ハロウィンから数日の間、城中がシリウス・ブラックの話題でもちきりだった。どこへ行っても子供達がザワザワと噂話を持ち寄り、ついには授業中でもおしゃべりが増えたため、私は薬草学でも魔法生物飼育学でも何度も注意しなければならなかった。
切り刻まれた「太った婦人」の肖像画は壁から取り外され、代わりにずんぐりした灰色のポニーに跨った「カドガン卿」の肖像画が掛けられた。1日に何度も合言葉を変えるような困った絵の住人ではあるが、今回の事件で怯えた絵達の中で、グリフィンドール寮の門番を引き受けてくれる人が他にいなかったのだ。
教員の間では、ハリーがシリウス・ブラックに狙われているという事がまるで決定事項かの様に暗黙の了解となっていた。真実であるかはさておいて、ハリーは入学してからずっと、毎年の騒ぎの中心にいる。その事もあって、彼から目を離さない様に教員の間で通達があった。だから、ハリーからすれば煩わしいかもしれないが、教員の誰かしらが一緒に廊下を歩く様にしていた。もちろん私もその内の1人だ。
「先生もですか……」
ついにゲンナリとした風にハリーは小さく溜息を吐いた。その重い足が止まる事は無かったが、ついて歩くのは止めて欲しいと心底思っている事はその顔に大きく書いてある様に見える。
「仕方ないと思ってね」
私が苦笑すると、少年は不服そうにしながらも「はい……」と小さく返事をした。
ちなみに、バーンブラックの残りはハロウィンの数日後に行ったクィリナスとギルデロイのお茶会に持ち込んで3人で食べた。好評だったから、時間があれば来年も作ろうかしら。
今年のクディッチシーズン最初の試合まで刻々と近付いて行くのと同時、空を覆う暗雲も厚みを増して雨を降らせ始めた。その勢いは日毎に激しくなっていき、試合前日には風が唸りを上げて雨も一層激しく降った。廊下も教室も真っ暗で、蝋燭の数を急遽増やした程だった。
つい数日前に試合の組み合わせが変更になり、グリフィンドールの対戦相手がスリザリンからハッフルパフになったのだが、スリザリンはこんな悪天候の中試合せずに済んでホッとしている様だった。ドラコは少し居心地悪そうに過ごしていて、聞くと組み合わせの変更は一部のスリザリン生がドラコの腕の怪我を心配して少し大袈裟に騒いだ結果だったらしい。
ドラコ本人としては腕の捻挫も試合までには治るだろうと思っていたようだが、周囲が過剰に反応してしまったのかもしれない。
そうして話を聞いた後、立ち去る事無くドラコは何か言いたげに足先をモジモジとさせていた。
「ドラコ?どうかしたかしら?」
「……いえ、その……」
しばらく口を何度か開け閉めさせてから、結局ドラコは「……何でも無いです」と早口で言って小さく会釈してから去って行ってしまった。
日付が変わっても朝になっても相変わらずの天候に思わず溜息が漏れる。
明日は少しマシになれば良いのに。
窓に打ち付ける大粒の雨を見ながら思っていると、
「手が止まっているぞ」
と低い声が飛んで来た。
「後はゴブレットに入れて持って行くだけよ。貴方こそ、いつもと教室が違うからといって遅刻しないようにね」
「それこそ余計なお世話だな」
フン、と機嫌良さそうに鼻息を吐いたセブルスは、意気揚々と──パッと見はとてもそうは見えないけれど──魔法薬学教室を出て行った。
人狼であるリーマスは月の満ち欠けが体調に酷く影響を及ぼす。今日もそのせいで授業ができず、代理をセブルスが引き受けたという訳なのだ。また何か意地悪な課題でも出しそうな気もするが、私が口出しする事でもない。
リーマスから了承を貰って材料をよく似た効能の薬草に変更した眼前の脱狼薬は、臭いは以前より抑えられている様に感じる。味は服薬する本人にしか分からないから、きちんと記録を取らないと。体調が良くなったら結果と共に色々とアンケートに答えてもらわないといけないわね。
そう算段を立てながら脱狼薬をゴブレットに移し、雨風を避けてリーマスが自らを隔離する叫びの屋敷へ向かった。
ホグワーツの敷地から1歩でも出れば姿現しが使える。叫びの屋敷までは一瞬だ。
「やあ……メリルか」
ソファに座り込み明らかにやつれた表情のリーマスに苦笑する。
「ご機嫌よう、とはいかないわね。食事はちゃんと取っている?」
「何とかね。食べない方が動き回る体力が無くなるから楽ではあるんだけど、後がきついから」
「そうでしょうとも。さあ、飲んで」
雨が入らない様に蓋をしたゴブレットを渡すと、リーマスはヨロヨロと蓋を開けてチビチビと中身を飲み始めた。
最後の1滴が無くなるまで見守ってから「味に変化は?」と聞くと、
「うーん、あんまり感じなかったかな。砂糖を大量に入れたくなる」
「絶対ダメよ」
「分かってるさ」
ハハ、と笑ったその顔は明らかに空元気で、早くベッドに戻る様促してから私は身を翻した。
「すまないが、明日も頼めるかな」
申し訳なさそうに呟かれたお願いを背中で聞いて、「また煎じるわ。持って来るのが私かセブルスかは分からないけれど」と答えた。そのまま振り返らず、私は城へ戻った。暗く薄汚れた叫びの屋敷は、私の気分にも影を落とした様だった。
夕食後、早々に私室に引っ込んだ私はダイニングの明かりを小さくして杖を構えた。守護霊の呪文を練習するためだ。暗くした方が集中できるし、魔法が成功した時に視覚的に分かりやすいからだ。
守護霊の呪文は高度な魔法であり、習得するのが難しい。例え使う事ができても、セブルスの様に動物の形を取らせるのは更に難易度が上がる。さて、私にどこまでできるか。
今学期に入ってから色々と挑戦してはいるものの、成果があがっているかは不透明だ。この後その1つの結果が出るが、それを確認する前に守護霊の呪文を試してみたかった。
この魔法に肝要なのは、強烈な幸福の記憶だ。その記憶で心を満たし、呪文を唱えると守護霊が出てくるとされている。
幸福な記憶……ホグワーツに入学できると分かった時?両親と過ごした日々かしら?
思い出される幼少期から学生時代の記憶を脳裏に描きながら、ギュッと杖を握り締めた。
「エクスペクト パトローナム!」
杖先に変化無し。周囲の変化も無し。どうやら失敗な様だ。
それから何度か記憶を変えて呪文を唱えるが、一向に成功しない。
最も幸福な記憶が両親との思い出やスキャマンダーさんに出会えた事ではないとしたら、もう思い当たるのはたったひとつしかない。
「……それはそれで、間違ってはないけれど、ちょっと恥ずかしい様な気はするわね……」
ちょっぴり上がった体温に思わず笑いが漏れる。
私の幸せな記憶。セブルスと想いが通じ合った日の記憶だ。これが違うのなら、もう後は無い。
私は気恥ずかしさを抑えてあの日の記憶を頭の中に広げて、思い切り杖を振った。
「エクスペクト パトローナム!」
果たして、杖先からシュワシュワと溢れた光の靄はフワリとその場に広がった。
成功だ。
嬉しさのあまり気を抜いた瞬間、光の靄は空気に溶ける様に消えてしまった。
「ああ……残念」
でも、記憶の選択は合っていた事が判明したのは大きな収穫だ。後は練習あるのみだ。
私は知らず強ばっていた肩を解した後、寝室へ向かった。
今日は雷雨だ。強風は相変わらず吹き荒れているが、夕方になって雷まで鳴り始めたところで今日が決行日になる事が決定された。
寝室のキャビネットの、その奥の奥に手を伸ばす。冷たく触れた感触を掴んで引きずり出すと、期待通りの結果が私の眼前に現れた。腕の動きに合わせて小瓶に入った赤い液体がチャプリと揺れる。この液体の正体は動物もどきになるための魔法薬だ。
今学期が始まる直前、こっそりミネルバに改めてしっかり教えてもらって動物もどきになる準備を始めたのだ。できる事は多い方が良い、という考えからだった。セブルスに心配をかける事も減るだろうし。それに、たまには彼ができない事をやり遂げたいというちょっとした対抗心もあった。本当にセブルスが動物もどきでないかどうかは分からないが、少なくとも魔法省の登録には無い。
1ヶ月マンドレイクの葉を口に含んでおかなければならないという最初の手順が1番のハードルだった。お陰でクィリナス達とのお茶会でもあまりお菓子を食べられなかった。
その段階さえクリアしてしまえば、材料は自分で用意できるし、魔法薬を詰めた瓶は寝室に置いておけば誰に見られる事も無い。
そうしてようやく、動物もどきになるための準備が最後の段階に来たのだ。後は実際に魔法薬を飲んで呪文を唱えるだけ。万が一何かあった場合はミネルバにフォローをお願いしてある。先程の夕食前に、今日変身を試みる事を一言伝えておいたのだ。明日になって私が朝食の席に現れない場合、様子を見に来てくれる手筈になっている。
変身する動物は選べないため、どんな大きさになっても大丈夫なように広い場所で魔法薬を飲むのが鉄則だ。私は実験室に置いてある机やプランターや棚をできる限り部屋の隅に移動させ、部屋の真ん中に空間をつくった。念の為、隅に置いたテーブルに姿見も立て掛けて置く。自分が何の動物なのか早く確認したいし。
緊張で胸が高鳴る。こんな緊張の仕方は、学生時代に試験結果を不安半分期待半分で確認する時に似ていた。
「大丈夫、大丈夫……」
酷い結果にはならない筈だ、多分。私だってもう子供じゃないのだから。
そうやって自分に言い聞かせ、私は部屋の中心でえいやっと魔法薬を飲み干した。
それからは一瞬だった。ぐにゃりと歪んだ視界の中で不思議な心地がしたと思ったら、私の目線はとても低くなって辺りは真っ暗になっていた。
何とか身体を覆っていた布──元々着ていた服だと抜け出してから分かった──を取り払って見下ろすと、そこにあったのは見慣れた鉤爪とフワフワの胸毛、というか羽毛。手を広げるとバサリという軽い音と共に広がる翼。
──もしかして、もしかして?
覚束無い足取りでタッタッタと姿見へ駆け寄る。覗き込んだ先で私を出迎えたのは、親しみのあるふくろうの姿だった。
小柄な身体に黄色の目。コキンメフクロウだ。
──すごい!やった!成功した!やった!やったー!
ほっほう、ほーう、と口から漏れる声はふくろうその物だったし、衝動のまま動かした翼はバサバサと落ち着きなく羽ばたいたけれど、興奮は中々収まらなかった。
何枚か羽が飛び散ってしまってからようやく落ち着いて、私は服を被ってから人の姿に戻った。視界が元通りになってやっぱり落ち着く。ふくろうの姿も新鮮で、それはそれで良い物だけれど。せっかくなら空も飛んでみたいし。
その前に何度か練習しないといけない。ミネルバに報告するにしても、せめて服を着たまま変身できるようにはなりたい。ふくろうの身体の感覚も掴みたいところだ。
私はその日、深夜まで動物もどきの練習をしたのだった。
もちろん次の日は寝不足だった。
それからクディッチシーズンの始まりまで、時間は矢の様に過ぎ去った。天候はますます荒れ模様で、ジメリとした湿気を城のあちこちで感じるようになり、蝋燭の優しい明かりが何とか皆の気分を持ち上げていた。
この数日の間に、私は必死に練習して動物もどきの変身を服ごとできるようになった。それをミネルバに伝えると、とても喜んで褒めてくれた。
「さすがですね。貴女なら成功させると思っていましたよ」
微笑みと共に贈られた賛辞に舞い上がらなかったと言えば嘘になる。本当に嬉しかった。
もちろんこの後魔法省への申請についてしっかり釘を刺されたけれど。
他にも、ルシウスから、以前セブルスの部屋で少し話した契約についての書類が届いた。何ヶ所か確認したい部分があったからすぐに返信しておいた。
ウィリアムからの返事は、まだ来ない。秋は魔法生物達にとって第2の繁殖シーズンだし、その上この天候だ。彼自身が忙しいだろうし、ふくろうも中々飛べないのかもしれない。
そうこうしている内に、今シーズン最初の試合、グリフィンドールとハッフルパフの対戦日になった。風はますます激しく吹き荒び、雨はまるで礫の様に地面に打ち付けている。
皆が試合を見るために競技場に詰め掛ける中、私はそちらではなく飼育場にいた。
轟々と唸る風雨の向こうから、競技場の熱気が朧気にここにも伝わって来る。
ニーズル達の柵のすぐ外側に座り込むと、彼らはゆったりとこちらに近付いて来てくれた。にあー、と鳴く彼女の顎下を掻いてやると、気持ち良さそうに目を細める。その顔がまた可愛くて、外の天気に引き摺られる様に暗かった胸の内が少しマシになった。
「たまには遊んであげないと、よね」
「運動不足になってもいけないもんね」と内心何故か言い訳しながら、私はキョロキョロと辺りを見渡して誰もいない事を確認してから、ポーチから猫じゃらしを取り出した。マグルのお店で見つけて、ニーズル達も楽しめるかと思って少し前に買っていた物だ。
眼前で揺らすとニーズルの目がじゃらしを追う。これは遊んでくれるかも。
ヒョイッとじゃらしの付いた棒を振るとニーズル達の身体も思わずといった風に動いた。そのまま動かし続けると、堪らず1匹がじゃらしに飛び付いて来た。それを躱して近くでヒョイヒョイと動かすと別の子が飛んで来た。それをまたも躱す。その動作を繰り返してしばらくニーズル達と遊んでいると、ふと彼らが一斉に同じ方向を向いた。
一見何も無い空中の一転をジッと見続ける彼らの視線の先を辿っても、やっぱりそこには何も無い。それでも、全員が反応しているのだから何かある筈だ。そう、例えば同じ方向に──
「──あ」
この先は、競技場がある。グリフィンドールが、ハリーがクディッチの試合をしている、その場所が。
慌てて猫じゃらしをポーチにしまって飼育場を飛び出した。すぐに打ち付けてきた雨で全身がびっしょりと濡れるが、構っていられない。
「何よあれ……!」
競技場の上空に広がる黒。それは雲とは明らかに違う、闇にも似たそれは。
「吸魂鬼は城に入ってはならないのに……!」
小さく赤い何かが地面へ落ちるのが、篠突く雨の隙間から僅かに見えた。
私が競技場に駆け付けた時には、既に吸魂鬼は姿を消していた。というか、ダンブルドア先生が今まで見た事の無いくらいの迫力で怒って退けたらしい。当然の処置だ。城へは入らない事を絶対の条件として魔法省を要請を呑んだのに、これでは話が違う。
観客席では各寮の子供達が順に城へと戻っている途中だった。「気分の悪くなった生徒はすぐに申し出るように!」と強風に負けない様に叫ぶポモーナやフリットウィック先生の声も聞こえる。
「あ……ヴァレー先生」
「セドリック!選手の皆は怪我は無い?具合は?」
競技場に入った所で、頭から爪先まで濡れそぼったカナリアイエローの集団が通りがかり、その先頭にいたセドリックが思わずという風に声を掛けてくれた。
一見したところ彼らに怪我は見られない。顔色は悪いものの、雨のせいで冷えているのもあるだろう。
「僕達は大丈夫です、寒いだけで……。でも、あの、吸魂鬼が来て、ハリーが箒から落ちました」
「何ですって!?」
血の気が引いた。クディッチは時にかなりの高度まで上がって行われる競技だ。その高さから落ちたなんて……!もしかしてさっきの赤い何かはハリー!?
さっと観客席の方を見ると、セブルスはそこにいて、ダンブルドア先生とミネルバがいない。セブルスは表立って動けないのだろうが、それでもそこにいるという事はおそらく死んだり大怪我したりという事は無かったという示唆だろう。
「僕、試合のやり直しをお願いしたんですが、認められなくて……。あの、ハリーは大丈夫でしょうか?」
不安そうにこちらを見るセドリックに、「大丈夫よ」と微笑んで見せる。マダム・ポンフリーがいるのだ、即死でなければ何とかなる。それに、ダンブルドア先生もいたのだ。それ程酷い事にはなっていないだろう。
「さあ、皆、風邪を引かない内に寮に戻りなさい。しっかり温まってね」
「はい、先生」
ハッフルパフの選手達はそれぞれに頷いて去って行った。
豪雨の競技場内に入ると、見覚えのある子供達が地面を見ながらウロウロとさ迷っているのが見えた。何かを探しているのだろうか?それにしてもこの雨だ、早く城内に戻らないと風邪を引いてしまう。
「ロン、ハーマイオニー、それにドラコ!」
名前を呼ばれた子供達がパッと顔を上げた。雨で視界が妨げられていたからか、やっとその段階でドラコの向こうにビンセントとグレゴリー、それにパンジーまでいるのに気が付いた。観客席は屋根があったのに、外に出てきたから皆びしょ濡れだ。このままでは本当に体調を崩してしまう。
「皆、どうしたの?早く城へ戻らないと風邪を引いてしまうわ」
「でも先生──」
「箒が……」
「ハリーが落ちて、地面に激突する前に速度ダンブルドア先生の魔法で速度は落ちたんですけど、勢いは殺しきれなくて──」
「折れちゃったんです!ニンバス2000が!」
「このままにはしておけなくて……」
「集めたら、もしかしたら直せるかもって……」
私の元に集まってきて口々に話された事情を何とか整理すると、ハリーの箒が落下した際に折れてその破片を拾い集めている、という事だろう。その証拠に、彼らの手には焦茶色の木片が握られている。素人の私でもこの状態から元の姿に戻すのは難しいだろうと判断できるが、万が一もあるし、せっかく頑張っている子供達の思いをここで折りたくはない。それに、今は箒の破片を早く集めて彼らを城に戻すのが先だ。
「ハーマイオニー、その鞄に折れた箒を集めているの?」
ハーマイオニーは頷いて、肩から掛けていた鞄を私に渡してくれた。本当に察しの良い子だ。
私は素早く杖を取り出し、呼び寄せ呪文で一気に箒の破片を集めて鞄の中へ収めた。もちろん子供達の手にあった物も。
「さあ、これを持って城に戻りなさい」
「ありがとうございました、先生!」
「これはオマケね。貴方達の友情へのプレゼントよ」
そう言って杖を振り、それぞれの髪と服を乾かした上で防水魔法をかけてやった。乾燥魔法というのは案外難しいもので、調整を間違えると髪がカラカラになってしまったり服が縮んでしまう事もある。3年生になりたての彼らにとってはまだまだ練習が必要な魔法なのだ。それをよく分かっているのだろう、ハーマイオニーとドラコ、それにパンジーがパッと顔を輝かせた。ロンとビンセント、グレゴリーも寒さから解放されて嬉しそうだ。
子供達が皆、冷えた頬に少しだけ赤みを取り戻した事に安堵し、私は再度城へ戻る様促した。彼らは口々にお礼を言って走って行ったけれど、ハーマイオニーに慎重に抱えられた鞄は、その中身が持ち主にとってどれ程大切な相棒だと知っていたか如実に示していた。
「メリル」
生徒の移動が完了したのを確認して、ホグワーツに戻って一息吐いたところで柱の影から声を掛けられた。それと同時に乾く全身と服の感触に、乾燥魔法を掛けてもらったのだと感じた。
「ありがとう、セブルス」
お礼を伝えながら微笑むと、ぬっと影から出てきたセブルスは「構わない」と顎を引くように頷いた。
「濡れたままでいて風邪でも引かれては困るからな」
「ご心配どうも。ちょうど少し寒かったから助かったわ」
笑ってそう言うと、セブルスは器用にと片眉だけをピクリと動かした。
「……暖炉に火でもいれたらどうだ」
どうやら心配してくれた様だ。何とも遠回しだけれど。
「大丈夫よ。セブルスのお陰で今は温かいくらいだから」
「……そうかね」
「スリザリンの子達の方は大丈夫なの?吸魂鬼の影響は?」
「体調の優れない者は医務室に行く様に伝えてある。問題無いだろう」
伝えるだけで済ましたという事は、目に見えて体調を崩した生徒はいないという事だろう。良かった。他の寮もそうだと良いのだけれど。
「ダンブルドアが、魔法省に抗議するそうだ」
「吸魂鬼ね。約束と違うのだから当然だわ。生徒達を危険に晒したも同然だったもの。ハリーの容態は?」
「……マダム・ポンフリーがすぐに治療したと聞いている」
「詳しくは知らないのね。分かった、様子を見てくるわ。貴方は行き辛いでしょうから」
セブルスは何も答えなかったけれど、その顰められた顔が内心をあからさまに示していた。
──何故そこまでハリーを気に掛けるのか、聞いたら教えてくれるのかしら。リリー・ポッターの子供だから、というだけにしては気にし過ぎている様な気もする。それとも、ダンブルドア先生の様に断られるかしら……。
「夕食後にお茶でもどうかしら?その時までに医務室を覗いてみるわ。少し相談したい事もあるの」
「分かった」
「それじゃあ、また後で」
手を振って歩き出そうとしたその時、
「メリル」
と静かに呼び止められた。
「何かしら?」
振り向いて待ってみるも、セブルスは何度か口を開け閉めして、それから「いや、何でもない」と絞り出す様に言った。
「そう?じゃあ行くわね」
「ああ」
少し沈んだ色の黒の瞳が気に掛かりつつも、私は身を翻した。
蝋燭をつけても尚薄暗い廊下を歩き、医務室の扉をできるだけ静かに開く。隙間からするりと中に入り込むと、ちょうどマダム・ポンフリーがベッド周りに掛けられたカーテンの間から出てきた。
「あら、メリル?どうしました?」
「ハリーの様子を聞きに来たんです。箒から落ちたと聞いて……」
「安心なさい、怪我は全て治りましたよ。今は眠っています。ただ、この週末はここで入院すべきですね」
「少し顔を見ても?」
「見るだけですよ」
マダムが許可してくれたので、私は音を立てない様にカーテンの内側へと入った。
白いベッドの上では、ハリーがよく眠っていた。若干顔色が悪いのは暴風雨の中を飛び回っていたせいもあるだろう。もちろん吸魂鬼のせいである部分も大きいだろうが。
サイドテーブルには、ハーマイオニー達が届けたのだろう、バラバラの箒が入った鞄が置かれている。可哀想に、これを見てどれ程ショックを受けただろうか。
ハリーが心の底から楽しそうに、全身で飛ぶ事を楽しんでいた事を知っているだけに、箒に起きた惨事について同情を禁じ得ない。
「……うぅ……」
くぐもった声が少年の口から漏れて、起こしてしまったかとヒヤリとしたが、すぐにそうではないと分かった。ハリーの眉は顰められていて、居心地悪そうにベッドの中でモゾモゾとしている。吸魂鬼のせいで魘されているのかもしれない。ホグワーツ急行でも、ハリーだけが吸魂鬼の影響を強く受けていたから。
「ハリー……」
そうっと指先で少年の額を撫でる。前髪の隙間から見える稲妻形の傷痕が痛々しい。
──今は少しでも眠れますように。
小さく安眠のおまじないを唱えると、何となくハリーの寝息が穏やかになった気がする。親が子供にする様な、それ程本格的でないおまじない。懐かしいそれが、少しでも役に立てたのなら良かった。
マダム・ポンフリーにお礼を言って医務室を出る。次に訪ねたのはミネルバの部屋だった。
「ミネルバ、少し良いかしら?」
「メリル、いらっしゃい。どうかしたのですか?」
執務机に座って書類仕事をしていたミネルバは、わざわざ眼鏡を外して立って出迎えてくれた。
「大した用事ではないんです。聞きたい事があって」
「どうぞ座りなさい。今、紅茶を淹れましょう」
「ありがとう」
ミネルバの勧めに甘えてソファに腰掛ける。彼女はすぐに紅茶を淹れてくれ、「熱いから気を付けて」と言いながら私の前に出してくれた。
「それで、聞きたい事というのは?吸魂鬼の事ですか?」
「吸魂鬼については、ダンブルドア先生が抗議されると聞きました。もうホグワーツの敷地内に入らせないでしょう?」
「もちろんですとも。今回が異常事態だったのです。そもそも吸魂鬼が警護につけるかどうかすら怪しいというのに」
ミネルバも吸魂鬼の存在自体に反対らしい。同意でしかないが、魔法省の要請を完全に拒否する事も難しいのが現状なのだから仕方ない。
「それではないとしたらどうしたのです?」
「ハリーの箒の事です。大破したのは確認したのだけれど、直せるのかどうか聞いておきたくて……」
「ああ、メリル、その事なのですがね……」
ふう、と大きく溜息を吐いたミネルバの反応で、ハリーのニンバス2000が2度と元の姿には戻らない事が察されてしまった。あまりにハリーが不運過ぎる。吸魂鬼に襲われて試合に負けたばかりか箒まで失うなんて。
「やっぱりダメなんですね……」
「ええ、残念ながら」
ミネルバも気遣わしげに眉を寄せていたが、彼女やフリットウィック先生で直せないのならもう無理だろう。何とかハリーが気持ちを切り替えられたら良いのだが。
「週明けには寮に戻れるようですし、早くハリーの気持ちが上向けば良いですね」
「そうですね、そう願います」
ミネルバとしばしお茶の時間を楽しんだ後、私は彼女と共に夕食を摂るために大広間に向かった。
グリフィンドールの机が妙に静かな夕食を終え、私は私室に戻ってプランターの様子をじっくりと観察していた。最近は雨続きだから、陽光不足になっていないか気に掛けておかないといけないのだ。今の所はどれも問題は無さそうだが、植物達にとって太陽は無くてはならない物だ。まだしばらくこの天気が続くようなら、また魔力を送るなり肥料を足すなりして対策しなければならないだろう。
植物達の観察が終わってもノック音はしない。空き時間を無為に過ごすのも勿体ないため、私はリビングにマットを引いてストレッチを始めた。
今学期に入ってから始めた事の1つがこのストレッチだ。以前セブルスに宣言した防御力アップのためにしているのだが、これが中々良い運動になっている。何せ今までほとんど運動なんてしていなかったから、知らない内に肩が凝っていたり、旅していた時より関節が固くなったりしていたからだ。ストレッチをすると身体がポカポカしてくるのも心地良い。スッキリした気分になれるのも良い点だ。
そんな風にのんびりとストレッチをしていると、控えめにノックの音が響いた。
「今行くわ」
手早くマットを片付けて扉を開くと、相変わらず無愛想な顔でセブルスが立っていた。
「こんばんは、どうぞ入って」
「邪魔をする」
するりと扉の隙間から入って来たセブルスを私室へと案内する。
手早く紅茶を淹れると、最早定位置となった2人掛けソファに隣合って座った。
「それで、ハリーの様子なのだけれど、怪我は全てマダム・ポンフリーが治してくれていたわ。箒は……残念ながら修理できないみたいだけれど」
「そうか」
「この週末は医務室で入院して、月曜日から通常通りの生活に戻るようよ」
「分かった」
セブルスは小さく息を吐いてカップを傾けた。
少しは安心できただろうか。
次の話題、というか相談事は私にとっても気が重いからできるだけ冷静な状態で聞いて欲しいのだ。
「それで、相談事とは何だ」
「それなのだけれど……シリウス・ブラックについてなの、セブルス」
「……何?」
セブルスの声が限界まで低くなり、眉間に皺が寄った。
「貴方の気持ちは分かるけれど、最後まで聞いて欲しいわ。今後の彼の行動を予測しないと、何が起きるか分からないでしょう?あの男がハリーを狙っているというのが広く共通する見解だけれど、それが正しいとしても、どうやってホグワーツに入り込んで、何をするつもりなのか考えて対策を取った方が良いと思うの」
「奴の考えなど分かりたくもない」
吐き捨てる様に言うセブルスに、私は言葉を重ねた。
「そうかもしれないけれど、ハリーを守るためでもあるのよ?リーマスにシリウス・ブラックの話を聞きに行ったり、場合によっては彼と一緒に対策を──」
ガチャリ、という耳障りな音で私の言葉は遮られた。セブルスがソーサーに乱暴にカップを戻したのだ。そのぞんざいな所作でせいで紅い液体がソーサーに円を描いた。
「2度と、奴の事を話題にするな」
低く唸ったセブルスの眼光は鋭く、その瞳は負の感情にギラギラと鈍く揺らめいている。それは彼のシリウス・ブラックへの執着あるいは復讐心の様な物の強さを示していて、まだ彼の心は過去に囚われている事を証明する物でもあった。
分かっていた。簡単に前を向ける、過去から解放される事は無いという事は。けれど結局、頭で理解しているのと心で納得しているのは違うのだと、こういう時に痛感してしまう。
私が何も言えずにいる間に、セブルスは足音高く部屋を出ていってしまった。半分程残された紅茶に映る情けない自分の顔が、心細けげにこちらを見つめ返していた。
霖雨「幾日も降り続く雨」
32話目です。
やっと作中の季節も11月になりました。何ともゆっくりですが、書きたい事もあるので仕方ありませんねw
動物もどきって夢もありますけど、本人にとって苦手な動物だったり虫だったりに変身してしまった日には絶望しかないでしょうね……。変身先は選べないので……。
色々と夢小説を読んでいると、セブルスも動物もどきという設定の小説もあったりして、確かに動物もどきだとダブルスパイとしては便利だろうなぁと思ったりします。拙作のセブルスがどうなのかは作中で判明、するのでしょうか?w流れが想定外の方へ行ったりするので明言は避けますw
これから少しずつ変化する関係性や季節を感じていただければ幸いです。素直にストレートに甘い話書けよと自分で思わなくもないですが、それはそれ、これはこれということでw