レリたちの決死の突入は、ニトスの張り巡らせた罠に絡め取られ、
仲間を守るため、レリは自らを差し出す決断を下す。
一方、捕らえられたミラルたちは、ジンの狂気に晒されながらも脱出の糸口を探る。
そして、レリの前に現れたのは、氷のような威圧を纏うギエス総統。
炎と氷、運命を背負う二つの存在が、静かなる晩餐の席で対峙する――
工業都市ガレア。
その中枢に鎮座するギエス・ラボの指令室は、張り詰めた空気に包まれていた。
無機質な白い壁に囲まれた空間で、所長のジン・ネルプは
苛立ちを隠そうともせずに歩き回っていた。
「警備班、Cブロックのセンサー感度を上げろ!
ネズミ一匹通すなと言っているんだ!」 ジンの怒号が飛ぶ。
彼は自身の傑作であるヒューマノイドや、このラボそのものに対して
歪んだ愛情とプライドを持っていた。
そこへ土足で踏み入るような事態が、彼には我慢ならなかったのだ。
その時、自動ドアが音もなく開き、ヒールの音が指令室の床を叩いた。
「相変わらず、声だけは大きいのね、ジン」
艶然とした笑みを浮かべて現れたのは、警察部隊副長官、ニトス・パゴレだった。
その背後には、完全武装した精鋭部隊が影のように付き従っている。
赤毛のウェーブヘアを揺らし、体に密着したミニスカートの制服から
伸びる脚を組み替えながら、ニトスはジンを見下ろすように言った。
「配置を変更するわ。マザーコンピュータ室の前、そこを主戦場にする」
「なっ……! あそこはラボの心臓部だぞ!
そんなところでドンパチやられてたまるか!
私の指揮権を侵害する気か!」
ジンが唾を飛ばして抗議する。だが、ニトスは冷ややかな目で
懐から一枚の電子ペーパーを取り出し、ジンの目の前に突きつけた。
「ギエス総統閣下の直筆命令書よ。『作戦の全権はニトス・パゴレに委任する』。
……これでも文句があるのかしら?」
総統の署名と印章を見た瞬間、ジンの顔から血の気が引いた。
彼は唇を噛み締め、屈辱に震えながら沈黙するしかなかった。
ニトスは鼻で笑うと、部下たちに指示を飛ばした。
「獲物は必ずここに来る。マザー室前通路に『あれ』を仕掛けなさい。
……ふふ、たっぷりと可愛がってあげるわ」
その瞳は、獲物を前にした肉食獣のように、サディスティックな光を宿していた。
同時刻。ラボの外周部。
工業都市の夜空を、紅蓮の炎が焦がしていた。
抵抗軍『鉄槌』による燃料貯蔵庫の爆破だ。
轟音と共に上がる黒煙が、警備兵たちの注意を釘付けにしている。
その混乱の裏で、闇に紛れて動く影があった。
エルアド少将率いる別動隊、そしてレリを守る第一小隊だ。
ラボを囲む高さ四メートルの高圧電流フェンス。
その足元に、第一小隊の兵士サキが滑り込む。
「ここなら、センサーの死角だ」
彼女は背負っていたバックパックから携帯型のカッターを取り出した。
青白いプラズマの刃が、鋼鉄のフェンスをバターのように溶かしていく。
音はない。ただ、切断面が赤熱する微かな匂いだけが漂う。
人が一人通れるだけの穴が開くと、エルアド少将がハンドサインを送った。
全員が息を殺し、敷地内へと侵入する。
目の前には、搬入用の通用口。
サキとペアを組む情報技官のアルが、端末を接続するまでもなく、
事前に奪取していたカードキーをリーダーに通した。
『ピッ』 電子音が静寂の中で過剰に大きく響く。
ロックが解除され、重厚な金属扉がわずかな隙間を開けた。
「行くぞ」 エルアドの低い声と共に、部隊はラボ内部へと雪崩れ込んだ。
その動きには一切の無駄がなく、訓練された狼の群れを思わせた。
侵入は成功した。だが、レリの傍らに立つミラルは、
奇妙な違和感を覚えていた。
(……脆すぎる) 侵入警報が鳴らない。
監視カメラの首振りも、どこか緩慢だ。
通路を曲がった先で、ギエスの巡回兵二名と鉢合わせになった。
「なっ、貴様ら!」 敵兵がライフルを構えようとするよりも速く、
第一小隊のエルが疾走した。 銀閃。
ヒューマノイド特有の超人的な脚力で間合いを詰め、
抜き放たれた剣がライフルの銃身ごと敵の腕を斬り飛ばす。
「ぐあぁっ!」 悲鳴が上がる前に、もう一人の敵兵の背後には、
すでにジェイ軍曹が回り込んでいた。
首筋への正確な一撃。敵兵は糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
鮮やかすぎる排除。スピード感あふれる戦闘。
しかし、ミラルの中の警鐘は鳴り止まない。
「少将、順調すぎます。まるで、招かれているようだ」
ミラルが進言するが、エルアドは足を止めずに答えた。
「罠かもしれん。だが、虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。
今は進むしかない」
その背中は、揺るぎない自信と、ある種の焦燥感を漂わせていた。
一行は、ラボの深層部、マザーコンピュータ室の前へと到達した。
そこは、他のエリアとは異なり、冷気すら感じるほどに静まり返っていた。
巨大な対爆扉が、彼らの行く手を阻んでいる。
「カイ、クー、頼む」 ミラルの声を受け、上級情報技官のカイが前に出た。
彼女はメイド服のスカートを翻し、コンソールに向かうと、
目にも止まらぬ速さでキーを叩き始めた。
「プロテクトレベル、クラスS。物理ロックと魔法障壁の二重構造です」
カイの冷静な分析に合わせ、空中に浮かぶプログラム体、
クーが緑色の髪をなびかせて舞い降りる。
「物理コードはカイに任せた! ボクは魔法術式を解体するよ!」
クーが小さな手をかざすと、扉の表面に複雑幾何学模様の
魔法陣が浮かび上がった。
紫色の瞳を輝かせ、クーは空中に光の文字を書き込んでいく。
それは魔法科学特有のハッキングプロセスだ。
カイの指先が奏でる電子の律動と、クーが紡ぐ魔力の波動。
二つの力が共鳴し、強固なセキュリティを一枚ずつ剥がしていく。
汗一つかかず、瞬きすら忘れて画面に没頭するカイ。
楽しげに、しかし真剣な眼差しで術式を書き換えるクー。
その光景は、まさにこの世界のテクノロジーの結晶だった。
『アクセス承認。ロック解除』
無感情な電子音声と共に、重厚な扉が重々しい音を立てて左右に開く。
「やった!」
レリが声を上げ、エルアドたちが部屋へと踏み込もうとした、
その瞬間だった。
ヒュンッ!
空気を切り裂く音と共に、マザーコンピュータ室の入り口周辺の
床と天井から、高出力の光柱が出現した。
「きゃあっ!」 「しまっ……!」
レリ、ミラル、そして第一小隊の面々を取り囲むように、
赤色のレーザーグリッドが檻となって形成される。
空気が、焦げていた。
肌を刺すような熱気ではない。それはもっと直接的で、
生物としての生存本能を根底から脅かすような、
致死的なエネルギーの檻だった。
遅れて飛び込もうとしたエルアドの部下が、レーザーに触れた。
ジュッ、という不快な音と共に、軍服と皮膚が瞬時に炭化する。
「下がるんだ! 触れるな!」
ミラルが叫び、レリを抱きかかえて中心へと移動する。
逃げ場はない。完全な袋の鼠だった。
「あらあら、随分と元気なネズミさんたちね」
闇の奥から、甘く、毒を含んだ声が響いた。
コツ、コツ、とヒールの音を響かせ、レーザーグリッドの向こう側に
姿を現したのは、ニトス・パゴレだった。
彼女は捕らえられたレリたちを見渡し、恍惚とした表情で唇を舐める。
「ようこそ、私の処刑台へ。待っていたわよ、レリ・プロラ」
その顔に浮かんでいるのは、獲物の恐怖を何よりの糧とする、
サディスティックな喜悦の笑みだった。
対するレリは、恐怖に足を震わせながらも、その碧眼でニトスを睨み返す。
「あなたが、私たちを追っていた・・・!」
「はじめまして、王女様、ニトス・パゴレと申します。ほほほ・・・!」
レリの瞳には、かつてないほどの怒りと、極限の緊張が交錯していた。
檻を隔てて対峙する、狩る者と狩られる者。
張り詰めた糸のように、その場の空気は凍りついていた。
「あらあら、あなたが、小隊の指揮官ね、
ミラル・タギ大佐、だったかしら?
狂戦士タギ・・・
ずいぶんと、手を焼かせてくれたけど
ほほほ・・・、暑苦しい顔をしているわね、」
体に密着したミニスカートの制服を着こなし、
燃えるような赤毛をかき上げながら、
彼女はサディスティックな笑みを浮かべている。
その手には、グリッドの出力制御端末が握られていた。
「無駄な抵抗はおやめなさいな。あなたたちの命なんて、
この指先一つで消し炭にできるのよ?」
「断る」
ミラルは即答した。汗が頬を伝い、顎から滴り落ちる。
「レリ王女を貴様らのような下衆に引き渡すくらいなら、
ここで全員燃え尽きた方がマシだ」
「強がりねぇ。でも、後ろのお姫様はどうかしら?」
ニトスの視線が、ミラルの肩越しにレリを射抜く。
「ねえ、レリ・プロラ。あなた、仲間がどうなってもいいの?」
レリは息を呑んだ。
周囲を見渡せば、第一小隊の少女たち――ジェイ、カイ、アル、サキ……
そして、少女兵のハル。
全員が武器を構え、必死の形相でニトスを睨みつけている。
エルアド少将もまた、闘志を失っていない。
けれど、状況は絶望的だった。
レーザーグリッドの輝きが増すたび、
ジリジリと皮膚が焼けるような熱さが強まっていく。
「聞こえないのかしら? 投降しなさい。
そうすれば、この薄汚いネズミたちの命だけは助けてあげるわ」
ニトスが端末のスライダーに指をかけた。
ブォン、と重低音が響き、光の檻が内側へと狭まる。
「っ……!」
最前列にいたサキの戦闘服の袖が、熱波で焦げ付いた。
「やめて!」
レリの悲鳴に近い叫びが響く。
「レリ! 聞くな!」ミラルが怒鳴る。
「奴の言葉に耳を貸すな! これは罠だ、お前を手に入れれば、
奴らは結局全員を殺す!」
「あら、心外ね。私は約束は守るわよ。……今のところはね」
ニトスは艶然と微笑み、さらに出力を上げた。
空気が歪む。熱が、呼吸すら困難なほどに密度を増す。
このままでは、全員が焼き殺される。私のために。
私が、決断しなければ。
レリの脳裏に、育ての親であるダクとムメの最期がよぎった。
彼らは自分を守るために散った。また、同じことが繰り返されるのか。
(嫌だ……もう誰も死なせたくない)
レリの手が震える。ホルスターにある王家の銃の重みが、
今はただの鉛の塊のように感じられた。
「……わかったわ」
レリは、絞り出すように言った。
「レリ様!?」
ジェイが驚愕の声を上げる。
レリはミラルの背中から離れ、一歩、前へ出た。
その碧眼には、恐怖と、それ以上の悲壮な決意が宿っていた。
「私が投降します。だから……みんなには手を出さないで」
「レリ! 駄目だ!」
ミラルが振り返り、レリの腕を掴もうとした。
その義手の手指が、レリの細い腕に食い込む。
「行ってはいけない! あなたは、はエザワイスの希望なんだ!
ここで奴らに屈すれば、全ての犠牲が無駄になる!」
「でも、ミラルが死んでしまう! みんなが死んでしまう!」
「それがどうした! 我々は軍人だ、そのためにここにいる!」
ミラルの瞳には、血走った怒りと、深い絶望が渦巻いていた。
彼女にとってレリは任務の対象であり、そして何より、
守るべき愛しい存在だった。それを自ら敵に差し出すなど、魂が拒絶していた。
「いいえ、ミラル」
レリは、涙を溜めた瞳で微笑んだ。そして、ミラルの鋼鉄の手を、
そっと自らの手で包み込んだ。
「私は、みんなに生きていてほしい。……王女としての、私の最初の命令です」
「っ……!」
ミラルが言葉を詰まらせた隙に、レリはグリッドの境界へと歩み寄った。
「賢明な判断ね」
ニトスが端末を操作すると、レリの正面の光だけが一時的に消失した。
レリは振り返らなかった。振り返れば、決意が鈍る気がしたからだ。
彼女は光の向こう側、ニトスの元へと歩を進めた。
その瞬間だった。
レリの心の中に、懐かしい、いたずらっぽい少年の声が響いた。
(心配しないで、レリ)
クーだ。
姿は見えない。彼は実体化を解き、データ粒子となって大気中に拡散していたのだ。
レーザーグリッドの物理的な遮断も、
プログラム体である彼には意味をなさなかった。
(クー……? どこにいるの?)
(すぐそばにいるよ。でも、今は姿を現せない。
ボクが出ていけば、奴らは警戒レベルを最大にするだろうからね)
心に直接語りかけるその声は、極限の緊張状態にあるレリにとって、
唯一の救いだった。
(いいかい、レリ。決して諦めちゃだめだ。ボクが必ず何とかする。
外からシステムにハッキングをかけて、脱出の糸口を見つけるよ。
だから……)
(……うん)
(時間を稼いで。簡単に奴らの要求に応じちゃだめだ。
君の命は、君だけのものじゃないんだからね)
(わかった。……信じてるよ、クー)
レリが完全にニトス側の領域に入ると、背後のグリッドが再び閉じた。
ニトスは勝利の笑みを浮かべ、レリの顎を乱暴に掴んで上を向かせた。
「ようこそ、ギエスへ。可愛がってあげるわ」
レリは睨み返した。その瞳の奥には、先ほどまでの怯えとは違う、
小さな炎が灯っていた。
***
レリが連行された後、残されたミラルたちは武装解除され、
ギエスの輸送機に詰め込まれた。
レリの命を人質にされ、抵抗はできなかった。
向かった先は、ギエス本国の地下深くに位置する、特別収容施設だった。
湿った石壁と、錆びついた鉄格子。どこからか聞こえるうめき声。
そこは、ギエスに逆らった者たちが最後に行き着く、
絶望の吹き溜まりだった。
牢獄の中に放り込まれた第一小隊の面々は、床に座り込み、
重苦しい沈黙に包まれていた。エルアド少将は別の区画へと連れて行かれ
ここにはミラルと第一小隊、そして途中で捕らえられた
少女兵ハルだけが残されていた。
カツ、カツ、カツ。
静寂を破り、神経質な足音が響いてきた。
鉄格子の前に現れたのは、白衣を纏った男だった。
ジン・ネルプ。ギエスラボの所長であり、あのアンドロイド「ジン13」の生みの親。
彼は細い縁の眼鏡の奥から、粘着質な視線を牢内の面々に這わせた。
まるで、ショーケースに並んだ珍しい昆虫を品定めするかのような、
不快な喜色に満ちた目だった。
「素晴らしい……実に素晴らしいよ」
ジンは恍惚とした表情で呟いた。
「エザワイスの最新鋭ヒューマノイドたち。
それに、サイボーグの検体まで。これほどの素材が一堂に会するとはね。
フフ、フフフ……研究意欲が湧いて止まらないよ」
ミラルは鉄格子に歩み寄り、冷徹な声で告げた。
「貴様がジンか。……我々はどうなってもいい。
だが、そこにいる子供は関係ない」
ミラルが視線で示したのは、部屋の隅で膝を抱えて
震えている少女兵ハルだった。
「彼女はギエスの民だ。我々が無理やり連行したに過ぎない。彼女を解放しろ」
それは嘘だった。ハルはレリたちに感化され、
共に戦うことを選んだ仲間だ。だが、このままでは彼女も
実験動物として処理される。ミラルなりの、精一杯の庇護だった。
しかし、ジンは冷ややかに鼻を鳴らした。
「解放? 何を寝ぼけたことを言っているんだね?」
ジンは侮蔑の色を隠そうともせず、ハルを見下ろした。
「その娘の両親は、我が国を裏切った反逆者だよ。
汚れた血筋だ。そんなゴミを社会に戻して何になる?」
「なっ……」
「むしろ感謝してほしいくらいだね。
この私の偉大なる実験の材料として、その薄汚い命を
有効活用してやろうと言っているんだ」
ジンの言葉は、ハルの心臓を凍り付かせた。
「あ……ああ……」
ハルは顔面を蒼白にし、過呼吸のように息を荒げた。
両親が裏切り者? 実験材料? あまりの絶望に、彼女の視界が暗転する。
ハルはそのまま、糸が切れた人形のように床へ崩れ落ち、気を失った。
「ハル!」
ミル・レイスが駆け寄り、彼女の体を抱き起す。
ミラルは鉄格子を義手で掴み、軋ませた。
「貴様……人の心はないのか!」
「心? 非効率な機能だね」
ジンは興味なさげに肩を竦めると、腕時計に目をやった。
「おっと、いけない。そろそろ総統閣下が動き出す時間だ。
エザワイスとその連合軍の殲滅作戦が大詰めを迎えるのでね」
彼は白衣を翻し、踵を返した。
「安心したまえ。戦争が片付き次第、たっぷりと時間をかけて、
君たちの中身を拝見させてもらうよ。
骨の髄、回路の一本一本までね……ククク」
遠ざかる笑い声を聞きながら、ミラルは拳を壁に叩きつけた。
だが、その瞳は死んでいなかった。
「……ジェイ軍曹」
「はっ」
「カイ、状況分析を続けろ。この牢獄のセキュリティホール、
看守の巡回パターン、全てだ」
「了解です、大佐」
ミラルは全員を見回した。
「諦めるな。必ずここを脱出し、レリを取り戻す。
……我々はまだ、負けていない」
***
一方、レリはギエス総督府の中枢にいた。
投降した翌日、彼女が連れてこられたのは、
地下牢でも尋問室でもなかった。
そこは、目が眩むほどに豪華絢爛な大食堂だった。
高い天井には巨大なシャンデリアが輝き、
床には深紅の絨毯が敷き詰められている。
長いテーブルには、山海の珍味をふんだんに使った料理が並べられ、
湯気を立てていた。
しかし、その美しさはあまりにも異様だった。
窓の外には見渡す限りの軍事施設と
荒涼とした大地が広がっているのに、
ここだけが切り取られたように煌びやかなのだ。
その不均衡さが、レリの不安を一層掻き立てた。
レリは、ドレスに着替えさせられることもなく、
汚れた戦闘服のまま、テーブルの端に座らされていた。
カチャリ、と扉が開く音がした。
入ってきたのは、二人の男だ。
一人は、神経質そうな細身の男、内務大臣イベアス・ビアト。
もう一人は、岩のような巨体を軍服に包んだ、
警察部隊長官ルゴル・ロタフ。
ルゴルは、レリの背後に控える衛兵に低い声で尋ねた。
「おい、娘の武装解除は済んでいるのか?」
「はっ、長官。全ての武器を押収しました。ただ……」
衛兵は困惑したように、レリの腰にあるホルスターを指差した。
「あの銃だけは、どうしても外せませんでした。
特殊な生体認証ロックがかかっているようで、
無理に外そうとすると自爆装置が作動する恐れがあります」
ルゴルは太い眉をひそめ、レリの腰にある古めかしい装飾の銃
――王家の銃を睨んだ。
「ふん、エザワイス制オモチャか。まあいい、
弾丸は抜いてあるんだろうな?」
「はい。エネルギーパックは除去済みです。現在はただの鉄屑です」
「ならばよし」
ルゴルは鼻を鳴らし、イベアスと共に部屋の脇へと退いた。
彼らが頭を垂れる。
部屋の空気が、一変した。
食堂の正面にある、巨大な黒檀の扉が、音もなく開いていく。
そこから漏れ出してきたのは、風ではなかった。
重圧。と冷気。
肌が粟立つような、絶対的な威圧感。
その男は、静かに姿を現した。
ギエス総統。
年齢不詳。白に近い銀髪をオールバックにし、漆黒の軍服を纏っている。
その歩みは幽霊のように音がなく、しかし一歩近づくたびに、
部屋の温度が数度下がっていくような錯覚を覚える。
レリは息をするのを忘れた。
本能が警鐘を鳴らしていた。
この男は、ニトスやルゴルとは次元が違う。
同じ空間にいるだけで、魂が凍り付くような感覚。
これは、魔力ではない。もっと根源的な、
世界の理(ことわり)そのもののような力。
(氷……)
レリは直感した。
自分の中に眠る「灼熱のエネルギー」が、
目の前の男に反応して騒ぎ出したのだ。
腹の底から熱い塊がせり上がってくる。
それは恐怖への対抗心であり、同時に、天敵に出会った捕食者のような
獰猛な衝動でもあった。
二つの巨大な力が、視線の交差だけで火花を散らす。
大広間の空気が軋み、シャンデリアのクリスタルが
共鳴して微かに音を立てた。
総統は、テーブルの反対側に立ち、
凍てつくような瞳でレリを見下ろした。
その瞳には、感情の色がなかった。
あるのは・・・底なしの飢餓感。
「……ようこそ、エザワイスの忘れ形見」
声は低く、そして滑らかだった。まるで氷の上を滑る刃物のように。
総統は、レリの瞳の奥に揺らめく灼熱のエネルギーを感じ取っていた。
彼の内にある「絶対零度」の渇きが、その熱を求めて疼く。
飲み干したい。
その温もりを、生命力を、全て吸収し、自らの虚無を埋めたい。
強烈な欲望が総統の理性を揺さぶるが、
彼は鉄の意志でそれを抑え込んだ。
まだだ。まだ熟していない。恐怖と絶望でその魂を熟成させ、
最高の状態で喰らわねばならない。
「座りたまえ。冷めないうちに食事をしよう」
総統は従者が引いた椅子に優雅な仕草で腰を掛ける。
レリは動けなかった。体中の細胞が、逃げろと叫んでいる。
だが、足が床に縫い付けられたように動かない。
総統の口元が、わずかに歪んだ。それは笑みのようであり、
獲物を見定めた獣が牙を剥いたようにも見えた。
「どうした? ……私が怖いかね?」
レリは、震える拳を膝の上で握りしめた。
ダクの言葉を思い出す。『決して諦めてはいけない』。
彼女は顔を上げ、総統の氷の瞳を真っ向から見据えた。
「……いいえ。食事のお誘い、光栄に存じます」
精一杯の虚勢。けれど、それは確かに王女としての矜持だった。
ギエス総統と、エザワイスの王女。
氷と炎。
世界の運命を握る二人の、静かで、しかし致命的な晩餐が始まろうとしていた。
対峙する、レリとギエス総統。対極にある理の邂逅が世界の運命の歯車を軋みながら回しだす。