夜久衛輔の姉が青春小説を完成させるまで   作:細雨

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第10話

文化祭後初めての土曜日の朝、ほとんど開いてない目で紗代子は朝食のトーストに齧り付いていた。あからさまに寝不足の彼女を衛輔は訝しみながら「今日は休むか?」と聞いた。

「ううん、大丈夫……行く……」

「すげー眠そう。昨日寝てねえのか?」

「うん、ちょっとね……」

黒尾と対面して平静でいられる自信が、紗代子にはまるで無かった。帰宅してようやくデートの約束を取り付けられた日がクリスマスだと気付いて動揺したし、文化祭終わりの帰宅報告のメールに返信が来ただけでドキッとしたのだ。面と向かって話せるかというと、できそうにもない。

電車で会った海にも、「すごく眠そうですけど大丈夫ですか?」と心配されてしまった。

「うん、少し寝不足なだけ」

「無理はしないでくださいね」

「ありがとう、海くん」

紗代子の礼に、海は穏やかに微笑んだ。

結論から言って、練習中は何とかなった。紗代子自身、マネージャー業務や写真撮影に集中していたし、何よりこの日は春高のパンフレットのために色々と記録を計測したからだ。

身体測定してから体育館で指高とジャンプの最高到達点を測ると直井が教えてくれたので、紗代子は保健室の身長計の脇で測定用紙を挟んだバインダーを持って待機した。

1年生から順に身長を測っていく。そうでなくとも身長の高い灰羽がこっそりつま先立ちしたのを注意したり、孤爪の猫背を矯正して身長を測ったりしていると3年生の番になった。身体測定の終わった人は体育館で最高到達点記録の準備だ。

「誰からする?」

「俺!」

衛輔が手を挙げて意気揚々と身長計に乗る。紗代子がバーを彼の頭まで下げて目盛りを見た。

「どうだった?」

「165.2cm」

「あんまり変わんねえなー!」

何故か悔しそうな衛輔の隣で、冷静に紗代子は結果を記す。

「はい、次ね」

「俺も伸びてないだろうなぁ」

そう言ってバーを上げながら、海が身長計に乗る。紗代子は踏み台に乗ってからバーをゆっくり下げた。

「海くんは176.5cmね」

「お、少し伸びた」

嬉しそうに海は笑い、衛輔は羨ましそうに見ていた。最後は黒尾だ。

「次、俺ねー」

黒尾がいつも通り飄々とした態度で身長計に乗る。彼は海より更に背が高いため、紗代子は少し背伸びをしてバーを下げねばならなかった。特徴的なトサカ頭がバーの形に凹むのが面白くて、紗代子はうっかり吹き出してしまった。

「え?何、もしかして縮んでました?」

「や、その、髪の毛が……」

「黒尾!やべえなその頭!」

紗代子のその言葉で察した衛輔が、喋っていた海の腕を叩きながら黒尾の頭を指差して爆笑した。海も釣られて吹き出した。

「ちょっとー?酷くない?」

黒尾が不満そうに唇を尖らせてアヒル口になる。その顔も面白くて、紗代子は謝りながらも笑ってしまった。

「ごめ、ふふ、ごめんね、えっと、187.7cmです」

「はいよ。ったく、皆して笑い過ぎやないですかねえ」

頭を掻きながら黒尾が身長計から退く。紗代子も踏み台から降りようと足を出した瞬間。

「ほいっと」

ヒョイッと脇を抱えられ、黒尾に床に下ろされてしまった。

「!?」

ボンッと顔を赤くして固まってしまった紗代子を、ニマニマと見ていた黒尾の尻がズパンッと音を立てた。

「いった!」

「気安く触んな」

衛輔の上段蹴りが炸裂したのだ。尻をさすりながら振り返った黒尾は、まだニヤニヤ笑いのままだ。

「これくらい良いじゃん。お手伝いよ?」

「下心見え見えなんだよ」

「今のは俺もフォローできないな」

「2対1かよ」

海も苦笑しながら衛輔側に回り、黒尾は孤軍奮闘状態だ。奮闘どころかニヤニヤしているだけだが。

「そんなヤツ置いといて行くぞ、紗代姉」

「えっ、あ、う、うん」

衛輔が立ち尽くす紗代子の手首を掴んで引っ張ると、ようやく我に返った彼女は赤い顔のまま頷いた。廊下を進む夜久姉弟と海の後ろを、黒尾はニヤニヤ笑いながらついて行った。

4人が体育館に着くと、既に脚立とメジャーが準備されていた。

直井によると、スパイク時とブロック時の2パターンを計測するため、粉を手に付けてバスケットゴールへ向かって跳び、手形を付けた高さを測るとの事。その流れで指高も測るのだと言う。

手白が脚立に昇って高さを測り、芝山がその補助をする事になった。紗代子は指高の計測と記録係だ。彼らが計測する番の時はそこに紗代子が入る事になった。

1年生から順に跳んでいく。灰羽はやはりさすがの高さで、「345cm!」とコールされた時はメンバー全員から「おお〜!」と声が上がった。灰羽に関しては指高を測るのも一苦労で、紗代子が踏み台の上で必死に爪先立ちして何とか彼の指先にメジャーを当てる事ができた。

やはり身長が高ければ最高到達点も高い、と記入の終わった計測用紙を直井に渡しながら紗代子は改めて実感した。何せ飛ぶ人間を知っているから、余計にそう思うのかもしれない。

ふと閃いた紗代子は、午前の休憩時間にある電話番号をプッシュした。

そして昼休み。

「紗代子サーン」

犬岡と話していた紗代子の元に、ニコニコしながら黒尾が寄って来た。彼女の肩が明らかに跳ねる。

ゆっくり振り返った紗代子は、平静を装いながら「何かな?」と聞いた。

「一緒に昼飯食べましょ?」

ズイッと黒尾が近付いて来て、紗代子は反射的に後退った。そのままジリジリと寄って来る彼の圧に、彼女はすぐに根を上げた。

「い、犬岡くん、匿って!」

「ええ!?」

ササッと犬岡の後ろに隠れる紗代子に、黒尾はニヤニヤと笑いながらゆっくり近付いた。犬岡はどうしたら良いか分からずオロオロとしている。

「紗代子サン、無駄ですよー」

「ひえっ」

ヒョイッと犬岡の向こうから顔を出した黒尾に、紗代子は思わず変な声が漏れた。その反応に、黒尾はニマーッと目を弓なりにさせた。

紗代子は耐え切れずに犬岡の後ろからダッと逃げ出した。黒尾はその後ろを焦らず歩いて追う。戸惑ったままの犬岡は優しく微笑む海に手招きされて、彼の方へと合流した。

逃げ出した紗代子は、「あ、紗代子さーん!」と手を振ってくれた灰羽の後ろへ回り込んだ。

「え?え?紗代子さん?どうしたんですか?」

「紗代子サーン?何してるんですかー?」

灰羽が状況を理解できないでいる間に、黒尾が追い付いて来た。その顔は余裕そのものだ。

「追いかけっこですか!?俺も一緒に逃げましょうか?」

パッと顔を輝かせた灰羽は、楽しそうにそう提案してきた。それへブンブンと首を横に振り、

「大丈夫!匿ってくれるだけで良いからっ」

と必死に紗代子は訴えるが、灰羽は不満そうな表情になった。

「えー?それじゃあ、追いかけっこにならないですよー」

「そもそも追いかけっこじゃねえけどな」

クックッと黒尾が笑う。灰羽では盾にならないと感じた紗代子は辺りを見渡した。バッチリ孤爪と目が合ったが、フイッと顔ごと逸らされた。

「も、もりすけくーん!」

「はいはい」

呼ばれて飛び出た音駒のリベロ。とりあえず、と黒尾に膝カックンを決めた衛輔は、まだ状況の分かっていない灰羽と半泣きの紗代子を回収した。それから灰羽を海に押し付け、彼は孤爪と自分の間に紗代子を座らせた。

「紗代姉はここな。はい、おにぎり」

「ありがとう……」

「えっと、大丈夫……?」

「うん、ありがとう、孤爪くん」

チマチマとおにぎりを食べ始めた紗代子に、孤爪がボソッと言葉を掛けた。それ程ヨレヨレに見えたのだろうか。

そんな彼の向こう側に、黒尾がどっかり座り込んだ。孤爪はそれを横目で見て溜息を吐いた。

「クロ、やり過ぎ」

「えー?そうかぁ?」

「昼ご飯くらい落ち着いて食べられないの?」

「研磨さん辛辣!」

幼馴染2人がじゃれ合っている横で、紗代子は何とか動揺を抑えながら昼食を取った。

週が明けて月曜日。夕方頃、紗代子の携帯が着信を告げた。

「はい」

<もしもし、武田です。夜久さんの携帯でお間違い無いですか?>

「はい、夜久です。すみません、突然お願いしてしまって……」

<いえいえ、大丈夫ですよ。それで、先日の件なんですが……>

「ええ、どうでしたでしょうか?」

<体育館の見学だけなら構わないそうです>

「良かった、ありがとうございます。また部活の開始時刻頃に伺わせていただきます」

<学校に着いたらご連絡いただけますか?体育館までご案内します>

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

通話を切り、紗代子は長く安堵の息を吐いた。それから素早く新幹線のチケットを取った。

火曜日の夜、荷造りする紗代子に衛輔が不思議そうに「どっか行くのか?」と聞いてきた。

「うん、宮城」

「宮城!?何でまた」

「烏野を見てくるの」

「はあ?」

サッパリ訳が分からないという顔の衛輔に、紗代子は楽しそうににっこり笑った。

水曜日の昼過ぎ、紗代子は宮城に降り立った。具体的には仙台駅に。

駅近くの飲食店で牛タンに舌鼓を打った後、紗代子はホテルに荷物を置いてから烏野へ向かった。

体育館へ向かう途中、武田の携帯が着信音を鳴らした。出ると紗代子の声が校門への到着を知らせた。

「分かりました、今から向かいます」

丁寧にお礼を伝えて来た相手はすぐに通話を切った。高校の前で携帯を長く使うのは気が咎めるのだろうか。武田は早足で校門へ向かった。

武田との合流後、紗代子はいの一番に頭を下げた。

「急に無理なお願いをしてしまってすみません」

「い、いえっ、全然大丈夫ですよ。放課後ですし、烏野が春高出場を決めた事による取材と言ってあるので」

「ありがとうございます」

武田の言葉も嘘ではない。あの白鳥沢を破った烏野の、今の皆を見ておきたかったのは本当だ。

「ここで見た事は他言無用にする事をお約束します」

「僕たちに隠し事はありませんから、音駒でお話してくださっても構いませんよ」

「いいえ、やはりこの時期に見学させてもらうのですから、そこはきちんとしておきたいんです。ご理解ください」

「……分かりました。その代わり、僕も聞かれた事には全て答えますよ」

優しく微笑む武田に、紗代子はもう一度頭を下げた。

ガララッと体育館のドアを武田が開くと、中から「集合ー!」という澤村の声がした。

「しあスッ」

『シァース!!』

運動部特有の揃った声が、武田と紗代子を迎えた。

「皆、お疲れ様。突然なんだけど、今日から3日間、夜久紗代子さんが見学に来られる事になりました。できる時で構わないので、何か聞かれたら答えてあげてください」

「お邪魔します、よろしくお願いします」

ペコリと頭を下げた紗代子に、烏野メンバーは揃って『シアッス!』と同じく頭を下げた。

烏養にも挨拶し、紗代子は最初武田の隣で烏野の練習を見させてもらう事にした。眼前でボールが右に左に、上に下に行き来するのを見ながら、紗代子は「武田さん」と呼び掛けた。

「何でしょう?」

「武田さんから見て、烏野はどんなチームですか?」

ふむ、と武田はしばらく考え込んだ。紗代子の問いはぼんやりとしていて、それでも確実に何かを捉えようとしている様に感じた。

「そうですね……常に不完全、未完成なチーム、でしょうか。澤村くんたち3年生でさえ、まだまだ様々な可能性を模索しています。もちろん1年生も。特に日向くんは、その傾向が強いですね」

ダァンッとオレンジが飛んでボールを打つ。その飛翔はどこまでも人を惹き付ける。

「皆が皆、貪欲に進化しています。僕はバレーに関しては素人なので詳しい事は分かりませんが、相手に通じた事のある手段を捨てて新しい物を取り入れるのは、とても難しい事ですよね」

「ええ、そうだと思います。どのチームにもコンセプトと言いますか、大事にしている事もありますから」

「そうですね。烏野は『飛ぶ』ために、努力を惜しみません。音駒もそうでしょう?」

紗代子はコクリと頷いた。脳裏には先日の戸美との試合が浮かんでいた。粘る戸美と繋ぐ音駒。どちらも全力を尽くして、全身でチームのコンセプトを体現していた。

「こんな月並みな事しか言えませんが……本当に、バレーは奥が深いですね」

「僕もそう思います。だからこそ、面白い」

武田には、紗代子もバレーに魅了された1人だと分かっていた。ゴールデンウィークに初めて会った時とは、ボールを追う目が明らかに違う。キラキラとした、憧れや尊敬を煌めかせた瞳で、紗代子は練習を見つめていた。

練習を見ている間に、紗代子は武田から烏野メンバーについての話を聞いていた。日向は、以前烏野が最も強かった時代のエース「小さな巨人」に憧れてバレーを始めたものの、中学では十分な活動ができずにいた事。影山が、その溢れる才能と情熱のせいで中学時代に部活で孤立し、「コート上の王様」という不名誉なあだ名を付けられていた事。その2人が偶然にも烏野で出会い、烏野メンバー全員を巻き込む化学反応をおこしている事。月島や山口、西谷や東峰や他のメンバーについても、武田は簡潔に分かりやすく話してくれた。

聞けば聞く程思う。物語にするなら、十中八九日向か影山、もしくは烏野高校がメインになる。普通ならそうする。紗代子も、音駒のバレーを見る前なら烏野を取材したかもしれない。イフの話だ。今の彼女は、音駒の「繋ぐ」バレーが好きだ。だから、彼らの物語を紡いでいる。

「何で烏野に来たんですか?」

休憩時間に、紗代子の隣に立った月島がそう聞いた。彼なら聞いてくるだろうなと予想していたから、紗代子は特に驚きもせずに笑った。

「違いを知るには、他も見ないといけないでしょう」

「随分と、音駒が気に入ってるんですね」

月島が小さくキュッと上唇を尖らせる。それは彼の師匠である黒尾もたまにやる仕草だ。師弟とはそんな所も似るのかと、紗代子は微笑ましく思った。

「音駒のバレーが好きなんだよ。烏野も興味深いけどね」

「……じゃあ、こっちを見といたら良いじゃないですか」

拗ねた様にそう言って、月島はそっぽを向いた。

いつの間にやら、彼からの好感度が高くなっていたらしい。いつも大人しいイメージの月島が、そんな子供っぽい言動をするとは夢にも思っていなかった。

紗代子は微笑みながら腕を伸ばして、月島の柔らかい髪をぽすぽすと撫でた。驚いた様に彼の肩が一瞬跳ねる。

「……子供扱いしないでください」

「ごめんごめん。小さい時のもりすけくんを思い出して、つい」

紗代子が手を退かすと、月島はフン、鼻息を吐いた。気分を害してしまっただろうかと彼女が月島の横顔をジーッと見ていると、彼は横目で紗代子を向いた。

「そういえば、黒尾さんは紗代子さんが烏野に来てるって知ってるんですか?」

「え?知らないよ。どうして?」

突然出た名前にドキッとしながらも平静を装って答えた紗代子に、月島は「ふぅん」と言ってから近くで休憩していた山口を呼んだ。

「ツッキー、どうしたの?」

「山口、僕の携帯で写真撮ってくれる」

「え、う、うん、分かった」

疑問符を頭に浮かべながらも、山口が月島から渡された携帯を構える。彼は、同じく疑問しか浮かんでいない紗代子へと向き直った。

「紗代子さん、さっきの、もう1回してください」

「え、え?さっきのって、頭撫でるやつ?でも、子供扱いしないでって月島くんが」

「まあまあ、減るもんじゃないんで良いでしょ?」

ニッコリ笑顔になった月島に、「あ、コレ何か企んでるな」と紗代子は察した。黒尾も似た様な顔をするからだ。

損にはならないだろうと、紗代子は月島の要求通り彼の頭に手を乗せて優しく撫でる。それを山口が写真に収めた。

「これで良いの、ツッキー」

「うん。……よし、送信完了」

フッフッとあくどい笑みを浮かべる月島は実に楽しそうだ。割とお茶目な所があるんだなぁと思いながら、紗代子は山口に「サーブ、見てたよ」と言った。

「フローターサーブって難しいんでしょう?凄いね」

「いえっ、そんな、俺なんてまだまだで……」

「山口は頑張ってます」

「ツッキー……!」

月島の一言に、山口が感動したように顔を赤らめる。本当にこの2人は仲が良い。和んだ紗代子は山口の頭も撫でておいた。

「よしよし、偉いね」

「あっ、ありがとうございます!」

照れた様に笑った山口の後ろから、見慣れたオレンジ頭が「何やってんのー?」と顔を出した。

「あれ!?山口、頭撫でてもらってんの?」

「え、う、うん」

「山口くんも月島くんも頑張ってたから、凄いねって撫でさせてもらってたの」

紗代子の言葉に、日向は「俺も!俺も頑張りました!」とアピールしてきた。ピョコピョコ跳ねるその姿に思わず笑みを漏らしながら、紗代子は要望通りそのフワフワなオレンジの髪を撫でた。

「日向くんも凄いね、たくさん飛んでる」

「えへへ」

「日向ボゲゴラァ、ボール拾いに行って何してんだ」

「ゲッ!?」

影山まで迫力ある顔で参戦してきた。彼の目的は日向であるようだが、ついでとばかりに紗代子は彼も撫でておいた。丸っとした綺麗な後頭部な印象だったが、その通りだった。

影山がポカーンとしている中、「お、なんか楽しそうな事やってるなぁ」と菅原を初めとする2~3年生が寄って来た。

「月島くんと山口くんを撫でてたら、日向くんと影山くんも来たから撫でてたの。皆すごく頑張ってるし、可愛いよね」

「めっちゃ分かります」

菅原がウンウンと頷いた。彼は常日頃「うちの後輩めんこい」と思っていたので。

しかし紗代子にとってはそんな彼も可愛いの範囲内だ。不意打ちで撫でると菅原はピシッと固まった。そのまま素直に頭を差し出して来た西谷と田中を撫で、遠慮する縁下、木下、成田に続いて東峰も澤村も撫で、清水と谷地は抱き締めた。女子2人は驚きつつも紗代子を抱き締め返してくれた。その光景を西谷と田中は拝んで見ていた。

烏野メンバーは基本的に人懐っこく、1番の難攻不落である月島は既に陥落済だっただめ、紗代子が烏野に馴染むのは早かった。この日の自主練習終わりには、皆で坂ノ下商店まで歩くくらいには紗代子に懐いていた。弟が増えたみたいで、彼女自身も嬉しかった。

坂ノ下商店で肉まんを買って食べるのが通例のようで、「紗代子さんもいりますか?」と澤村が気遣ってくれた。

「ここはお姉さんが出してあげよう」

「あざっす!」

「コラ日向!いや、悪いです、俺らで出すんで……」

我先に坂ノ下商店に飛び込んた日向を叱りながら遠慮する澤村を制し、さっさと料金を烏養に支払ってから紗代子は彼に肉まんを手渡した。

「私も食べるから良いの。いっぱい食べてたくさん練習してね。それで、音駒との全力の試合、見せて」

まだお互い代表に決まっただけだ。音駒が烏野が当たると決まった訳ではない。けれど、紗代子の言葉はどこか確信めいていて、言われた澤村はハッと目を見開いてから、

「──はい」

と締まった表情で頷いた。

帰路に着く烏野メンバーと別れ、紗代子はホテルの最寄りで夕食を摂ってから部屋に戻った。

そこでようやく、携帯にメールが届いている事に気付いた。送り主は黒尾。時刻は飲食店に入ったあたり。「今大丈夫ですか?」とある内容に「お風呂に入ってくるから待っててね」と返し、紗代子は浴室に飛び込んだ。

寒さ厳しい宮城で風邪をひかないようにドライヤーで丹念に髪を乾かし、紗代子はフカフカのソファに座った。パソコンは持って来ているが、さて、黒尾とのやり取りの後で作業できるだろうか。自信は正直無いが、テーブルにセッティングだけはしておいた。

携帯を確認すると、「俺も風呂入って来ます」とメールが来ていた。紗代子が戻って来た旨の内容で返信すると、すぐに「電話したいです。良いですか?」と戻って来た。このパターン、前もあった気がする、と思いながら、紗代子から電話を掛けてみた。烏野で弟の様な存在が増えて、若干ハイになっていたのかもしれない。合宿や合同練習で良い子たちなのは知っていたし、そういう子たちから好かれて嬉しくない筈がないのだ。

電話はすぐに繋がった。

「もしもし」

<も、もしもし?紗代子サン?>

「うん」

電話の向こうの黒尾の声が、少しだけ上擦っていた。急に着信が来て驚いたのかもしれない。

「びっくりさせちゃった?今大丈夫?」

<や、全然大丈夫なんですケド……まさか、紗代子サンの方からかけてくれると思わなくてびっくりしました>

「サプライズ成功、かな」

紗代子が笑うと、黒尾も<そうですね>と笑う気配がした。

<って、そうじゃないんですよ>

「うん?部活で何かあった?」

<そうじゃなくてぇ……俺、聞いてないんですケドー?>

「え?何の話?」

黒尾の声が一気に拗ねた様な物になる。何かあったかと紗代子が内心で首を傾げていると、<烏野>と彼はボソリと呟いた。

<……3日も宮城、しかも烏野行くなんて聞いてないデス>

「えっと、言ってないからね」

<デスヨネ!>

黒尾は思わず枕に顔を埋めた。

そりゃあそうだ。紗代子には黒尾に逐一どこに行くか言う義務も無ければ義理も無い。黒尾が勝手に嫉妬しているだけだ。

そもそもツッキーが悪い、と彼は枕から顔を上げた。

部活終わりに開いたメールに添付されていたのは、満更でもない様子で紗代子に頭を撫でられる月島の写真。さり気なく膝を曲げて彼女の手が届きやすくしている所が、黒尾をまた何とも言えない気分にさせた。

しかも本文には「しばらくこっちにいるみたいですよ」と来た。隙あらばしっかり師匠を煽ってくる弟子に、携帯を握る手に思わず力が篭ってしまった。

「ちょっとやっくん、紗代子サン、烏野に行ってんの?」

「おう。今日から金曜日までな。何で知ってんだ?」

「コレ」

月島から来たメールを見せると、衛輔と海は「へえ」と物珍しげな表情をした。

「月島ってもっと警戒心強いタイプだと思ってたけどな」

「さすがの月島でも紗代子さんには敵わないんじゃないか」

敵わないと思っていたにしても、そう思ったキッカケが分からない。自分が知らない間に月島と何かあったのだろうか。

黒尾は悶々としてしまった。考えても分からない事だと頭では理解しているものの、ギュッと胸を締め付ける感情がある事も知っている。

「クロ、顔が凄い事になってる」

最寄り駅から家まで孤爪と歩いていると、大きな溜息と共にそう言われてしまった。

「分かってますう」

上唇を突き出してそう答えれば、面倒くさそうな顔で再度溜息を吐かれてしまった。

1人でクサクサしていても時間の無駄だ。黒尾は帰宅するや否や、さっさと紗代子にメールした。返信を待ちながら晩ご飯を食べていると、携帯が震えた。バッと開くと紗代子からの返信だった。

「鉄朗、携帯はご飯の後にしなさい」

「うっ、はい……」

父親に当然の注意をされてしまって、すごすごと携帯をテーブルに置いた。一瞬の間に「風呂」の文字は見えた。黒尾はできるだけ素早く夕食を食べ切り、風呂場に駆け込んだのだった。

入浴後、紗代子から返信が来るまで黒尾はベッドで月バリを読みながら待っていた。何もしてないと、彼女を風呂の情景を妄想しようと頭が働いてしまうからだ。何せ彼とて青春真っ盛りの男子高校生であるので。

電話の伺いを立てた後、紗代子の方から着信があったのは驚いた。電話の向こうの彼女の声は弾んでいて、今日の烏野の見学が彼女にとって良い物であったのだと感じられた。それは本当に良かった。だがしかし。

──何でツッキーと仲良しなの、とか、聞いたらカッコ悪いよなぁ……。ヤキモチ焼いてるのが丸出しだし。でも、それでも。

<……俺の事、見ていてくれるって言ったのに>

うっかりときめいた。

紗代子の顔が一気に赤くなり、心臓はバクバクと音を立てて鳴る。

──そういう所が、本当にずるい。

普段の余裕たっぷりな姿とは全く違う、年相応の甘えを不意に見せてくるから、いつも紗代子は彼に振り回されてしまう。

黒尾の切なく甘い声が流れ込んだ耳が熱くて熱くて、頭まで沸騰しそうだ。

「み、見てるよ、黒尾くんの事」

<ほんとに?>

何とか答えた紗代子に、黒尾から更なる追撃が来た。もし面と向かっていたら至近距離で見つめられていそうな迫力が、電話の向こうから漏れてきている。

「本当だよ」

<じゃあ、どうして烏野に?>

「音駒が他とどう違うのか、具体的に知りたいと思ったの。武田さんには無理を聞いてもらう形になっちゃったけど」

<分かりそうですか?>

「掴んでみせる。そのために宮城まで来たんだから」

無為に時間を浪費するつもりは無い。黒尾に春まで待てと言ったのだから、自分も全力で駆け抜けなければ彼に失礼だ。

「黒尾くんも頑張ってるんだから、私も頑張るよ」

<……っ!>

息を呑む音が耳元で聞こえた。紗代子の言葉の何かが、黒尾の琴線に触れたらしい。

<紗代子サン>

「どうしたの」

<好きです>

「ひえっ……」

紗代子の口から変な声が漏れる。もうこれ以上無い程顔が熱いのに、黒尾の追撃は止まらない。

<紗代子サンが好き過ぎて寂しいから、早く帰ってきて顔見せてくださいね>

「あう……」

紗代子はもうノックダウン寸前だ。ソファの背もたれに完全に体重を預けて、そのままズルズルと沈み込む。

対面で言われるのとまた違う衝撃だった。そんなにストレートに言われると、恥ずかしさが限界突破してしまう。

何とかおやすみの挨拶をして電話を切ったが、今夜作業が進むとは到底思えない。紗代子は長く長く息を吐いて。赤い頬を両手で覆った。




第10話です。
宮城ソロ遠征編です。1人で色々できるタイプだし、仕事はパソコンと携帯があればできるので、主人公は元々割とフラッと旅行に出るタイプでもあります。
かっこいい黒尾も書こうとは思ってるんですが、すぐに甘えたに書いちゃいますね。主人公がお姉ちゃんなので……。下に3人もいると姉力(あねぢから)もそりゃ上がりますよねー。
ちなみに個人的にツッキーのツンデレを書くのも好きです。
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