蒸し暑い天気が続く中、試験の準備に追われる生徒達と同様に、教員側も宿題の採点と試験の作成にきりきり舞いだった。
せっかくの良い天気なのに、大人も子供も城内に無理矢理留まって、それぞれのやるべき事に必死になっている。もちろん私もその内の1人で、今年も手伝える教科の先生方の元へ連日通って大量の羊皮紙と格闘していた。
早朝のふくろう小屋掃除に餌やり、ニクスへの届け物が癒しとなっている日々だ。飼育場の魔法生物達も癒しではあるのだが、如何せん嫌でも試験の事を思い出すため、ちょっぴり複雑な気分なのである。
「……ハグリッドは試験を作れるのかしら……」
憔悴した様子の森番は、いつ小屋を訪ねてもバックビークの近くにいて、目を潤ませている事すらあった。申し訳ないが前年度までの様な試験を考えられるとは到底思えない。だからといって、正式な依頼も無いのに補佐でしかない私が出しゃばる事もできないのだけれど。
生徒達からの質問も多く、そんな子供達のためにあえて職員室に長い間いる教員が大多数だ。
私はといえば、森番でもあるハグリッドの代わりに魔法生物飼育学に関する質問を受けたり、目の回る忙しさのポモーナの代わりに温室の管理を行ったりとあっちこっちを行き来している。
「あら、ネビル?」
「あっ、ヴァレー先生……」
ある時畑の様子を見に行くと、気まずそうな顔のネビルと鉢合わせした。私が手入れしなくとも妙に整っていたからもしやと思っていたけれど、やっぱりネビルが世話をしていたらしい。
「ここで作業していて大丈夫?」
「……身体を動かした方が気分転換になるんです……」
大きくなってきた身体を縮めてそう言う少年に、私は小さく笑った。本当に植物達が好きなのだろう。
怒られると思ったのか、ネビルが恐る恐るこちらを見る。そんな彼へ私は「分かったわ」と頷いた。
「ここに来ても良いけれど、成績を落とさないことは約束してちょうだい。これは薬草学だけでなく全ての教科においてもよ。そうでないとロングボトム夫人に顔向けできないもの。それに作業は畑のみよ。分かったかしら?」
「……!はい!」
途端に顔を輝かせたネビルに、私はもう1度笑った。
今年O.W.L.試験を控えているウィーズリーの双子は、格好の家庭教師を見つけたようだった。クィリナスだ。マグル学の授業が無い時はしょっちゅう付き纏っているようで、悪戯道具の相談だけでなく勉強を見てもいるようだった。
「思ったより真面目に勉強していますよ」
「その内に頭から煙が出そうですが」と付け加えながら笑ったクィリナスは、試験の準備もあって大変だろうにとても嬉しそうだった。
ある日の放課後には、大広間のグリフィンドールのテーブルの端にちょっとした人垣ができていると思ったら、中心にはクィリナスと双子がいた。しかも周囲にいるのはグリフィンドールの子供達だけでなく、ハッフルパフや、なんとスリザリンの生徒もいる様だ。正直とてもびっくりして思わず凝視していると、ふと顔を上げたクィリナスと目が合って「あっ」という顔をされた。
どうしよう、巻き込まれる予感。逃げようかしら。
なんて考えている間に、釣られて顔を上げたパーシーが「ヴァレー先生!」と光明を得た表情になった。その声にバッと立ち上がった赤毛が2人。
「何だって!?」
「確保だジョージ!」
「もちろんだフレッド!」
「「ヴァレー先生!良い所に!」」
どうも手遅れだったらしい。私は左右を双子に固められてグリフィンドールのテーブルまで招かれたのだった。
「一体どういう状況なの?」
クィリナスの対面に立ってそう尋ねると、彼は小さく笑った。
「自習をしていたMr.ウィーズリー、フレッドとジョージに質問を受けましてね。答えている間に質問者が増えて今に至っているという訳です」
「なるほど、流れでちょっとした塾を開講してしまったという事ね」
「そうとも言いますね」
双子はもちろんの事、N.E.W.T.試験があるパーシーにとっても少しでも分からない所は潰しておきたい所だろう。知識の幅が広いクィリナスは質問するには格好の相手だという事だ。例え解答が得られなくてもヒントを貰える可能性が高いから。
「あら、オリバーにマーカスまで?」
「先生、頭が茹で上がりそうです……」
「俺の方がお前よりマシだな、ちょっと単語が頭の中をグルグル回ってるだけだ!」
どちらもかなり限界が近いらしい。詰め込み型の学習だと試験終わりに全部忘れないか心配だが、今この2人にとっては目の前の試験をクリアする事の方が重要だろう。特にオリバーに関しては就職もかかっているのだから。
頑張っているのはよく分かる。他の子にしたってそうだ。だからきっと絆されてしまうのだろう。どれだけ自分が忙しくても、少し身体が重くとも、応えたいと思うから。
「ではこうしましょう。クィレル先生や私だけでは全員は見きれないわ。パーシー、それにセドリック、手伝ってもらえる?」
「はい、先生」
「もちろんです」
すぐに頷いた2人に「ありがとう」と笑いかけ、
「基本的にはパーシーはグリフィンドール生以外を、セドリックはハッフルパフ生以外を見てあげてくれるかしら?自寮の子には良くも悪くも遠慮が出るから」
と伝えた。
「「分かりました」」
2人はすぐに動いて、自分も勉強しながら周囲を見るようになった。
自分の事だけに集中していられる期間はあまり無い。これからどこに就職するにせよ、自分の勉強をしながら周囲を見る練習をするにはうってつけの機会だ。2人の成績は良い上に、人に物事を教えるという経験はその物への理解を深めると同時に得難い経験になるだろうから。
「よし」と気を引き締めて、私も目が虚空を彷徨い始めたマーカスや単語を朗読するだけになりつつあるオリバーを初めとした上級生のフォローに取り掛かった。
パーシーの教え方が厳しいとクレームが出たり、セドリックがついクディッチの話で他寮のチームメンバーと盛り上がってしまったりと少しトラブルはあったが、概ね問題無く放課後は過ぎ去った。パーシーとセドリックにとっても己を捉え直す機会となっていればいいのだけれど。
試験期間の直前に、ハグリッドからバックビークの控訴裁判が6日に決まったと伝えられた。丁度試験が終わる日だ。
魔法省からは役人と死刑執行人が来るとの事で、驚いて私は「何ですって?」と上擦った声で聞き返してしまった。
「聞き間違いかしら、役人と──死刑執行人?」
「そうです……」
「何て事……」
裁判をする気すら無いのだろうか。
死刑執行人まで連れて来るのだからその意図は明らかだが、このまま手をこまねいて待っている訳にはいかない。
私は即座にルシウスにあてて手紙を書いた。バックビークを訴える理由を問い質す内容の物だ。
そして、返事を持ったふくろうが到着しないまま、試験期間が始まった。
ハグリッドはやはり試験らしい試験は作ることができず、どの学年の試験も今まで1番監督しやすい物となった。
一方、薬草学は1年生以外は例年通り温室で試験を執り行い、学年に見合った薬草の世話の仕方や危険な植物への対処方法を出題した。1年生は薬草のスケッチを見てその名前を羊皮紙に書き記す試験だった。
試験期間最終日前日、ルシウスからついに返事が来た。保留にしている契約はいつ頃締結するか目処を教えて欲しいという内容と共に、自らの息子であるドラコを傷付け、私に襲いかかった生物に対して適切に対処しているだけだと手紙には記されていた。それも理由だろうけれど、それだけではないだろう。ダンブルドア先生とルシウスの間に屈託がある事はセブルスから聞いた事がある。それも今回バックビークを訴えた原因ではないだろうか。あけすけに言えば嫌がらせ。ダンブルドア先生はあまり困っていないかもしれないけれど。きっとルシウス自身もそれは分かっている筈なのに。
明日直接話ができる機会があれば、訴えの取り下げについて話したい。ドラコも同じ思いであれば説得しやすいのだけれど、どうかしら。
夕日に照らされて黄金に輝くふくろうの羽を撫でてから、おやつを上げて小屋へと帰る様に促し、私は脱狼薬の調合のため地下牢教室へと向かった。
試験最終日はバックビークの裁判と日程が被っていたため、ダンブルドア先生に直談判して試験監督を免除としてもらったのだ。午前中の試験準備は手伝う様にとのお達しだったから、少しでも早く終わらせなければ。
朝食後しばらくすれば、「危険生物処理委員会」の魔法使いがやって来る。気が重くて思わず小さく溜息を吐くと、隣でサンドイッチを食べていたセブルスがこちらをチラリと見た。
「……悩み事かね」
「ええ、少しね。……今日、バックビークの控訴の日なの」
「勝算は」
「残念ながらあるとは言えないわ。ロン達は張り切って準備してくれていたけれど……」
子供達がバックビークの控訴のために用意した資料は、クィリナスを通じてハグリッドの元へ届いている。それが上手く活用される事を祈るしかない。
「珍しい事があるものだ、君が弱気になるなど」
「弱気になっている訳ではないのだけれど、クィリナスや私は同席できないから心配なの。訴えたのがルシウスだから尚更だわ」
セブルスが片眉を上げた。
「何故ルシウスが?ドラコが関わっているからか」
「ええ、それに私も傷付けられたから、と理由を問うた手紙に返ってきたわ。それだけではないと思ってはいるけれど」
「そうだろうな」
セブルスはフン、と鼻息を吐いた。
「何とかなると良いのだけれど……」
今日でバックビークの運命が決まってしまう。最悪の事態だけは何とか避けねばなるまい、と私は気合いを入れ直してハムサンドに手を伸ばした。
そして始まった試験の合間にホグワーツの正面玄関を通りがかると、玄関前の階段を2人の魔法使いが登って来るのが見えた。
きっと「危険生物処理委員会」だろう。
私がそう思いながらあえて玄関前で待っていると、階段を登りきった2人の内のとても年嵩の男性が「やれやれ……」と細い息を吐いた。
「こりゃあどうも。ダンブルドアはいらっしゃるかね?」
「ええ、ご案内します」
「頼むよ」
祖父以上に歳いって見えるその男性に合わせてゆっくり歩き出すと、彼は「危険生物処理委員会」のローランド・アントンと名乗った。
「……俺はワルデン・マクネアだ」
真っ黒な細い口髭を生やした大柄の魔法使いは、ボソボソと低い声で名乗った。
その腰にぶら下がっている斧さえなければもう少し友好的に話せるのだが、その鈍い輝きは私を少し落ち着かなくさせていた。まるでハグリッドの敗訴が最初から決まっているかの様ではないか。
「メリル・ヴァレーと申します。薬草学と魔法生物飼育学の教授補佐をしています」
「おお、貴女が……」
Mr.アントンは驚きに目を見開き、Mr.マクネアは少しだけ片眉を上げた。その反応に以前面識があったかと思ったが、こちらに心当たりは無い。
「お会いした事がありましたか?すみません、思い出せなくて」
「いやいや、直接は初めてじゃ。今回の件の関係者としてお話だけ聞いておっての」
「そうでしたか」
私が頷いていると、今度はMr.マクネアが唸る様に話し出した。
「……俺の昔の同僚が、時折会う度に貴女の話を。魔法生物に精通していて魔法生物の取り締まりにとても協力いただいていると」
「私のしている事は小さな事ですよ」
「しかし彼は感謝していました」
「それならば良かったです」
丁度話が終わったタイミングで、校長室への階段を守る像の前に辿り着いた。
「ショートブレッド!」
……ダンブルドア先生も私の差し入れを食べたのかしら?
甘いお菓子が好きな方だから大いにありえる、なんて思いながら、私は重厚な音と共に現れた階段を先導して登り始めた。
「おお、ここまで階段を登るのは大変じゃったろう」
校長室に入ると、ダンブルドア先生は立ち上がってこちらを出迎えた。
「お茶でもどうかね?まだ時間はたっぷりあるじゃろう」
「ううむ、もらおうかの」
少し躊躇った後Mr.アントンがソファに腰を下ろすと、Mr.ワイルドハントはその後ろに立った。
「そちらは良いのかの?」
「そうもゆっくりはできんのじゃ、ダンブルドア。魔法大臣に立会いを頼んでおってな、そろそろ来る頃じゃろう」
ダンブルドア先生は杖を振って人数分の紅茶を用意しながら「おや、初耳じゃな」と軽く眉を上げた。
「ファッジも忙しい筈じゃが」
「何でもブラックの事件の関係で用があるようじゃ」
「ふうむ、なるほどのう」
「メリルも座りなさい」と優しく促され、私は「ありがとうございます」とダンブルドア先生の隣に腰を下ろした。
「そうそう、今回の裁判にはメリルにも参加してもらうが良いかね?」
「Miss.ヴァレーを?関係者なんじゃろう?強いて参加させなくとも……」
「関係者じゃからこそ、じゃ。ローランド、当事者だからこそ言いたい事もあろう」
「ふうむむ……」
Mr.アントンは困った様に唸ってしまったが、ダンブルドア先生と話す内に最終的には頷いた。ただし、傍聴のみという条件で。やはり先生はお茶目なだけではない。
短いお茶の時間を楽しんだ後、ダンブルドア先生はまだ片付けなければならない仕事があるとの事で、私は「危険生物処理委員会」の2人を連れて魔法大臣を出迎えに正面玄関へ向かった。
結論から言って、城の一角で行われた裁判は結論ありきの物だった。ダンブルドア先生はハグリッドと共に判決をひっくり返すために尽力したが、ルシウスが背後にいるであろうMr.アントンは判決を変える事はなく、ハグリッドの敗訴が決定してしまった。バックビークは処刑されてしまうのだ。
私だって何度声を上げようとしたか知れないが、傍聴だけの参加条件であり、私の参加を認めさせたダンブルドア先生の顔を立てて何とか静かにしていた。
本当に、こんな事ってない。
苛立ちすら覚えるが、打つ手があまりにも思い浮かばない。私がバックビークを逃したとしてもすぐに判明するだろう。そして真っ先に疑われるのはハグリッドで、弁明すらまともにできなくなる可能性が高い。
「私も立ち会います」
形だけの裁判の後に私がそう名乗り出ると、Mr.アントンはあからさまに戸惑った様子を見せた。
「じゃが、貴女は女性で──」
「関係ありません。私は関係者であり、魔法生物飼育学の教授補佐です。彼らを管理する責任は私も有しているのです」
「失神しないなら良いのでは?」
悩むMr.アントンに低く口を挟んだのはMr.マクネアだった。それが意外だったのか、Mr.アントンはびっくりした様にパチパチと瞬きした後、「うむ、うむ、そうじゃな……」と何度か頷いた。
「Miss.ヴァレー、女性の貴女にとっては目を覆いたくなる場面になると思うのじゃが、それでも良いのかね?」
「ええ、覚悟の上です」
私がバックビークのためにできる事はもう、最期まで側にいてあげる事しかないのだから。
私はMr.アントンの目を見詰めてしっかりと頷いた。
日の傾いた芝生を、ハグリッドの小屋へと向けて歩く。前を行くダンブルドア先生は妙にゆっくりと歩いている気がする。高齢のMr.アントンを気遣っているのか、ハグリッドとバックビークの時間をできるだけ長く取っているのか、あるいはそのどちらもか。
Mr.マクネアは少しせっかちなのか、落ち着かなく斧を撫でている。
魔法大臣は場違いだと思っているのか、ダンブルドア先生と取り止めのない雑談を話してばかりだ。ブラックの事件についてはどうなっているのだろうか。進展があれば預言者新聞にでも載りそうなものだから、あまり状況の変化は無いのかもしれない。
時間をかけて森番小屋に辿り着き、扉を何度かノックするとようやくハグリッドが顔を出した。その顔色は真っ白になっていて、ほとんど羊皮紙の様だ。
私はそこで奇妙な違和感を覚えた。突然ダンブルドア先生が魔法大臣に「おや、大臣、あそこにとても貴重な鳥が」とあらぬ方向を指差したのだ。その先に目をやっても、鳥どころか虫の影さえ無い。
ダンブルドア先生が何も考えずにそんな事をする筈がない。何かから目をそらさせるためか、時間稼ぎのためだろうか?
しかしここで私が下手に行動して、ダンブルドア先生の邪魔をする訳にはいかない。辺りを観察したくなる衝動を堪え、私は先生と魔法大臣に続いて小屋へと足を踏み入れた。
「獣はどこだ?」
最初に話した時とは打って変わって、Mr.マクネアが冷たくそう言った。
「外──外にいる」
Mr.マクネアはズカズカと窓際に近付き、外を覗いてバックビークをじっと見た。
「ハグリッド、我々は──その──死刑執行の正式な通知を読み上げねばならん。短く済ますつもりだ。それから君とマクネアが書類にサインする。マクネア、君も聞く事になっている。それが手続きだ」
Mr.ファッジが落ち着かなくそう言うと、Mr.マクネアは渋々といった様子で窓から離れてこちらへ戻って来た。
「それは我々も聞いても良い物じゃな?わしと、そしてメリルも」
「はい?あ、ああ、もちろんだとも。何の支障も無い。何せホグワーツの校長と魔法生物飼育学の教授補佐だからな」
ダンブルドア先生の問い掛けに不意を突かれた顔をしたMr.ファッジは、慌てて首を上下させた。
違和感は最早確信へと変わりつつあった。ダンブルドア先生は時間稼ぎをしている。目的は分からないが、必要な事なのだろう。それはきっと私の預かり知らぬ所で進行している何かであり、ハグリッドやバックビークの救いになる事なのかも。
チラリとダンブルドア先生を横目で見ると、先生は空色の瞳をキラキラさせながら一瞬ウィンクして見せた。私は顎を引く様に小さく小さく頷いた。やはり先生は何か知っている。
魔法大臣はローブの内側から羊皮紙を出し、それを開いて読み上げ始めた。
「『危険生物処理委員会』は、ヒッポグリフのバックビーク、以後被告と呼ぶ、が、6月6日の日没時に処刑さるべしと決定した──」
何だかソワソワする。まだすべき事がある様な、何かが起こりそうな、そんな予感。私は必死で頭を働かせた。
「死刑は斬首とし、委員会の任命する執行人、ワルデン・マクネアによって執行され──」
今私が持っているのは、杖、ウエストポーチ。そのポーチの中にはドライフルーツにカミカミ白菜に弾け豆、ナルシッサから貰った瓶に傷薬、縄、いくつかの捕獲用具、それから──。
私がポーチの中身を思い出している間に、Mr.ファッジの口上は終盤に差し掛かった。
「以下を証人とす。ハグリッド、ここに署名を……」
魔法大臣が指差した箇所に、ハグリッドがノロノロと名前を書いた。
「さあ、さっさと片付けましょうぞ」
Mr.アントンが力無く言った。彼はどうもこの裁判と処刑に乗り気でない──反対ではないが──様で、手早く終わらせてしまいたい様だ。
「ハグリッド、君は中にいた方が良くはないかの──」
「いんや、俺は──俺はあいつと一緒にいたい……あいつを独りぼっちにはしたくねえ──」
Mr.マクネアはハグリッドの言葉にただフン、と鼻息を吐き出した。
それからすぐに扉へと歩き出した彼に、ある事に気付いた私は「あっ」と声を上げた。
「Mr.マクネア?少し待ってください」
「……何か?」
立ち止まったMr.マクネアが顔だけで振り返った。その顔は少し不満そうにも見える。そんなに処刑をしたいのだろうか?
「貴方の署名も必要では?魔法大臣が最初に仰っていましたわ。そうでしょう?大臣?」
「ああ、うむ、もちろんそうだとも」
Mr.ファッジはMr.マクネアに向けてハグリッドの署名の横を指差して見せた。Mr.マクネアは眉を寄せた顔を誤魔化しもせずに羊皮紙まで戻って来た。
またチラリとダンブルドア先生を見ると、先生は小さく頷いてくれた。どうやら私の考えは間違ってはいないらしい。気になるのはネックレスの石が仄かに温かい事だ。温いという程度なのだが、森に何か潜んでいるのだろうか。こんなにも安全なホグワーツに?
考えに気を取られそうな端でMr.マクネアが素早く署名を終わらせ、またも扉へと向かおうとした。他に時間を稼ぐ方法は、と急いで頭を回していた私の側で、ダンブルドア先生がMr.ファッジへと口を開いた。
「時にファッジよ、署名はハグリッドとマクネアだけで良いのかね?」
「どういう意味だね?最初に説明したが──」
魔法大臣が訝しげに言い差したのを、ダンブルドア先生は穏やかに手で制した。
「いや、いや、分かっておる、分かっておるとも。手続きには最低限、2人の署名で充分なのじゃろう。だが、この場にはわしもメリルもおる。ホグワーツ校長のわしと、魔法生物飼育学教授補佐のメリルが、じゃ。その通知の正当性を高めるために、立ち会った者の署名は必要無いかね?」
「なるほど、なるほど……」
Mr.ファッジは戸惑った様子で、Mr.アントンをチラリと見た。視線を受けたMr.アントンも困った様に眉を下げ、中々進まない状況にMr.マクネアは苛々している様だった。
「もちろん無理にと言うつもりはない。その通知を実行に移すには充分なんじゃから。そう、つまり親切心で書類の説得力のために申し出ただけじゃ。不要ならばそう言ってもらえれば良い──」
「うむ、うむ、いつも魔法省への協力感謝する。ではここに署名してもらうとしよう」
Mr.ファッジはせかせかとダンブルドア先生の前まで来て、ハグリッドの署名の下を示した。先生はゆっくりとサインし、私もそれに続いた。
「もう充分でしょう」
苛立った声でMr.マクネアはそう言った。それから荒い足音を立てながら歩いてバタンと乱暴に小屋の裏戸を開けた。
ダンブルドア先生が何も言わないという事は、もう時間稼ぎは必要無いのだろう。私はハグリッドと共に一行の最後に小屋を出た。
「どこじゃ?」
Mr.アントンの声に、私は視界がぱあっと開いた様な心地に包まれた。
「ここに繋がれていたんだ!俺は見たんだ!ここだった!」
苛立ちが爆発した様にMr.マクネアはカンカンに怒った。
「これは異な事」
どこか面白がる様にダンブルドア先生は言った。口元こそ笑っていないが、その目はキラキラと輝いている。
「ビーキー!」
ハグリッドが声を詰まらせた。私も思わず鼻がツンとした。少なくとも今すぐバックビークの命が無くなる事態は回避できた。
シュッという音に続いてドサッと斧が振り下ろされた。どうもMr.マクネアは癇癪を起こした様子だった。
「いない!いない!良かった……可愛い嘴のビーキー、いなくなっちまった!きっと自分で自由になったんだ!ビーキー、賢いビーキー!」
啜り泣き始めたハグリッドの背を撫でる。バックビークが自力で脱出したとは考えにくいが、事実としてあの子はここにはいない。誰かが逃がしてくれて、ダンブルドア先生はそのために時間稼ぎを?
「誰かが綱を解いて逃がした!探さなければ。校庭や森や──」
「マクネア、バックビークが盗まれたのなら、盗人はバックビークを歩かせて連れて行くと思うかね?」
歯噛みするMr.マクネアに、ダンブルドア先生はまだ面白がっている様な声で告げた。
「どうせなら、空を探すが良い……ハグリッド、お茶を1杯頂こうかの。ブランデーをたっぷりでも良いの」
「は──はい、先生様」
ハグリッドは全身から力が抜けた様に首をガクンガクンと上下させた。その顔は喜色に輝いている。私も同じ気持ちで自然と口元が緩んだ。
「お入りくだせえ、さあ……」
促されるまま、また全員で小屋の中に戻った。Mr.マクネアは心底不満そうにブツブツと悪態をつきながらではあったが。
バックビークの逃亡を歓迎する様に、西日は赤く輝いて風は青い草花の香りを運んでいた。
たっぷりのブランデー入りの紅茶──ハグリッドは本当に皆のカップにたっぷり入れていたから私は流石にブランデー入りは断った──を楽しんでから、私達は行きと同じくゆっくりと城に戻った。時間稼ぎのためではなく、ブランデーでより足元が覚束無くなってきたMr.アントンに合わせてだった。
「危険生物処理委員会」の2人とダンブルドア先生、Mr.ファッジは今後の対応とブラックの事件について話し合うとの事で、私は城の玄関ホールで4人と別れた。今日も脱狼薬の調合をしなければならないのだ。夜が近い、急がなければ。
早足で廊下を進んでいると、曲がり角で不意に視界が真っ黒に染まった。
「っ!セブルス!?」
「……メリルか」
黒いローブの主はそう低く呟いた。その目はどこか切羽詰まっている様にも、強い感情にギラギラと輝いている様にも見える。
「どうしてここに……脱狼薬の調合は──」
「今はそれどころではない」
「どこへ行くの……!?」
さっさと行ってしまいそうなセブルスの腕を掴んで引き止めると、彼は既に寄っていた眉を更に寄せた。
「君には関係の無い事だ」
バッと振り解かれた手に感じた以上の衝撃が私の胸を襲った。こんな拒否のされ方は久方ぶりで、思わぬ傷を負った心が痛みを訴える。
指先が冷たくなって全身が固まる。きっと以前ならそのままセブルスを見送ってしまう所だった。
でも、もう昔の私とは違う。
グッと奥歯に力を込めて、足早に遠ざかる背中を私はすぐに追った。
城の玄関でやっとセブルスに追い付いた私は、並走しながら「説明して」と迫った。
「君には──」
「関係が無いとは言わせないわ。貴方が関わっていて私が気にせずにいられると思わないで」
セブルスは一瞬押し黙った後に「……地図に名前があった」と低く唸った。
「地図?」
「ルーピンの部屋の机に置かれていた。そこに奴の名前があり、そして──ここで消えた」
奴?と私が内心首を傾げている間にセブルスが立ち止まったのは、何と暴れ柳の前だった。貴重で恐ろしい柳には、もう痛々しい包帯も修復の跡も見えない。
鬼気迫る目で周囲をキョロキョロと見渡したセブルスは、暗い色の布を見つけて手に取った。
「それは?」
「分からん。が、奴らがこれを持っているのを見た事がある」
「待って、セブルス」
私はセブルスの持っている布──マントだろうか──を見て息を呑んだ。正確には布を持ったセブルスの腕を見て。
「セブルス、腕、腕が──消えているわ」
「……何?」
布を掛けた自らの腕を見下ろしたセブルスは眉を釣り上げ、「……そういう事か」とフン、と鼻息を吐いた。その唇は忌々しげに歪んでいる。
「これからどうするの」
「決まっているだろう」
セブルスは側に落ちていた長い棒で暴れ柳の瘤を突いた。すると驚く事に、柳はその動きの一切を停止させた。
「ど、どうして……いえ、セブルス、何故知っているの……!?」
「……言いたくない。行くぞ」
そう吐き捨て、セブルスはバサリと私諸共に布を被って走り出した。私も慌てて足を動かして、セブルスに続いて柳の根元にぽっかりと空いていた穴に滑り込んだ。
セブルスの狂気にも近い雰囲気に、私の背には知らず汗が伝っていた。
私雨「下は晴れているのに、山の上の狭い範囲だけに降る雨のこと」
42話目です。
ついに運命の日、バックビークの控訴の日の前編をお送りします。この1日は本当に長くて、前編と書きましたが後編だけで終わるか自信はありませんw
原作では、ハリー達は試験中なので仕方がないですが、バックビークの控訴の事は一切書かれていなくて、書き飛ばすかすごく悩みました。結果としてほとんど飛ばしちゃったんですけど……はい……技量と妄想力が追いつかなくて……。
次回は親世代組の独壇場になりそうな気配を感じつつ、Twitter(現X)でも以前呟いた「セブルス、嫉妬の大暴走」と「鉄拳制裁は平等に」のフラグを立てられたらなと思ってます。