朝起きると、流石に瞼が重く感じた。眠い目を擦りながら支度を済ませ、ふくろう小屋へと向かう。
昨日1日の情報量が多過ぎて、掃除や餌やりをしていても自然と頭の中で考えてしまう。
「秘密の守人」はシリウス・ブラックではなくピーター・ペティグリューで、そのペティグリューが裏切り者であった事。
スキャバーズが本当はペティグリューで、自己保身で隠れ生きていた事。
──ああ、スキャマンダーさん達にもお礼の手紙を書かないと。
スキャバーズが動物もどきであるかもしれないという手紙を貰ってから返信できていない。どうせ「日刊預言者新聞」に載るだろうから、今回の真相を書き添えて今日にも送ろう。
それから、「暴れ柳」が植えられた理由に透明マント、不思議な地図の存在と驚く事ばかりだった。それに──
「そうだ、ニクスだわ……!」
急に声を上げた事で驚いたのか、近くのふくろうが迷惑そうにバサバサバサッと翼をはためかせた。そんな彼女へ「ごめんね」と謝って、私はふくろう小屋を出た。
きっと今日森の端に行ってもニクスはいないだろう。何せシリウス・ブラックは医務室で絶賛隔離入院中だから。
──それにしても、知らないとはいえまさかシリウス・ブラックを養っていたなんて……。
悔しい様な認めたくない様な何とも言えない気持ちだ。随分と感情豊かな犬だとは思っていたし、中々現れない飼い主にヤキモキした事もあった。それに当のニクスも森から離れる気配が無かったから、逃げ出したか捨てられたかした野良犬なのかもしれないと考えてはいたのだ。それがまさか動物もどきとは思いもよらなかった。
セブルスが知ったら激怒しそうではあるが、初見で動物もどきを見抜くのは非常に難しいのだ。魔法生物のエキスパートの端くれとしては忸怩たる思いだが、そこはちょっぴり見てみぬフリだ。今後の課題という事にしておきたい。
普段より少し遅れて大広間に到着すると、何故か少し生徒達が騒がしい。
「おはよう、セブルス。昨日はありがとう。何かあったの?」
「体調はどうかね?」
「ゆっくり休んだから大丈夫よ。セブルスは?」
「一晩くらい眠らなくとも人は死なん」
「もう、本当に気を付けてね」
苦笑すると、セブルスはフン、鼻息を吐き出した。
「それで、何かあった?子供達がいつもよりざわついているけれど」
「さてな」
セブルスは意地悪く口の端をニヤリと釣り上げた。
「先程ほんの少し口を滑らせて、ルーピンが狼人間である事を言ってしまっただけだとも」
「セブルス……貴方って人は……」
──本当に、子供っぽい人……!」
絶対に、わざと子供達の前で言ったに違いない。それならばこのざわつきも納得だ。幸いな事に、リーマスは今朝は大広間に顔を出していない。まともに変身したのが久々だったせいかもしれない。
リーマスが狼人間である事を少しでも漏らせばどうなるか充分に分かっていて、あえて口を滑らせたのだ。主に個人的な復讐のために。……学期末まで話さなかったのがせめてもの救いという所か。
溜息を吐いた私を、ジロリとセブルスが横目で見た。
「何か?」
「……何も言わないのかね」
どうやら、自身が幼稚な事をした自覚はあった様だ。若干、薄く、仄かに気まずそうな気配がその横顔に漂っていて、私は苦笑してしまった。
「自分で分かっている様だから、何にも言わないわ。お互いにいい大人だもの」
「……そうかね」
「そうよ」
そんな事を言い出すくらいには大人になったと捉えておこう。もちろん、セブルスに甘い自覚はある。だって彼とリーマスを比べると、申し訳ないけれどセブルスが圧勝だもの。
この騒ぎはダンブルドア先生が何とか収めてくれるでしょう。恐らくリーマスは辞任になってしまうでしょうし、ダンブルドア先生が引き留めたとしても本人から辞めると言い出す可能性が高い。脱狼薬の改良実験について、後で話をしておかないと。
そう結論付けて、私はようやく朝食のサンドイッチに手を伸ばした。
3年生以上の子供達がホグズミードにこぞって遊びに出かけ、1・2年生の子供達がそれぞれの休みを楽しむ中、教員達にリーマスの辞任が通達された。ミネルバは明らかに残念がり、他の先生方も概ね似た様な反応だった。
私はリーマスのために馬車を手配し、見送りのためにそこで待つ事にした。
しばらくすると、古ぼけたスーツケースと空の水魔の水槽を持ったリーマスが玄関に姿を現した。
「やあ、メリル。まさか君が見送りに来てくれるなんて思いもよらなかったよ」
「そんなに薄情に見えていたかしら?」
「いやいや、まさか。君は忙しい身だろう?私なんぞのために時間を割いてくれるなんて思わなくてね。嬉しいサプライズだよ」
「どうも」
肩を竦めて微笑んで見せると、リーマスもニコッと笑って先に馬車に荷物を積み込んだ。それから私の前に戻って来て、気まずそうに「アー……」と言い淀んだ。
「何か?」
「その、薬の事なんだが……」
やはりリーマスも気にしていたらしい。狼人間では職がほぼ見つからないだろうし、市販の脱狼薬はびっくりする程高価で手に入れにくいだろう。しかし人の中で生活するには、そして就職するには必要な物なのだ。それに、実験はまだまだ途中だ。
「私ね、実験を途中で放り投げるのは好きではないの」
「うん?」
リーマスが急に話し出した私にキョトンと目を丸くした。どうもちょっぴり鈍い所があるらしい。
「つまりね、リーマス。脱狼薬の改良はまだ続けたいという事よ。貴方さえ良ければだけれど」
リーマスの顔がパッと輝き、すぐに心配そうに眉を寄せた。
「セブルスは何と言ってるんだい?彼は、その、君が私と関わる事を快く思わないだろう?」
「あら、どうして?」
リーマスはキョロキョロと辺りを見渡して人がいない事を確認した上で、私の方に少し顔を寄せて小声で言った。
「君とセブルスは恋人同士なんだろう?ギルデロイが教えてくれたよ。そしてセブルスは私が、というか私達が嫌いだ。自分の恋人が、自分の嫌いな人間と関わっていて気分の良い人間はいない」
「ああ、そういう事ね」
私が苦笑して溜息を吐くと、リーマスは困った様に笑った。
「セブルスが参加しないなら私が個人的に続けるだけよ。改良実験を始めたのも、そもそも私の好奇心ゆえだもの。私が実験をする、しない、をセブルスに決められる謂れはないわね」
「メリル、君は随分と──」
リーマスが何かの感情を乗せた声で言い掛けた時、背後から「とっとと離れろ」と地を這う様な声が飛んで来た。
「セブルス」
「やあ、セブルス」
リーマスが私からサッと距離を取ると、セブルスは私の隣に素早く滑り込んで来た。その眉はしっかり寄っていて、不機嫌さが丸出しになっている。
「まさか君も見送りに──」
「ありえん」
「そうだろうね。もちろん分かっていたよ」
リーマスが苦笑して頷いた。
「お辞めになったのならさっさとホグワーツから去ってはいかがかな?それともまだ未練でも?」
「手厳しいね、セブルス。私もここの卒業生なんだ。少しは名残惜しさに浸らせて欲しいものだよ」
「もう充分だろう。馬車を待たせるな」
「全くもってその通り」
リーマスは私に手を差し出した。
「ありがとう、メリル」
「感謝される意味が分からないわ」
「たくさんあるよ。君が脱狼薬の改良を思い付いてくれたから無職になっても希望が残るし、何より狼人間である事を関係無いと言い切った本物の言葉と態度に私は随分と救われた。だから、ありがとう」
「そうなのね」
私は握手に応じた。セブルスの眉間の皺が1本増えたが気が付かぬフリをして、私はリーマスに微笑んで言った。
「住む家が決まったら教えてくれる?薬を送るわ。直接様子を見られなくなるから、レポートはこれまでより詳細に頼むわね」
「ああ、もちろんだ」
リーマスはしっかり頷いて、軽やかに馬車に飛び乗った。それから窓から晴れやかな顔を覗かせた。
「ありがとう、君達がいてくれたから、私は真の友を取り戻せたし、かつての友の罪をきちんと償わせる事ができる。セブルスは嫌だろうが、私は本当に嬉しかった。ありがとう、またいずれ」
馬車が発進してもしばらくリーマスは窓から手を振っていて、私もまた振り返した。
ようやく馬車が見えなくなった頃、セブルスは下ろした私の手を握り、どこかへ向かって歩き出した。
「セブルス、どこへ行くの?」
「私の部屋だ」
先程よりいくらかマシだが、それでもなお低い声で言われ、私は彼に見えない様に小さく苦笑した。
──やきもちかしら、もしかして。それならば嬉しいわ。それもとっても。
大股だったセブルスの歩みが、私が少し駆け足になっていた事に気付いて緩まる。その小さな気遣いすら嬉しい。
ぽかぽかと温かくなった胸を抱えて、私はセブルスの部屋にやって来た。
杖を振ってお湯を沸かしたセブルスは、紅茶を丁寧に淹れてくれた。仄かに花の香りのするお茶は、私のために用意してくれたと自惚れても良いのだろうか。
つい緩む口元を隠す様にカップを傾けていると、隣に座ったセブルスが「それで」と低いままの声で言った。
「まだあ奴のために薬を調合するのかね」
「調合は続けるけれど、何もリーマスのためという訳ではないわ。自分のためよ」
「君の?」
「ええ。私がしたくて始めた改良だもの、満足するまでやりたいの。だって、もうある程度データが揃ってきているのよ?ここまで来たら最後までやりたくなるもの。貴方もそうでしょう?」
セブルスはしばし沈黙した。それから認めたくないという様な渋い顔のまま「……異論は無い」とボソリと呟いた。
つまりはそういう事なのだ。セブルスだって私と同じで研究が、実験が、調合が楽しくて好きで仕方がないのである。
ふふ、と笑いを漏らすと、セブルスが片眉を上げて訝しげにこちらを見やった。
「……何かね」
「私達、似た者同士なのねって嬉しくなっただけよ」
微笑みながらそう言うと、セブルスが何故かキュッと唇を噛み締めて俯いた。
「どうしたの?」
下から覗き込むと、急にガバリと抱き締められて危うくカップを取り落としそうになった。
「セ、セブルス……!?」
体温が上がる。耳が熱い。
名前を呼んでも背に回る腕の力が強くなるだけで、セブルスは無言のままだ。
私は片手に握ったままのカップを何とかローテーブルに置いて、そっと彼を抱き締め返した。広くて温かい背中は、しかしどこか寂しげに丸まっている。
私はただ無言でセブルスの背を撫で続けた。彼が何を感じているのか分からないけれど、少しでもその心を和らげたかった。
「……君が眩しいと思う事がある」
不意にセブルスがボソリと呟いた。
「君はいつだって優しく、冷静で、優秀だ。しかも新たな挑戦や考えを思い付ける。私にとって君は非常に魅力的で、同時に酷く眩しい」
「褒め過ぎだと思うわ。私は自分の都合で動いているだけよ」
「だとしても、周囲はそう受け取らない。君は自分が如何に魅力的で、周囲から好かれているか分かっていない」
「そう、かしら……?」
「そうだ」
セブルスはいやに断言した。
子供達からはありがたい事に多少人気はあるものの、私自身が課題や試験に関係が無く、そこまで積極的に減点をしないからじゃないかしら。
「君を疑った事など無い。しかし……君を特別視する人間が出てくる度に、腹の底に蟠る物があるのは事実だ」
「私には貴方だけなのに?」
「これは私の問題なのだ……私の、弱さだ」
「セブルス……」
泣いてしまうのではないかと思った。それ程の悲哀を痛いぐらいに感じて、私はギュッとセブルスを抱き締めた。
「愛しているわ、セブルス。貴方が不安になる度、何度でも何度でも伝えるわ。それでも足りない?」
「…………足りないと言ったら、どうする」
「え?」
気付いた時には、身体がソファに押し付けられていた。眼前にあるセブルスの目には、ポカンとした間抜けな顔の私が映っている。
眉を顰めて私を見詰めるセブルスの瞳の奥は、仄暗い激情を孕んでいる様に見える。
「メイ」
低くどろりと甘い声で囁かれ、ドッと心臓が跳ねる。顔が熱い。耳も首も、全身が熱い。
するりと片手の指を絡められ、更に鼓動が速く強くなる。
「セ、セブルス、あの……」
セブルスが、無言で繋いでいない方の手の指で私の頬を撫でる。その感触が擽ったくて肩を揺らすと、彼は口の端をほんの少し上げた。
「メイ……いくら君から貰ったとしても、私が満足する事は無いだろう。君が存在する限り、私は際限なく君の全てを求めてしまうのだ」
「セブルス──」
「今は何も聞きたくない」
「んっ!」
セブルスの分厚い唇が私のそれを塞ぐ。言い差した言葉は呑まれて消えて、後は翻弄されるまま。
熱い舌がべロリと私の唇を舐め上げ、中に入れろと求める様にノックする。呼吸の合間に知らず薄く開いた唇の隙間に、違わず入り込んだ彼の舌は、上顎を擽り、歯列をなぞり、私の舌を突っついた。
「ん、ん、ふ……んんっ、ん……!」
熱い。頬も耳も首も、セブルスの舌も。
鼓動は速くて、耳の奥でドクドクと音がしている。
呼吸もままならなくなってきて頭がぼうっとしてきた時、どこからかバサバサッ!と羽の音がしてセブルスの頭に羽が生えた。
「痛っ……!何なのだ一体……!」
違った。1羽のふくろうがセブルスの頭を背後から突っついていた。それに彼が腹立たしそうに顔を上げながら後頭部を抑える。それでもふくろうの攻撃は止まない。
セブルスが私から離れてようやく、ふくろうはテーブルの上に手紙を落として去って行った。
「まったく……何というタイミングで……」
ブツブツと文句を言っているセブルスから視線を外して手紙の束を見ると、1番上にダンブルドア先生からの走り書きがあるのが見えた。
「セブルス、ダンブルドア先生からのお手紙があるわ」
「……何?」
セブルスはソファから降りてメモとも言える走り書きを手に取った。ざっと目を通すと眉間に皺を寄せて、彼は深い溜息を吐き出した。
「どうしたの?何か悪い知らせ?」
心配になって急いで上半身を起こすと、セブルスは再度溜息を吐いて、
「……大した事ではない」
と唸った。
「ダンブルドアからの呼び出しだ」
「それなら早く行かなくちゃ」
「しかし……」
渋るセブルスの背を押して、杖1振りで食器洗いと片付けを行って、私は彼共々部屋を出た。
とっても行きたくなさそうなセブルスにダンブルドア先生の元へ行く様に念押ししてから別れ、私は廊下を歩き出した。
人気の少ないホグワーツは静かで落ち着く。顔の熱が何とか取れた頃、オレンジの毛玉がフワリと現れた。
「クルックシャンクス」
にゃあ、と返事したクルックシャンクスは、機嫌良さそうに私の足元に擦り寄って来てくれた。
昨夜、ペティグリューに魔法で弾き飛ばされてから姿を見ていなかったため心配していたのだ。ハーマイオニーが何も言ってこない所を見ると無事だとは分かっていたのだけれど。
「怪我は無い?貴方も災難だったわね。でも、大活躍だったわ」
顎の下を撫でてやると、クルックシャンクスはご満悦な顔でゴロゴロと喉を鳴らした。
実際、彼が賢くなければシリウス・ブラックは永遠に殺人鬼のままで、ピーター・ペティグリューはスキャバーズとして潜伏し続け、万が一「例のあの人」が復活した場合容赦無くハリーを殺していた可能性もあった。
そう思えば、マーリン勲章を貰っても良い程の活躍ではある。
「でも、もうネビルから合言葉の紙を取っちゃダメよ」
苦笑しながらそう言うと、クルックシャンクスは分かっているのかいないのか、なーお、と機嫌良く返事をした。
それから彼は不意に私の手元を離れて数歩先を行くと、チラリとこちらを振り返った。そのまま様子を見ていると、また少し歩いてこちらを振り向く。
「……付いて来て欲しいの?」
ジッとこちらを見る目が肯定した様に思えて、私はクルックシャンクスの後を付いて歩き出した。
フワフワの尻尾がゆらゆら揺れるのを眺めながら歩いていると、いくつかある空き教室の内の1つに辿り着いた。カリカリと軽く扉を引っ掻くクルックシャンクスを制して扉を開けると、彼はするりとその隙間に入って行った。それに続くと、中では1匹の黒犬が私を待ち構えていた。
「ニクス……いえ、シリウス・ブラック」
「くぅん」
少し寂しげに鳴いた犬は、側に寄ったクルックシャンクスと鼻で挨拶した。満足したのか、クルックシャンクスはお役御免とばかりに部屋の隅に移動して丸くなった。
私がジッと見詰めていると、黒犬は少し躊躇った後人間の姿に変身した。
ボロボロのローブから黒のシャツと同色のスラックスに着替えたシリウス・ブラックはこざっぱりとしていて、流石にやつれてはいるものの充分に美丈夫と言って良いだろう。
しかし、その顔は何故かやや戸惑った様な困った様な表情になっている。
「あー、その、レディ──」
「先に言っておきたいのだけれど」
私はあえてシリウス・ブラックの言葉を遮った。
「その"レディ"と呼ぶのは止めてもらえるかしら?私にはメリル・ヴァレーという名前があるのよ。変に畏まられると気味が悪いわ」
「それは、……済まなかった」
しおらしく項垂れる男の頭に、垂れた犬の耳の幻覚が見えた気がした。絶対に気のせいだけれど。
「それで、空き教室に呼び出して何のご用かしら?まだ入院中の筈でしょう?」
「ああ、こっそり抜け出してきた。マダム・ポンフリーには後でこってり絞られるさ。それより重要な用事だったものでね」
「それは?」
「レディ、いや、メリル──」
「ファーストネームで呼ぶ事を許していないわ」
「──失礼、Miss.ヴァレー、貴女と話がしたかった」
「座らないか」とシリウス・ブラックは手近な椅子を指差した。私が大人しく席に着くと、彼は1人分の空白を空けて椅子に腰掛けた。
妙に緊張する。学生の時でさえ、この男と2人きりになった事はなく、あまつさえこんな近くにいた事もない。
「Miss.ヴァレー、まずは礼を言いたい。裁判への出席を了承してくれた事、裏切り者のペティグリューを捕まえてくれた事、私を城まで運んでくれた事、そして食べ物をくれて世話までしてくれた事、本当にありがとう」
「……最後については、お礼はいらないわ」
「何故?」
「ご存知ないかもしれないけれど、私、これでも魔法生物飼育学の教授補佐なの。それが動物もどきを見抜けないなんて……情けないわ」
これ見よがしに溜息を吐いてみせると、シリウス・ブラックは困った様な嬉しい様な変な顔になった。
「私の犬のフリが上手いと褒めているのか?」
「まさか。それに見抜けなかった動物もどきは貴方だけではないわ。怪しんではいたけれど」
暗にペティグリューの事を言うと、男はあからさまに顔を顰めた。
「……あいつは臆病者だからな。知っている人間でなければ見抜くのは難しいだろう。怪しいと思うだけでも凄い事だ」
「いや、こんな話をしたいんじゃない」とシリウス・ブラックは頭を振った。改めて真面目な顔になった男は、「Miss.ヴァレー、お願いがあるんだが」と切り出した。
「何か?」
「あー、まず、そのファーストネームで呼んでも?」
「……考えておくわ」
……そもそもこの男、私の事を覚えているのだろうか?いや、覚えていなくて良いのだけれど。
「話はお終いかしら?」
「いや、待ってくれ」
シリウス・ブラックは慌てて手を横に振った。
「用があるなら言ってもらえる?手短にって約束だったでしょう?」
「ああ、ああ、そうだったな。すまない、人と話す事が随分久しぶりなもので……」
男はもどかしそうに頭を軽く掻いた。そういう風に言われてしまうとこちらは何も言えない。
私は小さく息を吐くと、「それで?」と話を促した。
「……今日、あいつの引渡しがこの後にあるだろう。そこに立ち会って欲しい」
あいつとはピーター・ペティグリューの事だろう。確かに夕方、闇祓いが来て引渡す事になっている。ダンブルドア先生にでも聞いたのだろうか。
「何故私が?」
「貴女は奴が万が一逃げたとしても捕まえられると聞いた。それに、今回の件で最も事情を知る人間の1人でありながら、最も冷静で公平だ。後は……」
「後は?」
シリウス・ブラックは1度言葉を切って、躊躇いながらも続けた。
「……私の単なるワガママだ。もし時間があるなら、どうだろうか」
こちらを窺う目は、どこか迷子の様にも縋る様にも見えた。
この男の事を信用しきった訳ではない。学生時代の所業を忘れた訳でも。
しかし、こういう目に自分がちょっぴり弱い事を、私は既に自覚している。
「……良いわ、立ち会うくらいならそれ程時間は掛からないでしょうから」
「本当に?」
「ええ。それにもう関わってしまったのだから、最後まで見届けないとスッキリしないもの」
「……!ありがとう!」
パッと顔を輝かせたシリウス・ブラックは私の手を取ろうとしたため、それはサッと避けておいた。
「あー、すまない」
「別に良いわ。話は終わりね?早く医務室に戻ってはどうかしら。マダムが探し回っているかもしれないわ」
「ああ、そうしよう」
立ち上がったシリウス・ブラックは、しかしふと思い出した様に席を立った私にその整った顔を寄せた。
「!何を──」
「……バックビークは私が保護している」
「ッ!?」
囁かれた内容に驚いて言葉を失っていると、その間に男はクルックシャンクスと共に足早に立ち去ってしまった。
──何故バックビークの事を!?一方的に話すだけ話して行ってしまうなんて!
心の中で地団駄を踏んでも、事情を知っている人間はもういない。
私は何度か深呼吸をして自分を落ち着かせてから、私室へと向かった。
手紙を送ったり細かな用事を済ませていると、あっという間に闇祓いがやって来る時間になった。
急いで城の玄関に向かうと、既にダンブルドア先生、シリウス・ブラック、ペティグリュー、それにセブルスもいた。魔法省の闇祓いはまだ来ていない様だ。
「……何故君が?」
セブルスが訝しげにこちらを見遣る。それへ答えたのは私ではなく、シリウス・ブラックだった。
「私が頼んだ」
「……何?」
一気に目付きを鋭くしたセブルスは、仇敵の顔を睨めつけた。
「万が一の戦力は多い方が良いだろう?それに彼女はネズミを捕まえるのが上手いと聞いてな」
口の端を器用に片方上げてみせたシリウス・ブラックは、妙に喧嘩腰にセブルスへとそう言った。いや、学生時代からこんな話し方だった気もする。私はあまり対面する機会が無かったけれど。
ペティグリューはふくろう姿の私に捕まえられた時の事を思い出したのか、大袈裟に肩を揺らした。
「貴様が語るな」
「何だって?何の権利があって──」
「そうら、お客人のお出ましじゃ」
セブルスとシリウス・ブラックが一触即発の雰囲気になった所で、タイミング良くダンブルドア先生がそう言った。
城の門をちょうど数人の魔法省の人間が潜った所だった。その中にはMr.マクネアもいる。吸魂鬼の回収のためだろう。
玄関の階段を登り切った彼らを出迎え、簡単に挨拶を交わした。それからペティグリューを引渡した。ここまでは特に問題は無かったのだが、ここで少しトラブルが起きた。
魔法省としては、無罪が確定した訳ではないシリウス・ブラックにも同行して欲しかった様だが、当の本人がそれを拒否したのだ。
「まだ身体が癒えていなくてね」
ニッコリ笑ってそう言われ、闇祓いの一行に唯一混ざっていた女性が頬を赤らめた。やはりこの男、顔は良いらしい。
ダンブルドア先生もホグワーツで保護して身体を休めてはどうかと口添えしたのも大きく、闇祓い達はペティグリューと吸魂鬼を引き連れて魔法省へと戻って行った。
「貴様のいる場所など無い」
私達だけになった玄関で、セブルスが吐き捨てた。ダンブルドア先生は「大丈夫じゃろう」と微笑んだ。
「丁度闇の魔術に対する防衛術の部屋が空いてしまった所じゃ。裁判まではあそこで暮らせば良い」
「しかし、教員ではない、無罪と確定した訳でもない奴をホグワーツに置いて良い訳が……!」
「まあまあ、セブルス。シリウスにはその部屋でのみしばらく過ごしてもらう。それで良かろう?」
セブルスはまだまだ言いたい事がありそうな顔をしていたが、そろそろホグズミードから子供達が戻って来る頃合のため一旦反論するのは我慢した様だ。眉間の皺は限界まで寄っていて、歯を噛み締めているせいで口の端がひくついているけれど。
「メリル、立ち会いに感謝する」
「いえ、見ていただけですから」
私が緩く首を横に振ると、ダンブルドア先生は優しく微笑んだ。それからシリウス・ブラックを促して廊下を歩き出した。2人で話したい事があるのだろう。
しかし、数歩行った所でシリウス・ブラックだけが足早に戻って来て、私の目の前で立ち止まった。
「?何か?」
「これからはシリウスと呼んでくれ。それじゃ、また」
「……は?」
「何を……!」
爽やかに笑って告げた男は、ダンブルドア先生を追ってさっさと行ってしまった。
残されたのは呆然とする私と全身をわなわなと震わせるセブルス。
もう本当に、何がしたいのか分からない。大人しくしておけば良いものを。
涼しい風が玄関ホールを駆け抜けて行って、私は大きな大きな溜息を吐いたのだった。
鉄砲雨「弾丸の様な激しい雨」
45話目です。
ようやっと3巻目の終わりが見えてきました。しかし新たな台風の目の予感ですね! 書いてる方はすこぶる楽しいです!w
ちなみにロックハートがリーマスにセブルスとメリルの2人が恋人同士だと教えたのはわざとです。リーマスがメリルを特別視していると察知したからですね。ロックハートは意外と色々と動いてます。
甘さは入れつつ騒動の予感も入れつつ、次回は夏休み突入回となります。
ドタバタラブコメ風味も入れたいですが、書けるかは謎ですw頑張りますw