百合の影から覗いて   作:細雨

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事態急転、五月雨の真実〜アズカバンの囚人篇〜

暴れ柳の根元に空いた穴の奥は、真っ暗なトンネルになっていた。遠くに僅か明るい穴が見えるから、おそらくあそこが出口なのだろう。しかし一体どこに続いているのか全く分からない。

「……ねえ、セブルス」

足早に出口に向かうセブルスに小さく声を掛けると、チラリと横目でこちらを見た。どうやら続けて良いらしい。

「さっき言っていた『奴』って誰の事なの?『奴ら』はあの4人組の事でしょう?」

セブルスがグッと目元を険しくさせた。その口の端は限界までひん曲がっている。

「……ルーピンだ」

「リーマス?どうしてこんな所に……」

今日は本当に予想外な事が多過ぎる。バックビークの裁判に魔法大臣が立ち会った事や、反対に訴えた本人であるルシウスが姿を現さなかった事、バックビークが処刑から逃げおおせた事、それに何か知っている素振りのダンブルドア先生。それにリーマスの謎の行き先。そしてセブルスと被っている、恐らく透明マント──しかも本物の!──だろう布。

連日の疲労のせいで頭がきちんと働いていない。それらは関係無いのかもしれないのに、妙に勘繰ってしまう。

「……もう着くぞ」

いつの間にか仄かな明るさが目の前だ。私は近い薬草の香りに高鳴りそうな胸の内を叱咤して、唇を引き結んで頷いた。

トンネルはどこかの屋敷の内側に繋がっていた。どこもかしこも古びてボロボロの内装だったが、何故か既視感がある。

「ここは……?」

「『叫びの屋敷』だ」

道理で、と声には出さず納得した。ホグズミードに通う者なら誰でも知っている建物だ。既視感がある筈である。

ふとどこかで物音がした。互いに立ち止まって目を合わせ、どちらからともなく頷いた。何が、もしくは誰がいるかは分からないが、おそらくセブルスの目的は音のした場所だ。そして恐らくそこにリーマスもいるのだろう。

私達は音を立てない様に慎重に歩みを再開した。物音は今でも続いており、その内にそれが2階部分からすると分かった。今にも軋みそうな階段を息を合わせて登ると、物音が人の話し声だと分かってきた。しかも聞き覚えのある声が複数する。

すぐ隣で、セブルスの肩が強張ったのをローブ越しに感じた。その横顔はずっと張り詰めていて、最早痛々しい程。

「──私は12年も待った。もうそう長くは待てない」

近くの部屋の中から聞こえた知らない声──いや、どこかで聞き覚えがある様な気がする、でも一体どこで?──に、セブルスの肩が揺れる。

そのまま足早にある部屋へ向かったセブルスの後を、布からはみ出さない様に急いで追う。

「分かった……だが、シリウス、君にも助けてもらわないと。私はそもそもの始まりの事しか知らない……」

低く聞こえたリーマスの言葉に、私の頭に衝撃が走った。

──シリウス?そんな名前でリーマスがあんなに親しげに呼ぶ相手なんて1人しかいない!シリウス・ブラック!何故リーマスといるの……!?

脳裏にシリウス・ブラックの事を聞いた時のリーマスの苦しげに歪んだ顔が蘇る。

──あの苦渋の色は本物だと思ったのに!

私が驚愕に固まっている間に、セブルスは部屋の戸を躊躇無く開けた。果たしてそこには2人の成人した魔法使いと子供が3人いた。

子供はハリー達3人組で、扉と対角線上の部屋の隅に固まっているその顔は一様に張り詰めている。そして大人の内の1人であるリーマスが足早にこちらに向かって来るのを、何とか2人で回避して端にある埃まみれのベッド側の壁際に移動して息を潜めた。

階段の踊り場の方まで見に行ったリーマスは「誰もいない……」と緩く首を振りながら戻って来た。どうやら本当にこちらの姿は見えていないらしい。という事は、私達が今被っている布は、本当に正真正銘本物の透明マントなのだ。

特別な品物に高揚しかける気持ちを引き締め、私はセブルスにピタリと引っ付いて、万が一にも足や服の端がマントから出ない様に気を配った。

「ここは呪われてるんだ!」

引き攣った声でロンが言った。その片足は不自然な方向に曲がっており、折れている事が一目で分かった。応急処置をしてあげたいが状況が分からない。私はグッと小さく拳を握り締めて、リーマスではないもう1人の魔法使いを見詰めた。

「そうではない」

リーマスは未だ扉の方へと訝しげに目を向けたまま続けた。

「『叫びの屋敷』は決して呪われてはいなかった……村人がかつて聞いたという叫びや吼え声は、私の出した声だ」

リーマスは目にかかっていた白髪混じりの髪を掻き上げ、一瞬物思いにふける様に目を閉じ、それから瞼を開けてゆっくりと話し出した。

「話は全てそこから始まる──私が人狼になった事から。私が噛まれたりしなければ、こんな事は一切起こらなかっただろう……そして私があんなにも向こう見ずでなかったなら……」

リーマスは酷く疲れた様子だった。白髪のせいか人狼故の苦労のせいか、実年齢よりも老けて見える程だ。

「噛まれたのは私がまだ小さい頃だった。両親は手を尽くしたが、あの頃はまだ治療法が無かった。スネイプ先生やヴァレー先生が私に調合してくれた魔法薬は、ごく最近発明されたばかりだ。あの薬で私は無害になる。最近は改良しているからちょっぴり効能に差があるが、それでも飲まない時と比べれば段違いだ。分かるね、満月の夜の前の1週間、あれを飲みさえすれば、変身しても自分の心を保つ事ができる……。自分の事務所で丸まっているだけの、無害な狼でいられる。そして再び月が欠け始めるのを待つ」

リーマスが何故自らが何者か話し出しているのか分からない。そしてその隣に立つ男が悲しげな目で彼を横目で時折見るのも。あの男が、私の推測が確かならシリウス・ブラックその人の筈なのだが、記憶の中の彼とあまりに違い過ぎて確信が持てない。

「トリカブト系の脱狼薬が開発されるまでは、私は月に1度、完全に成熟した怪物に成り果てた。ホグワーツに入学するのは不可能だと思われた。他の親にしてみれば、自分の子供を、私の様な危険なものに晒したくない筈だ」

脱狼薬が開発されてからは、人狼への差別は多少なりともマシにはなった。しかし、それ以前は彼らは月に1度は理性も自我も失った状態となってしまっていた。だからこそ差別が生まれ、それは今でも綿々と続いてしまっている。リーマスの様な被害者の方が多いというのに。

「しかし、ダンブルドアが校長になり、私に同情してくださった。きちんと予防措置を取りさえすれば、私が学校に来てはいけない理由など無いと、ダンブルドアは仰った……」

リーマスは溜息を吐いた。それからハリーを真っ直ぐに見た。

「何ヶ月も前に、君に言ったと思うが、『暴れ柳』は私がホグワーツに入学した年に植えられた。本当を言うと、私がホグワーツに入学したから植えられたのだ。この屋敷は──」

リーマスはやるせない表情で室内を見渡した。

「──ここに続くトンネルは──私が使うために作られた。1ヶ月に1度、私は城からこっそり連れ出され、変身するためにここに連れて来られた。私が危険な状態にある間は、誰も私に出会わない様にと、あの木がトンネルの入口に植えられた」

キーキーと鳴くネズミの声がする。スキャバーズだろう。それによく見ると何故かクルックシャンクスもいる。

「その頃の私の変身ぶりといったら──それは恐ろしいものだった。狼人間になるのはとても苦痛に満ちた事だ。噛むべき対象の人間から引き離され、代わりに私は自分を噛み、引っ掻いた。村人はその騒ぎや叫びを聞いて、とてつもなく荒々しい霊の声だと思った。ダンブルドアはむしろ噂を煽った……今でも、もうこの屋敷が静かになって何年も経つのに、村人は近付こうともしない……」

思わぬ所でここが「叫びの屋敷」で、しかも呪われてなどいないただの避難所である事が判明した。リーマスの状況を考えれば、確かに必要な措置だろう。まさか城内に置いておく訳にもいくまい。

「しかし、変身する事だけを除けば、人生であんなに幸せだった時期は無い。生まれて初めて友人ができた。3人の素晴らしい友が。シリウス・ブラック……ピーター・ペティグリュー……それから、言うまでもなく、ハリー、君のお父さんだ──ジェームズ・ポッター」

小さな笑みがリーマスの口の端に登った。それは本当に幸せな時間だったのだろう。

「さて、3人の友人が、私が月に1度姿を消す事に気付かない筈がない。私は色々言い訳を考えた。母親が病気で、見舞いに家に帰らなければならなかったとか……私の正体を知ったら、途端に私を見捨てるのではないかと、それが怖かったんだ。しかし、3人は、ハーマイオニー、君と同じ様に本当の事を悟ってしまった……」

ハーマイオニーが、リーマスが人狼である事を悟った?何がキッカケだったのだろう。調合している所も脱狼薬を渡している所も見せていない筈なのに。確かに彼女は優秀だが、何かしらのとっかかりが無いと気が付くものではない筈なのだけれど。

私が内心首を傾げている間にもリーマスの話は続く。

「それでも3人は私を見捨てはしなかった。それどころか、私のためにある事をしてくれた。お陰で変身は辛くないものになったばかりでなく、生涯で最高の時になった。3人とも『動物もどき』になってくれたんだ」

「僕の父さんも?」

ハリーが驚きに目を瞬かせて聞いた。

「ああ、そうだとも」

リーマスが頷いた。

あんなに難しく複雑な魔法を3人とも?凄い事ではあるけれど、手放しで賞賛できる事ではない。魔法省が「動物もどき」を登録して管理しているのも理由があるのだ。

「どうやればなれるのか、3人はほぼ3年の時間を費やしてやっとやり方が分かった。君のお父さんもシリウスも学校いちの賢い学生だった。それが幸いした。何しろ、『動物もどき』変身はまかり間違うと、とんでもない事になる。魔法省がこの種の変身をしようとする者を厳しく見張っているのもそのせいなんだ。ピーターだけはジェームズやシリウスに散々手伝ってもらわなければならなかった。5年生になって、やっと、3人はやり遂げた。それぞれが、意のままに特定の動物に変身できるようになった」

「でも、それがどうして貴方を救う事になったの?」

ハーマイオニーが不思議そうに首を傾げた。

「人間だと私と一緒にいられない。だから動物として私に付き合ってくれた。狼人間は人間にとって危険なだけだからね。3人はジェームズの『透明マント』に隠れて、毎月1度こっそり城を抜け出した。そして、変身した……ピーターは1番小さかったので、『暴れ柳』の枝攻撃を掻い潜り、下に滑り込んで、木を硬直させる節に触った。それから3人でそっとトンネルを降り、私と一緒になった。友達の影響で、私は以前程危険ではなくなった。身体はまだ狼の様だったが、3人と一緒にいる間、私の心は以前程狼ではなくなった」

「リーマス、早くしてくれ」

殺気立った凄まじい形相で、シリウス・ブラックだろう男がリーマスを急かした。その目はスキャバーズを一心に睨み付けている。

「もうすぐだよ、シリウス。もうすぐ終わる……そう、全員が変身できる様になったので、ワクワクする様な可能性が開けた。程なく私達は夜になると『叫びの屋敷』から抜け出し、校庭や村を歩き回る様になった。シリウスとジェームズは大型の動物に変身していたので、狼人間を抑制できた。ホグワーツで、私達程校庭やホグズミードの隅々まで詳しく知っていた学生はいないだろうね……こうして、私達が『忍の地図』を作り上げ、それぞれのニックネームで地図にサインした。シリウスはパッドフット、ピーターはワームテール、ジェームズはプロングズ」

「どんな動物に──」

聞きかけたハリーを遮って、ハーマイオニーが口を挟んだ。

「それでもまだとっても危険だわ!暗い中を狼人間と走り回るなんて!もし狼人間が皆を上手く撒いて、誰かには噛み付いたらどうなったの?」

ハーマイオニーの言う通りである。完全体の人狼が校庭や村を自由に歩き回っていたなんて、もしもの事があったらと思うと背筋が凍る心地だ。

「それを思うと、今でもゾッとする」

リーマスは重苦しい声で言った。大人になって自らを顧みられる様になったのだろう。当時の行動がどれ程軽率だったか……下手したら可哀想な人狼が増えていた可能性すらあったのだ。

「あわや、という事があった。何回もね。後になって皆で笑い話にしたものだ。若かったし、浅はかだった──自分達の才能に酔っていたんだ」

ふう、と小さくリーマスは息を吐いた。それには自嘲の色が濃く載っていた。

「もちろん、ダンブルドアの信頼を裏切っているという罪悪感を、私は時折感じていた……他の校長なら決して許さなかっただろうに、ダンブルドアは私がホグワーツに入学する事を許可した。私と周りの者の両方の安全のために、ダンブルドアが決めたルールを、私が破っているとは、夢にも思わなかっただろう。私のために、3人の学友を非合法の『動物もどき』にしてしまった事を、ダンブルドアは知らなかった。しかし、皆で翌月の冒険を計画する度に、私は都合良く罪の意識を忘れた。そして、私は今でもその時と変わっていない……」

リーマスの横顔は強張っていて、それはその声も同様だった。

「この1年というもの、私は、シリウスが『動物もどき』だとダンブルドアに告げるべきかどうか迷い、心の中で躊躇う自分と闘ってきた。しかし、告げはしなかった。何故かって?それは、私が臆病者だからだ。告げれば、学生時代に、ダンブルドアの信頼を裏切っていたと認める事になり、私が他の者を引き込んだと認める事になる……ダンブルドアの信頼が私の全てだったのに。ダンブルドアは少年の私をホグワーツに入れてくださったし、大人になっても、全ての社会から締め出され、正体が正体なので、まともな仕事にも就けない私に、職場を与えてくださった。だから、私はシリウスが学校に入り込むのに、ヴォルデモートから学んだ闇の魔術を使っているに違いないと思いたかったし、『動物もどき』である事は、それとは何の関わりも無いと自分に言い聞かせた……だから、ある意味ではスネイプの言う事が正しかった訳だ」

「スネイプだって?」

シリウス・ブラックは初めてスキャバーズから視線を逸らし、リーマスへとそのやつれた顔を向けた。

「スネイプが、何の関係がある?」

「シリウス、スネイプがここにいるんだ。あいつもここで教えているんだ」

そう重苦しく言ってから、リーマスは改めて子供達を見た。

「スネイプ先生は私達と同期なんだ。私が『闇の魔術に対する防衛術』の教職に就く事に、先生は強硬に反対した。ダンブルドアに、私は信用できないと、この1年間言い続けていた。スネイプにはスネイプなりの理由があった……それはね、このシリウスが仕掛けた悪戯で、スネイプが危うく死にかけたんだ。その悪戯には私も関わっていた──」

初耳だ。バッとセブルスを振り仰ぐと、限界まで眉が寄り、奥歯をギリギリと音がしそうな程噛み締めていた。どうやら事実ではあるらしい。

「ハッ!」とシリウス・ブラックが嘲る様に鼻で笑った。

「当然の見せしめだったよ。コソコソ嗅ぎ回って、我々のやろうとしている事を詮索して……我々を退学に追い込みたかったんだ……」

「セブルスは私が月に1度どこに行くのか非常に興味を持った」

リーマスは少し言葉を探す素振りをしながら続けた。

「私達は同学年だったんだ。それに──つまり──ウム──お互いに好きになれなくてね。セブルスは特にジェームズを嫌っていた。妬み、それだったと思う。クディッチ競技のジェームズの才能をね……とにかく、セブルスはある晩、私が校医のマダム・ポンフリーと一緒に校庭を歩いているのを見付けた。マダム・ポンフリーは私の変身のために『暴れ柳』の方に引率していくところだった。シリウスが──その──からかってやろうと思って、木の幹のコブを長い棒で突つけば、後をつけて中に入る事ができるよ、と教えてやった。そう、もちろん、スネイプは試してみた──もし、スネイプがこの屋敷までつけてきていたら、完全に人狼になりきった私にであっただろう──しかし、君のお父さんが、シリウスのやった事を聞くなり、自分の身の危険も顧みず、スネイプの後を追いかけて、引き戻したんだ……しかし、スネイプはトンネルの向こう端にいる私の姿をチラリと見てしまった。ダンブルドアが、決して人に言ってはいけないと口止めした。だが、その時から、スネイプは私が何者なのか知ってしまった……」

「だからスネイプは貴方が嫌いなんだ。スネイプは貴方もその悪ふざけに関わっていたと思った訳ですね?」

「その通り」

ハリーの問いかけに答えたのは、リーマスでもシリウス・ブラックでもなかった。

嘲る様な声でそう言ったセブルスは、透明マントをバサリと脱ぎ捨て、杖をピタリとリーマンへと向けた。

制止する暇なく動いたセブルスに、私は思わずマントを握ったまま固まってしまった。

ハーマイオニーは悲鳴を上げ、シリウス・ブラックは抜いていた気を引き締める様にサッと構える素振りを見せた。ハリーは飛び上がり、リーマスは信じられないという風に瞠目した。

「『暴れ柳』の根元でこれを見つけましてね」

セブルスは杖をリーマスの胸に突き付けたまま、顎をしゃくって私の手にあるマントを示した。

「ポッター、中々役に立ったよ。感謝する……」

セブルスの息が浅い。仇敵である男を追い詰めた勝利の予感に興奮しているのか、リリーの復讐ができると高揚しているのか……私には窺いしれない。私の杖は未だローブの内側に収まったまま。

「我輩がどうしてここを知ったのか、諸君は不思議に思っているだろうな?」

セブルスが口の端を引き攣る様に釣り上げた。その目は狂気にも似た激情にギラギラと光っている。

「君の部屋に行ったよ、ルーピン。今夜、例の薬を飲むのを忘れた様だから、我輩がゴブレットに入れて持って行った。持って行ったのは、まことに幸運だった……我輩にとってだがね。君の机に何やら地図があってね。一目見ただけで、我輩に必要な事は全て分かった。君がこの通路を走って行き、姿を消すのを見たのだ」

「セブルス──」

リーマスが何か言いかけたが、構わずセブルスは続けた。

「我輩は校長に繰り返し進言した。君が旧友のブラックを手引きして城に入れているとね。ルーピン、これが良い証拠だ。いけ図々しくもこの古巣を隠れ家に使うとは、流石の我輩も夢にも思い付きませんでしたよ──」

「セブルス、君は誤解している。メリルも君も、話を全部聞いていないんだ──説明させてくれ──シリウスはハリーを殺しに来たのではない──」

リーマスが切羽詰まった様に言うが、セブルスは取り付く島もない。

「今夜、また2人、アズカバン行きが出る」

どこか熱に浮かされた様な声でセブルスが言う。

「ダンブルドアがどう思うか、見物ですな……ダンブルドアは君が無害だと信じ切っていた。分かるだろうね、ルーピン……飼い慣らされた人狼さん……」

その言葉に、狼狽していたリーマスがキッと眦を険しくした。

「愚かな。学生時代の恨みで、無実の者をまたアズカバンに送り返すというのかね?」

そこからは一瞬だった。

セブルスの杖が振るわれたのと、バーン!という大きな音がしたのはほぼ同時。そしてリーマスはセブルスの杖から吹き出た細い紐によってその口、手首、足首を縛られてしまった。そしてそのままバランスを崩して床に倒れ込んでしまった。

「セブルス……!」

思わず声を上げた私に構わず、唸り声を上げて襲いかかってきたシリウス・ブラックの眉間にセブルスは杖を突き付けた。

「やれるものならやるがいい。我輩にキッカケさえくれれば、確実に仕留めてやる」

セブルスは低い声でそう言い、ピタリと動きを止めたシリウス・ブラックと睨み合った。互いの顔に浮かぶ憎悪は甲乙つけがたい激しさだった。誰の介入も許さない程。

子供達も私も、どうするべきか判断つかずにその場に立ち尽くしていた。

恐らく何がしかの話の途中から私達はこの部屋に来たのは確実だろうけれど、それとシリウス・ブラックを、そしてリーマスを信じるのはまた別の話だ。分からない事が多過ぎて、動けない。それは私自身が当事者ではないからかもしれないけれど。

硬直した状況で、ハーマイオニーがおずおずと1歩踏み出して怖々としながら言った。

「スネイプ先生──あの──この人達の言い分を聞いてあげても、害は無いのでは、あ、ありませんか?」

「Miss.グレンジャー。君は停学処分を待つ身ですぞ」

セブルスはにべも無く吐き捨てた。

「君も、ポッターも、ウィーズリーも、許容されている境界線を越えた。しかもお尋ね者の殺人鬼や人狼と一緒とは。君も一生に1度くらい、黙っていたまえ」

「でも、もし──もし、誤解だったら──」

「黙れこのバカ娘!」

セブルスが突然噴火したかの様に声を荒らげた。ハーマイオニーの肩が驚きに揺れる。そして珍しく直接的に口汚く罵った彼は、荒い語気のまま叫んだ。

「分かりもしない事に口を出すな!」

シリウス・ブラックの眉間に突き立てたままのセブルスの杖先から、パチパチと火花がいくつか散った。魔力が乱れる程精神が揺れている証拠だ。

流石のハーマイオニーも黙りこくった。

「復讐は蜜より甘い」

セブルスはドロリとした昏い激情渦巻く声で囁く様に言った。

「お前を捕まえるのが我輩であったらと、どんなに願った事か……」

「お生憎だな」

シリウス・ブラックは憎々しげに唸った。

「しかしだ、この子がそのネズミを城まで連れて行くなら──」

ここでシリウス・ブラックはロンを、正確には彼が必死で捕まえているスキャバーズを顎で指した。

「──それなら私は大人しく着いて行くがね……」

何故ここでスキャバーズの存在をそこまで重く見るのだろう?

私は横目でチラリとロンの手の中で暴れ回るスキャバーズを見た。キーキーと耳障りな程に声を上げるネズミは、心底何かを恐れている様にすら見える。しかもクルックシャンクスまでその豊かな尾を揺らして、絶対に逃がすまいとずっとスキャバーズを見詰めているのだ。

スキャバーズには何かある。そう確信を持つには充分過ぎる程だ。元より疑わしい所はあったのだから。

「城までかね?」

フン、とセブルスは勝ち誇った様に鼻息を吐いた。

「そんなに遠くに行く必要はないだろう。柳の木を出たらすぐに、我輩が吸魂鬼を呼べばそれで済む。連中は、ブラック、君を見てお喜びになる事だろう……喜びの余りキスをする。そんな所だろう」

シリウス・ブラックは完全に顔色を無くした。それは自身の目論見が失敗に終わる予感ゆえか、それとも吸魂鬼に対する恐怖ゆえかもしれない。

「聞け──最後まで、私の言う事を聞け」

シリウス・ブラックの声が掠れた。

「ネズミだ──ネズミを見るんだ──」

しかしセブルスは男の事など一顧だにしなかった。最早耳を傾ける意味も無い──そもそも最初からほぼ聞いていなかっただろう──と、「来い、全員だ」と指を鳴らした。すると、リーマスを縛る紐の端が彼の手に収まった。

「我輩が人狼を引き摺って行こう。吸魂鬼がこいつにもキスしてくれるかもしれん──」

今のセブルスは冷静な判断ができない。

流石に止めようと私が動き出す前に、セブルスの前に躍り出た影があった。ハリーだ。

3歩で部屋を横切った少年は、扉の前に立ち塞がった。

「どけ、ポッター。お前はもう充分規則を破っているんだぞ。我輩がここに来てお前の生命を救っていなかったら──」

「ルーピン先生が僕を殺す機会は、この1年に何百回もあった筈だ。僕は先生と2人きりで、何度も吸魂鬼防衛術の訓練を受けた。もし先生がブラックの手先だったら、そういう時に僕を殺してしまわなかったのは何故なんだ?」

「人狼がどんな考え方をするか、我輩に推し量れとでも言うのか」

セブルスは目の端を釣り上げてハリーに凄んだ。

「どけ、ポッター」

「恥を知れ!」

ハリーが叫んだ。

「学生の時、からかわれたというだけで、話も聞かないなんて──」

「黙れ!我輩に向かってそんな口のきき方は許さん!」

ハリー以上の大音声でセブルスは叫んだ。

「蛙の子は蛙だな、ポッター!我輩は今お前のその首を助けてやったのだ。ひれ伏して感謝するがいい!こいつに殺されれば、自業自得だったろうに!お前の父親と同じ様な死に方をしたろうに。ブラックの事で親も子も自分が判断を誤ったとは認めない高慢さよ──さあ、どくんだ。さもないと、どかせてやる。どくんだ、ポッター!」

「セブルス!待って──」

私が制止のために1歩踏み出しのと同時、瞬時に杖を取り出したハリーが声高らかに唱えた。

「エクスペリアームス、武器よ去れ!」

呪文は三重奏に響いた。

扉の蝶番がガタガタと鳴る程の衝撃が走り、セブルスは私の目の前で足元から吹っ飛んで壁に激突し、そのままズルズルと床に滑り落ちた。黒い髪の下から鮮やかな赤が一筋タラリと垂れた。

「セブルス!」

マントを放り投げて慌てて駆け寄って彼の鼻下に手を翳す。

生きている。どうやら意識を失ってしまったらしい。私はポーチから手早く救急セットを取り出して止血した。心臓がどれ程冷えていてバクバクと変に跳ねていても、慣れた動作に手は勝手に動いてくれた。

その間にシリウス・ブラックはリーマスを紐から解き放った。リーマスは縛り付けられていた腕を擦りながら立ち上がった。

「メリル」

「寄らないで」

リーマスの呼びかけに、私は素早く立ち上がってついに杖を抜いた。杖先はリーマス、そしてその隣のシリウス・ブラックに向かっている。

「君なら分かるだろう?君なら、冷静に公平に判断できる筈だ。私達の話も聞いて欲しい」

「……私は今混乱しているわ。当然でしょう?殺人鬼がリーマス、貴方と仲良く連れ立って、それで、ハリーを殺しに来たのでないなら目的は何なの?答えて、リーマス。私、実戦に向いている方ではないけれど、今、貴方達を無力化する事もできるのよ」

「レディ、杖を──」

「黙りなさい!」

口を挟みかけたシリウス・ブラックにピシャリと吐き捨てる。セブルス程ではないけれど、私もこの男に対しては屈託や蟠りがあるのだ。

「貴方には聞いていないわ。リーマス、どうなの?」

「あの、先生、ヴァレー先生──話を聞いては、だめでしょうか?」

ハーマイオニーが泣きそうな声で言った。

「僕も、まだルーピン先生達を信じてる訳じゃないです」

ハリーが続けた。

「証拠はある──もちろんだ。それもこの場で示す事ができる」

「黙りなさいと──」

性懲りもなく割って入ってきたシリウス・ブラックを睨み付けると、リーマスが「メリル」と懇願する様に言った。

「メリル、本当なんだ。一瞬で分かる。少しだけ時間をくれないか」

リーマスの鳶色の瞳をまっすぐに私は見た。嘘をついている気配は無い。ネックレスは熱を持つ事なく私の首からかかっている。

「……杖を降ろす事はしないわ」

それが今できる最大限の譲歩だった。リーマスはパッと顔を明るくし、「ありがとう」と深い声で言った。

「君──ピーターを渡してくれ」

シリウス・ブラックが相変わらずスキャバーズを見ながらそう言った。

──ピーター、ですって?まさかピーター・ぺティグリュー?そんな……スキャバーズが?

にわかには信じられない。

それはロンも同じだった様で、先程よりもしっかりスキャバーズを胸に抱き締めた。

「冗談はやめてくれ」

ロンは弱々しく言った。

「スキャバーズなんかに手を下すために、わざわざアズカバンを脱獄したって言うのかい?つまり──」

ロンは助けを求める様にハーマイオニー、ハリー、そして私を見上げた。

「ねえ。ぺティグリューがネズミに変身できたとしても──ネズミなんて何百万もいるじゃないか──アズカバンに閉じ込められていたら、どのネズミが自分の探しているネズミかなんて、この人、どうやったら分かるって言うんだい?」

「そうだとも、シリウス。まともな疑問だよ」

それはリーマスも知らなかったのか、少し眉を寄せてシリウス・ブラックを見やった。

「あいつの居場所を、どうやって見つけ出したんだい?」

シリウス・ブラックは骨張った手を片方ローブに突っ込み、皺だらけの紙の切れ端を取り出した。何とか読める様にそれを伸ばし、この場の全員に見える様に突き出した。

1年前の夏、「日刊予言者新聞」に載ったロンと家族の写真だった。そして、そこに、ロンの肩に、スキャバーズがいた。

「一体どうしてこれを?」

驚愕しきった様な声でリーマスが聞いた。

「ファッジだ。昨年、アズカバンに視察に来た時、ファッジがくれた新聞だ。ピーターがそこにいた。一面に……この子の肩に乗って……私にはすぐ分かった……こいつが変身するのを何回見たと思う?それに、写真の説明には、この子がホグワーツに戻ると書いてあった……ハリーのいるホグワーツへと……」

「何たる事だ」

リーマスがスキャバーズを見て、新聞の写真へと目を移し、またスキャバーズをじっと見詰めて静かに言った。

「こいつの前足だ……」

「それがどうしたって言うんだい?」

ロンが食ってかかった。

「指が1本無い」

シリウス・ブラックがすかさず言った。私は素早く目を動かしてスキャバーズと写真の両方を確認すると、確かに前足の一部が欠けている。

──ああ、まさか、まさか、そんな事が……?

「まさに」

リーマスが溜息を吐いた。私と同じ結論に辿り着いた様だ。

「何と単純明快な事だ……何と小賢しい……あいつは自分で切ったのか?」

「変身する直前にな」

シリウス・ブラックが憎々しげに歯軋りした。

「あいつを追い詰めた時、あいつは道行く人全員に聞こえる様に叫んだ。私がジェームズとリリーを裏切ったんだと。それから、私が奴に呪いをかけるより先に、奴は隠し持った杖で道路を吹き飛ばし、自分の周り5、6メートル以内にいた人間を皆殺しにした──そして素早くネズミがたくさんいる下水道に逃げ込んだ……」

「ロン、聞いた事は無いかい?ピーターの残骸で1番大きなのが指だったって」

リーマスが問いかけると、ロンは信じられないとばかりに首を横に弱々しく振った。

「だって、多分、スキャバーズは他のネズミと喧嘩したか何かだよ!こいつは何年も家族中で"お下がり"だった。確か──」

「12年だね、確か」

リーマスは頷いた。

「どうしてそんなに長生きなのか、変だと思った事は無いのかい?」

「僕達──僕達がちゃんと世話してたんだ!」

ロンは必死に言い募った。

「今はあんまり元気じゃない様だね。どうだね?私の想像だが、シリウスが脱獄してまた自由の身になったと聞いて以来、やせ衰えてきたのだろう……」

「こいつは、その狂った猫が怖いんだ!」

ロンは彼が座るベッドでゴロゴロと転がり出したクルックシャンクスを顎を示した。

「……それは違うわ」

思わず言葉を漏らした私に、全員の視線が集まった。

ずっと隙あらばスキャバーズを追い掛けたクルックシャンクス。でも、普段の彼はとてもお利口で大広間や城内を駆け抜ける事等しなかった。禁じられた森の側で出会った時も、こちらの言葉が分かるかの様に意味ありげに振る舞っていた。それに何より、彼にはそのオレンジの毛色が示す様にニーズルの血が混ざっている。ニーズル達の賢さは私自身が良く知る所だ。

「ネズミが──魔法生物だったとしても──12年も生きるなんてありえないわ。これは専門家にも確認したから間違っていない。それに、クルックシャンクスは狂ってなんていないわ。とても賢い子よ」

「そうですよね!……あ、すみません……」

我が意を得たりとばかりに身を乗り出したハーマイオニーが、流石に今はその時ではないと気まずそうに口を噤んだ。

「そうだ、この猫は狂ってはいない」

シリウス・ブラックは骨と皮ばかりになった手でクルックシャンクスのフワフワの頭を撫でた。

「私の出会った猫の中で、こんなに賢い猫はまたといない。ピーターを見るなり、すぐ正体を見抜いた。私に出会った時も、私が犬でない事を見破った。私を信用するまでに、しばらく掛かった。ようやっと、私の狙いをこの猫に伝える事ができて、それ以来私を助けてくれた……」

「それ、どういう事?」

ハーマイオニーが訝しげに首を傾げた。

「ピーターを私の所に連れて来ようとした。しかし、できなかった……そこで私のためにグリフィンドール塔への合言葉を盗み出してくれた……誰か男の子のベッド脇の小机から持って来たらしい……」

ネビルだ。可哀想なネビル。失くしたのではなかったのだ。それにしたって合言葉を書き留めておくのは良しておいた方がいいのだけれど。

「しかし、ピーターは事の成り行きを察知して、逃げ出した……この猫は──クルックシャンクスという名だね?──ピーターがベッドのシーツに血の痕を残して行ったと教えてくれた……多分自分で自分を噛んだのだろう……そう、死んだと見せかけるのは、前にも1度上手くやったのだし……」

「それじゃ、何故ピーターは自分が死んだと見せ掛けたんだ?」

ハリーがハッと我に返って激しい語調で聞いた。

「お前が、僕の両親を殺したと同じ様に、自分を殺そうとしていると気付いたからじゃないか!」

「違う、ハリー──」

リーマスの否定の言葉は、勢い付いたハリーには届かない。

「それで、今度は止めを刺そうとしてやってきたんだろう!」

「その通りだ」

シリウス・ブラックは殺気立った目でスキャバーズを睨めつけた。

「それなら、僕はスネイプにお前を引き渡すべきだったんだ!」

「ハリー、ハリー」

リーマスが何とか割って入ってきた。

「分からないのか?私達は、ずっと、シリウスが君のご両親を裏切ったと思っていた。ピーターがシリウスを追い詰めたと思っていた──しかし、それは逆だった。分からないかい?ピーターが、君のお父さん、お母さんを裏切ったんだ──シリウスが、ピーターを追い詰めたんだ──」

──ああ、それで全ての合点がいく。

魔法省の応援を待たなかったぺティグリュー。爆散したとしても残る筈の肉片が残らなかった。それでも指だけが形を保っていた。

魂の双子とまで言い合っていた親友を裏切ったとされたシリウス・ブラック。理由の見えない裏切り。

そして、「秘密の守人」。

「嘘だ!ブラックが『秘密の守人』だった!ブラック自身が貴方が来る前にそう言ったんだ。こいつは自分が僕の両親を殺したと言ったんだ!」

ハリーがシリウス・ブラックを指差して激しく糾弾した。その声は可哀想な程悲痛の色に染まっている。

けれど、それは正確ではない。

「ピーター・ぺティグリューが『秘密の守人』だったのね」

確信と共に放った言葉は、存外に静かに部屋に響いた。痛い程の沈黙に包まれた室内で、シリウス・ブラックは瞳を潤ませながら「そうだ」と頷いた。

「私が殺したも同然だ。最後の最後になって、ジェームズとリリーに、ピーターを守人にする様に勧めたのは私だ。ピーターに代える様に勧めた……私が悪いのだ。確かに……2人が死んだ夜、私はピーターの所に行く手筈になっていた。ピーターが無事かどうか、確かめに行く事にしていた。ところが、ピーターの隠れ家に行ってみると、もぬけの殻だ。しかも争った跡が無い。どうもおかしい。私は不吉な予感がして、すぐ君のご両親の所へ向かった。そして、家が壊され、2人が死んでいるのを見た時──私は悟った。ピーターが何をしたのかを。私が何してしまったのかを」

それは血を吐く様な告白だった。かすれ声で言い切った男は、光る目を見せまいと顔を背けた。

「話をもう充分だ」

今まで聞いた事のない程情け容赦なくリーマスが言った。

「本当は何が起こったのか、証明する道はただ1つだ。ロン、そのネズミを寄越しなさい」

「こいつを渡したら、何をしようというんだ?」

ロンが緊張の滲む固い声で聞いた。

「無理にでも正体を顕させる。もし本当のネズミだったら、これで傷付く事はない」

ロンはいくらか躊躇し、ついにスキャバーズを差し出した。リーマスが受け取ったスキャバーズはキーキーと喚き続け、リーマスの手の中でのたうち回り、小さな黒い目を限界まで見開いていた。

「シリウス、準備は?」

リーマスがそう言った時には、シリウス・ブラックは吹っ飛んでベッドの上に転がっていたセブルスの杖を拾い上げていた。

舌打ちでもしそうな気分だ。杖の事を忘れていた自分にも苛立つし、セブルスの杖をよりによってあの男が使う事も正直許し難いものがある。だが、今はそんな場合ではない。もしもスキャバーズがピーター・ぺティグリューであるならば、それは本当に大問題だ。

背後のセブルスはまだ、目覚めない。

シリウス・ブラックがリーマスと暴れ続けるスキャバーズに近付いた。その黒い瞳に先程までの涙はない。あるのは燃え上がる様な激情だった。そしてそれはリーマスも同様に。

「一緒にするか?」

低い声で行われたシリウス・ブラックの提案に頷きかけたリーマスだったが、「ああ、いや」と首を横に振ってこちらを見た。

「メリル、君も参加してくれないか」

「何故?」

「君は我々とは違う立場にいる。どちらかといえばセブルスに近いだろう。その点が重要だ。中立に近いという意味でもあるから」

「……分かったわ」

シリウス・ブラックが焦れた様に「もう良いだろう」と杖をスキャバーズに突き付けた。

リーマスも片手に握るスキャバーズにもう片方の手で杖を向ける。そして私も2人を杖先から外してスキャバーズへと向けた。

「3つ数えたらだ。いち──に──さん!」

青白い光が3本の杖から迸った。一瞬、スキャバーズは宙に浮き、そこに制止した。小さな黒い姿が激しく捩れた──ロンが叫び声を上げた──スキャバーズはボトリと床に落ちた。もう1度、目も眩む様な閃光が走り、そして──。

「ああ、何て事……」

木が育つのを早送りで見ている様だった。頭が床からシュッと上に伸び、手足が生え、次の瞬間、スキャバーズがいた所に、1人の男が、手を捩り、後退りしながら立っていた。クルックシャンクスが飛び起きてベッドの上で背中の毛を逆立て、シャーッ!シャーッ!と激しく威嚇し、唸った。

小柄な男だ。子供達の背丈とあまり変わらない。まばらな色褪せた髪はクシャクシャで、頭頂部に大きなハゲがあった。太った男が急激に体重を失って萎びた感じだ。皮膚はまるでスキャバーズの体毛と同じ様に薄汚れ、尖った鼻や、ことさら小さい潤んだ目には何となくネズミ臭さが漂っていた。男はハアハア浅く、速い息遣いで周りの全員を見回した。男は素早くドアの位置を確認し、それを誤魔化す様に視線をあちこち彷徨わせた。

「やあ、ピーター」

リーマスはいやに朗らかに男に声を掛けた。その口元には小さく笑みさえ浮かんでいる。

「しばらくだったね」

「シ、シリウス……リ、リーマス……」

ぺティグリューはそのオドオドとした態度や声までネズミの様だ。そして男の目はまたドアを素早く確認した。

「友よ……懐かしの友よ……」

シリウス・ブラックの杖腕が上がったが、その腕をリーマスが抑え、たしなめる様な目で眉間に青筋を浮かべる男を見た。それからまたぺティグリューに向かって、さり気ない軽い口調で言った。

「ジェームズとリリーが死んだ夜、何が起こったのか、今お喋りしていたんだがね、ピーター。君はあのベッドでキーキー喚いていたから、細かい所を聞き逃したかもしれないな──」

「リーマス」

ぺティグリューが喘いだ。その不健康そうな青白い顔にはドッと大量の汗が浮かんでいる。

「君はブラックの言う事を信じたりしないだろうね……あいつは私を殺そうとしたんだ、リーマス……」

「そう聞いていた」

一瞬で朗らかさが消し飛んだリーマスの声はひたすらに冷たい。

「ピーター、2つ、3つ、すっきりさせておきたい事があるんだが、君がもし──」

「こいつはまた私を殺しにやって来た!」

ぺティグリューはリーマスの言葉を遮って、突然シリウス・ブラックを指差して金切り声を上げた。人差し指が無くなり、中指で指している。

気分を害した様に片眉を上げるリーマスに構わず、男は続けた。

「こいつはジェームズとリリーを殺した。今度は私も殺そうとしてるんだ……リーマス、助けておくれ……」

助けを乞うぺティグリューを睨み付けるシリウス・ブラックの視線は、最早それだけで相手を殺せそうな程厳しく鋭い。

「少し話の整理がつくまでは、誰も君を殺しはしない」

「整理?」

信じられないとばかりにぺティグリューは仰け反ってから辺りをキョロキョロと見渡し、板張りした窓を見て、1つしかないドアをまた確かめた。

「こいつが私を追ってくると分かっていた!こいつが私を狙って戻って来ると分かっていた!12年も、私はこの時を待っていた!」

「シリウスがアズカバンを脱獄すると分かっていたと言うのか?未だかつて脱獄した者は誰もいないのに?」

リーマスが眉根を寄せた。

「こいつは私達の誰もが夢の中でしかかなわない様な闇の力を持っている!」

ぺティグリューは甲高い声で続けた。

「それが無ければ、どうやってあそこから出られる?恐らく『名前を言ってはいけないあの人』がこいつに何か術を教え込んだんだ!」

その時、シリウス・ブラックが突然笑い出した。聞いているこちらがゾッとする様な虚ろな笑いが部屋中に響き渡った。

「ヴォルデモートが私に術を?」

ぺティグリューがビクッと肩を跳ねさせた。

「どうした?懐かしいご主人様の名前を聞いて怖気付いたか?」

シリウス・ブラックがせせら笑った。

「無理もないな、ピーター。昔の仲間はお前の事をあまり快くは思っていない様だ。違うか?」

「何の事やら──シリウス、君が何を言っているのやら──」

ぺティグリューはますます荒い息になりながらモゴモゴと言った。今やその顔は汗だくで、テカテカと光って見える程だ。

「お前は12年もの間、私から逃げていたのではない。ヴォルデモートの昔の仲間から逃げ隠れしていたのだ。アズカバンで色々耳にしたぞ、ピーター……皆お前が死んだと思っている。さもなければ、お前は皆から落とし前をつけさせられた筈だ……私は囚人達が寝言で色々叫ぶのをずっと聞いてきた。どうやら皆、裏切り者がまた寝返って自分達を裏切ったと思っている様だった。ヴォルデモートはお前の情報でポッターの家に行った……そこでヴォルデモートが破滅した。ところがヴォルデモートの仲間は一網打尽でアズカバンに入れられた訳ではなかった。そうだな?まだその辺にたくさんいる。時を待っているのだ。悔い改めたフリをして……ピーター、その連中が、もしお前がまだ生きていると風の便りに聞いたら──」

「何の事やら……何を話しているのやら……」

ぺティグリューの声はますます甲高くなっていった。男は袖で汗にまみれた顔を拭い、リーマスを見上げて言った。

「リーマス、君は信じないだろう──こんな馬鹿げた──」

「はっきり言って、ピーター、何故無実の者が、12年もネズミに身をやつして過ごしたいと思ったのかは、理解に苦しむ」

平坦な声でリーマスは言った。

「無実だ。でも怖かった!」

ぺティグリューがキーキーと叫んだ。

「ヴォルデモート支持者が私を追っているなら、それは、大物の1人を私がアズカバンに送ったからだ──スパイのシリウス・ブラックだ!」

「よくもそんな事を」

シリウス・ブラックが顔を歪ませながら低く唸った。

「私が?ヴォルデモートのスパイ?私がいつ、自分より強く、力のある人達にヘコヘコした?しかし、ピーター、お前は──お前がスパイだという事を、何故初めから見抜けなかったのか。迂闊だった。お前はいつも、自分の面倒を見てくれる親分にくっ付いているのが好きだった。そうだな?かつてはそれが我々だった……私とリーマス……それにジェームズだった……」

ぺティグリューはまた顔を拭った。既に息も絶え絶えだった。

「私が、スパイなんて……正気の沙汰じゃない……決して……どうしてそんな事が言えるのか、私にはさっぱり──」

「ジェームズとリリーは私が勧めたからお前を『秘密の守人』にしたんだ」

シリウス・ブラックは歯噛みした。ぺティグリューはその迫力に気圧されたのか1歩後退った。

「私はこれこそ完璧な計画だと思った……目眩しだ……ヴォルデモートはきっと私を追う。お前の様な弱虫の、能無しを利用しようとは夢にも思わないだろう……ヴォルデモートにポッター一家を売った時は、さぞかし、お前の惨めな生涯の最高の瞬間だったろうな」

頬を青ざめさせたぺティグリューは「とんだお門違い」とか「気が狂ってる」とかブツブツと呟いた。そしてその間にも、男の小さな目は窓や扉の間を忙しなく行き来していた。

「ルーピン先生。あの──聞いてもいいですか?」

ここまで口を噤んでいたハーマイオニーがおずおずと聞いた。

「どうぞ、ハーマイオニー」

リーマスは努めて丁寧に答えた。

「あの──スキャバーズ──いえ、この──この人──ハリーの寮で3年間同じ寝室にいたんです。『例のあの人』の手先なら、今までハリーを傷付けなかったのはどうしてですか?」

「そうだ!」

味方を得たのかと思ったのか、ぺティグリューが指の1本欠けた手でハーマイオニーを指差し、いやに元気な声を上げた。

「ありがとう!リーマス、聞いたかい?ハリーの髪の毛1本傷付けてはいない!そんな事をする理由がありますか?」

「その理由を教えてやろう」

シリウス・ブラックは低い声で言った。

「お前は、自分のために得になる事が無ければ、誰のためにも何もしない奴だ。ヴォルデモートは12年も隠れたままで、半死半生だと言われている。アルバス・ダンブルドアの目と鼻の先で、しかも全く力を失った残骸の様な魔法使いのために、殺人などするお前か?『あの人』の元に馳せ参ずるなら、『あの人』がお山の大将で1番強い事を確かめてからにするつもりだったろう?そもそも魔法使いの家族に入り込んで飼ってもらったのは何のためだ?情報が聞ける状態にしておきたかったんだろう?え?お前の昔の保護者が力を取り戻し、またその下に戻っても安全だという事態に備えて……」

ぺティグリューは口を何度か開閉させたが、結局何も言う事ができなかった。上手い反論が見つからない様だ。

「あの──ブラックさん──シリウス?」

ハーマイオニーにおずおずと丁寧に話し掛けられ、シリウス・ブラックは飛び上がらんばかりに驚いた。その形の良いの目を見張って、今まさに自分に声を掛けてきた少女をまじまじと見詰めた。

「お聞きしても良いでしょうか。ど──どうやってアズカバンから脱獄したのでしょう?もし闇の魔術を使ってないなら」

「ありがとう!」

ぺティグリューは息を呑んでハーマイオニーに向かって激しく頷いた。

「その通り!それこそ、私の言いた──」

リーマスがすかさずぺティグリューを睨んで黙らせた。

シリウス・ブラックは少し顔を顰めながら考え考え話し出した。

「どうやったのか、自分でも分からない。私が正気を失わなかった理由は唯1つ、自分が無実だと知っていた事だ。これは幸福な気持ちではなかったから、吸魂鬼はその思いを吸い取る事ができなかった……しかし、その思いが私の正気を保った。自分が何者であるか意識し続けていられた……私の力を保たせてくれた……だからいよいよ……耐え難くなった時は……私は独房で変身する事ができた……犬になれた。吸魂鬼は目が見えないのだ……」

シリウス・ブラックはここで言葉を切り、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「連中は人の感情を感じ取って人に近付く……私が犬になると、連中は私の感情が──人間的でなくなり、複雑でなくなるのを感じ取った……しかし、連中はもちろんそれを、他の囚人と同じく私も正気を失ったのだろうと考え、気にもかけなかった。とはいえ、私は弱っていた。とても弱っていて、杖無しには連中を追い払う事はとてもできないと諦めていた……。そんな時、私はあの写真にピーターを見つけた……ホグワーツでハリーと一緒だという事が分かった……闇の陣営が再び力を得たとの知らせが、チラとでも耳に入ったら、行動が起こせる完璧な態勢だ……」

ぺティグリューは声も無く口をパクパクさせて首を横に振っていたが、その目はシリウス・ブラックから離れない。離す事ができないのだろう。

「……味方の力に確信が持てたら、途端に襲える様に準備万端だ……ポッター家最後の1人を味方に引き渡す。ハリーを差し出せば、奴がヴォルデモート卿を裏切った等と誰が言おうか?奴は栄誉を持って再び迎え入れられる……。だからこそ、私は何かをせねばならなかった。ピーターがまだ生きていると知っているのは私だけだ……」

シリウス・ブラックは1度大きく息を吸って、そして吐いた。

「まるで誰かが私の心に火をつけた様だった。しかも吸魂鬼はその思いを砕く事はできない……幸福な気持ちではないからだ……妄執だった……しかし、その気持ちが私に力を与えた。心がしっかり覚めた。そこである晩、連中が食べ物を運んで来て独房の戸を開けた時、私は犬になって連中の脇をすり抜けた……連中にとって獣の感情を感じるのは非常に難しい事なので、混乱した……私は痩せ細っていた。とても……鉄格子の隙間をすり抜けられる程痩せていた……私は犬の姿で泳ぎ、島から戻って来た……北へと旅し、ホグワーツの校庭に犬の姿で入り込んだ……それからずっと森に棲んでいた……もちろん、1度だけクディッチの試合を見に行ったが、それ以外は……ハリー、君はお父さんに負けないくらい飛ぶのが上手い……」

シリウス・ブラックはまっすぐにハリーを見詰めた。ハリーもまた、目を逸らす事はしなかった。

「信じてくれ」

男の声は掠れていた。

「信じてくれ、ハリー。私は決してジェームズやリリーを裏切った事はない。裏切るくらいなら、私が死ぬ方がマシだ」

ハリーの瞳が泣きそうに揺らいだ。少年は何度も何度も頷いた。

「だめだ!」

ぺティグリューはガックリと膝を着いて、そのままにじり出て、祈る様に両手を握り合わせ、床に這いつくばった。

「シリウス──私だ……ピーターだ……君の友達の……まさか君は……」

シリウス・ブラックが蹴飛ばそうと足を振ると、ぺティグリューは必要以上の勢いで後退りした。

「私のローブは充分に汚れてしまった。この上お前の手で汚されたくはない」

「リーマス!」

シリウス・ブラックが応じないと分かると、ぺティグリューは今度はリーマスに向き直り、哀れみを請う様に身を捩りながら金切り声を上げた。

「君は信じないだろうね……計画を変更したなら、シリウスは君に話した筈だろう?」

「ピーター、私がスパイだと思ったなら話さなかっただろうな。シリウス、多分それで私に話してくれなかったのだろう?」

リーマスがシリウス・ブラックをチラリと見やると、彼は少し目を伏せた。

「すまない、リーマス」

「気にするな。我が友、パッドフット。その代わり、私が君をスパイだと思い違いした事を許してくれるか?」

「もちろんだとも」

シリウス・ブラックのやつれた頬に微かな笑みが浮かんだ。そしてリーマスと共に袖を捲り上げた。

「一緒にこいつを殺るか?」

「ああ、そうしよう」

リーマスが厳粛に言った。

2人共、この場で裏切り者を始末してしまいたい様だった。もう二度と逃がさない様に。

どうすれば1番良いのか。このままぺティグリューが死ぬのが、本当に最善なのか。

膨大な情報量の中、私が必死に考えている間に、ぺティグリューがロンの足元に転がり込んだ。

「ロン……私は良い友達……良いペットだったろう?私を殺させないでくれ、ロン。お願いだ……君は私の味方だろう?」

ロンは思い切り不快そうに顔を歪めてぺティグリューを睨んだ。

「自分のベッドにお前を寝かせてたなんて!」

「優しい子だ……情け深いご主人様……」

ぺティグリューはロンの方に這い寄った。

「殺させないでくれ……私は君のネズミだった……良いペットだった……」

「人間の時よりネズミの方が様になるなんていうのは、ピーター、あまり自慢にはならない」

シリウス・ブラックが厳しく言った。その間に、ロンは骨折の痛みをおして折れた足をぺティグリューの手の届かない所へと捻った。ぺティグリューは膝を着いたまま向きを変え、前のめりになりながらハーマイオニーのローブの裾を掴んだ。

「優しいお嬢さん……賢いお嬢さん……貴女は──貴女ならそんな事をさせないでしょう……助けて……」

「その子から離れなさい!」

ハーマイオニーがローブを引っ張り、しがみつくぺティグリューの手から逃れてできた空間に、私は素早く滑り込んだ。壁際まで下がった少女の顔は怯えきったものになっていた。

杖を向ける私にさえ、ぺティグリューは引き攣った様に口の端を震えさせてにじり寄った。

「先生……ペットに優しい先生なら、まさか、見殺しになんてしないでしょう……賢い先生なら私を信じてくれるでしょう……?」

「メリルに近寄るな、ピーター」

今度はリーマスから厳しい声が飛んだ。

「貴方の態度や言動に、信ずるに足る何かを見付ける事はできないわ」

あやふやな態度やその場しのぎの言動も疑いしか抱かないばかりか、何よりネックレスが温度を持っている。この男が正体を表してからずっと。だからこそ、今まで静観してきたのだ。色々と気になる情報はあるものの、自分自身がどう動くべきか見定めるために。

「ああ……そんな……」

ぺティグリューはなおも震えながら跪き、ハリーに向かってゆっくりと顔を上げた。

「ハリー……ハリー……君はお父さんに生き写しだ……そっくりだ……」

「ハリーに話し掛けるとは、どういう神経だ!?」

シリウス・ブラックが大声を出した。

「ハリーに顔向けができるか!?この子の前で、ジェームズの事を話すなんて、どの面下げてできるんだ!?」

「ハリー」

ぺティグリューが両手を伸ばし、ハリーに向かって膝で歩き始めたため、私は急いで自分の後ろに少年を引っ張り込んで庇った。

「ハリー、ジェームズなら私が殺される事を望まなかっただろう……ジェームズなら分かってくれたよ、ハリー……ジェームズなら私に情けを掛けてくれただろう……」

シリウス・ブラックとリーマスが大股でぺティグリューに近付き、それぞれ肩を掴んで床の上に仰向けに叩き付けた。ぺティグリューは尻餅をついた形で倒れ込んで、恐怖に痙攣しながら2人を見詰めた。

「お前はジェームズとリリーをヴォルデモートに売った。否定するのか?」

身体を震わせながら言ったシリウス・ブラックに対して、ぺティグリューはワッと泣き出した。

「シリウス、シリウス、私に何ができたというのだ?闇の帝王は……君には分かるまい……あの方には君の想像もつかない様な武器がある……私は怖かった。シリウス、私は君や、リーマスやジェームズの様に勇敢ではなかった。私はやろうと思ってやったのではない……あの『名前を言ってはいけないあの人』が無理矢理──」

「嘘を吐くな!」

シリウス・ブラックが吠えた。

「お前は、ジェームズとリリーが死ぬ1年も前から、『あの人』に密通していた!お前がスパイだった!」

「あの方は──あの方はあらゆる所を征服していた!あの方を拒んで、な、何が得られたろう?」

ぺティグリューは喘ぎながら言った。

「史上最も邪悪な魔法使いに抗って、何が得られたかだって?」

今やシリウス・ブラックの顔には凄まじい怒りが浮かんでいた。

「それは罪も無い人々の命だ、ピーター!」

「君は何も分かってないんだ!」

ぺティグリューが哀れっぽく訴えた。

「シリウス、私が殺されかねなかったんだ!」

「それなら、死ねば良かったんだ!」

シリウス・ブラックは今までで1番の大音声を出した。

「友を裏切るくらいなら死ぬべきだった!我々も君のためにそうしたそうしただろう!」

リーマスとシリウス・ブラックが肩を並べて立ち、杖を上げた。その先は床に跪いたままのぺティグリューに向けられている。

「お前は気付くべきだったな。ヴォルデモートがお前を殺さなければ、我々が殺すと。ピーター、さらばだ」

リーマスが静かに言った。ハーマイオニーが両手で顔を覆い、壁の方を向いた。

ぺティグリューを殺すのは簡単だ。しかしそれで本当に良いのか。法の裁きを受けさせるべきなのではないか。それがリリー達への報いになるのではないのか。

私が急いで止めようと動く前に、少年が弾丸の様に私の脇をすり抜けた。

「やめて!」

ハリーが叫びながら駆けて行き、ぺティグリューの前に立ち塞がって杖に相対した。

「殺してはだめだ。殺しちゃいけない」

リーマスとシリウス・ブラックは衝撃を受けた様に目を見開いた。

「ハリー、このクズのせいで、君はご両親を亡くしたんだぞ」

シリウス・ブラックが唸った。

「このヘコヘコしてる碌でなしは、あの時君も死んでいたら、それを平然として眺めていた筈だ。聞いただろう。小汚い自分の生命の方が、君の家族全員の生命より大事だったのだ」

「分かってる」

ハリーは喘いだ。

「こいつを城まで連れて行こう。僕達の手で吸魂鬼に引き渡すんだ。こいつはアズカバンに行けばいい……殺す事だけはやめて」

「ハリー!」

ぺティグリューが息を呑んで、ハリーの膝に両手でヒシと抱き着いた。

「君は──ありがとう──こんな私に──ありがとう──」

「放せ」

ハリーは眉を寄せてぺティグリューの手を跳ね除けて、吐き捨てる様に言った。

「お前のために止めたんじゃない。僕の父さんは、親友が──お前みたいなもののために──殺人者になるのを望まないと思っただけだ」

誰1人として動かなかった。物音ひとつしなかった。

この数年の間に、ハリーは随分と内面的にも成長したのだろう。最早子供でなくなりつつある少年は、ホグワーツでの様々な経験をしっかりと糧としている様だった。

私は静かに杖を下ろした。リーマスとシリウス・ブラックも、2人で顔を見合せた後同時に杖を下ろした。

「ハリー、君だけが決める権利がある。しかし、考えてくれ……こいつのやった事を……」

シリウス・ブラックの言葉に、ハリーは「こいつはアズカバンに行けば良いんだ」と繰り返した。

「あそこがふさわしい者がいるとしたら、こいつしかいない……」

ぺティグリューはハリーの陰でまだ息も絶え絶えな状態だった。

「私としては、きちんと裁判にかけるべきだと思うわよ。この場にいる全員の記憶を提出すれば、確実にアズカバン行きになるわ」

「し、シリウスの証言も採用されるんですか?」

恐る恐るこちらを振り向いたハーマイオニーが問い掛けた。

「ぺティグリューを裁判に突き出せば、シリウス・ブラックへの魔法界の信用も回復するでしょう」

「良いだろう、決まりだ。ハリー、脇に退いてくれ」

リーマスの言葉に、ハリーは少し躊躇した。

「縛り上げるだけだ。誓ってそれだけだ」

ハリーは少しの間リーマスをジッと見て、それから脇に退いた。

今度はリーマスの杖から細い紐が噴き出して、次の瞬間、ぺティグリューは縛られ、猿轡を噛まされて床の上にもんどりうった。

「しかし、ピーター、もし変身したら」

シリウス・ブラックは杖をぺティグリューに向けた。

「やはり殺す。良いね、ハリー?」

ハリーは床で芋虫の様に転がるぺティグリューを見下ろし、ぺティグリューに見える様に頷いた。

「もしも変身しても、捕まえる方法はあるわ。それは任せてくれていい」

「ああ、君程適任はいないよ、メリル」

頷いたリーマスは「よし」とテキパキと状況を捌き始めた。

「ロン、マダム・ポンフリー程骨折を上手く治せる人はいないから、医務室までの間、包帯で固定しておこう」

リーマスはロンの側に行き、屈んでロンの膝を杖で軽く叩き、「フェルーラ、巻け」と唱えた。添え木で固定したロンの脚に包帯が巻き付いた。リーマスが手を貸してロンを立たせ、ロンは恐る恐る脚に体重をかけたが、痛さに顔を顰める事もなかった。

「良くなりました。ありがとうございます」

「スネイプ先生はどうしますか?」

ハーマイオニーが、気絶したままのセブルスをそっと見下ろしながら小声で言った。

「止血もしたし気絶しているだけだから、私が運ぶわ」

「先生、背負えるんですか?」

「まさか。悪いけれどこうするの」

杖を振ってセブルスの身体を空中に浮かべると、「なるほど」とロンが小さく言った。

「けれどね、貴方達、少しやり過ぎよ。状況に見合った威力に調節できる様になさい」

私の言葉に、子供達は一様に気まずそうに顔を俯けた。3人分とはいえ、エクスペリアームスであれ程の威力だったのなら、普段のセブルスの態度のせいでストレスが溜まっていたのかもしれない。ある意味自業自得とも言える。

「シリウス・ブラック」

私が見上げると、何故かシリウス・ブラックはたじろいだ様に肩を揺らした。

「杖を返してくれるかしら」

「しかしレディ、貴女の杖では──」

「良いから返して。貴方の杖でもないでしょう」

私が手の平をシリウス・ブラックに向けると、彼は躊躇した。片眉を上げてジッと見詰めると、男は困った様に眉を下げた。

「メリル、すまないが」

リーマスが申し訳なさそうに口を挟んだ。

「無事に城に戻るまで預けてくれないか。ピーターを引き渡したら必ず返すから」

透明マントをポケットに仕舞い込みながら言ったリーマスに、私は大きな溜息を吐いた。

「……仕方ないわね」

その方が合理的な事は頭では分かっている。感情が納得できないだけで。

私は了承代わりにもう1度息を吐いた。

「誰か2人、こいつと繋がっておかないと。万一のためだ」

シリウス・ブラックが靴の爪先でぺティグリューを小突きながら言った。

「私が繋がろう」

リーマスが最初に名乗りを上げた。

「僕も」

片脚を引き摺りながらロンも進み出た。

シリウス・ブラックが重い手錠を空中から取り出した。そしてぺティグリューを立たせ、その左腕をリーマスの右腕に、そして右腕はロンの左腕に繋いだ。

ロンは口を真一文字に結んでいた。スキャバーズの正体が小汚い男だった事にショックを受けている様に見えた。

クルックシャンクスがヒラリとベッドから飛び降り、一行の先頭に立って歩き出した。そのオレンジのフワフワの尻尾を誇らしげに上げながら。




五月雨「旧暦5月の長雨の事」

43話目です。

色んな真実が明らかになる場面、原作でもかなり長いんで、どこで区切るかとても悩みました……。
今回夢主の出番がほとんどありませんし、セブルスに至ってはほとんど気絶した状態です 
次回こそ出番を……!

あと前回のキャプションで言っていたフラグは、フラグのフラグみたいな物はちょっと仕込めた気がします。あくまでとっても仄かな物なんであんまり気にしないで大丈夫ですw
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