レリの決断、ミラルの覚悟、そして忍び寄るギエスの影。
鋼鉄の迷宮〈ガレア〉を舞台に、運命の歯車が音を立てて回り始める——
蜘蛛の巣はすでに張られ、獲物が罠に近づいていた。
ギエス領内の山岳地帯、放棄された鉱山施設を利用した隠れ家。
外は冷たい雨が降りしきり、岩肌を打つ音が絶え間なく響いていた。
だが、その湿った空気以上に、隠れ家の中には張り詰めた緊張が充満していた。
「動くな。指一本でも動かせば、その首が胴体とお別れすることになる」
低い、地を這うような警告を発したのは、第一小隊の戦闘用兵士、エルだった。
彼女の手には、抜き身の単分子カッターが握られ、切っ先は
侵入者の喉元数センチにピタリと固定されている。
その背後では、大柄なサキがいつでも突撃できるよう、床を踏みしめて構えていた。
彼女の怪力ならば、素手でも人間の頭蓋骨など容易く粉砕できるだろう。
情報技官のカイとケイは、すでに端末を展開し、侵入者の生体スキャンと外部との
通信状況を解析している。
ジェイ軍曹は、レリとミラルを背に庇い、無言の圧力を放っていた。
突然の訪問者――それは、降りしきる雨の闇に紛れ、何の前触れもなく
現れた男だった。
「手荒い歓迎だな。だが、悪くない。これほどの警戒心があれば、
ここ数日生き延びてきたのも頷ける」
喉元に凶器を突きつけられているというのに、男は口元に薄い笑みを浮かべていた。
濡れたフードをゆっくりと払うと、金髪碧眼の精悍な顔立ちが露わになる。
年齢は三十代半ばだろうか。
その瞳には、死線をくぐり抜けてきた者特有の、静かで冷徹な光と、
それとは対照的な熱い意志が宿っていた。
「質問に答えろ。所属と目的は」
ジェイ軍曹がドスの利いた声で問う。
男はゆっくりと両手を挙げ、懐から一枚のカードを取り出した。
それは古びた金属プレートで、エザワイス王家の紋章に、
一本の剣が突き刺さっている意匠が刻まれていた。
「エザワイス抵抗軍『鉄槌』指揮官、エルアド少将だ。
……ミラル大佐、久しぶりだな」
その名を聞いた瞬間、彼女はジェイの肩に手を置き、前に出る。
「……武器を収めて。彼は敵じゃないわ」
「しかし大佐、本物である確証が」
「その声紋パターン、そしてその紋章。間違いないわ。
それに、彼は死んだと聞いていたけれど……このふてぶてしい態度は、
幽霊にしては生々しすぎる」
ミラルが皮肉っぽく笑うと、エルアドもまた、肩をすくめて笑い返した。
エルがカッターを引き、サキが構えを解く。
だが、第一小隊のメンバーたちの瞳から警戒の色が完全に消えたわけではない。
彼らはヒューマノイドだ。
論理的な安全確認が済むまでは、レリを守ろうとする。
「驚かせたことは詫びよう。だが、悠長にノックをしている時間はなかった。
ギエスの猟犬どもが、鼻を利かせ始めている」
エルアドは部屋の中央にある粗末なテーブルに歩み寄ると、
濡れたコートを脱ぎ捨てた。その下には、使い込まれた戦闘服と、
数々の傷跡が刻まれた身体があった。
レリは、恐る恐るその男を見つめた。
(この人が、お父さんの仲間……) 父ダクと同じような、
戦う男の匂いがした。
火薬と、鉄と、そして悲しみを背負った匂いが。
「レリ王女殿下ですね。お会いできて光栄です」
エルアドはレリに向き直ると、軍人らしい洗練された動作で敬礼をした。
その眼差しは、先ほどまでのふてぶてしさとは打って変わり、
深い忠誠と慈愛に満ちていた。
「あ、はい……レリ、です。よろしくお願いします」
レリが慌てて頭を下げると、エルアドは優しく頷き、
すぐに厳しい指揮官の顔に戻ってテーブルの上に地図データを投影した。
時間がない。単刀直入に言おう。本国からの要請だ。我々の任務は、
ここから北東へ二百キロ、工業都市ガレアにあるギエスの
重要拠点を叩くことにある」
空間に浮かび上がったホログラムは、無数のパイプと高層建築が入り組んだ、
要塞のような都市の姿を映し出した。
「ガレア……ギエスの心臓部の一つね」
手で顎をさすりながら、地図を睨む。
「新型ヒューマノイドの開発ラボがある場所。違う?」
「ご明察だ、大佐」エルアドが肯定する。
「奴らはそこで、従来のヒューマノイドを凌駕する『ジン13』の
量産体制に入ろうとしている。
もしそれが完成し、前線に投入されれば、二週間後の連合軍総攻撃は
失敗に終わるだろう。エザワイスの復興も、夢と消える」
室内の空気が、鉛のように重くなった。
レリは息を呑んだ。自分の逃避行が、ただ逃げるだけのものではなく、
国の運命そのものを背負った戦いの中に組み込まれていることを、
改めて突きつけられたのだ。
「ターゲットは、ラボの中枢にあるマザーコンピューターの破壊、
および生産ラインの凍結だ」
エルアドは地図上の一点を指し示した。
「だが、問題は侵入ルートだ。ガレアは対空防御が完璧で、
空からの接近は不可能。地上も三重の検問がある」
「正面突破は自殺行為ですね」冷静に分析したのは、情報技官のカイだった。
「都市のセキュリティレベルは最高ランク。ハッキングでゲートを
開けるだけでも、数時間はかかります。その間に包囲されて終わりです」
「ああ。だからこそ、これが必要になる」
エルアドは懐から、一枚のカードキーを取り出し、テーブルに滑らせた。
何の変哲もない黒いカードだが、その縁は微かに赤く発光している。
「それは……?」
「ラボのセキュリティ・マスターキーだ。私の部下が、
命と引き換えに入手した」
エルアドの声が、一瞬だけ揺れた。
その「部下」がどのような最期を遂げたのか、語らずとも
その場の全員が理解した。
「これがあれば、従業員搬入路から中枢エリア手前まで、
ノーチェックで入れる。だが、そこから先は実力行使だ」
ミラルがカードを手に取り、その重みを確かめるように見つめた後、
鋭い視線をエルアドに向けた。
「作戦の概要は見えたわ。でも、戦力はどうするの? あなたの部隊と、
私の第一小隊だけ? 相手は師団規模の防衛隊よ」
「陽動が必要だ」エルアドは即答した。
「私の部隊『鉄槌』が、都市の東側にある燃料貯蔵庫を爆破する。
派手にやるさ。敵の主力がそちらに引きつけられた隙に、
精鋭による別動隊が西側の搬入路から侵入、ラボを目指す」
「その別動隊の指揮は?」 「私が執る。そして、ミラル大佐、貴官と第一小隊にも同行を願いたい。特に……」 エルアドの視線が、レリの横に浮かぶクーに向けられた。
「そのプログラム体の解析能力と、王家のみが扱える・・・『権限』が・・・
必要になる場面が必ず来る」
「レリを、死地に連れて行けと言うの?」 ミラルの声色が一段低くなり、
殺気が滲んだ。
サイボーグである彼女の機械化された四肢が、微かに唸りを上げる。
「彼女を守るのが私の最優先任務よ。危険な賭けには乗れない」
「賭けではない。これは勝算のある作戦だ」エルアドは一歩も引かなかった。
「それに、ここで逃げ続けても、いずれギエスの包囲網は狭まる。
ならば、敵の喉元に食らいつき、混乱に乗じて脱出路を
確保する方が生存率は高い。何より……」
エルアドはレリの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「王女殿下。あなたの力が必要なのです。この世界を、
ギエスの悪夢から救うために」
レリは、ムメやダクとの別れを思い出していた。
彼らは自分を守るために戦い、そして散っていった。
自分だけが安全な場所に隠れていていいのだろうか。
彼女は顔を上げた。その碧眼には、迷いはなかった。
「ミラル……私、行きます」
「レリ!」
「逃げるのはもう嫌。父さんや母さんが守ろうとした
エザワイスのために、皆の力になれるなら……やりたいの」
ミラルはしばらくレリを見つめていたが、やがて深いため息をついた。
その表情には、呆れと共に、隠しきれない誇らしさが混じっていた。
「……強くなったわね、レリ。わかったわ。ただし、
あなたの半径五メートル以内から離れない。それが条件よ」 「はい!」
エルアドが満足げに頷く。
「決まりだな。作戦開始は明後日の未明。移動を開始する。」
隠れ家の中が、一気に慌ただしく動き出した。
その熱気の中で、エルアドとミラルは、詳細な破壊工作の段取りを詰め始めた。
「搬入路のセンサー配置はどうなっている?」
「三層構造だ。熱源探知、魔力波検知、振動検知。
だが、この時間帯ならメンテナンス用のダミー信号が使える」
「爆薬のセットポイントはここ、冷却炉の直下ね。構造的弱点だわ」
「流石だな。だが、退路の確保が一番の難関だ。
ラボの地下水路を使う案があるが……」
二人の指揮官の議論は、冷徹かつ具体的だった。
そこには感傷が入る余地はなく、あるのは
いかに効率的に敵を殺し、目的を達成するか」というプロフェッショナルの
論理だけだった。
その横顔を見ながら、レリは自分の拳を強く握りしめた。
一方、ギエス本国、首都中央にそびえ立つ警察部隊総司令部。
その最上階にある執務室は、外の喧騒とは無縁の、
死のような静寂に包まれていた。
部屋の照明は極限まで落とされ、壁一面の巨大なモニターだけが、
青白い光を放っている。
帰還していた、ニトス・パゴレは、レザー張りの椅子に深く身を沈め、
グラスの中で揺れる深紅のワインを見つめていた。
その赤は、まるで彼女がこれまで流させてきた血の色のように、
妖しく輝いている。
「……鼠たちが、消えたか」
彼女の唇から漏れたのは、獲物を見失った狩人の嘆きではない。
むしろ、獲物が自分の予想通りの場所に潜り込んだことを確信した、
捕食者の歓喜のつぶやきだった。
モニターには、ギエス領内の地図が表示されている。
レリたちが目撃された最後の地点と、そこからの移動可能範囲、
そして抵抗軍の動き。それらの点が、
ニトスの脳内で一本の線へと繋がっていく。
「北西の山岳部での通信傍受……暗号化されているが、
これはエザワイスの軍用コードね。
そして、隣接管区での物資の横流し。
……随分と焦っているようじゃない、エルアド少将」
彼女は既に、抵抗軍の指揮官が合流したことを察知していた。
ニトスは立ち上がり、窓ガラスに映る自分の姿を見つめた。
豊満な肢体を包むミニスカートの制服が、彼女のサディスティックな
魅力を際立たせている。
「連合軍の総攻撃まであと二週間。今の彼らにできることは限られている。
逃亡? いいえ、それならもっと南へ向かうはず。国境越えを狙うなら東だ。
だが、彼らのベクトルは北を向いている」
彼女の指が、窓ガラスの上を滑り、ある都市の上で止まった。
「工業都市ガレア」
ニトスの口元が歪み、凶悪な笑みが形作られる。
「そうよね。私がレリ・プロラの立場なら、あるいはあの生真面目な抵抗軍なら、
ただ逃げるなんて選択はしない。一矢報いようとするはず。
それも、最も効果的で、我々が痛手を受ける場所へ」
新型ヒューマノイド『ジン13』の量産プラント。
そこは、彼女の情夫であり親戚でもあるジン・ネルプ所長の城だ。
そして、ギエスの軍事力の要でもある。
「予測通りすぎて、あくびが出るわ」
ニトスはデスクの通信機に手を伸ばした。
「ルゴル長官への報告は後でいい。……繋いで。
ガレアのラボ、ジン所長へ」
数秒のコールの後、回線が繋がる。
「あら、ジン? 私よ。……ええ、久しぶりね。
今夜はベッドのお誘いじゃないの。
もっと刺激的なプレゼントがあるわ」
ニトスの声は甘く、しかしその瞳は氷のように冷たかった。
「お客様が来るわよ。最高のおもてなしをしてあげなさい
。……ええ、そう。あの可愛いお姫様とその取り巻きたちよ」
彼女はワインを一気に飲み干すと、グラスを床に叩きつけた。
パリーンという甲高い音が、静寂を引き裂く。
「警備を強化するふりをして、中枢まで誘い込みなさい。
袋の鼠にしてから、じっくりと絶望を味わわせてあげる」
ニトスの脳裏には、すでに光景が浮かんでいた。
希望を持って侵入してきたレリたちが、
逃げ場のない鋼鉄の迷宮で、次々と狩られていく様が。
そして、最後に残ったレリが、恐怖に顔を歪めながら
自分の足元に這いつくばる姿が。
「待っていなさい、レリ。今度こそ、その身体も心も、
私のコレクションに加えてあげるから……」
闇の中で、ニトスの笑い声が低く、長く響き渡った。
それは、獲物を待ち構える蜘蛛が巣を張り終えた時の、
残酷な満足感に満ちていた。
ますます、硬い意志を抱き始めたレリ、彼女の思いはは勇気ある決断となるか,無謀な行動に終わるのか。