正月。夜久家では、朝食にお雑煮やおせち料理を皆で食べながら新年の抱負を順番に話す慣習がある。年齢の若い順に話し、衛輔の番が回ってきた時、彼はわざわざ箸を置いて真剣な顔で宣言した。
「俺、プロになる。ロシアのチームがトライアウトやってるから、それを受ける」
さすがに母以外の家族騒然となった。母は事前に衛輔からパスポートを取るための署名をお願いされていたため事情を知っていたらしい。普段の衛輔の思い切りの良さを知っているためすぐに皆落ち着いた。既に彼はほとんど必要な事を調べ終わっていて、春高が終わり次第1度ロシアに飛ぶと言う。
「もりすけくん、パスポートなんていつの間に……」
「ちょっと前にな」
ニカッと笑う弟はいつの間にか本当に頼もしい顔になっていて、紗代子は少しの寂しさを覚えた。歳が離れていたから、よく面倒を見たものだった。下2人の弟と比べて、特に初めての弟だった衛輔は紗代子にとっては思い入れが少しだけ強い。弟は全員可愛がっているが、そこは仕方ないだろう。
こうやって少しずつ離れて行く。ヒナが成長して親元を巣立つ様に。紗代子とて、それは例外ではない。
「紗代子は、今年の抱負は?」
穏やかに父が聞く。それにキュッと拳を握り締めて、紗代子は両親に向かって言った。
「春までに、家を出ます」
「「「えっ!?」」」
弟全員の声が揃う。そっくりの焦げ茶の目を見開いて、3つの顔が紗代子を凝視した。それに比べ、両親は予感していたのか落ち着いたものだ。
「紗代子ももう立派な社会人だものね。そうなる気はしてたわ」
「この間映画化もされてたもんなあ。有名人だな」
ニコニコと笑い合う両親に、紗代子は尊敬の念を禁じ得なかった。先程の衛輔の抱負にはさすがに動揺していたものの、想定内であったのであろう紗代子の言葉はすんなりと受け入れている。何なら「もう物件は見に行ったの?」と聞いてくる程だ。
「うん。何件か内見した」
「良い所はあった?」
紗代子が頷くと、母は「私も見てみたいわ」と微笑んだ。
「良いよ。春高が終わったら一緒に行ってくれる?」
「もちろんよ」
かくして、元旦の朝は一波乱ありながらも和やかに終わった。
近所に家族揃って初詣に行った後、紗代子が届いた年賀状を持って自室に入ると、ちょうど携帯が震えた。急いで手に取って通話ボタンをプッシュする。
「も、もしもしっ?」
<もしもし、紗代子サン?すみません、取り込み中でした?>
「ううん、大丈夫。急に電話来たからびっくりしただけ。それで、どうしたの?」
<初詣、良かったら一緒に行きません?研磨が全然コタツから出てなくて、外に出したいんです>
昼からの予定は無いため、紗代子は「良いよ」と返事をした。時間と場所を手早く決めて、彼女は電話を切って出掛ける支度をした。そうして隣の部屋のドアをノックした。
「あれ、紗代姉どうした?出掛けるのか?」
「さっき黒尾くんから電話が来て初詣に誘われたの。一緒に行かない?」
「あー、ソレ、俺が行っても良いやつか?」
戸惑い気味にそう言った衛輔に、紗代子は首を傾げた。
「もりすけくんが来ちゃダメな事ある?」
「いや、そりゃ、ほら、あー……」
衛輔は頭をガシガシと搔いた後、「で、デート、じゃねえの?」とちょっと顔を赤らめながら言った。可愛い。紗代子は思わず和んでその形の良い頭を撫でると、赤い顔でジロッと睨まれた。
「お願いだからヤメロ」
「残念」
肩を竦めながら紗代子は手をどけた。
「デートじゃないよ。黒尾くんは孤爪くんを外に連れ出すためって言ってたし」
「なんだよ、気を回して損した。そうなったら海も誘うか。玄関で待ってて、すぐ行くわ」
「分かった」
紗代子は首肯して階段を降りた。
時間を開けず、衛輔もしっかり防寒した格好で玄関に降りて来た。
「お待たせ」
「全然大丈夫」
「あら、出掛けるの?」
母がリビングから顔を出した。それへ「黒尾たちと初詣行ってくる!」と告げて、衛輔は玄関を出る。「いってきます」と紗代子もそれに続いた。
鳥居の前で、紗代子たちは黒尾と孤爪、海と合流した。
「おー、あけおめー」
「あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとうございマース」
「……おめでとうございます」
「皆、あけましておめでとう」
黒尾が紗代子がプレゼントしたマフラーを巻いている事に、彼女はすぐに気が付いた。紗代子の胸が温かい物で満たされる。
紗代子が己の首元を見ている事に気付いた黒尾が、参道を歩きながら一瞬彼女の方を見てニッと笑った。頬を少し朱に染めながら、紗代子もそっと微笑み返した。
並んで参拝した後、3年生3人と紗代子は絵馬を書く事にした。各々が願い事を書いて、絵馬掛けに吊るすのだが、一足先に紗代子が吊るして何とはなしに参拝客の流れを眺めていると、黒尾がすぐ横に立った。紗代子の心臓がドキッと跳ねる。そっと横目で周囲を窺うと、孤爪はまだ絵馬を書いているようだった。平静を装って「黒尾くんは何て書いたの?」と聞いてみると、彼は紗代子の顔を見て口の端を上げた。
「何だと思います?」
「当てるのは難しそうね。そうだなあ……『猫又先生が長く監督でいられますように』とか?」
「それも悩みましたけどねー」
「違うんだ。本当に分からないなあ」
首を捻る紗代子を、黒尾は優しい眼差しで見つめていた。
少し後、「そういえば」と彼女の横顔を堪能しながら黒尾は口を開いた。
「紗代子サンは何て書いたんですか?」
「『皆が全力でバレーできますように』」
「それ、春高の事?」
「うん」
「勝てますように、じゃないんですね」
「そこは皆が頑張る所だからね」
「そりゃそうだ」
全力で楽しんでバレーできるように、少しでも運に味方してもらえますように。紗代子はそう願いながら絵馬を書いたのだった。
笑い合う黒尾と紗代子から少し離れた所では、孤爪がどうしようと目線をウロウロさせていた。そこへ衛輔と海も合流した。
「お、研磨も絵馬書いたのか?」
「まあ、一応ね。……ねえ、あれに話し掛けるの?おれたち邪魔じゃない?」
孤爪が指差す先には談笑する2人。明らかに良い雰囲気を醸し出している彼らに、孤爪は合流しない方が良いのではと迷っていた。しかし。
「知るか。いーんだよ、むしろ積極的に割って入る」
そう言い切り、衛輔は苦笑する海を引き連れてわざと黒尾と紗代子の間に入って行った。すると、孤爪の予想通り黒尾が衛輔に文句をつけていて、海の後ろに引っ付いていた孤爪は思わず笑ってしまった。
「チョットー?研磨は何笑ってんの?」
「いや、クロの反応がおかしくて」
「そこは俺の味方してくれても良くない?」
「それはしない」
「何でよ!?」
賑やかにじゃれ合いながら皆で鳥居を潜った時、紗代子の携帯が震えた。開いて見ると清水のあけましておめでとうございますメールだった。それに添付されていた写真は、清水含め烏野3年生組で初詣に来たのだろう、鳥居前での物。
横でゆるりと微笑んだ紗代子に気付いた海が、「どうかしましたか?」と首を傾げた。
「潔子ちゃんたち烏野の3年生が、皆で初詣に行った写真を送ってくれてね。可愛くて笑っちゃった。良いよね、青春って感じで」
「じゃあ、俺たちも撮りましょう」
「え?」
紗代子が止める間も無く、海が前方を歩く3人を呼び止めた。そして寄って来た彼らに「写真撮ろう」と笑顔で言った。
「え?良いけど、何で?」
「烏野も3年生全員で初詣に行ってるらしくてね、その写真が紗代子さんの携帯に送られて来たんだ」
「よし撮ろう」
一気にノリノリになった黒尾が鳥居前に皆を誘導した。
「俺が撮ろうか」
「じゃあ頼む」
「えっと、皆良いの?」
海が名乗り出て撮影係に決まってもまだ戸惑っている紗代子に、孤爪は「良いんじゃない」と肩を竦めた。
「もうノリノリだし。……おれの携帯で撮る?画質は良いよ」
「じゃあ借りようかな。このボタン押せば良いんだよね?」
「うん」
「ハイハイ、紗代子サンはこっちねー」
「あ、う、うん」
ちゃっかり紗代子を自分の隣に誘導した黒尾は、孤爪を己の前に、衛輔を紗代子の前に配置した。海が衛輔の隣で自撮りの体勢で携帯を構える。
「撮るぞー。はい、チーズ」
カシャッと小さく撮影音が鳴る。撮った写真を皆で確認し、孤爪が全員の携帯にそれを転送してくれた。
「皆、ありがとう」
「どういたしまして」
紗代子の礼に、黒尾と海が微笑み、衛輔と孤爪は頷きで答えた。
写真の中には、満面の笑みの3年生と微笑む紗代子、いつもの無表情を少し柔らかくした孤爪が写っていた。
1月5日。全日本バレーボール高等学校選手権大会、通称春の高校バレー、その当日である。
衛輔は前日からホテルまたたびに泊まっている。もう原稿を書き上げた事は伝えていたのに、紗代子も来るかと猫又は誘ってくれた。しかし、ホテルには他校もいるとの事で彼女は遠慮したのだ。マネージャーでも無い部外者が踏み入れてはならない境界線がある事を、紗代子だって分かっていた。
送り出す時に思わず抱き締めた紗代子の背を、衛輔は優しくポンポンと叩いた。
「紗代姉、いってくる」
「うん、いってらっしゃい」
次に直接声を掛けられるのは、初日の試合後だろう。紗代子は万感の思いを込めて弟の小さく頼もしい背中を送り出した。
東京体育館で行われる開会式は、満席の中て始まった。東京都代表として音駒の名前が呼ばれた時は、紗代子の胸も高揚した。黒尾たちの顔も誇らしい物になっている。
式の後はすぐ試合をする高校以外は周辺の体育館でアップになる。音駒も他の体育館へ移動する予定だ。紗代子は動かず、Bコートの他校の試合を見る事になっている。試合の経過を直井に連絡するのだ。
ボールが行き交い、電光掲示板は点数表示をゆっくり変えて、眼前の試合が進んで行く。
紗代子の脳裏に、昨夜黒尾から来たメールが浮かんだ。
「全力の音駒を、俺を、見て」
3年生最後の大会。ゴミ捨て場の決戦を実現できるかもしれない可能性が、目の前にある状況。紗代子はただ「信じてる」と返した。
事前に直井から教えられていた試合のタイミングで電話を掛ける。すぐに着信は繋がって、紗代子同様少し緊張気味の直井が「ありがとうございます、向かいます」と言った。電話を切った紗代子の目の前で、ダァンッとボールが落ちた。
少し離れたコートでは黒のユニフォーム、烏野が先に試合を初めていた。序盤は少し影山にミスが出ていたが、すぐに修正した。そうして。
「日向くん……」
オレンジの烏が、飛んだ。素早く速攻を決めた日向は強烈に輝いていて、どうしたって目立つ存在だった。それでも。
「おーおー、沸かしてんねえ、変人コンビ」
大きい体育館の中で、それ程大きくない声で呟かれた言葉が紗代子の耳に飛び込んでくる。紗代子の視線が1人を捉えた。
一瞬目が合った黒尾の、いつも通りの冷静な表情の中に見え隠れする緊張に、紗代子もまた緊張度合いが増した。
東京体育館。負けたら終わりの試合が始まる。
紗代子は以前と同じ様にあかねとアリサと並んで観客席の最前列に立った。
音駒の初戦の相手は、高知県代表の清川高校だ。
序盤は今までと同じ様に、清川のリードで進んだ。しかし、1セットかける事なく孤爪は相手の策を読んで対応したようで、点数自体は競ったものの、蓋を開けてみれば2セットとも音駒が取って勝利した。
今日もずっとラリーを繋げてブロックに跳んでレシーブして、と皆凄かったなあと紗代子は試合終わりに拍手しながら実感していた。やはり春高だけあって、インターハイよりも迫力がある気がする。紗代子の胸は初戦が終わったところだというのに、既に熱くなっていた。皆の輝きが、熱量に、酷く刺激された。
応援団やあかね、アリサと挨拶してから、紗代子は音駒の荷物置き場に向かった。しばらくすると、音駒メンバーがゾロゾロと現れた。「皆おめでとう」と手を振る紗代子の姿に気が付いた黒尾や衛輔が、歩いて来ながら手を上げる。
「もりすけくん」
「うおっ」
荷物置き場まで衛輔が到着するのを待って、紗代子は彼に抱き着いた。
「どうしたどうした」
「怪我しなくて良かった……」
「!」
紗代子の呟きに、衛輔が目を見開く。それから「大丈夫だって」とゆっくりと彼女の背を優しくさすった。
戸美学園との試合での衛輔の負傷は、紗代子自身が感じていたより深い傷となっていたようだった。それは、彼女が衛輔の進路を知っているから余計なのかもしれない。
「はいはい、おふたりさん、仲良いのは結構なんですけどね、ジャージ着ましょうネ」
誰もが声を掛けられずにいる中で、黒尾はあえて衛輔と紗代子にそう言った。まだ感傷に浸るには早い。今日勝ったなら明日もあるのだ。
「あっ、ごめんね、もりすけくん」
「いや、こんなんで紗代姉が安心できるなら全然良いぞ」
うちのリベロが男前……!
音駒メンバーの心の声が揃った瞬間だった。
きちんとジャージを着込み、昼食の弁当を皆で食べた後はそのまま身体を休めるグループと他校の試合を見に行くグループに別れた。
衛輔たち3年生はサブアリーナにあるEコートの梟谷の試合を見に行くというので、紗代子も着いて行った。
試合は終盤。木兎のパワー溢れるスパイクが鈍い音を響かせ、勢いのあるブロックが相手チームの攻撃を防いでいた。その梟谷学園優勢の流れは変わらず、2セットを取って梟谷の勝利となった。
「さすがだね」
「まあ、木兎だしな。乗せたら怖い怖い」
衛輔が立ち上がりながら肩を竦める。黒尾も海も続きながら「確かに」と頷いた。
「皆この後は?」
「鴎台の試合がもうすぐ始まるから、それを見に行く予定デスヨ。紗代子サンはどうします?」
「一緒に行こうかな」
「はいよー」
衛輔と海が先に観客席の通路に向かい、紗代子も立ち上がったところで、残っていた黒尾がヒョイッと彼女の鞄を取り上げた。
「あっ、黒尾くん、良いよ、自分で……」
慌てて近寄った紗代子の耳元に、黒尾はそっと口を寄せた。急な接近に固まる紗代子に、笑みを含んだ声音で彼は囁いた。
「……長く一緒にいれて嬉しいデス」
「っ!」
ぶわりと紗代子の顔が赤くなる。反則だ。低く甘い声が、一瞬で彼女の心を彼で埋め尽くした。本当に、ずるい人。
「紗代子サン、行きましょうか」
してやったりという風にニヤリと笑った黒尾が、素知らぬ顔で彼女を促す。紗代子は何とか頷いて、彼の後ろを歩く事が精一杯だった。
鴎台の試合は、新しい刺激を各方面に与えた。日向には飛翔の新たな可能性を、紗代子には強さのバリエーションを。
全員合流して東京体育館を出ると、ちょうど烏野メンバーと行きあった。
「オイヨイヨイ、おのぼりカラスさんじゃねえの」
ニヤニヤ笑う黒尾が、弄りながら声を掛ける。
「良かったな、はるばる来たのにすぐ帰る事になんなくて」
「そんなにはるばるじゃねえし!」
絶妙な真顔の澤村の横から、菅原が言い返してきた。それにひと笑いし、両校の仲良し組がそれぞれ交流する中、紗代子も清水、谷地と抱き締めあって健闘を称え合った。握手していた山本と田中、それに西谷がその光景を密かに拝んでいた。
「じゃあ明日も精々生き残ってネ」
「そっちこそだろ」
笑って軽口を叩き合って背を向け合って、ほぼ同時に黒尾も澤村も真顔になった。「春高2日目を生き残る」事がどれ程過酷な事なのか、素人の紗代子にもまざまざと感じさせた瞬間だった。
夜、家に帰って夕食を取って風呂に入って、それでも、東京体育館の空気感や歓声や感動は紗代子の中で落ち着いてはくれなかった。高校生の彼らが放つ輝きが、熱量が、彼女を焼いたのだ。
原稿は書き上げた。けれど、何か、何か。
見えない物に急き立てられる様な心地で、紗代子は自室でパソコンに向かい合った。しかし手が動かない。脳内でリフレインするのは今日の試合の内容だった。
躍動する音駒の選手たち。灰羽のスパイク。衛輔のレシーブ。山本のサーブ。そして、黒尾のブロック。
「ワンチ!!」
「っく……ラァ゛ッ!!」
「ッシァァアイッ!!」
黒尾の必死な声が、紗代子の耳にこびり付いて離れない。普段の余裕のある声音とは違う、全力のそれ。そんな一生懸命な声でも色気があるのはすごいけど、と紗代子が思っていた、その時。
「わっ……え、黒尾くん?」
携帯が急に震え、それを手元に置いていた紗代子は驚いて声を出してしまった。液晶に表示された黒尾の名前に動揺したのもあったが。
「もしもし、黒尾くん?」
<もしもし、夜遅くにすみません>
先程まで思い返していた声が耳元で響き、紗代子は頬が熱くなるのを感じた。やっぱり不意に聞くとダメだ。心がザワザワとしてしまう。
「ううん、大丈夫だよ。何かあった?」
<んー、紗代子サンの声が聞きたくて?>
「なっ、あ、え、えっと……」
<紗代子サン動揺し過ぎ。かーわいい>
黒尾の思う壷である。紗代子の顔はしっかり真っ赤になってしまった。
「あんまりからかわないで……」
<やだ>
──何その言い方、可愛い。
そう思ってしまっている時点で、紗代子の負けなのかもしれない。電話する事自体には慣れてきたつもりだったのだが、黒尾の方が上手な気がする。黒尾も実は緊張している事を、彼女が知らないだけなのだが。
<紗代子サンは今何してたんデスカ>
「パソコン開いていたところだよ」
<エッ!うわ、ごめんなさい、仕事中でした?>
「ううん、逆に助かったかも」
<え?>
紗代子の言葉に、黒尾が拍子抜けた声を出した。気ばかりが急いて、頭の中が整理しきれない内にパソコンに向かい合っていても何も生まれない。分かっていた筈なのになあ、と紗代子は天を仰いで口元に苦い笑みを浮かべた。
「黒尾くんたちの試合や烏野の皆の試合見てたら、自分も何かしなきゃって焦ってたんだけど、そんな気持ちでは良い物は生まれないんだよね。分かってた筈なのに、気持ちばっかり急いてて、でも黒尾くんから電話来たら落ち着いた。ありがとう」
<え、は、ハイ……>
戸惑った様な返事が電話の向こうから聞こえる。自分でも全てを説明しきれていないと分かる内容だったのだから、彼が困るのも当然かと紗代子が思っていると、黒尾の唸り声が聞こえてきた。
「黒尾くん?どうしたの?」
<……や、何かじわじわ来てると言いますか……紗代子サンのお役に立てて嬉しいデス>
「ふふ、うん、ありがとうね」
紗代子の笑みが柔らかな物に変わる。やっぱり黒尾くんはすごいな、と彼女は実感していた。先程まで心に渦巻いていた苦さが、彼のお陰ですんなりと溶けていった。
──ずるくて、すごい人。君が負けて泣く姿は見たくない。
勝負に絶対は無い。祈ったからといって、勝つ訳でもない。けれど、側にいる事はできる。見守る事はできる。コートの外側にしかいられなくても、いや、外側にいるからこそ、できる事がある。
「明日、頑張ってね」
<もちろん。俺の事、見ててください>
「うん」
カーテンを開ければ、綺麗な三日月がこちらを見ていた。
第13話です。 春高1日目です。 清川高校、ごめんね……原作にほぼ無い試合展開は書けませんでした……素人でごめん……。 正月の記念写真について。海は少し羨ましそうな紗代子を見抜いたため、撮る事を提案しました。普段フォロー役をしていると観察眼上がりますからね。やっくんと紗代子の宣言は春高のその先のための発言です。特にやっくんは高3なので、春高の事ばかり考える訳にはいかないですよね。 春高始まると全然黒尾と接触できない、しかし接点は作りたい。という訳で頑張ります!