百合の影から覗いて   作:細雨

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忍び寄る黒雨〜アズカバンの囚人篇〜

9月はあっという間に過ぎて、10月。クディッチのシーズンがやって来る。私にとってはあまり関係の無い事だが。

今年のクディッチシーズンは昨年よりも皆熱が入っているらしく、大広間のそこかしこで寮関係無く熱の籠った論争が繰り広げられているのに遭遇する。時折、門外漢の私にも意見を求めて来る程で、もしかしたら将来プロ選手を目指す子供が増えるかもしれないと感じさせるくらいの本気度合いだ。

最近はニクスの元へ行くとオレンジの毛並みの猫がいる事が多く、どうやらニクスと友達になったらしい。すぐに飼い主がハーマイオニーである事が分かり、彼の名前がクルックシャンクスという事を教えてもらった。

見た目からしてニーズルの血を引いているのが一目瞭然の彼は、時折ホグワーツの二ーズルの飼育場にも現れ、ニーズル達と交流しているのも見かけるようになった。そんなクルックシャンクスはロンのペットであるネズミ──スキャバーズが気になるらしく──猫としての習性由縁だろうか?──、そのせいでロンとハーマイオニーの間にはちょっとした緊張感が漂っているらしい。ちょうどその現場に居合わせた時に、ちょっぴりくたびれた顔をしたハリーがこっそり教えてくれた。仲裁も中々に大変らしい。

そういえば今学期に入ってあまりスキャバーズを見ていない。やはりクルックシャンクスが怖いのだろうか?もしも病気なら早く専門家に診せた方が良いのかもしれない。

声を掛ける機会を窺っている内に時間は過ぎて、瞬く間に9月が終わった。その間にリーマスの授業は生徒達に大人気となり、本人も嬉しそうな顔を見せていた。

グリフィンドールの仲良し3人組の間に何かあったらしい事を感じたのは、ちょうどそんな折だった。薬草学の授業でペアになったハーマイオニーとロンが、あからさまにギスギスした雰囲気を醸し出していたのだ。それだけならまだしも、イラつきからだろう、手元の狂ったロンが花咲か豆が転がり落ちてしまった。

「気を付けて、ウィーズリー。気を付けなさい!」

素早くポモーナから注意が飛ぶ中、私は急いでハーマイオニーとロンの元へと駆け寄って花咲か豆の回収を手伝った。この豆の厄介な所は、それに触れた物質に花を咲かせてしまう所だ。お陰で、床から花がこそげ取らなければならなくなってしまった。急いで鉢に移したから、床に落ちた物も何とか全滅は避けられるだろう。

「すみません、先生……」

「ごめんなさい……」

ションボリとした顔の2人が、終業のベルが鳴ると同時に謝りに来てくれた。その後ろではハリーが呆れた顔をして付き添っている。

「今回は大事に至らなかったけれど、危険な植物を扱っていたなら貴方達が危ない目にあっていたわ。プライベートで何かあっても、できるだけ授業には集中してね」

2人はガックリと項垂れて小さく頷いた。

そうして次の授業へ移動しようとする3人組の中から、ロンへ向けてこれ幸いと声を掛けた。

「ロン、少し良いかしら」

「何ですか?」

「貴方のペットのネズミ、えっと──」

「スキャバーズです」

「ごめんなさい、スキャバーズね、具合が悪いのなら、獣医に見せてはどうかしら?」

私の言葉に、ロンは迷う様に考え込んでしまった。

「あの馬鹿猫──「ロン、ハーマイオニーの大切なペットでしょう?」──ごめんなさい、クルックシャンクスのせいで怖がってるだけかもしれないですし、そもそもかなりの歳だから……」

「そんなに?」

「はい、パーシーから譲られたんで、もう10年くらいかも──先生?」

──ありえない。

驚きに目を見開いた私を、ロンが訝しげに見上げてくる。それでも、思考は進む。

普通のネズミの平均寿命は3年程。長く生きても5年がせいぜいだ。例え魔法生物であろうとも、ネズミと同じ様な小柄な体格の生物では似た様な寿命になる筈。私が知らない長命のネズミに似た生物の可能性は十分にある。今手元にある情報だけでは判断できない。でも、もしも危険な生物だったら?ああ、でも、どうすれば──。

「……先生?ヴァレー先生、あの、僕、次の授業に……」

居心地悪そうに足踏みするロンの姿にハッと我に返り、私は「獣医に見せると決めたなら教えてね」と当たり障りの無い言葉を何とか絞り出して彼を送り出した。ホッとした表情になった少年は、少し先で待っていたハリーとハーマイオニーと合流して足早に去って行った。

その日の授業を可能な限り平静を装いながらこなして、夜の見回りまで終えて途中で出会ったミセス・ノリスやクルックシャンクスを撫でて──ミセス・ノリスは昨年石になった後から撫でさせてくれるようになった、贈ったショールが気に入ったのだろうか──挨拶してから自室に引っ込んだ。

頭の中はロンのペット──スキャバーズの事でいっぱいだ。彼は本当にネズミなのだろうか?私の知らない魔法生物の可能性は?

どう調べようかと悩みつつ、今朝届いた郵便を順に見ていると少し懐かしい名前を発見した。ウィリアムだ。

封筒を開けて手紙を読んでみると、堂々とイギリスに学びに来れた喜び、スキャマンダーさんに会えた嬉しさ、日々の魔法生物達との暮らしに対する悩みやそれに勝る楽しさがふんだんに盛り込まれた内容だった。彼の様な人がもっともっと増えると良いのに。

少しの羨ましさと大きな眩しさを感じながら手紙を読み終え、その末尾の「良かったら手紙をくれたら」という文言にハッとした。私だけで分からないのなら、他の人に聞いてみればいい。それに、ウィリアムは今、魔法生物の権威であるスキャマンダーさんの元にいる……!

私は慌てて羊皮紙に簡単な事情を書き綴り、乱文を詫びる言葉と知恵を借りたいという内容を添えて手紙をしたためた。それからできるだけ早足でふくろう小屋へ向かい、ホグワーツのふくろう達の中から特別身体が丈夫で飛ぶのが速い子を選んで手紙を託した。その力強く羽ばたいて夜闇に消えゆく姿を、私はしばらく見送っていたのだった。

10月に入ると、月末にホグズミードに行けると知った生徒達、特に今年初めてホグズミードへ行ける3年生の子達がソワソワとしだした。特にその日はハロウィンだからホグズミードの各店がスイーツやグッズの展開に力を入れている事が予想され、何のお菓子を買うか、どこのお店でスイーツを食べるかという話題で城中持ち切りだ。

「ヴァレー先生!」

「セドリック、こんにちは」

校庭を横切って爽やかな笑顔で走り寄ってきたセドリックは、そのままの勢いで「こんにちは!」と元気良く挨拶を返してくれた。

「どうかしたの?」

「はい!あの、今クディッチの作戦会議をしているんですが、先生のご意見も欲しいと思いまして」

ニコニコしながらそう言う彼の背後では、少し離れたベンチ周りにカナリアイエローの裏地のローブの集団がやいのやいのと議論を交わしている。

「私で良いのかしら?クディッチはあまり明るくないのだけれど」

「先生が良いんです。新鮮な視点が欲しいので」

ぺかーっとした笑顔に押されて、私はセドリックの後ろをついてハッフルパフの集まりへと参加したのだった。まさか、この後他の3寮のチームメンバーから同じ様に呼ばれる事になるとは思わなかったけれど。

そしてハロウィン当日。朝からソワソワザワザワとした大広間の雰囲気は、例年通りといえば例年通りではある。昨年や一昨年の事を思えば気は抜けないけれど、夜のパーティーの事を思えば私も楽しみだ。

ホグズミードへ向かう子供達を見送るために玄関に行くと、ハリーが暗い顔をして隅で立っているのに気が付いた。

「ハリー?こんな所でどうしたの?」

「あ、ヴァレー先生……」

ノロノロと顔を上げた少年はまた俯いて小さく「……僕、ホグズミードに行けなくて」と呟いた。

「サインを貰えなかったの?」

「はい……教師の目の無い、訳の分からん所に行かせられないって……」

うーん、Mr.ダーズリーが言いそうな事ではある。ダーズリー夫人も心配性に見えたし、サインに賛成はしなかっただろう。

私が「残念だったわね」と苦笑すると、ハリーは縋る様な目で再度こちらを見上げた。

「先生、叔父さんと叔母さんを説得してくれませんか?先生の言う事ならあの2人も聞いてくれるかも……」

「申し訳ないけれど、貴方だけ特別扱いはできないの。それを始めるとホグズミードに行きたくても行けない子全員の保護者を説得しなきゃならなくなるから。ごめんなさいね」

ハリーは今度こそガックリと深く項垂れた。

「……寮に戻ります……」

トボトボとグリフィンドール塔へと去って行くハリーを見送ってから、私は城の大まかな所を異常が無いかどうか見て回った。

結果として特段変な所は無かったのだが、途中で遭遇したミセス・ノリスが妙にソワソワしている様に見えたのが違和感と言えば違和感だった。さすがにMr.フィルチでないと彼女の言わんとする所が分からないため、後で聞いてみようかと頭の隅にメモしておく。

見回りの後はちょっとしたチャレンジの時間だ。久々にキッチンで本格的な調理をするから、少しソワソワしてしまう。普段はお茶を淹れるくらいしか使わないそこで、引っ張り出したエプロンをきちんと着けて準備万端。自宅から取ってきたレシピ本を開くと、見覚えのある文字達が私を出迎えた。母の字だ。読みやすい文字で所々にメモ書きされた内容を追いながら、私は懐かしさと寂しさに胸を詰まらせた。

料理上手な母だった。それでも、きっとたくさん練習したのだろう事が分かるメモの内容だった。この料理もあのお菓子も全て食べた覚えがあるし、とても美味しかった。そんな思い出の詰まったレシピ本の中に、目的のページを見つけた。ずっとメモを読んでいたい誘惑を何とか振り切り、私はレシピと睨めっこしながら作業に取り掛かったのだった。

今日は午後から脱狼薬を作る予定だと聞いていたから、昼食後に地下室の扉をノックすると中から「入れ」と低い返事があった。

「こんにちは、セブルス。間に合ったかしら?」

「ちょうど材料を揃えた所だ」

「良かった、ありがとう」

2人で薬の材料に異常が無いか点検していく。ごく稀に虫がついていたり汚れがあったりするからだ。

「そういえば、脱狼薬って酷い味なのよね?」

ふと気になった事を口にすると、セブルスは「その様だな」となんて事ない様に頷いた。

「その味って何とかならないのかしら?」

「……何だと?」

セブルスの片眉が器用に吊り上がる。その不審そうな顔に、苦笑して「ただの思い付きよ」と返す。

「調合中の匂いもかなり刺激的だから、味と匂い両方を緩和できないかと思って」

「……そういう事か」

セブルスはフン、と鼻息を吐き出して点検の終わった材料達を見やった。その目はどこか好奇心に疼いている様にも感じられる。

「とりあえず今日は普通に調合して、リーマスの了承を得たら材料や調合方法の変更を検討しましょうか」

「奴の了承など……」

「それは必要よ。実際に服用するのはリーマスなのよ?効果や味の変化を感じ取れるのは彼しかないのだから、きちんと了承を取ってフィードバックしてもらわないと」

セブルスはそれ以上何も言わずに調合台に向かった。彼の沈黙は肯定と同義だ。

──相変わらず意地っ張りね。

リーマスに許可を取らないといけないという事その物が嫌なのだろう。気持ちは分かるが、それはそれ、これはこれだ。

私は苦笑ひとつ零してセブルスの隣に並んだ。

セブルスが出来上がった脱狼薬を持って行くと言うので、私も一緒に付いて闇の魔術に対する防衛術の教室に向かった。セブルスに説明を任せれば纏まる物も纏まらない可能性があるし、そもそも説明すらかなり省略するかもしれないからだ。

教室の扉をノックすると、中から「どうぞ」と明るい声がした。煙の上がるゴブレットを持ったセブルスが扉を開いたのに続いて室内に入ると、リーマスと共にハリーの姿があった。

「ああ、セブルス、それにメリルも」

笑顔のリーマスが歓迎する様に片手を上げた。

「どうもありがとう。このデスクに置いて行ってくれないか?」

セブルスはゴブレットを机の上に置き、無言でリーマスとハリーに交互に目を走らせた。できうる限り喋りたくないのは分かるけれど、威圧している様に見えるから少しくらいは何か言ったら良いのに。

「今日は補習か何か?」

「まさか!そんな必要は無い」

代わりに聞いた私に、リーマスは脇の水槽を指差して楽しそうに返した。

「ちょうど今ハリーに水魔を見せていただけだ」

「それは結構」

これ以上無い程低い声で言葉を割り込ませたセブルスは、「ルーピン、すぐ飲みたまえ」と続けた。

「はい、はい。そうします」

「1鍋分を煎じた。……もっと必要とあらば」

「多分、明日また少し飲まないと。セブルス、ありがとう」

「礼には及ばん」

あくまで仕事だから、とセブルスは何とか割り切っている様だった。脱狼薬なんて調合の機会の少ない魔法薬に免じて、といった所だろうか。

「そういえばメリルまで一緒とは珍しい。何か用でも?」

リーマスはそう水を向けてくれたが、ハリーのいる所で話す話題でもない。今の所彼が人狼である事は秘密──これは真の意味で──になっているのに、脱狼薬の話でもしたらそれが明らかになってしまう。

だから、私は何でもないと緩く首を横に振った。

「大した事ではないから、またの機会に話すわ」

「そうか」

闇の魔術に対する防衛術の教室を出て、無言で廊下を歩く。

夕方からはハロウィンのパーティーがあるが、それまではまだ時間がある。部屋で本でも読もうか、飼育場でも見に行こうか、さて──。

「メリル」

私がパーティーまでの予定を考えていると、セブルスが不意に私の名前を呼んだ。

「何かしら?」

ピタリと足を止めた彼に倣ってその場に留まる。

人気の無い廊下を、どこからか吹き込んだ風がわずかに通り抜けて行く。その風に揺らぐ黒髪の向こうからこちらを見つめる黒い瞳に自分の姿が映る時間が、私にとっては何にも代え難い物だ。彼の事を疑う気は毛頭無いが、それでもまだ少し信じられない気持ちがある。

「この後予定はあるか」

「いいえ、無いわ」

きっと、この後セブルスはお茶に誘ってくれる。察してはいるけれど、私からは言い出さない。だって、セブルスから誘ってくれる事なんて以前は皆無だったし、今でも多くは無いから。だから、少しくらいは待っても良いでしょう?

「なら、お茶でもどうだ」

──貴方からのお誘いひとつでこんなにも胸が高鳴る私は子供みたいかしら?でも、それもまた真実なのだから仕方ないわよね。セブルスがお誘いが1番嬉しいんだもの。

私は満面の笑みで大きく頷いたのだった。

 

ハロウィンのパーティーは大いに盛り上がった。たくさんのディナーに、飾りに、目を輝かせる子供達が可愛らしくて、私の胸は温かい物でいっぱいだ。

脱狼薬の効果が気になるのか、フリットウィック先生の元まで行って話しているリーマスをセブルスがチラチラと見ているのは気に掛かったが、リーマス本人は普段と変わらない様子なのだからそこまで気にする必要は無いと思う。

宴の締め括りであるゴースト達による余興を見ながら、私はぼんやりと「リーマスに脱狼薬の改良実験の了承を得ないと、でも明日で良いかしら」なんて呑気に考えていた。今日はハロウィンだというのに。

異変が起きたのは宴が終わった後の事だった。

各寮生が自寮へと戻って行く中、グリフィンドール生の集団のざわめきが先程とは違う、戸惑いの色に変わっていった。

それを察知するや否や、ダンブルドア先生がサッと立ち上がってグリフィンドール塔へ向かうのを、ミネルバ、セブルス、リーマス、私の4人で追い掛けた。

果たして、グリフィンドール生でごった返しの廊下を彼らが押しあって開けてくれた道を行って辿り着いた先で、異常事態はその全てを晒け出されていた。

グリフィンドール寮の門番でもある太った婦人の肖像画から婦人が消え去り、絵は滅多切りにされ、キャンパスの切れ端が床に散らばっていた。しかも、絵は大部分が完全に切り取られている。

ダンブルドア先生が、そのアイスブルーの瞳に鋭い光を宿しながらこちらを振り返った。

「婦人を探さなければならん」

暗く深刻そうな目の先生は、ミネルバに向けて続けた。

「マクゴナガル先生。すぐにでもフィルチさんの所に行って、城中の絵の中を探す様に言ってくださらんか」

ミネルバが厳しい顔で頷くのと「見つかったらお慰み!」と甲高いしわがれ声がしたのはほぼ同時だった。

ポルターガイストのピーブスだ。全員の頭上をヒョコヒョコと漂いながら、いつものように大惨事や心配事が嬉しくて堪らない様子だ。

「ピーブス、どういう事かね?」

ダンブルドア先生が静かに聞いた。さしものピーブスも先生を揶揄う勇気は無いのか、そのニタニタした笑みをすぐさまちょっぴり引っ込めてねっとりした作り声で話し出した。

「校長閣下、恥ずかしかったのですよ。見られたくなかったのですよ。あの女はズタズタでしたよ。5階の風景画の中を走ってゆくのを見ました。木にぶつからない様にしながら走ってゆきました。酷く泣き叫びながらね」

嬉しそうにそう報告したピーブスは、白々しく「おかわいそうに」と言い添えた。

「婦人は誰がやったか話したかね?」

ダンブルドア先生はまたも静かに問い掛けた。

「ええ、確かに。校長閣下」

ピーブスは言いたくて言いたくて堪らないといった風に声を弾ませた。

「そいつは婦人が入れてやらないんで酷く怒っていましたねえ」

くるりと宙返りをしたピーブスは、自分の脚の間からニヤニヤした。

「あいつは癇癪持ちだねえ。あのシリウス・ブラックは」

集団のそこかしこから悲鳴や息を呑む音がした。ダンブルドア先生はパニックになりかけた子供達に大広間に戻る様に穏やかに告げた。

「他の寮生も皆、大広間に集めるように」

行かなければ。ダンブルドア先生から指示が飛んだのだから。ああ、でも、足が──

「メリル」

あの男の名前を聞いただけで凍りついていた足と空回って上滑りしていた思考が、セブルスの声で一気に温度を取り戻した。さり気なく一瞬だけ腰にそっと添えられた手の平が、その温もりを伝えてくれた。

「セ、ブルス──」

「君はレイブンクローへ。……大丈夫か」

その一言がどれ程嬉しいか、どれ程私を救うのか、きっとセブルスは知らない。でも、迷惑をかけないようにもっとしっかりしなければ。

「ええ、ええ……もちろんよ。セブルスはスリザリンね?」

「そうだ。ルーピンはハッフルパフへ向かわせる」

あの男が他寮に侵入する可能性も否定しきれない。皆の安全のためには、子供達を1箇所に集めるのが最善だ。

私はセブルスへ頷いて足早に歩き出した。

レイブンクロー寮へ向かう間も、そして戸惑う子供達を大広間へ引率する間も、私の思考は止まらない。

何で今更、という強く思う。あの男がアズカバンに投獄されてもう10年以上だ。この夏、ついに脱獄した事は新聞を読んで知っていた。できうる限り考えない様にしていたけれど、吸魂鬼がホグワーツに来る事態になるにあたりあの男の影響力の大きさを思い知った。

シリウス・ブラック。学生時代、セブルスを執拗に狙い、精神面と身体面両方に傷を負わせ、何があったか知らないがマグルを大量虐殺した男。

途切れ途切れに届く新聞だけでは、当時の詳しい状況全ては分からない。しかし、事実としてポッター夫妻は亡くなり、マグルは殺され、ブラックは投獄された。裁判なんて無いに等しかった様だが、当時の状況としては致し方無い事だったのかもしれない。

何にせよ、今重要な事は、ブラックが脱獄してホグワーツに侵入したという事だ。狙いは不明。グリフィンドールを狙ったという事は、ハリーが目的なのかもしれない。

分からない。あの男の考える事など分かりたくもないが、今はそうも言ってられない。考えを推測し、今後の行動予測を立てないと、守れるものも守れない。

嫌だけれど。本当に、心の底から、とっても嫌だけれど。

「先生たち全員で、城の中をくまなく捜索せねばならん」

生徒達が全員大広間に集められた後、ミネルバとフリットウィック先生が室内の戸という戸を締め切っている間、ダンブルドア先生がそう告げた。

「という事は、気の毒じゃが、皆、今夜はここに泊まる事になろうの。皆の安全のためじゃ。監督生は大広間の入口に見張りに立ってもらおう。首席の2人に、ここの指揮を任せようぞ。何か不審な事があれば、ただちにわしに知らせるように」

各寮の監督生がそれぞれ頷く中、先生は最後に一言付け加えた。

「ゴーストをわしへの伝令に使うが良い」

それからダンブルドア先生は大広間から出て行こうとしたが、ふと立ち止まった。

「おお、そうじゃ。必要な物があったのう」

先生がハラリと杖を振ると、大広間のテーブルが全て部屋の隅へと飛んで行き、壁を背にして整列した。もう1振りすると、何百個ものフカフカした紫色の寝袋が現れて、床いっぱいに敷き詰められた。

「ぐっすりおやすみ」

そう穏やかに言いながら大広間を出て行くダンブルドア先生を追って、私達教員も外に出た。

「さて」

途端にガヤガヤと賑やかになった扉の向こうの音を聞きながら、ダンブルドア先生は真剣な顔でこちらを振り返った。

「寮監の先生方は各々の寮を見て回ってくだされ。他の先生方は教室とふくろう小屋を頼みますぞ。そうそう、シビルにも知らせてやってくれ」

皆それぞれに頷いて、簡単に捜索先を打ち合わせしてから素早く解散した。

「メリル」

私も皆に急いで続こうとした瞬間、背後から声を掛けられた。振り向くと、ミネルバが廊下の端から手招きしていた。

「ミネルバ?どうしたの?」

側に寄ると、彼女はそっと私の頬を手の平で撫でた。その眉は心配そうに少し寄っている。

「顔色が悪いですよ。……大丈夫ですか?」

本当に、彼女の慧眼は恐れ入る。伊達に何十年と子供達を見ている訳ではないという事か。

「……大丈夫です。私、教師だもの」

上手く隠したつもりだった。現に、セブルスにもクィリナスにもギルデロイにも何も指摘されていない。

苦笑しながら答えた私に、ミネルバは寄せた眉をそのままに私の肩を優しくポン、と撫でた。

「そうですか。でも、無理をし過ぎないように。貴女は昔から、自分を押し殺す所がありますからね」

「ええ、ありがとう、ミネルバ」

ミネルバは顎を引く様に頷いてから、ローブを翻して颯爽とグリフィンドール塔の方角へと歩き去った。

城中を見て回るという大変な作業も、手分けをすればある程度の時間で終わる。それでもパーティー終わりから始めたから、捜索終了は日付が変わる直前になってしまったけれど。

年齢が比較的若い教員には深夜の見回りを任せたいとの事で、私は先に仮眠を取らせてもらう事になった。眠ればこの胸でジクジクと痛みを訴える過去や暗澹たる気分が少しはマシになるだろうか。

……結果として、期待は裏切られた形になった。忸怩たる思いはずっとわだかまったままで、せめても頭だけはスッキリさせようと浴びたシャワーで目は覚めた。

見回りの交代には早い時間だが大広間に行こうかと通りがかったダイニングで、テーブルの上にある皿が目に入った。今日の午前中に頑張って作ってみた物だ。名をバーンブラックというそれは、父方の家のルーツでもあるケルトの民が多く住むアイルランドでこの時期食べられているパンらしい。私が物心ついた時には既に毎年母が焼いていて、いつも焼きたてを母と2人で摘み食いしていた。

そんな思い出を、やっと振り返られるように、懐かしいパンを作ってみようという気になれたというのに、あの男のせいで台無しだ。

はあ、と溜息ひとつ吐いた時、私室の扉を控えめにノックする音がした。

「どなた?」

「私だ」

セブルスの声だった。

細く扉を開けると、陰鬱な顔をした男がその場に立っていた。教室の扉ではなくこちらを直接ノックするのは珍しい。

「こんばんは、どうかした?」

さっと扉を開いてセブルスを招き入れると、彼は一瞬躊躇したが大人しく室内に足を踏み入れた。

「特別用事があった訳ではない、が……」

言い淀むセブルスはウロウロと視線をさ迷わせ、ダイニングテーブルの上のバーンブラックに気が付いた。

「あれは?」

「バーンブラックよ。アイルランドでよくハロウィンの夜に食べられているらしいの。良かったら食べる?」

セブルスが僅かに頷いたので、私は杖を一振りして手早く紅茶をハーブティーを淹れた。私はこれから見回りだけれど、セブルスは先程まで当番だった筈だから紅茶でない方が良いかもしれないと思ったからだ。

ソファではなくダイニングの椅子に腰掛けたセブルスは、しばらく切って渡したバーンブラックをまじまじと観察していた。

「食べないの?」

「いや、いただこう」

そう言ってパクリと1口齧ったセブルスは次の瞬間には変な表情になった。どうやら「当たり」だったらしい。

口から出したそれを奇っ怪な物でも見る様な顔で睨めつけた後、セブルスは心底理解できないという様な訝しげな目で私に「……これは?」と唸るように問い掛けた。

「良かったわね、セブルス。当たりよ」

「当たり?」

「ええ。バーンブラックはね、中に小物を入れて運勢を占う物でもあるの。もちろん真剣な物ではないわよ。ゲームの様な感覚ね。その当たりをセブルスは引き当てたという訳」

「……占いというからには、この指輪にも意味があるという事かね?」

ご明察だ。けれど、その意味をこちらから伝えるのは何とも気恥ずかしくて、私は笑顔で黙秘権を行使した。

セブルスは分かったのか分からなかったかのような曖昧な表情のままバーンブラックを食べ終え、暖炉前のソファへと座り直した。

私も彼の横へ移動し、そのままポツポツと雑談をしていると、ふとセブルスが私の肩にその頭を預けてきた。驚いて思わず固まると、肩口から漏れ聞こえるのは微かな寝息。

「……セブルス……?」

念の為呼び掛けてみるも応答は無し。本当に眠ってしまったらしい。こんな時間まで起きていたし、いつの徹夜と違って城中動き回っていたのだ、疲労も溜まっているのだろう。

パサつく黒髪をそうっと撫でながら、私はセブルスがあの男の話題を出さなかった事に安堵していた。彼と2人でいる時くらい、そんな事忘れていたいから。

私の当番の時間までの少しの間だけでも、セブルスが眠れるなら寝かしておいてあげよう。体力を回復させなければ、いくら教員の中では若いといっても明日以降支障をきたす可能性もある。

ふとサイドテーブルに目を向けると、先程セブルスが引き当てた指輪が机上にで鈍い光を反射していた。いつの間に綺麗にしたのか、パンの欠片すらついていないそれは、ほんの出来心で入れた物だった。誰に分け与えるつもりも無く作った──もしタイミングがあえばセブルスと食べたいとは思ってはいた──バーンブラックに入れたおもちゃの指輪。その占い結果は「結婚できる」といった物。そんな事、さすがに面と向かって言うのは恥ずかしい。例え恋人相手でも。いや、むしろ恋人相手だから、というか、セブルス相手だから。恋人になれた事にも慣れきっていないのに、結婚なんて想像すらしていない。彼に結婚願望がある事すら疑わしいのだし。

今が幸せなのだ。だから、それだけで良いのだ。

私は、馴染みのある薬草の香りを鼻腔に感じながらゆらゆらと揺れるハーブティーの水面を見詰めていた。




黒雨「空を暗くするばかりに降る大雨」

31話目です。

ハロウィン回です。
ついに物語が動き始めますね!

現状維持は退化だという考え方があります。一面としては私も賛成です。踏み出す事が恐ろしいという気持ちも、差し迫ったものではないものの、感じた事があります。ぬるま湯の心地良さは、ある程度の人が実感として体験した事があるのではないでしょうか。それが良いか悪いかはさておいて。

物語には、読み応えとしては山も谷も必要だと思います。
だから、彼女にも彼らにもきっと辛い思いをさせてしまうでしょう。書いてる私が辛いのでそこまでハードな展開にはさせないしできませんが……。

感傷的に色々書き綴りましたが、纏めると、良ければ今後も読んでねって事ですw
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