夜久衛輔の姉が青春小説を完成させるまで   作:細雨

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第6話

とっても気まずい、と寝起き早々紗代子は頭を抱えた。どうしたって朝から顔を合わすのだ。何とか平静を装わなければ、と彼女は気合いを入れてキッチンに入ったのだが。

「あ、紗代子サン、おはようございまーす」

「お、はよう、黒尾くん」

あっさりする程いつも通りの黒尾に、紗代子は拍子抜けした。昨夜の事は夢だったのかと一瞬自分を疑ってしまった。それでも、スムーズにトレーを持ってテーブルへ向かう彼に、やっぱり現実だったと思い直した。後ろの衛輔が、膝カックンしようと出した足をソロリと下ろした程、さっさと彼は行ってしまったから。

「……何だよ、今日はすぐに行くのかよ」

思わずといった風の弟な呟きに、紗代子は苦笑する事しかできなかった。

合宿2日目のこの日も、相変わらず暑い。午前中、森然高校のOBがやって来て、大玉のスイカを数個差し入れてくれた。

『ありがとうございます!』

マネージャーと紗代子は一斉にお礼を言って、紗代子がキッチンで切り分けている間にそれぞれの高校の監督に報告に行ってもらった。

彼女たちが食堂に戻って来る頃には何とか全てのスイカを皿に盛る事ができたため、皆でスイカを持って第1体育館へ向かった。

「森然高校の父兄の方から、スイカの差し入れでーす!」

宮ノ下の明るい声に、選手たちから歓声が上がった。

女子一同それぞれにスイカ山盛りの皿を持って、選手や監督たちの間を回る。マネージャーの子たちは自然に自分たちのチームの方向へと歩いて行ったため、必然紗代子も音駒メンバーが固まっている場所へ向かった。

「スイカ持って来たよー」

「わーい!俺イチバン!」

「俺も俺も!」

いの一番に灰羽が飛んで来て、続いて犬岡と芝山が走って来た。彼らにスイカを取ってもらっていると、山本と福永、手白が続いて赤い実を取って行った。

「まだ残ってます?」

「うん、大丈夫だよ」

海が言葉と裏腹に全く心配していなさそうな笑みを浮かべて寄って来た。横にはパタパタと手で胸元を扇ぐ衛輔もいる。

「あっちー。紗代姉は大丈夫なのか?」

「私だって十分暑いよ。許されるなら1枚脱ぎたいくらい」

「そりゃあ、男子高校生には刺激が強いデスヨ、おねーさん」

衛輔の後ろからヌッと顔を出したのは黒尾だ。不意に見たその顔に、思わず紗代子の心臓が跳ねる。

「そ、んな事無いと思うよ?」

「いやいや〜、ネェ?」

「俺に聞くな。まあ、俺も脱ぐのは賛成できねえけど」

「陽射しも強いですし、逆に辛くなるかもしれませんよ」

振られた衛輔がスイカを取りつつもそう言って、それに海が穏やかに付け足した。

確かに、日に焼けてない肌に強い陽射しは毒だろう。赤くなって痛むかもしれない。紗代子は渋々半袖のTシャツでいる事にした。

海もスイカを取り、黒尾がスっと紗代子に近付いて来た。スイカを取るためだと分かっているのに妙に緊張してしまって、紗代子は彼の顔をまともに見れずに眼前の赤だけを見つめていた。

「……向こうで研磨が休んでるんですケド」

「えっ、あ、うん」

スイカを取り上げながら黒尾が話し掛けるものだから、紗代子もつい赤に釣られて顔を上げた。必然、まともに視線が合う。

──こんなに、優しい目をしていただろうか。

紗代子が驚く程その目元を柔らかくして、黒尾は彼女を見つめていた。紗代子が視線を逸らせずにいる間にも、黒尾の唇がゆっくりと言葉を紡いだ。

「スイカ、2つ渡してやってくれません?ほっといたらスポドリしか飲まないんで」

「う、ん、分かった。行ってくるね」

何とか黒尾の顔から目線を引き剥がして頷き、紗代子は彼の横をすり抜けようと歩き出し。

「……俺の事、意識してくれてるんなら嬉しーデス」

「っ!」

密やかに甘く、耳元でそう囁かれて、思わず紗代子はバッと己の片耳を抑えた。囁きが入り込んだ耳が、熱い。

黒尾はそのまま、吐息だけの笑みを残して歩いて行ってしまった。紗代子はサクサクと足音が遠のいて行くのを感じながら、何とか足を動かして孤爪のいる方へと向かった。

「……熱中症、じゃないですよね……?」

体育館の出入口で座り込む孤爪が、肩で息をする紗代子へ訝しげに尋ねた。

「大丈夫……」

と何とか返答し、紗代子は何度か深呼吸して息を整えた。皿を孤爪の方へ差し出し、「孤爪くんは2つね」と言った。途端に嫌そうな顔になる孤爪に、紗代子は黒尾からの指示であると伝えた。

「クロめ……トサカが直らなければいいのに……」

「お風呂入ったらどうしたってまっすぐになるよ」

愉快な呪いをブツブツ呟く孤爪に紗代子は噴き出した。

「隣、座って良い?」

孤爪が頷いた事を確認して、紗代子は彼の隣に腰を下ろした。間に皿を置いて、紗代子もスイカを1つ手に取った。

「いただきます」

1口齧ると、瑞々しい甘みが口内に広がった。美味しい。紗代子の頬が緩む。

隣をチラリと見ると、孤爪も素直にスイカに齧り付いていた。ホッしたのも束の間、彼は不意に口を開いた。

「クロと、何かありました?」

「えっ!?いや、えっと……どうして?」

動揺するあまり、孤爪の言葉を肯定する様な質問を返してしまった。紗代子と視線を合わさないまま、孤爪は「見てれば分かります」と呟いた。

「いつもよりクロが紗代子さんの方見てるし……紗代子さんは逆にクロを見ないようにしてる……」

「研磨ー!こんなとこにいた!あっ、スイカ残ってる!」

孤爪の発言を遮り、太陽の様に明るい声が響いた。振り返らなくても分かる。日向だ。

オレンジの髪を揺らして、日向は紗代子と孤爪の所へ駆け込んで来た。

「あ!紗代子さんちわーッス!」

「こんにちは、日向くん。スイカ、残ってるからどうぞ」

「あざっす!」

律儀に紗代子に頭を下げた日向は、彼女から差し出された皿から喜んでスイカを1切れ取った。

紗代子は孤爪の言葉で動揺した内心を何とか隠し通して、日向に微笑んだ。

──黒尾くんが、私を見ている?そりゃあよく目が合うとは思っていたけど、「いつもより」って比較できる程見ていたって事、だよね?

つまり、普段からの黒尾の視線に、紗代子は全く気付いていなかった事になる。そんな鈍いつもりは無かったのに、と彼女は複雑な気持ちになった。気が付かないくらい自然になっていたという事だろうか。

すると、日向の姿を見つけた灰羽がその長い足を有効活用して勢い良く走り込んで来た。

「日向ー!俺もスイカ食う!あ!研磨さん、紗代子さん!こんなとこにいたんですね!スイカ貰ってもいいですか?」

「うん、良いよ。座って食べたら?」

「はいっす!」

紗代子の言葉に、日向は孤爪の隣に、灰羽は紗代子の隣に遠慮なく座り込んだ。灰羽の肩が最早自分の頭の位置にある事に、紗代子はしみじみ彼の背の高さを感じた。確かにこれは早く育って常にレギュラーに入れておきたいだろう。バレーにおいて高身長な事は酷く有利に働くから。

「座ったら紗代子さんって余計小さいですよねー。夜久さんと同じくらいですか?」

紗代子が灰羽の身長について考えていたのを感じたとは全く思わないが、ちょうど良いタイミングで彼はぐりんっと紗代子の方を向いて笑顔でそう言った。

「そうだね、同じくらいだよ。でも、もりすけくんにそんな言い方したら怒られるから気を付けてね」

「あっ!?そ、そうですね!」

これは既に何回か怒られたと見た。明らかにやらかした顔をした灰羽を見て、紗代子は笑った。

結局、何とか孤爪にスイカを2個食べさせる事には成功し、紗代子はその場のスイカの皮を回収してから席を立った。確か大滝がゴミ袋を持って来ていた筈だ。

既にあちらこちらでマネージャーたちがスイカの皮をゴミ袋に回収し始めている。紗代子も急いでそれへ参加した。

「スイカ美味しかったね」

「毎日でも食べたい!」

「さんせーい!」

きゃらきゃらと賑やかに、ゴミ捨て場までスイカの皮を入れた袋を持って歩く。

宮ノ下と雀田が明るく笑うのを、紗代子は少し羨ましく思った。彼女が同じ年頃の時は、どうしたら夢を叶えられるか必死に考えていた時期だった。部活にも入っていなかったから、いわゆる青春を感じられるような事は体験していない。それは少しもったいなかったな、と今更ながらに紗代子は思った。その年代でしか感じられない事は、やっぱりあるから。

ゴミ捨て場から戻ったら、また熱い練習試合のサポートとに回る。戦績もその内容も、できるだけ細かくメモを取る。

音駒では基本的に芝山がよくスコアを付けているが、紗代子も隣で学びながらそれを行っている。雑務では、1年生の芝山の方が先輩なのだ。

「──で、こう書くんです。えっと、分かりますか?」

「うん、今の所大丈夫。いつもありがとうね」

「いえ、これくらい、大した事ないですよ」

照れ笑いする芝山に、紗代子は微笑んで緩く首を横に振った。

「そんな事無いよ。こういう事もしておかないと、どこを重点的に練習しないといけないかとか、弱い所とか、こういうのは良い、とか、分からないでしょう?大事な仕事だよ」

「!そ、そうですかね……えへへ」

「それに私からしたら、素人の私でも分かるように教えられる芝山くんはすごいと思う。ちゃんと理解してないと人に教えられないから」

「え、あ、ありがとうございますっ」

頬を赤くした芝山は、照れ笑いして頭を搔いた。彼らにとっては普通の事でも、紗代子には新鮮な事ばかりだ。打ち方の種類がある事も、ブロックの仕方が何種類もあるのも、音駒に通い始めて初めて知った。テレビではそこまで解説してくれない。

今でもたくさん学べる事は幸せな事だと思う。学ぶ事を楽しめるのも、また。衛輔のいる音駒が良いチームで良かった。

紗代子は試合を観察しながらも、そう思っていた。

夜、また各自自主練習に励んでいる雰囲気を感じながら、紗代子は風呂に入った。今日はたまたま1人で、浴場が妙に広く感じる。

ゆったりと湯船に浸かっていると、昨夜の事が自ずと思い出された。

背中に回った太い腕に、熱を持った身体。子供とは言えない力強い抱擁に、またドキドキが紗代子を襲う。

熱を孕んだ黒い瞳が、未だに彼女の心を揺らしていた。今だって、彼女の耳にはまだ甘い響きがこびり付いている。

あんなに優しい眼差しを貰える資格が、自分には無いというのに。

年齢を理由に卑怯に断って、それでもまだ彼は紗代子を見つめているのだ。今日も実際に何度も目が合った。その度に緩められる目元に、ドキリと心臓が跳ねたのは事実だ。けれど、それを認められない自分がいるのも本当。

「あー……」

喉から漏れ出た無意味な音が、浴場内に反響する。

──私って、こんな人間だったっけ?こんなに優柔不断なつもりはなかったのにな……。

弟のサッパリとした性質が、今は羨ましい。そんな風であったなら、こんなに思い悩まずに済むというのに。

しかも孤爪にまで察されていたとは思いもよらなかった。さすが音駒のセッターだ。観察眼が鋭過ぎる。

頭がカッカッしてきたところで、紗代子は慌てて風呂からあがった。危ない、考え過ぎて湯あたりするところだった。

ドライヤーで軽く髪を乾かし、ペットボトルの水を自販機で購入した。そのまま夜風にあたろうとプラプラ渡り廊下を歩いていると、第3体育館に辿り着いた。中からは元気な木兎の声が聞こえる。

しかし、そろそろ切り上げないと食堂が閉まってしまう。紗代子はヒョイッと体育館の中を覗き込んだ。

室内には木兎に赤葦、月島、それに黒尾がいた。さっきまで考えていた相手がいたものだから紗代子は一瞬躊躇ったが、彼らが夕食を食いっぱぐれてはならないと意を決して声を掛けた。

「そろそろ終わらないと食堂閉まっちゃうよ」

その言葉に、4人が一斉に紗代子の方を向いた。

「あ、紗代子サン」

「え!?マズイ!撤収だあかーし!」

「そうですね」

ワタワタと片付けを始める彼らを、紗代子も手伝った。

体育館の扉を閉めようと紗代子が出入口に立っていると、タオルやサポーターを片手にぶら下げた木兎がテクテク近付いて来た。と思ったら、ペタッと空いてる方の手の平を紗代子の頬に引っ付けた。

「!?」

紗代子含め、その場に激震が走る。赤葦がちょっと顔を青くしたのが、紗代子の視界の隅に見えた。

「木兎さん!?何してんですかアンタ!」

「ぼ、木兎くん?」

「すげえ顔赤いからねっちゅーしょー?かと思った!けど違ったな、良かったー」

カラッと笑ってそう言われたものだから、紗代子はポカンとしてしまった。多分、心配された、のだろう、おそらく。

驚きで固まる紗代子の頬に引っ付けられたままの手を、ベリッと剥がす人間がいた。黒尾だ。

「ちょーいちょいちょい。うちの大事な人に何してんの?」

「だって、ねっちゅーしょーってヤバいんだろ?それだったらマズイなーと思って」

「それにしたって急に触るのはダメですよ木兎さん!セクハラです」

黒尾の介入にハッと我に返って慌てて寄ってきた赤葦が、さすがに眉を顰めて苦言を呈した。すると木兎もマズイ事をしたと感じて、ゲーン!とショックを受けた顔になった。

「え!?セクハラ!?」

「はい」

赤葦の頷きにワタワタと木兎は紗代子の方を向いた。その眉はヘニョリと弱々しくハの字になってしまっている。

「ゴメンナサイ……」

「や、大丈夫だよ。びっくりしたけど、心配してくれたんでしょう?平気だよ」

紗代子のフォローに、木兎はみるみる内に元気になった。「あかーし!」と思い切り赤葦へ振り向き。

「大丈夫だって!」

「よ、良かったですね」

テンションの乱高下に、さすがの赤葦も若干疲れ気味に対応した。

一方、ハァ、と溜息を吐いて木兎の手を離した黒尾は、「じゃあさっさと出ますかね」と全員を外に促した。

意気揚々と食堂に向かう木兎と彼に連れて行かれる赤葦の後ろで、黒尾は体育館の扉を閉めた紗代子をクルリと振り返った。

「紗代子サン」

「何かな?」

相変わらず優しい笑みを湛える口元に、紗代子はちょっぴりドギマギしながら応答した。

「大丈夫なんですよね?顔が赤いのは本当なんで」

原因が目の前の彼にあるとは嘘でも言えない。紗代子は無難に「長くお風呂に浸かり過ぎただけだよ」と答えた。

「それなら良いんですケド。ちゃんと水飲んでくださいね」

そう言って、黒尾は食堂へと歩いて行ってしまった。

 

次の日、合宿3日目の夜。紗代子は衛輔たちの自主練習に付き合っていた。内容は主に灰羽のレシーブ練だ。黒尾や衛輔の考えとしては、できるだけ早く彼を実戦で使い物にしたいとの事で、誰よりも容赦無く扱かれている。お陰で、灰羽は毎晩床に這い蹲る程ヘロヘロになっているという訳だ。

今日も今日とて、衛輔による特別授業は行われており、灰羽は既に汗だくだ。紗代子は、あらぬ方向へ飛んで行くボールを拾い集めるためにコート中をあっちこっち走り回っていた。案外嵩張るボールは、両手でも3、4個持つので精一杯だ。しかし、それらを拾っている間にもどんどんボールはすっ飛んで行く。

「危ない!」

ボールを拾うために屈んだ紗代子に飛んで来た声に息を呑む。顔を上げたと同時に、バシッ!という大きな音が視界に入って来た手の平から響いた。

「紗代子さん、大丈夫ですか?」

海だった。ギリギリで助けてくれたらしい。

「うん、ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

穏やかに微笑む海の後ろでは、灰羽が衛輔から思い切り叱られていた。

「まあまあ、休憩にしよう」

海が仲裁に入り、休憩に入る事になった。のだが。

「……あ?リエーフどこ行った」

気付けば、灰羽がいなくなっていた。あの高身長で目立たずいなくなるとは、実は忍者の素質があるのでは、と紗代子が考えている横で、衛輔は「アイツ……逃げたな」と唸っていた。

「海、探しに行くぞ」

「まあ、今日はもう良いんじゃないか?夜久は夜久で自分の練習したいだろ」

「そりゃそうだが……」

納得いっていないながらも、衛輔は渋々灰羽の捜索を諦めた。灰羽の気持ちも分かる紗代子からしたら苦笑するしかなかった。

その後しばらく自主練習を行い、衛輔たち音駒メンバーは夕食を取ることにした。ちなみに、孤爪はとっくの昔に体育館から姿を消している。

「紗代姉、今日の晩飯何?」

「野菜炒めだよ」

「やった!」

好物が出た衛輔が心底嬉しそうに笑う。その顔は小さい時から変わらなくて、いつまでも子供だな、なんて思ってしまう。

和気藹々と食事をし、風呂に入るために階段の踊り場で解散となった。男女の部屋は階が違うのだ。

「紗代姉さぁ」

階段を降りていく衛輔が、ふと紗代子を振り返った。

「なあに?」

「何かあった?」

小首を傾げて問われたその内容は漠然としているものの、何かあった事は確信を持っているような響きだった。この弟には、昔から誤魔化しが効かない。嘘もすぐに見破ってしまうと分かっている。

「そう、だね。あった事は、あったよ」

だから紗代子は、あえて茫洋とした答えを返した。何も具体的な内容の無い返答に、衛輔は「ふうん」と言った。

「前みたいに、苦しい訳じゃねえんだな?」

それは違う。あの時の苦しみは、今は感じていない。

紗代子は今度はしっかりと頷いた。

「なら良い」

と衛輔は言って、そのまま今度こそ階段を降りて行った。

 

合宿4日目は相変わらずの暑さの中過ぎていった。いつの間にか月島がどこかスッキリした顔になっていて、それを遠目に見つけた紗代子はホッと胸を撫で下ろした。もう溺れていないんだな、と思った。何か足掛かりを見付けられたのならもう大丈夫だ。

次の日の夜、恒例の女子会の途中、唐突に白福が言った。

「アイスが食べたい」

それを聞いたらもうダメだった。夜だって、昼よりマシだが暑いのだ。こうなったらしょうがないと、全員で近くのコンビニにアイスを買いに行く事にした。

皆でキャッキャと賑やかに校門へと歩いていると、ちょうど第3体育館からゾロゾロ出てきた高身長組と日向に行き合った。

「飯ー!腹減ったー!」

と日向と灰羽、木兎が風の様に駆け去って行くのを見届けていると、月島と赤葦、黒尾が歩み寄って来た。

「あれ、皆さんどこに行かれるんですか?」

赤葦が聞くと、白福はウキウキしながら「アイス買いに行くんだ〜」と言った。

「え?今から?」

「消灯時間までには帰るよ、大丈夫!」

雀田がグッとサムズアップすると、黒尾が「女子だけじゃん」と口を挟んだ。

「明日の練習後に行ったら?」

「えー?」と不満の声が白福から上がる。マネージャーたちは皆、今アイスが食べたいのだ。紗代子も同じ気持ちだったため、

「私が同行するから大丈夫。ほら、大人だから」

と言った。チラ、と紗代子を見た黒尾は「女子なのは紗代子サンも同じでしょーが」と苦笑しながら溜息を吐いた。

「俺行ってくるわ。赤葦と月島は先に飯食っといて。木兎にはテキトーに言っといてね」

「分かりました」

月島と赤葦は頷いて踵を返した。黒尾は「さあて」とこちらを振り向いた。

「親切な黒尾くんが護衛してあげるんで、サクッとコンビニ行きますかー」

「いえーい」

ノリの良い宮ノ下が笑い、そのままそぞろ歩きでコンビニへ向かった。

各自好きなアイスを選び、紗代子が会計を引き受けた。他のメンバーは遠慮していたが、紗代子は「皆頑張ってるから、ご褒美ね」と笑って譲らなかった。

買ったアイスを食べながら帰路に着く。温い風が時折吹く中で、冷たいアイスがとても美味しく感じる。

マネージャーたちが前を歩き、何となく紗代子は列の1番後ろにいた。横には黒尾が歩いている。

無言で2人、歩いて行く。シャクシャクと、紗代子の隣で黒尾が棒アイスを齧る音が聞こえる。紗代子もチビチビとチョコアイスを舐め齧っていく。濃い甘さが疲れた身体に嬉しい。

「紗代子サンは何食べてるんですか?」

「パームだよ。この濃いチョコが好きなの。黒尾くんは?」

「ガジガジ君ソーダ味」

「それも美味しいよね」

「食べます?」

ヒョイッと差し出されたスカイブルーを前に、紗代子はしばし逡巡したものの、思い切って齧り付いた。シュワッと爽やかな酸味が口内で弾ける。

「ありがとう、こっちも美味しいね」

紗代子がそう言って黒尾を見ると、彼はびっくりした顔をしていた。何故だろう。紗代子が首を傾げていると、黒尾は自力でハッと我に返った。

「お、美味しかったなら良かったデス」

何故だか動揺している彼に、1口貰ったお礼はせねばなるまいと、紗代子は自身の持っているアイスを差し出した。

「黒尾くんのアイス貰ったし、良かったら食べる?」

「エッ?い、良いんですか?」

更に動揺する黒尾へ紗代子が頷くと、彼は意を決したかの様に口の端をキュッと締めた後、

「……いただきます」

と身を乗り出してアイスの棒を持つ紗代子の手の上から己の手を添えた。

「!?」

思わず立ち止まり、紗代子が動揺している間にも彼女のアイスは齧られ、自分の口の端に付いたチョコを彼は舌で舐めとった。それがやけに艶めかしくて、彼女は目が離せなかった。そのまま顔を上げた黒尾と視線がぶつかる。

「黒尾、くん」

スイッと黒尾の端正な顔が近付き、紗代子はギュッと目を閉じた。そして感じる、己の口の端を何かが舐める感覚。紗代子の唇ギリギリの所を、黒尾の舌が舐めたのだ。

驚いてパッと瞼を開けた紗代子の視界いっぱいに広がる、目の端を赤く染めた黒尾の顔。

「──チョコ、付いてたんで」

低く甘い囁きは、まるで手の中のチョコレートの様で。

紗代子はそれからどうやって女子会を乗り切ったのか覚えていない。

ただ握られた手の熱さだけは、ハッキリと残っていた。

 

合宿も最終日前日。食事の準備もあとは今日と明日の朝食のみということで、1日かけて片付けをしていく事になった。

予め役割分担をしておき、少しずつキッチンを片付けていく。全体練習が終わる頃には粗方片付け終わる事ができて、紗代子はひとまず安心した。

今朝からの自分の挙動不審さはよく分かっていた。マネージャーたちにも体調不良を心配されてしまった程だ。とりあえず今日1日を乗り切る事ができて良かった、と紗代子は1人胸を撫で下ろしていた。

恒例の女子会の後、最後の夜だからと紗代子はまた散歩に出る事にした。マネージャーたちにもその旨を告げて女子部屋を出る。

今夜は風が涼しい、と感じながら紗代子が校門を出て階段を下っていると、後ろから靴音がした。

「紗代子サン」

振り向くと、髪が下りた黒尾がそこに立っていた。月光が緩く微笑む彼の顔を照らしている。

「散歩ですか?」

「うん」

「俺も、一緒に行っても良いですか?」

紗代子はただ頷いた。

月明かりに照らされる道を、2人並んで歩く。どちらも何の言葉も発しない。

口を開いたら心臓が出てきそう、と紗代子は思っていた。それくらい、この時間に対して緊張していた。

紗代子が初めて曲がる角を行くと、黒尾も黙ったまま付いてきた。そのまましばらく歩くと、少し大きな川べりに出た。

「紗代子サン、ちょっと座りませんか?」

土手を下る階段を指差して、黒尾は学校を出て初めてそう言った。

「良いよ」

紗代子の頷きを見て、黒尾は嬉しそうに笑った。

階段を数段下った場所に2人揃って腰掛ける。

黒尾から誘ったものの、彼はしばらく言葉を発さずにいた。膝に片肘をついて、その手の平に顎を置いて流れる川を見つめるその様子は、歳下ながらにキマっていて、紗代子は思わず彼の横顔を見つめていた。すると、不意に黒尾は流し目で彼女を見た。

「……見とれてました?」

ニヤリと笑う口角に、紗代子の頬がパッと赤くなる。咄嗟に視線を逸らしたが、きっと見られてしまっただろう。その証拠に、横からクツクツと楽しそうに喉の奥で笑う音が聞こえている。

「見とれてない。見てただけ」

川に視線を固定して紗代子が言うと、「見とれてるじゃないですか」と黒尾はハハッと笑った。

「ね、紗代子サン」

「……なあに」

「拗ねてないで、こっち向いてくださいよ」

「拗ねてなんか、」

乗せられる形で、バッと黒尾の方を振り向いた紗代子は息を呑んだ。からかう声音とは全く違う、優しく微笑む彼がそこにいた。その瞳は明らかに紗代子だけを見つめていて、彼女は心臓がドッと跳ねるのを感じた。

「紗代子サン、お願いがあるんですケド、良いですか」

「な、何かな」

黒尾は座ったまま動揺する紗代子の方に身を乗り出して、彼女の顔を下から覗き込んだ。いたずらっぽく笑いながらも、黒尾の目は真剣な色を帯びている。

「俺を見て」

「え……?」

ポン、と投げられた言葉に、紗代子は驚いた。どういう事だろう。

彼女がパチパチと瞬きしていると、黒尾はその笑みを少し違う物に変えた。その眉はほんのり苦しさに寄っている。

「紗代子サンはさ、大人とか子供とかでしか見てくれないじゃないですか」

紗代子は何も言えなかった。それが卑怯な言い訳だと分かっていたから。

「そうじゃなくて、俺自身を、『黒尾鉄朗』を見て欲しい」

切なげに揺れる瞳の奥まで、紗代子には見えてしまった。そこに確かにある強い想いが、彼女の心を貫いた。

強い鼓動がずっと、紗代子の胸の内側を自己主張する様に叩いている。その意味を、彼女は必死に考えないようにしていた。

「──ねえ、紗代子サン」

黒尾が座っている紗代子のすぐ側に手を付いた。既に赤い彼女の顔が更に熱を持つ。ゆっくり近付いて来る黒尾の瞳から目を逸らせない。

どうしようどうしようと紗代子が混乱している間に、互いの鼻先が触れ合う距離まで来てしまった。黒尾の吐息が、紗代子の唇にかかる。

「……っ」

耐え切れずにギュッと目を閉じる。しかし予感した感触も温もりも、いつまで経っても訪れない。ソロリと紗代子が目を開けると、先程と同じ距離にまっすぐな黒の瞳があった。

「!」

ヒュッと紗代子が驚きに息を呑むと同時、黒尾の額がコツリと彼女のそれにくっついた。

「──何を、想像したんです?」

笑みを含んだ声音に、身体までカッと熱くなる。彼の余裕や艶やかさは、恋愛経験の少ない紗代子には毒だ。

そんな彼女の熱は、合わせた額を通じて黒尾にも伝わって来ていた。

明らかに余裕の無い、歳下の自分に翻弄されているその姿は、黒尾の背筋をゾクゾクさせていた。けれど、それを味わう余裕もまた、彼には無い。これでもいっぱいいっぱいなのだ。

合宿初日以降、紗代子が黒尾を異性として意識し始めたのは手に取る様に分かった。目が合う度にパッと逸らされるのだがら、黒尾じゃなくとも察せられたかもしれないが。

至近距離で香る彼女のシャンプーの匂いは、黒尾の理性を秒ごとに削っていく。さすがに野蛮な姿は見せたくない。それこそ子供のする事だ。

「紗代子サン、俺の事、意識してくれてるんデショ?」

「あ、う……」

紗代子の口ははくはくと動くだけで、無意味な音しか紡がない。

──意識だなんて、そんなの、してしまうに決まっている。

異性としてではないが、元から好意的に見ていたのだ。そこへ合宿初日の告白があったものだから、意識しないなんてどだい無理な話だ。しかも合宿中より接触するタイミングが増えた気がする。目が合ったり、話し掛けられる事が増えたのはもちろん、皿の受け渡しの時に指先に触れられたり、話す時に近くに立っていたりした。

「ねえ、俺のお願い、聞いてくれますか?」

「紗代子サン」と紡ぐ声はドロドロに甘い。低く滑らかな彼の言葉は、紗代子の耳に流れ込んで彼女の心中をぐちゃぐちゃに掻き回す。

心臓がはち切れそうな程にバクバクと音を立てている。お願い、なんて言っているが、彼は紗代子が了承するまで離れてくれないだろう。本能でそれが分かったから、彼女はようよう声を絞り出した。

「わ、分かった……。黒尾くんを、見るよ」

真っ赤な顔に弱々しい声でそう言った小夜子に、黒尾の胸は歓喜で爆発しそうだった。

可愛い。嬉しい。今すぐ抱き締めたい。

色んな思いが同時に彼に襲い掛かり、動こうとする身体を残る理性を総動員して何とか留まらせた。

「ん、ありがとうございます」

黒尾は微笑み、紗代子の昨夜チョコが付いていた唇の端を己のそれで掠めながら身を離した。

紗代子は首筋まで真っ赤にしてカチンコチンに固まっている。

その姿も可愛いな、と黒尾が思いながら見守っていると、ギギギ……とぎこちなく彼女は両手で顔を覆った。

「……私、大人なのに……」

──まだそんな事に拘ってるんだ。それが建前だって、こっちも分かってんのに。

「さーよこさん」

ポン、と彼女の頭を己の手を乗せると、黒尾の手の平に彼女がビクッと震えたのが伝わった。

「大人とか子供とか、そういうのは一旦置いといてねーって話をね、さっきしたつもりなんですケドー」

「うぅ……」

ベージュのカーテンの向こうから、小さく呻き声が聞こえた。分かってはいるらしい。

ぽふぽふと軽く形の良い頭を撫でる。サラサラとした髪が揺れるのをなんとはなしに眺めていると、不意に紗代子がその顔を半分だけ上げて恨めしげに黒尾を見上げた。

「……黒尾くんの方が大人な気がする」

上目遣いになってるのかーわいー、なんて思いつつ、黒尾は「そんな訳無いデショ」と笑った。

「余裕そうに見える」

「そう見せるので精一杯なんデスヨ」

「本当かなぁ」

はーあ、と紗代子は大きく溜息を吐いた。7つも歳下の男の子に振り回されている自分が不甲斐ない。本当に大人になりきれない。子供にも戻れないのに。

「紗代子サン」

髪を撫でていた黒尾の手が、するりと下に降りて顔の下半分を覆っていた紗代子の手を取った。

「一緒に帰りましょ」

「──うん」

黒尾に手を引かれて立ち上がり、来た道を歩く。行きと同じく2人並んで、行きと違ってゆっくり足を動かした。

振り払えないまま繋いだ手が全てを物語っていると、紗代子だって本当は分かっていた。




第6話です。
あいみょんの「裸の心」と「マリーゴールド」を聞きまくりながら書きました。個人的にはアオハル感マシマシ甘さ追加トッピングでお送りしたつもりですw
黒尾って何であんなにエロいですかねー(唐突)
そのエロさを何とか表現できてたら良いんですが。
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