夜久衛輔の姉が青春小説を完成させるまで   作:細雨

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第3話

ゴールデンウィーク明け、灰羽には羨ましがられて大層ウザかった、と衛輔は紗代子に語った。ムスッとした顰め面付きで。

どんな試合だったのか、相手チームにどんな選手がいたのか等を根掘り葉掘り聞かれたらしい。

「西谷くんの事を聞いた時もテンション高かったけど、日向の話聞いた時の顔は見物だったぜ」

からからと笑いながら衛輔はそう言った。明確なライバルがいる方が、灰羽の実力が伸びると見ているのだろう。

そんな報告を、紗代子はベッドの中から聞いていた。

「私も行きたい……」

「いや、紗代姉まだ熱あるだろ。ダメ。家で大人しくしてろ」

「うぅ……」

遠征から帰ってきてからすぐに、風邪を引いてしまったのだ。それでもパソコンに向かおうとする彼女を、両親に代わって衛輔が叱った。割と本気で怒られた紗代子は、しおしおと項垂れてベッドに戻った。

「監督には言っとくから、ゆっくり休んでろよ」

「はい……」

せめてもの情けで、衛輔は紗代子の枕元にある携帯は見逃してやった。彼女から小説を取り上げても、治る物も治らないと経験しているからだ。

そして土曜日。1人で登校した衛輔に、音駒高校バレー部はザワついた。孤爪は例外として普段通りの表情だったが、特に山本と灰羽の反応は大きかった。

「夜久さん!紗代子さんは!?」

「今日来ないんですか!?何でですか!?」

「うるせえ!ストレッチしろ!練習するぞ!」

衛輔の怒鳴り声に後輩2人がすごすごとストレッチを始める中、黒尾が少しソワソワと落ち着きが無いのに孤爪は溜息を吐いた。

「はぁ……クロ」

「ハイッ?」

「気になるなら夜久さんに聞いてくれば良いでしょ」

「な、何の話かなぁ?」

下手な誤魔化しをする黒尾に、孤爪は再度溜息を吐いた。

黒尾としては、紗代子がもう音駒に来なくなるのではないかと薄ら寒くなってしまったのだ。何せ、烏野との試合中の彼女の表情をバッチリ見てしまったから。

カメラを構えながらも、キラキラと輝く瞳に上気した頬。明らかに烏野の日向と影山の速攻に魅了されていた。自分たちも強い衝撃を受けたのだから、速攻自体見慣れない紗代子が受けた驚きは相当な物だろう。それに、考えたくはないが……単にバレー部を取材したいのなら、何も音駒に拘る必要は無いのだ。烏野の変人コンビは黒尾でさえ興味深いのだ、紗代子はもちろん興味が引かれるだろう。彼女が音駒に来るのは、衛輔がいるからというのが大きいと黒尾は考えていた。

「夜久さん」

「え、け、研磨さんっ?」

急に孤爪が衛輔を呼んだ。呼ばれた方は苦笑しながらも、孤爪と黒尾の側に寄ってきてくれた。

「何だ何だ、研磨も紗代姉が気になるのか?」

「いや、それはこっち」

「研磨さーん!?」

孤爪に指刺された黒尾は飛び上がってツッコんだが、孤爪は何処吹く風で歩き去ってしまった。じーっと衛輔に凝視され、冷や汗をダラダラかきながら黒尾は黙って我らが頼れるセッターが口を開くのを待っていた。

「黒尾」

「ハイ」

「紗代姉は体調崩して休んでるだけだ。……安心したか?」

「あぁ〜〜〜……ハイ……」

ポン、と黒尾の背を叩いてストレッチに向かった衛輔の背中は大きかった。黒尾は思わず顔を覆って深い安堵の息を吐いた。さすが音駒のセッター、頼もしい男前である。

昼休みに質問攻めにあった衛輔は結局、紗代子の休みの理由を部員に教える羽目になったし、その様子を朝紗代子本人から謝罪と共に休む理由を書いたメールを貰っていた猫又と直井はニヤニヤしながら見守っていた。

ウトウトと布団の中で微睡んでいた紗代子は、僅かに震えた携帯の振動で目を覚ました。仕事のメールかと携帯を開くと、送り主は何と部活中の筈の黒尾だった。

内容は体調を気遣う内容と返信不要の文言だった。いかにも黒尾らしい文面で、紗代子は思わず笑みを漏らした。

熱が残っているだけで本人の精神はすこぶる元気なのだが、家族がベッドから出るのを許してくれなかったのだ。だから、紗代子はベッドの中で本を読んだりチマチマポチポチとプロットを書き綴ってはいたのだが。

紗代子がお礼を伝えるメールを返信すると、すぐに黒尾から返事が来た。寝ていないで良いのかという心配の内容だったため、彼女は熱が残っているだけで元気と返した。それからしばらく他愛の無い雑談の様なメールが行きつ帰りつし、唐突に黒尾からの返信がパッタリと途切れた。休憩が終わったんだろうなと察した紗代子は、階段を登ってくる家族の足音に気付いて携帯を枕元に置いた。

 

「やっくーん」

「何だよ」

呼び止められ、振り返った衛輔の眼前に突き出されたのは近くのコンビニの袋。その向こうからは、特徴的なトサカ頭が覗いている。

「これ、持って帰ってくんない?」

「俺へのワイロか?」

「はい〜?そんな訳ないでしょ!」

ニヤッとして衛輔がからかうと、黒尾はおちゃらけながらもしっかり否定した。

先を歩く他の部員たちが、衛輔と黒尾の名前を呼ぶ。それへ返事をしてから、衛輔はようやく袋を受け取った。中を覗くとゼリーやプリン等、風邪の時に食べたくなるスイーツがいくつか入っていた。

「実家暮らしだから色々揃ってそうだとは思ったんだけどね〜」

と嘯く黒尾だが、何を買うかかなり悩んだ。昼休みに彼女と何度かメールしていたが、今の体調も好みも詳しくは分からなかったからだ。

「渡しとく」

「おう、頼んだ」

この様な経緯で、紗代子のもとに美味しそうなコンビニスイーツが進呈されたのだった。

「黒尾くんに、お礼伝えてね」

「分かってる。それより具合は?」

「もうほとんど熱は下がったよ。来週は行くから」

「はいはい」

リビングまで降りてきてプリンを堪能をする紗代子に、衛輔は密かに安堵の息を吐いたのだった。

昔から、張り切り過ぎるとすぐに熱を出すのだ、この姉は。今回の遠征も、部活動の遠征自体が初めてで、数少ない大人の内の1人としてしっかりしなくちゃとでも思っていたのだろう。それに烏野の存在も刺激になったのかもしれない。帰りの新幹線の中でも、休まずパソコンを開いていたくらいだ。自分たちに休めと言う前に自分が休めという話である。

「……にしてもなぁ……」

「?もりすけくん、何か言った?」

「何でもない。それ、美味いか?」

「うん、美味しいよ。はい、どうぞ」

衛輔は。紗代子から差し出されたプリンの乗ったスプーンを遠慮なく口に含んだ。滑らかに甘い。昼休みに携帯に向かう黒尾の目くらい甘かった。

衛輔はもう一度小さく息を吐いた。

我が姉ながら、めんどくさい奴に惚れられちまったもんだなぁ、と。

 

土曜日。

体育館に顔を出した紗代子に、真っ先に飛び付いたのは灰羽だった。

「紗代子さーん!!元気になったんですね!嬉しいです!寂しかったですー!」

「リエーフうううう!紗代姉は病み上がりだぞ!加減しろ!」

高身長の灰羽に抱き着かれた紗代子は案の定バランスを崩しかけたが、そこは衛輔が彼女の背に腕を回して支えたため何とか事なきを得た。

叱られた灰羽もまずい事をしたのは自覚しているらしく、大人しくションボリした。ちゃっかり紗代子に引っ付いたままではあったが。

「心配かけてごめんね。猫又先生の所に行ってくるから、離してくれる?」

「はぁい」

「いつもそれくらい素直に言う事聞けよ」

「それとこれとは話が別です!」

「キリッとした顔すんな!さっさとアップ行くぞ!」

衛輔が容赦無く灰羽を引きずっていくのへ手を振り、紗代子は猫又と直井の元へと足早に向かった。

「おお、紗代子さん。もう大丈夫なのかい?」

「すみません、ご迷惑おかけしました。もう元気です」

「いやいや、謝る事じゃない。元気になったなら良しだ」

「ありがとうございます」

ニコニコと笑う猫又に、紗代子はお礼を言って頭を下げた。その後直井にも「元気になって良かったです」と言われた彼女は、感謝を伝えながら嬉しそうに微笑んだ。

昼休みに山本が勇気を振り絞って「さ、紗代子さんが元気になって良かったですっ!」と固まりながらも頑張って紗代子に声を掛けるというミラクルが起きつつ、部活動自体は無事終了した。

帰り際、着替えが早く終わった黒尾は、紗代子と喋れないかと一抹の期待を胸にさっさと部室を出た。その予想通り、紗代子はいつも通り部室棟の出入口で待っていた。想定外だったのは1人ではなかった事だ。

「で?誰狙いなんですか?」

「そもそも音駒じゃなくても良いですよね?出て行ってくれません?」

「いい年して、高校生に媚びて恥ずかしくないんですか?」

──ハァ?

多分今、黒尾の顔は人に見せられない物になっている。いや、多分ではない、絶対だ。

紗代子の前に立つ女子生徒らは、見た事のある顔もあるし無いのもある。何せ女子バレー部でない事は確かだ。たまに体育館の貸し借りするあそこも、紗代子の職業や目的を知っている筈だから。

好きな人が不当な言い掛かりをつけられていても黒尾が動けないのは、姉から聞いた事があったからだ。女子の争いに男子が入ると余計に拗れる、と。

紗代子を不利な立場に置くのは本意ではない。庇いたいのは山々だが、彼女がこの先音駒に来にくくなるのは避けたい。

「──貴女たちの言い分は以上ですか?」

悩む黒尾の耳に、凛とした声が差し込まれた。紗代子だ。

その場の雰囲気が一気に剣呑になる。構わず、背中をピンと伸ばした紗代子は言葉を続けた。

「貴女たちの言葉は、音駒のバレー部自体を侮辱しています」

「なっ……!」

「誰かを狙っているやら、音駒じゃなくてもいいやら……。何故『音駒のバレー』に魅力があるからと思わないのですか?」

『!』

黒尾含め、その場にいる全員がハッとした顔になった。黒尾が呆然とする中、女子生徒たちは苦々しげな表情になる。

「1度試合を見れば分かると思います。バレーにおいて、基本の『繋ぐ』事がいかに重要でいかに難しいか。素人の私でも、数回見てそれを感じました。ましてやスポーツをしている貴女たちなら、基本の重要さをきっと分かるでしょう」

女子生徒たちは、もう何も言えずにいた。強い声で紗代子は続ける。

「思春期ならではの感情は私も理解できます。けれど、同じ音駒生である貴女たちこそ、私などにかかずらわずにバレー部を応援してあげてください。応援は力になります。試合を、ぜひ見てください」

「な、何よっ……もう、行こっ」

結局何も言い返せずに、女子生徒たちはバタバタと駆け去って行った。それを静かに見送り、紗代子は小さく息を吐いた。

「紗代子サン」

「!……黒尾くん」

黒尾が背後から声を掛けると、紗代子はバッと振り返った。その顔には僅かに疲労の色があるように見える。

「あー……その、大丈夫、ですか?」

「見てたの?恥ずかしいな……」

紗代子は照れたように頬を掻いた。

「何か意地になって言い返しちゃった」

「ぐぅっ……」

照れ笑いしながらの言い方にキュンとしてしまった。胸を掴んでくしゃくしゃな顔になった黒尾に、紗代子は不思議そうに首を傾げた。

「黒尾くん?」

「イエ……何でもないです……」

何とか回復した黒尾は、取り繕う様にニコッと笑った。

「偉そうな事言っちゃったなぁ」

「でも、俺は嬉しかったですよ」

嘆息する紗代子に、黒尾はそう言った。「どうして?」と紗代子はキョトンとした顔になる。

「んー、何となく?」

「音駒のバレー」を好いてくれているから、とはさすがに照れ臭くて言えなかった。彼女が、「ボールを繋ぐ」という一見地味な基礎がどれ程重要か、自分たちがどれ程それを大事にしているかを理解してくれているのが、黒尾は嬉しかった。

明らかに誤魔化した黒尾をじーっと見つめていた紗代子だが、彼がそれ以上説明してくれなさそうだと察すると、小さく笑って肩を竦めた。

「あ、そうだ。黒尾くん、これどうぞ」

「ドーモ?俺、何かしましたっけ?」

紗代子が鞄から取り出して黒尾に渡したのは、小さめのオシャレな袋に入れられたクッキーの詰め合わせだった。お菓子のブランドに疎い彼でも知っている、有名な洋菓子店の物だ。

「うん。お見舞い、くれたでしょう?そのお礼」

「ああー……。別にお礼なんてよかったんですよ」

「それじゃあ私の気が収まらないから」

「良かったら食べてね」と笑う紗代子に、黒尾は「じゃ、ありがたく」と素直に受け取った。見返りなんて求めていなかったが、好きな人から貰える物なら何でも欲しい。

「ありがとうございます。嬉しいです」

「甘い物が好きなの?」

「や、そうじゃなくて、いやそうなんですけど──」

黒尾が勇気を出して紗代子から貰えたのが嬉しいのだと伝えようとした、その時。

「ねー!夜久さーん!?まだ帰っちゃダメなんですか!?俺腹減りました!」

「あっ!おい馬鹿!リエーフ!」

盛大に灰羽の声が辺りに響き渡った。ついでに注意する山本の声もした。

びっくりした顔の紗代子の横で、黒尾はガックリと項垂れた。ヨロヨロと上げた視界の中で、曲がり角の向こうから顔を出した海と衛輔が片手を上げて無言で「すまん」ポーズをしたのが映った。

「黒尾さん何持ってるんですか?お菓子?お菓子ですよね!?」

一目散に走り寄って来た灰羽が、目敏く黒尾の持っていた袋を見付けた。明らかに瞳をキラキラさせた彼に、黒尾は「はいはい、黒尾さんの物だからね〜」とさっさと鞄に仕舞った。

「えー!腹減った……」

「仕方ねえからぐんぐんバー奢ってやるよ」

「やったー!」

衛輔のフォローに、ガックリと項垂れていた灰羽はみるみる内に元気になった。現金な物である。

その後、駅前のコンビニまで全員で移動し、1・2年生たちは3年生3人に1人1本ぐんぐんバーを買って貰ったのだった。

週明けの月曜日。紗代子を囲んでいた女子生徒たちがテニス部だとその装いから察していた黒尾は、直々にテニス部キャプテンに何が起こったのかと再発防止を申し入れた。テニス部キャプテンは誠実に謝罪し、今後同じ様な事が起きないように注意すると約束した。

とりあえずこれで様子見だな、と黒尾は胸を撫で下ろした。実はついてきていた海は、その様子をニコニコと穏やかに微笑みながら見守っていたのだった。

 

5月は案外すぐに過ぎ去る。つまり、インターハイの時期が迫って来るという事だ。

黒尾たち3年生にとっては最後のインターハイ、灰羽たち1年生にとっては初めてのインターハイ。日々の練習にも熱が入るという物だ。

そしてインターハイが近付くという事は、衛輔たち3年生にとって大きな選択をしなければならないという事だ。

「もりすけくん」

「何?」

入念に風呂上がりの柔軟をする衛輔の側に、紗代子は真剣な顔で正座した。彼女のただならぬ様子に、ちょうどストレッチの終わった衛輔も姿勢を正した。

いつになく張り詰めた雰囲気に、すわ何事かと衛輔の頭の中を様々な思考が巡った。

──何か新しい仕事に挑戦するのか?担当が変わるのか?頼み事か?いやでも「音駒に行きたい」って言ってきた時より真剣だな……まさか家を出るのか?独立?それか……まさか万が一だけど、恋人でも紹介されるのか?そうなると黒尾には残念会でも開いてやらねえとな……。

「もりすけくん?」

「あっ?ああ、ごめん、何だっけ?」

頭の中で勝手に黒尾の失恋慰労会の内容を考え始めてしまっていた衛輔だったが、紗代子に呼ばれてようやく我に返った。「まだ何も話してないよ」と紗代子には笑われてしまった。

「もりすけくんに聞きたい事があります」

「はい」

とりあえず恋人の紹介では無い事はおそらく確定だ。良かったな、黒尾。

衛輔の頭の中では、黒尾は勝手に失恋した事になっていたし、ギリギリ失恋を回避した事にもなっていた。

そんな事など露知らず、紗代子は言葉を続けた。

「もちろん、話したくなければ話さなくて大丈夫です。決まっていなければそう言ってください」

「え、怖い。何?」

「もりすけくんは、インターハイ後は残るんですか?」

「!」

それは即ち、春高まで部に残るかどうかという問いだ。そしてまた、衛輔の今後の身の振り方を問う物でもあった。確かに慎重になる気持ちも分かるが、だがしかし。

「そこまでピリピリしなくても良いんじゃねえか?」

「え……そんな怖い雰囲気だった?」

「うん、それはもう」

「そんなつもりは無かったんだけど……。繊細な問題だから緊張したのかも」

紗代子は気まずそうに頬を掻いた。気を回してくれた姉には悪いが、衛輔はもうとっくに自分の道を決めていた。

「──俺は、残るよ。まずは目の前のインターハイが大事だけど、それがどんな結果であれ、春高まで残る」

真っ直ぐに紗代子を見つめ、衛輔は言い切った。何なら彼は高校卒業後の進路も思い描き始めてはいるのだが、まだ告げる気は無い。色々と確定してから言おうと決めていた。

「他の3年生も多分決めてる筈だけど、皆インターハイが終わった後に言うと思う」

「そう。分かった」

紗代子は1つ頷いて「私もお風呂に入って来る」と立ち去った。本当にそれだけ聞きに来たらしい。

相変わらず真面目な所がある姉だな、と衛輔は小さく笑って水を飲みにキッチンに向かった。

 

東京のインターハイ予選は、6月9日から3週に渡って日曜日に行われる。休日だけに、応援にくる人間も多い。

「初めましてっ!山本あかねです!兄がいつもお世話になってます!」

「灰羽アリサです、初めまして、よろしくお願いします」

「夜久紗代子です。よろしくお願いします」

明るく挨拶を交わす彼女たちに紗代子が抱いた第一印象は兄弟にソックリ、だった。彼女も全く人の事を言えないが。

応援に来ていた選手の家族たちと一通り挨拶して、紗代子は後方の席に腰を下ろした。もっと前に座る様何度か勧められたが、観客席の光景含めて見たい彼女は丁寧に遠慮した。

あかねやアリサが最前席で応援する中、紗代子はどこか緊張感を持って試合に臨んでいた。先日、烏野のマネージャー・清水から烏野の試合結果を教えてもらっていたからだ。

勝ち上がっても、烏野はいない。それは多分、日向とメールをしている孤爪を通して選手皆が知っている事だろう。烏野が予選を勝ち上がっていたら、また違う雰囲気が彼らに漂っていたのだろうか?

──ああ、でも。

と紗代子は思い出した。このインターハイが終われば梟谷グループの合同練習がある。そこに烏野を招待していると、猫又が言っていたのだ。まだ承諾の返事は来ていないが、という注釈付きだったが。

紗代子に合同練習へ参加の是非を確認した話の流れで聞いたその話が頭をよぎり、烏野に会う事は確定しているから下手な試合はできないとも思っているかも、とも彼女は考えた。

選手たちがアップしているコートに、笛の音が響き渡る。

音駒のインターハイが、始まった。

 

結果から言えば、1次予選は無事に突破した。しかし、2次予選で音駒は涙を飲む事になった。

3年生最後のインターハイが、終わった。

皆が皆、己ができる事をしていた。それでも、勝ち続けるという事がいかに難しい事なのかを突き付けられたかの様だった。

顔を歪ませ、あるいは何かを堪える様に目を閉じる選手たちを見て、紗代子は予選が始まる前の考えを改めた。

彼らは、誰かのために、ライバルに顔向けするために試合をしているのではない。彼らは彼ら自身のために、自分が誇れる音駒の「繋ぐ」バレーをしているのだ。それはきっと、あまり表情を変えない孤爪もまた。

応援席の人たちと挨拶を交わしてその場を辞した紗代子は、選手以外が入れるゾーンのギリギリで待っていた。そして彼らはすぐに現れた。

「もりすけくん」

「紗代姉」

同じ焦げ茶色の瞳同士の視線が交わる。いつも真っ直ぐな弟の色が少し揺らいでいる事が、紗代子にはよく分かった。初めて見た弟の試合、初めて見た弟のチームの勝利と敗北だった。

たくさん言いたい事があった筈だ。「お疲れ様」とか「頑張ったね」とか、労ったり慰めたり、そういう事が。けれど、胸が詰まって頭が真っ白になって、結局紗代子が伝えられたのは一言だけだった。

「すごかった」

それは音駒のバレーへの感激であり、衛輔や選手たちへの称賛だった。

素人の紗代子が伝えられる言葉なんて限られていて、3年生が最後のインターハイが終わった彼らにかけられる言葉なんて持ち得なかった。何を言っても、違和感が残ると思った。だから、紗代子は自身の感動をそのまま伝えた。

「本当に、すごかったよ、もりすけくん」

「うん」

衛輔は眉をきゅっと寄せて、自身とそう背の変わらない姉に抱きついた。

「……ありがとう」

肩に顔を埋めた弟のくぐもった感謝を、紗代子の耳は確かに拾った。

音駒のインターハイは、こうして幕を下ろした。

夏がライバルたちを引き連れてやって来る。




音駒や主人公の動きをどこまで詳しく書くか、心情をどこまで書くか、いつも迷いながら書いています。説明し過ぎだとストーリー進まないし、でも書かなさ過ぎると味気無くなっちゃうし、と試行錯誤しています。
今回はインターハイまでを書きましたが、次は夏合宿をガッツリ書きます。皆にとって色んな刺激があった夏。頑張ります。
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