百合の影から覗いて   作:細雨

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トラブルは時に白雨の様に〜アズカバンの囚人篇〜

早朝、過たず早起きした私は、習慣の賜物で動く身体に感謝しつつふくろう小屋の掃除と餌やりを終わらせて大広間に向かった。

「お、おはよう」

「ああ」

若干言葉が詰まったのはご愛嬌だ。私とて恥ずかしさくらいある。セブルスの涼しい顔が恨めしいやら羨ましいやら。

今日は時間割の発表日でもあるので、大広間内はいつもよりざわめきが大きい。全科目受講するハーマイオニーとドラコには体調面で特に気を付けてあげないといけない。教員が適宜助ける事となっているが、彼女たちが自分自身と鉢合わせない様にもしてあげないといけない。

「全科目受けるなんて、中々思い切った事をするわよね」

食後、マグル学の授業準備に向かうクィリナスと行き合った時にそう零すと、クィリナスは「そうですね」と微笑んだ。

「でも、聞いたところによると、貴女の影響もありそうですよ、メリル」

「私?」

キョトンと首を傾げると、クィリナスは大きく頷いた。

「Miss.グレンジャーは元々全科目受講を考えていたそうなのですが、少し尻込みしていたそうなんです。それで一緒に勉強していたMr.マルフォイに相談したところ、『無理だと思えば無理だろう』と言われたそうなんですね」

「そうなのね」

「そしてMr.マルフォイはこう続けたそうです。『僕もお前と友人になるなんて無理だと思っていた。けど、ヴァレー先生が試してみればと仰ったから、なれたぞ。先生はもちろんグリフィンドールとスリザリンの関係もご存知だったけど、無理だとは決めつけなかった。お前はどうなんだ』と」

「何だか……とても美化されていると思うわ……」

ドラコの中で、私はどんな風に見えているのだろう?ご両親の知り合いだから良い様に捉えてくれているだけだと思うのだけれど、それにしたって美化し過ぎだ。

「私はとても貴女らしいと思いましたよ」

クィリナスは肩を竦めながらそう笑って続けた。

「その言葉で一念発起したMiss.グレンジャーは全科目受講を決めたそうです。Mr.マルフォイも、彼女と協力して挑戦してみるそうですよ。彼らの時間調整のためにマグル学の教室を開放するとお伝えしたので、また様子を見ておきます」

「ええ、頼むわね」

ペコリと軽く会釈したクィリナスと別れて、私は禁じられた森に向かった。正しくはその境界に。数日前から住み着いているニクスにご飯を持って行くためだ。

「ニクス」

「ワン!」

名前を呼べば、返事をしながら真っ黒な身体が姿を現した。しっぽをブンブン振って駆け寄ってくる彼の前に、ウェストポーチから出したバスケットを置いた。中身はボイルしたチキンだ。大広間に行く前に厨房の屋敷しもべ妖精達に頼んで作ってもらったのだ。この数日、同じ様に頼んでいるため彼らも慣れたもので、朝食の仕上げの間に素早く茹でて渡してくれた。

バスケットの蓋を開けてやると、ニクスはガツガツと食べ始めた。誰も取らないというのに。

「じゃあ、また明日ね」

「ワフッ」

前日分のバスケットを回収して、薄鼠色の空の下、私はハグリッドの小屋へと向かった。

今日は午後から今学期初回の魔法生物飼育学の授業がある。つまり、ハグリッドの初めての授業だ。しかも3年生のグリフィンドールとスリザリンの合同授業だから、波乱の予感しかしない。ハリーがいるからハグリッドも張り切るだろうし、私がしっかりフォローしないと。

ハグリッドは魔法生物が大好きだし、魔法生物達もハグリッドに好意的だ。しかし、教える事はまた別の技能が必要になる。ちょっぴり大雑把な所がある彼の補助をするのも私の仕事だ。今回は何とヒッポグリフを紹介したいと希望されたから、私の緊張もひとしおだなのだ。

誇り高く、素晴らしく美しい彼らヒッポグリフはM.O.M.分類XXX──「有能な魔法使いのみ対処すべし」──に該当している。つまり、初歩段階で接する事は珍しい。これまでの魔法生物飼育学でも、高学年になってから紹介してきた。しかし、ハグリッドは良い経験になるからと強く彼らを授業に登場させる事を推薦した。確かに高学年でないとならないというルールも無いため、私は説得の末譲歩したのだが不安は残る。ハグリッドは特に魔法生物に好かれやすいのだが、彼はそれを分かっていない節があるからだ。

私は目前に見えてきた森番の小屋を前に気合いを入れ直した。

「ハグリッド!」

「おお、ヴァレー先生、丁度良かった、探しに行こうと思ってたんです」

小屋から出てきたハグリッドに声を掛けると、彼は緊張の色が濃いその顔を破顔させた。

「ヒッポグリフ達を紹介してもらっても良いかしら?」

「もちろんです。でも、先生はてっきり会っとるもんだと思ってましたが」

「会っているのは会っているけれど、正式に挨拶した事は無いの。普段の餌やりは貴方にお願いしているし」

「そういやそうだ」

ハグリッドはウンウンと頷きながらノッシノッシと歩いて行く。私も小走りにその後ろを続いた。

飼育場に着くと、何頭ものヒッポグリフがハグリッドの方を向いて嬉しそうに鳴いた。相変わらずの歓迎ぶりだ。

その1頭1頭を名前と共に紹介してもらい、丁寧にお辞儀していった。幸いにも彼らは私の事を受け入れてくれ、その優雅な毛並や嘴に触る事すら許してくれた。存分に彼らと触れ合ってからハグリッドにお礼を言って、私は温室へ向かった。今日はポモーナが5年生に噛み噛み白菜を教えると言っていた筈だ。慎重に鉢を出してこないと。

昼食のために大広間に到着すると、既にリーマスが席に着いていた。

「やあ」

明るい鳶色の髪に似合いの笑みで片手を上げた彼に挨拶を返し、私も椅子に腰を下ろした。

「初日は順調かしら?」

「特段問題無いと思うよ。少しまごつく所はあったけど、生徒達が良い子ばかりでね。こんな不慣れな私の話も静かに聞いてくれたよ」

確か闇の魔術に対する防衛術は、午前中はハッフルパフの3年生とグリフィンドールの1年生の授業があった筈だ。野次や揶揄等は起こらなそうではある。初日の授業相手としてはやりやすいだろう。

「単なる興味なのだけれど、早くハリーに授業したいと思う?」

「そうだね……」

リーマスは少しの間考える仕草をして、「半分半分かな」と困った様に笑った。

「私自身がまだ慣れていないから不安もある。けれど、ジェームズの息子に関わる事ができるなんて夢にも思っていなかったから期待もあるよ」

「なるほど、そういう感じなのね」

相槌を打った所でセブルスがスルリと席に滑り込んで来てすぐに昼食が始まったため、話はそこでお終いとなった。私も早めに食事を摂り、午後の魔法生物飼育学の準備のためさっさと大広間を出た。

飼育場でヒッポグリフ達に分厚い革の首輪を付けて回った。首輪に繋がる太く長い鎖は、私ではせいぜい1度に2本程しか持てない。

「おーい、ヴァレー先生!」

「ハグリッド、準備できてるわ」

ガチガチに緊張した顔のハグリッドは何とか頷いて、ヒッポグリフ達の鎖を全て纏めて持って歩き出した。

ヒッポグリフ達はハグリッドと散歩だと思ったのか、軽快に足を進めてついにはハグリッドを追い越して半ば走り出してしまった。最早、早足と言っても過言ではない。

こうなってしまうと私では止められないのでハグリッドに止めてもらうしかない。今の所、何とか放牧場に向かっているから大丈夫だろうけれど。

「ドウ、ドウ!」

ハグリッドが何とか全てのヒッポグリフを柵の側で止めた所で追い付いた私は、彼を手伝って1頭ずつ柵に繋いだ。いつの間にか生徒達がジワッと後ろに下がっている。

やっぱりびっくりするわよね。ヒッポグリフは大きいし、圧倒される美しさがあるもの。

「ヒッポグリフだ!美しかろう、え?」

先程の緊張の面持ちから一転、皆に手を振りながらハグリッドが嬉しそうに大声で言った。

嵐の空の様な灰色、赤銅色、赤胡麻の入った褐色、ツヤツヤした栗毛、漆黒と様々な毛並みのヒッポグリフ達が放牧場に集まっているのは壮観だ。許されるならずっと見ていたい。

そんな風に思いながら、私はヒッポグリフ達から距離を取った。少し離れてみていた方が全体的に観察できるしフォローに回りやすい。

「そんじゃ、もうちっと、こっち来いや……」

ハグリッドが両手を揉みながらニコニコと生徒達に笑いかけたが、誰も柵に近付きたがらない。さすがに悪いと思ったのか、ハリー、ロン、ハーマイオニーだけは怖々近寄って来てくれた。

「まんず、イッチ番先にヒッポグリフについて知らなければなんねえ事は、こいつらは誇り高い。すぐ怒るぞ、ヒッポグリフは。絶対、侮辱してはなんねえ。そんな事をしてみろ、それがお前さん達の最後の仕業になるかもしんねぇぞ」

団子状態の生徒達のそこかしこでヒソヒソと話す声が聞こえる。やはりヒッポグリフが怖いのだろうか。

「必ず、ヒッポグリフの方が先に動くのを待つんだぞ。それが礼儀ってもんだろう。な?こいつの側まで歩いて行く。そんでもってお辞儀する。そんで、待つんだ。こいつがお辞儀を返したら、触っても良いっちゅうこった。もしお辞儀を返さなんだら、すばやく離れろ。こいつの鉤爪は痛いからな」

ハグリッドはきちんと注意点と彼らへの挨拶の仕方を説明した上で続けた。

「よーし──誰が1番乗りだ?」

森の音以外が消えた。まごつく生徒達に、どうしようかと内心頭を抱えた。

それぞれの寮からこちらで指名して1人体験してもらう?そうするなら目立っているハリーと家の格的に同学年のまとめ役になっているドラコでしょうけれど、ハリーは兎も角、ドラコはハグリッドや人間以外の生物を下に見がちなところがある。1年生の時のケンタウロスへの態度が特に顕著だった。2年も経っているから多少変化しているかもしれないけれど……。

「誰もおらんのか?」

ハグリッドの不安気な声音にいよいよ口を挟もうとした時。

「僕、やるよ」

意を決した様子ですハリーが1歩前に出た。その後ろで、あっと息を呑む声がした。

「あぁぁー、ダメよ、ハリー。お茶の葉を忘れたの!」

お茶の葉?何の事──ああ、もしかして占い学かしら。毎年1人は死を予言され、同学年で何人か心酔する程のめり込む生徒が現れる科目。それでいて適正があるかどうか明確な基準が無いのが少し厄介よね……。ラベンダーとパーバティの様子を見るに、今年はハリーが何か言われたようね。

私の思考が傍らのゴールデンコーム──金に近い栗毛の後頭部の羽がトサカの様にピョンッと上に向いている事から名前がついた。見方によっては寝癖にも見える──の首筋を撫でながら少し逸れた方向に行っている間に、ハリーがバックビークへの挨拶を成功させて恐る恐るその嘴を撫でていた。勇気ある子供に、私も他の子達と一緒に拍手を贈った。

驚いたのはその後だ。ハグリッドは、バックビークがハリーを背中に乗せてくれると言い出し、少年に実際に乗るように促した。

「ハグリッド、それは──」

当初の予定に無かった事だ。ヒッポグリフは誇り高く、認めた相手に無闇な行動は取らないといっても魔法生物だ。私達とは違う。

引き留めようと声を上げかけた時、ハリーが一気にバックビークの背に飛び乗った。首をブルリと1度回したバックビークは嫌がる事なく、ハグリッドがその尻を叩いたのを合図に羽ばたきながら駆け出した。突然の動きに、ハリーの驚いた顔が目に入る。

「ハリー!」

私が慌てて追ったのとグリフィンドールの生徒達が歓声を上げたのはほぼ同時。

森を抜けた所でぐんっと飛翔したバックビークの背中に何とかしがみつくハリーの姿を確認し、私はほっと胸を撫で下ろした。

バックビークの銀の毛並が陽の光を反射して眩しい。ピカリピカリと輝く銀がとても美しく、いいな、と素直に思った。

バックビークに限らず、ヒッポグリフに騎乗するのは難しい。彼らに認められるのはもちろんの事、その背に乗って操る事も認めさせなければならないからだ。

バックビークに乗るハリーは緊張で固い顔をしているものの、空を飛ぶのはやはり好きなのだろう、少しだけ口角が上がっている様にも見える。

羨ましいな、と思う。空を飛べるのは、どれ程気持ちの良い事だろう。箒は苦手ではないが、大好きという訳でもない。今のハリーの様に、彼らと大空を舞えたなら──。

放牧場へ舞い降りるバックビークを追って歩きながら、私は少しの間夢想したのだった。

ハリーの成功を受けて、子供達が恐る恐るではあるが放牧場に入って来ていた。

ハグリッドと共にヒッポグリフを1頭ずつ鎖から解き放つと、やがて放牧場のあちこちで皆がおずおずとお辞儀を始めた。

放牧場中を見て回っていると、ネビルと対面しているヒッポグリフが中々膝を折らない事に気が付いて歩み寄った。

「ネビル」

「あ、ヴァ、ヴァレー先生……」

慌ててヒッポグリフから距離を取ったネビルが息も絶え絶えに私を見た。その目はちょっぴり涙目になっている。

私はヒッポグリフ──ゴールデンコームを宥めた後、改めてネビルの側へ行って目を合わせた。

「ヒッポグリフが怖い?」

ネビルは小さく頷いた。

うーん……怖いのは仕方ないけれど、だからといって避けられる事は多くない。今ヒッポグリフとの挨拶を乗り越えられたなら、きっとネビルの自信にもなるでしょうし……。

「ネビルは薬草が好きよね?」

「え?は、はい」

私の唐突な問いに、ネビルは困惑しながらも頷いた。今学期も、既にポモーナに薬草の世話の手伝いを申し出たと聞いている。こんなに熱心な生徒は少し久しぶりだとポモーナがウキウキしていた。

「薬草の中には毒を持つ物や触れる事自体が危険な物や攻撃を仕掛けてくる物もあるわ。それらをネビルが実際に扱うのはもっと高学年になってからでしょうけれど。でも、マンドレイクはもう習ったでしょう?未成熟のマンドレイクの声でさえ、私達を気絶させる威力があるわ。それは怖い?」

ネビルはウロウロと視線をさ迷わせて、両手の指をイジイジと掴んだり離したりしながら「少し……」と答えて続けた。

「でも、育てるのは楽しい、です。どんな薬草も、ちゃんと勉強したいから、怖くても頑張れます」

「そうよね。それは魔法生物も同じよ。彼らは彼らの生態がある。その上で、彼らを知るために、怖くても触れ合わないとならない時があるわ。それは分かる?」

躊躇いつつもネビルは頷いてくれた。賢い子だ。本当は勇気を持っているけれど、それ以上に慎重で繊細なのだろう。

「私がついているから、もう1度頑張ってみない?」

今度はしばしの間が空いた。けれど、ネビルは意を決した様に私と目を合わせて頷いてくれた。

私はネビルと並んでゴールデンコームの前に立った。少年を前に少し押し出すと、1度ビクッと震えた後オズオズと1歩前に出た。

品定めする様にゴールデンコームがネビルを見る。

「大丈夫、この子は気性の優しい子よ。目を逸らさないで、瞬きは減らして。……ほら、彼女は綺麗なオレンジ色の目でしょう?」

「本当だ……」

ちょっぴりネビルの頬に赤みが戻った。先程まで緊張と恐怖で青白かったから、少しでも持ち直したなら安心だ。

ネビルが、家の教育の賜物だろう、上品ささえ感じるお辞儀をゆっくりとすると、少しの間ゴールデンコームはそれを見ていた。そうして痛い程の沈黙の後、彼女はようやく膝を折った。

「ネビル、そっと嘴を撫でてみて。良い?女の子相手だから優しくね」

「は、はい」

そっと慎重に伸ばされた手は、果たして鋭く輝く嘴に触れて優しくゆっくりと撫でる事に成功した。ゴールデンコームがそのオレンジの瞳を気持ち良さそうに細めた。

何度か嘴を撫でた後、ネビルはまたも慎重に後退して私の横に戻って来た。

「やったわね、ネビル、成功よ。おめでとう!」

「せ、先生のお陰です!僕、ばあちゃんにヒッポグリフに挨拶できたって書きます!」

「ええ、そうしてあげて。お祖母様もお喜びになると思うわ」

キラキラと輝く目で嬉しそうに笑うネビルをもう1度褒めて、私は他の子達を見るために歩き出した。

ロンとハーマイオニーもきちんと挨拶できているし、パーバティも大丈夫そう。パンジーも何とかお辞儀を返してもらっている。

さて問題は、とバックビークの元へ向かっていたドラコ達を見やると、挨拶は成功して嘴を撫でる事さえできていた。しかし、その顔に成功の嬉しさは無く、むしろ尊大さや拗ねた様な色さえ浮かんでいる。

──ああ、嫌な予感。

そういう予感程、良く当たるのだ。

走り出したその先で、ドラコが「醜いデカブツの野獣君」とバックビークを侮辱する声が聞こえた。

全ては一瞬の出来事だった。光る鋼色の鉤爪の前に躍り出る。悲鳴を上げるドラコと背の痛み。そして金色に散らばる無数の筋が、視界の隅に見えた。

「ドウ!バックビーク、ドウ、ドウ!」

ジンジンと熱い背中に、それ程深手ではない事は察した。女子生徒から上がる悲鳴とざわめきを聞きながら、私は何とか立ち上がってバックビークに対峙した。

ハグリッドが首輪を付けようと抑えても尚ドラコを攻撃しようと暴れていたバックビークは、気圧された様に少し大人しくなった。

「バックビーク、ダメよ。貴方は誇り高い子だわ。だから、これ以上暴れてはダメ。分かるわね?」

目を合わせながら言うと、バックビークは納得しきっていないのか不満気に地面を鉤爪で何度か掻いたものの、暴れるのは止めてくれた。

「せ、先生、そんな──僕──」

「ドラコ」

後ろからか細い声が聞こえて振り返ると、腰が抜けた様に座り込んだドラコが限界までその顔色を白くしていた。

あの鉤爪が恐ろしかったのは分かるが、ハグリッドに言われた事を守らなかったのだ。自業自得でもある。けれど、だからといって助けないのは教師ではない。

「ハグリッドはきちんと守るべき事を最初に教えていたわ。先生の言う事を守らず、ヒッポグリフを侮辱し、事故を起こしかけたスリザリンは5点減点よ」

ドラコの喉からヒュッと息を呑む音がした。当然の処置だ。さすがにお咎め無しで済ませられる事態ではない。

「ハグリッドは魔法生物飼育学の先生なのよ。彼の事を何と思っていようと、注意には従わなければならないわ。ドラコ、この機会に考え方を見直しなさい」

「は、はい……」

ドラコは涙目になってしまった。だが、これは良い機会だ。自分の価値観を柔軟に変えられるのは、若い間の特権なのだから。

「ヴァレー先生、背中が……それに髪も……!」

何とかバックビークに首輪を付けたハグリッドが慌てながら走り寄ってきた。

そういえばと足元を見ると、鉤爪で切れたらしい髪が辺りに散らばっていた。消失呪文で切れた髪を消しながら周囲を見ると、血も地面に少しだが滴っている。

「医務室に行かにゃ!」

「いえ、自分で、わ!?」

歩いて行くと言おうとした私を勢い良く背負ったハグリッドが、

「誰か、手伝ってくれ──先生をこっから連れ出さにゃ!」

と言うと、ハーマイオニーが走って行って放牧場のゲートをさっと開けた。ハグリッドは私を背負った状態で城に向かって坂を駆け上がった。

生徒達を放置してはおけないと思ったが、皆ショックを受けた顔をしながらも後について来ていた。ざわついている中、特にスリザリンの子達がハグリッドを罵倒していたため、玄関ホールには言った所で私はハグリッドに止まってもらった。

「皆、良いかしら。これは私が避けきれなかったゆえの事故だわ。ハグリッドのせいではないの。大人しくそれぞれの寮に帰りなさい。分かったわね?」

生徒達がそれぞれに頷いたのを確認し、私はハグリッドに医務室まで運んでもらった。

「まあ、メリル!またなの?」

パタパタと足早にこちらに寄ってきたマダム・ポンフリーに「今回はその、事故で……」と苦笑した。マダムは呆れた様に軽く溜息を吐いたが、ハグリッドが涙目になって口を開いた。

「俺が悪いんです!ちゃんと見てなかったから……」

勢い込んで叫ぶ様に訴えるハグリッドに、私は宥める様に声を掛けた。

「ハグリッド、貴方のせいじゃないわ。それにすぐ治るから問題無いわよ」

「でも、先生、髪が……」

「そろそろ切ろうかと思っていたからちょうどいいわ。ショートも似合うでしょう?」

「え、あ、まあそれはそうだが……」

「ほら、大丈夫。ハグリッドはヒッポグリフ達のフォローにいってあげて。あの子達もショックを受けている筈だから」

ハグリッド自身もショックを受けているから、できるだけ落ち着いて欲しいと祈りを込めてお願いすると、彼はようよう頷いて医務室を出て行った。

「授業で何かあったのですか?」

マダム・ポンフリーがそう聞きながら1つのベッドの布団を避け、周りをカーテンで仕切ってくれた。その彼女が空けてくれたベッドに上半身裸になって寝転がり、怪我した箇所を見てもらえる様にしつつ、私は「少しね」と苦笑した。

「ちょっとしたトラブルでヒッポグリフの爪が引っかかっちゃって。大きな傷ではないと思うのだけれど……」

そう言うと、マダム・ポンフリーは「幸いその様ね」と言いながら素早く血を拭き取って消毒してくれた。

「これを飲みなさい。傷はすぐに塞がりますけど、かと言ってすぐに動くとまた開くから、夕食まではここで安静にすること」

「分かりました」

素直に頷くと、マダムは優しく服を着せて布団をかけてくれた。そしてカーテンの向こうへ出て行こうと踵を返した彼女を、私は躊躇いがちに呼び止めた。

「あの、マダム?」

「何かしら?」

「お願いがあるのだけれど……セブルスには内緒にしておいてくれないかしら?こんな怪我したなんて知れたらまたお説教を貰ってしまうわ」

そうお願いすると、マダム・ポンフリーは彼女にしては珍しくニヤッと楽しげに笑った。

「私から言う事はしませんよ。でも、無駄だと思いますけどね」

「え?」

バターン!と勢い良く医務室の扉が開かれたのはその瞬間だった。カーテンの向こうに頭を出したマダム・ポンフリーはすぐに私の方を向いて「ほらね」と笑ってから、今度は全身をカーテンの囲いから出した。

「セブルス、そんなに乱暴に扉を開くものじゃありませんよ」

「失敬、急いでいたもので」

不機嫌丸出しのバリトンボイスがカーテンの向こうから聞こえて、私は頭を抱えた。こんなに早く知られるなんて。何なら知られたくなかったくらいなのに。

「ヴァレー教授補佐はここかね?」

「くれぐれも、セブルス、夕食までは安静ですからね」

「分かっているとも」

「その顔だと全面的に信用しにくいですよ。私は奥にいますから、何かあれば声をかけなさいね」

「ああ、そうさせてもらおう」

マダム・ポンフリーがカツカツと離れて行く音がする。カーテン越しに放たれている怒気がいっそ怖いくらいだ。

「……入るぞ」

「どうぞ」

返事をすると、セブルスはすぐにするりとカーテンの内側に入って来た。一瞬固まったその眉は限界まで寄せられており、口元は固く引き結ばれている。黒い瞳は怒りでユラユラと揺れていた。

「メリル・ヴァレー教授補佐」

「何かしら、セブルス・スネイプ魔法薬学教授」

フルネームと役職で呼んでくるものだから同じ事を返したら、気に食わなかったのかギッと睨み付けられた。うつ伏せで枕を胸元に抱え込んだままセブルスを見上げていると、呆れたのか彼は大きく大きく溜息を吐いた。

「……怪我の具合は」

「マダム・ポンフリーの薬を飲んだからもう塞がっているわ。念の為ここにいるように、ってだけよ」

「そうか……」

再度溜息を吐き出したセブルスは「……何があった」と低く呟いた。

「君が魔法生物の扱いを間違えるとは思えない。何か不測の事態が起きたのだろう?」

「そうね。……怒らないで聞いてくれる?」

「内容による」

にべもなく言い切られ、私は苦笑した。セブルスらしいといえばセブルスらしい。

私は今学期初の魔法生物飼育学で起こった事態について端的に説明した。言葉を重ねれば重ねる程セブルスの顔が引き攣っていったが、一旦見なかった事にして全て語り終えた。

「──という事でね。旅をしていた頃なら避けきれたのだけれど、やっぱり身体が鈍っているみたいね。実感したわ」

ふう、とわざとらしく溜息を吐いて見せたが、セブルスの暗い顔は変わらない。どうしようかしら、なんて思っている間に、彼は脱力したかの様に枕元に膝を着いた。

「──君が、無事で良かった」

いつの間にかセブルスの放っていた怒気は霧散していて、その声は安堵を過分に含んでいた。そっと私の肩に流れる短くなった髪を梳く手付きはこれ以上無い程優しい。

「髪の事は、残念だったな」

「いいのよ。そろそろ切ろうかと思ってはいたから」

「そうか……」

そもそも髪を伸ばし始めたのだって、今から考えれば無意識の内にリリーを意識しての事だったのだから、もう伸ばす理由も無いのだ。

セブルスが惜しむ様に撫でてくれていたとしても、私も彼女に拘泥してはいられない。羨む事はもうしないと、誓ったのだから。

「夕食の時に大広間に行くから、貴方は戻ったらどう?今日の片付けや明日の準備もあるでしょう?」

「いや、しかし──」

「面会時間は終わりですよ、セブルス。もう出てくださいね、その子には休息が必要です」

セブルスが言い差した時、カーテンの向こうからマダム・ポンフリーから注意が飛んだ。セブルスの顔が一気に拗ねた様な物に変わる。

思わず吹き出してしまった私の髪を、彼はぐしゃぐしゃに掻き乱した。

「もう、何するの、セブルス」

「……別に、たまには良いだろう」

立ち上がりざまに息を吐き、セブルスは「そういえば」と今思い出したかの様に切り出した。

「ドラコが、君に庇われた時に転んだ拍子に手首を捻ったと申し出ていた。何か知っているかね?」

ドラコが後ろ手をついていた事は見たから分かるけれど、捻挫までは確認していなかった。私は苦笑しながら緩く首を横に振った。大きな怪我を負っていない事は確かだけれど。

「申し訳ないけれど、そこまで見ていないわ」

「そうか、ならば念の為マダムに処置してもらう事にしよう。後で来るだろうが、君は大人しくしておくように」

「分かっているわ」

「セブルス、時間ですよ」

マダム・ポンフリーの催促に「分かっているとも」と返し、セブルスはさっと私の頬にキスをした。

「……では後程大広間で」

「あ、え、ええ、また後で」

一気に赤くなった私を置いて、セブルスはするりとカーテンの向こう側へ行ってしまった。2、3言マダムと言葉を交わして、バタリと医務室の扉が閉まる音がした。それを確認してから、私は思い切りボスリと顔を埋めた。

──余裕過ぎる!セブルスだけ!ずるい!

そんな風に怒ったフリでもしていないと、ベッドから出られなくなってしまいそうだった。恥ずかしさと照れで頬が熱くて、キスされた時に香った薬草の匂いが纏わりついて離れない。

何とか夕食までに顔の赤さを戻しておかないと。

布団を頭から被ってしばらく明日の段取りを考えていると、私はいつの間にか眠ってしまっていたのだった。




白雨「明るい空から降る雨」

29話目です。

新学期の始まりから全然時間が進みませんが、色々と書いておかなければならないので仕方ないですね 

隙があればセブルスと会話させたいので、余計に長くなっているのかもしれませんw

終盤のために書いておかなければならない事もあるので、所謂仕込みの段階ですね。あまり山や谷は無いかもしれませんが、お付き合いいただければと思います。
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