ハグリッドの敗訴の知らせを受けてから初の魔法生物飼育学は、3年生のグリフィンドールとスリザリン合同授業だった。授業中もずっと放心状態のハグリッドを、授業後もハリー達3人が必死に慰めていた。いつの間にかロンとハーマイオニーは仲直りしていた様だ。
安全対策のために城の前まで生徒達の後ろをついて歩く私の耳に、
「まだ控訴がある!まだ諦めないで。僕達、準備してるんだから!」
とハグリッドへ熱弁するロンの声が届く。その前方でビンセントとグレゴリーを連れたドラコが、チラチラと後ろを振り返りながら小さくせせら笑うのも見えていた。
城の階段まで辿り着いた時、立ち止まったハグリッドは悲しみに満ちた声で言った。
「ロン、そいつぁダメだ。あの委員会はルシウス・マルフォイの言うなりだ。俺はただ、ビーキーに残された時間を思いっきり幸せなもんにしてやるんだ。俺は、そうしてやらにゃ……」
ハグリッドは大きく鼻をすすると、踵を返してハンカチに顔を埋め、私の横を素通りして大股で急いで小屋へと戻って行った。
後を追って話を聞いた方が良いかと身を翻しかけたその時、城の扉の辺りから鼻で笑う音がした。明らかな嘲りの色を含んだそれに振り返ると、辺りに立っている岩の向こうから「見ろよ、あの泣き虫」とドラコの声が聞こえてきた。どうやら私がまだここにいる事に気が付いていないようだ。
──ハグリッドの事をまだ見直していないのね。
私は心の中で溜息を吐いた。それにその考えをハリー達を目の前にして表に出すなんて、あからさまに喧嘩を売っている様な物だ。
私がこっそりと岩の影から窺うと、案の定ムッとした顔のハリーとロンがズカズカとドラコとビンセント、グレゴリーの方へ近付いて行く。それに気付いているのかいないのか、外に半分背を向けたドラコは続ける。
「あんなに情けないものを見た事があるかい。しかも、あいつが僕達の先生だって!」
ハッ!と嘲りの笑いがドラコの口から出た。ハリーとロンが拳を振りかぶったため、流石に止めないと、と私が1歩踏み出した、その時。
バシッ!
「……ワーオ……」
何とも見事なビンタだった。ハーマイオニーがあらん限りの力を込めてドラコの横っ面を張ったのだ。
思わず足が止まった私の視線の先で、よろめいたドラコが信じられないと言いたげな顔でヨロヨロと赤くなった頬を指先で確かめる様にさすった。ハーマイオニーの荒い息だけが響くその痛い程の沈黙の間も、他の少年達は驚いて立ち尽くしたまま。
「ハグリッドの事を情けないだなんて、よくもそんな事を……!」
「ハーマイオニー!」
少女が真っ赤な顔で再度拳を振りかぶったので、我に返ったロンが慌ててその腕を取って制止した。
「離して!ロン!」
「そんな訳にもいかないだろ!」
ビンセントとグレゴリーがオロオロしながらドラコとハーマイオニーの両者を見比べている間に、ハリーは未だ腹に据えかねているハーマイオニーの肩を押さえにかかっていた。「……何でだよ」
「何が!?」
ボソリと呟いたドラコに、ハーマイオニーは噛み付く様に聞き返した。その肩をハリーが困った顔をしながら抑えている。
ドラコはギュッと拳を握り込んで、対峙する様にハーマイオニーへと向かい合った。
「あんな、授業もロクにできない、泣き虫が先生なんて情けないだろ……!それに獣の制御もできない!」
「それは貴方がハグリッドに言われた事を守らなかったからでしょ!」
切り返す様な反論にドラコがグッと詰まったが、彼はそこで止まらなかった。
「森番が先生なんておかしいだろ!スネイプ先生みたいに実績がある訳でも、フリットウィック先生みたいに素晴らしく決闘ができる訳でもない!」
「何もおかしくないわ!ハグリッドは魔法生物達の事をよく知ってるじゃない!」
「ちゃんと教えられなきゃ意味無いだろ!」
「誰にでも最初はあるわ!ハグリッドは先生1年目なのよ!?」
「でも……でも、あいつは半巨人だぞ……!」
ビンセントとグレゴリーが「あっ」とした顔をして、ハリーはキョトンとした表情になった。ロンは何とも複雑な面持ちだったが、ハーマイオニーは更に眉を釣り上げた。
「だから何だって言うの!?人は中身で判断すべきでしょ!」
「でも……!」
「ドラコもそう考えてくれるようになったから、だから、私、貴方と友達になれたと思ってたのに!」
「……っ!」
痛い所を突かれた様な顔になったドラコがついに黙った。真っ赤な顔で荒い息を吐きながら睨んでくるハーマイオニーに対して、ドラコは何も言えないまま目を逸らした。
「……行こう」
「で、でもっ」
「ドラコ……」
ビンセントもグレゴリーも引き止めるかの様に声を上げたが、ドラコが再度「行こう」と言ったため、彼らは左頬を赤くした少年の後を付いて城の中へ姿を消した。
「ハーマイオニー!」
ロンが驚きや感動を込めた声音で彼女へ呼び掛けた。ハーマイオニーはまだ高ぶった感情のままハリーの方を向いて言った。
「ハリー、クディッチの優勝戦で、何がなんでもスリザリンをやっつけて」
ハリーはハーマイオニーの肩から手を離してコクリと頷いた。
「絶対に、お願いよ。スリザリンが勝ったりしたら、私、とっても我慢できないもの!」
「前にハーマイオニーを侮辱した連中もクビにしてないみたいだしね」
「私の事よりハリーが心配よ。試合までに何をしてくるか分からないじゃない」
未だ興奮冷めやらぬ様子のハーマイオニーに、ハリーは「もうすぐ呪文学の時間だよ、早く行こう」と2人を急かした。
子供達の姿と声が消えてから、ようやく私は岩肌から背を離す事ができた。
「……正面から喧嘩できる様な関係になっていたのね」
きっとそれはハーマイオニーとドラコ、両方の努力による物だ。どちらかが片方を見下していたり相手にきちんと向き合っていないと、すぐにその関係は破綻していただろう。
チームメンバーの採用には教員はあまり口を出さないのが暗黙の了解ではあるが、吸魂鬼の真似をしてまでグリフィンドールの妨害をしようとしたアンドリューにはその内に罰則以外の何かしらの処罰が下される筈だ。もしくはもう下されているか。いくらスリザリン贔屓のセブルスといえど、あんな観衆の面前で──しかもダンブルドア先生もいる前で──騒動を起こしてお咎め無しでは面目が立たない。
「ドラコは……ここが転換点になるかしらね……」
あの少年が、真正面からあんな風に言われて、あんな顔をして、何も考えない筈がないのだ。
あれだけ話をして未だ他者を見下す姿勢を表に出してしまうのは少し精神的に幼いとは思うが、これを契機として良い方向に変わってくれれば良いと思う。
とりあえず今の所はっきりしている事は、グリフィンドールとスリザリンからの減点は無しという事だ。私はたまたまここに立っていてちょっぴり人間関係の機微を見聞きしてしまっただけなのだから。
それから少しして、イースター休暇前。
ハーマイオニーが占い学の受講を辞めたという事とアンドリューがスリザリンのクディッチチームから放逐されたという情報を耳にした。元々合っていなかったのだろうハーマイオニーはどこかスッキリした顔になっていた一方で、アンドリューはマーカスに何度か抗議しているのを見掛けた。
イースター休暇は矢の様に過ぎていった。この短い期間に帰省する者はほとんどおらず、子供達は大量の宿題と格闘しながら各々に休暇を楽しんだ様だった。
そんな中でも、ロンは時折クィリナスに助けてもらいながらもバックビークの控訴の準備を進めていた。私も手伝いたかったのは山々だったのだが、春は魔法生物飼育学としても薬草学としても忙しい季節なのだ。受粉の確認をせねばならず、飼育場では出産ラッシュである。温室ではポモーナとネビルの3人体制で、飼育場ではハグリッドと協力して対応しているが、目の回る様な慌ただしさである。
そんな忙しさにかまけて、私はセブルスとの気まずさを紛らわせようと腐心していた。挨拶くらいしか言葉を交わさなくなって数日経つが、彼からのアクションは何も無い。寂しさが募るのはもちろん、私の選択が間違っていたのではと恐ろしさすら感じる。
しかし、月の満ち欠けはセブルスと私の気まずさには全く頓着しない。つまりはどちらかの研究室で脱狼薬を調合しなければならないのだけれど。
「……どうしようかしら……」
正直なところ、調合はしたい。けれど、煮込む間の待ち時間の居心地の悪さに耐えられるのだろうか。
悩みながらも身綺麗にして大広間へと向かう。賑やかな子供達を微笑ましく思いながら席に着くと、物言いたげにセブルスがこちらをチラリと見た。しかしそれはすぐに逸らされ、会話の糸口すら掴めない。まるでデミガイズの様にスルリと逃げて行くのだ。
食後、暗い廊下の曲がり角で不意に背後から呼び止められた。
「メリル」
「……セブルス」
逆光になっていて黒衣の男の顔は窺えない。その声の低さの理由が機嫌ではない事が辛うじて察せるくらいだった。
「何かご用かしら?」
「……君の、気が乗らないのであれば、今回は我輩だけで調合するが」
色々と言葉を省略しているが、彼の言いたい事は伝わった。驚きだ、セブルスが譲歩している。あの、頑固で、負けず嫌いで、捻くれていて、プライドの高い男が。
今までも随所で分かりにくいながら気遣われていた事は理解していたが、ここまであからさまな譲歩は珍しい。
驚き過ぎて固まってしまった私をどう思ったのか、セブルスは落ち着かなさそうに肩を一度揺らして、
「今後も、我輩だけで調合してもいい」
と続けた。そんな事はちっとも思っていない、不本意だと、嫌だとその声音には明らかに滲んでいたけれど。
不器用で、素直でなくて、感情を隠しきれなくて、どこか子供の様な貴方の事が、私は、私は──
「……良いわ、私の部屋でやりましょう」
「良いのか」
「構わないわ。明日の夜で良いかしら?」
「ああ」
「それじゃあ、また明日ね。おやすみなさい」
私の声は震えていなかっただろうか。私は平気な顔をできていただろうか。
2人きりになる緊張とセブルスから歩み寄ってくれた嬉しさで、私の胸の中はごちゃごちゃだった。
今夜は分厚い薬草図鑑を読み切るのが先か睡魔が訪れるのが先か、良い勝負になるだろう。
次の日。授業をこなし、城のそこかしこで起きる生徒同士の小競り合い──主にグリフィンドールとスリザリンの子供達だ──をいなして、放課後。
夕食までの少しの間でも大小様々な諍いが起きる状態に、私は思わず廊下を歩きながら溜息を吐き出した。
優勝がかかって熱くなるのは分かるが、競うのは試合でだけにしてもらいたい。未熟な呪いの撃ち合いのせいで、その解呪のために駆け込まれる医務室は大わらわでマダム・ポンフリーはお冠なのだ。
「やあ、メリル、疲れているようだね」
「あら、リーマス、どうも」
手を上げたリーマスは青白い顔をしている。時期的に仕方がないけれど、辛いなら部屋で休んでおけば良いのに。
「貴方も人の事は言えないのではないかしら。顔色が悪いわよ」
「知ってるだろう?仕方ない事さ」
肩を竦めたその頬は、存外に疲労の影が濃い。脱狼薬を改良している影響もあるのだろうか?
「今日は大広間で夕食を?」
「ああ、そのつもりだ。良かったら一緒に行っても?」
「構わないわ」
頷くと、リーマスはニコリと笑って隣に並んで歩き出した。
「また薬を調合するわ」
「助かるよ。どうにも高価でね」
「材料が材料だもの。手間もかかるから慣れた人間でないときちんと調合するのは難しいでしょうね」
「何とかなると良いんだけど」
「何とかしようとしているのよ」
「そうだった、すまない。ありがとう」
「貴方のためではないわ。知的好奇心を満たすためよ」
リーマスはわざわざ立ち止まって「それでも」と私と目を合わせた。
「それでも、その気持ちだけでも私は本当に救われるんだ。心からのお礼を言いたい。ありがとう」
「それは……ええと、どういたしまして」
穏やかな瞳で真っ直ぐこちらを見てそう言うものだから、さすがに私も照れてしまった。ちょっぴり耳が熱い。夕日のせいだと思ってもらえたら良いのだけれど。
「メリル──」
少し真面目な顔になったリーマスがふと何か言い差した時、
「どうもお2人共!こんな所で立ち止まってどうしたんです?」
と輝く笑顔を浮かべたギルデロイが声を掛けてきた。そんな彼へパッと笑みを浮かべたリーマスは「少し立ち話をね」と言ってまた歩き出した。
釣られて足を動かすのを再開した私へ、ギルデロイがニコニコしたまま話し掛けてきた。
「少しお疲れの様ですね、メリル。そういう時は肉料理を食べると良いらしいですよ!」
「そうなのね、知らなかったわ」
「そうでしょうそうでしょう。私も最近知りましてね。いやぁ、図書館で知識を得るのも良いですが、知識人から話を聞くというのも面白いものです」
「あら、ではどこかの料理人から聞いたの?」
「いえいえ、私の所へ相談に来た生徒からですがね。その子のお父上が有名なレストランのシェフだとかで、食材や料理に見識の深い方の様なのです」
ギルデロイが嬉々として語る内容は彼の話術のお陰もあって面白く、リーマス共々楽しく聞いている内に大広間に到着した。その頃には胸の内に蟠っていた憂鬱はどこかに行ってしまっていて、改めてギルデロイの話術というか聞かせる才能を素直に凄いなと思った。
「それではお2人共、私はこちらで失礼!」
去り際までにこやかなギルデロイは、軽く手を振って自分の席まで歩き去った。リーマスと私も各々の席に着く。そして当然隣には黒衣の男。
夕食が始まって賑やかな大広間の中でも、セブルスと私の間には静かな空気が広がっていた。
それ自体は特段珍しい事ではない。セブルスは多弁な方ではないし、私も似た様な物だからだ。けれど何となくここ数日とは違う緊張が滲んでいると感じるのは、この後に2人きりになる時間が訪れる事が確定しているからなのだろうか。
気もそぞろになりながら食事を終え、席を立つ。材料を先に準備しておこうと考えながら教員席の後ろの扉をくぐると、その扉が閉まる直前にサッと滑り出て来た影があった。
「セブルス」
相変わらず無愛想な顔で私を見下ろした男は、聞き取れるかどうかという声量でボソリと呟いた。
「共に行く」
私は目を瞬かせた。平日の消灯時間前にこちらに来るのは珍しい。それが脱狼薬の調合のためであっても。
「他の仕事は良いの?」
「問題無い」
彼がそう言うならそうなのだろう。
私はひとつ頷いてセブルスを伴って歩き出した。
手早く材料を揃えて大鍋をセットし、ひたすら無言で薬草を切っていく。どの種類をどんな量入れるかは以前から決めていたから、打ち合わせはしなくても問題は無い。
トントンカチャカチャと無機物の静かな音が部屋の中に満ちる。何度も何度も共に調合しただけあって、言葉は無くとも互いの邪魔にならない様にスムーズに2人で調合を進めていく。それはそれで心地良い時間だけれど、やはりお喋りの無い空気には一抹の心細さを覚える。
グツグツと大鍋が煮えたぎり、しばらくそのまま煮込む段階まで来てようやく、私は一息つく事ができた。
2人して黙々と片付けを進めていると、ふと匙を取る指が互いに触れ合った。ハッとして顔を上げると、セブルスも私を見ていてバチリと視線が合った。
セブルスが何か言おうと口を何度か開閉したが、いくら待てどもそこからは何の音も出てこない。しかし私がそっと視線を逸らそうとすると。
「メイ」
強い感情の籠った瞳が、私に突き刺さった。目を逸らすなんてとてもできない。
だって、私だってずっと彼を見たかったから。
「君に、触れても、良いだろうか」
低く囁かれた言葉に、私は自然と頷いていた。心臓がドキドキと高鳴り始める。
彼の大きな手が、ゆっくりと私のそれを捕まえた。
「……!」
「……メリル」
きゅっとセブルスの手に力が籠る。
「……君が、こちらを向かないのは、嫌だ」
そんな、子供の様な言葉に思わず吹き出してしまった。そんな私にセブルスは少しだけムッとした表情になった。その顔がまた拗ねた子供の様で可笑しくて仕方がない。
「……そんなに笑わなくても良いだろう」
「だって、貴方、子供みたいな事を言うんだもの」
セブルスは完全に拗ねた顔になってしまった。それでも重ねた手は離れないのだから、嬉しさと愛しさに胸がいっぱいになる。緊張や恐れなど、どこかに吹き飛んでしまった。
「セブルス」
手の平を返してギュッとセブルスの手を握り返す。温かい。この手に触れたかったのは何も彼だけではないのだ。
「メリル、改めて、すまなかった。君にあんな──乱暴に、触れてしまって」
「ええ」
「私の中には、自分自身でも制御できない感情がある。それは今でも。可能な限りそれが君に向かない様に努める事を約束する。だから、これからも君に触れる事を許してくれ」
「セブルス、ええ、もちろんよ。私が触れて欲しいのも、触れ合いたいのも貴方だけだもの」
セブルスの顔を覗き込みながらそう言うと、彼はクッと目を見開いて唇を震わせた後、握る手に力を込めた。それから目を閉じてしまったため、「セブルス?」と名前を呼ぶと彼は絞り出す様に「メリル」と呟いた。
「少しで良い──君を、抱き締めても良いか」
「え、ええ」
突然の申し出に思わず顔を赤らめながら頷いた直後、グイッと腕を引かれて視界が黒に染まった。鼻腔に溢れる薬草や魔法薬の匂いに少し慌ててしまったが、すぐに両腕をセブルスの背中に回した。
「ねえ、セブルス」
「……何かね」
くぐもった声が自分の肩口から聞こえる。セブルスの髪が首筋に当たって少しくすぐったい。でもどの感覚よりも、自身の胸の中が1番ぽかぽかと温かい。
「やっぱり私、寂しかったみたい。今、とても満たされた気分よ」
「…………完全に同意しよう」
「あら」
ふふ、と漏れた笑いに、耳元で「何だ」と低い声が掛かる。同じ低さでも先程より子供っぽさが増している。
「セブルスでも素直になる時があるのね」
「どういう意味かね」
「そのままの意味よ。あ、ねえ、ちょっと、くすぐったいわ」
セブルスが頬を私の首にぐりぐりと擦り付けてきてくすぐったい。笑いながら身を捩ると、逃げようとしたと思ったのか抱き締めてくる腕に力が籠った。
「メリル」
「ん、なあに?」
首筋に掛かった息にふるりと震えると、パッとセブルスが顔を上げた。至近距離で目が合って、セブルスの瞳の奥のギラギラとした光に思わず息を呑んだ。
「メイ」
「セ、ブルス……」
子供っぽさなど吹き飛んだ、ベルベットの様な声で名前を呼ばれ、顔に熱が集中した。ドクドクと耳の奥で鼓動の音がする。
セブルスの黒い目が私を見ていて、ああ、吸い込まれてしまいそう。少しずつ彼の顔が近付くに伴って私も瞼を下ろして──
「セブルス」
私が名前を呼ぶのとセブルスがビタッと動きを止めたのはほぼ同時。
「セブルス」
「……しかし」
駄々を捏ねる様に軽く眉を寄せるセブルスへ小さく笑う。
「ねえ、分かっているでしょう?」
「メイ」
「駄目よ、やり直しになってしまうもの」
念押しでそう告げると、セブルスは長い長い溜息を吐いた。それから不本意と大きく書いてある顔で、ゆっくりと私から身体を離した。
大鍋の煮込み時間の終了だった。危うく丸々1回分の材料を無駄にする所だ。
そのまま脱狼薬を手早く完全させ、当初よりマシになった臭いにちょっぴり顔を顰めながらもゴブレットに移す。
「私が持って行きましょうか?」
「いや、我輩が持って行こう」
サッと湯気を立てるゴブレットを手にしたセブルスは、一瞬の躊躇いの後「だから」と続けた。
「後で、戻って来ても良いか」
「もちろんよ。お茶にしましょう」
セブルスは顎を引く様に頷いた。
渋々ながらもちゃんと調合に戻ったセブルスの、調合より私を優先させたかったという事実が、私を少し大胆にさせたのかもしれない。
「セブルス」
扉のノブに手を掛けた背中に呼び掛けると、彼はいつもの様に顔だけで振り返った。その頬に向けて背伸びをして。
「!」
サプライズは上手くいった様で、目を見開いたセブルスに私はニッコリと笑った。
私の方から頬とはいえキスをする事が多くはないから、驚きをあまり顔に出さない男も無表情ではいられなかったのだろう。してやったりというやつだ。
「美味しいお茶を淹れて待っているわ」
「……すぐ戻る」
どこか悔しそうに歯噛みした様子のセブルスは、早足に部屋を出ていった。
ステップでも踏みそうになるくらいの喜びに背を押され、私は軽い足取りでキッチンへと向かったのだった。
緑雨「新緑の頃に降る雨」
40話目です。
アオハルと甘さをひとつのお話に入れ込んでみました。主張のぶつかり合いを真っ向からできるのもアオハルだなって……思って……うーん眩しいですね!
甘さと共に気安さや気の抜ける感じを表現できていたら嬉しいです。互いに安らげるような、背伸びしない関係であれたらと思っている筈なので。
もうすぐアズカバン篇も終わりそうかなと思っています。