夜久衛輔の姉が青春小説を完成させるまで   作:細雨

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第9話

激闘から明けて翌日、月曜日。紗代子は早朝にも関わらず、ダイニングで朝ご飯を食べていた。明らかに眠そうな姉の隣で衛輔は不思議そうに彼女を見ながら自分も朝食を取っていたが、いつもこの時間に起きていない彼女がここにいる理由をすぐに体感する事になった。

「は?紗代姉、だよな?」

「もちろん」

力強く頷いた彼女の手にはフルフェイスのヘルメット。ライダースーツもしっかり着込んだその姿に、衛輔はいつの間にか家のガレージに出現していたアレを思い出した。

「まさか……」

「うん、送っていく」

やっぱりか、と衛輔は頭を抱えた。松葉杖は学校から借りてあるのだから自分で行く気満々だったというのに。

どう止めるか思考している衛輔の肩からさっさと鞄を奪った紗代子は、先に積んでしまおうとガレージに行ってしまった。これはもうどう言っても諦めないな、と嘆息した衛輔は素直に玄関で靴を履いた。

海信行は基本的にあまり動じる事が無い。チーム内で大なり小なり事件が起きる事もあるが、大抵彼はそれをニコニコと見守ったり穏やかにフォローに回ったりする。そんな海が、今この時は目を見開いて音駒高校の前のバス停脇で立ち尽くしていた。

「お、海、迎えに来てくれたのか、ありがとな」

「あ、さ、紗代子さんから連絡貰って……」

ヘルメットを取って笑う衛輔にようよう返事はしたものの、海はまだ呆然としていた。眼前には大型のアメリカンバイク。それに取り付けられたサイドカーに衛輔が乗っている。捻挫した足に負担がかからないように送って来たのだろう事は、容易に想像がつく。そうしてそのバイクに跨る主こそ、海にメールしてきた相手だとは理解していても、認識が全く追い付いていない。

海が頭の中を真っ白にさせている間にも、衛輔は慎重にサイドカーの外に出て運転手を振り返った。

「ありがと、紗代姉」

ですよね。

海が思ったのはその一言だった。むしろそれ以外の可能性が無い。

フルフェイスのヘルメットを取ってあらわになった顔はやはり紗代子で、ようやく海の認識が追い付いた。ゴツめのバイクに跨るその姿は違和感しか無いが。

「おはよう、海くん」

ニコリと微笑む紗代子に、海は「お、おはようございます」と動揺しながら返した。

「申し訳ないんだけど、もりすけくんの事お願いできる?私は土曜日以外は校内には入れないから」

「もちろんです。バイク、乗られるんですね」

海の言葉に、紗代子は少し照れた様に微笑んだ。

「うん。衝動的に免許取ったけどペーパードライバーはもったいないかなって思って、機会があれば乗ってるの」

「そうなんですね。びっくりしました」

「だよなー。俺も、突然バイクが家に来た時は2度見した」

カラカラと笑う衛輔の言葉に、海は同意する様に深く頷いた。すると。

「え!?何このバイク!?え!?紗代子サン!?」

「クロうるさい……」

「研磨はもうちょっと驚いて!?」

黒尾と孤爪がちょうど登校して来て、紗代子たちの方を見て目を見開いていた。と思ったら、黒尾がずんずんとこちらに歩いて来る。孤爪も面倒くさそうな顔をしながらも、彼に続いた。

バイクのすぐ側まで来た黒尾は、サイドカー、バイク本体、紗代子自身を順番に凝視して一言。

「……かっけぇ……」

ボソリと呟いた黒尾に、紗代子は照れて耳を赤くした。孤爪は黒尾の背後で溜息を吐いたし、衛輔と海は何とも言えない顔をした。子供か。

「じゃあ、紗代姉、帰りも頼む。オラ、行くぞ黒尾!」

「えー?もう少しいいだろ!」

「また部活終わりに連絡ちょうだいね」

手を振る紗代子に振り返し、衛輔はさっさと松葉杖をついながら歩いて行った。海も孤爪もそれに続く。黒尾は一瞬彼らを見てから紗代子に向き直った。

「紗代子サン!」

「な、何かな?」

「俺も乗りたい!」

その目は純粋な憧れにキラキラと輝いており、紗代子としては無下に断る事はできなかった。かっこいいバイクに乗っている自覚はある。むしろかっこよさで選んだと言っても良い。しかし、実際に乗せるかというとまた別の話。何故なら緊張するから。

「えっと、乗る機会があったらね……?」

ほぼ社交辞令の紗代子の言葉に黒尾はパッと顔を輝かせ、「絶対ですからね!」と笑ってから身を翻して走って孤爪たちを追い掛けて行ってしまった。

ポツンと置いていかれた紗代子は、先程彼が見せた子供の様な表情に不覚にもときめいてしまっていた。

何だあれ。可愛いじゃないか、ずるい。

赤くなった顔を隠す様にヘルメットを被り、彼女はバルンッとエンジンを掛けた。

ちなみに、衛輔の迎えにやって来た時は残りのメンバーから大変尊敬の目で見られた。ちょっと恥ずかしい様なむず痒い思いを味わった紗代子は、それから数日続いた衛輔の送迎の際にヘルメットを取る事は無かったのだった。

 

秋晴れのある日、紗代子は音駒高校の校門前で立っていた。

その脇の看板には文化祭の文字。そう、今日は音駒高校の文化祭の日なのである。

人混みがほんのり苦手な紗代子がこの場に立っているのには大きな理由があった。黒尾である。

東京都代表決定戦があった夜、黒尾と「音駒の文化祭を一緒に回る」と約束したのだ。

久々に巻いてみた髪の先をいじりながら黒尾を待つ紗代子に、何度か音駒の制服を来た男子生徒が声を掛けてきた。大抵一緒に回らないかという誘いで、彼女はそれを穏やかにスッパリと断っていた。

あまり履かない臙脂色の膝丈スカートの端を引っ張ってみたり、前髪を直したりしている内に、遠くに特徴的なトサカ頭が見えた。しかし手を振ろうとした紗代子が見たのは、彼を挟む様に歩く女子生徒たちの姿だった。

ズキッと胸が痛んだ。何故だろう。約束している筈なのに、黒尾が1人でないから?確かに2人で回るとは言ってなかった。自分が勝手にそうだと思い込んでいた事に、紗代子は今初めて気付いた。羞恥で彼女の耳が熱くなる。

何て恥ずかしい。高校生最後の文化祭だ、友人と一緒に過ごしたいに決まってるじゃないか。勝手に勘違いして勝手に楽しみにして、髪を巻いてみたりきちんと化粧してみたり……猛烈に恥ずかしい。

今黒尾といる女の子たちだって教師に注意されない範囲で精一杯オシャレしている。運動部のキャプテンとはかっこよく見えるのが定番だし、まして黒尾は頭も良いし顔も良い。これでモテない筈が無いのだ。それに、やっぱり同じ高校生の方が彼に釣り合っている気がしてならない。

消え入りたいと目を瞑った紗代子に、「おねーさん」と声が掛けられた。いつの間にか俯けていた顔をパッと上げると、見知らぬ男子生徒が2人そこに立っていた。

「ダイジョーブ?」

「ちょっと泣きそうじゃん。話聞く?」

「そうしよそうしよ。あっちに座る所あるから行こ」

え、え、と紗代子が戸惑っている間にも、2人は彼女の腕を取ってどこかへ連れて行こうとする。動揺しながらも紗代子が何とか断ろうと口を開いた、その瞬間。

「はいはーい、その人、俺の。だからあっち行った行った」

紗代子は肩を抱かれてグイッと後方に引き寄せられた。思わずたたらを踏むが、厚い胸板が難なく彼女を受け止めた。そして頭上から響く聞き覚えのある声。

「えー、黒尾の彼女かよ」

「1人にしとくなよなー、待ってたぜ」

「分かってるって。引き止められたんだよ」

黒尾の大きな手がしっかりと紗代子の肩を抱いている。背中には彼の熱。じわじわと状況を理解した紗代子は、頬が熱くなるのを感じた。

「しょうがねえから回収しといてやるよ。あいつら部活の後輩だしな」

「黒尾、今度パンでも奢れよー」

「ハイハイ」

「じゃあね、彼女さん。文化祭楽しんでー」

はしゃいだ様子で2人は去って行き、紗代子は無邪気に手を振る彼らに小さく手を振り返した。

まだ後ろは見れない。絶対赤い顔をからかわれるに決まっているから。

「紗代子サン、こっち向いてー」

「む、無理」

「ね、顔見せてくださいよ」

黒尾が回り込んでくる気配を察して、紗代子はサッと両手で顔を覆って隠した。

その仕草にクツクツと黒尾が笑う。本人は必死のつもりだろうが、彼からしたら可愛い以外の何物でもない。そもそも赤い耳が隠れていない。

「紗代子サン、耳が赤いデスヨ?」

「え!?」

黒尾の言葉に、思わず顔を上げてしまった。ニマーッと意地悪く笑った彼とバッチリ目が合う。しまった、と紗代子が思った時、

「やっと可愛い顔が見れた」

と、とびきり甘い声で黒尾が言った。ドッと心拍が上がる。

赤い顔のまま立ち尽くす紗代子に、黒尾は笑みを引っ込めて少し真剣な顔になった。

「遅れてごめんなさい、嫌な事無かったですか?」

ほんのり不安げな声音に、赤みの残る頬のまま紗代子は慌てて首を横に振った。

「全然っ、だ、大丈夫」

「良かった」

「あ、でも、か、彼女じゃないって言いそびれてた、どうしよう……」

「いーのいーの」

「黒尾くんの方こそ、良かったの?」

聞かれた黒尾はキョトン、とした顔になった。

紗代子は1度深呼吸してから「さっきの子たち」と言った。黒尾の眉が訝しげに微かに寄る。

「その、高校生最後の文化祭だから、友達と回りたいと思うのが普通でしょう?さっきの女の子たちと一緒の方が良いんじゃないかな」

「まさか」

黒尾は即答した。何故誘ったのかイマイチ分かってないらしい彼女の片手を、彼はギュッと握った。細い手の平がビクッと震える。赤みの残る頬の上にある、焦げ茶の瞳が揺れながら黒尾を見つめている。ずっとそうしておいて欲しいと、彼は強く思った。

「俺は、紗代子サンと一緒にいたいんです。ほら、行きましょ」

「あっ、黒尾くんっ」

黒尾が手を引いたせいで翻った彼女の髪からは、初めて香水の匂いがした。

昼ご飯には少し早い時間だったが、2人は出店で買い食いして回る事にした。最初戸惑い気味だった紗代子は、時間が経つにつれて慣れて、普段通りの様子を見せるようになった。彼女も音駒生だったから、懐かしさが緊張より先行したのだ。

出店は紗代子が在校していた時よりも種類が多くなっていて、見て回るのは楽しかった。ほぼ夏祭りの露店の様だ。クレープまであって、物珍しさからおかずクレープを紗代子は購入した。中身はレタスとツナマヨ。初めて食べたが、美味しい。

「どう?紗代子サン。美味い?」

「うん、初めて食べたけど美味しい。黒尾くんも食べる?」

「じゃ、お言葉に甘えて」

紗代子がクレープを渡すと、黒尾が1口齧り、「意外といける」と言った。戻って来たクレープを受け取りながら「意外とって」と笑うと、彼は、

「だって、クレープって甘い物のイメージじゃないですか。こういうおかず系も美味いんだと思って」

と少し照れた様に笑った。

「確かに、スイーツのイメージが強いもんね。今度から色んな具も試してみようかな」

「それ楽しそうですね」

紗代子が笑い、黒尾も優しく微笑んだ。

そのまま2人は出店ゾーンや校内を見て回った。コースターに絵を描くクラフト体験では、少し不器用な猫を描いた黒尾に紗代子がフォローを入れ、お化け屋敷では脅かし役に飛び上がる紗代子を黒尾がいたずらっ子な顔でニヤニヤと見守っていた。ついでに彼女に腕にしがみつかれたものだから黒尾の顔は割とだらしない感じになっていたのだが、そんな事は本人しか知らないので問題無しだった。

紗代子のお腹が程良く満たされた頃、言い出しにくそうに黒尾が「あー、その、もう1個謝らないといけない事があるんですけど……」と頭を搔いた。

「どうしたの?やっぱり友達と回る?」

「それだけは違いマス」

紗代子の言葉をすぐに否定し、黒尾は「クラスの出し物、どうしても断れなくて1時間だけ行かないといけないんです」と少しションボリしながら言った。

「1時間くらいなら、適当に文化祭見て回ってたらすぐだよ。気にしないで」

「いやっ、そこはちょっと考えがあるんで俺についてきてもらって良いですか?」

「?うん、分かった」

紗代子が素直に黒尾について行くと、1つの教室に辿り着いた。中を覗き込んだ黒尾が「お、いたいた」と明るい声を出した。そのまま室内に入って行った彼に紗代子も続く。

辿り着いた先には、教室の端の椅子の上で携帯をいじる孤爪がいた。さながら美術館の学芸員の様に座っている彼は、黒尾の接近に僅かに視線を上げて「ほんとに来た……」と呆れた様子で溜息を吐いた。

そんな孤爪に「まあまあ」と言いながら、黒尾は近くにあった椅子を勝手に孤爪の隣に置く。そして、そこへ紗代子を促して座らせた。

「1時間後にまた迎えに来るから、ここで研磨と待っててくださいね、紗代子サン」

「えっと……?え?私、1人でも見て回れるよ……?」

「ウンウン、分かってるけどここにいて欲しいんデスヨ。じゃ、研磨頼むわ」

「ぇえ……?」

紗代子が混乱している間にも、黒尾は爽やかな笑顔で去って行ってしまった。

困り顔の紗代子がゆっくり隣の孤爪を振り返ると、彼もゆっくりと視線をあらぬ方向へと逸らした。

「あの、孤爪くん……」

「……おれ、クロに頼まれただけだから……」

「私、黒尾くんに迷子になると思われてる?」

「それは無い」

断言されてしまった。直前に言い訳気味に呟かれた言葉とは、随分語気が違う。とりあえずは、迷子になる様な人間と思われている訳ではないらしい。

紗代子が首を傾げていると、孤爪が小さく息を吐いた。

「まあ、大人しくココにいたら良いんじゃない」

「孤爪くんの迷惑にはならない?」

「別に……。おれ、ココで見張りしてるだけだし」

孤爪の言葉に紗代子が改めて室内を見渡すと、入れ代わり立ち代わり客である在校生や彼らの家族が出入りしているのが分かった。皆それぞれの手に何やら紙を持っている。

教室の壁には何枚かの画用紙が展示されていて、よく見るとクイズが書いてあるようだった。

「これ、一体何をやっているの?」

「クイズラリー。学校の色んな所にクイズ貼ってて、全部正解した人には景品がある。答え合わせと景品の受け渡しはあっち」

孤爪が指差した方では、ちょうど答え合わせをしていて、どれかの問題が間違っていたのだろう、悔しそうに笑う男子高校生のグループがいた。孤爪のクラスメイトだろう子が答え合わせの終わった答案用紙と飴を渡している。参加賞だろう。

「へえ、楽しそう。発案は孤爪くん?」

「よく分かったね」

キュッと軽く目を見張った孤爪が少しだけ紗代子の方を見る。そんな彼へ微笑み、

「孤爪は基本的に動きたくないと思って。動かなくて良くて、かつ、ある程度楽しめる物が良いだろうなって考えたの。発案者なら、要望を聞いてもらいやすくなるでしょう?あっちでの答え合わせや、多分校内に貼ってあるクイズもある程度の間隔で巡回しないといけないだろうけどその係にならない代わりに、ここで室内の見張りを長めにするっていう交換条件を出した。……合ってるかな?」

と自分の考えの根拠を説明した。それを聞いた孤爪はコクリと頷き「合ってる」と肯定した。

「紗代子さんなら、クイズ全問正解しそうだね」

合宿明けあたりから敬語が取れて少しずつ多く喋ってくれるようになった孤爪は、そう言ってうっすら微笑んだ。

「どうかな、やってみないと分からないよ」

と照れ笑いした紗代子は、口を閉ざして教室内を満遍なく見渡し始めた。

沈黙がプレッシャーにならない人だ、と孤爪は彼女の事をそう評価している。人見知りな自分が、こうしてお互い黙る時間ができても何か話さなければと焦る事が無い。まるで黒尾といる時の様に、自然に紗代子はそこにいる。彼女の持つ空気感は、孤爪にとって悪くなかった。

「孤爪くんはゲームが好きだね」

だから、話題の意図が見えない会話を彼女が放って来ても面倒だとはあまり思わない。そもそも、変に世間話を紗代子はしてこない。孤爪がそれを苦手としている事を察しているのだろう。

孤爪が携帯をいじりながら頷くと、紗代子は言葉を続けた。

「将来はゲームのテストプレイヤーやプロゲーマーになるの?」

プロ。考えた事があるにはあった。しかし、企業等どこかに所属して、というのはどうにも孤爪の性質に合わない様に感じていた。そもそも好きなゲームをしたいのであって、指定されてするのは宿題と同じだ。義務感が発生してしまうのは何となく嫌だった。

その考えを端的に伝えると、紗代子は「そうなんだ」と納得した様に頷いた。

「じゃあ、趣味でゲームは続けるの?」

「んー……まあ、そうかな。個人でやりたいし」

「そんな孤爪くんに提案というか、こんなのがあるよってのがあるんだけど」

「……なに?」

孤爪が、ようやくここで携帯をいじる手を止めて紗代子を見た。反対に、彼女が己の携帯を取り出して操作した。そして差し出してきた画面を見て、孤爪は驚きに目を見開いた。

「これ……ゲームしてる、動画?」

「うん。YouTubeっていうサイトにこういう種類の動画をアップして、再生回数とかで収入が得られるんだって」

「へえ……」

「どれくらい再生されたらどれくらい貰えるかは、ちゃんと調べないと分からないんだけど、孤爪くんにはこういうのもアリかなって思ってね。もちろん最初からコレ1本は厳しいだろうけど」

紗代子の言葉を耳にいれながらも、孤爪は夢中で画面を見ている。ちょうどボス戦のようで、ミュートにしているにも関わらず紗代子も思わず見入ってしまった。

動画が終わり、彼女が知らず詰めていた息を小さく吐き出したところで、「コレ、他のゲームの動画もある?」と孤爪が口を開いた。その目は爛々と輝いていて、紗代子の予想よりも強く興味を示している。

「あるよ。音も聞く?」

孤爪が頷いたのも確認し、紗代子は鞄からイヤホンを取り出して携帯に装着した。左耳分を孤爪に渡して、自分も右耳に片方のイヤホンをつけた。

遠慮しつつも好奇心には勝てず、孤爪も渡されたイヤホンを耳につける。紗代子が「好きなゲームの動画見て良いよ」と言ったので、孤爪は恐る恐るYouTube内でゲーム名を検索して出てきた動画の内1つを再生した。

それからいくつの動画を2人で見ただろう。孤爪は完全に見張り役を放棄していたし、紗代子も夢中になって動画を見ていた。普段ゲームをしない彼女でも、その動画の作成者たちが存分にゲームを楽しんでいるのが伝わってきて、ゲームの面白さが感じられたのだ。

「ちょっとー?お二人さん、随分仲良しですねー。そろそろ気付いてもらわないと僕泣いちゃうかも」

「あっ!?え、黒尾くん、いつの間に……」

「え、ホントに気付いてなかったパターン?それはそれで傷付く……」

ちょうど動画終わりに話し掛けられて驚く紗代子に、彼女の隣に立っていた黒尾はヨヨヨ……と泣き崩れるフリをした。迫真の演技だが、孤爪は冷めた目で黒尾を見ている。すぐにその事に気付いた黒尾はさっさと演技を辞めた。

2人が動画に釘付けになっている間に来たようで、黒尾は「しばらく見てたけど、ホント仲良いじゃん」と唇を尖らせた。

「紗代子さんがYouTubeの動画教えてくれてただけだから」

「ええー?それにしては2人でくっついて動画見てたじゃん」

「クロ、めんどくさい」

「研磨さん辛辣!」

スパッと切り捨てた孤爪に、黒尾が小さく叫ぶという器用な真似をしてみせた。孤爪はそれはそれは面倒臭そうな顔をしてイヤホンを紗代子に返した。

「ありがとう、参考になった」

「良かった」

「でもこれ以上ココにいたらクロがめんどくさくなるから早く行って」

あまりの孤爪の言い方に紗代子は苦笑した。早く1人で動画が見たい気持ちが半分、黒尾に紗代子との時間を作ってやりたい気持ちが4分の1、あとの4分の1は黒尾の絡みが面倒臭い、だった。

それを何となく察した紗代子は、

「お待たせしてごめんね、黒尾くん。迎えに来てくれてありがとう」

と黒尾に微笑んで椅子から立ち上がった。コロッと機嫌を治した黒尾はニコニコしながらいそいそとその椅子を片付けて「じゃ、研磨、ありがとな。行きましょ、紗代子サン」と先に立って歩き出した。

「孤爪くん、付き合ってくれてありがとう。またね」

「うん、また」

紗代子は早くも自分の携帯に視線を落としつつ返事をした孤爪に手を振ってから、黒尾の後を追った。

さて、そこそこの大きさを誇る音駒高校といえど、無限に広くはない訳で。

「「あ」」

「げ」

「あ、もりすけくん、海くん」

とある廊下で、黒尾と紗代子は衛輔と海に対面した。双方まず驚きの表情を浮かべたが、黒尾はマズイといった顔になったし、衛輔はギロッとそんな彼を睨んだ。かと思ったら、ドスドスと足音高く近寄って来た衛輔がズパンッと遠慮なく黒尾の臀部にキックを決めた。

「痛っ!?やっくん酷くない!?」

「うるせえ。早く行けって言ったのに、紗代姉を校門で待たせた罰だ」

「うっ!」

抗議の声を上げた黒尾だったが、衛輔の言葉に決まり悪げに押し黙った。紗代子は急いで暴挙に出た弟を宥めに回った。

「大丈夫だよ、全然待ってないから」

「そんな事言っても、上から全部見えてたからな。……ったく、早起きしてオシャレしたんだから、もっと自慢すれば良いのに」

「エッ」

「も、もりすけくんっ!」

とんでもない爆弾を着弾させた衛輔は、苦笑する海を促してどこかへと歩いて行ってしまった。

困ったのは残された紗代子である。

まさか家での出来事を暴露されるとは思っていなかった。驚きの裏切りである。弟は姉の味方であるべきでは……!?

「さーよこさーん」

物凄く上機嫌な声が隣でする。ギギギ……とぎこちなくそちらを振り返ると、これ以上無いくらいニヤニヤと笑った黒尾が紗代子を見ている。

「おっと、逃がしませんヨ」

反射で走り出そうとした紗代子の腕を、難なく黒尾が掴む。そもそも逃げた所で現役運動部に勝てる筈もないのだが。

「さーて、ちょっとお話聞かせてもらえますか?」

「……はい……」

気分は裁判に出廷する被疑者の気分だ。違うのは、引っ立て役がルンルンで前を歩いている事と、引っ立てられる紗代子がとんでもなく恥ずかしい思いをしている事だろうか。

黒尾に手を繋がれ、人気の無い通り道を校舎の最上階まで連れて行かれる。紗代子の覚え違いでなければ、ここは荷物置きになっていて生徒以外立ち入り禁止だった筈だが……。

キョロキョロしている紗代子の様子に気付いた黒尾が、「本当は生徒以外入っちゃダメらしいんだけど」といたずらっぼく笑った。

「紗代子サンはOGなんだし、良いでしょ」

「そ、そうかなぁ……」

十中八九ダメだろうな、と思ったが、紗代子がそれを口に出す前に黒尾は1つの教室に入った。

「ここは?」

「俺のクラス。ほら、ここが俺の席」

黒尾が示したのは、廊下側の一番端の列の真ん中。そこに自分で座り、彼は紗代子に隣の椅子に向かい合わせになる様に座らせた。

そしてバサッとブレザーを脱いで机に置いた黒尾は、少しだけネクタイを緩めた。その仕草が妙に様になっていて、また、今更ながら教室に2人きりな事に気付いたのもあって紗代子の心臓は緊張でドキドキと高鳴り始めた。

「さて、紗代子サン」

「は、はい」

「聞きたい事があるんですけど、いーですか?」

「ど、どうぞ……」

紗代子がウロウロと視線をさ迷わせながら返事をすると、黒尾はスっと席を立ってしゃがみ込んで下から彼女を覗き込んだ。

「……俺のために、オシャレしてくれたの?」

キラリと光る黒い瞳が、紗代子を捕らえて離さない。答えなど確信しているだろうに、紗代子の口から言わせようとする彼は本当に意地が悪い。

「ね、紗代子サン」

「あ、う……」

ドロドロに深く甘い声が、紗代子の耳に侵入して彼女の胸中を掻き乱す。ずるいずるいと、紗代子はキュッと手を膝の上で握り締めた。

「紗代子サン、答えて」

ツッと黒尾の指がストッキングで覆われた紗代子の膝頭をなぞる。ビクッと震えた揺れは、確実に彼の指先に伝わっただろう。

「いつもと違う髪型も、いつもはしてない化粧も、いつもより可愛い服も、いつもはつけない香水も全部、俺のため?」

──本当にずるい。分かっているのに聞くなんて。どれだけこちらが恥ずかしいか、どうせ知っているくせに。

頬が熱い。きっと首まで真っ赤だろうその熱が全てを物語っているのに、黒尾は紗代子に明確な答えをねだるのだ。

黒曜石の様な瞳に見つめられて観念した紗代子は、ゆっくりと、しかし確実に頷いた。

グワッと黒尾を嬉しさと愛しさが襲う。その衝動のままに、彼は目の前の紗代子の腰に抱きついた。

「嬉しい」

「ぁっ、く、黒尾くん……っ!?」

フワリ、魅惑的なフローラルな香りが黒尾を受け止めた。黒のニットの感触に頬擦りする。彼女の細い腰がビクリと震えた。

しばしそのままで香りや柔らかさを堪能していると、恐る恐るといった風に黒尾の髪を触る感触。

それにあえて気付かないフリをしていると、ゆっくりゆっくりと柔らかい手の平が頭を撫でた。黒尾がチラッと上を見上げると、バチッと紗代子が視線が合った。

「っ!」

彼女は更に赤くなって手を黒尾の頭から離し、それから慌てて自分の背に隠した。バレてないとでも思っているのだろうか。その一連の仕草にクツクツと喉の奥で笑うと、「な、何かなっ?」と紗代子は上擦った声で問い質してきた。

「紗代子サン、もうちょっと」

「え、え?な、何の事かな」

シラを切ろうとする彼女をまたジッと見つめると、「う〜」と唸った後に諦めたのか、紗代子はそっと再度黒尾の頭を撫で始めた。

「も、もういいかな……」

「まだ」

「ええー……」

黒尾の要求通り、素直に撫で続けてくれる彼女は本当に可愛いと思う。ずっとこうしてたい、せめて今日だけでも、と黒尾が割と切実に思っていた時、バタバタと階段を走って上がって来る音が聞こえてきた。女子生徒の声もする。

紗代子の身体が固まるのがありありと分かる。思考は一瞬。

「こっち」

「わっ!?」

顔を上げた黒尾は咄嗟に紗代子を引き寄せた。背を廊下側の壁に預け、自身の立てた膝の間に紗代子の身体を入れて上からブレザーを掛ける。これで万が一教室のドアから覗かれても、三角座りでうたた寝している様に見える筈だ。真実味を持たせるために、黒尾はブレザーの中の紗代子を抱き締めつつ目を閉じた。

「予備ってどこに置いたっけ?」

「1組の教室!」

賑やかな声がバタバタと廊下を走り抜けた。この教室に入って来ないように祈りながらも、どこか期待している自分がいる事も黒尾は分かっていた。わざと音を立てるような馬鹿な真似はしないけれど。バレるような事になれば自分も怒られるが、紗代子にはもっと迷惑がかかる可能性が高い。やっぱりしっかり隠さなきゃ、と黒尾がわずかに腕に力を入れ直したところで、さっきの足音が戻って来た。そのまま階段を下っていき、廊下はまた静かになった。

やっと行ったか、と胸を撫で下ろすと、腕の中で小さく黒尾の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「あっ!?紗代子サン、ごめ……」

締め付け過ぎたかと慌てて謝りながらブレザーを持ち上げた黒尾の言葉が、中途半端に途切れる。彼の目に映ったのは、少し乱れた髪に酸欠で潤んだ瞳で息を荒らげる紗代子の姿。

「……っ!」

ドッ、と心臓が痛いくらい跳ねる。そのまま、黒尾の心臓はバクバクと音を立てて鳴り続ける。ヤバい、マズイ。大変に、マズイ。

今にも彼女を引き寄せようとする腕を、理性を総動員して力を込めて耐える黒尾。その内心に気付かず、何とか息を整えた紗代子は無言の彼を不思議そうに見上げた。

「くろお、くん……?」

淡い口紅の乗った唇が、柔らかく自分の名前を呼んだ。それだけでもうダメだった。

「ぁっ、くろ、……んっ!」

グイッと腕を引くと、たやすく寄りかかってくる肢体。その細い腰を捕まえて、逃げられないようにして彼女の唇を己のそれで塞いだ。

やわやわと、そのまま反射で固く閉ざされた彼女の唇を食む。細目を開けると真っ赤になった彼女が目をギュッと閉じて息を詰めている様子がよく分かった。彼女の髪や首筋から立ち上る香りに頭がクラクラする。

──ああ、もういっそ。このまま暴いてみようか。

刹那的な衝動が黒尾を襲う。ダメだ、と何とか理性が働くが、彼女の唇を己のそれで、舌で味わうのを止められない。捕まえている紗代子の身体が断続的に震えるのだから尚更だ。

バサリ、ブレザーが床に落ちるが構っていられない。

──もっと、もっと。たくさん、彼女が欲しい。

──ねえ、おれを、見て。

中々内部へ通してくれない唇の上下を順番に食むと、紗代子が何とか逃れそうと黒尾の胸を押す。ちっともビクともしない身体を必死に押し退けようとする様子が可愛くて、悲しくて、黒尾はようやくその顔を少しだけ離した。

「はっ……く、くろおくん……」

「ね、紗代子サン」

黒尾が紗代子の瞳を覗き込むと、彼女は明らかにビクッと肩を揺らした。その潤んだ目に映る自分の表情があまりにも甘くて情けなくて、黒尾は思わず笑みを漏らしてしまった。

「……おれのこと、きらい?」

「そんな事っ……そんな事、無い」

首まで真っ赤にした紗代子は、それでも黒尾を拒絶しなかった。何が彼の琴線に触れたか分からないが、こんな衝動的な事をしたのなら何かしら理由があっての事だろう。

嫌うなんてそんな事、選択肢に入り込んだ事すら無い。強引に唇を奪われた今でも。

驚きはしたが、決して嫌ではなかった。それが、答えなのだ。

──いい加減、覚悟を決めよう。

紗代子は1度ギュッと瞼を瞑ってから、しっかりと黒尾と視線を合わせた。心臓の高鳴りが耳の奥で煩い程だ。

「黒尾くん、お願いがあります」

「は、はい」

紗代子は彼女の腰を掴んでいた黒尾の両手をそっと取って握った。ビクッと彼の手が震える。

「──春まで、待ってくれますか」

「え……?」

突拍子の無い紗代子の言葉に、黒尾は目を見開いた。

「春……?」

彼の反芻に紗代子は頷いた。

「黒尾くんは、その、私の事が、好き?」

「……うん、好きです。紗代子サンが、好き」

黒曜石の瞳がキラリと光る。この輝きが何度紗代子を射抜いて、何度彼女を惹き付けたか、きっと彼は知らない。

真剣な黒尾の想いに答えたいと思った。だから、彼女は彼に向き合うために春と言った。

「黒尾くんの気持ちにちゃんと向き合いたいから、春まで返事は待って欲しい。……できる?」

それはつまり、春まで己を好きでいろという要求に等しい事を紗代子は承知していた。これを拒否されたなら、彼女も自分の抱く想いを切り捨てると腹を括っていた。

しかし黒尾は彼女のある種悲壮な覚悟とは裏腹に、それはそれは嬉しそうに笑った。

「もちろん。それってつまり、紗代子サンは春までは確実に俺を見ていてくれるって事でしょ?そんなの、できるに決まってます」

紗代子の胸がじんわり温かくなる。そこで「あ、でも」と黒尾が続ける。

「こうやって触れるのは、春まで待たなくても良いですよね?」

そう言って、黒尾は紗代子が包んでいた己の手の指を彼女のそれに絡めた。少し引いていた赤みが、また紗代子の頬に昇る。

「あ、え、えっと……」

「紗代子サン。俺ね、この前誕生日だったんです」

「え、いつ?」

急な話題転換に、紗代子は驚く。目を見開く彼女の前で、黒尾はいたずらっぽく笑う。

「11月17日。東京都代表決定戦の日」

「そ、そうだったんだね。おめでとう」

「ありがとうございマス。で、プレゼント、ちょーだい?」

「今は何にも持ってない、よ。今度で良い?」

「ダーメ」

黒尾が絡めた指をキュッと握る。いつでも離せるくらいの力加減だが、きっと彼は離してくれない。これは推測でなくて確信だ。

「何が、欲しいの?」

何故だか緊張してきて、紗代子のドキドキがまた再開される。そんな彼女の内心を知ってか知らずか、黒尾は笑みをそのままに「デート」と甘く甘く囁いた。

「デートして、紗代子サン」

「で、デート?」

「そ。来月25日ね。もう冬休み入ってるしちょうどオフなの。予定あります?」

「な、無い、と思う」

「じゃ、約束ね。それがプレゼントって事で」

黒尾がそう言って紗代子の頬にキスをした。ビクリと紗代子の肩が揺れる。彼女はもうこれ以上無い程真っ赤だ。可愛いなぁ、と黒尾はもう一度同じ所に唇を落とした。

文化祭終了のアナウンスが校舎内に響き渡る。

何とか赤みを引かせた頬で、紗代子は黒尾に手を引かれて校門まで歩いた。

「俺、まだ片付けに参加しないといけないから、ココでごめんなさい。本当は家まで送りたいんですけど」

「や、大丈夫。小さい子供じゃないんだし、ちゃんと帰れるよ」

「俺が心配なんですぅー」

わざとらしく唇を尖らせた黒尾に思わず紗代子が吹き出すと、「ヨシヨシ、笑ったな」と黒尾もニッと笑った。

「念の為、家着いたらメールください。紗代子サンに何かあったら、夜久に顔向けできないし」

「分かった」

紗代子は「じゃあ、また土曜日に」と身を翻そうとしたが、すんでのところで黒尾に手を掴まれる。

「黒尾くんっ?」

驚いて赤くなる紗代子の手をキュッと握ってから、黒尾はようやく握った手を離した。

「また部活でね、紗代子サン。気を付けて帰ってくださいね」

「う、うん。黒尾くんも片付け頑張って」

校門から少し歩いてそっと振り返ると黒尾はまだそこにいて、そちらを見た紗代子に気付いて手を振った。それに手を振り返し、彼女はようやく帰路に着いたのだった。




第9話です。
バイク、個人的に好きなんですよね。つい乗せちゃいました。
高校生といえば文化祭ですよね!ってことでねじ込んでしまいました。普通の文化祭を体験した事が無いので色々とエセなんですけど、そこはそっとしておいてください……w
2人の仲は大きく進展しました。今回は甘さをめちゃくちゃ混ぜ込んでみました。拙作の黒尾はちゃんとエロかっこいいですか?どうでしょう?
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