ホグズミード休暇でもあった週末は、ホグズミードへ行く生徒達で城内はとても賑やかだった。そんな彼らが出発してしまうと、1、2年生中心に人が残っているとはいえ、やはりホグワーツの中はちょっぴり静かになる。
そんな人通りの無い廊下を、私はクィリナスとギルデロイと共に闇の魔術に対する防衛術の教室に向けて歩いていた。バックビークの裁判の準備や各々の仕事が重なって実施できていなかったリーマスへの聞き取りをするためだ。
軽く扉をノックすると、リーマスはすぐに顔を出して驚いた顔をした。
「やあ、3人揃ってどうしたんだい?」
「少し聞きたい事があって。時間はあるかしら?」
「ああ、もちろん。お茶を入れよう」
「ありがとう」
室内に招き入れられた私達は、リーマスが淹れてくれたちょっぴり薄めの紅茶を1口飲んだ。
「ティーバッグですまないね。美味しく淹れられる自信が無くて」
紅茶の薄さに自覚があるのか、リーマスは苦笑して謝った。それへ「気にしないわ」と返した私に、彼は改めて
「それで、今日は何の用なんだい?」
と聞いてきた。
「教えて欲しい事があるのよ。嫌なら無理に答えなくて良いわ」
私の言葉に、リーマスはおしゃべりに来たのではないとすぐに理解して姿勢を正した。
「貴方達4人組の話よ。ハリーが産まれる前のね。単刀直入に聞くわ──シリウス・ブラックは『秘密の守り人』だったの?」
「どこでそれを……」
リーマスは絶句して、目元を引き攣らせた。
「おしゃべり好きな大臣にちょっぴりね」
リーマスは大きな溜息を吐いた。
「やれやれ……もうかなりの人が知ってそうだね」
「そうね」
「少なくとも私達2人は知っていますからね」
ギルデロイが軽やかに口を挟むと、リーマスは「確かにそうだ」と苦笑した。
「それで、どうなのかしら?」
「少なくとも私はあいつが『秘密の守り人』になると聞いていた……本人とジェームズからね。こんな事になるなら私が引き受けておけば良かった……」
リーマスは口惜しそうに怒り混じりに顔を顰めた。
「シリウス・ブラックが『秘密の守り人』となった後もポッター夫妻とは会えていたのかしら?」
「おそらくそうだね。忠誠の術が使われる以前からジェームズ達が住んでいた場所は知っていたから。もちろん頻繁にとはいかないが」
ボールペンとメモ帳を出したクィリナスが、素早くリーマスの話した内容を書き記した。どうやらクィリナスは書記に徹するつもりの様だ。
「ポッター夫妻の様子に変わりは?忠誠の術が使われたかどうかは分かりました?」
これはギルデロイの問いだ。リーマスは当時を思い出すために少し口を閉ざし、悲哀を瞳に映しながらに首を横に振った。
「特に変わりはなかった、と思う。忠誠の術を使っても、元から秘密を知っている人間に何か通知や予兆がある訳ではないからね」
「それはそうね。なら、シリウス・ブラックからは何か聞いたかしら?」
リーマスの眉がグッと寄った。先程まで悲しげだった目元は、今は少し吊り上がっている。
「……忠誠の術や『秘密の守り人』については、何も」
「他の事柄については?」
「いや何も……いや、少し待ってくれ」
リーマスが目を閉じて記憶を掘り返すためにしばしの沈黙を作った。少しの間の後、「確か」と呟いた彼はボソボソと続けた。
「自信はないが、確か……良い事を考えた、とびきりのアイディアだ、というような事を話していたような気がする。裏がかける、というような……」
「本当?」
その発言が忠誠の術や「秘密の守り人」についての事なら、もしかすると本当にシリウス・ブラックが「秘密の守り人」でない可能性もある。ポッター夫妻の「秘密の守り人」となるにはあまりに皆が納得する人選だから。
「すまない……なにぶんかなり前の事だから確証は無いんだ」
申し訳なさそうに謝るリーマスに、私は首を横に振った。
「仕方がないわ。でもその話を思い出してくれただけでも収穫よ」
リーマスは紅茶のお代わりを淹れながら「少しでも助けになれたのなら良かったよ」と微笑んだ。
「当時の事を調べているのかい?」
「ええ。と言ってもクィリナスとギルデロイと3人で、だけれどね」
「私で良ければ何か手伝いを──」
ティーポットを持ってリーマスがこちらに近付いて来た時、彼の私室から聞き覚えのある怒鳴り声が響き渡った。
「ルーピン!話がある!」
「やれやれ、一体何事なのやら」
リーマスが苦笑しながら肩を竦めた。私達3人はカップに残った紅茶を飲み干して立ち上がった。
「私達はこれでお暇するとしましょう。セブルスはなかなかに虫の居所が悪そうだ」
ギルデロイが軽やかに笑ってそう言う横で、クィリナスは苦笑して頷いた。
「私は貴方にお供して良いかしら、リーマス?」
何が起きたのか気になった私が同行を申し出ると、リーマスは軽く頷いた。
「ああ、もちろん。断る理由も無い」
リーマスはティーポットとカップを消し去り、足早に彼の私室へ向かった。
「それじゃあ、また夕食で」
クィリナスとギルデロイに手を振ってから、私もその後を追った。
リーマスの部屋の暖炉から彼と共に煙突飛行粉を使ってセブルスの私室と教室の間にある研究室へ降り立つと、先程の声の持ち主が怒鳴り声そのままの顔で立っていた。
「セブルス、呼んだかい?」
「……いかにも」
リーマスの穏やかな問い掛けに、セブルスは私の方をチラリと見た後に机の方に向かいながらそう答えた。
「今しがた、ポッターにポケットの中身を出すように言った所、こんな物を持っていた」
セブルスが机の上にあった羊皮紙を指差した。そこにはムーニー、ワームテール、パッドフット、ブロングズの言葉が光りながら浮き上がっていた。それを見たリーマスは何とも言えない、どこか痛いような喜んでいる様な表情を浮かべて立ち尽くしてしまった。
私はそんな彼の横に並んでしげしげと文字の他は白紙の羊皮紙を覗き込んだ。
「なになに……『私、Mr.ムーニーからスネイプ教授にご挨拶申し上げる。他人事に対する異常なお節介はお控えくださるよう、切にお願い致す次第』……『私、Mr.ブロングズもMr.ムーニーに同意し、更に、申し上げる。スネイプ教授はろくでもない、嫌な奴だ』……『私、Mr.パッドフットは、かくも愚かしき者が教授となれた事に、驚きの意を記すものである』……『私、Mr.ワームテールがスネイプ教授にお別れを申し上げ、その薄汚いドロドロ頭を洗うようご忠告申し上げる』……」
私が静かに読み上げる声が室内の隅々まで届いて、そうして消えた。
何とも直截な悪口だ。ユーモアがあるとはとても評価できない。そもそもこれはセブルスあてなのだろうか?誰が相手でも同じ様な悪口を浮かび上がらせるのだろうか?
今更セブルスへの悪口に烈火の如く怒れる様な瞬発力は無いけれど、恋人への悪口に良い気分はしない。というか、不愉快だ。ハリーがいるからあまり顔に出さない様に努めたけれど。
「アー……悪趣味なコメント達ね……」
自分でも苦虫を噛み潰した様な表情になっている事が分かる。
セブルスはフン、と怒り混じりに鼻息を吐き出し、「それで?」とリーマスへと水を向けた。しかしリーマスは羊皮紙を見詰めて硬直したままだ。
「それで?」
余りの反応の無さに焦れたセブルスが先程より強い口調で再び促した。
「この羊皮紙にはまさに『闇の魔術』が詰め込まれている。ルーピン、君の専門分野だと拝察するが。ポッターがどこでこんな物を手に入れたかと思うかね?」
慇懃に尋ねたセブルスへ、リーマスは一瞬ハリーに目配せした後にあえて静かに尋ね返した。
「『闇の魔術』が詰まっている?」
リーマスは僅かに目元を緩めてさえ見せた。どこか余裕がありそうな彼の様子に、この羊皮紙について何か知っているのかと勘繰ってしまう。かつての友そっくりのハリーを庇いたいだけかもしれないが。
「セブルス、本当にそう思うのかい?私が見る所、無理に読もうとする者を侮辱するだけの羊皮紙に過ぎない様に見えるが。子供騙しだが、決して危険じゃないだろう?ハリーは悪戯専門店で手に入れたのだと思うよ──」
「そうかね?」
怒りに頬を強ばらせたセブルスは、食い気味に言葉を返した。
「悪戯専門店でこんな物をポッターに売ると、そう言うのか?むしろ、直接に製作者から入手した可能性が高いとは思わんのか?」
強い語気でそう言ったセブルスへ、リーマスは困った様に肩を竦めた。
「Mr.ワームテールとか、この連中の誰かからという意味か?ハリー、この中に誰か知っている人はいるかい?」
リーマスがハリーの方へ振り向いた。急に質問された少年は急いで首を横に振った。
「いいえ」
「では、聞いた事のある名前はあるかしら?」
私が口を挟むと、ハリーは驚いて肩を揺らしたが慌てて再度「い、いいえっ」と否定した。
「セブルス、聞いただろう?」
リーマスは限界まで眉を寄せたセブルスの方を振り返った。
「私にはゾンコの商品の様に見えるがね」
そうリーマスが言い終わったのと同時、赤毛が部屋に飛び込んで来た。ロンだ。彼は息せき切って走って来たかと思うとセブルスの机の前で止まり、肩で息をして胸を押さえながら途切れ途切れに喋った。
「それ……っ、僕が──ハリーに……あげたんです……っ」
ロンは噎せ込んだが、何とかそれを落ち着かせて続けた。
「ゾンコで──随分前に……それを、買いました──」
「ほら!」
リーマスは手をポンと叩き、ニコニコとした笑顔で周りを見回した。
「どうやらこれでハッキリした!セブルス、これは私が預かろう。いいね?」
リーマスはセブルスにも私にも口を挟む隙を与えず、サッと羊皮紙を丸めてローブの中に仕舞い込んだ。
「ハリー、ロン、おいで。吸血鬼のレポートについて話があるんだ。セブルス、メリル、失礼するよ」
笑顔でそう言い残して、リーマスはハリーとロンを促してさっさと研究室を出て行った。
室内には重い沈黙が降りた。明らかにセブルスの機嫌は最悪だし、今日はバックビークの裁判の日だからその結果も気になる。
「セブルス」
もうとっくに閉まった扉を凝視し続ける背中に呼び掛けると、凄まじく端の吊り上がった流し目を寄越された。
「私もそろそろ行くわね」
そう言って立ち尽くすセブルスの横を通り過ぎようとしたのだが、パシリと手首を取られてそれは叶わなかった。
「セブルス?何か用事が?」
振り返ってセブルスの方を向いたが、彼はただひたすらに扉に視線を固定したまま。
「……何故」
「え?」
「何故、奴といた」
低く床を這う様な声音とこちらを向いた瞳の昏さに、私は思わず気圧されてしまった。答えられない私に何を思ったか、私の手首を掴むセブルスの指の力が痛いくらい強まる。
「答えられないのかね?」
グイッと引っ張られ、至近距離にセブルスの顔が近付いた。その黒の瞳の奥のギラギラとした激情の光が、迫ってくる。
「恋人が他の男と共に暖炉から出てきた時の我輩の気持ちを慮っていただきたいものですな。それに、ぜひとも奴と共にいたという事実を我輩に見せ付けた理由をご教授願いたいものだ。そうだろう、メリル?」
「リーマスと一緒にいたのは偶然だし、2人きりだった訳ではないわ。クィリナスとギルデロイも一緒だったもの。それに見せ付けた訳ではないわ。リーマスに話を聞いていた時に貴方が彼を凄い剣幕で呼び出したものだから、何かあったのかと思って付いてきたのよ」
「言い訳は結構」
「セブルス……っ、んんっ!」
急に唇を塞がれ、驚いて後退りかけた腰にセブルスの腕が回された。そのまま固定されて私が身動ぎしかできない間に、口内に侵入したセブルスの舌は思う様に動き回った。それは正しく蹂躙だった。普段の丁寧さや優しさが感じられないキスに、私はすぐに音を上げた。
「んん、ふ、ん……っ、は、セブ、んっ……」
息が上手く吸えなくて、情けない声が口の端から漏れていく。何とか止まって欲しくて名前を呼びたくても、離した唇はすぐに塞がれてしまう。何度セブルスの胸を叩いても無視されて、段々と頭がぼんやりとしてきてしまった。荒々しくも性急なキスのせいで膝に力が入らなくなってきて、心ならずもセブルスに寄りかかる形になってしまう。
「……君は中々私を煽るのがお上手な様だ」
「え……!?あ、セブルス……!?」
唇が触れ合う距離までようやく離されたと思ったら、ボソリと呟いたセブルスは昏い目をしたまま私を先程まで羊皮紙が置かれていた机に押し倒した。そんな状況でないというのに、心臓が跳ねる。顔が熱くなるのが良く分かる。
そんな私を意地悪く引き攣る様に笑って見下ろし、セブルスは遠慮なく私に覆いかぶさってキスを再開した。
先程よりも激しい舌の動きに私はついて行くのが精一杯で、嵐の中の木の葉の様に翻弄されるしかない。いつもはこちらを気遣ってくれるのに、それが無いから余計だ。
何で、と待って、が頭の中をグルグルと回る。セブルスのこんな行動のきっかけは恐らくリーマスの存在だけれど、それ以上を考える余裕も思考力もどんどんと磨り減っていく。
そうして、セブルスの手はいつの間にか私の腰にかかっていて、サシェがぶら下がっているウェストポーチの留め具を躊躇う事なくパチリと外した。腰周りの少しの開放感にハッと我に返った私は、慌てて手の平に魔力を集中させて氷の粒をいくつも作り出してからそれらを彼の頭の上から降りかけた。
「っ!?何をする……!」
「私のセリフよセブルス……!」
ガバッと上半身を持ち上げたセブルスを、私は肩で息をしながら睨み付けた。ついでに口の端から零れていた唾液を袖で拭うと、彼は不満そうな顔から一転、ハッとした表情になって身体ごと大きく後退った。
私は外されたウェストポーチを付け直し、立ち上がりながら乱れた髪を直してパタパタと服を軽くはたいて皺を伸ばした。
その間も、セブルスは半ば呆然とその場に立ち尽くしていた。それから震える手でゆっくりと目元を覆い隠すと、消え入りそうな声で
「…………すまない」
と呟いた。
その力無い謝罪に、先程まで感じていた怒りや困惑や悲しみや色んな感情がストンと抜け落ちてしまって、思わず私は脱力した。
──ああ、かわいそうなひと。
優しくしたいと、大事にしたいと言ってくれた事も本当。今まさに衝動的に私を乱暴に扱おうとした事も、また。そしてそれを心の底から悔いているのも、彼の真実であるのだ。
にわかに憐憫の情が私の心の中に湧いた。けれど、これからもずっと互いに側にいるために、言うべき事は言わねばならない。それが過去から脱却するために私が私に誓った事の1つだった。
「セブルス」
静かに呼びかけると、黒衣の肩がビクリと揺れた。それからゆっくりと隠していた目元を露わにしたセブルスは、常よりもなお青白い顔をしていた。
その揺らぐ黒の瞳を覗き込みながら、私はもう1度彼の名前を呼んだ。
「セブルス」
「…………何だ」
「責める様な事はしないわ。貴方はもう既に悔い始めているから。でも、今日はこれから私はあえて貴方を1人にするわ」
「……それは」
「セブルス、怒る事はしないけれど、私が悲しかったのは覚えていて。そして、できれば悔いるだけでなく、反省して欲しいの。前向きに、今後同じ事を起こさない様にどうすれば良いか考えてね」
「メイ」
一瞬だけ縋る様に私に向けて伸ばしかけた手を、セブルスはグッと握り込む事で耐えた。その様子に彼を抱き締めたくなる衝動を何とか堪え、私は努めて小さく微笑んだ。
「また明日ね、セブルス」
パタリと閉ざした扉は、もう何の音も私の耳へと届かせなかった。
自室へ戻った私を出迎えたのは、ホグワーツで飼っているモリフクロウだった。朝食と夕食時以外にも、そして大広間以外でも手紙が受け取れるように、教員の部屋にはどこかにふくろう達が入れる通路があるのだ。よって、生徒あての手紙は大広間に届けられるようになっているが、教員のほとんどは自室へと届くようにしている。預言者新聞だけは配達先が多いため、大広間に届くのだが。
「手紙を運んでくれたのね、ありがとう」
フクロウフーズを与えながらお礼を言うと、彼はほーぅと穏やかに鳴いた。我ながら酷い顔をしていると自覚している。だから彼も気遣ってくれているのだろう。その証拠に、手紙を届けてもすぐには飛び立たずに留まってフーズの無くなった私の指に嘴を擦り寄せた。年若いながらも落ち着いた性格のふくろうだから、こちらの表情や感情を敏感に汲み取ったのだろう。
「ありがとう。良いのよ、行きなさいね」
ほぅ、ともう1度鳴いたモリフクロウは、最後に嘴を私の指に擦り寄せてからバサリと翼を広げて飛び去った。それを見送った後、彼が届けてくれた手紙──1切れの羊皮紙だった──を見て、私は息を呑んだ。
「ああ、何て事……!」
心臓がギュッと掴まれた様な衝撃。
それはハグリッドとバックビークが敗訴したという知らせだった。
早足でクィリナスの部屋を訪ねると、彼も丁度こちらに連絡しようと思っていた所だった様で驚いた顔をしていた。
「クィリナス、ハグリッドが敗訴って……」
「え、ええ、私も驚いて……。どうしますか?」
私は少し考えて、「ハグリッドの所に行くわ」と言った。クィリナスは頷いた。
夕闇迫る森番小屋の中は、ハグリッドの涙と鼻水の音で溢れんばかりだった。
「お、俺が皆悪いんです……みぃんな黒い服を着て黙ーって座ってて緊張しちまって、メモはボロボロ落とすし、先生達が用意してくれた色んなもんの日付も忘れちまって……」
ハグリッドが思い切り鼻をかんだ。その間にも涙はひたすらに流れて黒い髭を濡らしていく。言葉の色んな所でヒックヒックと引き攣るような呼吸音が挟まり、どれ程ハグリッドが泣くのを我慢しようとしているのか伝わってきた。
「控訴しましょう、ハグリッド。これで終わりにしてはダメよ」
「でも、委員会はルシウス・マルフォイの言うなりだ……奴が『やれ』と言った通りになる……」
「ハグリッド……」
酷く落ち込んだ様子のハグリッドは、
「今夜はビーキーと一緒に寝てやるんで……先生方は城に戻ってください……」
と力無く言った。私達はそれ以上強く言えず、挨拶をして小屋を後にした。
「……判決をひっくり返すのは、中々、手強そうですね」
城へ戻る道中、クィリナスが困った様にそう言った。私は頷きながら小さく頷いた。
「そうね、彼がどういう思惑を持っているのか分からないから。何とかできない事は、ないかもしれないけれど……」
「どういう事です?」
クィリナスが訝しげに首を傾げた。私は「少し個人的な付き合いがあってね」と歩きながら肩を竦めた。
「だからといって、ルシウスが訴えを取り下げるかは分からないわ。一応取引のカードがあるにはあるけれど、あまり切りたくはないわね……」
「内容を教えていただいても?」
「以前、私が学術誌に出した論文についてルシウスが興味を示していてね。ビジネスに繋げたいと言って、契約の申し出も貰っているの。けれど、バックビークの事があったから返答を延ばしている状況なのよ」
「なるほど、研究成果の利用についての契約を結ぶのと引き換えに委員会への訴えを取り下げさせる、という訳ですか」
「ええ。でも今後の付き合いを考えるとね……。セブルスの先輩でもあるし、目をかけてくれているから」
「ああ、そういう事ですか……。控訴で何とか丸く収まればいいのですが……」
その望みが叶う可能性は低いだろうと、きっとどちらも分かっていた。
クィリナスと私は揃って溜息を吐いた。
その夜、夕食の席にハグリッドの姿は無かった。
そうなるだろうとは思ってはいたが、ハグリッド自身の精神面はもちろん、明日からの授業も心配だ。彼がきちんと授業できる気がしない。
ふぅ、と小さく吐いた溜息に気が付いたのか、セブルスがチラリとこちらを見た。
「……体調でも、悪いのか」
ぎこちなくかけられた言葉はきっと、彼なりの歩み寄りたいという心情の現れだろう。それが分かるから、私は安心してもらえる様に小さく微笑んだ。
「大丈夫よ、問題無いわ」
「メリル──」
ふと伸ばされたセブルスの指。それが私のローブに触れるか触れないかという間際。
「……!」
肩が、震えた。
僅かなそれが伝わった事は、セブルスが一瞬だけだが目を見開いた事で分かった。眉を寄せるどころか一段階顔色を悪くした彼は何事も無かったかの様にスッ……とその手をテーブル上に戻した。
驚いたのは私も同じだ。まさか、そう、まさかひと欠片でもセブルスに対して──怖いと思うなんて。
夕食はほとんど終わり、生徒も教員も数が少なくなっていたのは幸いだった。誰であっても知られたくない。
「それじゃあ、また明日」
小さく呟いた私を、セブルスはチラリと横目で見て顎を引く様に頷いた。
夜の廊下はどこか寒々しくて、私は先程とは違う震えに肩を揺らして早足で私室へと戻った。
きっと、セブルスの事を傷付けたと思う。でもそれは私だって同じで。
だから、私はチクチクと痛む胸を抱えながらベッドの中でシーツにくるまった。
初めて、明日なんて来なければ良いと、心のほんの片隅で少しだけ思った。
どんなに呪っても願っても翌日は訪れる。いつも通りに仕度をして、いつも通りにふくろう小屋の掃除をして餌やりもこなした。そこにセブルスの姿は無い。新学期になってから、早朝ここにいる頻度は減ったがゼロではなかった。
「……もしかすると、ゼロになるかもしれないけれど」
ポツリと自嘲すると、自分が吐いた言葉なのに胸がズキリと痛んだ。今、私は酷い顔をしているのだろう。その証拠に、先日ハグリッドの手紙を私に届けてくれたふくろうが餌を食べるのを止めてこちらを覗き込んでいる。
「……優しい子。ありがとう、ごめんね、私の事は気にせずご飯を食べなさいね」
優しく指先で頭を搔いてやると、彼は気持ち良さそうに目を細めた。
大広間に入ると、もう大半の教員や生徒が集まっていた。少しふくろう小屋に長居し過ぎた様だ。
「やあ、おはよう、メリル」
「おはよう、リーマス」
右隣のリーマスに挨拶を返し、私はそっと反対隣を見やった。
「……おはよう、セブルス」
「…………ああ」
返された言葉は重く、そして暗く感じられた。それは私も似た様な物だっただろうけれど。
セブルスの向こうのクィリナスが、少しだけ心配そうにチラリと横目でこちらを見た。
朝食後、クィリナスが遠慮しながらも教員用の扉の脇で私を呼び止めた。
「メリル、あ、あの、少しよろしいですか」
「どうしたの、クィリナス?」
彼は少しの間だけ躊躇したものの、「差し出がましいようですが」と前置きした上で続けた。
「あの、抱え込み過ぎずに。お、お話を聞くことぐらいしかできませんが……」
「ありがとう、クィリナス」
クィリナスの優しさがじんわりと胸に、そしてそこにある確かな傷に染みて、不覚にも泣きそうになってしまった。瞬きが増えた私に、クィリナスは一瞬狼狽えたが、「大丈夫ですよ」と穏やかに言い募った。
「メリル、あ、貴女は強くて優しい人です。だからこそ、時には立ち止まって、待ってみても良いと、私は思います」
「そうね……本当にありがとう」
クィリナスは最後まで優しい微笑みを浮かべていた。
正直な所その日1日、授業に集中する事はできなかった。魔法生物飼育学だけは私以上にハグリッドが魂が抜けた状態だったため、フォローに奔走する事になったがそれは仕方がない。敗訴した上に控訴も望み薄となれば、バックビークの未来を思えば誰でもショックを受けてしまう。
セブルスは結局、夕食の時でさえ話しかけてくる事は無く──それは今までも時折あることではあった──、目が合う事も無かった。
黒髪から覗く張り詰めた横顔が痛々しく、その事もまた胸が詰まる。
セブルスを傷付けて、苦しませて一体何をやっているのだろう?
そんな風に思っているのは本当なのに、どうしてもこちらから歩み寄る事ができない。だって、私も傷付いたから。
もう2度と、あんな風に触れられたくはない。
怖いと思いたくないのに、その指先が迫ると緊張が心を締め付ける。どうしたって強ばる身体とつい彼を追ってしまう目のギャップに、私は振り回されているのだ。
どうしたら良いか分からなくて、そうすると今朝のクィリナスのくれた言葉がぽっかりと頭に浮かんだ。
「……立ち止まっても、待っても良い、か……」
立ち止まる事は、両親の思い出に向き合えなかった事を連想させて良い印象はない。けれど、どこに進めば良いか分からない今は、それが最善策なのかもしれない。
時には時間に流されてみるのも、良いのかもしれない。
何となく前向きになれた気がして、私は昨日とは少し変わった気分でシーツに潜り込んだ。
繁吹き雨「激しく吹きつけて降る雨」
39話目です。
個人的な話ですが、最近友人が字書きに目覚めました。ようこそ、字書きの沼へ。ジャンルは違いますが応援したいと思いますw
セブルスって嫉妬や負の感情で暴走しそうと思ってこういう展開になりました。苦手な人はご自衛ください ここからどう行動するかが人間の真価が問われる所ですよね!頑張って欲しいです。