スキャバーズがクルックシャンクスに襲われたと聞いたのは、バレンタインデーの少し後の事だった。少量の血の跡とオレンジの毛がロンのベッドに残っていたらしい。ショックを受けたロンは激しくハーマイオニーを責め、ハリーも今度こそついにクルックシャンクスがスキャバーズを食べてしまったと考えている様だった。
3人がバラバラになってしまっても月日は進み、バックビークの裁判が徐々に近付いてきていた。ハリーとロンは図書館に姿を見せなくなり、ハーマイオニーは時折何とか時間を作ってクィリナスと過去の裁判記録を調べている様だが、やはり結果は芳しくない様だ。私もできる限り図書館やハグリッドの小屋に顔を出してはいるものの、細々とした用事や仕事、実験等で割ける時間は多くは無い。私はその事が申し訳なく、何よりスキャバーズを確保できなかった事に対して忸怩たる思いを抱いていた。何度もロンにスキャバーズの事を尋ねたり、できれば預かっても良いか聞こうと思っていたのだが、タイミング悪く様々な事が重なり、そんな機会が中々巡って来なかったのだ。
「裁判への対策に時間が割けない事を、貴女がそんなに気に病む必要はありませんよ」
クィリナスは優しい笑みを浮かべてそう気遣ってくれたが、やはり責任は感じるのだ。
それから数日後、ニクスへご飯を届けに行った時にちょうどクルックシャンクスの姿があった。私が来た事に気付いた彼はサッとその身を翻しかけたため、急いで「待って!」と呼び止めた。すると、クルックシャンクスはその声に何か感じ取ったのか、足を止めて振り返ってくれた。
「クルックシャンクス、賢い貴方がスキャバーズを食べる訳が無いわね?何か理由があるの?」
ジッとこちらを見つめたクルックシャンクスは、「にゃあ」と一声鳴いて去って行った。
それは直感による確信だった。クルックシャンクスは何か知っている。その何かのためにスキャバーズを追い回している。問題は彼が何を知っているのか分からないという事だ。
「わふん……」
「ニクス?」
途方に暮れていた時、ニクスが何とも言えない声で鳴いた。その場で足踏みした彼は私の顔と地面を何度も往復して見た後、「きゅうん……」と悲しげに鼻を鳴らした。
「何か言いたい事があるのかしら……ごめんなさいね、言葉が分かれば良いのだけれど」
ニクスの頭を撫でると、気にするなという風に彼はグイグイと私の手の平に頭を擦り付けてくれた。私はその気遣いに感謝しつつ更にニクスを撫でてやったのだった。
芳しくないと言えば、脱狼薬の改良も暗礁に乗り上げていた。やはりウルフスベーンが存在として大きく、それ抜きで作ろうとすると効能が発揮されない事が多かったのだ。味や臭いはマシにはなっているものの、薬としてはいただけない。脱狼薬の材料の中で1番高価なウルフスベーンの代替となる物が見つかれば、脱狼薬の材料費はグッと下がるのだが……。
「もう少し候補を広げてみるべきかしら……」
禁じられた森から遊びに来ていたアルバを撫でながら思わず呟くと、彼はキョトリと首を傾げた。
「ごめんね、何でもないのよ」
角の根元を搔いてやると、アルバは気持ち良さそうに目を細めた。
「おーい、ヴァレー先生、バックビークにも会ってやってくれますかい?」
小屋の裏にある畑から戻って来たハグリッドが声を掛けてくれたため、「もちろんよ」と返して私はアルバを森へ帰る様に促した。
「また今度ね、アルバ」
ブルリと首を振って、アルバは白い息を吐きながら森へと歩いて行った。私はその背を見送ってから身を翻し、待ってくれていたハグリッドの元へと近付いた。
「バックビークの様子はどう?」
歩き出したハグリッドに並んでそう聞くと、グスッと鼻を鳴らした彼は「餌はいつも通り食べてます」と枯れ気味の声で答えた。
「あいつは何にも知らねえんで……なんにも……」
ボロボロとハグリッドの目から涙が溢れ出た。コートのポケットから大きなタオルを取り出した彼は、凄い音を立てて鼻をかんで涙を拭いた。
「すみません、急に泣いちまって」
「いいのよ、気にしないで。ハグリッドが1番辛いものね」
「すみません、ありがとうございます……」
再度鼻をかんだハグリッドは、気持ちを切り替える様にハアッと大きく息を吐いて止めていた足をまた動かし始めた。
優しいハグリッドの事だ、きっとバックビークの前ではできるだけ泣かない様にしているのだろう。あの子が気にしてしまうから。
人間の都合で振り回されてしまう可哀想なバックビーク。翼があるのに自由に飛べないなんて、どれ程のストレスだろうか。
「バックビーク!」
小屋の脇にいたバックビークに呼び掛けてお辞儀をすると、少しの間首を傾げられたがすぐに思い出した様で、彼もお辞儀を返してくれた。そっと近付いて銀に輝く額部分を撫でてやると、気持ち良さそうにこちらに頭を押し付けて来た。
「ご飯はたくさん食べているようね。思ったより穏やかで良かったわ」
「ああ、たまにこっそり森に連れて行っとんで、あっ、いや、その……!」
口を滑らして慌てふためくハグリッドに「何も聞かなかった事にするわ」と苦笑すると、彼はあからさまにホッと胸を撫で下ろした。
運動はどんな生き物にも必要だもの。でも、正直過ぎる所はハグリッドの長所でもあるけれど短所でもあるわね。裁判でそこを突かれない事を祈るしか無いわ……。
「少しバックビークの所にいて良いかしら?」
「俺は小屋の中にいるんで、好きなだけこいつの側にいてやってください」
「ありがとう」
「ヴァレー先生がいてくれりゃあ、こいつも寂しくねえだろう……」
グズッと鼻を鳴らしたハグリッドは、大きな肩を揺らしながら小屋へと入って行った。
バックビークの首輪に繋がった杭の側に腰を下ろすと、真似する様に彼も私の隣に座り込んだ。どうやら食事を終えたばかりの様で、眠たいのか目を瞬かせている。
私はその様子に微笑んでもういちどバックビークの頭を撫でてやってから、ローブの内側から1通の封筒を取り出した。形を解かれたそれは、バレンタインデーにギルデロイから貰った手紙である。何だかんだ忙しくてゆっくり読む暇が見つけられずに今に至っているのだが、天気も良いし時間もできたからと外で読もうかと持って来たのだった。
温かな日差しが降り注ぐ中で開いた手紙は、昨年度末の出来事への謝罪から始まっていた。それからギルデロイの処遇についての私の提案に対する感謝へと続き、この手紙を書くに当たってマグルの街をクィリナスに案内してもらって買ったボールペンへの賛辞が書かれていた。彼らしい言葉の羅列に微笑ましさが溢れて、少し笑い声が漏れてしまった。その音に反応したのか、バックビークが前足に乗せていた頭をもたげたため、
「起こしてしまったかしら、ごめんね」
と言いながら首を掻いてやると、満足したのかまたその頭を元の位置に戻して目を閉じた。
手紙の末尾は、再度私への感謝と幸せを祈ってくれる言葉で結ばれていた。昨年度のギルデロイとは全く違うイメージを抱かせる内容に、余程の天変地異が起きたのかと思う程。ホグワーツに戻って来る前に何があったのか、その内に聞いてみてもいいかもしれない。
少しだけ暖かな風が吹き抜けて、春の先触れを私に知らせた。
3月になって、ファイアボルトがハリーに返還された。もちろん元の姿のままで。
グリフィンドールのクディッチチームは大喜びで、特にオリバーが授業中も時折注意しなければならない程に浮き足立っていた。卒業が見えてきた今、何がなんでも優勝杯を勝ち取りたいのだろう。それはスリザリンのチームリーダーであるマーカスも同じで、どちらのチームも日が落ちるまで練習している事が多かった。
そして、ファイアボルト返還に舞い上がっていたのはチームメンバーだけではない。ロンもその1人で、ファイアボルトを目の前にするといなくなったスキャバーズの事から意識が逸れる様で、ハリーはそんな時にハーマイオニーとの仲直りを促している様だが両者ともに意固地になってしまっており、上手くはいっていない様だった。
そんなある夜の事だった。蝋燭の明かりが灯る廊下でハリーと擦れ違った。消灯時間前ではあるものの、もう遅い時間だ。どうしたのだろう、補習だろうか?
「こんばんは、ハリー」
「あ、ヴァレー先生、こんばんは」
少年の頬には少し疲労の影が落ちている。クディッチの練習疲れかもしれない。
「グリフィンドールまで送っていくわ、行きましょう」
「昨年とは違うんですけど……」
「あら、ホグワーツ内とはいえ、遅い時間に子供を出歩かせる訳にはいかないわ」
苦笑するハリーに笑ってそう返すと、彼は私が諦める事は無いと悟ったのか同じ表情のまま歩みを再開した。
「先生は見回りですか?」
「その様な物よ。ハリーは補習だったのかしら?クディッチの練習?」
「いえ、その……ルーピン先生に特別に授業をしてもらってるんです」
「そうなの?」
初耳である。闇の魔術に対する防衛術の成績が悪いとは聞いた事はないのだが、何か問題があったのだろうか?
「授業で苦手な魔法があったの?」
「そうじゃないんですけど、あの、僕、前に試合中に吸魂鬼のせいで倒れてしまったので追い払える様になりたくて」
「そういう事だったのね」
吸魂鬼に唯一有効な魔法は守護霊の呪文だ。しかしあの魔法は3年生が扱うにはかなり難易度が高かった筈。成人した魔法使いでも白い靄を出す事すら難しいくらいなのだ。
「上手くいっているかしら?」
「まあ、はい」
ハリーは頷きはしたものの、その表情は浮かない。リーマスからは評価されているけれど本人としては納得していない、といった所だろう。
ファイアボルトの素晴らしさを熱く解説してくれるハリーの話を聞いていると、グリフィンドールの前まで到着した。カドガン卿の絵が退いた後の穴を潜っていくハリーの背中に「無理はしないようにね」と声を掛けると、彼は向こう側に渡ってから「はい」と箒について語る時よりも幼い照れ笑いを見せてくれた。
「おやすみなさい、ハリー」
「おやすみなさい、ヴァレー先生」
ハリーも守護霊の呪文を練習しているのなら私も頑張らなくちゃ。
気合いを入れ直して、私は守護霊の呪文の練習をするべく私室へと戻ったのだった。
初春という季節は、薬草学にとっても魔法生物飼育学にとっても慌ただしくなってくる時期だ。植物達は春の芽吹きや花の準備をし始めるし、動物達は恋の季節の到来を前にソワソワし出すから、普段より気を付けて観察してやらねばならないのだ。
イースター休暇、そしてその先の試験期間に向けて準備を進めていく中で、そうこうしている内にグリフィンドールとレイブンクローのクディッチ試合の日がやってきた。ファイアボルトの初陣という事でグリフィンドール側の気合いの入り様は凄まじく、ハリーだけでなくファイアボルトの護衛までしている始末だった。私も試合観戦に誘われたが、用事を片付けていると開始には間に合いそうにない。次々と声を掛けてくれるグリフィンドール生に「途中からになるけれど見に行くわ」と何度返したか知れない。
「大層人気者ですな」
「あら、セブルス」
裏地の赤いローブを翻して競技場へ向かった生徒を見送っていると、背後から低い声が掛かった。振り返ると、眉間に皺を寄せたセブルスがそこに立っていた。
「貴方も競技場へ?」
「何故我輩が」
言外に「行く訳がない」と言い切った男は、「君は行くのか」と続けた。
「熱烈なお誘いを受けたもの、途中からになってしまうけれど行くつもりだわ」
セブルスは気に食わない、という風にフン、と鼻を鳴らした。彼だってハリーが気に掛かっている筈だけれど、試合を見に行かなくて良いのだろうか。
「セブルスこそ、行かなくて良いの?」
ジロリとこちらを見た目が「何故」と語っていたため、私は言葉を続けた。
「前回の試合で、吸魂鬼のせいであんな事になったでしょう?また同じ事が起こらないとも限らないわ」
その場合は、今度こそダンブルドア先生が吸魂鬼をホグワーツの敷地から締め出すでしょうけれど。前回、勝手に約束を破って競技場まで侵入した吸魂鬼に対して、それくらいの怒り具合だったから。
セブルスの立場も考えてかなりぼかした言い方になったけれど、彼には無事伝わった様で眉間の皺が増えて口の端をグッと引き結んだ。
そしてそのまま黙って歩き出したセブルスに付いて隣を歩き始めると、しばらくしてから「……君がいるなら」とボソリと男は呟いた。
「我輩がいかなくとも良いだろう」
「セブルス」
私は足を止めて「そういう事ではないでしょう」と視線を合わせて強い口調で言わなければならなかった。
「貴方は、貴方自身で成し遂げたいのでしょう?それを私が担ってどうするの。私ができるのはお手伝いまでなのよ」
黒い瞳の底が揺れた。そんな事、彼自身きちんと分かっている。しかし、心に蟠るハリーへの、そしてジェームズ・ポッターへの屈託──ほとんど憎悪といって差し支えないそれ──はいつまでも無くなる事は無い。だから葛藤しているのだろう。セブルスは1度大きく息を吐いて、
「考えておく」
と言い置いて地下牢教室の方向へと去って行ってしまった。
温室を見て回り、飼育小屋の様子を観察してから競技場に向かうと、もうすっかり観衆は盛り上がっていた。リーは魔法のマイクを握り締めてファイアボルトの素晴らしさを熱弁してミネルバに叱られていたし、グリフィンドールの応援団もレイブンクローの応援団も白熱の試合に熱狂していた。
私が何とか教員席の端に辿り着いた時、空中では危うくハリーとチョウが衝突しそうになっていた。咄嗟に避けたハリーに、
「ハリー、紳士面してる場合じゃないぞ!相手を箒から叩き落とせ!やるときゃやるんだ!」
とオリバーが吼えた。中々過激である。
私が苦笑している間にも、ハリーはファイアボルトの先を上に向けてたちまち6メートル程上空まで急上昇した。チョウもそれを追う。どうやらスニッチを独自に探すよりもハリーを追う作戦の様だ。ハリーが少し前に熱く語ってくれたファイアボルトの性能を思うと、余程自分の腕に自信があるのだろう。チョウが優れたシーカーである事は事実だが。
ハリーが急降下すると、当然の様にチョウもその後を追う。しかし、突然ハリーが急上昇に転じたものだから、彼女は対応しきれずにそのまま急降下してしまった。ハリーはその間に弾丸の様に上昇して、周囲を軽く見渡した後、ハッとした顔になって低い姿勢を取って加速した。スニッチを見つけたのだ。下方では、ハリーの動きで彼がスニッチを発見した事に気付いたのだろう、チョウも同じ方向を目掛けてスピードを上げた。刻一刻と変わる前後に固唾を飲んで見守っていると、不意にチョウが「あっ!」とある1点を指差した。バッと顔を向けるとそこにいたのは。
「──まさか!?」
頭巾を被った3つの背の高い黒い影。
──吸魂鬼!?またなの!?
思わずハリーの方を振り向いたのと、その叫びが響き渡ったのはほぼ同時だった。
「エクスペクト・パトローナム!守護霊よ来たれ!」
ハリーの杖先から吹き出した白銀の靄はあっという間に牡鹿の姿を取って、吸魂鬼に突進して行った。ハリーはその先を見る事無く金に羽ばたくスニッチをまっすぐ見据え、そして、──取った!
マダム・フーチのホイッスルが鳴った。グリフィンドールのチームメンバーが空中でハリーの元へ飛んで行くのを横目に見つつ、私は吸魂鬼のいた場所まで急行した。
果たして、そこにいたのは吸魂鬼ではなかった。以前ハーマイオニーに非常に差別的な発言をしたアンドリューを始めとする数人のスリザリン生が、吸魂鬼の真似をしてハリーを妨害しようとしたのである。これにはミネルバがカンカンに怒り、スリザリンから50点減点した上で罰則を言い渡していた。後からセブルスからさえも「愚かな行為だ」と評価されていたのだから、余程の出来事だった。
一方グリフィンドール側はお祭り騒ぎで──後はスリザリンに勝てば優勝杯を勝ち取れるからだ──、その勢いのまま寮へと雪崩込んでいった。あの状態では夜中まで大騒ぎだろう。その内に折を見てミネルバが全員をベッドへ入らせるだろうけれど。
「あ、ヴァレー先生!見てたんですね!」
賑やかな観客達が去って行くのを見送っていると、不意に明るく声を掛けられた。パッと振り向くと、セドリックがニコニコとこちらに近付いてくる所だった。
「こんにちは、セドリック。ええ、途中からだけれどね」
「途中から?それはもったいなかったですね!最初から熱い試合でしたよ!チョウもさすがの動きだったんですが、ファイアボルトを持ったハリーはやっぱり強かったですね。僕も今のハリーと試合がしたいです」
「あ、もちろんハリーの実力があるのは分かっていますよ!」と慌てて付け加えたセドリックだったが、その目はキラキラと輝き、顔は満面の笑みを浮かべている。余程この試合が楽しかったのだろう。
ちょうど観客が疎らになってきた所だったため、「私はもう行くけれど、セドリックは城に戻らないの?」と聞くと、彼は年頃らしくサッと頬に朱を登らせた。
「実は……」
セドリックにしては珍しく小声でモゴモゴと呟くので、何とかその音を拾うと「チョウを待っている」という内容だった。
「あら、もしかして?」
イタズラっぽくニヤリと笑って見せるとセドリックは更に赤くなってしまった。どうやら動物達だけでなくこちらでも恋の季節の様だ。オーロラやポモーナの気持ちが良く分かる。人の恋路を見守る事は本当に微笑ましく、面白い。
「そういう事なら、私はさっさといなくなった方が良いわね」
「いえ、あの、先生が邪魔って訳じゃなくて……!」
「分かっているわ」
慌てて弁解するセドリックにクスクス笑って、「それじゃあね」と手を振って私は一足先に城へと戻った。
事件が起きたのは、その日の真夜中だった。
突如として呼び出しを受けた職員室で私が知らされたのは、シリウス・ブラックの2度目のホグワーツ侵入の報だった。しかも今回は、グリフィンドール寮の中まで入り込んでロンのベッドを覗き込んでいたらしい。
衝撃だった。ダンブルドア先生がいるホグワーツ城に2度も侵入を果たすなんて。ロンが無事で本当に安心した。
そしてそのショックが引いてくると同時に湧き上がってきたのは数多の疑問だった。
何故グリフィンドール寮に侵入したのか?
どうやって侵入したのか?
何故ロンのベッドを覗き込んでいたのか?
何故何もせずに逃げ去ったのか?
しかしそれらの答えを考えるのは今ではない。
すぐに城中を教員全員──塔に引き篭っているシビルと森番のハグリッドを除く全員──で隅から隅まで捜索したが、明け方近くになってもシリウス・ブラックを発見する事はできなかった。
今後の対策を急いで話し合った後、寮監の先生方が自寮の生徒へその事を知らせている間にクィリナスがダンブルドア先生に許可を得た上でトロールを雇う手配をした。フリットウィック先生は城中に貼るシリウス・ブラックの顔写真が載った大きな手配書を何枚も作って、朝になってからホグワーツの入口のドアというドアにそれを貼り付けていった。私は、元グリフィンドール生で人当たりの良いリーマスと共に太った婦人の説得に当たった。カドガン卿はクビになるため、何とか彼女にグリフィンドール寮の門番として戻ってもらうためだ。
「絶対に嫌!」
金切り声で拒否する婦人に、リーマスが困った様に苦笑した。実際心底困っているのだが。
「婦人、貴女が頼りなんです。貴女程グリフィンドール寮の門番を務められる絵画はないんですよ」
「それでも嫌ったら嫌なの!貴方達はあの鉤爪を知らないからそんな事を言えるのよ。ああ、恐ろしい……」
ブルリと震える仕草をして見せた婦人の顔は引き攣ったままだ。余程の恐怖だった様で、彼女は断固拒否の姿勢を崩さない。私はリーマスに目配せして1歩前に出ると「婦人」とできる限り優しく呼び掛けた。
「貴女が経験した恐怖は計り知れない程です。けれど、門番として最もふさわしいのが貴女である事もまた事実」
「私だって長年グリフィンドール寮の前にいた誇りはあるわ。けど、私の絵が……あんな風に引き裂かれて……」
「そこで提案があるのですが」
「……何かしら?」
懐疑的な目でこちらを見遣る婦人へ優しく微笑んで、私は1つの提案を口にした。先程教員で話し合って決めた対策の内容だ。
「護衛をつけます、それも屈強な。その護衛が貴女を守ります。貴女の絵が2度と傷付けられない様に、私達も可能な限りの事をします。だから、門番を引き受けていただけませんか?」
太った婦人は私からの提案についてじっくり考えている様だった。彼女自身、ずっとグリフィンドール寮の門番だったという矜恃があるし、子供達を見守る事を使命としている筈だ。だからこそ葛藤しているのだろう事も容易に想像できる。
リーマスと私は、辛抱強く太った婦人の結論を待った。流石に足が冷えてきた頃、彼女はようやく重々しく頷いた。
こうして、太った婦人は元いた場所に帰ったのだった。「護衛がトロールなんて聞いてない」とは少し恨みがましく言われてしまったが、そこは我慢してもらいたい所だ。
合言葉を書いたメモを落としてシリウス・ブラックに拾われてしまったネビルは、ミネルバからこってり絞られ、罰則を与えられ、今後一切ホグズミードへ行く事を禁じられた。それだけではなく、彼女はネビルには合言葉を教えてはならないとグリフィンドール生全員に言い渡した。お陰で可哀想な少年は毎晩誰かが入れてくれるまで談話室の前で待つ羽目になり、その間、警備のトロールがジロジロと胡散臭そうにネビルを横目で見ている事となった。同情はするが、メモを落とした結果を考えると妥当な罰ではあった。
シリウス・ブラック侵入の次の日、温室に行くと泣きそうな顔でネビルが植物の世話をしていた。昨年度献身的に温室に通って薬草学の成績を上げた彼は見事ポモーナの信頼を勝ち取っており、動いたり喋ったりしない薬草の一部の世話をしても良いという許可を得てそれらが置いてある温室のスペアの鍵を預かっていた。
「あっ、ヴァレー先生……」
こちらに気付いたネビルが慌てて涙を拭った。私はそれにあえて触れずに「薬草達の調子はどう?」と明るく聞いた。
「えっと、あの、問題無い、と思います。少し暖かくなってきたので、冬より元気そうに見えます」
ネビルの側に寄って彼の手元を覗き込んで見ると確かにその通りで、鉢によっては新芽が少し覗いている物もあった。生育状況は良好な様だ。
「丁寧にお世話してくれているのね、ありがとう」
「そんな……お礼なんて……」
ネビルは恐縮しきった様に肩を縮こませた。どうも彼は物事をネガティブに捉えてしまう癖があって、そこが彼の謙虚さに繋がる所でもあるのだが、後ろ向き過ぎるのはいただけない。昨日の今日だから落ち込むのも仕方がないけれど。
「この温室の半分程の薬草はネビルのお陰で元気な状態を保っているわ。外の畑のお世話もスプラウト先生を手伝ってくれているでしょう?スプラウト先生と私だけの時よりも随分助かっているのよ。だからありがとう」
ネビルは真っ赤になって黙り込んでしまった。心底照れてしまった様で、服の端を摘んでいじっている。
「ネビル」
「は、はいっ」
呼び掛けると、少年は慌てて赤いままの顔を上げた。
「この後時間はあるかしら?良かったら他の薬草の世話を一緒にする?」
後悔と反省の気持ちに苛まれているネビルの気分転換になるかとそう提案してみると、少年はびっくりして目を瞬かせた。
「い、いいんですかっ?」
「ええ、もちろん」
「やります!」
先程の沈んだ表情から一転、ネビルは目を輝かせた。私はニッコリ笑って彼を連れて3号温室へと向かった。
ネビルの失態から2日後、朝食の時間中にふくろうから手紙を受け取ったネビルが大慌てで広間から走り出ていった。その後すぐに広間の扉の向こうで、ロングボトム夫人の物と思われる声が大音声で「何たる恥晒し。一族の恥」とガミガミ怒鳴っているのが教員席まで届いた。厳格と良く聞く夫人の事だ、ネビルが仕出かしてしまった事を聞いてすぐに吼えメールを出したのだろう。声を聞いただけの印象だが、中々に矍鑠としてパワフルな女性の様だ。
その週の金曜日には、ハグリッドとバックビークと共に夜の騎士バスに乗ってロンドンへと出発した。できうる限りの裁判記録を集め、ハグリッドが緊張しても読み上げられる様に簡素に纏め、既に不安と緊張でガチガチな森番へと託した。ハーマイオニーもクィリナスも少ない時間を駆使して皆で作り上げた対策メモだから、何とかバックビークが無事にホグワーツに戻って来る事を祈るしかない。
「ヴァレー先生、クィレル先生も、ほんとにありがとうございました」
夜の騎士バスまで見送りに来た私達に、ハグリッドは涙ぐんで感謝を述べた。その二の腕をポンポンと私は笑顔で叩いた。
「何言っているの、ハグリッド。これからが本番よ。頑張って」
「委員会に何を聞かれても、深呼吸して、メモの通り読めば大丈夫ですよ」
私とクィリナスの言葉に、ハグリッドは何度も何度も頷いた。
「いってらっしゃい、バックビーク。ハグリッドの言う事を良く聞くのよ」
バックビークの首元を撫でながらそう言うと、彼はパチリと瞬きして軽くひと鳴きした。
ハグリッドとバックビークを乗せた夜の騎士バスは、爆音を残してロンドンへ向けて出発して行った。
「……大丈夫かしら……?」
「こればかりは信じるしかありませんね」
思わず呟いた私に、クィリナスはちょっぴり眉を下げてそう返した。
「それもそうね。何とかハグリッドがメモを読める様に祈っておかなくちゃ」
「そうしましょう」
小さく笑い合って、クィリナスと私はホグワーツへと引き返した。
ハグリッドから裁判に敗訴したと涙に濡れた手紙が届いたのは、その数日後の事だった。
菜種梅雨「3月から4月の菜の花が咲く頃の、しとしとと降る雨」
38話目です。
前話に引き続き日常がメインの話となります。ストーリーを進めていくのとオリジナル展開を入れるのとのバランスを毎回悩むのですが、他の夢書きの皆さんはどうやってバランスを決めてるんでしょうかね……。
最近の話ではセブルスに対して厳しい事は言ってなかったのですが、今回一瞬及び腰になった彼に一喝入れさせてもらってます。甘えが負の方向に行かないように、という事ですね。そしてあの吸魂鬼モドキ騒動を評価したということはそういうことですw
スリザリン生は自寮の他の生徒の失態を進んで寮監に告げ口することは無いでしょうし。
そういえば、ギルデロイやクィリナス達の出番が増える度に彼らの番外編がちょっと書いてみたくなってきますね。番外編シリーズはその内作るつもりだったけど、どうしましょうかね……。