クディッチの優勝杯をかけた試合は、イースター休暇明けの最初の土曜日に設定されていた。その日が迫るにつれ城内で高まる熱狂と、グリフィンドール、スリザリン両方のチームの練習への熱の入り具合は凄まじい物だった。
そんな週末の金曜日。特にこの1週間は大勢のグリフィンドール生に囲まれていたハリーが、ハーマイオニーと2人で夜の廊下を歩いて行くのを見掛けた。ちょうど今日の分の脱狼薬の調合を終えてセブルスの部屋から私室へ戻る途中だったのだが、彼らの様子が少し気になって静かに進路を変更した。消灯時間も近いし、例年ハリーは何かしらのトラブルに巻き込まれる傾向があるから心配になったのだ。
早足で足音を立てない様に進む子供達の後ろを静かに追うこと数分。
「ハーマイオニー」
「ロン」
空き教室の扉をハーマイオニーがノックしたと思ったら、見慣れた赤毛の頭がぴょんっと飛び出して来た。彼は2人を確認すると急いで室内に彼らを引き入れた。
盗み聞きするのはどうかと思ったが、何か企てているのなら事だ。私は申し訳なく思いながらも、極々薄く開けた扉のすぐ側に立って中の様子を窺った。
室内ではドラコ、ビンセント、グレゴリーが、ハーマイオニー、ハリー、ロンを待ち受ける形で立っていた。
「こんな時に何の用?」
こちらに背を向けているから表情は伺い知れないが、ハーマイオニーの声はまだ少し剣呑だ。
「話がしたくて……」
「何の?」
「ハーマイオニー、ちょっと落ち着いて」
「私は落ち着いてるわ、この上なくね」
「それが落ち着いた君だってんなら、普段は鬱状態って事だぜ」
ロンの言葉に鼻白んだのか、ハーマイオニーが口を閉ざした。思わず吹き出してしまったハリーは、誤魔化すためにエヘンエヘンと咳払いをする羽目になってしまった。それで気が抜けたのか、ハーマイオニーはひとつ溜息を吐いて、「一体どうしたの?」と先程より険のとれた声で聞いた。
「……ハーマイオニー、君にビンタされてから色々考えたんだ。その、僕の持ってる価値観について」
ドラコが緊張した顔で話し出した。
「それで?」
「君は、人は中身で判断すべきと言ったけど、中身だけでは判断できない事は沢山ある。少なくとも、僕の周りではそうだ。属性やバックボーンがとても重要視される」
「まあ、貴族だもんな」
ロンが軽く頷く。
「でも、思ったんだ。僕がハーマイオニーと友達になったのはヴァレー先生がキッカケだけど、友達を続けたのは君をグリフィンドールのマグル生まれとだけ思ってなかったからだって」
「ちょっと分かりにくいよ……」
ハリーが苦笑した気配がした。なるほど、確かにドラコは迂遠な言い回しをする事が多いが、それは父親を初めとする周囲の大人達の影響なのかもしれない。
「つまり、どういう事?」
「アー、だから、つまりだな……」
「ドラコはハーマイオニー自身が好きって事だ。な?」
「あ、もちろん、友達としてだぞ」
ドラコが言い淀むと、すぐにグレゴリーとビンセントが助けなくちゃとばかりに言い添えた。お陰でドラコはストレート過ぎる物言いに耳が真っ赤になってしまった。
「すごい、一気に分かりやすくなった」
「最初からそう言えば良いのよ」
ウンウンと頷くグリフィンドール3人組に、羞恥に赤くなったドラコはがっくりと肩を落とした。
「何でお前らが言うんだ……!」
「ええ?ごめん、言い辛いのかと思って……」
「ドラコの手助けをしたくて……」
「……いや、分かってる、そうだよな、ウン」
言い募るビンセントとグレゴリーへ頷いて、ドラコは自分を落ち着かせるために何度か深呼吸した。その耳はまだ赤いけれど、平静は取り戻した様だ。
「まあ、つまりはそういう事だ」
「うわ、開き直った」
「うるさいぞ、ロン」
ロンのツッコミにもそう返せるくらいは冷静らしい。
「ドラコが私の事を心の底から友達だと思ってくれてるのは分かったわ。それで、ハグリッドの事は?」
「……それは」
ドラコは唾を飲み込んでキュッと軽く拳を握り締めた。
「……正直、すぐに考え方を変える事はできない。それに、簡単に意見を翻す人間なんて信用ならないだろう?」
「ああ、まあ、ウン、君っぽいよね」
「どういう意味だ」
「でも、見直してくれるって事だよね?」
また口を挟んだロンを軽く睨んだドラコは、ハリーにそう言われて逡巡の後に小さく頷いた。
「少なくとも、差別的な発言はしないと約束する。……それは、寮生にもできるだけ聞いてもらう」
「あ、もしかしてあの最低な差別発言した奴がクディッチチームをクビになったのって……」
「それは前から僕が直訴していた。僕だけじゃなくてビンセントとグレゴリー、それにパンジーもだ」
「へえ」
「そうなんだ」
グリフィンドール3人組が驚いた顔でビンセントとグレゴリーを見ると、彼らは照れた様に頭を掻いた。
「だって、俺達、あれだ、友達なんだろ」
「友達の悪口を言う奴を放っておけないだろ」
「マーカスも思う所あったみたいだしな」
「そういえばそんな事言ってたな」
少し赤くした顔で頷き合う2人に、ロンは「良い所あるじゃん」とニヤリと笑った。
「前に少しおしゃべりしたけど、パンジーも一緒になって言ってくれるなんて思わなかったわ」
「案外君の事は気に入ってるらしい。まあ、仲良くしてやってくれ」
ドラコは肩を竦めながらそう言い添えた。
「落ち着いたら今度皆でお茶でもする?パンジーにもお礼を言いたいし」
「ああ、良いだろう。伝えておく」
ハーマイオニーの提案に、少年達は各々頷いた。
そして、ドラコは改めてハーマイオニーを初めとするハリー、ロンへと向き直った。
「ハーマイオニー、ハリー、ロン。改めて、君達にとって友達らしいハグリッドへ酷い事を言ってすまなかった。発言は撤回する。友への侮辱がいかに不愉快か、僕は知っている。だから、今後は僕なりに考え直してみる」
「私もビンタしてごめんなさい。……痛かった?」
「何て事ないさ」
「こっそり貰ったマダム・ポンフリーの湿布がすごく良く効いたんだ」
「ビンセント!」
「しまった」とばかりに口を覆ったビンセントをドラコはひとつ溜息を吐く事で許した。グレゴリーは苦笑しながら「何やってんだよ」と軽くビンセントを小突いた。
「まあ、大丈夫だ。何ともない」
「良かったわ」
和解できた事で和やかな空気になった一同の中で、唐突にロンが「あ!」と声を上げた。
「何だよ、藪から棒に」
「どうしたの、ロン?」
「まずいよ」
「「何が?」」
ビンセントとグレゴリーが同時に首を傾げた。それへ慌てた表情のロンは叫んだ。
「もう消灯時間だ!」
揃って飛び上がった子供達は、バタバタと急ぎ足で部屋の扉を目指した。
間一髪目くらまし呪文が間に合って透明になった私の横を、スッキリとした顔の子供達が駆け抜けて行く。
「ハリー!明日は正々堂々勝負だ!」
「受けて立つよ!ファイアボルトの威力を見せてやる!」
「ファイアボルト1本では勝てない事を証明してやるよ!」
「応援でも負けないんだから!」
「俺達もだぞ!」
「また明日!」と口々に告げた彼らは、晴れやかに笑って廊下の角をそれぞれの寮の方向へと曲がって行った。
完全に足音が遠ざかり、シーンとなった廊下でひとり、私は目くらまし呪文を解いて小さく息を吐いた。それは感嘆と羨望が入り交じった物で、子供というのは可能性の塊なんだと改めて感じた故の物だった。
「とても、眩しいわね」
生まれた頃からの価値観を捉え直そうとできるドラコ達も、それまでの彼らの印象を越えて彼ら自身を見て付き合っているハーマイオニー達も、どちらも素晴らしい。最近はスリザリン全体としても雰囲気が変わってきている様にも感じる。グリフィンドールは人による、といった所か。クディッチチームに所属しているメンバーやハリー達に近い子は、スリザリンの子供達と話している場面もちらほら見掛ける様になっている。最近の様にピリピリしている子達も、もちろんいるけれど。
私は温かくなった胸に自然と笑みを浮かべながら私室へと戻ったのだった。
土曜日。朝の大広間は異様とも言える熱気に支配されていた。現在スリザリンが200点リードしている状態で、グリフィンドールはただスニッチを取れば良いという訳にはいかない。だからこそ盛り上がるという事なのかもしれない。
「君は見に来るのか」
朝食もそこそこに、セブルスがそう聞いてきた。私は頷きを返して「優勝杯がかかっているから」と言った。
「今までのどの試合よりも多くの子にお誘いを受けたもの。楽しみだわ」
「そうか」
否定しなかったという事は、セブルスも楽しみにしているのだろう。ミネルバ程ではないが、彼もクディッチは嫌いでないのだから。
「……君が良ければの話だが」
「え?」
そう低く続けたセブルスに、私は目を瞬かせた。彼は手に持ったカップの水面に視線を落としたまま、ほとんど唇を動かさないままで言った。
「競技場の教員席に入る前で待っていてもらう事になるが、共に見るかね」
「良いの?」
「悪ければ言わん」
それもそうである。私は一も二もなく頷いた。
城中で高まった熱と賑やかさは、そのまま競技場まで持ち込まれた。
次々と教員席のボックスに登って行く同僚達を見送っていると、オーロラとポモーナが連れ立ってやって来た。そして明らかに待ち合わせをしている風情の私を見つけると、オーロラが黄金色の瞳をいたずらっぽくキラリと輝かせた。2人は顔を見合わせてニヤッと笑うと、私の元までやって来て両側に並んだ。
「あら、こんな所に可愛らしいお嬢さんが」
「貴女を待ちぼうけにしてる悪い男はだあれ?」
「もう、2人共からかわないでよ」
クスクスと笑うと、2人も一緒になって笑った。
「それで?デートなの?」
「もちろんデートに決まってるわよね?」
「えっと、試合を一緒に見るだけよ」
デートだなんて、セブルスはそんなつもりはないかもしれないのに、勝手に思い込めない。そうだったなら嬉しいけれど。
私の返答に「まあ、メリル!」とポモーナは大袈裟に驚いて見せた。
「ちなみにだけど、貴女から誘ったの?」
「い、いいえ、誘ってもらって……」
「何て事!」
オーロラが両手で口を覆った。
「大事件よ、ポモーナ」
「後でお茶しないと。もちろんミネルバも誘って」
「あの、オーロラ?ポモーナ?」
何故か盛り上がる2人に声を掛けると、彼女達はハッとした顔になって顔を近付けてきた。
「メリル、それはもう十中八九デートよ」
「試合を一緒に観戦するなんて学生の定番デートの1つだわ」
「そ、そうなのかしら?」
「そうよ、絶対そうだわ」
2人がからかってくるせいで耳が熱い。
ポモーナが力強く頷いた時、オーロラが「あら、噂をすれば」とニヤリと笑った。彼女の顔が向く方向を見ると、確かに珍しく緑のローブを身に付けたセブルスが少し遠くに見えた。ズカズカと早足でこちらに向かって来ている。
「まあ、怖い顔」
「お邪魔虫は退散しないとね」
ポモーナとオーロラはそう言ってから私を軽く抱き締めて耳元で囁いた。
「楽しみね、メリル」
「楽しんでね、メリル」
「ありがとう。2人も楽しんで」
抱き着いてきた際に私のローブに赤と緑のリボンをそれぞれ取り付けた彼女達は、満面の笑みを浮かべて去って行った。いつも着ている濃紺のローブに、2色のリボンは良く映えた。
そのすぐ後に大股でやって来たセブルスの顔は苦虫を噛み潰した様なそれで、私は「どうしたの?」と首を傾げた。
「……何を言われた」
「何をって……」
デートだろうとからかわれたと告げるのが恥ずかしくて、私はまごついた。何故だか頬まで熱くなってくる。セブルスは「楽しみだ」と言った私を誘っただけなのかもしれないのに。いや、確かに学生時代に試合観戦に誘われた事は無いけれど、それはそう、今程多く話す間柄じゃなかったからかも。うん、そうよね。
「独りで何を納得している」
「えっと、いえ、大した事はないわよ」
「良いから話したまえ」
眼光鋭い睨みを頂戴してしまった。私はあっさり観念して先程の出来事を要約して伝えた。するとセブルスの顔がみるみる内に渋く渋くなっていき、ついには軽い舌打ちまで飛び出した。
「アー、大丈夫よ、セブルス、私は勘違いしてないわ」
「……は?」
セブルスの眉が跳ね上がる。それへ私は早口で捲し立てた。
「私が『楽しみだ』と言ったから試合観戦に誘ってくれただけでしょう?後で2人にもきちんと言っておくわ」
私が言い終わると、しばらくこちらを見ていたセブルスは長く深い溜息を吐いた。
「……間違っていないから困っているのだがね」
「え?セブルス、何て──」
ボソリと低く呟いたセブルスへ聞き返そうとしたその時、競技場の中から一際大きな歓声が上がった。
「行くぞ」
「あっ、ちょっと待って!」
ローブを翻したセブルスの背を、私は慌てて追った。
白熱必至の試合はもちろんリーの選手紹介から始まった。真紅と深緑のユニフォームをそれぞれ纏った選手達は、全員が意気込んで赤く上気した顔で入場した。
「キャプテン、握手して!」
マダム・フーチが促すと、マーカスとオリバーが歩み寄って互いの手を握り締めた。ギチギチと音が鳴りそうな程力を込めている様で、2人共腕が震えている。
「箒に乗って!」
ザッと選手全員が一斉に箒に跨ってグッと柄を握り締めた。
「さーん……にー……いちっ!」
14本の箒がほぼ同時に飛び上がり、ホイッスルの音は歓声で掻き消された。
試合は序盤からチェイサー同士の猛攻が続いた。アンジェリーナが得点すると返す刀でカシウスがグリフィンドールのゴールに突撃した。カシウスの攻撃はジョージが上手く防ぎ、取り落としたクアッフルを素早くキャッチしたアリシアがそのままキーパーのマイルズをケイティと連携して躱してゴールした。
「やった!キーパーを破りました!20対0、グリフィンドールのリード!」
グリフィンドール側から、わあっ!と大きな歓声が上がった。スリザリン側はブーイングだ。
その間にも目の回る様な攻防は続いていく。互いに技量が同程度に高いから、拮抗して中々点が入らないのだ。
「グリフィンドールの攻撃、いや、スリザリンの攻撃──いや!──グリフィンドールがまたボールを取り戻しました。ケイティ・ベルです。グリフィンドールのケイティ・ベルがクアッフルを取りました。フィールドを矢の様に飛んでいます──あいつめ、わざとやりやがった!」
膠着続く試合展開に焦れたスリザリンのチェイサー、グラハム・モンタギューがケイティの前方に回り込み、クアッフルを奪う代わりに彼女の頭をむんずと掴んだ。ケイティは空中でもんどり打ったが、何とか箒から落ちずに済んだ。しかし、クアッフルは取り落とした。
すかさずマダム・フーチのホイッスルが鳴り響き、彼女は箒で飛び上がってグラハムを叱り付けた。その1分後、ケイティがペナルティを決めた。これで30対0だ。
その数分後にはフレッドがお返しとばかりにグラハムを棍棒で叩き、ペナルティを言い渡された。
試合はそこからラフプレー飛び交う様相を呈していった。互いのシーカーをブラッジャーで狙ったかと思えば、体当たり、棍棒での殴打、通せんぼしての目眩し等々何でもありだ。お陰でマダム・フーチのホイッスルが止まらない。リーの実況も試合模様よりペナルティ内容の説明の方が多くなってきた。悪態付きの説明に、ミネルバが今にも彼の魔法のマイクを奪い取りそうだ。
「アンジェリーナ、奴の目を突いてやれ!──あ、ほんの冗談です、先生、冗談ですよ──ああ、ダメだ──フリントがボールを取りました。フリント、グリフィンドールのゴール目掛けて飛びます──それっ、ウッド、ブロックしろ!──」
リーの叫びも虚しく、マーカスは見事にオリバーを躱してゴールを決めて見せた。ニヤリと笑ったマーカスに対して、オリバーは酷く悔しそうに顔を歪めている。スリザリン側から大きな歓声が巻き起こった。
リーが散々悪態をついたので、ミネルバがついに魔法のマイクをひったくろうと手を伸ばした。それを何とか避けて、リーは「すみません、先生!」と叫んだ。
「すみません!2度と言いませんから!さて、グリフィンドール、30対10でリードです。ボールはグリフィンドール側──」
何とか悪態の無い実況が続く中、試合は泥沼と化してきた。互いにラフプレーを乱発し、ペナルティが飛び交った。ついにはシーカーであるハリーが、クアッフルを持ったアリシアに殺到したスリザリンチームの塊に突っ込んで彼女のゴールをアシストする事さえした。
スコアは80対20でグリフィンドールがリードしている。今ハリーがスニッチを取ればグリフィンドールの優勝が決まる。互いにそれが分かっているからこそ、熱くなり躍起になって点数を取っているのだ。
ついにドラコが箒の柄にピタリと上半身をくっ付けて急降下を始めた。スニッチを見付けた。少し後にハリーもそれに気が付いたのか、慌てて急旋回してドラコを追う。
かなり空いていた両者の距離がじわじわと縮んでいく。私は息を呑んで少年2人を見詰めた。緊張で心臓がバクバク鳴っている。
それは数秒の出来事だったが、数分にも数時間にも感じられた。
ハリーがドラコの足元に到達し、そして、ゆっくりと追い抜いて、手を伸ばし、ドラコの手を払い除け──
「取ったわ!」
ハリーは急降下から旋回し、空中高く手を突き出した。競技場が爆発した。ハリーは観客の上を高々と飛んだ。その顔はやり切った達成感にキラキラと輝き、その手は確かにバタバタともがく金のスニッチを握り込んでいる。
オリバーが大粒の涙を流しながらハリーに近付いて彼を抱き締めた。フレッドとジョージがハリーの背を満面の笑みでパシリ、パシリとそれぞれ1度ずつ叩いた。アンジェリーナ、ケイティ、アリシアも叫びながらその輪に加わった。
「優勝杯よ!私達が優勝よ!」
地面に降り立ったグリフィンドールのチームメンバーがフィールドに溢れ出した応援団にもみくちゃに祝福されている横で、スリザリンチームは静かにロッカールームへと戻って行った。その横顔には確かに光る物が見えた。
「メリル」
「残念だったわね、セブルス……。でも、ラフプレーはともかく、技術は凄かったわ」
「ああ、そうだな……」
何故か妙にセブルスの歯切れが悪い。スリザリンが敗れた事がショックだったのだろうか? でも、今までも優勝杯を目前にして逃した事はあったけれど、ここまで気もそぞろな様子ではなかった。やはりグリフィンドールが相手だと特別なのかもしれない。
「どうしたの、セブルス?あ、早くチームの子達の所に行きたいのかしら、ごめんなさい、引き留めて」
「いや、そうではない。そうではないが……」
「一体どうしたの?」
私が首を傾げると、セブルスは眉間に皺を寄せてチラリとこちらを横目で見た。
「……気付いていないのかね?」
「何が?」
セブルスは溜息を吐いて「……自分の手元を見たまえ」と周囲の賑やかさの隙間を縫って囁いた。言われた通り視線を落とすとそこにあったのは。
「あっ……!?ごめんなさい!」
私は慌てていつの間にかしかと握り締めていたセブルスの左手を離した。
一体いつの間に……!?完全に無意識だったわ……!
一気に顔が熱くなる。外でセブルスと接触する事がほとんど無い──ある程度意識して近付き過ぎない様にしている──から、余計に恥ずかしい。休日とはいえ、学校行事へ参加している様な物なのに公私混同も甚だしい。
「ごめんなさい、その、知らなかったとはいえ……」
「……構わん」
セブルスは一瞬躊躇った後、自分の胸元に引き寄せていた私の手を指先でそっと撫でてから緑のローブを翻して観客席から降りていった。
私はその背をひたすら目で追っていたが、グリフィンドールへの優勝杯授与の大歓声でようやく我に返り、大きな拍手を彼らへと贈った。
クディッチシーズンが終われば次に来るのはそう、試験である。つまり教員達の忙しさのピークだ。
私は生徒達に大量の宿題が出た直後の休日、厨房の片隅に陣取っていた。毎年恒例の差し入れ作りのためである。
「よしっ」
並べた材料を前に気合いを入れていると、角からヒョコリと1人の屋敷しもべ妖精が顔を出した。
「お嬢様、何でもお手伝いします!いつでも仰ってくださいまし」
「ありがとう。必要な時は声を掛けるわね」
「はい!」
手伝いを申し出てくれた厨房の屋敷しもべ妖精は、耳を嬉しそうにパタパタと揺らしながら調理へと戻って行った。流石によっぽどの事がないと手伝ってもらうつもりはないが、彼らの気持ちは嬉しい。
私は袖を捲り直して、オーブンの予熱をしてから篩を手に取った。
今年は手に持ってサッと食べやすいショートブレッドを作る予定だ。シンプルな物も用意するが、甘い癒しを求めている先生方のためにちょっとした工夫もするつもりでもある。
クリーム状になるまで混ぜた発酵バターにグラニュー糖と塩を加え、よくかき混ぜる。そこにバニラビーンズペーストも投入し、更にふんわりするまで混ぜる。先程篩でふるった薄力粉を加え、最終的に1つの塊を作り上げる。その塊を平べったい四角へ成形して、冷蔵庫へと入れた。
ここで小休止である。私が小さな丸椅子を呼び出して腰掛けると、休憩と察した屋敷しもべ妖精がすかさず紅茶を持って来てくれた。
「ありがとう」
「いいえっ、とんでもない事ですっ」
屋敷しもべ妖精は更にスコーンまで用意してくれた。至れり尽くせりである。混ぜる作業で疲れた両腕も癒される様な心地だ。
1時間程お茶を楽しんだ後、作業再開である。冷蔵庫から出てきた生地を指で摘みやすい幅で切っていき、フォークで刺して模様をつけた。さすがに量が多いから、模様付けは魔法でフォークを動かして行った。
それから生地の欠片をクッキングシートを敷いた天板に並べてオーブンへ入れる。
うん、良い香り!後で味見しちゃおうかしら。
ちょっとしたティータイム程の時間で焼き上がったショートブレッドを冷ましている間に、ホワイトチョコレートの湯煎にかかる。
「あ、そうだわ」
私はふと思い付いた事があって、屋敷しもべ妖精に頼み事をした。
喜び勇んで彼らが次々に持って来たのは、ローストピスタチオと3種類のドライフルーツだ。さすが厨房を縦横無尽に支配しているだけあって、どこに何があるのか瞬時に分かるらしい。数個ある冷蔵庫の在庫状況など知りようがないため、こればかりは彼らに頼ったのだ。しかもピスタチオもドライフルーツも細かく刻んでくれている。さすがの気遣いだ。
「本当にありがとう、助かったわ」
屋敷しもべ妖精達は耳をパタパタと揺らせて恐縮しきりの様子だった。
私は溶かしたホワイトチョコレートを、ショートブレッドの 1つの半分にスプーンで塗り広げた。それをいくつか繰り返し、先程用意してもらったドライストロベリーをホワイトチョコレートの上に散らした。次にまた数個にホワイトチョコレートを塗って、ローストピスタチオを載せた。残り2種類のドライフルーツも同様にショートブレッドの上に散らして完成だ。
先生方への差し入れは明日行うため、完成品は厨房で保管しておいてもらう事にした。
作業工程はそれ程多くはないが量があったため、もう時間は夕方だ。夕食までは少し間があるため、私はサッと魔法で着替えをして図書館へと向かった。
「……メリル?もう夕食の時間ですよ」
「え?」
マダム・ピンスに声を掛けられて、ようやく私は図書館の窓から景色が見えなくなっている事に気が付いた。
「あっ!ご、ごめんなさい、ありがとうございます!」
私は慌てて読んでいた本を片付け、大広間へと早足で向かった。
夕食を楽しみ、私は同じく食事も終わりかけの隣人へとそっと声をかけた。
「セブルス、今夜は空いているかしら?」
「君以上の用事は無い」
「あ、ありがとう」
まさかの断言に照れてしまった。不意打ちとはずるい。
「あの、じゃあまた後で来てくれる?」
「ああ」
セブルスはこちらをチラリと見て頷いた。
消灯時間後、少しして扉が几帳面にノックされた。
「こんばんは、セブルス」
「ああ」
扉を開けて微笑むと、セブルスは僅かに目尻を緩ませて頷いた。
もう最近は火を入れる事のない暖炉の前のソファに2人隣合って腰掛ける。テーブルにはお茶と皿とそれから瓶が置いてある。その全てに中身があり、セブルスがまず皿を指差して「これは?」と問い掛けた。
「これはね、味見用なの」
ニッコリ笑ってわざとそう言うと、セブルスは不審げに片眉を上げてこちらを見た。
「つまり?」
「毎年この時期に差し入れをしているでしょう?今年はショートブレッドでね、出来が良さそうだから、ちょっぴりだけ味見しようかと思って」
「ほう」
「先生方に渡すのは明日だから、セブルスも内緒ね?」
シーッと立てた人差し指を自分の口元に添えると、彼は愉快そうに口の端を少し吊り上げた。
「良かろう。秘密は守るとも」
「助かるわ。ちなみに白いコーティングはホワイトチョコレートだから、甘いのが気分でなければプレーンを食べてね」
セブルスは頷いて、次に瓶を指差した。
「これは?」
「これはアンズのジャムよ。プレーンや、ホワイトチョコレートを塗っていない部分を食べる時に合うかと思って出してきたの」
「では差し入れではないのだな」
セブルスは何故か満足気にフン、と鼻息を吐いた。
「さすがに全員分のジャムを作れる程の在庫が無くてね。さあ、食べましょう。ドライフルーツやホワイトチョコレートが嫌でなければそちらの出来も聞きたいわ」
「ああ」
セブルスは5種類あるショートブレッドをどれも全て食べてくれた。普段それ程甘いお菓子を食べないから、第一声が「甘い」だったのは仕方ない事だけれど。すぐに「美味しい」と言い添えてくれたから良しとしよう。
「上に乗ってるドライフルーツは寮の色を意識したのかね」
「ええ、ええ、そうよ」
気付いてもらえたのが嬉しくて、私はニコニコとしながら1つ1つ差して説明を始めた。
「ドライストロベリーは赤いからグリフィンドール、ピスタチオはローストしたものでスリザリンね。それからドライレモンはハッフルパフ、ドライブルーベリーはレイブンクローよ。ブルーベリーは少し珍しいのだけれど、ホグワーツの厨房にあって良かったわ」
「ふむ、どれもホワイトチョコレートにも負けていなかったな」
「乾燥する事で美味しさが凝縮するからだと思うわ。味は濃くなかった?」
「いや、問題無い」
セブルスがそう言うのなら甘過ぎる事もないのだろう。私はホッと胸を撫で下ろした。
その後、彼にアンズのジャムも試してもらったところ口にあったようで、何度かプレーンのショートブレッドにジャムを付けて食べていた。
次の日の放課後、私はバスケットを持って職員室へ向かった。バスケットの中身はもちろん昨日作ったショートブレッドだ。
職員室にいた先生方からは大好評で、全種類食べる先生も多かった。
皆から口々に感謝されながら、私は職員室を後にした。足を向けたのはギルデロイのいる部屋だ。
扉をノックすると、顔を出した彼は意外そうに驚いた顔をして見せた。
「おや、こんな所までどうしたんです?」
「差し入れよ。貴方は試験作成はしないけれど、生徒からの相談は増えるでしょう?」
ウェストポーチからショートブレッドの入った小さな箱を出して渡すと、ギルデロイは「ありがとうございます」と相好を崩した。
「よろしければお茶でもいかがです?未だ私のファンだという方から、良い茶葉が送られてきましてね」
ギルデロイが引き起こした事件は預言者新聞でも取り上げられていたが、それでもファンを続ける熱心な人間もいるとは少し驚きだ。それだけ彼自身を好いているという事かもしれない。
「あら、良いのかしら」
「ええ、もちろん……と言いたい所ですが、メリル、つかぬ事をお聞きしますが貴女1人で来たのですか?」
「え?ええ、そうよ。それが何か?」
ギルデロイの質問の意図が掴めないまま頷くと、彼は顎に手を当てて「ふぅむ」と考え込む仕草をした。
「今からでもクィリナスにも来てもらうべきですかね……」
「どうして?」
「何故ときましたか。もしかしてと思っていましたが、メリル、貴女……」
ギルデロイはそこで少し困った様に笑って小さく息を吐いた。
「貴女は少々懐に入れた人に甘過ぎるのでは?」
「そう?甘いとは思わないけれど、近しい人を大事にできないよりは良いのではないかしら」
「それはそうなんですがね」
それからギルデロイは少々考えた後、「そうです、こうしましょう!」と手を叩いた。
「扉は開けた状態にしておきましょう。耳塞ぎ呪文か防音呪文を使っておけばおしゃべりの内容は守られるでしょうしね」
「貴方がそれで良いのなら異論は無いわ」
ギルデロイはニッコリと満面の笑みを浮かべた。
丁寧に入れられた紅茶が私の前にサーブされる頃には、私は持ってきた箱を開けていつでも中身を摘める状態にし終わっていた。
席に着いたギルデロイはショートブレッド達を見て、「なんと美しい!」とキラキラと目を輝かせた。
「ドライフルーツを載せたショートブレッドは見た事がありますが、こんなに色とりどりの物は初めてです!本当に私もいただいても良いのですか?」
「ええ。そのために持ってきたのだもの」
「ああ、何とお優しい!ありがとうございます、メリル」
ギルデロイはショートブレッドを1つ食べてその味を絶賛した。彼の褒め言葉の語彙全てを駆使したかの様な言葉の羅列に、私の方が圧倒された程の熱の入りようだった。
それが一段落し、改めて感謝を伝えられた後、私達は1年前には考えられなかったお茶会を始めたのだった。
「そういえば」と、ふと訪れた会話の途切れ目に呟くと、ギルデロイは「どうしたんです?」と首を傾げた。
「大した事ではないのだけれど、どうしてさっき、クィリナスにも来てもらうべきか、なんて言ってたのかしらと思ってね」
「ああ、それは……」
ギルデロイは珍しく再度少し困った様に微笑んだ。
「メリル、魅力的な女性である貴女が不用心にも男性の部屋に1人で訪れたからですよ。しかも貴女は恋人がいるのに!」
「でも貴方の部屋よ?」
「……その一言でいかに自分が眼中に無かったかよくよく分かりましたが、今はさておきましょう。例え友人関係にあっても、軽々に訪れるべきではない、という事ですよ」
「あら、ギルデロイ、貴方……」
「何です?」
「そんな気遣いができたのね」
ギルデロイは驚いた様に目を見開いて、苦虫を噛み潰した様に笑った。
「これは手痛い」
「あ、ご、ごめんなさい、失言だったわ」
慌てて謝ると、彼は「いえ、構いませんよ」と手を横に振った。
「そう思われても仕方のない生き方をしてきましたし、最近まで周囲を気遣う事なく振舞ってきた事も事実ですからね」
そう肩を竦めるギルデロイは、昨年度とはまるで見違える様だった。人が変わったとはこの事を言うのだろう。
ホグワーツを離れた後に何があったのか、心底気になってきた。きっと色んな意味で衝撃的な出来後があったのだろう。
それからしばらくおしゃべりを楽しんだ後、窓の外を見やったギルデロイが「そろそろお開きですね」と微笑んだ。
「もう日が暮れます。今度はクィリナスを呼んで3人でお茶をしましょう」
「ええ、ぜひ」
私が席を立つと、ギルデロイは杖を一振してティーセットを私室へと移動させた。
部屋の外まで見送りに来た彼は、改めてショートブレッドのお礼を丁寧に伝えてくれた。
「本当に美味しかったです。それに貴女の優しさや素晴らしさを感じられて嬉しかったです。ありがとうございました」
「どういたしまして。そう思ってもらえたなら私も嬉しいわ。それじゃあ、また」
少し先の角を曲がるまで部屋に入らなかったギルデロイに小さく手を振り、私は夕日差し込む廊下を進んだ。
思い返せば、ギルデロイがホグワーツに戻って来ると知った時は心底驚いたものだった。同時に、元のままの彼が来るのかと心配だったのも事実だ。けれど嬉しい事にその懸念は取り越し苦労で終わった。
城に舞い戻った彼は、以前の様な過度な華やかさや自己中心的な態度、貼り付けた様な笑みが無くなっており、代わりに真摯に子供達の話を聞き、できうる限り誠実な答えを返し、素直に輝く笑顔を浮かべる様になっていた。
その変化は歓迎すべき物であると同時に、私にとっては少し眩しい物でもある。素直に心を入れ替えられたという事は、彼の芯が──それが隠されていた物だとしても、自分自身でも分からなくなっていた物だとしても──きちんとあって、反省を生かせる人間だという事であるからだ。きっと幼い頃のギルデロイはとても素直な子供だったのだろう。
──ああ、夕日が染みるわね。
素直な子供でいられたのは一体いつまでだっただろう、なんて益体のない事をふと思ってて、私は口の端に苦い笑みを登らせた。
それでも、ギルデロイのお陰で胸の中はぽかぽかと温かいままだった。
杏花雨「柔らかく静かに降る雨」
41話目です。
今回は試験前の優勝決定戦前後のお話です。原作から色々と変えた関係で、この試合模様をどれだけ書くか、ラフプレーの度合をどうするか、結構悩みました
そして謎に出番の増えるギルデロイ。個人的に彼を書くのが楽しくなってきただけですがw
原作との違いも楽しんでもらえたら嬉しいです。