初めて互いの想いが通じ合った後のキスは、すぐに終わった。触れるだけのそれにさえ、私がいっぱいいっぱいになってすぐに白旗を上げたからだ。セブルスは少し物足りなさそうな顔をしていたが、素直に向かいのソファに再び腰を下ろした。
「……正直、信じられないわ」
赤い頬を冷ますために両手で覆いながら零す。
「私を疑う事は無いと言っていたのにか」
セブルスが若干拗ねた様な声音でそう言ったので、私は緩く首を横に振った。
「そうじゃないの。現状の全てについてよ」
セブルスの心を、その覚悟を伴った誠意を疑うつもりは毛頭無い。
セブルスが私を向いているという事それ自体が、夢の様だというだけ。
フン、と鼻息を吐いて温くなった紅茶を飲んだセブルスは、唐突に「頼みがある」と呟いた。
「どうしたの?」
「……ゴドリックの谷に、共に行って欲しい」
「!」
──そこは。
当時ホグワーツにいなかった私でも知っている。ポッター家のあった場所で、そうして、リリーが亡くなった場所でもある。確か彼女とジェームズ・ポッターの墓もある筈だ。
「このタイミングで?」
「今が良い。君となら、行けると思った」
未だ葛藤は残っているのか、セブルスの眉が寄っている。
あの谷に行くという事は即ち、過去を直視するという事だ。無理をして欲しくはないが、セブルスの決意に水を差したくはない。私にできる事があるのなら──例えそれが寄り添うだけだとしても──何でもしてあげたい。
「分かったわ。貴方と一緒に行く」
セブルスは小さく安堵の息を吐いた。そこへ「ただし」と続けると、彼の片眉が上がる。
「私も、セブルスについてきて欲しい場所があるの」
「何?」
セブルスの覚悟と誠意には、それ相応を返したい。彼が過去と対峙すると言うならば、私も同様に今まで目を背けてきた事に向き合わなければならない。そうしたい、と思った。きちんと前を向くために。2人で幸せになるために。
私が地名を告げると、セブルスは訝しげにしながらも同行する事を了承してくれた。彼は知らないのだ、そこに私の生家がある事を。
1人であの家とそこに詰まっている思い出と向き合うのは怖い。けれど、セブルスが一緒なら。
「ありがとう、心強いわ」
私がお礼を伝えると、セブルスは小さく息を吐いた。
「……そんな顔をするくらいなら、無理して行く必要は無いと思うが」
「そんな顔って?」
そう尋ねると、セブルスはキュッと軽く眉を寄せた。
「自覚していないのか。……どこかに痛みがあるかの様な顔だ」
その言葉に、心の片隅が確かにズキリと疼いた。ずっと目を逸らしていたその傷は、塞がる事無く未だに存在していて、かさぶたで覆われた様な状態でもまだそこにあるのだと実感した。
しばしの沈黙が室内に満ちた。浮き上がってくる思い出たちに波打つ心中を宥めるために、必要な時間だった。セブルスは何も言わず、そっとしておいてくれた。
「……ごめんなさい」
「何を謝る事がある」
何とか平静を取り戻して謝罪すると、セブルスは即座にそう返してきた。
「お客様を放って置いてしまったわ」
「私は気にしていない」
「でも……」
「君となら、沈黙は苦では無い。それに、無理に喋られる方が不快だ」
「そう、よね……」
これまで頑張って話し掛けていた事も、彼にとっては不快に感じていたのだろうか。
そんな風に後ろ向きな思考が私の頭の中を一瞬で支配する。セブルスと両想いになれた浮かれた気分などどこかへ飛んで行ってしまった。鉛の様にズンと重い物がお腹の底に落ちてきた気分だ。
「メリル?」
私が暗い表情になっているのが分かったのだろう、セブルスが少し焦った様に私の名前を呼んだ。
「何か?」
素知らぬ風にそう返すと、彼は苦虫を噛み潰した様な顔になった。
「……訂正する。不快なのではない、気掛かりになる」
──本当に、この人は。
分かっている。これはセブルスなりの謝罪の申し入れだ。子供の様にプライドが高く、子供の様にこちらを窺う彼の、今できる精一杯の譲歩。過ちをすぐに認められる様になったのは、学生時代より成長していると言えるだろう。
思わず漏れたちいさな笑みに、セブルスは渋面のまま「……何だ」と唸った。
「いいえ、貴方も謝る事ができる様になったんだと思って」
「うるさい。嫌味かね?」
「まさか」
両手を広げてみせると、セブルスはフンと鼻息を吐き出した。
しばらく他愛もないお喋りで時間を過ごしていると、セブルスはふと「そろそろお暇しよう」と席を立った。
「もう?ごめんなさい、何か予定があったかしら」
「そうではないが」
そう言いながら、セブルスは腰を上げた私に近付き、髪をひと房掬い上げた。
私の髪に口付けながらこちらを射抜くその視線に、ドキッと心臓が跳ねる。
「──このままでは、奥の部屋まで邪魔しかねないが、構わないのかね?」
奥の部屋。今いるリビングから奥と言えば、ダイニングか寝室しかない。前者を指している雰囲気でない事は明白だ。つまり。……つまり?
「………………えっ」
ボンッと音が鳴りそうな勢いで、顔が真っ赤に染まる。絶対に首まで赤くなっている。
思考停止して固まる私がおかしかったのか、セブルスは喉の奥でクツクツと低く笑い、さらりと私の髪を手放した。
そのまま彼はさっさと部屋を出て、そうして開いた扉に手を掛けたままこちらを振り返った。
「おやすみ、──メイ」
「お、おやすみなさいっ!」
固まった身体を何とか動かして発した声は間際で間に合い、セブルスは小さく穏やかな笑みを見せてから扉を閉めた。ついでに施錠魔法で外側から鍵までかけてくれる余裕っぷり。
私はズルズルと再びソファに沈み込んだ。
勝てないなぁ、なんて、今までセブルスに勝てると思った事なんて1度も無いのだけれど。
ずっと心臓がうるさい。頬の熱も身体の熱さも引く気配が無い。
私は全てが落ち着くまでしばらく、ソファで顔を覆ったままでいた。
睡眠時間が圧倒的に足りていない。それが分かる程の顔と、早朝の鏡の前でご対面を果たした。9割セブルスのせいと思って、何とか見られる顔に仕上げた所で早足で部屋を出た。ふくろう達がお腹を空かせて待っているのだ。
長年の想いが叶った実感がジワジワと少しずつ迫ってきて、フワフワと足元が落ち着かない。
そんな気持ちが顔に出ていたのだろう、教員席の裏の扉の前で出くわしたクィリナスが「おや」と表情を明るくさせた。
「おはようございます、メリル。とても良い事があったようですね」
「おはよう、クィリナス。……そんなに顔に出ているかしら」
頬に手を当てて苦笑してみせると、クィリナスは微笑ましそうに柔らかく笑った。
「雰囲気が明るくなっていますよ。安心しました」
「ありがとう、心配かけたわね」
「いいえ、お気になさらず」
クィリナスとニコニコと微笑み合っていると、わざとらしい咳払いが背後から聞こえた。
「いつまでそうしているつもりかね」
いつも通り無愛想な顔のセブルスがそこに立っていた。彼はギロリとクィリナスを睨み付け、フンッと大きめに鼻息を吐き出した。
「朝食に教師が遅刻しては生徒に示しがつかない。しかも今日から夏期休暇だ、教師が浮かれているとでも思われたら面目丸潰れではないかね?」
「貴方の言う通りです、セブルス」
クィリナスは苦笑しながら頷いた。彼は優しいから言い返す事はしなかったけれど、そんな言い方は無いのではないだろうか。
先に扉を潜って行ったクィリナスに続こうとするセブルスを呼び止めると、彼は顔だけ振り向いて片眉を上げた。
「何かね?」
「さっきのは少し意地悪過ぎる言い方じゃないかしら。まだ時間に余裕はあるし、セブルスだってクィリナスと私の後から来たでしょう?」
「実に雄弁な事だな」
口の端を持ち上げたセブルスはそう皮肉げに漏らし、身体ごとこちらを向いた。すっぽりと黒い影に覆われて、私からは大広間に通じる扉が見えなくなってしまった。
見上げた先のセブルスの顔は、陰りながらもまだ皮肉げな笑みを浮かべている事が分かる。
「お喋りではいけない?」
「そうではない。ただ──」
セブルスは意味ありげに言葉を切った。私が首を傾げると、彼はその顔に浮かべている笑みの種類を変えて見せた。
「──今日、君と1番に話したのが私ではなかったのが残念だと言ったら、どうする」
「っ!?」
甘く意地の悪い笑みを残して、セブルスは真っ赤になって絶句した私を置いて大広間へ入って行ったのだった。
例年通り、子供たちを駅のホームから見送ってから、私は意識してゆっくり歩いて城へと戻った。セブルスと顔を合わせる度に浮つく心と足元に平静を取り戻させるためだ。それにどれ程効果があったかは分からないが、お陰で城の扉のすぐ内側に立っていた彼と鉢合わせても顔色を変えずには済んだ。
「あら、セブルス、待っていてくれたの?」
なんて、冗談を飛ばせるくらいには余裕があった筈なのだけれど。
「そうだが」
こんなに素直なセブルスは初めて見る。というか、本当に本人かしら?
びっくりし過ぎて思わず固まってしまったし、反対に心臓は驚く程跳ねた。カァッと頬が熱くなるのを感じる。
そんな私に気付かず、セブルスは「着いてこい」と言ってさっさと歩き出してしまった。しかし、少し行った所で私が立ち止まったままである事を感じたのだろう、訝しげな顔をしてこちらを振り返った。
「そんな所で突っ立って、何をしているのかね」
何をもなにも、原因はセブルスにあるのだけれど、本人に言える訳も無く。
「な、んでもないわ」
私は何とか足を動かして、彼の後を追って歩き出した。
ガランとした城内を2人、無言で歩く。何の用があるのかセブルスは一切教えてくれていないが、方角から温室に向かっているのは分かる。
何か不足している材料でもあったのだろうか。
そんな風に思考を巡らせていると、彼は3号温室の前までやって来た。
かつてそこにあったマンドレイクは全て収穫済みの筈だし、今の温室内は次に植える魔法植物の準備をしているだけで何も魔法薬の材料になる物は無いと思うのだけれど……。
私が首を傾げていると、こちらを振り返って対峙したセブルスはクイッと片眉を上げた。
「何か私に言う事があるのではないかね?」
「え?」
目を丸くした私に、セブルスはキュッと眉を寄せた。
「ここで何をしていた?誤魔化そうとしてもそうはいかない」
「待って、私、何も誤魔化そうなんて……」
「君の魔力の痕跡くらいすぐに分かる。何せ身近に常にあるのだから」
ジッと睨み付けてくるセブルスだが、自分が何を言ったか分かっているのだろうか。
一般的に、物に残っている魔力が誰の物かなんて判別はつき辛い物だ。ごく近しい家族や余程特徴のある魔法のかけ方であればまた話は別だが。
セブルスは以前にも、クィリナスに贈った小物に残った私の魔力を感知していた。感覚が鋭いのだろうか、それとも……。
「メイ」
私が黙ったままな事に痺れを切らしたセブルスが、少し強い語気で焦れったそうに私の名前を呼んだ。
「何故黙っている。言えない様な事なのか、それとも、私が信頼ならないのか」
「そんな事は無いわ」
私は慌てて言った。セブルスを信じられなかった事なんて、今まで1度も無い。
「少し考えを整理していたの。誤魔化そうとした訳でも話したくない訳でもないわ。もちろん、話せない事でも」
セブルスが続きを促す様にこちらをジッと見ている。私は何故だか妙に緊張してしまって、それを紛らわすために軽く咳払いをした。
「簡単に言うと、マンドレイクに、直接魔力を流して成長を早めたのよ。でも、やれると勘で思ったからやってみたたけなの。再現性も汎用性も期待できないわ」
「ハービヴィカスを使わずにか?」
「成長促進魔法だと、それを発動させるために魔力を消費するでしょう?でも魔力自体を直接注げば、魔法植物であるマンドレイクならその魔力を栄養剤として最適に成長に使うと思ったの」
「君は……」
セブルスは二の句が告げない様子で、しばらく眉間に皺を寄せて目を閉じた後、大きな溜息を吐いた。
「……倒れる前、やけに顔色が悪いと思っていたらそういう事か」
「あら、気付かれていたのね。それとも、さすがセブルスと言った方が良いかしら」
「話を逸らすな。……待て、まさか他にも何かやっていたのか?」
「そんな大した事じゃないわ。ケトルバーン先生の授業を全て見学させていただいただけ」
「……逆転時計か」
セブルスはまたも大きな大きな溜息を吐き出した。眉間の深い皺をグリグリと親指の腹で揉んでから、彼は重苦しい声で言った。
「もっと自分を大切にしたまえ」
その言葉に、私は苦笑するしかできなかった。
「蔑ろにしていたつもりはないわ。それにその言葉、そっくりそのままお返しするわよ」
怪訝そうな顔でこちらを見たセブルスに、私は腕組みして見せた。良い機会だ、学生時代から気になっていた事を指摘しておこう。これから一緒に生きてもらわなければならないのだから。心の底から幸せになって欲しいのだから。
「セブルス、貴方の方こそ学生時代から自分を顧みていないわ。平気で徹夜はするし、食事を摂らなくても気にしないし、1つの事に集中するとし過ぎて他が疎かになっている。もう少し自分を労わって、……愛してあげて」
ハッしてセブルスが目を見開いた。
もしかしたら、彼自身には自分を蔑ろにしている自覚は薄かったのかもしれない。学生時代は魔法薬や闇の魔術にのめり込み、長じればリリー・エバンズへの贖罪に全てを注いで来たと言っても過言では無い人生を送ってきたのだ。自分という物と向き合い、労る機会や考え自体が無かったのかもしれない。はっきり本人から聞いた訳ではないが、家庭環境もあまり良くはなかった様でもあるのだし。
「セブルス。私を想ってくれるのと同じくらい、貴方自身を大切にしてあげて。一緒に、生きてくれるのでしょう?」
「……それは、不可能な話だ」
「セブルス……」
自身を大切にできない程、彼の中の自分という物の価値は低いのだろうか……?それは家庭環境のせい?それとも……
「君以上に大切にしたい人間はいない。それは自分自身であっても」
「!」
唐突な想いの籠った言葉に、パッと頬が熱くなる。不意打ちはさすがにずるいのではないだろうか。
「あ、ありがとう、いえ、でも……あの……自分は、大事にして欲しいわ」
しどろもどろになりながらも何とかそう伝えると、セブルスはしばしの沈黙の後「君がそう言うなら努力しよう」と頷いてくれた。
まだホグワーツに生徒として暮らしていた頃、彼が闇の魔術に魅入られている事は察していた。けれど、それを指摘して彼から拒絶されるのが怖くて、私は見て見ぬフリをした。今思えば、それはきっと間違いだった。真に彼の事を思うなら、嫌われても言うべきだったのだ。幼かった私は我が身可愛さで保身に走った。でも、もう同じ事はしない。
「だが、君も同じ約束をしてもらう」
「え?」
パッとセブルスを見上げると、まっすぐに黒の瞳とかち合った。彼の目の中で、まだ頬に赤みの残る私の顔が反射している。
「君も、君自身を大切にしてくれ、メイ」
「!」
その名で呼ばれる事に、まだ慣れない。甘やかなくすぐったさを感じながら、私は急いでコクコクと頷いた。
「もちろん、分かったわ。クィリナスにも叱られてしまったし」
そう言った途端、セブルスの眉がまたもギュッと寄った。と思った瞬間、グイッと腕を引かれて立ち位置が逆転し、温室の扉に背を押し付けられてしまった。ガチャッと鍵が金属音を立てる。
「──今のは君が悪い」
「なっ……んんっ!」
私が驚いていてもお構い無しに、セブルスの唇が私のそれを塞いだ。厚いそれは角度を変えて私の唇を丹念に食んで、そうして熱い下がべロリと舐め上げた。
「ぁ、せぶ、んっ」
思わず開いた口の中に舌を捩じ込まれ、軽くパニックになった私は目の前にあるセブルスのローブに縋り着いた。それがいけなかったのか、彼の舌は止まる事無く口内を堪能し、奥に縮こまっていた私の舌の先端を優しく突いたり舐めたりして、恋愛経験皆無の私を翻弄し続けた。段々息も苦しくなってきて、開いた口の隙間から変な声も漏れてきて、いっぱいいっぱいになった私は制止したくて必死でセブルスの胸を叩いた。その必死さが伝わって彼がようやく私の舌を解放した時には、完全に息が上がってしまっていたのだが。
「謝罪はしない」
開口一番がこれである。しかも何故かまだ不満そうな表情をしているセブルスに、私は呼吸を整えつつも「場所を考えて……」と抗議した。
「それに、どうして私が悪いのか分からないわ。説明してくれるわよね?」
「君が迂闊な発言をしたからだ」
言葉が足りな過ぎてさっぱり分からない。しかし完全にそっぽを向いてしまったセブルスからは、これ以上の説明は出てきそうにない。私は1つ息を吐いて「さっぱり分からないけれど分かったわ」と苦笑した。
そんな私を横目で流し見て、セブルスはもう一度素早くキスをしてさっさと歩いて行ってしまった。その黒い背中を追って、ドキドキとうるさい心臓を落ち着けながら私も足を動かしたのだった。
夏休み中も、教師はずっと休みという訳にはいかない。魔法省の出しているガイドラインを参照しながら次年度のカリキュラムを考えないといけないし、授業に必要な物の発注もしなければならない。しかも今年は、闇の魔術に対する防衛術に加えて魔法生物飼育学も教員が変わるため、仕事が少し増えるのだ。
その合間を縫ってセブルスと少し遠出をしたり──珍しい薬草を採取しに行ったり、希少な魔法薬の材料を買いに行っただけで、いわゆるデートではない──、私の実験室や魔法薬学教室に籠って実験したり議論したり──これは以前とあまり変わらない──と夏休み前半を過ごし、セブルスと私が恋人同士の距離感を手探りで掴もうとしている最中、ついにケトルバーン先生がホグワーツ城を発つ日がやって来てしまった。
前日に三本箒で送別会を盛大に行い、ケトルバーン先生本人もさっぱりした様子だったので湿っぽい雰囲気は無いものの、やはり寂しい物は寂しい。
「いつでも手紙をくれたら良い」と先生は言ってくれたけれど、先生が思う存分魔法生物に情熱を捧げられる様に、何かトラブルがあっても対処しきろうと決意を新たにした。
見送りに立つ私の隣では、同じく昨日ダンブルドア先生から新しい魔法生物飼育学の教師として発表されたハグリッドがグジグジと鼻を啜っている。
「私は次はメリルかと思っていたが、君が選ばれたのなら頑張るんだぞ、ハグリッド」
「はい、先生……!」
ポン、とケトルバーン先生に肩──ハグリッドの身長のせいでほとんど肘だ──を叩かれ、ハグリッドは何度も頷いていた。
「メリル、ハグリッドを助けてやってくれ」
「分かりました、先生。楽しんでくださいね」
「もちろんだとも」
満面の笑みを浮かべて、ケトルバーン先生はホグワーツを旅立って行った。
その次の日からは、ハグリッドと一緒に次年度のカリキュラムの作成を始めた。
「ヴァレー先生、ヒッポグリフは絶対に紹介したいんです。あいつらは本当に素晴らしい生物で、皆夢中になる筈です」
「3年生にヒッポグリフはまだ早いんじゃないかしら……」
「大人しい奴も多いんで、キチンと挨拶さえすれば大丈夫です」
「ハグリッドがそう言うなら……」
ヒッポグリフは鋭い爪を有する気高い生き物だ。こちらがお辞儀をしてヒッポグリフもお辞儀を返せばその身に触れる事さえ可能だが、少しでも貶せばその爪で襲いかかって来る事もある。本音を言えば、扱うのはもう少し学年が上がってからの方が良いんじゃないかとは思うが、普段から接しているハグリッドがここまで言うなら何かあった際は私が対処すれば良いだろう。
そんな風に、教師としての仕事は右も左も分からないハグリッドに一日の大半を割く様になってから数日。ようやっとカリキュラムの作成も終わり、授業に必要な教科書や道具の指定や発注も終わった頃、自室に帰った私を扉の前でムッツリとした不機嫌顔のセブルスが出迎えた。
「セブルス?いつからここに?」
慌てて駆け寄ると、セブルスは「長時間ではない」とボソリと言った。その低い声から機嫌が悪い事は良く伝わってきたが原因が分からない。とりあえず、と私は彼を室内に招き入れてソファを勧めた。
いつもなら素直に席に腰を下ろすセブルスなのだが、一瞬考え込んだ彼は「確認したいのだが」と片方の1人用ソファを指差した。
「大きさを少し変えても?」
「構わないけれど……どうしたの?窮屈だったかしら?」
「そういう訳ではない」
そう言って、セブルスは杖を取り出してソファに向けて変身魔法を唱えた。ギュルリとソファの形がねじ曲がり、すぐにその大きさを変えて出現した。なんと2人用の大きさになっている。やはり狭かったのだろうか。
「紅茶を用意してくるから待っていて」
ソファに腰かけたセブルスの頭が上下に動くのを確認した後、私は足早にキッチンへと向かった。
セブルスの元に戻って、テーブルにカップを置いていつも通り彼の向かいに座ろうとした時、
「メイ」
とセブルスが私の名前を呼んだ。
「なあに?」
跳ねた心臓を隠して首を傾げた私に、セブルスは自らの隣部分を軽く叩いた。ここに座れという事だろうか。
疑問に思いながらも座る彼の側に寄ると、グイッと腕を引かれて結局彼の隣にポスリと収まる結果となった。
「せ、セブルス?」
戸惑いながら名前を呼ぶと、彼は唸る様に言った。
「今後はそこに座りたまえ」
「構わないけれど、急にどうしたの?」
その問いに答えは返って来ず、鼻息がフン、と吐き出されただけだった。
「仕事は全て片付いたのか」
唐突にセブルスは話題を変えてきた。それは特に珍しい事ではないため、私はすぐに頷いた。
「ええ、何とかね。ハグリッドが基本的に素直にアドバイスを飲んでくれて助かったわ」
「……そうかね」
自分から聞いてきたくせにどこか上の空の返事に、私は「何が言いたいの?」とセブルスをじっと見詰めた。
それを受けてウロ、僅かに視線をさ迷わせた彼は、たっぷりの間の後、
「……少し、遠出をしないか」
とほとんど呟く様に言った。
「遠出?」
「そうだ。……ゴドリックの谷へ」
「!」
ハッとして見開いた目と、セブルスの黒い瞳がぶつかる。その奥に確かに強い光を見て、私は彼の覚悟の大きさを感じた。
あの場所へ行くという事は、過去とそして現実と向かい合うという事だ。セブルスが何に対してこれ程責任と贖罪の気持ちを感じているかは分からないが、あの谷に行くのが彼にとって酷く辛い事であるのは確かだ。
決して無理はして欲しくない。けれど、それがセブルスにとっては必要で、そこに私も同行が許されるのなら、これ程嬉しい事は無い。
「もちろん構わないわ。私が一緒に行って良いのなら
「……君に側にいて欲しい」
セブルスがそっと自分の膝に置いていた私の手を握る。その温もりに、その珍しくも素直に吐露された気持ちに、私の胸がキュッと詰まった。
「ありがとう。行きましょう、ゴドリックの谷へ」
彼が1歩踏み出すのなら、私も自分の過去と向き合わなければならない。見ないフリをしていた心の奥底と、相対するタイミングが来たのだ。
重々しく頷いたセブルスのキスを受けながら、私は心の中で決意を固めた。
数日後、予想外の出来事が次々と起きるとも知らずに。
アンズの花言葉「臆病な愛」
25話目です。
過去に囚われるというのは、過去がフラッシュバックするという事と似てる様で少し違う気がしていて、ある意味全ての基準が過去にあるという事なのかなと思っています。
だから、セブルスが今を生きるためには、自分の中の目安や基準を現代に持ってこないといけない、そのためにはきちんと過去を見詰めなおさないといけません。それは非常に辛くて、それこそ地獄の様な痛みを伴う物かもしれません。
なあなあにしても生きていく事はできます。でもそれは、夢主の考える前向きに生きる事とは違います。彼女も心の傷がまだ残っているので、2人がそれぞれの傷を癒せるかどうかが、幸せに生きられるかどうかにかかってきます。問題はそれを私が書き切れるかどうかですね