新学期になると、休暇から戻ってきた生徒たちで城内は俄に活気づいた。懐かしの組み分け帽子による校歌独唱も組み分けもつつがなく進み、宴が始まる前にダンブルドア校長が私のことを紹介してくれた。
「さて、皆も気になっておったと思うが、今年から新しい先生を迎えることとなった。魔法生物飼育学並びに薬草学の教授補佐を務めていただくメリル・ヴァレー先生じゃ」
私は席から立ち上がって笑みを浮かべながらお辞儀をした。生徒達からは拍手をもらえて、少しホッとした。第一印象を良くすることには成功したようだ。嫌われてるより好かれていた方が良いしね。
ダンブルドア校長はうんうんと笑顔で頷き、宴の開始を宣言した。
「……ところで、私の席はここでいいのかしら?」
「我輩の隣では不満ということかね?」
「まさか!ポモーナの隣じゃなくて良いのかなと思ったの」
私が笑いながら言うと、セブルスはフンッと鼻を鳴らした。
「単に年齢順だと思うが」
「ああ、なるほどね。私としては気軽にお喋りできるからありがたい席順ではあるけど」
「……そうかね」
後々聞いたところによると、この時実は生徒たちが「あのスネイプ先生と楽しげに喋っている…!」と密かにザワザワしてたとのこと。どれだけ生徒から嫌われてるの、セブルス……。
閑話休題。
私の授業デビューは、薬草学の授業だった。初回は今年度扱う薬草の説明が主だとのことで、私は温室に今日使用する鉢植えの準備をしてポモーナと生徒たちを待っていた。
しばらくすると、ぞろぞろと2年生のレイブンクロー生がやって来た。生徒たちの後ろにはポモーナもいる。私は笑顔で彼らを迎え入れた。
ポモーナは生徒たちを鉢植えの前にそれぞれ立たせた後、私を呼び寄せた。
「さて、皆さん。昨日ご紹介しましたが改めて。この薬草学と魔法生物飼育学で教授補佐を務めてもらうメリル・ヴァレー先生よ」
「よろしくお願いします。私も皆と同じレイブンクロー出身だから、分からないことがあれば気軽に聞いてね」
「はい、先生」
私が挨拶すると、さっそく1人の男の子が手を挙げた。ポモーナに確認してから「どうぞ」と促すと、彼は好奇心が抑えきれないという風に前のめりに口を開いた。
「先生はスネイプ先生とどういう関係ですか?」
「とってもプライベートな質問ね。初対面の相手にする最初の質問ではないわよ。……まぁ、いいわ。セブルスとは同級生で、魔法薬学の関係で良く話すの。魔法薬学は薬草学と密接な関係にあるし、彼はポーションマスターでもあるからとても勉強になるわ。つまり、単なる同僚よ」
私が淡々と答えると、次は別の女の子が手を挙げた。
「先生はレイブンクロー出身とのことですが、成績は良かったんですか?」
「出身寮のことをこう言うのもあれだけど、レイブンクロー出身だからといって成績が良いとも限らないし、そもそも学校の成績だけが全てでは無いのに、それを絶対視してる風潮はどうかと思うわ。昔から思っていたけれど、成績に反映されない知識や体験なんて数えられない程あるのに、成績ばかり気にして他者を下に見てどうするの?周りを下げても自分が上がることは無いのよ」
私の発言に驚いたのか、温室内に静寂が広がった。というか、むしろ空気が凍りついている。私が学生時代から思っていたことを正直に述べただけなのだが、まだまだ幼い彼らには衝撃的だったようだ。
まあ、私もこの考え方だったから当時寮内では少し浮いていたが。意地悪を言ってくる人間もいたけれど、全く気にならなかったから放っておいたらいつの間にかいなくなっていた。
「アー……質問はもう無さそうね?何か困ったことがあったら頼ってくれていいから、皆よろしくね」
最後にそう言って、私は恐る恐るポモーナの方を見た。図らずも温室内の空気を良くない物へと変えてしまった手前、少々いたたまれないのだ。
彼女は私を安心させるようにぱちりとウインクし、「さあさあ、皆さん」と軽く手を叩いて注目を促した。
「本日は皆さんの目の前にある薬草を使いますが、その前に今年度扱う薬草を説明しますよ」
ポモーナが軽やかに話している間、私はなるべく気配を消して教室の端に控えていた。
授業は滞りなく終わり、生徒たちが行きと同様ぞろぞろと出ていく中、私は急いでポモーナに駆け寄った。
「ポモーナ、その、今日はごめんなさい。考え無しに話してしまって、授業の空気を悪くしてしまったわ……」
「大丈夫よ、メリル。貴女の考え方は正しく、そして公平よ。ただ、生徒たちにはまだちょっと早い見方だったかもしれないけど」
ポモーナはお茶目に笑って許してくれた。彼女のこういうところがとてもハッフルパフ然としている面でもあり、可愛らしい長所でもあると思う。
私は彼女にお礼を言って、一足先に温室を後にした。次はスリザリンの魔法生物飼育学に参加しなければならない。
結論から言うと、魔法生物飼育学でも似たような展開になった。「成績」の部分を「純血」に言い換えた形だ。具体的に言うと、「先生は純血ですか?」という物だ。それに対して、私はこう答えた。
「純血の基準は?両親が魔法族であれば純血かしら、それとも祖父母が?定義もあやふやな価値観で他人を測って何があるの?それよりも、その人が何を成したかを基準にした方がよっぽど価値ある関係が築けると思うわよ。もちろん血統を重視する思想を否定するわけではないけれど、それだけに拘るのは率直に言ってダサいわ」
聞いてきた子はもちろん、ほとんどのスリザリン生が絶句していた。何なら顔色が青くなっている子までいた。
私が授業後ケトルバーン先生に謝ったのは言うまでも無い。
「──ということがあったのよ」
「君という人は……」
眼前のセブルスは頭を抱えていた。今日の出来事を簡潔に話していただけなのに、何故?
「アー、言い方が厳しかったかしら?」
「そういう問題ではない……」
首を傾げていると、大きく深いため息をつかれてしまった。だから何でよ。
もやもやしながらクッキーをつまんでいると、セブルスが眉間の皺を揉みながら再度短くため息をついた。
「……君の考え方を否定するわけでは決してないが、あまり公言しない方がいい」
「どうして?」
「その価値観で長く生きてきたものにとっては、君に攻撃されたと捉えられる可能性もある。子供のすることとは言え、何が起こるか分からん」
「心配してくれてありがとう。用心するわ」
「心配などしとらん」
セブルスはフンッと鼻を鳴らして紅茶を一口啜った。分かりにくい優しさは、ほわりと私の胸を暖かくしてくれた。
ちなみに、どの寮との授業でも漏れなくセブルスとの関係は質問されたが、そこは本人には秘密にしておいた。セブルスの眉間の皺が深くなるのは分かりきってるものね。
ある日の夜。私は禁じられた森の端を歩いていた。晴れた風の無い夜に、さくさくと草土を踏む音が響いている。
私が夜に、しかも真夜中近くにこんな所を歩いているのは、散歩が趣味というだけではない。
秋の満月の日にだけ花開く植物を、数ヶ月前にこの禁じられた森で見つけていたのだ。その名もゲッコウヅル。魔法薬に使うことも少ないマイナーな薬草ではあるが、その花から採れる蜜を集めて固めると、とても良い匂いの蝋ができるのだ。
「確かここら辺に……」
ガサガサと低木や草を掻き分けながら森の中へ進んで行くと、ちょうど開けた場所に生えていた大木に目当ての蔓が巻き付いていた。その蔓にはもうすでに花がいくつも咲いている。白色の花弁の根元が鮮やかに赤いのが特徴で、花の奥に溜まっている蜜を専用のスポイトで慎重に採取していく。周囲の花の分も含めて採り終える頃には、試験管の中は満杯になっていた。
よしよし、とにんまりしながら頷き、試験管をローブの内ポケットに戻した瞬間。
「きゃあっ!」
バサササッと急な羽ばたきに私は驚いて後退り、そしてその先には大木の根が。
「痛っ」
物の見事に踵を引っ掛けてすっ転んだ私の災難は、それだけでは終わらなかった。転んで左手をついた先には木の幹。ちょうど小指あたりに空洞があり、そこから小さな動物が顔を出してこちらを威嚇していた。ヒドクネズミだ。この森では初めて見た、とつい観察していると、向こうの堪忍袋の緒が切れたのか思いっきり小指に噛みつかれてしまった。
「あっづ!」
すぐさま手をどかし、未だ威嚇を続けているヒドクネズミに「ごめん!」と謝りながら立ち上がった。
噛まれた所がジンジンと痛む。火傷を負ったような痛みに、本の通りだと苦笑した。
ヒドクネズミはその鋭い前歯に毒を持つ。猛毒ではないが、火傷のように火膨れを起こすのだ。今日に限って毒消しを切らしているから、できるだけ急いで医務室に行かなければ。マダム・ポンフリーにはまた怒られてしまうだろうけど。
立ち上がって気付いたが、左足首も痛い。転んだ時に捻ってしまったようだ。怪我に怪我が重なるなんてやれやれだ。懐の試験管が無事なだけ僥倖かな。
左足を引きずりながらも、何とかホグワーツ城に辿り着く。片足が不自由なだけでかなり疲れた。
はあ、と息をついて扉を薄く開けて身体を滑り込ます。
「あ」
そうかぁ、今日はセブルスが見回りの日だったかぁ、忘れてたなぁ。
バッチリと合った視線をそうっとそらしてくるりと背を向け。
「待て」
私の逃亡はあえなく失敗に終わった。セブルスにがっしりと肩を捕まえられたのだ。そもそも怪我をした足での逃亡など到底不可能だった。
せめても、と左手を隠すが、どうせ分かっているんだろうなぁ。
「どこへ行っていた。……いや、どこへ行く?」
「ちょっと医務室にね。えっと、だから離してくれると嬉しいんだけれど」
話している間にもジンジンと左手と左足首が痛みを主張してくる。本当に早く離して欲しい。
無言のままのセブルスにそんな風に考えていると、彼は私の肩を掴んでいた手を離したかと思うと、そのまま左手首を掴んで自身の目の前に持ってきた。火膨れは小指全体に広がっていて、割と酷い有様だ。
「……これはどういうことだ」
「事故よ。ヒドクネズミの巣のすぐ近くに手をついてしまったの。だから毒消しを貰いに医務室へ、」
私の言葉を遮って、セブルスがぐいっと掴んだ私の手首を引っ張った。その動きについて行けずにたたらを踏んだ左足に重みがかかり、思わず「痛っ」と声が漏れてしまった。セブルスの眉間の皺がグッと深くなる。
「……足か」
「ええ、ちょっと、って、セブルス!?」
セブルスはやにわに私を抱え上げ、そのまま早足で歩き出した。所謂お姫様抱っこである。頬がカッと熱くなる。さすがに恥ずかしくて「自分で歩けるわ!」と彼の腕の中から出ようともがくと、「担がれたいのか」とそれはもう低い声で脅され……もとい、言われてしまったので、私は黙って大人しくされるがままにしていた。
「医務室はこっちじゃないわよ?どこに向かってるの?」
「我輩の部屋だ。医務室より近い」
え、とびっくりしたけれど、拒否権は無さそうだ。……拒否するつもりも無い。マダムにまた怒られるのも心配かけるのもできるだけ遠慮したい。心から心配してくれるから、ちょこちょこお世話になってる身としては申し訳ないのだ。私の怪我は不注意だったり、つい魔法生物に近過ぎた故の物だから。
私が少し現実逃避している間に、セブルスは私を抱えたまま地下牢教室に辿り着いた。彼は器用に教室の扉を開けると、ずんずんと教室内を横切って奥の私室に辿り着いた。ちなみに開けた扉はきっちりと閉めている。本当に生真面目な彼らしい。
……そう言えば、セブルスの私室に入るのって初めてじゃないかしら?
「痛みが強くなってきたのか?もう少し耐えてくれ」
突然思い至った事実のせいで湧き出てきた緊張で身体が強ばった私へ、セブルスがほんの少しだけ語気を柔らかくしてそう言ってくれた。
その気遣いはとても嬉しいが、そういうことではないというか、痛みはむしろ抱えられた時の衝撃で吹っ飛んでしまっているというか……!
私が心の中で慌てている間に、私室に入ったセブルスは私をそぅっとソファに下ろし、そのまま黒衣を翻して早足で手当の準備をしに行ってしまった。その背を見送り、ついスンッと室内の匂いを嗅ぐ。……薬草の匂いがする。さっき抱えられた時に感じた、彼の服の匂いと同じ。
そこまで思い至り、やっと下がってきた体温がまた急速に上がっていく。これは絶対顔も赤くなっている。
すぐさま必要な薬と包帯を持って戻って来たセブルスは、私の様子に怪訝な表情をしたものの、テキパキと私の小指の傷を消毒して包帯を巻いてくれた。そして魔法薬を入れたゴブレットを「飲め」とずいっと私の目の前に差し出した。その限界まで皺の寄った眉間に苦笑しながら、私はゴブレットを受け取って一息に呷る。うーん、苦い。お陰で熱かった頬も一気に冷えた。
「ありがとう、セブルス」
「一晩安静にしておけばその指も足も治る。……ところで、生徒の模範となるべき教員が、見回りでもないのに真夜中に禁じられた森を彷徨いていたとはどういうことかね。怪我をしてまでとは、よっぽどの事情があるんでしょうな」
手当が終わった途端に皮肉が飛んできた。どうやら言わずにはおれない程心配をかけてしまったらしい。
「ごめんなさい、治療までしてもらって……。いつもは毒消しも持ってるのよ?たまたま今日切らしてて……」
「言い訳は不要だ。あの森で何をしていたのかね?」
「これを採っていたの」
私はローブの内ポケットから試験管を取り出してセブルスへ見せる。ハッカ色の蜜がたぷりと揺れた。
「これは?いや、待て。……ゲッコウヅルか」
「さすが、良く分かったわね。これを蝋燭にしたりアロマにしたりするの。とても良い匂いなのよ」
にこにこと笑いながら話す私に、セブルスは深い深いため息をついて自分も向かい側にあるソファにどさりと腰を下ろした。
「えっと、セブルス……?」
「全く、君という人間は……」
「迷惑をかけてしまってごめんなさい……。次からは気を付けるわ」
「そういうことではない。……闇の帝王の脅威は去ったとはいえ、まだ危険は残っているのだ。安易に出歩くべきではない」
「でも、ここはホグワーツよ?もちろん今回の怪我は私の油断が原因だけれど、ここは魔法界で1番安全な場所でしょう?」
「それはそうだが、いつ何時何が起こるか分からん」
「……貴方の言うことも、一理あるわ。次回からは準備万端で行くことにする」
セブルスにはもう一度、先程より深ーい深ーいため息をつかれてしまった。どうしてだろう?
私がホグワーツに赴任してから数年が経った。魔法界全体を覆っていた暗い雰囲気は徐々に払拭されていき、今ではダイアゴン横丁やホグズミードも賑わっている。私はと言えば、ホグワーツでの生活にも慣れ、自宅はあるものの、掃除のために極たまに帰るだけで、あとはずっとホグワーツにいる状態だ。
また、初めての授業で室内の空気を凍らせたものの、その後は何故か生徒たちから慕われている。ありがたいけれど謎である。それに、何となく寮同士のいがみ合い、というか主にグリフィンドールとスリザリンのいざこざが減ったような気もする。そこは本当に気のせいかもしれないけれど。
平穏な日々だった。ほんの数年前まで暗い風が吹き荒れていたとは思えないくらいに。まるで嵐の前の静けさのように。
「……来年だ」
新年を明日に控えた日。クリスマス休暇のホグワーツ城内はガランとしていて、その日やることを早々に終わらせた私はセブルスをお茶に誘った。夕食後なら、と了承を貰えたため、こうして彼の私室に招いてもらっている。以前禁じられた森での怪我を治療してもらった時以来の訪問である。
のんびりとお茶をしている中、セブルスが不意にぽつりと零したのが先程の言葉だ。どういう意味かと私が視線を向けると、彼は一口紅茶を飲んでから口を開いた。
「来年、あの子が入学して来る」
「あの子って?」
「…………『生き残った男の子』だ」
「あぁ……もうそんなに経つのね……」
例のあの人が倒れてからーーリリーが亡くなってから、もう10年経つのか。
「ようやくだ、ようやく……」
セブルスは顔を暖炉に向けたまま、呟く。揺らめく炎を見つめるその瞳は、対面にいる私を映さない。
──あぁ、貴方はまだリリーを愛しているのね。
パズルのピースがはまったかのような感覚だった。彼の纏う黒色は全て、リリーの──最愛の彼女のためにあるのだ。そこに私の入る余地は、無い。
分かってはいるのだ。彼が何か重い決意を心に抱いていることも。彼女への想いを決して表に出さないまま、何かを待ち焦がれていることも。そうして、先程の言葉の意味を含めてそれら全てを、誰にも──もちろん私にも──話すつもりは無いということも。
室内にはただ、薪の爆ぜる音だけが響いていた。
次回から原作軸に入ります。
言い遅れましたが薬草や魔法生物など諸々捏造ありです。