夜久衛輔の姉が青春小説を完成させるまで   作:細雨

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第1話

「もりすけくん、お願いがあるんだけど良いかな」

夕食が終わって和やかな時間が流れる中で、夜久衛輔は普段物静かな己の姉・紗代子が突然話し出した事に内心驚いていた。彼含め下の兄弟3人は明るい性格で、眼前の姉は正反対な気質だったから。

弟2人はとっくに自分たちの部屋へ引っ込んでいたし、両親はリビングでテレビを見ている音がする。何なら姉もいつもなら部屋に行っているから、衛輔としても不思議に思っていたのだ。

「お願いって何?」

「うん、あのね……」

弟の事を「くん」付けで呼ぶ彼女は、コーヒーの入ったカップをイジイジと指先で擦ってから腹を括った様子で衛輔を真正面から見つめた。

「もりすけくん達バレーしているところが、見たいの。良いかな?」

「俺は構わないけど、監督がどう言うか」

「そう、よね」

「明日は土曜日だし、部活してる人間しか学校にいないから、直接監督に聞いてみたら良いんじゃないか」

衛輔の提案に、姉は目を輝かせて大きく頷いた。

大人しい性格だけど、別に人見知りって訳じゃないんだよな、と衛輔は改めて7つ歳上の己の姉について思った。また何か題材を思い付いたんだろうな、とも。

 

土曜日。久々に紗代子と一緒に朝食を食べた衛輔は、そのまま2人で早めに登校した。監督達と話をするためにだ。

「初めまして、夜久紗代子と申します。こちら名刺です」

「これはこれは、ご丁寧に。猫又育史といいます」

「直井学です」

「紗代姉、名刺なんか持ってたんだな」

「一応社会人だからね」

横から素直な感想を口にした衛輔に苦笑してコーチの直井とも挨拶を交わした紗代子は、さっそく本題に入った。

「私は小説家の末席にいまして、取材のためぜひ音駒高校のバレー部を見学させていただきたいと思い、誠に勝手ながら直接お話しに来させていただいた次第です。少しの期間で構わないので、許可をいただけませんでしょうか?」

「作家先生ですか。失礼ですがお名前を伺ってもよろしいですかな?」

紗代子が筆名を告げると、猫又は驚いた顔になった。何と、彼の妻がファンなのだという。

「いやぁ、妻から何度もお名前は聞いていましたが、まさかご本人に会えるとは。世間は狭いですな」

「光栄です。奥様にもよろしくお伝えください」

ペコペコと猫又と紗代子がお辞儀し合うのを見て、自分がいなくても大丈夫だと判断した衛輔は着替えるためにさっさと部室へと歩いて行った。

「それで、あの、見学の方は……」

「もちろん良いですとも」

「ありがとうございます。代わりと言っては何ですが、私にできる事があればお手伝いします」

「そうかい、それは助かるよ、おっと、助かります」

「気軽に接していただいて大丈夫ですよ。私は気にしません」

にこりと微笑んだ紗代子に、猫又はホッと息を吐いた。和やかな雰囲気の中、直井は紗代子が肩にかけている四角い鞄にようやく気付いた。

「その鞄は何が入ってるんですか?」

「ああ、これはカメラです」

スっと無骨な鞄の中から紗代子が出したのは、黒い望遠レンズの付いたカメラだった。運動会等で保護者が持って来る様な物ではない、本格的なカメラだ。

「こちらはほとんど趣味で撮ってます。もちろん取材にも使いますけど、この写真を撮った時の気持ちを思い出して書いているんです」

「なるほど」

直井は感心した様に頷いた。

猫又からどこから見学しても構わないと許可を貰った紗代子は、体育館の中をあちこち歩き回った。彼女も音駒高校のOGではあったが、体育館は授業の時等必要な場合しか来なかったため、改めて見て回ると新鮮な気持ちを味わっていた。

紗代子が体育館の2階をウロウロしていると、徐々にバレー部のメンバーが集まってきて部活の準備をし始めた。その中には衛輔の姿もある。

ワイワイガヤガヤと賑やかにネットを張ったりボールの入った籠を出てきたりと、中々に楽しそうだ。部活の始まりの時間通りに直井が笛を吹き、部員に集合を告げた。

猫又から部活の最初に挨拶する様に伝えられていたので、紗代子は急いで階下に向かった。

 

黒尾たちバレー部員たちは部活始めのミーティングを聞きながらも、ソワソワを隠し切れずにいた。特に山本はそれが顕著だ。猫又の後ろにいる、長さこそ違えど明らかに見た事のあるベージュの髪色の女性をチラチラと見て、落ち着きが無いにも程があった。それは他の部員も似たり寄ったりで、あまりの分かりやすさに、猫又は苦笑してミーティングを短めに終わらせた程だった。

「皆気になっているようだが、しばらくこの人が見学に来る事になった。挨拶!」

『ちわっす!』

猫又が横に呼び寄せた女性は、部員からの挨拶に驚いた様に目をパチクリさせてからふわりと微笑んだ。

「はい、こんにちは。初めまして、夜久紗代子と申します。小説家を生業としています。少しの間お邪魔します」

「夜久さんは写真も撮られる様だが、あまり意識せず練習に集中するように」

直井の言葉に、3年生3人は苦笑した。しばらくは無理だろうなぁ、と。

1年の灰羽は言わずもがな、女性と話せないとはいえ山本も前に行くタイプだ。シャッター音が鳴る度にポーズを決めかねない。

その予想通り、練習はどこかぎこちない空気の中始まった。

「夜久って事は夜久のお姉さん?有名な人なの?」

「おう。この前少女漫画の映画やってただろ?あれの原作者」

「え!?」

「そうなんですか!?」

衛輔の発言に、周りがザワついた。結構知られてるんだなと衛輔が誇らしく思っていると、レシーブ練習の指示が出たため、全員一斉に動き出した。

一方、紗代子は体育館の2階に戻って下のコートで練習する部員たちを観察していた。真っ赤なジャージが滑らかに動いてボールを捕らえていく様子は、スポーツをほとんど嗜んだ事の無い彼女にとっては新鮮だった。ボールを叩く音、体育館の床を踏み締めるシューズの音、ジャンプする音、ボールをレシーブする音、部員同士の掛け声や直井からの指示の声。様々な音が体育館中に溢れていて、紗代子はそこに籠る熱に圧倒されていた。カメラは構えていたものの、シャッターは切れなかった。基礎練習は正直地味だ。けれど、それがいかに大切か紗代子は知っている。基礎練習は、作家にとって資料集めや取材等のインプットに相当する。インプットが無ければアウトプットも覚束なくなる、というのが彼女の持論だった。だから彼女は、地道に基礎練習を繰り返す彼らを素直に凄いなと思う。

結局午前中、紗代子は1枚も写真を撮らなかった。それで良い、と彼女は思っていた。

「午前中見てみてどうでしたかな、参考にはなりそうかね?」

部活の休憩時間、猫又が2階から降りてきた紗代子にそう問い掛けた。それへ首肯し、彼女は微笑んだ。

「とても興味深いです。皆さんの真剣さも、大事にしているものも伝わってきます」

「そうかそうか」

猫又は満足気な笑みを浮かべた。

「猫又先生さえ良ければ、お昼ご飯を食べながらお話をお聞きしたいのですがよろしいですか?」

「ああ、もちろん。直井も一緒の方が良いだろう?」

「ええ。お気遣いありがとうございます。これ、部員の皆さんにどうぞ」

紗代子は、体育館に来た時に端に置いておいた紙袋の中からタッパーを取り出した。中身はレモンの蜂蜜漬けだ。爽やかな色味にそれと察した直井が嬉しそうに「レモンですね、ありがとうございます!」とタッパーを受け取った。

「黒尾!ちょっと来てくれ」

「はーい」

呼ばれた黒尾が、飲んでいたジャグを置いて直井の元へと駆け寄ってきて来た。そんな彼へタッパーを手渡した直井は、

「こちら夜久さんからの差し入れだ。皆で分けて食べるように」

「あざっす!」

黒尾が嬉しそうに礼を言うと、紗代子は「いえいえ」と首を横に振った。

「貴方が黒尾くんね。もりすけくんからお話はかねがね」

「本当ですか?何話してるか聞くの怖いですね」

「そんな変な話じゃないよ。頭の良い、食えない人って聞いてる」

「それ、褒めてないですよね」

ハハッと笑った黒尾は、「レモン、ありがとうございます」と再び言って部員たちが集まっている輪に戻って行った。

「確か、彼がキャプテンでしたよね?」

「ええ、そうです。中々に大人っぽいでしょ?」

直井が笑いながらそう言って、紗代子も微笑んだまま同意した。

監督たちと紗代子が体育館から去ると、部員たちはワッと衛輔に群がった。

「夜久さん!お姉さんいたんですか!?」

「聞いてません!何で教えてくれなかったんですか!?」

「お姉さん何歳ですか!?」

「お姉さん紹介してください!」

「お姉さんすごい美人ですね!」

「何で見学に!?」

「いつまでいるんですか!?」

「あーあー!うるせえ!何でわざわざ教えないといけないんだよ!7歳上!紹介はしない!美人って言ってたのは伝えとく!見学の理由は多分小説のネタのため!いつまでかは知らん!以上!さっさと昼飯食べるぞ!」

「やっくんお見事〜」

一息で言い切った衛輔に呑気な賞賛を送りながら、黒尾がタッパーを持って戻って来た。目敏く中身を見抜いた灰羽が素早く駆け寄った。尻尾をブンブン振ってる幻覚が見えるようだ。

「黒尾さん!それ、レモンの蜂蜜漬けですよね!?夜久さんのお姉さんからですか!?」

「ハイハイ、そうそう。後で分けるから先に昼飯だ」

「えー!?今食べたいです!今!」

「リエーフ……?」

「はいっ!すみません!」

駄々を捏ねる灰羽に黒尾がニッコリ笑うと、彼はさすがに察したのか大声で良い子のお返事をした。

一方その頃、職員室の机が置かれているスペースで大人3人は話しながら昼食を取っていた。

部活の考えや部員に対する思い、今後の展望等一通り話し終わった猫又は、おにぎりを食べながら片手でメモを取る紗代子にふとした疑問を投げ掛けた。

「次回作のための取材なのかね?」

「そうです、と言いたいところですが、次に書くとは限らないのが正直な話です。私は、その時書きたい物しか書けないので」

「いやぁ、何とも正直な人だ。さすが夜久のお姉さんだね」

全くオブラートに包まない紗代子の答えに、猫又は呵呵大笑した。何とも真っ直ぐで、衛輔にそっくりだ、と。

「それで、何でウチに?弟がいたからかい?」

「それもありますが、もりすけくんから折に触れてバレー部の話を聞いていて魅力を感じたんです。ワンマンプレーでなく、皆で繋ぐというチームに。私自身は運動部に入った事は無いので、じかに高校生の熱を感じたかったのもあります。それで、元々興味を惹かれていた音駒のバレー部を見てみたい、話を聞いてみたいと思ったんです」

気持ちの良い、誠実な人間だな、と猫又は思った。静かだが、しっかりとその心に情熱を持っている女性だ。

そういう所も、姉と弟は似ていた。

その後は和やかにお喋りをして、大人組のランチタイムは終了した。

午後からの練習時、紗代子は今度はコートの脇で三角座りをして練習するバレー部員たちを見つめていた。突然の接近に、主に山本等、女子慣れしていないメンバーが若干挙動不審になったが、3年生の的確な喝入れとフォローですぐに元の調子に戻って行った。

練習も終わり、部員たちが手分けして片付けをしていく中、猫又はその様子もじっと見続ける紗代子に近付いた。

「どうかね、今日1日見て」

「……とても面白いですね。特段バレーが好きという訳ではありませんでしたが、惹かれるものがあります」

立ち上がって真っ直ぐに猫又を見つめた紗代子は、真剣な表情でそう言った。その瞳はキラキラと輝き、言葉に嘘が無い事が如実に現れていた。

「これからどうする?毎日来るかね?」

「いえ、さすがにそんなにお邪魔はできないので、土曜日だけ来させていただければと思います」

「そうかい。毎日でも良いくらいだけどね」

「ありがとうございます」

ペコリとお辞儀した紗代子に、猫又は楽しそうにウンウンと頷いた。

こうして、毎週土曜日に音駒高校バレー部にお客さんが来る事が決定した。するとすぐに、1つ問題が発覚した。

「夜久さーん」

「はい」

「何だよ」

姉弟であるため名字は同じ。つまり、衛輔を「夜久さん」と呼んでいる1、2年生からしたら2人から返事が返ってくる状態になってしまうのだ。しかし、この問題は簡単に解決した。

「私の事は『紗代子』と呼んでもらって構いませんよ。皆さんにとっての『夜久』はもりすけくんの事でしょうし」

思春期男子一同、最初は非常に遠慮していたが、それが1番の解決だと紗代子本人からの説得があり、恐る恐る名前呼びを始めた。と言っても、彼らが紗代子を呼ぶ事は少ない。だが、何事にも例外という物はある。

「紗代子サン」

「黒尾くん、どうしたの?」

「直井くんが、スコア見返すから良かったら一緒にどうかって呼んでましたよ」

「ありがとう、今行きます」

バレー部キャプテンである黒尾は、何かと紗代子と話す機会があり、彼女の名前を幾度と無く呼ぶ事になったのだ。しかし大人っぽいとはいえ、彼とて健全な男子高校生だ。歳上の大人の女性を名前で呼ぶ事に、何も感じていない訳ではない。それも、好みの魅力的な女性であれば尚更。見栄で何とか動揺を抑えて紗代子に話し掛けてはいるが、内心は穏やかではない。

ほとんど一目惚れだった。衛輔と同じ髪色に、眼鏡のレンズの奥の瞳は焦茶色。その目はまっすぐな光を湛え、意志の強さを感じられる。それに黒尾は射抜かれた。人生で初めての、酷い衝撃だった。

直井の方へと歩き去る紗代子の後ろ姿を数瞬見送って、黒尾は後ろ髪引かれる気持ちを振り切って練習へと戻って行った。

そんな風に約1名の心中を波立たせながら、紗代子はバレー部に馴染んでいった。徐々に部員たちに教わりながらドリンクを作ったり、審判をやってみたりと挑戦していき、手助けも様になってきた。衛輔は初日以外は特に積極的に関わる事無く、普段通りに過ごした。紗代子が実際に体験してみたいと思っているのが分かっていたからだ。

紗代子がバレー部に顔を出すようになって2週間程が経過した、4月末。

「遠征、ですか」

「ゴールデンウィーク丸々一杯宮城に行く予定でね。紗代子さんはどうする、来るかい?」

「よろしければ、ぜひ」

その提案に、紗代子は力強く頷いた。そんな彼女の様子に、猫又は嬉しそうに笑った。

「紗代子さーん!遠征一緒に行くんですって!?移動も一緒ですか!?」

「うん。監督さんたちのご好意に甘える予定だよ」

「やったー!移動中にたくさんお菓子食べましょうね!」

「リエーフうううう!何サボってんだ!」

「もりすけくん」

部活の休憩時間直前、紗代子に突撃して来た灰羽は、彼女がゴールデンウィーク遠征に共に行くと確約すると飛び上がって喜んだ。その後すぐにやって来た衛輔にビクゥッと姿勢を正した。

「レシーブ練習終わってないんだぞ!そもそもお前は居残りだろ!」

「だって〜……」

へにょり、と灰羽が大きな背中を丸める。紗代子は苦笑して「ごめんね、もりすけくん。練習の邪魔しちゃった」と謝った。そんな彼女へ、衛輔は眉をよせてキッと真剣な眼差しを向けた。

「紗代姉が謝る事じゃない。コイツがサボるのが悪い。このままだとずっと居残りだぞ」

「夜久さぁん……」

ションボリと項垂れた灰羽を、衛輔は容赦無く引き摺っていった。そこにさり気なく近寄って来たのは、レシーブ練習が終わった黒尾だ。

「すみませんね、紗代子サン。リエーフは人懐っこいんですけど、距離感がバグってて」

頭を掻きつつそう苦笑した黒尾に、紗代子は緩く首を横に振った。

「大丈夫。もりすけくんの下にも弟がいるから慣れてるよ」

「それなら良いんですけど。嫌になったら夜久か俺に言ってくれたら良いんで」

「うん、ありがとう」

会話が終わってしまい、軽く会釈をしてから黒尾は部員たちの元に戻った。もう少し喋りたかったな、という彼の本音はどこにも吐露される事は無かったが、意外な形ですぐに叶えられる事となった。

ゴールデンウィーク前最後の土曜日であるこの日、紗代子は初めて部員たちと一緒に昼食を取る事にしたのだ。

「今日は紗栄子さんも一緒に食べるんですか!?オレ、隣もーらい!」

「リエーフ!」

素早く紗代子の隣に座った灰羽に、衛輔が声を上げる。しかし灰羽はめげずに満面の笑みで紗代子の方を向く。

「いいじゃないですかー!ね、紗代子さん」

「うん、良いよ」

「ほらー!」

「紗代姉はリエーフに甘い」

「そうかな」

憤慨する衛輔に紗代子は首を傾げるが、周囲から言わせると彼女は衛輔にも甘い。紗代子が音駒に来る日はいつも一緒に登下校してくるし、土曜日の昼食は彼女の手作り弁当だ。他にも細かい色々な点で、姉弟の仲の良さを感じる事ができる。今だって、紗代子の反対隣を衛輔がしっかり座っている。

「平日に小説を書いてるんですか?」

海が控え目に紗代子に質問した。それへ「そうとも限らないの」と彼女は答えた。

「他にも資料を集めたり、担当さんと打ち合わせしたり、散歩して気分転換したり、色々してる」

「意外!作家さんって引き篭ってずっと書いてると思ってました」

犬岡が素直な感想を伝えると、「そういう人もいるみたい」と紗代子は頷いた。書くスタイルは人それぞれなのだ。

様々な質問が飛び交い、紗代子がそれらに答えたり、逆に彼女が部員たちに質問したりと活発に言葉が交わされた。

そろそろ休憩時間も終わる、という頃。

「孤爪くん」

「あ、どうも……」

部員たちの輪から少し離れた所で携帯を弄る孤爪に、紗代子は静かに近付いた。一応会釈をしたものの、彼は携帯から目を離さなかった。

「君の話を、聞いても良いかな」

「えっ……おれの話なんて、つまらない、と思い、ます」

目の前でしゃがんで告げた紗代子の言葉に、やっと携帯から顔を上げて少し目を見開いて彼女の顔を見た孤爪は、すぐにその目を逸らした。彼は人見知りのため、慣れていない人間と話すのはハードルが高いのだ。

「つまらないかどうかは分からない。私は聞いてみたいと思ったの」

「でも……、あ」

尚も言い募る紗代子に、孤爪は困り果てていたがキョロキョロと助けを求めて辺りを見渡して思い付いた様に声を上げた。その視線はバッチリ黒尾を捉えている。

「クロと……一緒なら、良いですよ」

「クロって黒尾くんの事?」

コクリと孤爪が頷くのと同時、当の本人が「どうした、研磨?」と2人の方へ歩いて来た。彼は一体何を話しているのかと気になって密かに彼らを横目で伺っていたが、その様子はお首にも出さずにニコニコと笑っている。そんな黒尾の不自然なまでに明るい笑顔に若干引きながらも、孤爪は「話、聞きたいんだって」と端的に要件を伝えた。

「話?何の?」

「おれの……」

「研磨の?セッターの話を聞きたいって事ですか?」

紗代子へ向けてコテンと可愛らしく首を傾げた黒尾に、孤爪は今度こそ顔全体で引いていた。彼は黒尾が来た時にサッと後ろに下がったため、彼本人にはその表情は見えていなかったが、見えていたとしてもスルーしただろう。紗代子からはバッチリ見えていたが、「仲良いなぁ」という感想で済ませた。

「それもあるけど、彼がチームの中心でしょう。だから余計に話を聞きたいと思って」

紗代子の言葉に、黒尾は思わず愛想の良い笑顔を引っ込めた。誰も孤爪をセッターとして特別扱いもしていないし紅白形式の試合しかしていないのに、この短期間で彼女は孤爪こそがチームの要と気付いたのだ。さすがの観察眼と言うべきだろう。

黒尾の背後では、孤爪も猫の様な切れ長の目を見開いてびっくりした顔をしている。

「……良く、分かりましたね」

何とか笑みを貼り付けてそう絞り出した黒尾に、紗代子は何でも無い様に「ずっと見てるからね」と告げた。

「できればしっかり話を聞きたいの。部活終わり……は遅くなっちゃうから、迷惑でなければオフの日か、部活がお休みの日に時間を取ってもらえる?」

「ちょうど明日買い出しに行くんで、それでどうですか?」

「私は大丈夫。じゃあ、後でもりすけくんにお願いして連絡してもらうから、時間と場所を決めようか」

紗代子の提案に、黒尾は少しもたつきながらも携帯を取り出して「よ、良ければ連絡先交換しませんか。直接やり取りした方が早いんで」と勇気を出して言った。どもったのはご愛嬌だろう。彼とて緊張くらいするのだ。

「良いよ。えっと、ちょっと待ってね」

紗代子も少々もたつきながらも、2人は無事連絡先を交換できた。彼女の場合は、単に使い慣れていないだけだが。

ちょうど直井が休憩時間の終了を告げた。「また後で」という紗代子に会釈をして、黒尾は緩む頬をそのままに集合場所へ走った。

部活も終わり、部員皆で帰路に着く。大抵紗代子も一緒だ。衛輔や芝山と話す彼女や自分の携帯をたまに見ながら、黒尾は学校の最寄り駅まで歩いた。駅に着くと各々の方面へとバラけるのだが、その後でも携帯を気にする黒尾に孤爪はついに耐え切れずに溜息を吐いた。

「はぁ……クロ、自分から連絡すれば?」

「え!?な、何の話カナ?」

分かりやすく誤魔化す黒尾をじっと孤爪が横目で見ると、すぐに彼は白旗を上げた。

「いやぁ、だってさぁ、『また後で』って紗代子サンが言ってたんだぜ?こっちから連絡するのは違くないか?」

「別に、気にしないと思うけど」

「でもなぁ」

何だかんだと言い訳して動こうとしない黒尾に孤爪がもう一度溜息を吐いた時、ブブッと黒尾の携帯が振動を伝えた。

バッと凄い勢いで反応して携帯を開いた黒尾は、すぐにその顔を輝かせた。待ちに待った紗代子からのメールが来たからだ。

都合の良い時間と場所を問う簡潔な内容にもニヤニヤと笑う黒尾に、孤爪は何度目か分からない溜息を吐いた。

一方、メールの送り主である紗代子は、送信後目の前で立っている衛輔と海の世間話を聞くともなしに聞いていた。穏やかな海と溌剌とした衛輔とではタイプが違うが、数少ない3年生メンバーとして団結力が高く仲も良さそうだ。家で衛輔から聞くバレー部員たちの話の中でも、黒尾と並び特に良く聞く名前だ。

2人はバレーの話だけでなく、テレビの話題だったり購買の新商品の話だったりと様々な話題を和気藹々と喋っている。電車の路線が別れる前は部員皆で喋っていたし、本当に仲が良いのだなと紗代子は微笑ましい気分になった。

ブブッとバイブが震え、紗代子にメールの着信を知らせた。

「あれ、紗代姉が携帯触ってるの珍しいな。仕事?」

ヒョイッと座っているこちらを覗き込んできた衛輔に、紗代子はかぶりを振った。

「違うよ、黒尾くん。明日、孤爪くんと併せて話を聞くために時間を作ってくれたから、場所と時間を決めてるの」

「ふうん?」

「紗代子さん、ちょっとずつ皆から話聞いてますもんね」

衛輔がいまいち納得いってなさそうな顔になる横で、海は微笑みながら頷いた。それへ微笑み返し、

「それぞれがどんな風に思っているのか、聞いてみたくて。これまでの経験も感じ方も全員違うから、とても興味深いよ」

と紗代子は言った。その焦茶の瞳は、静かながら好奇心にキラキラと輝いていた。

翌日、音駒高校から数駅隣のショッピングモールの入り口に紗代子は立っていた。黒シャツに細身のジーンズ姿の彼女は、休日のショッピングモールでそれなりに目立ってはいたが彼女自身は意にも介していなかった。生来のベージュ色の髪もあって、注目を集める事にはある程度慣れているのだ。

「紗代子サン、早いですね」

「おはよう、黒尾くん、孤爪くん」

笑顔で現れた黒尾と無言で会釈した孤爪と合流し、3人は連れ立ってショッピングモール内のスポーツ用品店に向かった。当たり前だが、黒尾も孤爪も私服である。その服装を一目見て、孤爪は「気合い入ってるね」と開口一番黒尾に言ったのだが、それは紗代子のあずかり知らぬ事であった。

テーピングで使うテープやエアーサロンパス、その他細々とした必要品を、紗代子に説明しながら黒尾は次々とカゴに入れていく。時折紗代子が投げ掛ける質問にも丁寧に答える黒尾を横目で見つつ、孤爪は手持ちのゲームをしながら店のすぐ外のベンチで待っていた。

傍から見ると何て分かりやすいのだろうと孤爪は思っていた。黒尾は普段は人を煙に巻く言動が多いのに、紗代子の前ではそんな余裕は無いようなのである。別に幼馴染の恋愛なんて口を出すものじゃないんだけど、と孤爪は心中で嘆息した。それにしたって、もうちょっと攻めても良いんじゃないの、クロ。

ジットリと幼馴染を見る孤爪に、会計が終わって店から紗代子と出てきた黒尾は不思議そうに首を傾げたのだった。

フードコートで各々好きな料理を注文して昼食となった。中々に人の多いその空間で空席を見つけたのは孤爪で、その視野の広さに紗代子が称賛を送る場面もあった。

孤爪が人の多い場所が得意でないのもあり、食事が終わると早々にフードコートを退散し、3人は書店に入った。

もちろん紗代子の用事ではあったが、男子高校生2人が月バリを読んでいる間に彼女はさっさと目当ての本たちを購入していた。

「紗代子サン、本持ちますよ」

「いや、私の本だから大丈夫だよ」

「まぁ、そんな事言わずに。女性に重い物持たせられないデショ」

遠慮する紗代子の手から本の入った紙袋を取った黒尾は、かっこつけた言動に微妙な顔をする孤爪のからの視線をまるっと無視してニッコリと紗代子に笑い掛けた。

「この後どうします?ファミレスでも行きますか?」

「カフェでも良いかな?そっちの方が落ち着いて話ができるから」

「分かりました」

紗代子の案内で、クッションがふかふかな事で有名な某コーヒーショップへと向かった。ショッピングモール内にある事もあって、店内はある程度席が埋まっていたが並ぶ事無く3人は中へと通された。ファミレスではこうはいかなかっただろう。

「それで、研磨のどんな事を聞きたいんですか?」

それぞれ注文した飲み物が運ばれて来てから、口火を切ったのは黒尾だった。話題の中心の孤爪は、コーヒーに口を付けながらチラリと紗代子を見上げた。

「どんな事というか、そうね、端的には孤爪くんのバレーへの考え方や感じ方かな。基本的には答えられる質問に答えてくれたら良いよ」

「分かり、ました」

孤爪はコクリと頷いた。

それから紗代子はいくつかの質問を彼にした。いつからバレーを始めたのか、とか、続けている理由とか、今の音駒高校バレー部について、とか、雑談を挟みながらその様な事を。

それらに案外素直に答えていく孤爪に、黒尾は少しだけ驚いていた。この幼馴染はかなりの人見知りで、出会ったばかりの人と話すのが苦手だ。それなのに、知り合って少ししか経ってない紗代子と、積極的ではないにしてもコミュニケーションを取れている。孤爪も頑張っているのだろうが、紗代子の人の懐へするりと入り込む穏やかさもあるのだろう。それは決して不快な物でなく、弟である衛輔にも通ずる清々しさを感じる物であった。

「──ロ、クロ、聞いてる?」

「あ、えっ?何か言ったか?」

「やっぱり聞いてなかった」

ハァ、と大袈裟に溜息を吐いた孤爪へ軽く謝り、黒尾は「何て言ったんだ?」と聞き返した。

「試合中、どういう時が1番楽しいかだって」

「そうだなぁ……研磨はもう答えたのか?」

「……内緒」

「何だよー、教えなさいよ」

ちょっとニヤッと笑ってはぐらかす孤爪に、困った様な声音で、しかし全く困ってなさそうな顔で言う黒尾。その2人のやり取りに、紗代子は思わず小さく吹き出した。その音に眼前の2人は彼女の方を向いて不思議そうに目を瞬かせた。

「仲良いなぁと思って。微笑ましいね」

「え……」

「何か恥ずかしいっすね……って、研磨ァ、そんな嫌そうな顔すんな!」

3人で話しながらも、随所で挟まる幼馴染2人のじゃれ合いに、紗代子は穏やかに目を細めて見ていた。

帰りは帰りで、黒尾が紗代子を送ると主張したり紗代子がそれを断ったりの押し問答が数分駅で行われたが、孤爪がさっさととその場を去った事をきっかけに紗代子が折れた。

「本当に大丈夫なのに。まだ夕方よ」

「俺がしたいんで気にしないでください」

孤爪がいたら胡散臭いと言われそうな笑顔を黒尾は浮かべた。

夜久家までは、最寄り駅から少し歩かなければならない。その道中、黒尾はふと気になった事を聞いてみた。

「紗代子サンは、どうして作家になったんですか?」

一瞬キョトンとした紗代子は、歩きながら少し考えるように目を伏せた。

「そうね……昔から、本を読むのは好きだったの。たまたま文章が書けて、それを両親や弟たちが楽しんで読んでくれた。嬉しくて、ずっと書き続けて、母が賞に応募したらどうかって勧めてくれたの。それがきっかけ」

「すぐ賞取れたんですか?」

黒尾の問いに、「まさか」と紗代子は苦笑した。

「佳作にも引っかからなかった。でも、偶然にもその賞は、受賞作品以外でも審査員の先生方が気になった作品に講評をつけてくれる物でね。そこで『拙いけれど瑞々しく美しい文章だ』って書いてくれた先生がいたの。……憧れの作家さんだった」

紗代子の頬に朱が捌ける。キラキラとした瞳のその横顔から、黒尾は目が離せなかった。

「大学に行きながら何度も何度も応募して、やっと佳作に入った。そこから色々あって本を出せる事になって、ありがたい事にたくさん買ってくれた人がいたの。だから、私は作家として食べていける」

「……それは、楽しい、ですか?」

何とか絞り出した黒尾の言葉に、紗代子は彼の方を見て心の底からの笑みを浮かべた。

「苦しい事もあるけど、とても楽しいわ」

それはとても満ち足りた、黒尾を惹き付けてやまない笑顔だった。

それからの事は、黒尾は正直あまり覚えていない。紗代子を家の前まで送って、「またゴールデンウィークに」と言い合って別れた事は確かだけれど。

そうしてあっという間に5月になって、ゴールデンウィークがやって来た。宮城への遠征が、始まる。




ハイキュー!夢小説です。
よろしくお願いします。
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