百合の影から覗いて   作:細雨

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ゼラニウムを携えて〜秘密の部屋篇〜

目が覚めたら、全てが終わっていた。

それが、事件の詳細をダンブルドア先生から聞いた私が抱いた、最初の感想だった。

ベッドの上でマダム・ポンフリーから診察を受け、涙混じりの説教を謝りながら聞いて、それからダンブルドア先生との面会になった。先生は微笑みながら「まずは無事に戻れた事を喜ぶべきじゃな」と言った。

「先生、あの子たちは無事に逃げられましたか?」

「もちろんじゃ。メリル、君のお陰じゃのう」

「ありがとうございます」

ダンブルドア先生は、私が聞いた事全てに答えてくれた。バジリスクの最期、「秘密の部屋」の事、ジニーとトム・リドルの関係、それからハリーの活躍とギルデロイの所業。それに、被害者たちが皆マンドレイク蘇生薬で回復済みな事。「ほとんど首無しニック」も無事に元のゴーストの状態に戻れたらしい。

「君に、いくつか質問をしても良いかの?」

私の問いに答え終わったダンブルドア先生がそう言った。私が頷くと、「バジリスクの事じゃ」と先生は真剣な瞳で私を見据えた。

「君は、どこかの時点で『秘密の部屋』の怪物がバジリスクと気付いたのじゃな?」

「ええ、そうです」

「いつの事かのう?」

「ハーマイオニーたちと合流する直前です。あの時、頭の中で全てが繋がりました」

「そうか……さすが、というべきじゃの」

私がお礼を伝えると、ダンブルドア先生はニッコリと微笑んだ。

「最後に1つだけ。ポモーナがマンドレイクが異常な程早く成長したと不思議がっておった。──何か、知っている事はあるかの?」

ダンブルドア先生の全てを見通す様な空色の瞳が、私をじっと見つめている。それへ微笑んで、緩く首を横に振った。

「いいえ──いいえ、何も。ポモーナの世話が適切以上に良かったからではないでしょうか」

自分のした事を隠したい訳ではない。けれど、同じ事ができるかと問われると分からないため、私は先生に何も告げない選択をした。

私の返答に「そうか」とダンブルドア先生は頷き、今夜の夕食はパーティーであると告げて医務室を出て行った。

「石になった子供たちはどうしているんですか?」

妙に静かな室内でマダム・ポンフリーに聞いてみると、「皆、寮に戻りました」と彼女は答えた。

「貴女、また魔力をギリギリまで使ったのでしょう?だから夕食まではここで休んでもらいますからね」

「分かりました、マダム」

キュッと眦を険しくしたマダムに苦笑し、私は起こしていた身体を背中の枕に凭れかけた。マダムの気遣いで、本はたくさんある。けれど、私はそっとサイドテーブルのベゴニアの花に触れた。

マダム・ポンフリーから、これはセブルスが持って来てくれた物だとは聞いている。可愛らしい花がいくつも咲く鉢を、あの仏頂面で抱えてきたと思うと少し笑ってしまうけれど、きっと彼はこの花たちの持つ意味を知らないだろう。知っていたら、多分持っては来ない。

赤い花弁からそっと指を離し、私はマダムが図書館から借りてきてくれた本のページを開いた。

気付くと、日がかなり傾いていた。 手に持っていた1冊を読み切った時、ちょうどマダム・ポンフリーがカーテンの隙間から顔を覗かせた。

「あら、起きていたのですね。あまりに静かだから、てっきり寝ているかと思いましたよ」

「本を読んでいたんです。久々にゆっくり集中して読めました、ありがとうございました」

マダム・ポンフリーは優しく微笑んだ。

「構いませんよ。休めたなら良かったです。迎えもちょうど到着しましたし」

「迎え?」

何年もホグワーツにいるのだ、大広間くらい目を瞑ってでも行けるのに。

首を傾げると、マダムは先程とは違った、少しいたずらっ子の様な笑みを浮かべた。

ササッと身支度を済ませてからベゴニアの鉢を抱え、そっと医務室の扉を開けると。

「──セブルス」

全身真っ黒の男が、出入り口の脇に立っていた。パタリと後ろ手に扉を閉めてセブルスの側に恐る恐る近付くと、彼は壁につけていた背中を離して身体ごと私の方を向いた。

「メリル……」

久しぶりに向かい合った気がする。黒い瞳が、きちんと私を見ている。

どうしてだか、ソワソワとして落ち着かない。心臓をくすぐられている様な心地に、意味も無く両手で鉢を持って胸元に抱えてしまう。

「アー……その、迎えってどういう事かしら?1年生じゃないんだし、1人でも迷わないわよ?」

何も話さないセブルスに痺れを切らし、自分から話題を振ってしまった。気になっていたのも本当だけれど。

「……念の為だ。──また、魔力切れを起こしていたらしいな」

「何で知って……マダム・ポンフリーね。ちょっと疲れていただけよ、だいじょう、」

ボスリと黒色に包まれて、言葉は不自然に途切れた。フワリと薬草の匂いが鼻を掠め、ようやくここがセブルスの腕の中だと気付いた。一気に顔が熱くなる。

「っ!?せ、セブルス……!?あの、ちょっと──」

「──頼むから、無事でいてくれ」

あまりに悲壮な響きに、驚いて距離を取ろうとしていた動きが止まった。ぎゅうっと私を抱き締める腕に力が籠る。

「あの、心配してくれた、のよね……?ごめんなさい、迷惑かけて」

「迷惑などではない……!ただ、君が生きて無事でいてくれれば良いだけなのだ……それなのに……」

フツリと途切れたセブルスの声に、どれ程彼に心配を掛けてしまったのか痛感した。そうでなくとも同年代は少なく、彼の友人など私と同じで数える程しかいないだろう。「ハリーを守る」という彼の意志を知る人も、ダンブルドア先生以外にはおそらく私だけ。そんな同志とも言える人間を、失いたくない心境は理解できる。

「ごめんなさい……ごめんね、セブルス」

「メリル……」

様々な思いが籠った声音で呼ばれ、心臓が更に跳ねる。動揺を悟られまいとキュッと鉢を握り締めると、不意にセブルスの身体が離れた。不思議に思って顔を上げると、眉間に皺を寄せたセブルスと目が合った。

「……?セブルス……?」

小さく名前を呼んでも、彼は無言のまま。その瞳は私を惹き付ける輝きを湛えていて、どうにも視線が外せない。そのまま少しずつセブルスの顔が近付いて来て──

「ゴホンッ!1度部屋に戻ってから大広間に行くと言っていませんでしたか、メリル?」

「あっ!ま、マダム・ポンフリー!」

背後から聞こえよがしにされた咳払いで我に返り、急いでセブルスから距離を取って振り向いた。扉から顔だけ覗かせたマダムは「早くしないと時間が無くなりますよ」と苦笑しながら言った。それから真顔になって、

「何とは言いませんが、せめて部屋でおやりなさい。ここは学び舎の廊下ですからね」

と付け加えて医務室に引っ込んだ。

恥ずかしやら何やらで、私は赤い顔のまま「はい……」と誰もいない扉に呟いた。

セブルスの方を向き直ると彼は顔を明後日の方向は向けていて、何だか笑えてしまった。

「部屋に寄ってから、大広間に行っても良いかしら?」

黒髪が縦に揺れた。

「ありがとう。それに、この花も。可愛らしいわね」

「……ああ、そうだな」

やっと返事が返って事に気を良くして、私は前に立って歩き出した。先程の出来事は、あえて考えない様にした。その意味や続きの行動について思考を巡らせたが最後、平静でいられる自信が全く無かったからだ。

自室で急いでシャワーを浴びて着替えを行い、実験室の植物たちや黒蛇の様子を確認──幸いにも水遣りは魔法で行っていたから私がいなくとも干からびていなかったし、黒蛇はまだウトウトしている時期だったから餌も残っていた──して、部屋の外で待ってくれていたセブルスと合流した。

まだ夕食前だというのに、城の中はシーンと静かで不思議な気分だった。皆が皆、大広間に集まっているのだろう。

無言のまま、セブルスの隣を歩く。以前の様に歩く速さを若干落としてくれている男は、前を向いたままポツリと呟いた。

「……君がいないホグワーツは、妙に静かだった」

「それは私が騒がしいという事?」

「そうではない」

「分かってるわ、冗談よ」

そう言って私が笑うと、セブルスはフンッと鼻息を返した。

そのタイミングで、私たちはちょうど大広間の扉前に到着した。

「いつも通り、教員席の後ろのドアからで良いのに……」

「ダンブルドアがここから入る様に仰せでね」

「貴方のエスコート付きで?」

「左様。……お手をどうぞ」

芝居がかった仕草で恭しく差し出されたセブルスの手に自分の手を乗せ、私は眼前の重厚な扉がゆっくり開かれていくのを見守った。

万雷の拍手が私を出迎えた。それはいかに私が子供たちに慕ってもらっているのかを、如実に示す物だった。万感の思いを込めてカーテシーを披露すると、拍手の音は更に強くなった。

頭を上げると生徒たちも先生たちも皆笑顔で、嬉しさに胸が熱くなって、ついでに目頭も熱くなった。セブルスがさり気なく差し出してくれたハンカチをありがたく借りて、零れ落ちる前に涙を拭っていると私の名前を呼ぶ声が2つあった。

「ハーマイオニー、それにペネロピー」

それぞれの寮の卓からわざわざこちらにやって来た彼女たちも、その目は潤んでいる。何ならペネロピーはすでに泣いている。グリフィンドールの卓から歩いて来ていたパーシーが、慌てて彼女に駆け寄ってその肩を抱いていた。

「ハーマイオニー、ペネロピー、それにパーシーも。皆無事で良かったわ」

そう言った瞬間、少女2人はワッと私に抱き着いた。そっとセブルスの手から離して彼女たちの背中に添えた手の平に、細かな震えが伝わってきた。静かに歩み寄って来たパーシーに片手を差し出した。

「素晴らしい機転で後輩を、大事な人を守ったグリフィンドールの監督生、パーシー・ウィーズリーに感謝を。そしてグリフィンドールに50点よ」

グリフィンドールの卓から歓声が上がった。そしてパーシーはオズオズと握手に応じた。

その顔は何とも複雑そうだ。

「……僕は、ヴァレー先生を犠牲にして逃げました。それが先生の指示でも、僕は僕の弱さが許せません」

「貴方はまだ学生なのよ。子供を守るのは大人の役目なの。どうしても許せないなら、今後も多くを学んで、たくさんの事をできる様に努力すれば良いわ。貴方はそれができる」

「分かりました。……先生が無事で、良かった」

ズズッとパーシーが鼻を啜った。ギュッと握られた手が温かくて、この子たちが無事で本当に良かったと心底思った。

「先生、置いて逃げてごめんなさい……」

やっと顔を上げたペネロピーが、か細い声で言った。

「貴女たちはまだ子供なのよ?置いて行かれたなんて思っていないし、頼れる大人がいるのなら頼りなさい。私は、私を信じて知らせに走ってくれて良かったと思っているわ」

「先生……」

ハーマイオニーがパジャマの袖で目を擦った。それを優しく止めさせて、指でその雫を拭った。

「さあ、皆席に戻って。私は元気だし、それにこれからパーティーなんでしょう?目一杯楽しまないとね」

パチリとウィンクすると、少年少女は赤い鼻のままやっとニコリと笑ってくれた。

「さて、ヴァレー先生もようやく戻って来た。ハグリッドもじゃ。やっと全員が揃ったようじゃの」

パーシーたちが席に戻ったタイミングを見計らっていたダンブルドア先生が、優しく微笑んで言った。

「セブルス、メリルをここまで連れて来てくれるかの」

「もちろんです」

セブルスはもう一度優しく私の手を取り、再度拍手を始めてくれた生徒たちの座る卓の間を進んだ。

いつも通りにセブルスの隣の席に収まると、ダンブルドア先生が改めて口を開いた。

「この度の騒動は全てが解決した。石にされた者も、城からいなくなった者も全て戻って来た。これはそのお祝いじゃ。夜通し楽しんでも誰も文句は言わんじゃろう。明日は皆休みじゃ」

生徒だけでなく教員側からも歓声が上がった。

「更に、学校からのお祝いとして、今学期の試験も免除とする」

更なる歓声が子供たちから湧き上がった。教員側としても、まだ試験問題を作成する前だったからホッとした。O.W.L.試験とN.E.W.T.試験だけは受けなければならないが、子供たちの嬉しさはあまり変わりないだろう。

「残念なお知らせが1つある」

皆の喜びの声が静まり、ザワザワとした音が室内を満たした。

「もう既に皆知っていると思うが、ロックハート先生は闇の魔術に対する防衛術の担当から外れる事となった。夏休みまでの授業は、クィレル先生が行ってくれている。この場はお祝いじゃから、ロックハート先生にも参加してもらったがの」

ギルデロイが反対側の教員席の端っこで、小さく頭を下げるのが見えた。

それから、ダンブルドア先生の合図で盛大な宴が始まった。子供たちは皆パジャマで、教員たちもそれぞれいつもより少しカジュアルな服装だ。

ハグリッドは嬉し泣きしながらゴブレットいっぱいのバタービールを何度もお代わりしていたし、ミネルバもダンブルドア先生と穏やかな表情でおしゃべりしている。たくさんの笑顔が、大広間に溢れていた。

しばらくすると、次第に寮関係無く子供たちはテーブルを移動するようになり、仲の良い者同士で固まっていった。ジャスティンがハリーに謝罪に行くのも見えたし、ドラコがビンセントやグレゴリー、それにパンジーと一緒にハーマイオニーやロンと話すのも見えた。オリバーやマーカスが、ウィーズリーの双子やセドリックを巻き込んで熱く語り合っている光景もあった。元気になったジニーがパーシーとペネロピーを質問攻めにして、パーシーは真っ赤になっていた。

「……幸せな光景だわ」

「そうかね」

ポツリと零れた独り言に、セブルスが律儀にも返事をしてくれた。少し前までの態度が嘘の様だ。

「何であんなに冷たかったの」とか「どうして今は優しくしてくれるの」とか、聞きたい事は色々あったけれど、今はそんな事どうでも良かった。目の前に広がる暖かな光景が嬉しくて、ずっと眺めていたい気分だった。

子供たちが寮に引き上げたりその場で寝落ちしたりし始め、教員側も部屋に戻る人が出始める中、ギルデロイと話していたクィリナスが近寄って来た。

「メリル、少しよろしいでしょうか?」

「どうしたの?」

クィリナスは横のセブルスをチラッと見てから「実は……」と囁く様に言った。

「ギルデロイが、貴女と話したいと……」

「何だと?」

私が返事をするより先に、セブルスが地を這う様な声音で言葉を発した。ついでに、わざわざ振り返って険しい目付きでクィリナスを睨むというオマケ付きだ。

「あ、あの、無理なら断っていただいても……」

クィリナスの顔が少し青くなる。

そうよね、そんなに睨まれたら怖いわよね。

「何でセブルスが返事をしているのよ」

口を挟むと、セブルスはフン、とは不満そうに鼻息を吐いた。それへ苦笑して、

「問題無いわよ。ギルデロイの所へ行ったら良いかしら?」

「いえ、少し外に……」

「その必要は無いと思うが」

「もう、何言ってるの?それより、セブルスはもう少し食べた方が良いわよ」

妙に口を出してくるセブルスの前にサンドウィッチを取り置いて、私はクィリナスの後に続いて目立たぬ様に大広間を出た。

大広間から廊下を少し行くと、外に出られる玄関がある。その扉のすぐ外側に、ギルデロイは立っていた。

「ご足労掛けました、メリル。クィリナスも」

「い、いえ。私は離れていますので……あ、すみませんが、扉は半分開けさせておいてくださいね」

「ええ、もちろんですよ。私は罪人の身ですから、話ができるだけで寛大な処置だと心得ていますとも」

ニッコリと笑って言ったギルデロイに、クィリナスは申し訳なさそうに微笑んでその場を去った。扉は言葉通り半開きにしてある。きっとクィリナスも、その姿が見えないだけですぐ側にいるのだろう。

時折風の吹き抜けるその場所で、城から漏れ出る光が地面を照らしている。

「それで、話って?」

「その前に聞いておきたいのですが、ホグワーツ在学中、私の事はご存知でしたか?」

ギルデロイは真剣な顔でそう聞いてきた。改めて過去の記憶を振り返ったが、申し訳ないが彼の姿はそこには無い。それを正直に伝えたら、「そうでしょうね」とギルデロイは初めて苦い笑みを見せた。

「メリル、貴女は学生の時から美しく、とても目立つ存在でした。優秀な貴女に認められたくて、私は最初勉学に励みました。でも、上には上がいて、1番にはなれませんでした。次に私は目立つ事に専心する様になりました。そうすれば貴女が見てくれるかと思って。けれど……」

ギルデロイはそこで、ふう……と諦めの籠った、自嘲する様な息を吐いた。

「貴女はずっと、ただ1人を見ていました。きっと、今もでしょう」

「それは、」

「いえ、良いんです、分かっています。私は何も言う立場にありません。ただ、1つ、貴女に伝えたい事があって、ここまで来てもらったのです」

ギュッとギルデロイが両拳を握り締めるのが分かる。その表情は、またも初めて見る、緊張した固い物になっている。

「メリル、私のティンカーベル、貴女を愛しています。貴女が、彼を愛しているのは知っています。それでも、私は私自身のけじめのためにも、貴女にお伝えしたかったのです。貴女にとってはご迷惑かもしれませんが、後輩の我儘と思って大目に見てもらえると幸いです」

「ギルデロイ……」

言い終えて、ギルデロイはへにゃりと力無い笑みをその顔に浮かべた。以前の彼からは考えられない、何とも等身大の彼を表すかの様な笑顔だった。

きっと多大なる勇気を要した事だろう。私でさえできなかった事を、彼は成し遂げたのだ。愛を、柔らかく傷つきやすい感情を伝えるのは、それ程にハードルが高いのだ。

それでも、ギルデロイは実行した。結果も返事も分かっている事を相手に伝えて、自身の感情にけじめをつけたのだ。

「──貴方に感謝と敬意を、ギルデロイ。きっと、とても勇気がいったでしょう。ありがとう」

「いいえ、私の方こそ、貴女を想えて幸せでした」

私とギルデロイは、ゆっくりと握手を交わした。

吹き抜けた風は、もう冷たくはなかった。

夏が近付いてくる気配がしていた。

ギルデロイとクィリナスが歩いて行くのを見送って、私は大広間へと戻った。

彼がした事は確かに罪だ。けれど、私にそれを責めたり裁いたりする権利は無い。だから、私はギルデロイに何も言わなかった。ただ伝えられた想いに対する賛辞を送るに留めた。

「……戻ったか」

大広間は中座する前より静かになっていた。席に戻ると、律儀にもサンドウィッチを完食したセブルスが紅茶が注がれたカップを傾けていた。私にすぐに気付いた彼は、「何か温かい物でも飲むかね」と言葉を掛けた。

「ええ……そうね、ホットミルクでも貰おうかしら。蜂蜜の入った、甘い物が良いわ」

言うが否や、目の前に熱々のホットミルクが入ったマグカップが現れた。さすが屋敷しもべ妖精。仕事の早い事だ。

1口啜って、甘い、と思った。それはもちろんそうでなければならないのだけれど、先程のギルデロイの顔があまりにも切なかったものだから、余計に甘く感じたのかもしれない。

ほぅ、と息を吐くと、セブルスが小声で「……何を話していた?」と呟いた。

「プライベートな事よ。誰に話すものでもないわ」

「何?聞かれると都合の悪いことでも話していたのかね?」

一気に声が地を這ったセブルスに「繊細な話なの」と苦笑した。

「やけに気にするわね。一体どうしたの?」

そう問い返すと、隣の男はむっつりと押し黙ってしまった。横から見えるその口は、しっかりへの字になっている。こうなってしまえば彼は何も話さないと分かっているから、私はホットミルクを存分に味わった。

時計の短針がとっくに頂点を回った頃、私は眠気の限界を感じて立ち上がった。学生時代なら徹夜くらいまるで平気だったのに、なんて過ぎた歳月を痛感していると、背後から早足でセブルスが追って来た。

「もう部屋に戻るのか」

隣に並んで歩き始めたセブルスは、チラリと私を見下ろした。その瞳に映る感情が表す物は、私には分からない。

「ええ、さすがに眠くって。明日も動物たちの世話はあるから」

「そうか」

「セブルスは眠くないの?」

「……耐えられる程度だ」

この返事は、最近も徹夜したと見た。体調管理も教員の仕事の内だというのに、まったく何をしているのやら。

「倒れないように気を付けてね」

「そっくりそのまま君に返そう」

「それを今言われると弱いわね」

苦笑すると、セブルスも薄く笑った。そのまま気まずくない沈黙を過ごして、私の部屋の前に到着した。

「それじゃあ、ここで。送ってくれてありがとう」

「ああ……」

礼を伝えるも、セブルスの歯切れが悪い。何故だろうと不思議に思って彼を見上げると、セブルスはウロ、と一瞬その瞳をさ迷わせた。そのまま目を伏せたまま、セブルスはボソボソと何事か呟いた。

「え?ごめんなさい、もう1回言ってくれる?」

ちゃんと聞き取れなくて顔をセブルスのそれに近付けると、彼はビクリと身を震わせた。数度口を開け閉めして逡巡した後、セブルスは尚も独り言の様に囁いた。

「……君が、ロックハートと何を話していたか、知りたい」

正直、驚いた。呆気に取られた顔を晒してしまったままセブルスの瞳を覗き込むと、サッと顔ごと逸らされた。

「えっと……理由を、聞いても良いかしら?」

そっと優しく言うと、セブルスはまたボソボソと何事か呟いた。

「セブルス?」

名前を呼べば、私に聞こえていない事が伝わったのだろう、グッと1度歯を食い縛り、慎重に再度口を開いた。

「……知りたいのだ、君を、君の全てを」

様々な感情の乗った声だった。全ての想いを込めたかの様な言葉だった。それは、私の心臓に強烈な衝撃を齎した。心を酷く掻き乱されて、上手く呼吸ができない。

「……メリル?」

無言のままの私を訝しんで、セブルスがこちらを向いた。その黒色が、しっかりと私を捉える。

はくはくと口を開け閉めするも、言葉が出てこない。

何と言えば良いのだろう。

何と返せば良いのだろう。

聞きたい事は山程ある。けれど、それを口にしても良いのだろうか。

「メリル、どうした」

何も言葉を発しない私が心配になったのか、セブルスが私の顔を覗き込んで来た。彼の黒い瞳が、私と目が合った。

「セブルス……」

「何だ」

ようよう絞り出した声に、存外柔らかくセブルスは返事をした。キュウ、と胸が締め付けられる。

「あの、本当に、何を話してたかは、教えられないの。とても、個人的な事だから。……でも、あの、セブルスが、私の事を知りたいと、そう思ってくれるのは、嬉しいわ、とても」

「……そうか」

途切れ途切れになりながらも必死に伝えると、セブルスは柔らかな声音で相槌を打った。その口の端も、声音と同じく優しく緩んでいる様に見える。

「その、私も、セブルスの事が知りたいわ。……どうして、そんなに知りたがるのか、とか」

恐る恐る伝えてみると、セブルスは眉間にギュッと皺を寄せた。もしや不快にさせたかと心臓が急激に冷えた、その時。

「えっ……?」

セブルスが、私の腕を引き寄せて、力強く抱き締めた。この温かさが、私の夢でなければ。

現実感が無くて無意識に肩口に頬を擦り寄せると、セブルスの肩が一瞬震えて抱き締める腕の力が更に強まった。

先程凍りついたかと思った心臓は一転、早鐘を打っている。バクバクと身体の内側から響く音は、もしかしたらセブルスにまで伝わっているかもしれない。何せ、とても近い距離に彼はいるから。

「……せ、セブルス……?」

「──君の全てが、欲しい」

耳元で囁かれ、ビクッと肩が跳ねた。その内容に、今までも熱かった顔が更に熱を持つ。

セブルスは1度大きく息を吸い、「メリル」と深い声で私の名を呼んだ。

「愛している、メリル」

耳を疑った。自分が聞いた言葉が、本当にセブルスが言った物なのか、それとも私に都合の良い夢なのか、咄嗟に判断できなかった。

夢にも思わなかったのだ。セブルスがそんな事を言うなんて。しかも私に向かって。

混乱の中、ジワジワと湧き出す嬉しさに身体が震えた。

──本当に?でも、セブルスはリリーが……。

やっぱり嘘?でも、セブルスが嘘をつく理由もメリットも無い。

どうして良いか分からなくて、でもそう言って貰えた嬉しさは本物で、何故だか涙が溢れてきた。

様子のおかしい私を訝しんで身体を離して顔を覗き込んできたセブルスが、私が泣いているのに気付いて青い顔になった。ついでに後退りして私から距離を取る。

「どうした……!?そんなに、不快だったか」

そういう訳では一切無い。

私は顔を覆いながらも、急いで首を横に振った。

セブルスにされて嫌な事なんて無い。

セブルスの言葉を信じたい。けれど、彼にとってリリー・エバンズがどれ程大きい存在かも理解している。だからこそ、欲しくて欲しくて堪らなくて諦めさえした言葉を貰えても、素直に受け入れられなかった。

涙は後から後から溢れて、何度拭っても追いつかない。

「メリル」

セブルスが恐る恐る近寄ってきて、遠慮がちにそっと私の片手を取った。彼の手が温かく私のそれを包み込む。

「何故泣いている」

低く柔らかく問い掛けられる。その声音に怒気は無い。あるのは純粋な疑問と慈しみだ。

「君の涙の理由を、私に教えて欲しい」

その切実に乞い願う声に、またも胸がキュウと苦しくなった。

何とか流れる涙が少なくなってきて、嗚咽も抑えられるようになってきた。そうやって落ち着くまでの間、セブルスはずっと待ってくれていた。

「大丈夫か」

私の呼吸が落ち着いてきた頃を見計らって、セブルスはそう言った。それへコクリと頷き、小さく「ごめんなさい」と呟いた。

「それは何に対する謝罪だ。泣いた事か、それとも……」

「泣いて貴方を困らせた事、それに、……嬉しくて」

私の言葉に、セブルスが目を見開いた。それから何度も瞬きを繰り返し、ようやく「……本当に?」と絞り出した。そこには隠しようもない喜色が滲んでいる。

しかし、「でも」と私が続けた事で彼の下がっていた眦はキュッと険しくなった。

「でも、何だ」

「でも……セブルスは、リリー・エバンズを愛しているでしょう?」

セブルスがハッキリと刺された様な顔になった。繋いだ手にも力が籠る。それでも、否定はされなかった。

きっと、それが答えだった。

セブルスの手の中から自分の手をスルリと抜いて、その手をそのまま押し抱いた。ハッとして私の顔を見たセブルスは明らかに傷付いた表情をしていたけれど、胸の内がズタズタなのはこちらも同じだ。

「……貴方の気持ちが嬉しいのは本当。それに応えたいのも。けれど、私は我儘だから、私だけを愛して欲しいの」

どれ程酷な事を言っているかは分かっている。しかし、これが偽らざる私の本音だった。

リリー・エバンズは既に亡くなっている。セブルスがもしもどちらも同じくらい愛していると言ったとしても、生者が思い出の中の死者に勝つのは難しい。少なくとも私はそう思う。思い出は美化される。本人も無意識の内に。

だから、私が今彼の気持ちを受け入れると、きっとずっとリリー・エバンズに負い目を背負う事になる。それだけは、嫌だった。避けたいのではない。嫌なのだ。勝ち負けの話ではないかもしれないが、負けた気分になり続けるのは嫌だ。

私は私の我儘で、セブルスに彼女と決別しろと言っているに等しい。セブルスが愛してくれるなら彼女を愛していても良いなんて、聖女の様なお行儀の良い事は到底口に出せなかった。

昔よりずっと、我儘になってしまった。きっと、長くセブルスの側にいたせいだ。

学生であった頃セブルスから「愛している」と言われていたなら、彼がリリー・エバンズも愛していたとしても受け入れただろう。

彼が優しくしてくれるから、私は学生時代よりも欲深になってしまった。

もしもセブルスが彼女の事を想うのを止められないのなら、私も私の愛を諦めよう。そうでなければ、ずっとセブルスだけを想っていた私の心に申し訳が立たない。人生の半分以上、彼だけを見ていたから。不意にやってきたここが、きっと長年の想いの分岐点。

そう決意した私の眼前で、セブルスは何かに耐える様に拳を握り締めていた。爪が手の平に食いこんで怪我しやしないかと思わず心配になるが、それを表に出す事は無かった。私とて、プライドぐらいはあるのだ。

「貴方の言葉を疑っている訳じゃないわ。本当よ。けれど……ごめんなさい」

セブルスに呆れられても仕方がない。嫌われてもおかしくない事を、私は彼に言っている。

「貴方の唯一になれなくとも、1番でありたいの。今は、どちらも彼女がそこにいるでしょう?」

セブルスは尚も黙ったままだ。それは暗に肯定を示しているのだろう。

「もう休むわね。セブルスも、体調を崩さないように気を付けて。……おやすみなさい」

最後まで口を開かなかったセブルスに背を向けて、私は自室の扉を潜った。

実験室のスペースを走り抜け、寝室まで駆け抜けた。そのまま勢いを殺さずベッドへ倒れ込む。

今度こそ止まらない涙を、白いシーツが色を変えながら吸っていく。湿り気が私の嗚咽も吸うかの様にベッドに広がっていく。

これ以上、セブルスの前で泣きたくなかった。彼の愛を突っ返したせいで泣いているなんて、どれだけ自分勝手なんだろう。

セブルスにあんな傷付いた顔をさせて、私は一体何をやっているんだろうか。

あんなに焦がれた言葉を貰っておいて、自分の我儘でそれを受け取らないなんて、昔の私では考えられないだろう。

胸が切り裂かれた様に痛む。先程まてバクバクと鳴っていた心臓は、今やズキズキと悲鳴を上げている。

ずっとずっと、私を見て欲しかった。

魔法薬学で気の合うレイブンクローの生徒としてではなく、1人の「メリル・ヴァレー」として見て欲しかった。

先程のセブルスの瞳には、確実に私が映っていたのに。

セブルスがリリー・エバンズを愛している事なんて、最初から分かっていた事じゃないか。今になって、彼女を2番手にしろなんて、どれだけ私は欲深いのだろう。

でも、それでも、私だって、──お父さんとお母さんみたいに幸せになりたい。

セブルスと、しあわせになりたい。

泣いて泣いて泣いて、いつの間にか私の意識は黒い闇に溶けていった。

廊下に立ち尽くすセブルスの影だけが、いつまでも瞼の裏から離れなかった。




ゼラニウムの花言葉「尊敬」「信頼」

ピンク色のゼラニウムの花言葉「決意」

23話目です。

恋と愛って難しいですよね。自分中心なら恋、相手中心なら愛って説もありますが、その移行期もしくは中間って何て呼ぶんでしょうね。

そういえば「友愛」はありますが「友恋」って無いですよね。という事は、恋愛って「恋への愛」って事なんですかね。

ちなみに書いてて驚いた事は、クィリナスとギルデロイって案外良いコンビじゃね?って思った事です。実はギルデロイの方が先輩なんですけど、しっかりしてるのはクィリナスの方なんですよね。
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