仕事が増えた、というのが正直な感想だ。しかも就業規則に載っていなさそうな仕事。それはそうだろう。
「ああ、メリル!こんな所にいたのですね!水やりなど魔法でやればよろしい、そんな事より大事な用事があるではありませんか!」
「いえ、これは私の大切な仕事ですので。お引き取りください」
「ファンレターの代筆やプレゼント選びに同行するよう促してくる同僚をいなす仕事」なんて、就業規則に載る訳は無いのだ。
わざわざ温室まで押し掛けてきた──行く所行く所に無駄に現れる──ギルデロイをあしらっていると、ポモーナが別の温室からやって来た。ギルデロイを認めた彼女の眉が少し寄る。温厚な彼女も、我が道を行くギルデロイには新学期前から少々辟易している様だ。もちろん私も。
「メリル、悪いのだけれどこれとこれをセブルスまで届けてもらえる?さっき頼まれたのよ」
小さく溜息を吐いたポモーナが、苦笑しながらひと抱え程の大きさの籠を差し出して来た。
「ちょうど水やりが終わったところよ、もちろん引き受けるわ」
「今日も問題無し」と薬草たちの様子を報告しつつ籠を受け取り、自分へのファンレターの返事を書く事がいかに素晴らしい仕事かを熱弁するギルデロイを置いてさっさと温室を出た。
ポモーナはもちろん、ケトルバーン先生でさえギルデロイが私に纏わりついているのは把握している。だから、彼が来る度に何かと用事を作って私を逃がしてくれているのだ。そしてその行き先は大半が地下牢教室。つまりはセブルスの所、なのだが。
「……何か用かね」
「ポモーナから頼まれてこれを持って来たのよ」
細く開けた扉の間から顔を覗かせたセブルスに見えるように手にしている籠を持ち上げると、察した様に浅く頷いて身を引いた。
するりと室内に入ると、ちょうど調合中だったようでグラグラと大鍋が煮立っていた。
大鍋の前に戻るセブルスの背中を横目に、邪魔にならない位置に籠をそっと置いた。用は終わったが、今外に出るとまたすぐにギルデロイが来る事は分かっている──既に何度か経験済みだ──ため、すぐ側の椅子に静かに腰掛けた。ギルデロイはセブルスが苦手なのか地下牢教室には寄って来ないため、ここは数少ない安全地帯なのだ。
沈黙が降りる教室内で、ほんのりと居心地の悪さを感じる。最近はここに来る度にそうだ。今までそんな事は一切無かったのに。
クィリナスの裁判があったあの日から、セブルスの態度がおかしい。どこかよそよそしい様に感じるのだ。それとなくミネルバやポモーナに確認してみたが、彼女たちは感じていないみたいだった。
ふぅ、と気付かれないようにそっと息を吐く。奇妙な緊張感漂う魔法薬学教室で2人きり。以前なら他愛の無い雑談をしたり、紅茶を楽しんだりしていたのに。……私、何かしてしまったのかしら……。
思い当たる節が無いと言えば無い。強いて言えば、ダーズリー夫人との話について聞いた事だ。あれは確実にセブルスの内面に関わる事だから、もしかして、私、踏み込み過ぎた?
サッと顔から血の気が引くのが分かる。セブルスは嫌いな人間を自分のテリトリーに入れる人間ではないと分かっているから、おそらく嫌われてはいないとは思うが、それだって私の憶測に過ぎない。
眼前の黒い背中は慎重に大鍋をかき混ぜている。いつも通りに。
どうしたら以前の様に接してもらえるか、皆目検討が付かない。セブルスの背中が、遠くに感じた。
ジリジリする日々を過ごしている中、ルシウスから待ちかねた連絡が届き、2度目のマルフォイ邸への訪問と相成った。
「はじめまして、ジャック・トーマスと申します」
落ち着いた雰囲気の老紳士が微笑みながら差し出した手を、私も穏やかに握り返した。
「メリル・ヴァレーです。お会いできて光栄です」
ルシウスが連絡を取ってくれたポッター家の顧問弁護士である。橋渡し役となってくれたルシウスも、ニコニコと機嫌が良さそうに笑っている。かく言う私も仲介役なのだけれど。
ルシウスが提供してくれた部屋で話をする事となり、仄かな緊張感の中話し合いがスタートした。
「まず、ルシウスにお願いがあるんです」
「何かな?」
当然の様に席について優雅に微笑んでいるマルフォイ家当主に、私は1枚の紙を差し出した。それを受け取ってざっと目を通した彼は、愉快そうに片眉を上げた。
「……ふむ、誓約書のようだが?」
「ええ。見ての通り、この場での話を他言無用とする誓約書です。ハリーの安全のためです。Mr.トーマスは業務上他言無用は難しいですし、私にその必要はありません。あの子を害する理由が無いので」
「私も無いよ」
「ええ、そうですね。……今の所は」
スっとルシウスの顔から笑みが引いた。探るような瞳に、あえてニコリと微笑んで私は続けた。
「本意でないのに話すよう求められた時の免罪符にもなりますよ。呪いのかかった誓約書にサインさせられたとでも言っておけば良いんです」
「……呪いは本当にかかっているのかね?」
「さあ?」
とぼけて首を傾げて見せると、ルシウスは声を上げて笑った。
「やれやれ……。思ったより政治の上手いお嬢さんだ。お父上の血筋かな」
「お褒め頂き光栄です」
立ち上がって殊更丁寧にカーテシーまで披露すると、ルシウスは更に笑ってからサラサラと誓約書にサインした。それを懐に仕舞って、私は椅子に座り直した。
ルシウスを信用していない訳ではないが、死喰い人の噂があった事も知っている。それが真実であれ嘘であれ、彼にも立場がある。何かあった際の安全対策はしておいて損は無い。お互いのためにも。
さて、Mr.トーマスの話によると、ハリーはポッター家の最後の1人であり、その全てを相続する権利を有しているとの事。ただ、現在は未成年のため、その場合は後見人が管理するのが一般的らしい。
「ハリーに後見人はいるのかしら?」
「ええ、まあ……」
Mr.トーマスは苦虫を噛み潰した様な顔で曖昧に頷いた。それを不思議に思いながら誰なのか聞いてみたところ、非常に言い辛そうにしつつも教えてくれた。
「……シリウス・ブラックです」
ぐっと眉が寄るのが自分でも分かった。
シリウス・ブラック。あの4人組の一角で傍若無人なグリフィンドールの王様気取り。ピーター・ペテグリューとマグルを巻き込む爆発を起こして、今はアズカバンにいる筈だけれど……?
「……彼が、本当に?」
「はい。名付け親でもあると聞き及んでおります」
ため息しか出ない。自分の後見人であり名付け親が犯罪者なんて、とてもハリーには伝えられない。
そもそも、アズカバンに収監された人でも後見人であり続けられるのね……。
兎にも角にも、今はダーズリー家への補填が優先だ。
「ハリーは今はマグルの家族に養育されていますが、その費用が支払われていないようなんです。ポッター家から補償がなされると考えているのですがどうでしょう?」
「ええ、もちろんです。ポッター家の運営する製薬会社はマグルの企業との繋がりもありますから、あちらの通貨でお支払いが可能です」
「そう、それなら良かったわ」
ダーズリー家の振込先を教えて貰えれば振り込めるとの事なので一安心だ。煩雑な手続きも、全てMr.トーマスが引き受けてくれるらしい。Mr.ダーズリーにこれ以上迷惑を掛けたら更に魔法界や魔法使いが嫌いになってしまうかもしれないし、引き受けてくれて良かった。
「成人前には1度ハリー様にお会いできればと考えているのですが、可能でしょうか?」
「私からは何とも言えないわ。ハリーを今のご家族に預けたのはダンブルドア先生ですので、彼に確認してまたご連絡します」
「分かりました」
「いかなダンブルドアとはいえ、血縁も無い他人だろう?彼の許可なんぞ必要かい?」
ルシウスがほんのり苦い顔で口を挟む。それへ緩く首を横に振って、
「先生の事ですから、何か理由があって預けたのでしょう。ハリーの安全にも関わるので、私が独断で動く訳にはいきません」
と答えた。ルシウスは無言で肩を竦めるに留めた。
その後は2、3確認をして、私はマルフォイ邸を辞した。いつの間にか日が傾いており、ギリギリ姿現しできる場所から急いでホグワーツに戻った。
「おや、私のティンカーベル!良い所で出会いましたね!やはり私たちは運命で繋がっている!」
何てタイミングの悪い。
ホグワーツの扉を開けた途端にこれである。
「そろそろ夕食の時間のようです!さあ、行きましょう!」
勝手に先に立って歩き出したギルデロイの後ろを、そっと息を吐いてから足を動かし始めた。
「ティンカーベル」というのは、自己紹介をした時にギルデロイが私を指して呼んだ物だ。その時は「レイブンクローのティンカーベル」と言っていたが。「ティンカーベル」とは、確か、マグルのお伽噺に出てくる妖精だった筈。プライドが高い印象があるのだけれど、私もそう見えているという事かしら?
そういえば、その妖精を知っているという事は、ギルデロイはマグル生まれかマグル界で育ったかなのね。
ツラツラと益体のない事を考えていると、大広間に到着していた。気取ってエスコートしようとギルデロイが差し出した手を見なかった事にして、私はさっさと自分の席に着いた。ギルデロイは全く響いていない様子で、校長席を挟んで反対側の並びのテーブルへと歩いて行った。
少しの時間しか共にいなかったのに、妙に気疲れした。大広間に来るまでの間も、ギルデロイはずっと喋り続けていたのだ。黙ると倒れる病気なのだろうか……。
思わず小さくため息を吐いて椅子に座った私を、セブルスがチラリと横目で見た。だがその視線はすぐに外れてしまい、それが私の胸にツキリとした痛みを齎した。彼が愛想良いタイプでないのは分かっているのに……。疲れているからか、ちょっとした事でも気にしてしまう自分がいる。
無言のまま終わった夕食後、ギルデロイがわざわざ私の席の前までやって来た。
「さあ、メリル!夕食も終わったことですし、私の部屋でお茶にしましょう!良いワインを私のファンから貰いましてね!」
何の約束もしていないのに私が来ると確信している素振りのギルデロイに、内心ため息が出る。何度もその手の誘いは断っているのに、彼の辞書には「慎む」や「遠慮する」という言葉は載っていないのだろうか?
「いえ、私はダンブルドア先生とお話がありますので」
「ほっ?」
「はい?」
ハリーとMr.トーマスとの面会について相談したいと思っていたため、嘘ではない。
急に名前を出されたダンブルドア先生が驚いて声を上げたが、必死で目で訴えると「うぅむ、そうじゃった気がするのう」と話を合わせてくれた。
「それでは、これで。ダンブルドア先生、よろしいですか?」
「うむうむ、もちろんじゃて」
驚いた顔のギルデロイを置いて、ダンブルドア先生に続いて大広間を出る。そして近くの角を曲がった瞬間、「巻き込んですみません、先生!」と頭を下げた。しかし、ダンブルドア先生は髭を撫で付けながら「何の事かの」といたずらっ子の様に笑った。
「その、何もお約束していないのに、勝手にあんな事を言ってしまって……」
「いや、いやいや、メリルや、わしは とお茶をする約束をしとったじゃろう?」
驚いてダンブルドア先生の顔を見ると、水色の瞳をキラキラさせながら先生はパチリとウインクした。
私が呆気に取られていると、「それに」と先生は続けた。
「わしに話したい事があるのではないかな?」
「……本当に、先生は何でもご存知なのですね」
その空色がどこまで見透かしているかは分からないが、ダンブルドア先生が知らない事は無いんじゃないかと思うくらい、先生の知識や情報の量は圧倒的だ。
「偶然耳に入ってのう」
なんて、本人はカラカラと笑っているけれど。
校長室に通されて勧められたソファに座ると、眼前のテーブルに紅茶とお菓子がパッと現れた。屋敷しもべ妖精によるものだろう。お菓子も駄菓子がほとんどで、ダンブルドア先生の好みを把握している事が窺える。
「好きに食べなさい」
「ありがとうございます」
お言葉に甘えて、レモンキャンディを1つ口に放り込んだ。爽やかな酸味が口内に広がる。
「美味いじゃろう?わしもつい食べ過ぎてしまうんじゃ」
機嫌良くダンブルドア先生もレモンキャンディを口に入れながら、向かいのソファに座った。
「して、何があったのかね?」
キラッと先程とは違う色に、ダンブルドア先生の瞳が光る。ほんのりと向けられるプレッシャーを、ニコリと微笑む事で受け流して「深刻な話ではないんです」と口火を切った。
「確認なのですけれど、ハリーはポッター家の子供ですよね?ダーズリー家ではなく」
「左様」
「そのポッター家の全てを管理している顧問弁護士、Mr.トーマスに今日会ってきました。彼によると、ハリーはポッター家の最後の1人であるため相続権を持っているそうです。その関係で、できれば成人前に1度お会いになりたいとのお話でした。Mr.トーマスとハリーが面会する事は可能でしょうか?」
「ふうむ」
ダンブルドア先生は髭を撫で付けながら黙ってしまった。思案に耽けるような伏せられた瞼からは、何も読み取れない。
「何か問題でも?長くポッター家とお付き合いのある方なので、ハリーも自分の両親の話を聞けるかと思ったのですが……」
「うぅむ……」
唸る様な声を漏らしたダンブルドア先生は、1度瞼を完全に閉ざした後スっと私と目を合わせた。透き通るような水色の瞳が私を射抜く。
「メリルはヴォルデモートが倒れたあの日、ちょうど旅をしている途中じゃったな?」
「ええ。ハリーだけが生き残ったと預言新聞で知りました」
「そうじゃ。しかしそれは真実とは言えん」
どういう事だろう。新聞では、「例のあの人」が襲撃したポッター家でハリーだけが生き残ったため、ハリーが「例のあの人」を倒したのだと書かれていた。それが真実ではない?
「と言うと?」
「ハリーが生き残ったのは、彼の母親がその命をかけてハリーを守ったからじゃ。その愛と命をかけた古い魔法によって、ヴォルデモートは自らが放った魔法が反射して倒されたのじゃ」
「古い魔法……」
「左様。古い古い魔法じゃ。彼女が意図して使ったのかは分からんが、確かにそれが小さなハリーを守ったのじゃ」
愛。尊く貴く、時に痛みを齎すそれ。それがあの子を守る物。「例のあの人」さえ退けた、大いなる力。
「……では、あの子自身の力ではないと、いうことですか?」
「ハリーもまた、重い運命を背負っておる。そのため、マグルの家族に預けて魔法界から遠ざけたのじゃ。あの子の安全のためにも」
ダンブルドア先生は、それ以上何も語らなかった。
ハリーの運命。「例のあの人」を退けるだけでは終わらない何かが、あの子にはこれから待ち受けているという事だろう。
パッと頭に閃く物があった。
「先だって『例のあの人』がクィリナスを操ってまでホグワーツに潜入したのは、ハリーを狙って……?」
「おそらく。『石』を狙ったのもあるじゃろうが」
ダンブルドア先生は重々しく頷いた。
という事は、今後も「例のあの人」はハリーを狙って来るだろう。そしてそのハリーを、セブルスは気に掛けている。あの子の危機に顔色を変えて焦るくらいには。リリー・エバンズが母親だからというだけで、あんなに気にするかしら?他に理由があるのでは?
「……セブルスが、あんなにハリーを気に掛けるのは、リリー・エバンズが母親である事以外に、何か、理由があるのでは?」
考えながら慎重に言葉にすると、ダンブルドア先生は紅茶を啜ってから、ふぅ、と息を吐き出した。その仕草だけで、先程の考えに確信を得た。セブルスは何か深い事情を抱えている。
「さすがレイブンクローの子じゃ。賢いのう。……セブルスはリリーの死が自分のせいだと考えておる」
「何故です?」
「彼は君の推察通り死喰い人になっておったが、その時に取った行動がポッター家への襲撃に繋がり、リリーが死んでしまったと思っておるのじゃ」
「その行動とは?」
「それを君に教える事はできぬ。他の誰であってもじゃ。……あの時のセブルスは目も当てられんかった。敵対していたわしに助けを求め、もちろん尽力したが叶わず、セブルスはゴーストの様になっておった。そんな彼を、わしが引き留めたのじゃ。ハリーを守るようにと」
ダンブルドア先生がここまで言うのなら、セブルスが何をしたのかは絶対に教えて貰えないだろう。そこは仕方が無い。先生には先生の考えがある筈だから。
ハリー守る事で、セブルスなりに責任を取ろうとしているのだろうか。それとも、リリー・エバンズの遺志に従って?どちらにせよ、セブルスがハリーを特別視する理由は分かった。
やはり、リリー・エバンズなのだ。全てが彼女由来で、彼女が全てなのだ。理解していた筈なのに。
「……あの人は、そのために生きているのですね」
鼻の奥がツンとする。先生の前で泣きたくなくて、顔を俯かせた。テーブルの上にある紅茶の水面に、情けない表情をした自分が映っている。
「……メリル、君はセブルスを愛しているのじゃな」
ダンブルドア先生の労る様な深い声に、無言で頷いた。
私にとっても、セブルスが全てなのに。彼は私を見ない。どれ程の時間側にいても、どれだけ近くにいても。だけれど。それでも。
「……私には、あの人しかいません……」
「そうか……」
強張る私の肩に、ダンブルドア先生がそっと手を置いた。
「君の献身が報われる事を祈っておる。Mr.トーマスとの面会についても考えておこう。……今日はもう休みなさい。寝る前にホットミルクを飲むと良く眠れる」
「ええ、そうします」
今日は起きていても、後ろ向きな思考が加速するだけだろう。先生の言うように早くベッドに入ろう。もちろんホットミルクを飲んだ上で。
すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干し、挨拶をしてから校長室を出た。
熱くなった目の奥が早く冷める事を願いながらとっぷり日の暮れた廊下を歩いていると、急に角を曲がってきた人物とぶつかりそうになってしまった。
「ごめんなさいっ」
「おっと!おや、これはこれは!メリルではないですか!実に良い所で……泣いているのですか?」
何てタイミングの悪い。
しかも、ぶつかるのを回避する動作で思わず零れた1粒を見られてしまったらしい。すぐに拭いたのに、目敏い人。
「気のせいじゃないかしら。それではこれで」
「メリル、待ってください」
前方に進もうとしたのに、サッとギルデロイに前を塞がれてしまった。思わず寄った眉をそのままに、彼を見上げる。
「どういうつもり?」
「泣いている女性を独りにはできません。ましてや、メリル、私のティンカーベル、貴女だから。さあ、私の部屋へ行きましょう!涙する貴女も美しいですが、そのままではいけません!私が全身全霊で慰めましょう!」
「行きません」
相変わらずの全開の笑顔で宣うギルデロイに、ため息が出る。
今は1人にして欲しいのに。何ならすぐに眠りたいくらいだ。
そんな内心など知らないギルデロイは、私の腕を掴んで歩き出そうとする。それを足を踏ん張って耐えて、嘘臭い笑みを浮かべる彼を睨み付けた。
「離して」
「おやおや、照れているのですね?ご安心ください!私といて照れない女性はいません。そんな貴女も可愛らしいですが、いつまでもここにいる訳にもいきませんからね」
グッと引っ張られる腕を、振り解く事ができない。男女の腕力差をまざまざと見せ付けられたようで、情けなさに涙が出そうだ。
「私に構わないで」
「そんな事はできませんよ!私は紳士なのですから!まさか、誰かに泣かされたのですか?それはいけない!」
「何を──」
「紳士たるもの、女性を泣かせる男を放ってはおけません。そう!それが例えあのセブルスでも、」
「彼は関係無いわ!」
あ、と思っても、もう遅い。口から飛び出た言葉は元には戻らない。これでは、セブルスに関係があると言っている様なものだ。
ギルデロイが、珍しく軽薄な笑みをその顔から消した。
「やはり彼なのですね、貴女の涙の原因は」
「いいえ、いいえ、違います。全く、本当に、関係ありません」
「何故嘘をつくのです?貴女が泣くなんてよっぽどの事でしょう!」
「構わないでと言っているでしょう。手を離して、離しなさい」
「いいえ!いいえ!放っておく事はできませんよ!……メリル、貴女は未だにそんなにも彼の事を愛して、」
「黙りなさい!」
「──何事かね?」
「っ!」
唐突に割り込んできたベルベットボイスに、息が止まった。思わず荒らげた声の名残が、はっと小さく口から漏れた。
──聞かれてしまった?それは、何を、どこまで?
固まってしまった私を置いて、ようやく私の腕を離したギルデロイは何故か挑戦的な笑みを浮かべた。
「おやおや、セブルスではありませんか。貴方こそ、こんな時間にどうしたんです?」
「我輩は当番の見回りだ。諍うような声がしたが、喧嘩かね?良い歳をして、学生であれば減て、」
セブルスの言葉が不自然な所で途切れた。何故だろうと彼の方を見ると、ギョッとしたように目を見開かれた後フイッと視線を逸らされた。
「ぁ……」
そして気付いた。頬を濡らす雫に。
──ああ、嫌だ。泣きたくなんて、ないのに。
「メリル……」
「怒鳴ってごめんなさいね。でも本当に何でもないの。私はこれで、おやすみなさい」
何か言いかけたギルデロイの言葉を遮って一息に言い切り、溢れる涙を拭いながらその場を早足で立ち去った。
熱いシャワーが、いつもより染みた夜だった。
次の日、朝食の席にギルデロイの姿は無かった。あの後セブルスとの間に何かあったのか一瞬考えたが、オーロラとフリットウィック先生のおしゃべりから自身のサイン会に出かけたらしいと知れた。ちょっと心配したのに、何だか損した気分だ。
相変わらずの静かな朝食の後、私は昨日Mr.トーマスから聞いた補填についてダーズリー家へ手紙を出すためにダイアゴン横丁に姿現ししていた。ここなら大抵の物は揃うし、マグル式に手紙も送れるからだ。ついでに、そろそろ戻ってくるらしいクィリナスに何かプレゼントでも見繕おうかしら。
文房具なら普段使いできるわよね?それとも、杖の手入れ道具の方が良いかしら?
贈る品を考えつつ郵便局で速達を出して、横丁をプラプラと歩いていると予想外の人物に遭遇した。
「あら、ルシウス、ご機嫌……はあまりよろしくなさそうですね。大丈夫ですか?」
「ああ、ああ、もちろん問題無いとも」
目に青痣を拵えたルシウスは、杖を1振りしてそれを跡形も無く消し去った。乱れた髪を撫で付けて整えた彼は、ふぅと大きくため息を吐いた。
「やれやれ、レディに不格好な所を見せてしまった。お詫びに昼食でもどうかな?」
「ええ、喜んで」
「ヴァレー先生、こんにちは」
「あら、ドラコもいたのね、こんにちは」
ルシウスの影から、ひょこっと小さなプラチナブロンドが姿を見せた。私たちが会話している間は行儀良く待っていたらしい。さすがの品の良さだ。
ルシウスの案内で、横丁から1本入った通りにある明らかに高級そうなレストランに入店すると、何も言わずとも個室に通され、マルフォイ家が貴族である事を改めて実感した。
頼んだ食事を食べながら、他愛無い話やドラコのホグワーツでの話を聞く。キラキラとした目で学校生活について喋るドラコは、本人には言えないが子供らしくて大変可愛らしかった。
「時に、セブルスは元気かな?手紙を書いても中々返事をくれなくてね」
やれやれという風にルシウスは苦笑した。確かに筆まめには見えないが、それにしたって不意打ちでセブルスの名前を出されて思わず顔が引き攣った。もちろんそれを見逃すルシウスではない。
「おや?何かあったのかね?」
「い、いえ、そんな大した事では……」
口ごもっていた時、ちょうど食後の紅茶が運ばれてきたため、それ以上の追求は無かった。その事に安心していると、ルシウスが「これは独り言だが」と囁く様に呟いた。
「セブルスは昔からすぐに自分の事を疎かにする傾向があってね。私が見られる所は世話を焼いていたが、卒業した後は君が彼の面倒を見てくれたと聞き及んでいる。……感謝しているんだ、真実ね。だからという訳ではないが、できればこれからもセブルスといてやって欲しい」
ルシウスは、そのグレーの瞳をカップの中の朱い水面に向けたままそう言った。その声音に嘘は感じられない。珍しくも──こう言っては失礼だが──貴族の中の貴族である、あのルシウス・マルフォイが本当に内心を口に出してくれたようだ。ポッター家の顧問弁護士を探してくれた件にしても、そんなに気に入られる様な事はしていないと思うのだけれど……、と戸惑いながらそっとドラコの方を窺うと、バッチリ視線が合った後にサッと逸らされた。
どういう意味だろう……。何も知らないのか、何かしら知っているけれど素知らぬフリをしているのか……。
悩んでも仕方無い。今なら答えてくれるかもしれないから、直接聞いてみた方が良い。
「もちろんです、ルシウス。でも、貴方からそう言っていただける程の何かをした覚えが無いのですが、その理由は教えてくださいますか?」
「ふむ、もちろんセブルスと仲良くしてくれている事もあるが……君は覚えていないかね?我が妻ナルシッサの事を」
「以前お会いさせていただきましたが……」
「いや、ホグワーツに在学していた時だ」
軽く苦笑するルシウスの言葉に、脳内で学生だった時の記憶を辿る。ルシウスは確かいくつか歳が上だから、ナルシッサもそうだろう。そうなると、接触があるとしたら低学年の頃の筈。さすがブラック家の血筋だけあって輝かんばかりの美貌だったが、あんな美人を見て忘れる事などあるだろうか?
「ごめんなさい、記憶に無くて……」
「そうか。それも仕方無い。顔は見せていなかったと言っていたから。……あれは、ナルシッサが学生の時分、彼女の姉妹のトラブルで当時の婚約者から婚約解消された上に難癖をつけられていてな。さすがのナルシッサも気落ちして木陰で隠れていたところ、ある少女が通り掛かったそうでね。湿らせて温めたハンカチを渡すと共に、何があったか聞かれたそうだ。身内や婚約関係の恥を晒す訳にもいかないため『何でも無い』と答えたようなのだが、少女は『もし虐められているのなら、良かったら護身用にこちらをどうぞ。私はまた調合すれば良いので気にしないでください』と言って、背を向けたままのナルシッサの側に小さな蓋付きの瓶を置いて去ったらしい。瓶のラベルには『ふくれ薬』と書いてあったと言っていた。結局ナルシッサは使わなかったようだが。……何か心当たりは?」
「……ありますね……」
朧気ながら、そのような事をした記憶はある。でもまさか、あの綺麗なブロンドの持ち主がナルシッサだったとは。世間は案外狭い物だ。
ドラコがちょっと引いた目をしているのは見なかった事にした。その頃は色々と魔法薬を持ち歩いてないと実力行使に出てくる奴に対抗できなかったから、不可抗力だったのよ。
「彼女はその事があって随分心が楽になったそうだ。何かあればふくれ薬をかけてやれば良いと思えたそうだから」
「えっと、昔の私がお節介を焼いたみたいですけれど、少しでもお役に立てたのなら良かったです」
「まあ、そういう訳で、私は君に肩入れしているのだよ。もちろん、その能力を買ってもいるがね」
ルシウスはわざとらしくウインクした。その言葉は嘘ではなさそうだけれど。
食事代はルシウスが持ってくれた。自分の分は出すと言ったが、女性に払わせる訳にはいかないと頑として受け取ってくれなかったのだ。
このまま帰宅するというマルフォイ親子に別れを告げ、私はクィリナスへの贈り物を購入してホグワーツに戻ったのだった。
ちなみに、ルシウスの痣の原因は翌朝の預言者新聞で判明した。まさか、ウィーズリー兄弟の父親と取っ組み合いの喧嘩をしたとは思いもよらなかったけれど。
案外アグレッシブな所もあるのね。
サンビタリアの花言葉「私を見つめて」
17話目です。
ロックハートを書いていると大変面白い事も判明したので、当初の予定より出番が増えそうですw
ネトフリのお陰で、2巻のストーリーの大まかな流れをおさらいできて助かりました。 ローブを脱いだセブルスの腰、ヤバくないですか?肩幅しっかり、服ぴったり、腰細がっしりでテンション上がりまくりました。推しの供給があるのはありがたいですね!