6年前
明日菜は三年生になった。そんなお昼休みのことである。
「明日菜、放課後遊ばない?」
操介は明日菜を誘う。
「忙しいから無理ですね。ピアノのコンクールも近いですし。」
「ふーん、いつなのさ?」
「3ヶ月後です。」
「まだ先じゃん!」
明日菜の淡々とした答えに操介は度肝を抜かれる。
「先ととるかはどうとるかは人それぞれでしょう。」
「でさ、いつもどんだけ練習してるの?」
「4時間くらいですかね。」
「は?4時に帰って、4時間練習して…あと勉強もしなきゃ。食事と風呂で1時間…明日菜?いつ遊んでるんだ?」
操介も愚かでは決してない。なかなかの計算の速さと想像力である。
「休み時間ですね。」
「足りるのか?」
「私は平気ですね。」
「疲れないのか?」
「疲れますね。それが何か?」
明日菜は言ってはないが、10時には寝て、5時には起きては走り込んで筋トレしている。
「…俺も頑張らないとな。お風呂のお湯全部ちゃんと動かせるように頑張るぞ!」
ふんすふんすと鼻息を荒くする。操介は本当に良い子である。努力している人を見て、素直に尊敬できる。明日菜はそんな操介のことが好きである…ドキドキするとかは一切ないけど。
予鈴がなった。
「席に座って方が良いですよ。」
「言われなくても分かってるよ。」
放課後
「ただいま。」
「おかえり。」
明日菜の帰る頃に家にいるのは飛瑞だけである。
飛瑞は明日菜が帰る頃にはいつも、おやつを食べながら教育番組を見ている。そのおかげかいろんな言葉を知っていて、学校の勉強には困ってないようだ、と明日菜は推測した。
明日菜はヨーグルトを早めに食べて、リンゴ酢を飲む。よし、ピアノの練習を始めるぞ!と意気込んだ、その時、ニュース速報が流れた。
【速報】オールマイトとサー•ナイトアイ、コンビを解散。
「え?!」
明日菜の中で時が止まった。
「ふーん、残念だね。」
飛瑞は他人事のようにつぶやく。まあ、実際は他人事であるはずなのだ。
明日菜は、飛瑞の目の前のリモコンをひったくり、総合チャンネルに変える。…速報こそ流れたが、番組を狂わせるほどのことではないと、世間は判断したらしい。
「仲も良かったはずなのに?なんで?!」
「宿題やらなきゃ、嫌だな〜」
明日菜の混乱をよそに、飛瑞はゴソゴソとランドセルの中から計算ドリルを取り出す。
「計算ドリル終わり。」
明日菜が困惑している間に、飛瑞は計算ドリルを終わらせる。飛瑞にとって問題が簡単すぎるのだ。
明日菜の脳裏に浮かぶのは、オールマイトがサーのことをとても頼れる相棒と言い、サーも険しい表情の中に嬉しさを隠しきれていない姿だった。
「っ!!」
明日菜は寝室に閉じこもった。
飛鳥は仕事を終えて帰路に着いていた。
「は〜」
飛鳥は帰りたくない。帰って飛瑞から聞かされたのは、学校であった嫌なこと。悪口に同調するのは教育上よろしくない。ただ、学校であったことのレベルがあまりにも低いのだ。飛瑞が飛瑞の同級生に何をしているのか聞いたら、人間生活としか答えてくれない。授業はうるさくて聞こえない。そうだね、ひどいね、とも言えない、かといってどうすることもできない。飛瑞のことは好きなのに、でも会いたくない。
「明日菜は放っておいてもやることやってるから、たまーにトラブル起こす以外は扱いやすいわ。」
飛鳥はそう1人でつぶやいて、何が扱いやすいんだよと自分を責める。別に、明日菜も飛瑞も飛鳥に扱われるためにいるわけじゃないのに。
「あと、明日菜、なんでピアノでコンクールやる!とか言い出すかな?今のあの子、絶対オーバーワークよ!」
理由を思い出すと、単純である。明日菜は、とてもピアノが上手になりたかったのだ。そして、やるからには評価されてみたかったのだ。それだけである。それだけなのである。ピアノがうまくなりたい、ヒーローになりたい!そう思っただけなのに、その結果、遊びもしないで、早起きして、勉強、鍛錬、ピアノ!の超絶ストイック生活になったのだ。明日菜に関してはサボってほしいとまで飛鳥は考えている。
そうこうしているうちに玄関だ。なんか違和感がある。いつもならピアノの音がかすかに聞こえているのに、今日は聞こえない。明日菜に限ってサボってる?
「ただいま。」
「おかえり。」
答えたのは飛瑞だけだ。明日菜は何をしているのだ?ピアノもやってない、挨拶も返さない。
「飛瑞、明日菜は?」
「さあ?寝室に行っちゃった。お姉ちゃん、オールマイトとサー、コンビ解散したから残念がって泣いてるんじゃない?」
泣いているかもしれない、そう言いながら、怠そうに話す。そんな飛瑞は小学校に入ってからだ。飛瑞も、他人を気遣う余裕がなくなっていた。
飛鳥はスマホのニュースを確認した。オールマイトとサーのコンビ解散は事実のようだ。
「宿題やっといたから丸つけしといて。」
「飛瑞!それは後!」
飛鳥はピシャリと言った。
「…明日菜、泣いてるかもしれないから、先にそっち行くわ。」
飛瑞も飛瑞の自分の行動を顧みて驚いた。泣いてるかもしれない姉よりも自分のことを優先させようとしてしまった。そして、自分を恥じた。
「ごめんなさい。お姉ちゃん、見てきて。」
物分かりの良すぎる優しい飛瑞はそう言った。
2階に上がり、寝室のドアをノックする。
「明日菜、聞こえる?」
「うん。」
泣き腫らしたような明日菜の声が聞こえる。
「オールマイト、これからも悪には屈しないって。サー、これからは独立したヒーローとして活動するけど、オールマイトに対しての尊敬は変わってないって。」
明日菜の反応はない。
「開けるわよ。」
寝室を開けると、明日菜は布団にくるまっていた。
「ごめんなさい。ピアノやってなくて…どうしよう、動けない、助けて。」
そう言った明日菜の顔は恐怖に染まった。飛鳥に怒られると思ったのだ。
(え、私、そんなに明日菜から信用されてない?)
「怒らないわよ。夕ご飯いる?」
「動けないからいらない。」
「そう。」
そして、飛鳥は部屋から出ていった。
明日菜は布団の中で考える。
平和の象徴たるオールマイト、それを同じ『個性』のサーがすぐ側で支えている。それは明日菜にとって、完璧とも言える世界だった。
オールマイトはこれからも悪に屈しない。サーはオールマイトを尊敬し続ける。それで充分だ。彼らは今まで通り素晴らしい、それが変わらないのに、何をそんなに悲しむ必要がある?明日菜の理性はそう語りかける。
(オールマイトとサーのコンビ、大好きだったのに見られなくなるのは悲しい。それに、どうしようもなく、怖い。怖い?)
明日菜は自分の中にある恐怖を分析する。
オールマイトとサーの理想的なコンビが終わる。それは、私の甘い夢、完璧な世界の終わり。夢は終わる、それが現実。未来と同じ、変えられない現実。
素晴らしい世界はいつか終わる…そこから導き出されるもの、それは、オールマイトの失墜だ。
オールマイトもいつか、ヨボヨボのおじいちゃんになって平和の象徴ではなくなる。
それはきっと変えられない未来だ。そんな未来は見たくもない。
「予知の『異能』を持つ私が…見たくないですか…甘えんじゃねえよ。ヒーローになるんだろう?!」
明日菜は今までで1番汚い言葉を吐いた。
そして、明日菜は狂ったように笑った。
「予知の『個性』、そんな呪いを背負っても、オールマイトの女房役にまでなった、サー•ナイトアイ。あなたこそ、私の星の道標だ。」
暗い部屋の天井を見上げる。
「オールマイトとのコンビを解散するほどのことがあっても、その、敬愛は変わらない…その言葉を信じましょう。」
だからこそ、今まで以上に捧げよう。私の努力、名声、その全てを。
「それに、オールマイトに関して言えば、おじいちゃんになった、オールマイトが私たちの活躍を見て、のんびり笑っていられる世界を作るくらいの勢いでなければ、サーに顔向けできません。」
そして、明日菜はハッとした。そうか、オールマイトの失墜こそ避けられなくても、オールマイトの築いた、この平和の中で、オールマイトすら安心させられるような未来を作る。それは、なんて素晴らしいことだろう。
明日からは、それを夢として生きていこう…今日は泣きすぎて疲れた。
そして、明日菜は深い眠りに落ちた。
飛鳥はトボトボと階下に降りてきた。
「お姉ちゃん大丈夫だった?」
飛瑞は心配そうに聞く。
「…かなり辛そうよ。」
「そうだよね。今まで、ずっと、オールマイトとサーは一緒だったのに、それが変わるって辛いよね。」
飛瑞はまるで自分が辛いかのように言う。
「変わるのは辛いよ。」
それは小学校にあがって環境が変わった飛瑞の静かな悲鳴だった。
「さあて、夜ご飯作るわよ。明日菜はいらないって言っていたけど、冷蔵庫に入れておきましょう。」
飛鳥は飛瑞の悲鳴が聞こえないふりをした。
「お姉ちゃん、お腹痛いの?」
「…そう、かな?」
飛鳥は精神的に辛くて食べられないことを、飛瑞には説明しないことにした。
「じゃあ、治ったら食べられるように雑炊が良い。」
飛瑞はとても優しい子だ。
「そうしましょう。具は何にしましょう。」
「カニ缶が良い!いっぱい入れて!!」
飛鳥は飛瑞の優しさに感化されて、いつもより一缶多く、蟹缶を使った。
翌朝、飛鳥はいつもの時間に目が覚めた。
いつも通り、朝食を作る。今日の朝はトーストとスクランブルエッグだ。冷蔵庫を開けても、昨日の雑炊はまだ残っている。
いつもなら、走り込みに行ってる明日菜が帰ってくる時間…でも、今日は、走り込みには行ってないだろうと、飛鳥が考えていた時、玄関でチャイムが鳴った。
「おかーさーん、助けてくださーい。」
明日菜の声がインターフォンから聞こえる。
飛鳥はすぐに火を止めて、玄関から出たら、玄関に明日菜が倒れていた。
「明日菜?!」
「目が回って、手足が震えます。」
飛鳥はすぐに明日菜を抱えて部屋に運び込んだ。
「明日菜、あなた何をしてたの?」
「走り込みですー」
「え?」
飛鳥は驚く。もう、いつも通りなのかと。正直今日は学校もお休みかと思っていたくらいだ。
「いつも通りですよ。なのに、目が回ります。」
明日菜はぐったりしながら言う。
「昨日のご飯は?」
「忘れてました。」
あぁ、多分低血糖だ、と飛鳥は予想した。この子は怖いくらい真面目なのに、たまに妙なところで抜けているのだ。
「昨日の雑炊、あっためてあげるから食べなさい。」
「ありがとうございます。」
震える手で雑炊を食べ終わってしばらくしたら、明日菜は元気になった。
「ご馳走様でした。」
「明日菜、あなた、大丈夫なの?」
「知ったことではありません。」
その言葉に飛鳥はムッとする。
「それはないんじゃないの?」
それに対して明日菜は据わった目で言う。
「私が辛いとかどうでも良いです。オールマイトとサーの決断のせいで、この私が動けなくなる?!この私が動けない理由をオールマイトとサーに求めるのは、冒涜だ。何より今まで、サーと同じ『個性』を理由に努力できるという恩恵を受け取ってきた。その恩を仇で返すとは、なんて恥知らずだ。」
そして、飛鳥はハッとする。この子は、なんで強いのだろう。
「お母さん、おはよう。」
飛瑞が階段を降りてきた。
「学校行きたくないなー」
そう言いながらも、飛瑞はパジャマから着替え始める。
それを見て飛鳥は自分を恥じた。飛瑞の愚痴を聞きたくないから帰りたくない?飛瑞は行きたくないのに、今もこうして学校に行く準備をしている。現実と戦おうとしている。
「飛瑞、帰ったら、学校での仲良しの仕方、教えてあげる。」
飛鳥は決意した。飛瑞には全ての知識を使って、加害者にも被害者にもならない融和の術を叩き込もうと。
「ありがとう。みんなのことがわからなくて、辛いんだよね。」
そして、子供達と飛鳥は朝の支度を始める。
操介がいつも通り、明日菜を迎えにくる。
「行ってきます。」
明日菜はいつも通り、学校に行く。
「いってらっしゃい。」
いつも通り、飛鳥は明日菜を送り出す。
日常は続いていく。