振ってポッターとクィレルの身体を浮かせた。どうやらそのまま運んで行くつもりのようだ。

「……メリルは、私が連れて行きます。彼女を引き止められなかった責任がありますので」

「それは君のせいではないと思うがの」

苦笑しながらも、ダンブルドアは2人を浮かせながら歩き出した。

気を失ったままのメリルを慎重に両腕に抱え上げ、私もその後に続いた。

戻る途中でグレンジャーとウィーズリーも無事回収し、医務室に直行すると、マダム・ポンフリーには泣かれながら怒られた。マダムには学生時代から世話になっているため、私とて頭が上がらない。心配のあまりのお説教も、3人組で唯一意識のあるグレンジャーの後に粛々と拝聴した。

マダム・ポンフリーの診断によれば、メリルは魔力を急激に無くした影響で眠っているのだと言う。恐らくあの黒い靄のせいだろう。もちろんメリルも漏れなく医務室に入院となった──3人組についても、意識の無いポッターとウィーズリーはもちろん、グレンジャーも念の為1日入院となった──ため、マダムに彼女のことを任せ、私はダンブルドアと共に校長室へと向かった。

「疲れておるところを申し訳ないんじゃが、何があったか説明してくれるかの?」

「分かりました」

折りを見てダンブルドアには報告を上げていたが、私は直近のドラコの伝えてきた内容と4階での出来事をできるだけ手短に話した。

「ふうむ……」

私の報告を聞いたダンブルドアはひと唸りして黙り込んでしまった。しばらく無言の時間が流れたが、先に痺れを切らしたのは私の方だった。

「ダンブルドア、あの黒い靄は一体何だったのです?『石』は?」

「『石』は無事じゃ。ハリーが守ってくれたのでな。今はワシが預かっておる。……あの靄は、恐らくヴォルデモートじゃろう。クィリナスの頭に引っ付いておったと思われる」

「なっ……!」

我が君、だと!?何故あんな状態に……!?

「あの日、ハリーの護りに跳ね返された死の呪文のせいであんな姿になってしもうたんじゃ。今日はどこかに去ったようだが、死んだ訳ではあるまい」

「では……もしかすると、復活する可能性もある、と……?」

「うむ。その可能性もゼロではない」

重々しく頷くダンブルドアの言葉に、膝から崩れ落ちそうな衝撃を受けた。

私の罪の影響が、彼女にまで降り掛かってしまった……。しかも、この先も影を落とすかもしれないなんて……。

「ヴォルデモートはハリーに執着しておる筈じゃ。最強たる己を打ち負かした存在としてな。ハリーには酷な話じゃが、強くなってもらわねばならんのう」

「……寮の奥深くで大人しくさせておけば良いと思いますが」

「子供を閉じ込めることなんぞできんよ、セブルス。それに、ハリーは両親に似てなかなかの勇気の持ち主のようじゃからのう」

それは勇気ではなく無謀と言うのだ。

私は思わず口から出そうになった言葉を、何とか胸中に収めた。ダンブルドアには表情で伝わっているかもしれない。愉快そうに「ふぉっふぉっふぉっ」と笑っていたから。

用が済んだら長居は無用とばかりに校長室を辞し、私はその足で魔法薬学教室へと向かった。生徒たちは試験が全て終わって休暇を待つばかりだが、教師は採点と成績の集計等々の仕事があるのだ。

休暇までにしなければならない仕事を元気爆発薬──改良して煙が出ないようにした物だ──を飲んで片付け、ふう、と息を吐いた。存外に大きく響いたそれに、独りであることを痛感させられる。

例年であれば、メリルが手伝いに来てくれていたのだ。

そんなことを考えて、彼女がいないのは私のせいであることも思い出した。

チェスの部屋でもっと強く引き止めていれば、いや、そもそもあの最初の扉に飛び込ませなければ……。

後悔が頭の中をぐるぐると回り、暗い思考から抜け出せない。

これでは仕事に手を付けるどころではないと、私は教室を出た。

目的を定めずに歩き出したが、いつの間にか私の足は夜闇に翳るある廊下に辿り着いていた。眼前には医務室の扉。

メリルは面会謝絶だというのに、私は一体何のつもりでここまて歩いて来たのか……。

自分でも分からぬままそこに立ち尽くしていると、唐突に目の前の扉がガチャリと開いた。

「あら、セブルス。何かご用?」

顔を出したマダム・ポンフリーが目を瞬かせた。

「いや……」

「まあ、ちょうど良かったです。少しの時間医務室にいてくれますか?誰も起きていない今の内に、ちょっとした用事を片付けてきたいんです」

言い淀む私を置いて、マダムはそう捲し立てた。彼女も入院患者がいるために医務室に詰めているのだ、休息でも取りたいのかもしれない。

「分かりました」

頷くと、マダム・ポンフリーは礼を言って歩いて行った。

するりと音を立てないように医務室に滑り込むと、暗い室内は静まり返っていた。夜も遅い。いくら子供でももう眠りについているだろう時間だ。

辺りを見渡すと、カーテンの閉まっているベッドは4つ。その内3つは纏めて右側に並んでいる。恐らくあの塊がグリフィンドールの3人組だろう。となると、残りの1番奥の1つにメリルが眠っている筈だ。

足音を立てないように、1番奥のベッドに近付く。身体に染み付いた所作のお陰で、足音は周囲に響かない。自分でも嫌に思う癖だが、この時ばかりは役に立った。

そろりとカーテンを少しだけ捲って中を覗くと、案の定眠ったままのメリルの姿がそこにあった。そのままカーテンの内側に入り込み、そっと彼女の枕元に近寄った。

静かに横たわる彼女の顔に、苦痛の色は無い。それだけが救いだった。

窓から差し込む月明かりが、メリルを照らしている。彼女の金の髪に月光が反射し、プラチナブロンドのようにも見える。無意識の内に、その金糸をひと房手に取っていた。持ち上げた端からさらさらと零れ落ちていく髪が、軽やかに動き回る彼女その物のように思えて、彼女がどこかに行かないように、何度もその感触を確かめてしまった。

彼女は眠ったまま。マダム・ポンフリーによると、魔力が回復すれば自然と目が覚めるらしいが、それがいつになるかは分からないと言う。

──マグルのお伽噺にあるように、キスでもすれば目が覚めるだろうか。

そんな馬鹿馬鹿しい考えが浮かんで、自分で失笑してしまった。

真偽不明のフェアリーテイルの上、そもそも私は王子様にはなり得ない。彼女には私は釣り合わない。せいぜいが悪役の手下あたりが関の山だろう。

どれ程の時間、眠るメリルを見続けていただろうか。医務室の扉が開く微かな音で我に返った私は、そっとベッドの側を離れてカーテンの外側に出た。

ちょうどマダム・ポンフリーが戻ってきたところだったようで、「助かりました、セブルス」と微笑まれた。

「貴方もよく休むのですよ」

「ええ、分かっています」

ありがたい忠告もいただき、私は医務室を辞して私室へ向かったのだった。

次の日にはグレンジャーが寮に戻った。2日目にはウィーズリーも同じく。3日目にはポッターも目を覚ました。

メリルだけが、眠り続けている。

私はといえば、魔法薬学の試験の採点が終わったと思ったら、次の日には何故か闇の魔術に対する防衛術の採点までこちらに回ってきて一気に忙しくなった。

クィレルの奴は授業こそ評判は散々だったが、試験は良い物を作成していたと認めざるを得ない。我が君に常に監視されているような状態だったのだ、生徒のためになるような授業はおろか、強くするための授業などとてもできなかったであろう。

つまりは、採点に非常に時間が掛かるのだ。食事の時くらいしか部屋を出なくなった私だが、休暇中は似たような生活をしているため問題は無い。授業も全て終了していて余計な仕事も増えない。ポッターが医務室に入院中ゆえに。

早朝と深夜にひっそりと医務室を訪れる。面会時間外な上に、今入院中の患者は全員面会謝絶だ。それでも、マダムは見て見ぬふりをしてくれている。私がただ眠る彼女の顔をしばらく見て帰って行くだけだからだろうか。

入院中を示すカーテンが1つ消え、2つ消えても彼女は目覚めない。あの藍の瞳は、私を映さない。

早朝、彼女が目覚めていないことを確認して、深夜、彼女に変化が無いことに落胆する。

そんな生活を続けて4日。早朝のことだった。

私が静かにメリルの顔を見ていると、ふっ……とその瞼が開いた。驚いて立ち竦んでしまったが、美しい夜の瞳は周りをそろりと見渡した後にひたと私を捉えた。
「セブルス……?」
「…………メリル」

私の名前を呼ぶ彼女の声が耳朶を打つ。その囁きが、私の心を喜びと安堵に染め上げた。

思わずふーっと長く息を吐き出した。彼女の名前を呟いた声は、震えてはいなかっただろうか。
「セブルス……ごめんなさい」
「……君が謝る理由が分からない」

先程吐いた息を怒りゆえの物と誤解したのだろうか。

何故か悲しそうに顔を歪めたメリルが、1度目を伏せてから再度こちらを見た。
「私、貴方を傷つけたわ……憐れんだつもりは全く無かったけれど、そうと思われても仕方が無かった……」

長く眠っていたせいで掠れた声を震わせて、メリルは懺悔する。まだあの日のことを気にしているのか……彼女が悔いることなど、彼女の責など何一つとして無いというのに!
「それはっ……それは、君のせいでは、断じてない。我輩は、君が原因で傷ついたことなど1度として無い」

荒らげかけた声を何とか静め、私はそう言い切った。どれ程彼女の心に響くかは分からないが、言葉が真実であることは伝わって欲しいと強く思った。
「私を、許してくれる……?」
「勿論だ。そもそも君に責など無い」
──そう、全て私の脆弱さが悪いのだ。私の弱さが、リリーを死なせ、メリルを危険な目に遭わせたのだから。
「……何故泣くんだ」

彼女の深い藍の端から、透明な雫が滑り落ちた。その涙は、無意識の内に拭った私の乾いた指先を潤し、また、私の心に仄かな甘い痺れを齎した。

その原因を、私はとうに知っている。

指先の感触が擽ったかったのか、メリルが柔らかい表情で少し目を細める。その顔が何とも言い難く、彼女をずっと見ていたくなる。指先の感覚は、より鋭敏に彼女の頬の感触を伝えてくる。滑らかな肌は私を拒絶せず柔らかい。

じわり、昏い感情が微かに腹の底で蠢いた。それが表す物を、私はもう知っている。

私は身の内の衝動を抑えきれずに、口を開いた。
「メリル、我輩は、私は──」

その時微かな人の気配を感じ、メリルの頬を撫でていたサッと手を引っ込めて元の体勢に戻った。それと同時に、閉まっていたカーテンが少しだけ開かれ、ダンブルドアがひょいっと顔を覗かせた。
「おや、お邪魔してしまったかの?」
「いいえ、先生、今起きたところです」
「すまんが、ちと失礼するぞ」

ダンブルドアは、キラキラとした目を細めながら歩いて来て私の隣に立った。未だ横たわったままのメリルを覗き込んで、うんうんと確かめるように2、3度頷くと、
「うむ、大丈夫そうじゃな。あとはゆっくり寝ていれば元気になるじゃろう」
と優しく微笑んだ。
ハッとしたメリルが慌てて身を起こしながら、
「先生、ハリーは無事でしょうか?クィリナスは……?」
と聞いた。そんな彼女にまだ寝ているように促しながら、ハリーは昨日目を覚ましたことをダンブルドアは伝えた。
大人しくベッドに戻りながらもクィレルが気になるのだろう、ダンブルドアを見詰め続ける彼女に、彼はふぅっと悲しげに息を吐いた。
「……クィリナスは聖マンゴに入院しておる。かなりの重傷じゃった。しかし、メリル、君の応急処置呪文のお陰で何とか命を拾ったらしい」
「では生きているのですね……!良かった……」

安心したのか、メリルの瞳から涙が溢れた。

今のダンブルドア言葉で、メリルが気絶する寸前にエピスキーを奴に掛けていたと知った。そんなことをするから4日間も目覚めない事態に陥るのだ。私としては当然奴より彼女自身を優先させて欲しかったが、それもまた彼女らしくもあり複雑な気持ちになった。

しばらく泣いた後、ダンブルドアと話すメリルを見ていると、さっとカーテンが開かれ、マダム・ポンフリーが顔を出して目を丸くした。
「まあ、メリル!起きていたのですね。本当に良かった!」
マダムはメリルの枕元まで早足でやってくると、「痛いところは?違和感があるところはあるかしら?と矢継ぎ早に聞いてきた。その全てに彼女が「いいえ」と答えると、マダムはようやく安心したかのように息を吐いた。
「後遺症は無いようですね。それにしても、人が2人もいながら誰も私にこの子が起きたことを知らせてくれないなんて!」
マダム・ポンフリーがぷりぷりと怒るので、ダンブルドアは「すまんのう」と苦笑した。
「お詫びと言っては何じゃが、セブルスが回復薬を調合してくれるじゃろう。何せ今日の夜には学年末のパーティーがある。生徒たちもメリルの顔を見たいじゃろうて」
「今日が……学年末パーティー!?私、4日間も眠っていたのですか?」
「そうじゃよ。だからセブルスは君のことを心配して毎日見舞いに……「ダンブルドア」おっと、口が滑ってもうた」
絶対にわざとだ。この老人に「うっかり」などという可愛げ無いは無い。ついでに勝手に回復薬を調合することになっているのも、絶対にわざとだ。元よりそのつもりではあったが、何故か複雑な気分だ。
「とにかく!パーティーまではメリルにはしっかり休んでもらいますからね」
「はい、マダム。心配かけてごめんなさい」
「そこはお礼を言ってくれた方が嬉しいわ」
「ありがとうございます」

にこやかにマダム・ポンフリーとメリルが笑い合ったところで、ダンブルドアが「そろそろお暇しようかの」とカーテンの向こう側に出た。しかし、すぐに顔だけ戻して、
「またパーティーで会えるのを楽しみにしておる」
とだけ言い残して医務室を出て行った。
私も、メリルの顔を再度見て本当に目覚めていることを実感してからカーテンを払ってベッドの側を離れた。

マダムの文句が背中を追いかけてきたが、聞こえないふりをした。

回復薬を約束通り調合して医務室に戻ったが、メリルは残念ながらまた眠ってしまっていた。マダム・ポンフリーに薬を託し、今度は安らかな寝息をたてる彼女をカーテンの隙間から覗き見て静かに立ち去った。

 

次に彼女を見たのは、学年末のパーティーが始まる直前のことだった。

騒がしかった大広間が、メリルが扉を開けて顔を覗かせたことでシーンと水を打ったように静まり返った。遠慮がちにそっと室内に入ってきたメリルに飛び付いたのはウィーズリーの双子だ。

勢いが強過ぎてメリルがよろけているではないか、これだからグリフィンドールは……!

わちゃわちゃと子供たちに絡まれているメリルを、いつの間にか現れていたダンブルドアがフィリウスにエスコートさせて、ようやく大広間は落ち着いた。

「……出歩いて問題無いのか」

顔色は悪くはないが、今朝目覚めたばかりだ。回復薬は私が調合した物だとはいえ、4日間も眠っていたのだから体力・筋力共に落ちているのは間違い無いのだ。
「ええ、貴方のお陰よ。ありがとう」

柔らかく微笑む彼女が眩しくて直視できずに鼻息で返したところで、ダンブルドアが「また1年が過ぎた!」と朗らかに話し出した。

前口上が述べられた後、各寮の点数が発表された。我がスリザリンが、2位のレイブンクローと46点の差をつけて1位だ。
スリザリンのテーブルから嵐のような歓声と足を踏み鳴らす音が上がった。
「よし、よし、スリザリン。良くやった。しかし、つい最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまいて」
ダンブルドアがそう言うと、部屋全体かまシーンと静まり返った。スリザリンの寮生たちの顔から笑みが少し消えた。

心中でせり上がってきた嫌な予感の通り、ポッターたちに駆け込みで点数が与えられ──もうとっくに点数の集計は締め切っていたというのに!──、グリフィンドールの点数がついにスリザリンを上回った。

無謀なだけの奴らに追加点を与えたダンブルドアが手を叩くと、スリザリンカラーで飾られていた室内がガラリとグリフィンドールカラーに様変わりした。
席を立って歩いて来たミネルバと渋々握手を交わす。ミネルバは輝かんばかりの笑顔だ。
ダンブルドアの合図でパーティーが始まる。スリザリン以外のテーブルは、賑やかな雰囲気で料理に手を付け始めた。
自席に戻ってきた私に、悲愴感漂うスリザリンの寮生たちに視線を向けてからにやりと笑ってメリルが囁いてきた。
「……ここでちょっとしたお遊びをしたら、先生に怒られると思う?」
あまりに落ち込む──それも当然だが──スリザリンの生徒たちを元気付けたいのだろうメリルの意図を察し、私は口の端を上げた。

彼女なら、騒がしくない程度に愉快なことをしてくれるだろう。
「さて。我輩が推測するところによると、ほとんどの者が首謀者には気付かないのではないかね。もちろん気付いたとて、我輩のように察しの良い者であれば見過ごすだろうとも」
「ええ、ええ、そうね!」
お茶目に笑った彼女が杖を振ると、すぐにスリザリンのテーブルからわぁっと控え目な歓声が上がった。

メリルの作り出した光の妖精や寮の象徴の小さな蛇が、寮生たちを楽しませている。

スリザリンは寮内での結束が強く、他寮からの風当たりが強い傾向にある。ゆえにか、今回のような理不尽な目にあっても、省みられないことが多いのだ。私もそれに慣れてしまっていたのかもしれない。今メリルがやったような生徒の内面のケアは、私には考え付かないようなことだ。本来は私がせねばならないことであるのに。

……やはり、私はどこか欠けているのかもしれない。育った環境のせいか、元々の性質なのかは不明だが。
「……すまないな」
せめてもとメリルに謝辞を伝えると、彼女は小さく苦笑して首を横に振った。
「いいのよ。こんな形で逆転されたら、さすがにショックだものね」

心底同意だ。

私は深く頷いた。

学年末パーティーの後、メリルがダンブルドアと何やら話をするのを見かけた。咄嗟に廊下の角に身を潜めたが、距離が遠くて何を言っているのかは分からない。2人はすぐに別れ、メリルは彼女の私室の方へと歩いて行った。

話の内容が気になって、メリルの健康状態の確認のためと自身に言い訳しながら、私はダンブルドアが校長室へ戻ったのを確認した後に彼女の部屋へ向かった。

ノックをすれば、夜も更けているのに無防備に開くドア。
「あら、こんばんは、セブルス」
「ああ」
「お茶でも淹れるわ、入って」

さっと引っ込んだメリルの三つ編みが解かれた髪から、ふわりといつもより甘い匂いが鼻腔をくすぐる。明らかにシャワーを浴びた後だ。

どれ程警戒心が無いのだ?それとも最早わざとなのか?我輩は試されているのか?何を?何かをだ!
「セブルス、そんな所に立ってないで入ったらどう?」

きょとんとした顔のメリルには全く他意は無さそうだ。むしろ何も考えていないのかもしれない。

女性として持つべき警戒心くらいは持ってくれ……。

私は長い溜息を吐いてからようやく室内に入って扉を閉めた。彼女が用意してくれたソファに沈み込み、もう一度深く溜息を吐く。
「……夜に突然訪ねて来た男を、簡単に部屋に招き入れるとは。警戒心が足りないのではないかね」
「プライベートな部分では無いわ。それに、セブルスなら構わないもの」

──は?

さらりと爆弾を落としてきた彼女のせいで、思考が真っ白になる。
「そ、れは、どういうーー」
ようよう口を開いた時、ピーッとお湯が沸いた音が室内に響いた。

メリルが急いでキッチンに向かうのを尻目に、あまりの間の悪さに思わず盛大に舌打ちをしてしまった。我に返れたのは良かったものの、彼女の言葉の真意を問い質す機会を失ってしまったからだ。
「お待たせしてごめんね。さっき何か言いかけてなかった?」

お茶のセットをテーブルに置いたメリルが少し申し訳なさそうにそう聞いてきたが、タイミングを逸したがゆえに「何でもない」と返す他無かった。
「それより、身体の調子はどうだ」
「貴方のお陰で動けるくらいには回復したわ。どうしても体力は落ちてるけれど、4日も寝てならしょうがないわよね」

そう言って、メリルは苦笑して肩を竦めてみせた。その顔色は、疲労は浮かんでいるもののさほど悪くはない。

魔力を限界まで奪われた上にエピスキーを使用したのだ、この程度で済んで良かったと言わざるを得ない。
「ダンブルドアとは何を話していたのだ?」
「あら、見てたのね。ちょっとしたお願いをしてたの。クィリナスのお見舞いに連れて行ってくださいって」
「何だと?」
意外過ぎる言葉に、思わず剣呑な声を出してしまう。
「わざわざ聖マンゴまで、奴に何の用だ」
「純粋にお見舞いの為よ。私があの日何を見たか話すのと引き換えに、ダンブルドア先生が案内してくれるらしいの」

命の危険に晒してきた相手を見舞うなど、正直理解できない。彼女らしいと言えばらしいが、お人好しが過ぎやしないだろうか。本当にただの同僚なのだろうな……?

そもそも死んだと思われていた我が君を見つけ出してきて、あまつさえこのホグワーツに引き込んだ危険人物なのだ。そんな奴に優しくする意味が分からない。しかし、放っておいても、どうせ気にはなるのだ。彼女がどう奴に相対するのか、確認しておきたくはある。

「……いつ行く予定だ」
「まだ決まっていないけれど、1週間以内にとは言っていたわ」
「そうか」

ダンブルドアに同行を申し出ておこう。警護のつもりなど毛頭ない──そもそもあの大魔法使いには必要無い──が、あの人なら面白がって許してくれるだろう。

雑談しながらそう結論付け、私は念の為に回復薬をメリルに手渡してソファから立ち上がった。
「そろそろお暇しよう。邪魔したな。君は体力回復に努めたまえ」
「お言葉に甘えさせてもらうわ。心配してくれてありがとう」

フン、と鼻息を吐き出し、扉へと歩き出す。背後の物音から彼女が付いて来ているのも分かっていた。だが、まさかあんなことになるとは思いもしなかった。
「ここまでで良い」

くるりと振り返った矢先、ぽすりと胸元に軽い衝撃。
「っ!?」

立ち上ってきた甘い香りが鼻腔を刺激した瞬間、どくりと鼓動が跳ね上がった。
「ご、ごめんなさいっ!」

その声と急いで離れた動作に揺れる金髪で、ようやっと先程の衝撃の原因が彼女であると理解が追い付いた。

慌てた声で、こちらに背を向けたメリルが捲し立てる。
「ちょっと、あの、ぼーっとしてたからっ!き、気に触ったら、ごめんなさっ、」
中途半端に途切れた彼女の言葉は耳をすり抜け、私は思わず手を伸ばしていた。豊かな金糸にさらりと触れると、彼女の細身がビクッと震えた。
「せ、セブルス……?」
「…………髪を、下ろしているのだな」
「あ、うん、その、もうシャワーを済ませていたから……」
「……そうか」

さらさらと掬う端から零れ落ちる金の髪は、まるで最高級のシルクのよう。

──ああ、いつまでもこうして触れていたい。

ぞろりと腹の底で昏い感情が鎌首をもたげる。

私は知っている。それが何を意味するのかを。

髪の隙間から見える白い項は、見事に赤く染まっている。それを、自身の都合の良いように捉えようとする自分がいることは自覚していた。

──ああ、やはり。やはり、私は君を。
「それでは失礼する」

これ以上触れていたら、彼女の全てが欲しくなってしまう。それは駄目だ。

さっとメリルの髪を手放し、私は部屋の外へと出た。その背中を、彼女からのおやすみの挨拶が追ってきたことは分かっていた。

ホグワーツの暗い廊下を目的無くさ迷っていると、いつの間にか学生時代にメリルを慰めたあの渡り廊下に辿り着いていた。

今日は晴れ。雨の気配など一欠片も無い夜空を見上げる。彼女の瞳のような色に、改めて先程ようやく認めた感情が胸の内に深く巣食っていることを自覚する。

だが、それは私の絶望とも繋がる感情だ。本来なら、もう決して抱いてはならない物。ましてや彼女を大切に思うならば尚更。

私は知っている。その感情の名を。ちりちりと胸の内側を焼き、時に心に春を齎し、そうして昏い衝動を伴う物の名を。

最高の薬にして最上の毒。その名を「愛」という。




14話目です。引き続きセブルス回です。当初ら2話で終わるつもりだったのに……どうして……(痛恨の極み)(2回目)
そんなわけでね、次も間章ですよ!秘密の部屋篇、あらすじできてるのに……。
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