百合の影から覗いて   作:細雨

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氷雨はしかし、贈り物を伴って〜アズカバンの囚人篇〜

セブルスと気まずい雰囲気になってから12月がやってくるまではあっという間だった。リーマスの脱狼薬改良は進めてはいるものの、調合の際の会話はとても事務的な物でしかなくて、正直かなり寂しい。

セブルスとの夜のお茶会も無くなった。その分、クィリナスとギルデロイを誘ったり、ポモーナやオーロラに声を掛けたりしてはいたものの、やっぱり違うのだ。もちろん彼らや彼女達とのお茶会も楽しいが、セブルスとの時間は特別な物だった。それをまざまざと感じながらも、私は気まずさの解消法を見い出せずにいた。

間違った事や悪い事をした訳ではないのに謝るのも違うし、何も無かった様に振る舞うのも違うだろう。セブルスの方も微妙に私を避けている節もあって、中々会話のきっかけが掴めない。

空いた時間を、私は城内の散歩の時間に当てた。本当は外で運動した方が良いのだろうけれど、土砂降りの中を行こうという元気はさすがに無い。学生時代を過ごし、ホグワーツに戻って来てからも何年も経つのにまだ見慣れない廊下や絵画がある城内の方が、暗い雨模様よりは気分転換ができる。

12月に暦が変わってからのある夜、クィリナスとギルデロイの3人でマグル学の教室でお茶を飲んでいると、ふとギルデロイが「この所思っていたのですがね」と彼にしては珍しくほんのりと苦い笑みを浮かべた。

「メリル、貴女が優秀な事も思慮深い事も、優しさ故に軽々に憶測を口にしない事も重々承知の上で申し上げるんですが、貴女はもう少し周りを頼っても良いのではありませんか?」

「え?」

「もちろん私で力不足な時はクィリナスを巻き込めばよろしいですし、そうでなくても優秀な先生方がここにはたくさんいるんです。貴女だけが頑張らなくても良いと思いますよ」

突然の言葉に、どう反応を返せば良いのか分からない。

私は優秀ではないし、思慮深くもないし、優しい訳でもないのに、ギルデロイは良く言い過ぎだと思う。けれど、その言葉に込められた思いや温かさは真に私を気遣う物であるとひしひしと感じられる。何があったか知らないが、短期間でここまで人は変わるものなのかと場違いにも驚く程だ。

「私もギルデロイに同意します、メリル」

「クィリナスまで?」

驚く私に、クィリナスは小さく苦笑して頷いた。

「貴女はどうも、まずは自分1人で頑張ってしまう所があります。もちろんそれは美点でもありますが、いつか力尽きてしまわないか心配にもなるんですよ。私達ではあまり頼りにならないかもしれませんが、少しでも貴女の助けになりたいんです」

「そんな、頼りにならないなんて思っていないわ」

「貴女ならそう言うと思っていました。だからこそ、これまで何も言わずにいたんです。でも、ここ最近の貴女は暗い表情をしていたので差し出がましいとは思いつつも、何が貴女を悩ませているのか教えて欲しいと思ったんです」

「影のある貴女のかんばせも、もちろん美しいですが、やはり貴女には明るい表情が似合いますからね!」

明るく言い添えるギルデロイの心遣いも、控えめなクィリナスの優しさも、今の寂しさにが吹き抜ける胸にとても染みて、思わずほたりと涙が零れてしまった。

無理をしているとは思っていなかった。自分1人で頑張っているとも。私は、私ができる、やりたいと思った事をやっていただけだった。

でも。

色んな事ができるようになりたかった。

──セブルスに心配をかけたくなかったから。

新しい事に挑戦してみたかった。

──セブルスができない事をできるようになってみたかったから。

たくさんの事を学びたかった。

──セブルスと対等な立場で議論がしたかったから。

正しさを大事にしたかった。

──セブルスと堂々と向き合っていたかったから。

前だけを向いていたかった。

──セブルスをいつでも支えたかったから。

強い自分でありたかった。

──セブルスの力になりたかったから。

長い髪の似合う自分でいたかった。

──セブルスに少しでも見て欲しかったから。

明るい自分でいたかった。

──セブルスの横顔しか見れなくても、落ち込まないでいるために。

結局、それらは全てセブルスを言い訳にして、自分を守るためだった。

せっかく恋人同士になれたのに、開心術で全てを見なくても良いとセブルスに言い切ったのに、つまるところ私はセブルスを信じきれていなかった。彼に嫌われるのが怖くて、彼と真っ向から向き合う事から逃げて、彼が嫌がる様な事は言わずに済ましたかったのだ。

過去に囚われているのは、私も同じだったのだ。

ほたほたと流れる涙は、後悔か、恥ずかしさか、情けなさか、もしくはその全てによる物なのかもしれない。クィリナスは慌ててハンカチを差し出してくれ、ギルデロイは温かな紅茶を淹れ直してくれた。2人にもたくさん気を遣わせてしまった。私の方が歳上なのに。

「……取り乱してごめんなさい。年長者として恥ずかしいわ」

「そんな事言うものじゃありませんよ。涙に歳上も歳下もありません」

「そ、そうですよ。我慢する方が身体に毒です」

優しい後輩に恵まれて幸せだ。本当にありがたいと思う。

「ありがとう」

止まった涙を拭いて感謝を伝えると、2人ともにこりと微笑んでくれた。

「さて、メリル。最近の1番の悩み事を当ててみましょう。ずばり、セブルスでしょう?喧嘩でもしましたか?」

ギルデロイの言葉に、「喧嘩とまではいかないのだけれど」と前置きして数週間前のセブルスとのやり取りを大まかに伝えると、クィリナスは苦笑して、ギルデロイは「おやまあ」と呆れた様に声を漏らした。

「当時を私はあまり知らないのですが、それ程ハリーのお父上とセブルスの因縁は深いのですか?」

「そうね……因縁というか、最早傷害事件と言っても過言ではないと思うわ」

「それはまた……」

ギルデロイの顔が若干引き攣った。

「グリフィンドールのマローダーズといえば、当時は教師の誰もが手を焼く問題児4人組でね。その中心にいたのがハリーの父親のジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックだったの。ちなみに、リーマスもその一員よ」

「意外とやんちゃだったんですね」

「ええ。やんちゃという言葉で片付けても良いものか迷うけれど。……キッカケは私も知らないのだけれど、私がセブルスと知り合った時には既にジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックはセブルスを標的にしていたわ。多分、原因はハリーの母親であるリリー・ポッターにジェームズ・ポッターが恋をしたからでしょうね。リリー・ポッターは当初、幼馴染であるセブルスと仲が良かったから。むしろ、ジェームズ・ポッターの事を毛嫌いしているくらいだったもの。それで対抗心を燃やしたのか何だか知らないけれど、ジェームズ・ポッターはセブルスを目の敵にしていたという訳。シリウス・ブラックはセブルスが気に入らないという風な態度だったわ。仲良しの友達が嫌いな人間は自分も嫌い、というタイプなのかもしれないけれど」

「何と言いますか……色恋とは難しい物ですね」

非常に言いにくそうに迂遠な言い回しをしたクィリナスに、私は「そうね」と苦笑する事しかできなかった。

「毎日の様にマローダーズはセブルスを標的にして魔法でイタズラをしかけたり、時に魔法を打つ事もあったわ。セブルスも反撃はしていたみたいだけれど、多勢に無勢だったわ。もちろんやられっぱなしでも無かったけれどね。当然だけれど、そのせいでセブルスのマローダーズへの心証は最悪。今、リーマスと同僚としていられるのも奇跡の様なものよ。たまたまリーマスがジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックの悪行への加担に消極的だったからだわ。リーマスは反省している様だけれど、こればっかりはセブルス自身が許すかどうかだから何とも言えないわね」

今の所、許しそうには見えないけれど。

反省し謝罪したからといって、全てが許される訳ではないのだ。

「そんな訳で、因縁があるというよりも因縁をつけられていた、が正しいかもしれないわ。色々あってリリー・ポッターとセブルスは決別して彼女はジェームズ・ポッターを選んだ。そしてハリーが産まれたのよ」

「なるほど、そういう事ですか」

クィリナスは困った様に小さく笑って、ギルデロイはやれやれと肩を竦めた。

「私はシリウス・ブラックと関わりがほとんど無かったから、今後の行動予測をたてるためにセブルスに相談したかったのだけれど、怒らせてしまって……..。憎い程嫌っている人間を話題にしたくないのは分かるけれど、私も好きであの男の考えを読みたい訳じゃないのに」

「メリルからすれば、セブルスを害した相手ですからね」

「……やっぱり、謝った方が良いと思う?」

我ながらずるい問い掛けだと思う。2人が私を責めないと分かった上で聞いているのだから。

「それは何とも言えませんね。貴女が悪いと思ったなら謝るのも良いでしょう。ただ、あくまで私の意見ですが、今回に関してはセブルスが少し意固地になっているように感じます」

「それもありますが、メリルは少し優し過ぎるのでは?シリウス・ブラックという脅威への対応は必要な事なのですから、セブルスの機嫌にそこまで配慮しなくても良いのではないでしょうか」

「そう、なのかしら……」

やっぱり彼らは私を責めないでいてくれたけれど、それで心が完全に晴れる訳ではない。でも、楽にはなった。人に聞いてもらう事は自分で思っていたより重要なようだ。

「今日はもう遅いですしお開きにしましょうか。近々、対応策でも考えてみましょう。ダンブルドアが既に考えているでしょうけどね」

ギルデロイが明るくそう言って、今夜のお茶会は解散となった。

「おやすみなさい、クィリナス、ギルデロイ」

「おやすみなさい、メリル。ゆっくり休んでくださいね」

「おやすみなさい、良い夢を!」

「ありがとう、お互いにね」

久しぶりにぐっすりと眠れる事を祈って、私は2人に手を振ってマグル学の教室を出た。

数日もすると雨模様は突然終わりを告げて空が明るくなり、ある朝ついに泥に塗れていた校庭がキラキラ光る霜柱に覆われていた。本格的な冬の到来だ。各寮の談話室にある暖炉には火が煌々と燃え上がり、教員の私室の暖炉にも火が入れられた。

今年の大広間のクリスマスの飾り付けを考えている間に、早くもフリットウィック先生は呪文学の教室をチラチラ瞬くライトを飾り付けたらしい。生徒達が空と同じく明るい声音で教えてくれた。

学期最後の週末はホグズミード休暇となり、城内は更に賑やかになった。皆クリスマスショッピングを楽しみにしているのだ。

セブルスとの気まずさはまだ解消できていない。でも、クィリナスとギルデロイに話を聞いてもらってから、それ程気に病まなくて済んでいる。クリスマスが近付くにつれ、本当はセブルスと過ごしたい気持ちが大きくはなっているが、話すきっかけのために謝るのも違う気がしてそのままになっている。私が間違っていない訳ではないだろうけれど、セブルスが正しい訳でもないだろうし、焦って動かなければならない理由も無いのだから、少し時間をかけて解決してみようと思ったのだ。

「メリル、今日は予定は空いていますか?」

「ええ、ミネルバ、大丈夫です。どうかしましたか?」

朝食後、ニクスにチキンを持って行ってから城に戻って来ると、玄関脇でリストを手にチェックしていたミネルバから声を掛けられた。彼女は毎回のホグズミード休暇の度にホグズミードに行ける生徒のリストに間違いが無いか確認しているのだ。

「良ければ一緒にホグズミードにでも行きませんか?せっかくの週末ですし」

「はい!喜んで」

嬉しいお誘いに私はすぐに返事をして、私室へ戻って出かける準備をした。

玄関に戻って来ると、ちょうどホグズミードへ行く生徒達が集まり終わっていたところの様で、Mr.フィルチが許可無くホグズミードに行こうとしている生徒がいないか眼光鋭くチェックしていた。

「お待たせしました、ミネルバ」

「問題ありませんよ。先程フィリウスにも会ったのでお誘いしたのですが、良かったですか」

「もちろんです」

フリットウィック先生と出かけられる機会は少ない。貴重なチャンスに心が踊った。

ニコニコしながら生徒達を見送り、Mr.フィルチが寒さに顔を顰めながら城の奥に引っ込んでいったところで、フリットウィック先生が姿を現した。

「いやはや、ご婦人方をお待たせして申し訳ない!」

「問題ありませんよ」

「全然待っていませんよ、先生。行きましょう」

雪景色のホグズミードはとても綺麗で輝かしく、心躍る景色だった。ダイアゴン横丁にはよく行くがホグズミードはあまり足を向けないため、どのお店も新鮮だった。風は冷たく、手はかじかんでいたけれど、胸の中はポカポカと暖かった。

「ミネルバ、このお菓子の詰め合わせ、とても可愛いと思いませんか?」

「あら、本当に。特にこの猫のアイシングクッキーが可愛らしいですね」

「色味も素晴らしい」

3人でお喋りしながらお茶のお供を買ったり、スノードームやリース等の雑貨を見て回った後、自然と三本箒へ行く事になった。あまりに風が冷た過ぎたからだ。寒さと風の冷たさで頬が少し痛いくらいだった。

「おんや、先生方!奇遇ですな」

「こんにちは、ハグリッド」

「ハグリッド、頭が真っ白になっていますよ」

「これはこれは、すんません」

ミネルバに指摘されたハグリッドが急いで頭と肩に積もった雪を手で振り落とすと、そのほとんどがフリットウィック先生の頭にバサバサバサッと掛かってしまった。慌てたハグリッドが先生の頭に積もった雪を払うが、サイズと力の差で先生の首がグラグラと揺れた。

「は、ハグリッド、もう、十分!」

「そうですかい?」

「私達はこれから三本箒に行くのですが、貴方もどうです?」

「喜んで!」

こうして4人連れ立って雪風の中歩いたが、ハグリッドの大柄な身体が随分と風を防いでくれた。

三本箒のある通りに差し掛かると、今度は意外な人物に遭遇した。

「これはこれは、ファッジ大臣」

「おや?皆さんお揃いで。買い物ですかな」

コーネリウス・ファッジ魔法省大臣がその若緑色の帽子や縦縞のマントに雪を纏いながら通りがかった。こちらを見て意外そうに少し眉を上げた大臣は、すぐに友好的な笑みを浮かべた。

「ええ、年末前の最後の週末ですから」

フリットウィック先生が答えると、「なるほどなるほど」と頷いた大臣は、

「ダンブルドアと話をしようと思ったんだが、その前に1杯温まって行こうかと思ってね。三本箒に行くなら一緒にどうかね?」

と誘ってきた。それへミネルバが「良いですよ」と賛成し、結局5人となった私達はそのまま三本箒へと入店した。

それぞれに飲み物を注文して席に着く。オーナーのマダム・ロスメルタはすぐにオーダー通りの物を持って来てくれた。

「ギリーウォーターのシングルです──」

「私です」

ミネルバが嬉しそうに受け取った。

「ホット蜂蜜酒、4ジョッキ分──」

「ほい、ロスメルタ」

ハグリッドが寒さに赤くなった手を上げた。

「アイスさくらんぼシロップソーダ、唐傘飾り付き──」

「ムムム!」

すぐに1口飲んだフリットウィック先生が唇を尖らせて舌鼓を打った。

「バタービール──」

「私です」

「あら、随分お久しぶりね。元気そうで良かったわ」

「ありがとうございます、マダム」

久しぶりに飲んだバタービールの甘さは身体の隅々まで染み渡って、全身が温まる心地がした。

「それじゃ、大臣は紅い実のラム酒ですね?」

「ありがとうよ、ロスメルタのママさん」

自分の分を受け取ったファッジ大臣は、ニコニコと機嫌の良さそうな笑みを浮かべた。

「君にまた会えてほんとに嬉しいよ。君も1杯やってくれ──こっちに来て、一緒に飲まないか?」

「まあ、大臣、光栄ですわ」

華やかに笑ったマダム・ロスメルタはカウンターに引き返して、自分のグラスを持ってテーブルに着いた。

「それで、大臣、どうしてこんな片田舎にお出ましになりましたの?」

私達が気になっていた事を、マダムがズバリ聞いてくれた。普段は魔法省か、良くてロンドンにいる筈の大臣がホグズミードにいるなんてとても珍しい事だ。だから彼女も気になって同席したのだろう。その証拠に、綺麗に化粧された目は好奇心に輝いている。

ファッジ大臣はその大きなおなかを捩って辺りを見渡した。周囲に聞かれたくない話なのだろうか。盗み聞きしている者がいないかの簡単なチェックの後、大臣は低い声で話し出した。

「他でもない、シリウス・ブラックの件でね。ハロウィーンの日に、学校で何が起こったかは、薄々聞いているんだろうね?」

「噂は確かに耳にしていますわ」

マダム・ロスメルタが頷いた。

「ハグリッド、貴方はパブ中に触れ回ったのですか?」

ミネルバが腹立たしげに言ったので、ハグリッドは恐縮した様に肩を縮こませた。それでも隣のフリットウィック先生に比べたら2倍以上の大きさがあったけれど。

「大臣、ブラックがまだこの辺りにいるとお考えですの?」

囁く様にマダム・ロスメルタが言った。

「間違いない」

思いもかけずきっぱりとファッジ大臣は言い切った。魔法省はシリウス・ブラックについての何かしらの情報を掴んでいるのかもしれない。

「吸魂鬼が私のパブの中を2度も探し回って行った事をご存知かしら?お客様が怖がって皆出て行ってしまいましたわ……大臣、商売上がったりですのよ」

マダム・ロスメルタが少し刺々しさを滲ませた声で言った。飲食店で客がいなければ始まらない。しかも活気が要であるパブだと余計に大打撃だろう。

「ロスメルタのママさん。私だって君と同じで、連中が好きな訳じゃない」

ファッジ大臣はバツが悪そうな声を出した。

「用心に越した事はないんでね……残念だが仕方ない……つい先程連中に会った。ダンブルドアに対して猛烈に怒っていてね──ダンブルドアが城の校内に連中を入れないんだ」

まるでダンブルドア先生がホグワーツに吸魂鬼を入れないからあの男が発見できないとも読み取れる風な、言い訳じみた言葉に少しカチンときた。そもそも魔法省が取り逃さなければこんな事態になっていないというのに。

「そうすべきですわ。あんな恐ろしい物に周りをウロウロされては、私達、教育ができませんでしょう?」

ミネルバがキッパリと言い、「まったくもってその通り!」とフリットウィック先生が続いた。

「先日も吸魂鬼のせいでハリーが箒から落ちたんですよ」

私が言い添えると、大臣は「何だって?」と大仰に眉を上げた。

「それで、怪我は?」

「優秀なマダム・ポンフリーのお陰でかすり傷1つまで全て治りました。けれど、同じ事が何度も起きては困ります」

少年1人の容態を魔法省大臣がわざわざ気にするのは大袈裟な気もするが、ホグワーツとの関係を悪化させるのは本意ではないだろうから別段おかしくはない。

「いや、いや、にも関わらずだ」

とファッジ大臣が言い返してきた。

「連中よりももっとタチの悪いものから我々を護るために連中がここにいるんだ……知っての通り、ブラックの力を持ってすれば……」

「でもねえ、私にはまだ信じられないですわ」

マダム・ロスメルタが考え深げに言った。

「どんな人が闇の側に荷担しようと、シリウス・ブラックだけはそうならないと、私は思ってました……あの人がまだホグワーツの学生だった時の事を覚えてますわ。もしあの頃に誰かがブラックがこんな風になるなんて言ってたら、私きっと『蜂蜜酒の飲み過ぎよ』って言ったと思いますわ」

「君は話の半分しか知らないんだよ、ロスメルタ。ブラックの最悪の仕業はあまり知られていない」

ファッジ大臣はぶっきらぼうに言った。吸魂鬼反対派が多いテーブルで彼らの起用の擁護を続けるのは不利だと悟った様子だ。

話題の矛先はマダム・ロスメルタの発言でシリウス・ブラックに移り、大臣の言葉にマダムは「最悪の?」と好奇心が更に煽られた様だった。

「あんなにたくさんの可哀想な人達を殺した、それより悪い事だって仰るんですか?」

「まさにその通り」

ファッジ大臣が威厳を示すかの様にわざとらしい程重々しく頷いた。

──あのマグル大量殺人よりも悪い仕業?

私も知らない話だ。その頃はこちらにいなかったし、預言者新聞も途切れ途切れにしか読めなかったから、詳しい状況は分かっていないのだ。私は一言一句逃さない様に耳をそばだてた。

「信じられませんわ。あれより悪い事って何でしょう?」

「ブラックのホグワーツ時代を覚えていると言いましたね、ロスメルタ」

ミネルバが呟く様にそう言って、そして続けた。

「あの人の1番の親友が誰だったか、覚えていますか?」

「ええ、ええ」とマダム・ロスメルタは懐かしむ様に小さく笑った。

「いつでも一緒、影と形の様だったでしょ?ここにはしょっちゅう来てましたわ……ああ、あの2人にはよく笑わされました。まるで漫才だったわ、シリウス・ブラックとジェームズ・ポッター!」

「その通りです。ブラックとポッターは悪戯っ子達の首謀者、もちろん、2人共非常に賢い子でした──まったくずば抜けて賢かった──しかしあんなに手を焼かされた2人組は無かったですね──」

僅かに湿り気を帯びた声音のミネルバに、ハグリッドがクックッと笑いながら付け加えた。

「そりゃ、分かんねえですぞ。フレッドとジョージ・ウィーズリーにかかっちゃ、互角の勝負かもしれねえ」

「皆、ブラックとポッターは兄弟じゃないかと思っただろうね!まるで一心同体!」

あの2人と関わる事の少なかった私でも、彼らが離れている所なんて見た事が無かった。それくらい、ずっと一緒に行動していた。先生方も同じ様に感じていたくらいだから、本当に四六時中2人セットでいたのだろう。

「まったくそうだった!ポッターは他の誰よりブラックを信用した。卒業しても変わらなかった。ブラックはジェームズがリリーと結婚した時、新郎の付添役を務めた。2人はブラックをハリーの名付け親にした。ハリーはもちろん全く知らないがね。こんな事を知ったらハリーがどんなに辛い思いをするか」

「ブラックの正体が『例のあの人』の一味だったからですの?」

マダム・ロスメルタが声を落として慎重に聞いた。

「もっと悪いね……」

ファッジ大臣は更に声を低くして、ゴロゴロとくぐもった声音で続けた。

「ポッター夫妻は、自分達が『例のあの人』に付け狙われていると知っていた。ダンブルドアは『例のあの人』と緩みなく戦っていたから、数多くの役に立つスパイを放っていた。そのスパイの1人から情報を聞き出し、ダンブルドアはジェームズとリリーにすぐに危機を知らせた。2人に身を隠すように勧めた。だが、もちろん、『例のあの人』から身を隠すのは容易な事ではない。ダンブルドアは『忠誠の術』が1番助かる可能性があると2人にそう言ったのだ」

「どんな術ですの?」

「恐ろしく複雑な術ですよ」

マダム・ロスメルタの問いに、フリットウィック先生が答えた。

「1人の、生きた人間の中に秘密を魔法で封じ込める。選ばれた者は『秘密の守り人』として情報を自分の中に隠す。かくして情報を見つける事は不可能となる──『秘密の守り人』が暴露しない限りはね。『秘密の守り人』が口を割らない限り、『例のあの人』がリリーとジェームズが隠れている村を何年探そうが、2人を見つける事はできない。例え2人の家の居間の窓に鼻先を押し付ける程近付いても、見つける事はできない!」

「それじゃ、ブラックがポッター夫妻の『秘密の守り人』に?」

マダムの囁き声に答えたのは、ミネルバだった。

「当然です。ジェームズ・ポッターは、ブラックだったら2人の居場所を教えるぐらいなら死を選ぶだろう、それにブラックも身を隠すつもりだとダンブルドアに伝えたんです──それでもダンブルドアはまだ心配していらっしゃった。自分がポッター夫妻の『秘密の守り人』になろうと申し出られた事を覚えていますよ」

──それはつまり。

「ダンブルドアはブラックを疑ってらした?」

マダムと共に私も息を呑んだ。ミネルバが暗い声で続ける。

「ダンブルドアには、誰かポッター夫妻に近い者が2人の動きを『例のあの人』に通報しているという確信がおありでした。ダンブルドアはその少し前から、味方の誰かが裏切って『例のあの人』に相当の情報を流していると疑っていらっしゃいました」

「それでもジェームズ・ポッターはブラックを使うと主張したんですの?」

「そうだ」

ファッジ大臣が重苦しく頷いた。

「そして、『忠誠の術』をかけてから1週間も経たない内に──」

「──シリウス・ブラックが2人を裏切った?」

急に発言した私を大臣は少し驚いた風に見たが、すぐに「まさにそうだ」と首肯した。

「ブラックは二重スパイの役目に疲れて、『例のあの人』への支持を大っぴらに宣言しようとしていた。ポッター夫妻の死に合わせて宣言する計画だったらしい。ところが、知っての通り、『例のあの人』は幼いハリーのために凋落した。力も失せ、酷く弱体化し、逃げ去った。残されたブラックにしてみれば、まったく嫌な立場に立たされてしまった訳だ。自分が裏切り者だと旗幟鮮明にした途端、自分の旗頭が倒れてしまったんだ。逃げる他無かった──」

「くそったれのあほんだらの裏切り者め!」

ハグリッドの罵声にパブにいた人々の半分が驚いて静かになり、慌ててミネルバが「しーっ!」と制したが、カッカしてしまったハグリッドは歯噛みしながら続けた。

「俺はヤツに出会ったんだ。ヤツに最後に出会ったのは俺にちげぇねぇ。その後でヤツはあんなに皆を殺した!ジェームズとリリーが殺されっちまった時、あの家からハリーを助け出したのは俺だ!崩れた家からすぐにハリーを連れ出した。かわいそうなちっちゃなハリー。額におっきな傷を受けて、両親は死んじまって……そんで、シリウス・ブラックが現れた。いつもの空飛ぶオートバイに乗って。あそこに何の用で来たんだか、俺には思いもつかんかった。ヤツがジェームズとリリーの『秘密の守り人』だとは知らんかった。『例のあの人』の襲撃の知らせを聞きつけて、何かできる事はねえかと駆け付けて来たんだと思った。ヤツめ、真っ青になって震えとったわ。そんで、俺が何したと思うか?俺は殺人者の裏切り者を慰めたんだ!」

ハグリッドが吠えた。

「ハグリッド!お願いだから声を低くして!」

ミネルバが再び注意して、ようやくハグリッドは少し声を落とした。

「ヤツがジェームズとリリーが死んで、取り乱してたんではねえんだと、俺に分かる筈があっか?ヤツが気にしてたんは『例のあの人』だったんだ!ほんでもってヤツが言うには『ハグリッド、ハリーを僕に渡してくれ。僕が名付け親だ。僕が育てる──』ヘン!俺にはダンブルドアからのお言い付けがあったわ。そんで、ブラックに言ってやった。『ダメだ。ダンブルドアがハリーは叔母さんと叔父さんの所に行くんだって言いなさった』。ブラックはゴチャゴチャ言うとったが、結局諦めた。ハリーを届けるのに自分のオートバイを使えって、俺にそう言った。『僕にはもう必要が無いだろう』、そう言ったな。何かおかしいって、そん時に気付くべきだった。ヤツはあのオートバイが気に入っとった。何でそれを俺にくれる?もう必要が無いだろうって、何故だ?つまり、あれは目立ち過ぎる訳だ。ダンブルドアはヤツがポッターの『秘密の守り人』だって事を知ってなさる。ブラックはあの晩の内にトンズラしなきゃなんねえって分かってた。魔法省が追っ掛けて来るのも時間の問題だってヤツは知ってた。もし、オレがハリーをヤツに渡してたらどうなってた?えっ?海のど真ん中辺りまで飛んだ所で、ハリーをバイクから放り出したにちげぇねぇ。無二の親友の息子をだ!闇の陣営に組した魔法使いにとっちゃ、誰だろうが、何だろうが、もう関係ねえんだ……」

鼻を啜るハグリッドの話の後は長い沈黙が続いた。マダム・ロスメルタが取りなすようにあえて明るい口調で言った。

「でも、逃げおおせなかったわね?魔法省が次の日に追い詰めたわ!」

「あぁ、魔法省だったら良かったのだが!」

ファッジ大臣が口惜しげに顔を顰めた。

「ヤツを見つけたのは我々ではなく、チビのピーター・ペティグリューだった──ポッター夫妻の友人の1人だが。悲しみで頭がおかしくなったのだろう。多分な。ブラックがポッターの『秘密の守り人』だと知っていたぺティグリューは、自らブラックを追った」

リーマスと違って、積極的にジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックによるいじめを手伝っていた人間だ。当時の印象ではそこまで大胆な行動を取るイメージは無いのだけれど……。

「ブラックとポッターを英雄の様に崇めていた子だった。能力から言って、あの2人の仲間にはなり得なかった子です。私、あの子には時に厳しくあたりましたわ。私が今どんなにそれを──どんなに悔いているか──」

ミネルバが喉から絞り出した様に言った。僅かに震える背に手を添えると、彼女は私を安心させるように少しだけ口角を持ち上げて見せた。

「さあ、さあ、ミネルバ」

ファッジ大臣が優しくミネルバに声を掛けた。

「ぺティグリューは英雄として死んだ。目撃者の証言では──もちろんこのマグル達の記憶は後で消しておいたがね──ぺティグリューはブラックを追い詰めた。泣きながら『リリーとジェームズが。シリウス!よくもそんな事を!』と言っていたそうだ。それから杖を取り出そうとした。まあ、もちろん、ブラックの方が速かった。ぺティグリューは木っ端微塵に吹っ飛ばされてしまった……」

ミネルバは鼻をかんで、掠れた声で言った。

「バカな子……間抜けな子……どうしようもなく決闘が下手な子でしたわ……魔法省に任せるべきでした……」

「俺なら、俺がぺティグリューのチビより先にブラックと対決してたら、杖なんかモタモタ出さねえぞ──ヤツを引っこ抜いて──バラバラに──八つ裂きに──」

「ハグリッド、バカを言うもんじゃない」

再び吠えたハグリッドをファッジ大臣が厳しく制した。

「魔法警察部隊から派遣される訓練された『特殊部隊』以外は、追い詰められたブラックに太刀打ちできる者はいなかったろう。私はその時、魔法惨事部の次官だったが、ブラックがあれだけの人間を殺した後に現場に到着した第1陣の1人だった。私は、あの──あの光景が忘れられない。今でも時々夢に見る。道の真ん中に深く抉れたクレーター。その底の方で下水管に亀裂が入っていた。死体が累々。マグル達は悲鳴をあげていた。そして、ブラックがそこに仁王立ちになり笑っていた。その前にぺティグリューの残骸が……血だらけのローブと僅かの……僅かの肉片が──」

ファッジ大臣は言葉を詰まらせ、当時関わりのあった人間全員が鼻をかんだ。私は──私は、泣けなかった。暗澹たる裏切りと凄惨な現場の話を聞いて、まさかという思いでいっぱいだった。あんなに運命共同体の様に振舞っておいて──魂の双子とお互いを称していたと聞いた事さえある──、いきなり闇の陣営に鞍替えするだろうか?例え鞍替えしたとして、それ程の理由やメリットがシリウス・ブラックにあるのだろうか?

「さて、そういう事なんだよ、ロスメルタ」

私が大量の情報を頭の中で咀嚼している間に、ファッジ大臣が低く掠れた声で続けた。

「ブラックは魔法警察部隊が20人がかりで連行し、ぺティグリューは勲一等マーリン勲章を授与された。哀れなお母上にとってはこれが少しは慰めになった事だろう。ブラックはそれ以来ずっとアズカバンに収監されていた」

長い溜息がマダム・ロスメルタの口から流れ出た。

「大臣、ブラックは狂ってるというのは本当ですの?」

ファッジ大臣は少し間を置いた後、考えながらゆっくり話した。

「そう言いたいがね。『ご主人様』が敗北した事で、確かにしばらくは正気を失っていたと思うね。ぺティグリューやあれだけのマグルを殺したというのは、追い詰められて自暴自棄になった男の仕業だ──残忍で……何の意味も無い。しかしだ、先日私がアズカバンの見回りに行った時ブラックに会ったんだが、なにしろ、あそこの囚人は大方皆暗い中に座り込んで、ブツブツ独り言を言っているし、正気じゃない……ところが、ブラックがあまりにも正常なので私はショックを受けた。私に対してまったく筋の通った話し方をするんで、何だか意表を突かれた気がした。ブラックは単に退屈しているだけな様に見えたね──私に、新聞を読み終わったならくれないかと言った、洒落てるじゃないか、クロスワードパズルが懐かしいからと言うんだよ。ああ、大いに驚きましたとも。吸魂鬼がほとんどブラックに影響を与えていない事にね──しかもブラックはあそこで最も厳しく監視されている囚人の1人だったのでね、そう、吸魂鬼が昼も夜もブラックの独房のすぐ外にいたんだ」

「だけど、何のために脱獄したとお考えですの?まさか、大臣、ブラックは『例のあの人』とまた組むつもりでは?」

マダム・ロスメルタが少しばかり恐怖を滲ませた声で聞いた。

「それが、ブラックの──アー──最終的な企てだと言えるだろう」

ファッジ大臣は明言を避けて言葉を濁した。

「しかし、我々は程なくブラックを逮捕するだろう。『例のあの人』が孤立無援ならそれはそれで良し……しかし彼の最も忠実な家来が戻ったとなると、どんなにあっという間に彼が復活するか、考えただけでも身の毛がよだつ……」

大臣はそこでラム酒をぐっと煽った。次にハグリッド、マダム・ロスメルタがそれに続き、グラスをそれぞれテーブルにカチャカチャと置いた。

「さあ、コーネリウス。校長と食事なさるおつもりなら、城に戻った方が良いでしょう」

ミネルバの促しに、ファッジ大臣は「そうだな」と頷いて席を立った。

ミネルバのグラスはいつの間にか空になっていて、フリットウィック先生のグラスには唐傘が閉じられた状態で立て掛けられていた。私も慌てて残りのバタービールを流し込んで、皆に続いた。

それからホグワーツに戻って夕食を取った所までの記憶が曖昧だ。休暇前最後の夕食だからと気合いを入れて腕をふるってくれた屋敷しもべ妖精達には悪いが、正直、先程初めて聞いた話のせいで頭がいっぱいだったのだ。

シリウス・ブラックは本当にジェームズ・ポッターを裏切ったのだろうか?確かにポッター夫妻は襲撃されたが、僅かとはいえ学生時代を知っている身からすれば、裏切る理由が分からない。ブラック家といえば、魔法界の王とも称される貴族として最高位の家柄で、事実、闇の陣営に組した者もいる。ブラック家からレストレンジ家に嫁いだベラトリックス・レストレンジが良い例だ。彼女は『例のあの人』を最も信奉する人間の1人であり、『例のあの人』が弱体化した後も捜索に奔走したらしい。だからといってシリウス・ブラックもそうとは限らないけれど。学生時代はグリフィンドールに所属していたし、ブラック家の慣習からはかけ離れていた存在である可能性がある。

「……それにしても、情報量が多過ぎるわ……」

「メリル?大丈夫かい?」

ふう、と思わず吐いた溜息を聞かれたのだろう、顔色の悪いリーマスが気遣わしげに声を掛けてきた。

「体調が優れないのなら、今日はもう休んだらどうだい?」

「いいえ、大丈夫よ。問題無いわ」

「そう?無理はしないように気を付けてくれ」

「お気遣いどうも」

頭の中の整理がてら城内の散歩にでも行こうかしら。

そう考えを巡らせていると、ふとギルデロイと談笑するクィリナスが目に入った。

──そうだ、2人に話してみようかしら。以前話を聞いてもらった時、随分とスッキリしたから。

その思い付きはとても魅力的に感じられて、私は早速2人に近付いた。

「クィリナス、ギルデロイ、少し良いかしら」

「はい、どうしました?」

振り返った2人をお茶に誘うと、彼らは笑顔で快諾してくれた。

少し後に、恒例のお茶会の場所となったマグル学の教室に私達は集合した。

「さて、メリル、一体どうしたんです?」

ギルデロイの問い掛けに、私は今日三本箒で聞いた事をできるだけそのまま詳細に語った。

その場にしばしの沈黙が満ちた後、最初に口火を切ったのはギルデロイだった。

「ふうむ、何ともこんがらがっている話ですね。事実と推測と感情が入り乱れている様に思います。貴方はどう感じました、クィリナス?」

「そうですね……、私も概ねそう感じました。それぞれに分けて整理する必要があるでしょう」

そう言うと、クィリナスは紙とボールペンを呼び寄せた。

「あら、懐かしいわね。そんな物がここにあるとは思わなかったわ」

「授業で使うんです。マグルの街に行った時に、羽根ペンじゃないから書けない、なんて事になったら大変でしょう?」

「確かにそうね」

納得する私の横で、「それは何です?」とギルデロイが前のめりになってボールペンを凝視していた。その目は好奇心にキラキラと輝いている。

「ボールペンというマグルの筆記具ですよ。羽根ペンと違って羊皮紙の繊維に引っ掛かる事もありませんし、インクが内包されているので持ち歩く必要もありません」

「何と便利な!早く使う所を見せてください」

まるで子供の様にねだるギルデロイに、クィリナスはまんざらでもない風に笑って「事実」「推測」と紙の上部に並べて書いた。

「まず、事実として、ポッターとブラックは学生時代仲が良かった、そして卒業後も」

「そうね。そうでないとブラックに名付け親を頼まないわ」

クィリナスが頷いて「ポッターとブラックは親友」と紙に書いた。

「何とも滑らかに書くのですね!」

「ちなみに、インクの色は黒以外もあって、この本体の色や形も種類がたくさんあるわ」

「何と素晴らしい!今度マグルの文房具屋へ行ってみます」

ボールペンの存在はギルデロイの好奇心をいたく刺激したらしい。ずっとクィリナスの手元をワクワク顔で目で追っている。

「ええっと、次に、大臣がブラックがまだ近辺にいると断言した件ですが……」

「根拠が示されていないので、そこは推測でいいのでは?」

ギルデロイの言に私も頷くと、クィリナスは「推測」の文字の下に「ブラック、ホグワーツ近辺に潜伏」と記した。

「『例のあの人』にポッター夫妻が狙われていたのは襲撃された事から事実でしょう」

言いながら、クィリナスが「事実」側に「ポッター夫妻、狙われる、襲撃」と書いた。

「問題は、何故かということね」

「そうです。当時、夫妻はダンブルドア側だったからという事かもしれませんが、手下に任せす、特に『例のあの人』自らが襲撃するまでの理由が分かりません」

クィリナスは「襲撃」の文字の横に括弧書きで「何故?」と書き足した。

「疑問点は後で纏めて考えるとして、『忠誠の術』は使用されたと思う。ダンブルドア先生の提案を無下にする理由が無いわ」

「事実」欄に「『忠誠の術』使用」の文字が追加された。

「……『秘密の守り人』は、本当にブラックだったのでしょうかね?」

紙をジッと見詰めていたギルデロイが不意にポツリと零した。

「どうでしょうか……ポッター夫妻が襲撃された事と、事前にジェームズ・ポッターがブラックを使うと言っていた事を合わせると、ブラックが『秘密の守り人』で裏切り者であると思われますが……」

「でも、無二の親友だったのでしょう?そう簡単に裏切るものでしょうか?」

「私もそこが疑問なの」

私は顎に手を当てながら、考え考え話した。

「魂の双子とまで言い合っていた2人組が、卒業した途端仲違いするものなのかしらって。それに、ブラックが裏切る理由が無いわ。本当に闇の陣営に組していたならそれが理由でしょうけれど、とてもそんな人間には見えなかったもの」

イタズラにいじめにやりたい放題の男ではあったが、闇の陣営に組する様な、ましてや『例のあの人』を支持しているかの様な思想や振る舞いはついぞ見聞きした事は無い。ジェームズ・ポッターが闇の陣営にいたならまだしも、そうでないのだから、余計に分からない。

「では、こうしましょう」

そう言って、クィリナスは「推測」欄に「ブラックは『秘密の守り人』?」、その下に「ブラックがポッター夫妻を裏切った?」と書いた。

「ダンブルドア先生は味方の誰かが裏切っていると疑っていたらしいけれど、ポッター夫妻に近い人間といえば、ブラックもそうだけれど、マローダーズであるリーマスやぺティグリューもそうだった筈。当時はその2人はポッター夫妻と接触できなかったのかしら?」

「それは聞いてみないと分かりませんね。本人もいる事ですし、今度聞いてみましょう」

私の疑問にはギルデロイが答えた。確かに、本人に聞くのが1番手っ取り早いし確実だろう。

「リーマスは今体調が悪いから、聞き取りは彼が回復してからになるわね」

「ええ。その後の内容は……根拠がありませんね。二重スパイである事も、その役目に疲れて『例のあの人』への支持を大っぴらにしようとしていた事も、証拠がありません。当時、ブラックは裁判らしい裁判をせずにアズカバン送りになっていますから」

クィリナスはそう言いながら、「推測」欄に「ブラック、二重スパイ?」、「ブラック、『例のあの人』への支持を明らかにする計画だった?」と書き足した。

「ハグリッドの話の中では、ブラックに出会った事や空飛ぶオートバイを譲られたのは事実で、空飛ぶオートバイが不要になった理由は推測の域を出ませんね」

ギルデロイの話を頷きながら聞いて、クィリナスは「事実」欄と「推測」欄にそれぞれ記した。

「ファッジ大臣の話は、そうね、ブラックが『秘密の守り人』だとぺティグリューが知っていたかどうかは、本当のところは分からないわよね。ブラックと対峙した事、『よくもそんな事を』と発言した事、爆発が起きて罪の無いマグルが亡くなり、ローブと僅かな肉片が残された事は事実ね」

クィリナスは記しながら「爆発、ですか……」と思案深く呟いた。

「何が気になるんです?」

ギルデロイに促され、「そこまで重要な事では無いかもしれませんが……」と前置きした上で、クィリナスは喋り出した。

「爆発とは、火を伴う物と伴わない物があります。コンフリンゴとボンバータの違いの様な物ですね。今回、ファッジ大臣は『吹っ飛ばされた』と表現しました。という事は、火災は伴っていないという意味でしょう」

「所謂、衝撃波の類の爆発という事?」

「おそらく。であれば、人体に衝撃が放たれた際に、僅かな肉片だけが残る状況になるでしょうか?近距離で魔法が打たれた場合、欠片は小さくなるでしょうが、残されたそれが少なくなる事は無いと思ったのですが……」

尻すぼみになりながらも言い終えたクィリナスは、自信なさげにキョロキョロと視線を左右にさせた。

クィリナスの視点は新しく、私は目を開かれた心地がした。そして、その視点で考えればある1つの推察が成り立つ。

「……ぺティグリューは死んでいない可能性がある?」

「では何故死を偽装する必要が?」

「ブラックから逃れるため?」

「追った側であるぺティグリューが逃げる必要がありますか?」

「そうよね、少し持ち堪えれば魔法省が駆け付ける事は明らかだったもの」

「それなら、逃げなければならない理由があった、それも死を装ってまで、という事ですね?」

「死ぬ事でブラックから逃げられる以外にどんなメリットが?」

「……魔法省が来るのが都合が悪かった、とか?」

「追跡側にいて?」

私達の考察はここに来て暗礁に乗り上げた。ぺティグリューが逃亡する理由が分からない。ヒントが少な過ぎるのだ。

同じく、ブラックが裏切った理由も分からない。

私達は、時刻が遅い事もあって今夜は解散する事にした。リーマスから当時の詳しい状況を聞けたら進展するかもしれない。

おやすみの挨拶を交わし、私は夜の廊下を歩く。

セブルスの、ブラックへの憎しみに近い執着は学生時代のいじめに拠る物だとおもっていたけれど、あの男の裏切りがリリー・ポッターの死に繋がったのなら、あの憎悪の強さも分かる気がする。そこに安易に土足で踏み込んだのは、確かに良くなかったかもしれない。あの男を思い出す時、必ず彼女の死を思わずにはいられないだろうから。

「……まだ、私の話を聞いてくれるかしら……」

セブルスの視点も、今夜出た疑問を解決していくにはできれば取り入れたい。彼は独りで動いてしまいそうな予感もするし。

明日、勇気を出して話し掛けてみようか、と思いながら部屋に戻ってくると、実験室の扉の前に人影が立っている事に気付いた。

扉の影からヌッと出てきたのは黒衣で全身を包んだ男。

「──セブルス」

いつからそこにいたのだろう、こんな冬の寒い日に。こんな冷たい廊下で、独り。

思わず抱き締めたい衝動に駆られそうになるのをグッと堪え、「こんばんは、何か御用?」と何でもない風を装って問い掛けた。

セブルスは何度か口を開け閉めして、ようやく小さく呟いた。

「……君の」

「うん」

「クリスマスの予定は、まだ空いているか」

「!……ええ、ええ、もちろんよ」

勢い込んで頷くと、セブルスは小さく息を吐いた。そこに安堵の色が含まれていたのは、私の妄想でないと信じたい。

セブルスはキュッと口の端に力を込めてから絞り出す様に途切れ途切れに言った。

「……君がホグワーツに戻って来てから、クリスマスに側にいないのが、苦しいと気付いた。……まだ、その時間を私にくれるか」

──ああ、ああ!セブルスが、私の時間が欲しいと言ってくれるなんて!

歓喜の波がぶわりと私の心を覆って、嬉しさに目元が潤んだ。彼の方から歩み寄ってくれるなんて、思いもよらなかった。

セブルスの冷たい手をギュッと握ると、彼はビクリと一瞬大きく震えた。

「もちろんよ、セブルス。私も貴方といたいと思っていたの。貴方から誘ってくれるなんて、本当に嬉しいわ」

「そうか……」

セブルスの強張っていた目元が、ようやくほんのり緩んだ。

「──では、クリスマスの夜に。おやすみ、メイ」

「ええ、おやすみなさい、セブルス」

セブルスは握った私の手を1度強く握り返し、そっと名残惜しげに離れていった。

突如舞い込んだ望外の嬉しい予定に、私はすっかり舞い上がってしまって随分と夜更かししてしまったのだった。




氷雨「雹や霰の事。冷たい雨の事」

33話目です。

今回は情報の獲得と整理の回ですね。
セブルス以外と行動を共にする所も書きたかったのですが、少しでもそれぞれの関係性が匂わせられていれば幸いです。

次回はクリスマス休暇中の話となります。
これだけ字数かけてもまだクリスマスにも到達していない事に自分で驚きましたw

ゆっくりながらもお付き合いいただけると幸いです。
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