「ホグワーツに入学したての貴女を思い出しますね」と懐かしそうに微笑むマダム・ポンフリーに髪を肩口で切り揃えて貰ってから大広間に顔を出すと、1度大きく室内がざわついた。
そのヒソヒソ声は、ダンブルドア先生が夕食の開始を告げてようやく少し収まった。
「今日は一段と賑やかね。今日から授業だったからかしら」
「……本気で言っているのか?」
食事を摂りながら呟くと、セブルスが心底信じられないという顔でこちらを見た。そんな顔されるなんて少し心外だわ。
首を傾げていると、反対隣のリーマスが「話題の中心は君だよ、メリル」と苦笑した。
「魔法生物飼育学でトラブルが起きた事と君が怪我をした事があっという間に城に広がってね。皆心配していたのさ。髪が短くなったとは知らなかったけど」
「魔法生物達を相手にしているんだもの、多少の事故くらいあるわ。今回はとても軽く済んだ方よ」
そう肩を竦めると、リーマスは
「子供達にとってはまだ刺激が強過ぎる。慕っている先生が怪我したなんて、君でもショックを受けるだろう?」
と少し咎める様な声音で言った。私でも、という言い方は少し引っ掛かるが、内容に異論は無い。
「それはそうね。ギルデロイと連携して子供達のフォローはしておくわ」
「それが良いと思う。──君の怪我が大した事無くて良かったよ」
「どうも、お気遣いありがとう」
会話の終わりに紅茶のカップを傾けると、視界の端にセブルス越しにこちらをチラチラと窺うクィリナスの姿が映った。ほとんど片付けていた皿の上を片付け、セブルスに「ドラコは?」と姿の見えない子供の行方を尋ねた。
「今日は寮で食事を摂るそうだ」
「そうなのね。ご飯を食べられるなら大丈夫かしら」
「本人次第ではないかね」
「明日にでも話をする機会を作ってくれるかしら?」
「伝えておこう」
「ありがとう」
セブルスへ礼を伝えて、私は席を立ってクィリナスを元へ行った。
「クィリナス、この後少し良いかしら」
「は、はい、大丈夫です」
「ありがとう、ギルデロイも誘っても?」
「もちろんです。マグル学の教室で良いですか?」
「ええ。少し用事を片付けてから向かうわね」
クィリナスは「分かりました」と頷いた。私はギルデロイにも約束を取り付け、教員席裏の大広間の扉を潜った。その後ろから、いつの間に追い付いたのか、セブルスの声が飛んで来た。
「メリル」
「どうしたの?」
首を傾げた私に、セブルスは声を落として囁いた。
「……消灯後に、訪ねても?」
「ええ、もちろんよ」
セブルスは顎を引く様に頷いてから、黒衣を翻して去って行った。
明日の準備を済ましてからマグル学の教室へ向かうと、既にギルデロイが先に到着してお茶できる様にテーブルや椅子をセッティングしてくれていた。
「遅くなってごめんなさい。手伝える事はある?」
「おや、こんばんは、メリル。後は貴女が座るだけですとも!今、クィリナスがポットとカップを運んでくる筈です」
パァッと輝く笑顔でそう言われ、私は「ありがとう」と彼が引いてくれた椅子に腰を降ろした。
程無くして、ギルデロイの言葉通りクィリナスがお茶のセットを浮遊呪文で運んできてくれたため、夜のお茶会が始まった。
まずは、と今日の魔法生物飼育学で起きた出来事について共有する。
「──という事があったから、特に小さい子がショックを引きずらない様に気を配ってあげて欲しいの」
「承りました。貴女とMr.マルフォイが怪我をしたという噂は夕方頃に広まりましたから、明日から少しお話する機会を多く持った方が良いかもしれませんね」
「そうですね。休み時間に見回るのも良いかもしれません。貴方の部屋に来客があれば、知らせてくれる仕掛けでもしておきましょうか?」
「おや、大変助かります!私、忘却呪文以外はからきしでしてね!」
──そんな事はないのに。
笑顔で自虐するギルデロイに苦笑しつつ、私はカップを傾けた。イギリスに限らず、魔法界は忘却呪文のみで旅できる程甘くはない。あの本を書くために世界のあちこちに行ったのは事実なのだろうし、忘却呪文以外それ程使えないという事は無い筈だ。クィリナスもそれを承知の上だ。だから、これは単なる後輩へのちょっとした親切というか甘やかしだ。クィリナスも私も、教員の中では1番若い世代だから後輩にはつい世話を焼いてしまうのかもしれない。
それに、魔法を掛ける所を見せておけばギルデロイならある程度応用も効くだろう。できる事は増やしておくに越した事はない。
授業初日の私見や意見交換をして全科目受講のハーマイオニーとドラコの様子を聞き終わった後、ふとギルデロイが「言い逃していましたが」と切り出した。
「その髪型も大変良くお似合いです。自分で切り揃えたのですか?」
「マダム・ポンフリーにお願いしたの。さすがに後ろ側を綺麗に切る自信は無くて」
「さすがマダムですね。とても涼しげです。クィリナスもそう思いますよね?」
突然水を向けられたクィリナスが慌てて何度もコクコクと頷いた。大きく首を縦に振るものだから、その度にカップが揺れて零れないか少し心配になってしまった。
「は、はい、とても似合っています。もちろん以前の髪型も良かったと思いますが、今はより活動的で爽やかに見えます」
「ありがとう、2人共」
笑顔で礼を伝えると、彼らも笑みを返してくれた。
それからしばらく雑談をしてから、消灯時間の少し前に夜のお茶会は解散となった。
「あまり遅くまで引き留めるとセブルスに怒られてしまいますからね!」
とはギルデロイの言だ。その隣ではクィリナスも苦笑して否定しなかった。
ホグワーツの暗い廊下を進むと、秋らしい少しヒヤリとした風が吹き抜けていった。今年も変わらないその冷たさに、昨年やその前の様にハロウィンに何か起こるのかしらとふと思った。この2年程、大きな事件はいつだってハロウィンの日から始まっている。少し注意して見回った方がいいかもしれない。
つらつらと考え事をしながら部屋に帰り、お湯を沸かしていると扉をノックする音がした。
「こんばんは、セブルス」
「ああ」
廊下の暗闇に紛れる様に立っていた男は、開いた扉の隙間からするりと中に入り込んだ。慣れた様に私の後を付いて私室に来て、ゆっくりとソファに腰を降ろしたその顔は、既に少し疲れている様に見える。
手早くハーブティーを淹れてそれを注いだカップをセブルスに手渡すと、隣に腰掛ける私の目の前でカップを傾けて小さく一息吐いた。
「大丈夫?疲れているなら、無理に会いに来なくても良いのよ」
私がそう気遣うと、セブルスは「いや」と首を横に振った。
「君の側にいる方が余程良い」
「!……そ、それは嬉しいけれど、自分の身体を大事にして、きちんとこの後休んでね」
嬉しい言葉に鼓動が高鳴ったが、それはそれとして釘は刺しておかなければならない。セブルスは自分の事となると疎かになりがちだ。徹夜は平気でするし、食事を抜く事すらある。最近は随分と減ったけれど、無くなった訳ではないから、要所要所で伝えておかなければ。
私の忠告に、セブルスは無言で頷いた。
「……背中の傷は、どうだ。もう平気なのか」
少し躊躇いがちに問い掛けられ、そうやって気遣う事にも不器用さが垣間見えた私は嬉しさと微笑ましさが混じった心地になった。緩く微笑んで「大丈夫よ」と肯定して続ける。
「痕も残らないらしいわ。さすがマダム・ポンフリーね」
「そうか。……ドラコが、悪かった」
「貴方が謝る事ではないわ」
私はカップをソーサーに置いて身体ごとセブルスの方へ向いた。
「セブルス、貴方は確かにスリザリンの寮監だけれど、寮生の間違いの責任を全て取らなければならない訳ではないわ。もちろん面倒は見てあげないといけないでしょうけれど、今回はドラコの価値観とそれに基づいた判断による間違いだわ。謝る必要があるのはドラコだわ。そして相手はハグリッド」
「……それは」
「悪い事をしたら、謝るものでしょう?教師の指示を無視したんだもの、当たり前の事だわ。そこに貴族かそうでないかは関係無いわよ」
「……ルシウスが知ったら不機嫌になりそうな事を平気で言うのだな、君は」
そう溜息と共に言われ、私はあえて明るく笑った。
「あら、今ルシウスは関係無いわ。何か言われたら、状況によって相手の言葉を受け入れて敵を作らない練習です、くらいの事をお伝えするわよ」
その言葉に、セブルスは意外だとでも言う風に片眉を上げた。
「……君は案外、ずる賢い部分もあるのだな」
そんな言い方に、思わず声を上げて笑ってしまった。私は聖人ではないのだから、言い訳や建前くらい使う事はいくらでもある。セブルスはそんな風には思っていなかったみたいだけれど。
「そんなにお綺麗な人間ではないもの。……失望した?」
「まさか」
カップをソーサーに戻したセブルスは、私の肩に腕を回してそっと引き寄せた。その力に抗わず流された私の頭は、セブルスの肩に柔らかく着地した。フワリと香るサシェの匂いに、胸がポカポカと温かくなる。
「……君の様々な面を見てみたいと好奇心がくすぐられただけだ」
「それ程多面的な人間でも無いと思うけれどね。私も、セブルスの色んな事が知りたいわ」
「お望みのままに」
ふ、と小さく笑う音が頭上から聞こえた。
──今の貴方の顔はきっと、とても柔らかいんでしょうね。
見てみたい気分を味わいつつも、私はあえてそのまま体重を預けたままでいた。
セブルスが1度たりとも短くなった髪型を「似合う」と言わなかった事には、気付かないフリをした。
翌日、ドラコに放課後に話をしようと伝えると、手首に包帯を巻いた少年はコクリと無言で頷いた。場所の希望を訊ねると魔法薬学の教室を挙げたため、セブルスに許可を貰ってその端を使わせてもらう事になった。
そして放課後。授業終わりにすぐやって来たドラコを、私はセブルスに借りたティーセットを準備して待ち受けた。
軽いノック音に入室を促すと、ドラコが躊躇いがちに扉を開けて入って来た。手招きすると早足でやって来る所は、背が伸びても変わらない彼の素直さの表れだろう。
対面する場所に座る様に促すと、ドラコは大人しく席に着いた。そんな彼の前に紅茶の入ったカップを置くと、驚いた顔をされた。
「どうしたの?」
「いえ、あの……何か、罰則でもさせられると思ったので……」
「ああ、そういう事ね。私はね、ドラコ、貴方と話をしたいと思ったのよ。だからこの場を用意したの」
「話、ですか?」
ドラコは目を瞬かせた。それへ頷き、私は紅茶を少し口に含んだ。その間、眼前の少年は落ち着かなさそうに、私の背後で静かに調合しているセブルスをチラチラと窺っていた。
「スネイプ先生が気になる?」
イタズラ心で聞いてみると、ドラコは大仰な程ビクッと肩を跳ねさせた。
「い、いえ、大丈夫です!」
「基本的には聞いているだけよ。貴方が何を言おうがどこにも報告も伝えもしないわ」
「そ、そうですか」
ドラコは安心した様な心外な様な複雑な表情を浮かべていた。
私と話をした事で彼がルシウスや家族から叱責される事だけは避けねばならない。そうなると、もう何も話せなくなってしまうから。だから、セブルスにいてもらった上で他言無用をお願いしたのだ。
「さて、ドラコ、全科目受講しているそうだけれど、勉強は追い付いているかしら?困っている事はない?」
さっそく魔法生物飼育学の事について聞かれると思っていたのだろう、ドラコは拍子抜けた表情になりながらも「大丈夫、だと思います」と答えた。
「そう?良かったわ。受講を途中で辞める事もできるから、その時は遠慮無く言ってね。もちろん私でなくとも、スネイプ先生にでも構わないわ」
「分かりました」
「貴方から見て、ハーマイオニーはどうかしら?無理はしていない?」
ドラコは少し考えてから、眉を寄せて口を開いた。
「少しピリピリしている様に感じます。どうも占い学と相性が悪いらしくて……」
「ハーマイオニーはどちらかと言うと論理的なタイプだからかしらね。分かったわ、様子を見ていく事にするわ。ドラコは占い学はどう?」
「……僕も、あまり身にならないとは感じています。数秘術の方がよっぽど分かりやすいです」
これもまた、相性という物だ。ある程度論理の曖昧な学問──占い学等、個々人の才能に拠る物──はどうしたって向き不向きが出てくる。
「なるほどね。受講科目を変える時は気軽に言ってくれたら良いわ。無理に12フクロウなんて目指さなくとも良いんだから」
ドラコはコクリと頷いた。12フクロウ達成なんて10年に1人出れば良い方なのだ。そもそも逆転時計を使った多重生活は中々に負担が大きく、その壁を乗り越えられない生徒が大半だから。
「さて、ドラコ、貴方にとって教師とはどんな存在かしら?」
「…………教えを請う存在です。尊敬できる人とそうでない人はいますが」
かなりの間を空けて、どこかちょっぴり拗ねた様にドラコは答えた。「尊敬できる人」の部分では律儀にセブルスの方をチラリと見てから言うあたり、目は口ほどに物を言うという状態である。そしておそらく、ドラコにとって「そうでない人」はハグリッドを指すのだろう。先程の発言を考えるに、もしかしたらシビルもそこに入るかもしれない。
それはそれとして、素直さはドラコの美点だが同時に短所でもある。このままでは、貴族として苦労しそうだ。余計なお世話かもしれないけれど。
「教えてもらう存在という点では私も同意だわ。相手をどう思うかは個人の自由だとも思う。けれど、例えどう思っていたとしても、その存在や言葉を軽く見るのはまた別問題だわ」
「……どういう意味ですか?」
ドラコの眉が訝しげに──もしくは不満げに寄る。
「貴方が知らない事を、時には危険を、相手が知っているかもしれないという意味よ。今回で言えば、『ヒッポグリフを侮辱したらどんな事になるか』という事ね。今回の件で痛感したでしょうけれど」
少年が気まずげに目を逸らす。後悔はしてくれているみたい。怪我の功名という物かしら。怪我なんて無い方が良いのだけれど、思い知るには時に痛みが必要な事もまた、私は知っているから。
「ドラコ、貴方は自分が尊敬できる存在や、あけすけに言ってしまうと人間以外を下に見る傾向があるわ。1年生の時、禁じられた森でケンタウルスと接した時が顕著だったわね。どう思っていたって構わないけれど、判断する前に相手を知りなさい。その相手から教わりたくないと思うのなら、自ら学びなさい。そうでないと、また同じ事の繰り返しになるわよ」
名前を呼んで目を合わせた上でそう言うと、ドラコのグレーの瞳が揺れた。きっと彼の頭の中では、今私が伝えた事とこれまで積み上がってきた価値観がぶつかり合っている。即座に私の言葉が拒否されなかったという事は、それなりに慕ってもらっている証拠だから嬉しくはあるけれど。
ドラコの手首に巻かれた白い包帯を見やる。どれ程些細な物でも、その痛みを彼は忘れないだろう。その記憶が、彼の助けになれば良いと思わずにはいられない。彼はこの先、その家柄から貴族を引っ張っていかなければならないのだから。
「ドラコ、貴方はマルフォイ家の子だから、貴方が何を考えていようと、その行動をスリザリンの子達は真似るわ。特に同学年や下の学年の子は。だからこそ、貴方と話したの。貴方だけを責める意図は無いわ。それは理解してくれると嬉しい」
しばしの間を置いて、ドラコは小さく頷いた。
すぐには受け入れられないだろう。少年とてプライドがあるし、両親からの教えもある。その折り合いを上手くつけられたなら、彼はまた成長できると思う。それだけの期待を抱かせる可能性を、ドラコはこの2年で示している。もちろん彼だけではないけれど。
すっかり冷めてしまった紅茶を杖を振って温め直し、それを少しずつ飲んでいたドラコがふと思い出した様に顔を上げた。
「あの、ヴァレー先生」
「何かしら」
「父が少し気にしていたのですが……先生に婚約者はいらっしゃいますか?」
「はい?」
後ろの方で、ゴッ!と足を机にぶつけた様なそれはそれは痛そうな音がした。それを気にした風に首を伸ばして覗き込もうとしたドラコに「どういう事かしら?」と聞くと、少年はすぐに姿勢を正した。
「父が夏休みの終わり頃に気にしていまして。差し支えなければ教えて──」
「Mr.マルフォイ、教師の、それも女性のプライベートに踏み込むのはいかがなものかと思うがね」
急に机の側に現れたセブルスに驚いて一瞬肩を揺らしたドラコだったが、すぐに慌てて「すみません!」と謝った。
「そうですよね、軽々しくする話題ではありませんでした、すみません……」
「いいのよ」
シュンと落ち込むドラコに、私は苦笑して首を横に振った。
別に私は貴族ではないのだからルシウスが気にする理由は分からないが、彼は彼で何かしら考えがあるのだろう。だからといってドラコ相手に「セブルスと付き合ってます」なんて面と向かっては伝えないけれど。さすがに良くはないだろう。
「……ルシウスには我輩から真意を聞いておこう。もう遅い、それを飲んだらすぐに寮に戻りたまえ」
「はい」
素直にコクリと頷いた少年は、失礼にならない程度に早足で紅茶を飲み切ると、きちんと挨拶をして寮へと戻って行った。
ほとんど置いてけぼりになった私が説明を求める様にセブルスを見遣ると、彼は深い溜息と共に「……私とて何も知らん」と吐き出した。
「またルシウスに真意を聞いておこう。……さて、これから魔法薬の調合をするが、参加するかね?」
「良いの?ありがとう!」
カップを早々に空にして、私はウキウキしながら黒衣の後ろを追って調合台へ向かったのだった。
初日の魔法生物飼育学の授業以降落ち着かなかったヒッポグリフ達がようやく静まった週末、昼食時に思い切り苦虫を噛み潰した様な表情になっていたセブルスが食後に声を掛けてきた。
「この後用事はあるか」
「いえ、無いわ。明日からの授業の準備は午前中の内に済ませてあるから。何かあったの?」
「……お茶の時間に部屋まで来てくれ」
「分かったわ」
何か厄介事でもあったのかしら?
そんな風に考えながら1度自室に戻った後地下室に向かった。そして、そこで私を出迎えたのは何とも意外な人物だった。
「少し久々だね、メリル」
ノックの後入室した私を、教室の奥に立っていたルシウスはその背後のナルシッサと共ににこやかに振り返った。
「こんにちは、ルシウス、それにナルシッサ。どうしてここに?」
「ちょっとした用事でね」
2人の元へ歩み寄ると、その向こうに立っているセブルスが眉間に皺を刻んでいるのがよく見えた。
「どうも愚息が女性である貴女のプライベートに迂闊に踏み込んでしまったらしい。子供のした事とはいえ、許してくれるだろうか」
「ええ。それに元々怒ってはいませんでしたから」
「それは良かった」
薄く笑んだルシウスの脇から、ナルシッサがそっと出て来てまじまじと私を見た。
「どうかしましたか?」
「いいえ、やっぱり貴女だったと改めておもっただけ。ごめんなさい、不躾だったわね」
「いえ、大丈夫です」
彼女が言っているのはおそらく、以前ルシウスが言っていた彼女へ私がお節介を焼いた時の事だろう。あの時の方が今より髪は伸びていたと思うけれど。
でも、正直これだけの事で夫婦揃ってここに来るのは少し大袈裟過ぎるのではないだろうか。しかも、おそらくセブルスの部屋に煙突飛行ネットワークで直接来ていると思われるから、余計に動機が分からない。
そんな風に私が考えを巡らせていると、ルシウスがセブルスへ「お茶にしよう」と微笑んだ。セブルスは無言でサッと杖を振って必要な物を呼び寄せた。
いつもの調合台があっという間にお茶会のテーブルへと様変わりするのを見てから、私達は揃って席に着いた。私はセブルスの隣に、マルフォイ夫妻は向かい側に座った。
「それで、一体何の用だ」
「拙速な事だね、セブルス。せめて1口くらいお茶を楽しませてくれ」
「我輩としてはさっさと飲んでお帰りいただいた方が双方の益になると思っての進言だったのだが?」
「相変わらずだな」と薄く笑ったルシウスは、紅茶を口に含んでからゆっくりと口を開いた。
「今日の目的は主に君ではなくてね、セブルス。私はメリルと話したくて訪れたのだよ」
「私、ですか?」
「そうだ。愚息の失態とも関連があるのだが、君の伴侶もしくは婚約者についてだ」
セブルスの眉間が瞬く間にこれ以上無い程寄った。共に鋭くなった眼光が「早く用件を言え」と圧を放っている。それへ肩を竦めることで受け流し、ルシウスはあくまでマイペースに続けた。
「君のお爺様は社交界である程度の地位にいらっしゃってね。それでいて君を家に戻す気は無いと宣言しているからその親戚達が焦れて、どこから聞き付けたか親交がある私にまで君について家に戻る様働きかけてくれと打診する始末だ。もちろん私が動く気は無いからそう睨まないでくれ、セブルス」
「……睨んでなどいない」
「そうかい」
やれやれと再度肩を竦め、ルシウスは続けた。
「そこで、そういう連中を黙らすのは君が結婚しているか既に正式な婚約者がいるのが一番手っ取り早いと思って聞きに来たという訳だ。急いでいる話ではないからもう少し後でも良かったのだが、ドラコが先走ってしまったからね」
まだそんな事を言っていたのかと父の生家の親戚に呆れていると、ナルシッサが「でも、もう心配いらないわね」とにっこり笑った。
「え?」
「セブルスの恋人になったのが貴女で安心したわ」
激しく咳き込む音が隣から聞こえた。でも、今はそちらに構っていられない。
──今、何て?
もしかしてセブルスが伝えたのかしら?
そう思って横を見ると、咳き込みながらも「そんな訳あるか」と目で語られた。
「あ、の、よくご存知ですね」
視線を前に戻した私が何とかそう言うと、ナルシッサは「見れば分かるわ」と何でもない風に返した。
「セブルスの貴女に対する態度がとても分かりやすいもの。私達にも素っ気ない彼が特別扱いするなら、貴女が恋人なのは間違いないでしょう?」
嬉しさを滲ませた笑みのナルシッサは続けて、「これを、受け取ってくれるかしら?」と青い箱を取り出した。
「これは?」
「セブルスの古い友人であり先輩からのちょっとしたプレゼントよ。お祝いのね」
遠慮しつつ受け取って箱を開けると、小ぶりなバレッタが鎮座していた。シルバーに輝くそれは、おそらく本当に銀製で、小さくともかなりの価値を有するだろう事が一目で分かる。
「こんな立派な物、いただくことはできません」
「いいえ、受け取って欲しいわ。昔の膨れ薬へのお礼も兼ねているのだから」
「でも……」
「ナルシッサがどうしても贈りたいというのだ、受け取るだけでもしてくれないか?」
美男美女の笑顔の圧が凄い……。
気圧される形で、私はバレッタの入った箱をポーチへとしまったのだった。
横からセブルスの呆れる様な同情する様な視線を感じるから、もしかしたら彼も学生時代はこんな風に色々と贈られていたのかもしれない。
「めでたい事だね、君にこんなに素晴らしい恋人ができるとは。学生時代には思ってもみなかった」
ルシウスの言葉に、セブルスはフン、と鼻息で答えた。それを意に介さず、ルシウスは続ける。
「これで小煩い連中を黙らせる口実もできた事だし、露払いは任せたまえ。君に迷惑がかからない様にするよ」
「何か企んでいるのか?」
「おや、心外だね。親切心だとも。……そう睨むな、嘘ではないよ。ちょっと高名な研究者に恩を売っておこうと思ったまででね」
「高名?」
私が首を傾げると、ルシウスは「知らなかったのかい?」と不思議そうに瞬きした。
曰く、以前発表した論文の内容がかなりの実益に繋がる内容であるため、研究者のみならず実業家の中でも話題になっているとの事。もちろん、貴族でありながら実業家筆頭でもあるマルフォイ家も同様だ。
「そんな訳で余計にあそこの親戚連中も君のお爺様を突っついていたらしいがね。まあ、無駄な労力といった所だよ」
「そうだったんですね」
「ついては、私は君と協力体制を敷きたいと考えているのだが、どうかな?君の研究成果を実際に転用したくてね。もちろん利益も魔法生物達の飼育状況や結果も還元するとも」
もしかして、この話が本題なのかしら?
先程までとは違う、仕事用の笑みを浮かべるルシウスに、これはこれで彼の親切心の表れなのだろうな、と思い直した。彼程の実業家であれば、私などに気付かせずに良いように言いくるめてマルフォイ家に有利な契約を結ぶ事もできるだろう。しかしそれをせず、あまつさえ取引だと明言して話題を変えた。案外、思ったより私は彼の懐の内側に近い所に置いてもらっているのかもしれない。スリザリンに組分けされる人は、自分の内側に入れた相手に甘い傾向があるから。まさしく隣のセブルスの様に。
「契約の内容次第です、ルシウス。魔法生物達から採取できる材料が良質になるのは、私にとっても願ったり叶ったりですから取引するのも吝かではありません」
「それはその通りだね。後日、案を作成して送ろう。返答はそれを見てからで構わない。ああ、もちろん、断ったからといって露払いをしなくなる訳ではないよ。セブルスからの視線が痛いからあえて言っておくがね」
「ええ、ありがとうございます」
「我が家がそんな事をしなくとも、貴女なら自力で何とかするだろう事は分かっているのだけれど、心配性の先輩からのお節介だと思ってね」
「ありがとうございます、ナルシッサ」
互いに握手を交わし、少しだけ張り詰めた空気は霧散した。その後は学生時代のスリザリンでのセブルスの話を聞いたり、学校でのドラコの話をしたりと和やかな時間を過ごし、セブルスに2、3言何かしら申し付けてからマルフォイ夫妻は帰って行った。堂々とセブルスの私室の煙突を使っていたから、もしかしたらその内また同じ様な手段で訪ねてくるかもしれない。ちなみに、セブルスの知らない間に勝手に煙突飛行ネットワークでマルフォイ家と繋がされていたらしい。そんな事が可能なのか……ある意味すごい。
ふと思い立って、先程プレゼントされたバレッタを取り出して横髪を止める様に付けてみた。手に取ったそれは見た目より軽く、しかし華奢であるものの折れそうなか弱さは感じられない。本当に良い品を貰ってしまった。
「どうかしら、セブルス?」
「ああ、良いのではないか」
「!?」
素直に褒めないだろうと高を括って聞いてみたら、とんでもない爆弾が返ってきた。
不意を打たれて顔が熱い。目尻をほんのり下げたセブルスの表情は、ルシウス達がいた時のそれとは全く違っていて、私だけを見つめている新月色の瞳は甘く揺れている気さえする。
「あのルシウスやナルシッサが寄越した物にしてはシンプルな飾りだ。昔はゴテゴテしたドレスローブ等を送ってきたものだったが」
……いや、どうなんだろう。どちらかというと、似合うかどうかより、バレッタその物の意匠を褒めている気がする。というか、その可能性が高い。分かっていた筈じゃないか、彼があまり心のままに言葉を出してくるタイプではない事は。なのに何故だろう、勝手に拍子抜けというか、裏切られた様な虚しさが胸中に広がっているのは。
「そ、うよね。シンプルで、でもとても美しいデザインだわ」
私は何とかそう取り繕って、下がりそうな口角を何とか引き上げた。
好みのデザインだし使いやすい物だが、申し訳ない事にあまり出番は無いかもしれない。
そう思いながら、私はそっとバレッタを元の箱に戻したのだった。
時雨「秋の末から冬の初め頃に、降ったり止んだりする小雨」
30話目です。
今回書いていて気付いたのですが、私がルシウスを書くとそこはかとなく詐欺師っぽくなっている様な気がします。ごめんね、ルシウス。冷徹な感じとか傲慢な感じが出せてませんね。妄想なものでね、ごめんよ。
甘さの中に棘を仕込んでおりますが、最終的にその棘を回収できればと思っております。どうかなー、甘さぶち込みつつ回収できるかなー。作品の流れ次第かもです。頑張ります。