百合の影から覗いて   作:細雨

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来たる白驟雨の前触れ〜アズカバンの囚人篇〜

ホグズミード休暇を存分に楽しんだ子供達を待ち受けていたのは、試験結果という現実だった。それと夏休み。

パーシーは無事にN.E.W.T.試験を1番の成績でパスし、クィリナスの放課後をほぼ独占して勉強した双子も上々の成績だった様だ。マーカスもオリバーもギリギリのスレスレではあるものの試験をパスし、セドリックは昨年より成績を上げていた。ハリー達3人組も全員全科目合格しており、ドラコもまた同様だった。ビンセントとグレゴリーはちょっぴりギリギリだった様だけれど。

ただし、今年は成績よりも寮杯の行方よりも子供達の関心を集めたのは日刊預言者新聞だった。魔法界中の注目が集まっていたそれは、シリウス・ブラックの冤罪とペティグリューの裏切りを大々的に報じた物だ。大広間ではハリーがちょっぴりもみくちゃにされていて、くしゃくしゃになりがちな髪が更にあっちこっちに跳ねていた。

今回の件については当事者でもあるという事で、ウィーズリー兄弟に事前にスキャバーズがペティグリューであった事は知らされていた。

朝食前にロンに集めてもらった彼らは一様にキョトンとした顔をしていたが、真相を知らせるとジニーは真っ青な顔になり、パーシーは気絶しかけ、双子はそんなパーシーを正気に返させると同時に自分達の頬を抓り合っていた。

「先生、ヴァレー先生……それはその、本当に……?」

今にも気絶しそうな細い声で問うパーシーに「残念ながら」と頷くと、「パパとママにどうやって説明したら……いや、そもそも僕が信じられない……」と羊皮紙の様な真っ白な顔でブツブツと呟き始めた。

そこで付き添いで共にいたミネルバが、

「ご両親には校長先生から説明の手紙を送ります」

と伝えると若干ホッとした表情になっていた。上手く説明できる気がしなかったのかもしれない。私だってパーシーと同じ立場ならすぐには信じられないし、自分でも信じられない事を人に説明なんて到底できないだろう。

「あの、先生」

顔色が悪いまま、張り詰めた表情でジニーが1歩前に出た。

「何かしら?」

「……そのペティグリューって人に、会う事はできますか?」

「ジニー!会う必要なんてない!」

パーシーが悲鳴を上げた。

「そうだぜ、ジニー。こればっかりはパーシーに賛成だ」

「犯罪者に会うなんて、ママも許さないだろ」

双子も珍しくパーシーの肩を持ったが、そんな彼らをジニーはキッと睨んだ。

「もう、お兄ちゃん達は黙ってて!私はヴァレー先生に聞いてるの!」

ジニーは口々に反対する兄達を一喝して、「会えますか」と私へ再度聞いてきた。

「そうね……貴女達は当事者でもあるから会う事は可能かもしれないけれど……。マクゴナガル先生はどう思います?」

悩みながらもミネルバに助けを求めると、彼女は顎に手を当てて「そうですね……」としばし考える様子を見せた。

「できない事は無いでしょうが、今回は事件の内容が内容ですからね。それに未成年は保護者の同伴が必要です」

「……という事よ。裁判官の判断とご両親の説得結果次第でしょうね」

「分かりました」

ジニーは私を真っ直ぐ見ながらしっかり頷いた。芯の強さを感じさせる瞳は、長兄のビルを思い出させる。あの子も物腰穏やかながら真っ直ぐな目をしていた。

懐かしく思いながら「会いたいのなら、頑張ってね」と伝えると、ジニーはニッコリと笑った。

そして朝食後、「ヴァレー先生!」とハリーが私を廊下で呼び止めた。

「どうしたの?」

私の元まで早足で来たハリーは周囲をキョロキョロと少し見回した後、特別な秘密を共有する様に嬉しそうに小声で言った。

「シ──パッドフットが、色々落ち着いたら僕と暮らさないかって言ってくれたんです」

「あら、そうなの?彼には会えたのね」

「はい。今朝、お見舞いに行った時に少し」

ハリーの頬は上気し、本当に喜んでいるのだと分かる。しかし、その顔はすぐに少し困った様に眉を下げた。

「何か気にかかる事が?」

「ええっと……」

ハリーは少し躊躇った後、「実は」と切り出した。

「叔母さんの家を出るのは、ちょっとだけ迷ってて……」

「どうして?」

「最近、手紙が返ってくる回数が増えてきてて、少しずつだけど、母さんの事も教えてくれるようになってきてるんです。だから……」

迷っているのは、ハリーはハリーなりにダーズリー家に何かしらの愛着を感じているからだろう。環境は良くなかったとはいえずっと育ってきた家であるし、最近は仲も修復されつつある。

「でもシ パッドフットは熱心に誘ってくれてて、僕と過ごしたり話したりする事が本当に楽しそうなんです……」

──名付け子にここまで気を遣われてどうするのだろう。

まったく、と心中で溜息を吐き、しかし口元には微笑みを昇らせた。

「ハリー、自分の気持ちを正直に話した方が良いと思うわ。彼の周囲が落ち着くまである程度時間はかかるでしょうし、彼も今すぐとはさすがに思っていないでしょう。だから、お互いにじっくり話し合った方が、良い結果になるのではないかしら」

緑の目を真っ直ぐに見ながらそう伝えると、ハリーは素直にコクリと頷いた。

「それでもし彼がどうしてもと頑固に言うなら、ダンブルドア先生や私に相談してくれたら良いわ」

「はい、ありがとうございます」

ニッコリ笑ったハリーは、足取りも軽やかに歩いて行った。

昼食後、今度はドラコに呼び止められた。

「ヴァレー先生、あの……」

「どうしたの?」

ドラコはウロウロと目線を彷徨わせて躊躇った後、意を決した様に私を見据えた。

「ヒッポグリフを、父が訴えていると聞きました。先生と僕を怪我させたから、と……」

「ええ、そうね」

「僕が望んだ事ではありません。さっき聞いたばかりでびっくりして……」

「それで?ドラコはどうしたいのかしら?」

ドラコは何度か口を開閉して、キュッと口元を引き結んだ。それから、絞り出す様に「訴えを取り下げてもらいたいんです」と言った。

「あのヒッポグリフが処刑されるのは、嫌です。……先生が怪我したのも、元々は僕が原因です。あのヒッポグリフじゃない」

ドラコはあれからきちんと考えたのだろう。自分のしてしまった事、そしてその結果何が起こったか。彼は今年度またひと回り成長したのだろう。

「私もね、ドラコ、バックビーク──ヒッポグリフへの訴えを取り下げて欲しいと思っているの。お父様に手紙を書くから、届けてくれるかしら?」

「ふくろうで送らないんですか?」

コテリと首を傾げたドラコに、ふふ、と小さく微笑む。

「貴方から渡したら絆されてくれないかしらと思って」

悪戯っぽくそう言うと、ドラコはびっくりした様に目を見開いた。

「そ、そうでしょうか?」

「分からないけれどね。あとは、ふくろうで送るより貴方に託した方が早くルシウスの手元に辿り着くかもしれないからよ。頼まれてくれるかしら?」

「はい、分かりました」

少年は素直に頷いた。明日手紙を渡す事を約束し、私は彼を送り出した。学期最後の日だ。友人達と過ごしたいだろう。

私はドラコの背が廊下を曲がるまで見送ってから、校長室へと足を向けた。先程の昼食の際にお茶に誘われていたのだ。

「ダンブルドア先生、入っても良いでしょうか?」

「どうぞ」

穏やかな応えに扉を開けると、ダンブルドア先生がソファの側で立って出迎えてくれた。先生は私をソファに座る様促すと、自分も向かいに腰掛けて魔法で紅茶のセットを呼び寄せた。

「丁度良い塩梅の頃じゃ。先日友人に貰った茶葉でな、蜂蜜の香りがするのじゃよ」

ホクホク顔の先生は甘い紅茶に更に甘いおやつを食べるつもりらしく、いそいそと蜂蜜ヌガーや糖蜜パイ、レモンマフィンをどこからか出現させた。厨房の屋敷しもべ妖精が準備してくれたのかもしれない。

紅茶は口元にカップを運んだだけで蜂蜜の香りが鼻をくすぐり、口に含んだ液体にも蜂蜜の味が後味としてついていた。しかし決してしつこくはなく、飲みやすい物だ。つまり、美味しい。

「美味しいですね」

「そうじゃろう、遠慮なく飲みなさい」

お茶とお菓子を楽しみながら雑談に興じていると、ダンブルドア先生はふと「おお、そうじゃ」と思い出した様に手を叩いた。

「今夜、消灯時間後にシリウスを闇の魔術に対する防衛術の教室まで案内してくれんかの?家具は一通り揃っておるから」

「彼も卒業生ですから、迷う事は無いと思いますが……」

「もちろんそうじゃろう。しかし流石に1人にする訳にも行くまい。万が一、監督生の誰かやベッドを抜け出した生徒に会わんとも限らんからのう」

「犬に変身してもらえば……いえ、城内に犬がいるだけで目立ちますね」

ホグワーツは連れて来て良いペットとして犬を認めていない。しかもシリウス・ブラックはかなり大きな犬に変身する。目立つ所の騒ぎではない。

「そういう事じゃ。頼むの」

「……分かりました」

気は進まないが、ダンブルドア先生の頼みであれば断れない。私はあまり不満を表に出さない様に気を付けながら頷いた。

夜の宴会はとても賑やかだった。学期最後の日だから子供達は皆開放的になるし、教員側も明日から待ちに待った長期休暇となるからだ。

寮杯は、クディッチ優勝戦を勝ちきった事でグリフィンドールが取った。真紅と金に彩られた大広間は昨年と同じく華やかだ。

子供達は大いに食べ、飲み、語り合い、勉学からの解放としばしの別れを惜しんだ。教員達もいつもよりはっちゃけている様に見える。

楽しい宴は消灯時間ギリギリまで続き、最後には監督生達がそれぞれの寮の生徒達を急かして寮へと戻る羽目になった。最後の最後まで粘ってお喋りしていたのは4寮のクディッチチームのメンバーだった。この夏休み中にワールドカップが開催されるためか、クディッチ論議にも一段と熱が入っていた。双子なんてパーシーに「減点されたいのか!」と怒られてようやく寮に戻った程だった。パーシーは試験が終わってようやく肩の荷が降りてキツくなっていた顔付きが和らいだ所だというのに、これではまだまだ気が抜けないだろう。

「メリル、この後時間はあるか」

セブルスの言葉に、私は眉を下げて「ごめんなさい」と苦笑した。

「ダンブルドア先生から頼まれ事をされているの。明日でも良いかしら?」

「ああ」

セブルスは小さく頷いた。

デザートの薔薇ジャムのケーキまでしっかりお腹に収めた私は、人の気配の無い廊下を歩いて医務室へと向かった。

私の中のシリウス・ブラックに対する感情は今や複雑な物になりつつある。学生時代の事を考えると怒りや嫌悪が湧き上がってくるけれど、ニクスでもあるから憎みきれず、嫌いきれない。しかも本人は何故か親しげに接してくるから余計だ。きっと私の事は露程も覚えていないのだろう。それは別に構わないのだけれど。

はあ、と息を吐いてから、私は医務室へと滑り込んだ。

「こんばんは、マダム・ポンフリー」

「こんばんは、メリル。校長先生から聞いていますよ。あの子の案内をしてくれるんでしょう?」

マダムにかかれば私達などまだまだ子供なのだろう。こちらも散々世話になっている彼女には頭が上がらない。

「ええ、ダンブルドア先生に頼まれましたので。それで、起きているのですか?」

「ええ。まだしばらくは栄養をしっかりつけなければなりませんが、夏休みが終わる頃には食事に気を付ける必要は無くなるでしょう」

「分かりました」

私が頷くと、マダムはニッコリ笑って1番奥のベッド周りのカーテンを開けた。

「シリウス、迎えが来ましたよ」

シリウス・ブラックは身支度を整えた状態でベッドに腰掛けていたが、私の姿を見てポカンとした間抜けな顔になった。

「えーっと、貴女が?」

「そうよ、何か問題が?他の人に交代してもらいましょうか」

「いや、いや!」

男は慌てて立ち上がってこちらへ近寄った。

「とてもありがたい、そう、とてもだ」

「大袈裟ね。マダム・ポンフリー、荷物は特にありませんよね?」

「着の身着のままですからね」

笑いながら言うマダムに、「それもそうですね」と笑い返し、私はシリウス・ブラックへと向き直った。

「Mr.ブラック──」

「シリウスだ。そう呼んでくれと言ったろう?」

ニコニコと笑いながら、男はそんな事をあっけらかんと言った。小さく息を吐いて、

「そこまで親しくないでしょう。Mr.ブラックで充分では?」

「嫌だ、シリウスと呼んでくれ」

子供か。

駄々っ子の様に頑なに要求するシリウス・ブラックから目を離して、助けを求めてマダム・ポンフリーを見るが、彼女は呆れた様に苦笑しながら首を横に振った。どうやら助け舟は出ない様で、何なら私が折れないと状況は動かなさそうだ。

私は大きく深い溜息を吐いてから不承不承「シリウス」と呼び掛けた。

その瞬間、男の顔はパッと華やかな笑みを咲かせ、夜なのに何故か眩しい気分になった。そもそも何故そんなに喜ぶのか、皆目見当もつかない。親しい人間がもう少なくなってなってしまったからだろうか。それとも、長い間アズカバンに閉じ込められて人との接触がほとんど無かったからか。それならば理解の余地はあるのだが。

「ああ、何だ、メリル?」

「ファーストネームは許していないと前にも言ったわ」

「でも、私の事をシリウスと呼んで貴女をMiss.ヴァレーと呼ぶのは変だろう?」

「私は変とは思わないわ」

「まあ、良いじゃないか。部屋まで案内してくれるんだろう?行こう」

そう言って、シリウスは颯爽と医務室の出入口まで歩いて行ってしまった。取り残された私は、やれやれと苦笑するマダム・ポンフリーに「頼みましたよ」と優しく背を叩かれガックリと肩を落とした。

上機嫌のシリウスを引き連れて、闇の魔術に対する防衛術の教室へと向かう。鍵の掛かっていない扉を開けて中に入ると、やけにがらんとして見えた。リーマスが出て行ったばかりだからだろうか。

奥の私室部分まで案内すると、「家具は揃っているんだな」とシリウスが不思議そうに呟いた。

「ダンブルドア先生が用意してくれたのだと思うわ」

「食器類もあるのか。食事はどうしたら良い?」

「屋敷しもべ妖精が運んでくれるらしいわ。多分テーブルの上に現れるでしょう」

「それから」と私は部屋の上部分にある穴を指差した。

「ふくろう達がここまで運ぶ物があればあの穴から飛んで出てくるから、あれは塞がないように」

「ふくろうの通路みたいな物か?」

「そうよ。日刊預言者新聞を購読してから頼めば、休暇中はあそこを通ってここまで運んでくれるわ」

「なるほど、それは便利だ。わざわざ新聞を受け取るために大広間に行かなくても良いという訳か」

「ええ」

その後いくつか注意点を伝えてあらかたの説明はし終わったため、「それではこれで」と身を翻そうとすると、

「お茶でもどうだろうか」

とシリウスが言い出した。

「私はもう用事は無いわ」

「そう言わずに、なあ、少しだけだ。バックビークの事も話したい」

それを言われると聞きたくなってしまう。何故シリウスがバックビークの事を知っているのか、何故保護しているのか、疑問だらけだ。

「遅い時間にならないのなら良いわ」

溜息を吐きながら了承すると、シリウスはパッと顔を輝かせた。感情が分かりやす過ぎる。

「それは良かった。待っていてくれ、すぐ紅茶を淹れよう」

いそいそとキッチンに向かった男だったが、お湯を沸かすにもヤカンがどこにあるかも分からず、茶葉の場所さえ知らなかったため、結局私が全てやってやる事となった。生活能力が皆無な予感がしているが、貴族ならそれでも良いのだろうか。

「助かった、ありがとう」

「どうも」

ソファに座ってニコニコと感謝を伝えてくるシリウスに簡素に返事をして、対面に腰を下ろした私は紅茶に口をつけた。慌ただしく淹れたにしては美味しい。合格点だ。

「それで?」

「うん?」

「バックビークの事よ、何故貴方が保護してくれているの?そもそも無事なのよね?」

「ああ、それか」

シリウスは「無事だ。元気に肉を食べてる筈だ」と答えた。

「保護している理由は……どこから話すべきか……」

「最初から全てよ」

迷う素振りを見せたシリウスにそう言うと、彼は「分かった」と頷いた。

「あの満月の夜、医務室に運ばれてからすぐに私は目を覚ました。するとダンブルドアがハリーとあの賢い女の子、ハーマイオニーに話をしているのが聞こえたんだ。『時間が必要』『3回引っ繰り返せば良い』とな」

「……逆転時計ね?」

シリウスは「そうだ」と嬉しそうに頷いて続けた。

「ダンブルドアが医務室を出てすぐに、私はハリー達に協力を申し出た。2人共とても驚いていたが、何せ時間が無かった。時間を巻き戻った私達はバックビークを処刑人の斧から逃がした。それから、他にすべき事があるハリー達とは別れて、私はバックビークに乗ってブラック家の屋敷に向かった。そこなら、そこに家があると知っている人間しか入れないから安全なんだ。残っていた屋敷しもべ妖精に世話させているから、逃げてはいない筈だ。そして大急ぎで 医務室に戻ったという訳だ」

「そういう事だったのね……」

確かに、逆転時計で時間を巻き戻さないとバックビークを逃がす事はできなかっただろう。ダンブルドア先生が変に時間稼ぎをしていた理由もこれで分かった。しかし、どこからどこまで先生はご存知だったのだろう。時間稼ぎをしていた時は、まだハリー達に逆転時計を使う様に伝える前の先生の筈。そう考えると薄ら寒さすら感じる。どこまでが先生の計画の内だったのか、考え始めると止まらない予感がして私は一旦思考を止めた。

「貴方自身がバックビークを保護した理由は?訴えられているヒッポグリフを保護して魔法省と敵対しても良い事は無いでしょう?」

「ハリーにしてやれる事は何でもしたいんだ。私はあの子が産まれてから、名付け親らしい事は全くできていないからな。それに私には提供できる場所があるし、弱腰の魔法省がヒッポグリフを庇った程度で、まだ正式なブラック家の当主でないとはいえ私を非難するとは思えない」

「否定はできないわね」

ファッジ大臣は権威に弱い所があるのは、魔法界の成人した大人であれば大方の人間が知っている事だ。アズカバンにいたシリウスでさえ知っているとなればよっぽどだけれど。

「そうだろう?」

シリウスがニヤリと笑った。

「そういう訳で、バックビークは無事だ。訴えが取り下げられるまで外に出す事はできないが」

「充分だわ。そちらは何とかできる可能性があるから」

「何か策でも?」

「策と言う程の物でもないわ。それに取り下げられると確信している訳でもないの」

「万が一訴えられたままでも、ブラック家の庭で良ければそのままいれば良い。空から探されても、敷地から出なければ見つかる事は無い」

「どうも。それもハリーが望んだから?」

「それもあるが……」

そこでシリウスは言葉を切って、ガシガシと後頭部を掻いた。それから私を見て真面目な顔付きになった。

「貴女が喜ぶだろうと思った。ハリーから貴女は魔法生物が好きだと聞いた。そうだろう?」

「そうね。バックビークが無事で嬉しいわ」

「なら良かった」

シリウスは嬉しそうに微笑んだ。それから再度真面目な顔に戻って「次は私の番だな」と言った。

「貴女の知りたい事は答えたんだから、私の質問にも答えてくれ」

「答えられる事ならね」

私が方をすくめてそう言うと、シリウスは「もちろんそれで良い」と頷いた。

「何も無理に聞き出そうという訳じゃない」

「そう。それで、聞きたい事は何かしら?」

シリウスはひとつ咳払いをした。聞き辛い事なのだろうか。

「あー、その、貴女は魔法生物が好き、なんだよな?」

「ええ。魔法生物に限らないけれど」

「だから私を──大きな汚い黒い犬を、ニクスを、助けてくれたのか?」

「少しでも動物が好きな人間なら、目の前で倒れていたガリガリで貧相で死にそうな犬を見捨てられないわ」

「それにしたって、1度ならず何度も、1年近くチキンを運んでくれただろう?何故だ?」

男の灰がかった瞳が真っ直ぐに私を見据えた。夜空に輝く一等星の様にキラリと輝く感情が、ゆらゆらとベールの如くその目の奥に揺らめいている。

──やっぱり、何を考えているか分からないわ。

開心術でも使ってみたら分かるのだろうか。知りたいとは、あまり思えないが。

何にせよ、私の答えは決まっている。

私はカップをソーサーに置き、シリウスの視線を真っ向から受け止めた。

「面倒を見るなら最後まで、だからよ」

それは私だからではなく、生き物に深く関わる者ならば誰しもが持っている覚悟だ。野生であれ野良であれ飼育されているものであれ、1度面倒を見ると決めたなら最後まで面倒を見るのが責任というものだ。それが最期を看取る事になるのか、新しい飼い主を見つける事になるのかは状況次第だが。中途半端に干渉する事は最も避けるべきだ。1度の同情心から食事をやっても、その後きっと野生ならばそこに食事があると覚えて通ってくるだろう。そうなれば最早野生とは言えない。だから、私はニクスを助ける時、彼が最期を迎えるまでか、飼い主が迎えに来るまでか、それとも新しい飼い主が見つかるまでになるか分からないが、最後まで面倒を見ると腹を括って食事を与えたのだ。

「安易な気持ちで生き物の生死に干渉してはならないと、私は思っているわ。ニクスを助けたのも名前を付けたのも、もし万が一飼い主がいないのなら自分で面倒を見る覚悟をしての事よ」

「そうか……」

シリウスは眩しそうな、何故かどこか切なげな表情になっていた。その理由は私には分からなかったけれど、彼の求めていた答えではなかった事くらいは察した。しかしその期待に応える義務は無い。

「そろそろお暇するわ。それじゃあ」

私がサッと立ち上がると、シリウスは「もう行くのか?」と悲しげな声で言った。

「明日から夏期休暇の筈だ。なら、少しくらい夜更かししたって構わないだろう?」

「動物の世話に休暇は関係無いわ。それに昨夜、既に夜更かししていて疲れているの」

「お茶をご馳走様」と言い置いて扉の方へ向かうと、ガタタッと背後から慌ただしい音がした。

「待ってくれ……!」

「……!」

パシリと掴まれた手首に驚いて振り返ると、存外近い距離に男の顔面があった。その表情はどこか切羽詰まった様な必死な物で、その瞳は動揺を映してこちらを見詰めていた。

ゾワリと、肌が粟立つ。

無言の時間が続いた。私は驚きと警戒で言葉を発せず、シリウスの口からも何の音も出てこなかった。正確には、何度か口を開け閉めしたものの、何を言う事も無かった。

用が無いのなら引き留めないて欲しいというのが正直な所だ。疲れていると先程眼前の男に言ったが、確かに疲弊しきっている訳ではないものの、早めにベッドに入るつもりでいるくらいには身体が重い。

切なげに寄せられた眉の下のグレーの瞳が、揺れながら私を映している。私の手首を掴む手に僅かに力が籠る。

「……メリル──」

ボーン……ボーン……。

シリウスが口を開いたのとほぼ同時、壁掛け時計の鐘が時刻を知らせた。その音にハッと我に返った私は、驚いて緩んだ男の手から手首を引き抜いた。

「っ!メリル……」

「用は無いわね、それじゃあこれで。おやすみなさい」

素早く身を翻して、私は部屋の外に出た。後ろは振り向かなかった。

人気の無い廊下を早足で歩き、私室に辿り着いた。後ろ手に扉を閉めて鍵を掛け、ようやく私は一息つく事ができた。自覚していた以上に緊張していたらしい。

シャワーを浴びて気分転換を済ませ、ルシウスへの手紙を書き終えたら後は寝るだけだ。時刻は最早深夜に近い。

実験室の植物達のチェックをし終えて、ようやく私はシーツに包まる事ができたのだった。

明けて次の日。朝食後、帰省できる喜びに湧く子供達を玄関で見送っていると、ドラコがパンジーやビンセント達と共に姿を現した。

「ドラコ、少し良いかしら」

「はい、先生」

頷いて1人こちらに近寄って来たドラコの形の良い頭を、唐突に通りがかったウィーズリーの双子が撫で回した。

「なっ!?」

「よう、ドラコの坊ちゃん!」

「優勝杯戦は熱戦だったな!ハリーには及ばないが良い箒捌きだったぜ」

「これからもロニー坊やをよろしく頼むよ!」

「「じゃあな!」」

「いや待て……!……何なんだ、一体……」

嵐の様に去って行った双子にブツブツ言いながら乱された髪をササッと手櫛で直し、ドラコは何も無かったかの様な澄ました顔で「何かご用でしょうか、先生」と言った。

──うーん、可愛い。

双子はきっとペティグリューの件でショックを受けたロン──だって丁寧に世話していたペットが犯罪者の小汚い男だったのだ!寝込んでもおかしくない──を遠回しに気に掛けた結果だろうし、ドラコはドラコで大雑把な扱いに満更でもない様子だ。家でそういう風な接し方をされた事が無いからなのかもしれない。

私は努めて口元がにやけない様に堪え、ローブの内側から1通の封筒を取り出してドラコに手渡した。

「これ、頼んでも良いかしら?」

「もちろんです、先生。お任せ下さい、必ず父上にお渡しします」

使命感にパッと上気した薔薇色の頬で、少年は大層大事な物を受け取るかの様な手付きで手紙を受け取り、いそいそとローブの内側に納めた。

「ありがとう。道中気を付けてね」

「はい、先生」

ドラコはしっかりと頷いてから、「ヴァレー先生も良い休暇を」と言ってからパンジー達に合流しに行った。

いつの間にか目線が近くなっていて、子供の成長とは毎年目を見張るものがあると実感した。内面も外面も、大人の知らぬ内に変わっていくものなのだろう。

大方の生徒達が玄関から出て行った後、古びたスーツケースを手に下げたクィリナスが現れた。

「あら、クィリナス。貴方も帰省?」

「こんにちは、メリル。帰省というか旅行、ですかね……。マグル学を引き続き教えるにあたって、少しマグルの今を見てこようかと思いまして」

「随分勉強熱心ね」

「貴女こそ」

和やかに微笑み合っていると、「やあやあ、お2人共、お揃いで!」と賑やかな声がした。

「ギルデロイまで旅行に?」

ニコニコと満面の笑みを浮かべたギルデロイは、若干派手なスーツケースを持ち直しながら「ええ!」と大きく頷いた。

「私は帰省してからになりますけどもね。ホグワーツへ来る前にお世話になった孤児院へも顔を出す予定です」

「充実した休暇になりそうね」

「メリルはご予定はあるのですか?」

ギルデロイの問い掛けに、「家の片付けくらいかしら」と私は返した。昨年の夏にやっと手を付けられたものの、まだまだ片付けは必要だ。それに墓参りにも行きたい。

「メリル、良かったら駅まで一緒に歩きませんか?気分転換にでも」

「そうしようかしら。最近は中々ゆっくりお喋りできなかったものね」

クィリナスの提案に、私は快く頷いた。

駅までの道中を、心持ち早足で歩く。2人が汽車に乗り遅れたら大変だ。生徒と違っていくらでも移動手段はあるが、きっと2人は万が一吸魂鬼がホグワーツ急行にやって来た時に備えて乗り込むのだろうから。吸魂鬼自体は昨日魔法省が回収していったが、元よりキチンとしたコミュニケーションが取れない生物だ。完全に信用する事はできない。

2人の休暇の予定を聞きながら歩いていると、あっという間に駅へと到着した。意気揚々と汽車に乗り込んで行ったギルデロイの後ろで、クィリナスは少しだけ躊躇ってから私へ小さく微笑み掛けた。

「メリル、少しだけ目の下に隈ができています。できるだけゆっくり休んでくださいね」

「ありがとう、クィリナス。良い休暇を」

本当に素晴らしい観察眼だ。恐らく今回の件について彼なりに色々と掴んでいるのだろうけれど、それをお首にも出さずに振る舞える所も、 さすがとしか言い様がない。

「ええ、貴女も」

今度こそ汽車に乗り込んで行ったクィリナスへ手を振り、私は出発の邪魔にならない様に何歩か後ろに下がった。

汽笛が鳴り、ガコン、とホグワーツ急行が動き出す。次々と窓から顔を出して手を振る子供達に手を振り返し、私はようやく今学期の終わりを実感した。

見送りが終わって城に戻ろうとすると、ハグリッドが「先生」と話し掛けてきた。その顔は明らかに赤らんでいる。

「先生、知っとるでしょうが、ビーキーが逃げました、賢いあいつはやり遂げたんです」

「大きな声では言えないけれど、ハグリッド、良かったわね」

「ええ、ええ、本当に。昨日もずっとお祝いしとったんです。クィレル先生にもお伝えしたら喜んでくれて……先生方には本当に感謝しとります」

「少しでもお役に立てたのなら良かったわ。またいつか、会えると良いわね」

「会えなくっても良いんです。あいつが元気でいてさえくれりゃあ」

「本当にそうね。さあ、ホグワーツに戻りましょう」

ちょっぴり瞳を潤ませたハグリッドを促して、私は城に戻った。

駅の端にチラリと見えた黒犬には、見なかったフリを貫いた。

──あの部屋から出てはいけないのに、まったく……!

面倒事が増えそうな予感を抱えつつ、私は束の間の静けさに包まれた城の門を潜った。




白驟雨「雨脚白く降る『白雨』と雨粒が大きく強い雨『驟雨』を合わせた言葉。断続的に烈しく降る秋の雨」

46話目です。

やっと3巻分終了です!長かったー!書きたい事が多すぎて長くなってましたね!

ハリーのダーズリー家に対する心象は原作よりもかなり改善しています。地道なやり取り大事。作中でほとんど触れていませんが、ハリーは同年代の男の子と比べてマメに手紙を送っています。ペチュニアからの手紙には、時折ダドリーからのコメントが付いている事もありそうです。

シリウスの心理状況としては、優しさや愛という明るい正の感情から10年以上隔絶された状態で急にそれらを与えられたらどうなるのか、というものです。自身の中に湧き上がったその感情を恋と取るか信仰と取るか、はたまた別の感情と取るかは人それぞれでしょうけど。

何にせよ特大の台風の目になりそうですね!頑張れセブルス!
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