夜久衛輔の姉が青春小説を完成させるまで   作:細雨

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第8話

11月17日。東京都代表決定戦当日。

宮城県でも代表決定戦が行われるこの日、紗代子の姿は墨田区総合体育館にあった。周囲には黒いインナーに揃いの赤いシャツを合わせた人々がいる。音駒の応援団である。以前と同じ様にアリサやあかねと挨拶すると、最前列に連れて行かれた。

「前は1番後ろにいたでしょう?今日は一緒に見たいと思っていたんです」

アリサがニコッと微笑み、あかねもうんうんと何度も頷いた。紗代子は今回は2人の好意に甘えて、最前列で応援する事にした。

アリサ、あかね、紗代子の順に立ち、選手たちが登場する前のコートを見つめる。

紗代子はマネージャーではない。普段どれ程マネージャー業務を手伝っていても、それは変える事はできない。だから、彼女は猫又や直井と共にベンチで選手たちを見守れない。その代わり、こうしてできるだけ近い所にいる事にしたのだ。

そうこうしている内に、音駒と梟谷の選手たちがコートに登場した。主審の笛で両チームのキャプテンが握手を交わし、それを合図に梟谷の応援席から華々しいラッパの音とチアガールたちや梟谷の生徒たちの梟谷コールが響く。しかし音駒も負けてはいない。

「行ーけー行ーけーねーこーまー!!」

あかねが背負った拡声器を通して音頭を取り、応援団はメガホンをガンガンと叩いて「行け行け音駒ー!!押せ押せ音駒ー!!」と声を出した。もちろん紗代子もしっかり声出しに参加する。

「相変わらず気合い入ってんなー!お前の妹!」

衛輔が笑って言う横で、山本が「いつもスンマセン……」と手で額を押さえた。

「おかげで梟谷の応援にも負けてないな」

と、海がいつも通り穏やかに続けた。そして衛輔は「がんばれ、レーヴォチカー」と歓声を上げてあかねの隣に立つアリサに視線を剥けた。

「相変わらずリエーフの姉ちゃんめっっっちゃ美人!!」

「でしょー!」

嬉しそうに胸を張る灰羽の隣で、海が「紗代子さんも、今日は最前列にいてくれてるんだな」と微笑んだ。

「そうみたいだな」

「うちはうちで華やかな応援席ですこと」

主審の元へ行っていた黒尾がチームに戻ってきたところで、公式ウォームアップが始まった。時間が経つにつれ、否が応でも緊張感が高まってくる。

そうして。

『ねあいシァース!!!』

ついに東京都代表決定戦準決勝の火蓋が切って落とされた。

試合は梟谷の猿杙のサーブから始まった。しかし強烈なジャンプサーブは衛輔の正面。危なげなくボールをディグし、それを孤爪がフワッと上げて黒尾が決めた。

「いぞいぞ音駒ー!押せ押せ音駒ー!!」

しかし、次の山本が打ったサーブは木葉に拾われ、赤葦が上げて木兎が思い切り海の手に当ててブロックアウト。宙を飛んだボールはあかねの手の中にバシッと収まった。

会場中が歓声を上げる。試合は、初っ端から熱く熱く始まった。

跳んで上げて拾って打って、また拾って。ブロックして弾かれて繋げて。

善戦しているものの、音駒は徐々に梟谷に点差を広げられている。あかねはそれを「整えているところ」だと言った。不思議そうなアリサの反対隣で、紗代子はキュッとバーを握り締めた。不安はもちろんある。けれど、衛輔の瞳が生き生きと輝いているのを、紗代子は確かに見た。だから彼女は信じているのだ。自分の弟を、弟のチームを。

1度目のタイムアウト明け。繋いで繋いで、ついに黒尾が木兎のストレートをどシャットした。その勢い、その気迫に紗代子は痺れた。

──かっこいい。

素直にそう思った。自分には無い熱を持つ黒尾から、紗代子は目が離せなくなった。

あの大きな身体で、しなやかに跳んで動いてブロックして。その黒と赤に、魅了される。

合宿で練習していたジャンプサーブも良い地点に打てている。すごい、と紗代子が思った時、孤爪が上げたボールを灰羽をびっくりする程元気良く空振った。

夢かな、と紗代子が一瞬現実逃避した横で、アリサが真っ赤な顔を手で覆った。

「ごめんなさいい〜〜!!」

「たっ、たまにっ、たまに国際試合とかでもこういうことあるしっ、大丈夫だよっっ」

あかねがフォローする中さすがに音駒が取った2回目のタイムアウト中、灰羽は孤爪から凄い顔で注意されていた。自業自得である。

ちなみに第1セットは灰羽のサーブミスで梟谷が取った。しかし、猫又の顔は全く厳しくない。平常通りに見える。つまり、悪くないセットだったという事だ。

第2セットも始めから繋いで拾っての試合になった。梟谷がどれ程打っても、リベロの衛輔を始めとするレシーバーたちが拾い続けるのだ。

それでも。

全国で3本指に入るスパイカーたちに近いエースを擁する梟谷は強かった。皆が皆力を出し尽くした。全ての知力を注ぎ込んだ。応援も全員が全力だった。だが、それでも。

──ダンッ

無情にも、ボールが床に落ちる音と響くホイッスル。紗代子の手が、無言で握り締めていたバーから滑り落ちた。

これで終わりでは無い。まだもう1試合ある。けれど、負けた事は事実。

インターハイで負けた時よりも辛い。紗代子はグッと眉を寄せて泣きそうになるのを耐えた。

コートには、音駒と梟谷の選手と交代で違う学校の女子選手たちが入場して来た。音駒は後程、井闥山学園か戸美学園のどちらか負けた方と最後の東京都代表枠を賭けて戦う事になる。

悔しそうなあかねやアリサと共に座席に腰を下ろした。

「……やっぱりすごいね」

コートを見つめながらポツリと零した紗代子の方を、あかねたちは見やる。悔しそうで苦しそうな横顔は、それでもどこか憧れに近い色が感じられる。

周囲が昼食を取りに歩き出す中で、3人がいる空間だけは静かだ。

「合宿とか合同練習でも負ける事は多くて、でも勝ってる事もたくさんあったの。……それでも、あんなに頑張っても、勝てない。音駒は十分に強いのに」

「紗代子さん……」

あかねが気遣うように、膝の上で握り締められていた紗代子の手に己のそれをそっと重ねた。その温かさに、紗代子は申し訳なさそうに微笑んだ。

「ごめんね、あかねちゃん。気を遣わせちゃった。まだ1枠残ってるもんね」

「そうですよ!まだ終わってません」

山本そっくりにニカッと笑うあかねに、紗代子も少し心が軽くなった。

彼女は鞄を持って立ち上がって、あかねとアリサの方を向いた。

「良い天気だから、外にお昼ご飯食べに行こう。お弁当作ってきたの、一緒に食べよう。午後も全力で応援しないとね」

あかねたちは嬉しそうに頷いた。

 

墨田区体育館の外にはいくつかベンチがあったため、たまたま空いていたそこに腰掛けて、紗代子は持って来ていた弁当を広げた。

「うわぁ、美味しそう!」

「すごく綺麗なおにぎりね」

あかねとアリサの瞳が輝く。

2段になった弁当の下の段にはラップで包まれたおにぎりが綺麗に整列しており、上の段には卵焼きや牛しぐれ煮などおかずが詰め込まれていた。

いただきます、と手を合わせて3人で箸を持つ。「多めに作ったからたくさん食べてね」と言う紗代子に、

「いつも作ってるんですか?」

とアリサが卵焼きを頬張りながら聞いた。

「ううん、土曜日だけ。もりすけくんのお弁当と一緒に作ってるの」

「今日も?」

あかねが左手におにぎり、右手につみれを挟んだ箸を持ちながら聞いた。そんな彼女へ頷き、

「うん。こっちに入ってるおかずを中に入れたおにぎりを何個か渡してあるよ」

「それはそれで美味しそう!」

テンションを上げるあかねに、紗代子は優しく微笑んだ。こんなに可愛い妹がいて山本くんは羨ましいな、と。

楽しくおしゃべりしながらも素早く昼ご飯を食べ終え、3人は応援席に戻ってきた。

 

東京都代表の最後の1枠を争う相手は、戸美学園。向こうは向こうで気合いを入れているだろう。

『ねぁいシャース!!』

「声出してこー!!!」

あかねの拡声器を通しての一声に、紗代子も応援団と一緒に「おー!」と拳を上げた。

東京都代表決定戦、試合開始。

最初の1点目は戸美学園が取った。それを見ながらアリサがあかねに「戸美ってどんなチームかわかる?あかねちゃん」と聞いた。

「うーん……ここ何年かは対戦してないからな〜」

そう言いながら自らの鞄をゴソゴソと探っていたあかねは、1冊のノートを取り出した。それを開きながら、彼女は言葉を続ける。

「黒尾君は戸美のキャプテンと昔から知り合いで、会うと小競り合いが起きるってお兄ちゃんが言ってた。あかねリサーチでは、プレースタイルは堅実、音駒と同じく粘って粘って、相手の自滅を誘うってかんじかな」

よく調べている。紗代子は研究熱心なあかねに感心した。兄がやっているからというだけではこんなに分析できない。彼女もバレーが大好きなのだろう。

そしてその言葉通り、戸美もよくボールを上げた。もちろん音駒も繋いでいるが、先程あかねが言っていた「粘る」という意味が分かるプレーだ。

そんな中、山本が上げたボールを福永が決めた。

「お兄ちゃんナイスレシィーブ!!」

「ナイスキィー!!」

応援席で喜ぶ姉と妹を余所に、相手を声を上げて煽る山本が主審にジロッと睨まれていた。先程の主審はそうじゃなかったのにな、と紗代子は思った。人によってやはり微妙なラインが違うのだろう。さっき戸美のキャプテンが見せた爽やかな謝罪の方が好感が持てるからだろうか。

音駒が中々波に乗れない内に事件が起きた。レシーブのために前に出た山本の左顔面にスパイクがバヂィッと直撃したのだ。あかねが息を呑んだ音が、紗代子には大きく聞こえた。

すぐに山本にコート内のメンバーが駆け寄り、状態を確認している。山本自身は手を振っているから、おそらく大事無いのだろう。

「大丈夫……みたい……だね?」

「……うん」

「相手の人、ちゃんと謝ってる……スポーツマンだね」

「……うん……」

「大事無さそうで良かった」

「うん……っ」

紗代子がそっとあかねの頭を撫でると、彼女はその小さな肩をフルリと一瞬震わせた。

バレーボールという競技は怪我と共にある。常に床に突っ込んでいくし、とんでもない速度のボールを手で止めたり腕で受け止めたりするからだ。足だって、走って跳んでと負荷がかかっている。小さな擦り傷は毎日の様にできる。しかし、分かっていても怪我は怖い。何かある度にどんな風にどこを怪我したのか、今後に影響は無いのか確かめずにはいられなくなる。今の山本も、現状大丈夫でも今日1日は少なくとも気を付けておかなければならないだろう。そんな事、あかねは分かっているだろうけれど。

そんな山本はちょくちょく戸美の選手から声を掛けられている。知り合いなのかとも思ったが、ここしばらく対戦はしていないとあかねが言っていた。となれば、煽られているのかも、と紗代子は考えた。練習試合中でも特に黒尾が木兎相手にじゃれ合いの様な煽りをしていたから、そういうターゲットに山本がなっているのかもしれない。

その時、ブロックアウトしそうなボールを何とか山本が上げた。その上に上がっただけのボールを、飛び込んだ衛輔が拾って相手コートに入れた。ボールは何とか戸美が返したところを灰羽がダイレクトで決めたが、紗代子はそれどころではなかった。

ギャラリースペースに突っ込んだ衛輔が、不自然な動きをしている。

──足が。

直感で紗代子には分かっていた。けれど、脳が理解を拒否した。

「もりすけ、くん……!」

思わず後退り、ガタタッと椅子にぶつかる。

嫌だ、と思った。何で、今なの。

紗代子の視界の中では、止める山本を押し退けてコートに戻ろうとした衛輔の顔が歪んでいる。すぐに犬岡と直井がその肩を支えた。

アイシングに向かう衛輔が黒尾と海を振り向いた。

「悪い……!」

「夜っ久んにはいっつも面倒かけてるんでね。たまにはベンチから音駒の勝利を見るのも良いんでないの?」

「心配するな。全国大会までのちょっとした休憩だ」

しっかりと穏やかな声音で告げる2人を、衛輔は唇を噛んで見つめてからコートから連れられて行った。キュッと黒尾と海の顔が締まる。

蹲るあかねの隣のアリサが、自分を気遣わしげに見ているのは、紗代子は気配で分かっていた。けれど、視線は衛輔から離せずにいた。

「紗代子さん……」

「──小さい怪我はいくつもあったの」

アリサの呼び掛けに気付かず、紗代子は零す様に呟いた。その目は涙の膜を張りながらも、ずっとコートの外に向けられている。

「バレーボールが怪我が多い事も、音駒に通う前から知ってた。でも、もりすけくんは擦り傷とか打撲以外、怪我も病気も無くて……。私、大丈夫だと勝手に思ってた。そんな保証、どこにも無いのに……っ」

ギュッ握り締めた手の平に爪が食い込むのが自分でも分かる。でも、衛輔はもっと辛いだろうと紗代子は分かっていた。ずっとコートに立っていたのに、今、そこに彼はいない。

音駒の守備の要が、いないのだ。

再開した試合で、明らかに代わりに入った芝山が狙われた。彼とて実力はある。紗代子もそれは知っている。けれどやはり、衛輔とは違うのだ。

ふと、処置を受ける衛輔と目が合った。泣きそうな紗代子に気付いた彼は、一瞬しょうがないなぁという風に少しだけ微笑み、それから力強く頷いた。

ハッとした。衛輔は音駒のメンバーを信じている。コートにいられないのはもちろん悔しいだろう。けれど、それでも衛輔は自分の仲間を信じているのだ。ならば、紗代子が勝手に絶望してはいけない。

彼女は指先で目尻に溜まった水分を拭ってコートに向き直った。

そこには、緊張で固い顔になっている芝山の背を励ますように叩く黒尾の姿があった。きっと彼だって悔しい筈だ。しかし今は音駒の一員として、キャプテンとしてチームを纏めなければならない。いつもより締まった、焦りも動揺も見えない黒尾の顔を、紗代子は頼もしく感じた。

「──夜久くんは、技術があるだけじゃないの……守備の司令塔なの……。『護りの音駒』のエースみたいな人なの。お兄ちゃん、絶対3年生と全国行くって言ってた。これが最後のチャンスなのに……!」

揺れるあかねの声は、先程応援していた時の物とはかけ離れている。弱々しくバーに凭れて項垂れる彼女に、紗代子はそっと寄り添った。

「……全国大会の1回戦」

試合を見つめるアリサが不意に喋り始め、あかねと紗代子は彼女の顔を見上げた。

「初戦からエースが怪我で離脱。その状態で全国制覇したチームを、たまたまテレビで見た事があるよ。感動したからよく覚えてるの」

「…………春高63回大会だね……」

ゆっくり顔を上げて言ったあかねに、アリサは少し慌てて「あっ、そっ!?そこまではわからないけどっ」と言ってから「あの、つまりね」と続けた。

「『希望』も『可能性』も、いつだってあるものよ」

「「……!」」

その穏やかな顔と信頼に溢れる綺麗な笑みに、あかねも紗代子も胸がキュッとなった。そうだ、自分たちが信じなくてどうする、と。自分たちが全身全霊で彼らを応援しなくてどうする。

「応援がんばろ」

「「……うん!」」

笑って拳を上げるアリサに、あかねと2人で力強く返事をした。

視線を戻したタイムアウト中、集まった音駒メンバーに向けて黒尾がニッと笑ったのがよく見えた。

タイムアウト明け。芝山はコート上にいなかった。リベロは入るのも入らないのも自由だ。孤爪に考えがあるのだろう。

戸美のサーブで始まったラリーは、より気合いの入った灰羽のスパイクによって音駒が取った。次は灰羽のサーブだ。何とか入ったそれを戸美の選手が上げて、アタッカーが腕を振り。

「──どシャーーーーーット!!!」

黒尾の腕が完全にそれをブロックした。あかねが素晴らしいプレーにときめくのも理解できる。事実、黒尾のプレーに紗代子の胸は高鳴った。

これでお互い同点。バレーは20点に乗ってからが難しい。相手に2点差を付けなければ勝てないからだ。それがバレーの面白い所であり苦しい所でもある。

その後音駒が1点を取ったが戸美に2点を取られ、戸美のセットポイントとなった。

「1本カットォー!!!」

サーブは戸美のキャプテン・大将。そしておそらく、狙われているのは芝山だ。

ジャンプサーブで勢い良く繰り出されたボールを、けれど芝山は綺麗にディグした。衛輔の様な、静かで確かなレシーブ。それを黒尾がクロスで決めて、音駒がデュースに持ち込んだ。

お互い点数が25点になっても、バレーボールは終わらない。ここから2点差をつけなければならない。26点で並び、孤爪がツーでボールを相手コートに入れて27点。

きっとそれで、ほんの少しだけ煽られた。試合終盤、疲れてきたところに大胆にツーで決められて、戸美のセッターのプライドが擽られた。そうして孤爪の様に先島がツーで入れようとしたそのボールを、手を伸ばした灰羽がちょうどブロックした。しかし落ち切らない。相手も必死だ。

チャンスボールとして山なりに返ってきたボールを山本がレシーブし、そこに灰羽が勢い良く入って来る。ボールを上げた山本もそこに加わり、孤爪がボールをフワッと上げ。

──ドオッ

後ろから跳んで来た黒尾が、華麗にバックアタックを決めた。

紗代子は驚きに目を見開いた。

初めて見る、黒尾の速攻のバックアタック。もちろん普段の練習から孤爪がバックアタックを時折使うのは知っていた。しかし、公式試合でそれを見た事は無かった。それを、この場面で入れてくるのか。

本当にすごい。孤爪ももちろん、それを決める黒尾も。

無事に第1セットを取れてホッとしたのと同時、ベンチに向かう黒尾とバチッと視線が合った。

「!」

ふっと眦を緩めた黒尾は、そのままチームの元へ歩いて行った。

跳ねた心臓のまま置いてけぼりにされた紗代子は、一瞬で赤くなった頬を抑えて蹲った。横で喋っていたあかねとアリサが不思議そうに首を傾げたが、紗代子はそれどころではない。すぐに第2セットが始まるのだ。何とか冷静になって応援しなければ。

本当に、困る。試合中はあんなにキリッとした顔でチームを支えていたのに、さっきの僅かな甘やかさのギャップは何だ。酷い衝撃だ。ずるいと思う。

何度も深呼吸してやっと平静を取り戻し、紗代子は再度立ち上がってあかねたちに「何でも無いよ」と苦笑した。

第2セットでも孤爪は黒尾のバックアタックを使ったが今回はタイミングが合わず、何とか黒尾が指先でボールを掠めて相手コートに入れた。これで8点目。25点が、遠い。

「さっすがキャプテン、前でも後ろでも大活躍だね!」

弾んだアリサの声に、あかねは緊張感の滲む顔を崩さない。

「ミドルブロッカーはブロックでも攻撃でもとにかく『動く』ポジションなの。更に後衛も務めて、夜久くんのいないプレッシャーもある……きっと想像よりしんどいと思う」

彼女の言葉に、紗代子はギュッとバーを握り締めた。

体力面で言えば、梟谷の木兎が合宿で目立っていた。底無しの体力で、自主練習でも早々に赤葦以外の梟谷のメンバーから避けられていた。それに付き合っていたのだから、黒尾の体力も相当な物である筈だ。……万全の状態なら。

「頑張って……!」

祈る様に呟く事しか、紗代子にはできなかった。

先に20点に乗せたのは音駒の方だった。しかし、戸美もすぐに同じ土俵に乗せる。

音駒の取ったタイムアウト明け、戸美のエース・沼井がピンチサーバーとして入り、サービスエースを決めて逆転。会場が一気に盛り上がり、戸美のムードになる。

アクシデントはお互い23点に並んだ時に起きた。ブロックに跳んだ灰羽がワンタッチを取り、後衛の黒尾がオーバーでボールを取ろうとして弾かれた時だった。

「わりっ」

と謝った黒尾が眉を寄せて小指を抑えた。紗代子が不審に思っていると、彼は芝山を呼んで交代させてから、犬岡の元へ向かった。

──ああ、まさか。

紗代子の胸がズキリと痛む。突き指か、もしくは爪を割ったか。犬岡がテーピングを施しているのが見える。黒尾の表情は、見えない。

──無事でいて……!

紗代子は普段祈らない神に祈った。音駒を勝たせて欲しい、黒尾が無事であって欲しいと。

試合はすぐに再会された。灰羽や山本が躍動して、音駒のマッチポイント。あと1点だ。

孤爪の少し緩めのサーブはコートの前へ落ちるが、相手も体勢を崩しながらも拾う。それをセッターが上げてスパイカーに繋ぐが、そこには灰羽がブロックに跳んでいる。しかしボールは弾かれ後ろへ。福永が何とかフォローしたボールはまたもダイレクトに叩かれる。が、これも福永が柔軟に身体を回してディグ。上がったボールに灰羽が手を伸ばす。

「行けーーーっ!!」

ストレートに打ったボールは大将に拾われた。次は戸美が来る。海と灰羽がブロックに走る。グワリと上がった灰羽の両手は今までに無い威圧を放ち、そうしてクロスに打たされたボールは芝山の真正面。フワッと返ったボールを孤爪が更に上げてら山本が一気に叩いてブロックアウト。

大将が追って追ってギャラリー席まで飛び込んだが、無情にもダァンッとボールは床を跳ねた。

「シャアァアァァアアア!!!」

「やったぁああ!!!」

コートに響く雄叫び。

紗代子はあかねとアリサと3人で思い切り抱き締め合った。

音駒高校、春の高校バレー全国大会出場決定である。

選手同士、そして応援席に礼をする選手にたくさんの拍手を送る。良かった、と心底紗代子は安堵した。鼻がツンとする。まだ終わった訳じゃない。けれど、まだ衛輔が試合に出られる。まだこのチームで、試合ができる。

直井に肩を支えられ、黒尾と海と合流した衛輔は泣いていた。釣られて山本が泣き、衛輔に抱き締められて芝山が泣いた。2年生と抱き締めあった衛輔は灰羽と犬岡を撫でくり回した。皆が皆、歓喜で溢れていた。

黒尾と海に両側から支えられた衛輔は、端に移動する前に黒尾に何か話し掛けていた。そしてクルッと振り返った3人は、揃ってビシッと紗代子を指差して、それはそれは嬉しそうに、少年の様にニカッと笑った。

そうしてついに、紗代子の涙腺は決壊したのだった。

安心と歓喜と、色々な感情が湧き上がって涙が止まらない。3年生3人は彼女が泣き崩れる前に背を向けており、それが紗代子にとっては救いだった。そんな彼女の背を隣にしゃがみ込んだあかねが摩り、上からアリサが頭を撫でた。優しい温かさがより涙を溢れさせたけれど、紗代子は何とかポケットから取り出したハンカチで頬を流れる雫を拭った。

「……取り乱して、ごめんなさい」

紗代子が落ち着く頃には、音駒の応援団はそのほとんどが解散しており、選手たちは梟谷と井闥山の試合を見に行っていた。

「ううん!全然大丈夫です!」

あかねが立ち上がりながら謝る紗代子に首を横に振った。

「落ち着きました?大丈夫?」

アリサが優しい微笑みを浮かべながら聞いた。それへ頷き、「もう大丈夫」と紗代子も微笑んだ。

この後帰るという2人に、紗代子は礼を告げて足早に廊下へ出た。

「もりすけくん!」

梟谷と井闥山の試合は、井闥山の勝利で終わった。ゾロゾロとギャラリーが出てくる出入口前で待っていた紗代子は、その中に自分と同じ髪色を見つけて駆け寄った。

「紗代姉」

黒尾と海に肩を支えられた衛輔が、走って来た紗代子を見て苦笑した。明らかに泣いたと分かる程目も鼻も赤い。何なら今もまた目に涙が滲んでいる。

「泣くなよ、紗代姉」

「でも、だって……っ」

「とりあえず端っこに行きましょうネ」

「あ、う、うん」

黒尾に促され、音駒メンバー全員で廊下の橋に寄る。「皆おめでとう!」と祝福してから、改めて紗代子は衛輔に向き直った。

「足は、どうなの?」

「捻挫だ。大丈夫、春高には間に合う」

チラッと直井を向くと、彼も頷いていた。アイシングとテーピングで対処できるなら、それ程重症ではない。しばらくは足に負担をかけないようにしなくてはならないが。

「黒尾くんは……」

紗代子が黒尾の方を向くと、彼は「平気平気、夜久より軽症デスヨ」とテーピングしている手をヒラヒラ振った。

「ちょっと爪が割れただけ。すぐに治ります」

「良かった……」

ほうっと紗代子は長い安堵の息を吐いた。そんな彼女を、海は穏やかな笑みで見守っていた。

そのまま皆で音駒高校に戻り、それぞれの試合の反省会をしてから解散となった。今日は2試合も行っているため、疲労の早期回復のために自主練習禁止で帰宅の指示が出た。

帰りは駅までは黒尾と海が衛輔を支え、それ以降は海が衛輔に肩を貸してくれた。最寄り駅から家までは、紗代子が連絡していた彼らの父が車で迎えに来てくれた。

「あーあ……昔なら背負って帰れたのになぁ」

夕食を食べながらボヤいた紗代子に、衛輔は「何だそれ」と笑った。

「いつの話だよ」

「んー、私が中学生くらい?」

「めっちゃ前だな!」

ハハッと笑う衛輔に、紗代子は改めて安堵していた。足を怪我しても、彼の心は折れなかった。歯痒い思いをしただろうに、チームの仲間を信じていたのだ。いつも通りに笑う彼がどれ程強い精神を持っているか、改めて感じる1日だった。

さすがに今日はもう書く体力が無いと紗代子がベッドに寝転んで本を読んでいると、不意に携帯がメールの到着を知らせた。

送り主は黒尾。その名前に、紗代子の心臓が跳ねた。落ち着け自分、と深呼吸しながら恐る恐るメールを開けると、「今大丈夫ですか?」という内容だった。部活の予定の変更だろうかと「大丈夫。どうしたの?」と返すと、少し間があってから「電話したいです。良いですか?」とまたメールが来た。

「でんわ……っ?」

思わず声が出た。誰もいない自分の部屋で、紗代子はハッと手で口を覆って回りをキョロキョロと見渡してしまった。もちろん誰もいないし、隣の衛輔の部屋からも何も聞こえない。

どうしよう。電話なんかしたら動揺する自信しかない。けど、部活関連の重要な話だったら?

紗代子は数分グルグルと考え込んでから、腹を括って「大丈夫」と返した。途端に鳴る着信。驚き過ぎて、紗代子は一瞬携帯を取り落としかけた。何とかキャッチしてからボタンを押して、携帯を耳に当てた。

<……もしもし?>

遠慮がちに響いたのは黒尾の声だ。予想通り紗代子の心臓は跳ねたし、無意味に布団をキュッと握った。

「も、もしもし」

<あー……良かった、出てくれた>

心底ホッとした様な声音に、「だ、大丈夫って返したでしょう、出るよ」と紗代子は動揺しながら言った。

<ちょっと時間かかったから、やっぱり迷惑だったかなって>

いつも押せ押せだったのに、今日の黒尾は声は優しいものの何だか遠慮がちだ。やはり何かあったのだろうか。

「ううん、本当に大丈夫。本を読んで後は寝るだけだったから」

<そうなんですね。夜更かししちゃダメですよ>

「もりすけくんみたいな事言うね」

フフッと笑った紗代子に、黒尾は<3年一緒なんでね>と返した。

「どうしたの?何かあった?」

本題を聞く紗代子に、黒尾は<あー、いや、何かあったって言うか……>とハッキリしない。本当にどうしたのだろうか、と紗代子が彼が話し出すのを待っていると、受話器の向こうからフーッと息を吐く音が聞こえた。

<……紗代子サンの、声が聞きたかったんです>

「えっ……」

深く甘い響きに、紗代子の顔が赤くなった。低く滑らかな声が入り込んだ耳が熱い。

<ね、紗代子サン、今日の試合どうでした?>

動揺する紗代子に構わず、黒尾は話題を投げてくる。

今日の試合、今日の試合。どっちの?どっちもかな?どう?どうって、何について?……ああ、でも、黒尾くんは──

「かっこよかった」

<エッ>

「かっこよかったよ、黒尾くん。たくさん跳んで、たくさん動いて、戸美学園との試合では、もりすけくんのいない穴をチームで埋めて、……すごかった」

自分の語彙力の幼稚さが恥ずかしい。小説家だというのに。しかし、言葉が思い浮かばなくなるくらい素晴らしい試合だった。ギラギラと輝く熱が、紗代子の脳裏に焼き付いて離れない。

一方、黒尾は電話の向こうで沈黙していた。とんでもないカウンターが返ってきた気分だ。一生懸命感想を伝えてくれる紗代子の声音に、可愛い、好きだという想いが爆発しそうだ。自室のベッドに凭れかかって電話していた彼は、今すぐ布団に潜って悶えたくなった。嘘だ、内心ではもうしている。紗代子と喋りたいがために、現実で行う事を耐えているのだ。

<見てて、くれたんですか?>

「うん……約束、したからね」

でもきっと、約束してなくても見ていただろう。それぐらい、黒尾のプレーは紗代子を惹き付けた。コートの色んな場所から跳ぶ所も、しなやかにレシーブする体躯も、ブロックする時の威圧も、どシャットやスパイクがが決まって嬉しそうな表情も、負けて悔しそうに歪む眉も、勝って心底嬉しそうに拳を握る様子も、最後にこちらを指差して笑った少年の様な顔も、全部全部紗代子の目に焼き付いている。

<俺もね、紗代子サンの事見てたんデスヨ。知ってた?>

「えっ、そうなの?」

全然気付かなかった。1度目が合ったのは分かっているが、紗代子が覚えがあるのはそれだけだ。

<うん。タイムアウトの時とかコートチェンジの時とか、ちょこちょこ見てたんです。応援の声も聞こえてた……紗代子サンの声だから、聞こえたんです。俺、本当に嬉しかった>

穏やかな声で、黒尾はそう言った。たくさんの応援の声の中で、まさか自分の声が聞こえていたとは紗代子には予想外だった。あかねの拡声器の音や応援団の歓声に紛れていると思っていたのだ。

<……夜久がコートを離れる事になった時、もちろん勝たなきゃいけないと思いました。そうじゃないとアイツに顔向けできない>

黒尾が静かに言った。衛輔が怪我したと分かった時、紗代子の頭も真っ白になった。きっと黒尾や海が受けた衝撃は更に酷い物だっただろう。

<でもやっぱり不安もあって、主将としてそんなのを仲間に見せる訳にはいかないと思ってたら、紗代子サンがコートからよく見えたんです。今にも泣きそうで、でも泣いてなかった。なら、俺もやりきるしかないと思いました。紗代子サンがいたから、俺は音駒の主将でいられたんです>

もったいない言葉だと思った。自分はただ、泣くのを耐えて試合を見ていただけだ。紗代子は「私は何もしてない、黒尾くんの強さだよ」と伝えたが、彼は電話口でクスリと笑った。

<んーん、紗代子サンのお陰。紗代子サンがいてくれたお陰なんデスヨ。ありがとうね>

ギュッと胸が詰まった。違うのだ、と紗代子は強く思った。自分は本当に何もしていなくて、できなくて。マネージャーではないから、試合中何かあった時に黒尾の側で助ける事すらできない。今日の様に。

見ている事しかできない。それが歯痒いと、初めて感じた。

「……黒尾くん」

<うん>

「くろお、くん」

<うん>

何故だろう、今になって泣きたくなってきた。体育館であれ程泣いたのに。

きっと、黒尾の優しい相槌のせいだ。

紗代子が平静を取り戻すまで、黒尾は電話の向こうで黙って待ってくれていた。

「……急に黙ってごめんね」

<んー、もう大丈夫?>

「うん。……黒尾くん、お礼を言いたいのは私の方なんだよ」

自分は何もしていないけれど、黒尾は大きな事をしてくれた。紗代子はきちんと伝えないといけないと思った。対面で話そうとするとまた動揺してしまうかとしれないから、話すなら今だ。

「黒尾くん、勝ってくれてありがとう。もりすけくんがまだ試合できるようにしてくれてありがとう。黒尾くんが音駒のキャプテンだったから、今日勝てたんだよ。だから、ありがとう」

<……っ>

黒尾が息を呑む音が聞こえた。

紗代子としては、できうる限りの真摯さで思いを伝えたつもりだ。少しでも自分の感謝が伝われば嬉しいと、紗代子は願った。

今度は黒尾が沈黙する番だった。しばしの静けさの後、紗代子が恐る恐る「……黒尾くん?」と呼ぶと、

<はぁ〜〜〜〜>

と長い長い息が吐き出された。紗代子が驚いていると、黒尾はもう1度小さく息を吐いた。

「く、黒尾くん?」

<……俺、泣いちゃいそう>

「え!?え!?どうして?大丈夫?」

<紗代子サンのせいデス>

「ご、ごめんなさい?」

何故か分からないが責任があると言われた紗代子は素直に謝った。首を傾げながらではあるが。

その疑問符付きの謝罪に黒尾は吹き出した。不意打ちの感謝に感動して泣きそうだったのは本当だが、彼女の反応が面白くてそんな気分は吹っ飛んでしまった。しかし謝ったのは紗代子だ。だから自分にはお詫びを要求する権利がある、と黒尾は無理やり頭の中でこじつけた。

<ね、紗代子サン、謝ってくれたって事はお詫びの代わりにお願い聞いてくれるって事ですよね?>

「え、え?」

<いいですよね?ね?>

「え、あ、う、うん」

勝った、と黒尾は拳を握り締めた。言質を取ったらこっちの物だ。

黒尾は混乱したままの紗代子に1つの約束を取り付けてから電話を切った。今日は良い夢が見られそうだ、と確信を持ち、彼はベッドに潜り込んだ。

空には綺麗な三日月が輝いていた。それは笑った猫の目の様な、綺麗な弧を描いていた。




第8話です。
東京都代表決定戦です。原作のあの勢いや雰囲気や怖さや楽しさを、少しでも表現できていたら嬉しいです。文章でスピード感を出すのは本当に難しいですね 
トキメキ感をできうる限り入れておりますが、アオハルできてますかねー。
黒尾の良さが素晴らし過ぎて書き表せてる気がしない!足りない!黒尾はもっとエロかっこいいんだ!って毎回なってますw
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