ギエス総統との緊迫の晩餐の席で、レリはついに両親と再会する。
だが、それは愛と絶望の狭間で揺れる心を試す、冷酷な演出だった。
母の囁き、父の沈黙が、王女としての覚悟を突きつける。
一方、護送中のエルアド少将は、仲間たちの奇襲により奪還される。
迫る最終決戦の気配の中、レリを救うため、仲間たちは再びギエスの心臓部へ――
炎はまだ、消えていない。
正面に座る男、ギエス総統。
彼は優雅な手つきでナイフとフォークを操り、
レアに焼かれた肉を口に運んでいた。咀嚼し、ワインを一口含む。
その一連の動作は洗練されており、一見すれば紳士的でさえある。
しかし、彼は食事を楽しんでいるのではない。
目の前の獲物が恐怖に震える様を、肴にしているのだ。
ナプキンで口元を拭うと、ギエス総統は思い出したかのように、
わざとらしい仕草で手を打った。
「おお、いけない。あまりに君との食事が楽しくて、
失念するところだったよ」
その声は滑らかで、かつ、氷の刃が肌を撫でるような不快感を伴っていた。
「レリ王女。君がこうして我が国に滞在してくれていることに
私は深く感謝しているのだよ。
だが、やはり年若い少女にとって、親元を離れるというのは心細いものだろう?
そこでだ」
ギエスは片手を上げ、扉の方を指し示した。
「せめてもの慰めになればと思い、特別なゲストを招いてある。
君にとっても、懐かしい顔ぶれのはずだ」
重厚な扉が、音もなく開かれた。
レリは息を呑んだ。心臓が早鐘を打ち、
全身の血液が逆流するような感覚に襲われる。
衛兵に前後を挟まれ、食堂へと足を踏み入れた男女。
仕立ての良い服を着せられているが、その顔色は優れず、
長きにわたる幽閉生活の疲労が滲んでいる。
だが、その瞳に宿る気品だけは、決して失われていなかった。
そこにいたのは、エザワイス国王カド・プロラと、王妃ビナ・プロラ。
レリの実の父母であった。
ギエスに追われ逃げ込んだ森の中で、ホログラムに現れた国王夫妻だった。
初めて見る、父と母。
「……父様、母様……?」
掠れた声が、レリの唇から漏れた。
ギエス総統は満足げに立ち上がると、グラスを掲げた。
「紹介しよう。エザワイス国王夫妻だ。この歴史的な再会の場を、
我がギエス総統府で設けられたことを光栄に思う。
そして、誇りに思うよ」
言葉とは裏腹に、その態度は尊大そのものだった。
まるで、珍しい動物をコレクションに加え、それを客に自慢する
蒐集家のような目つき。
彼にとって国王夫妻は、対等な国家元首などではなく、
レリという「鍵」を制御するための駒に過ぎないのだ。
レリは椅子を蹴るようにして立ち上がろうとした。
だが、恐怖と驚愕で足がすくむ。
感情を爆発させ、駆け寄りたい衝動と、ここで取り乱せばギエス総統の
思う壺だという理性が激しくぶつかり合う。
その時だった。
「レリ!」
母、ビナ・プロラが叫んだ。
娘と目が合った瞬間、王妃としての矜持よりも、
母としての情愛が勝ったのだ。ビナは弾かれたように駆け出した。
「お母様!」
しかし、その体はすぐに阻まれた。
背後に控えていた屈強な衛兵たちが、無機質な動作でビナの細い腕を掴み、
乱暴にねじり上げたのだ。
「くっ……離して!」
抵抗するビナを、衛兵たちは容赦なく床に押さえつけようとする。
その力強さは、端的に有無を言わせぬ暴力の具現化だった。
抵抗すれば腕を折りかねないほどの圧力が、ビナの表情を苦痛に歪ませる。
「やめて! 母様に何をするの!」
レリが悲鳴に近い声を上げた瞬間、ギエス総統が低く、
しかしよく通る声で命じた。
「放してやれ」
衛兵たちは即座に手を離し、直立不動の姿勢に戻る。
ギエス総統はグラスの中の赤ワインを揺らしながら、
嗜虐的な笑みを浮かべて言った。
「感動の再会だ。野暮な真似はするな。
……ビナ王妃、どうぞ、愛娘を抱きしめておやりなさい」
それは慈悲ではない。自らの支配下において、
親子の情愛さえもコントロールできるという力の誇示であり、
レリに対する無言の脅迫だった。
『いつでも殺せるが、今は生かしておいてやる』
というメッセージだ。
解放されたビナは、乱れた衣服も気にせず、
よろめきながらレリの元へと駆け寄った。
「レリ……ああ、私のレリ」
「母様……っ」
レリもまた、席を離れて母の胸に飛び込んだ。
温かい。
映像の中にあった母よりも少し痩せてしまったけれど、
その温もりと、優しく包み込む匂いは本物だった。
ビナは震える手でレリの背中を、髪を、何度も何度も撫でた。
「無事でよかった……本当によかった。こんなところで会えるなんて」
母の涙が、レリの頬を濡らす。張り詰めていた緊張の糸が、
ぷつりと切れそうになった。
ずっと求めていた。ダクやムメの愛情も本物だった。
けれど、この身を生み出してくれたはずの母の抱擁は、
魂の奥底にある孤独を溶かしていくようだった。
ギエス総統の冷たい視線も、ここが敵地の真ん中であることも、
一瞬だけ忘れさせてくれる。
ただ、母の腕の中にある安らぎだけが、
世界の全てであるかのように思えた。
だが、その安息は長くは続かなかった。
ビナが、抱きしめる腕にきゅっと力を込めたのだ。
痛いほどの強さで。
そして、抱擁を解くことなく、レリの耳元に唇を寄せた。
涙声ではない。先ほどまでの感極まった母の声とは違う、
氷のように鋭く、研ぎ澄まされた声が、ささやくように響いた。
「……お聞きなさい、レリ」
その声のトーンに、レリはびくりと体を強張らせた。
ビナの体もまた、小刻みに震えている。
それは恐怖からではない。
極限の緊張と、決死の覚悟によるものだ。
「あなたは強い子のはずです。惑わされてはいけません。
……己の使命を、全うするのです」
その言葉は、呪文のようにレリの鼓膜を打ち、脳髄へと染み渡った。
母の言葉の意味するところ――
それは、「私たちの命を顧みるな」という宣告に他ならなかった。
人質にされた親の命よりも、エザワイスの、いや、
世界の命運を優先せよと。
ビナはゆっくりと体を離した。
その瞳には、再び涙が浮かんでいたが、その奥にある光は、
王妃としての揺るぎない意志を湛えていた。
ひとしきりレリの顔を見つめると、ビナは無言で背を向け、
衛兵に促されるまま席へと戻っていった。
取り残されたレリの心には、母の温もりの残滓と、
突き刺さるような言葉の棘が同時に残された。
呆然と立ち尽くすレリの視線が、父、カド・プロラ国王と交差する。
父は何も言わなかった。
ただ、じっとレリを見つめていた。
その碧眼は、深い愛情に満ちている。
だが、その眉間のわずかな皺、固く結ばれた口元、
そして膝の上で握りしめられた拳が、
彼の内なる葛藤を雄弁に物語っていた。
愛する娘を、普通の少女として守ってやりたいという親心。
そして、国と世界を救うために
娘を死地へ送り出さねばならないという国王としての責務。
父の目は語っていた。『行け』と。
そして『すまない』と。
その悲痛なまでの決断の色を読み取った時、
レリは自分が背負っているものの重さを、
改めて突きつけられた気がした。
「素晴らしい」
沈黙を破ったのは、ギエス総統の拍手だった。
乾いた音が、食堂に虚しく響く。
「親子の絆、実に美しいものだ。
この感動的な再会に、乾杯しようではないか」
ギエスはグラスを掲げ、一人にんまりと笑った。
レリは唇を噛み締め、俯く。
母の言葉の意味を、父の眼差しの意味を、反芻しながら。
ここで泣き崩れるわけにはいかない。
私は、エザワイスの王女なのだからと・・・。
***
その頃、ギエス領内のある街道沿い。
夕闇が迫る荒野を、一台の重装甲護送車が疾走していた。
前後を護衛の装甲バイクと軽戦闘車両が固め、
上空には無人偵察ドローンが目を光らせている。
護送車の中に収容されているのは、エザワイス抵抗軍の要、
エルアド少将だ。
手足には高出力の電磁手錠がかけられ、
身動き一つ取れない状態だったが、その眼光は少しも衰えていなかった。
「間もなくだ……」
エルアドは小さく呟いた。
直後、轟音が大気を震わせた。
先頭を走っていた護衛車両が、突如として地面から吹き上がった
火柱に飲み込まれたのだ。
魔法によって増幅された指向性地雷の爆発である。
爆風で数トンの鉄塊が木の葉のように舞い上がり、
後続のバイクをなぎ倒す。
「敵襲! 敵襲!」
ギエス兵の声が錯綜する中、街道脇の岩陰から数条の閃光が走った。
抵抗軍『鉄槌』による急襲である。
彼らが放ったのは、魔導徹甲弾。
魔法科学によって精製された弾丸は、
物理的な装甲と魔法障壁の両方を
貫通する威力を持つ。
「かかれぇっ! 少将を奪還しろ!」
『鉄槌』のリーダーの号令と共に、迷彩服に身を包んだ兵士たちが
一斉に飛び出した。
ギエス軍も即座に応戦する。車載機銃が火を噴き、
曳光弾が夕闇を切り裂く。
だが、『鉄槌』のメンバーは巧みに遮蔽物を利用し、
魔法障壁を展開しながら距離を詰めていく。
護送車のドライバーがパニックに陥り、
急ハンドルを切った。
巨大な車体が横滑りし、路肩の斜面に乗り上げる。
激しい衝撃と共に車内が揺れ、エルアドの体が壁に叩きつけられた。
「ぐっ……派手にやってくれる」
車体が停止した瞬間、後部のハッチが
外部からの爆破によって吹き飛んだ。
土埃と硝煙の匂いが流れ込んでくる。
「少将! ご無事ですか!」
飛び込んできたのは、顔馴染みの部下だった。
「遅いぞ、待ちくたびれた」
エルアドはニヤリと笑うと、部下が差し出した解除キーで
電磁手錠を外した。
自由になった両腕を回し、
即座に部下からアサルトライフルを受け取る。
「状況は?」
「敵の増援が来るまであと五分。それまでにズラかります!」
「十分だ」
エルアドは護送車から飛び出すと、
流れるような動作で銃を構えた。
目の前に、ギエス軍のアンドロイド兵が迫っていた。
無表情な銀色の顔。手には高周波ブレードが握られている。
エルアドは躊躇なく引き金を引いた。
タタタンッ!
乾いた発砲音と共に、三発の弾丸がアンドロイドの
頭部センサーと胸部動力炉を正確に撃ち抜く。
火花を散らして崩れ落ちる敵を一瞥もせず、エルアドは叫んだ。
「撤収だ! 長居は無用!」
『鉄槌』のメンバーは、負傷した仲間を抱え、
煙幕弾を撒き散らしながら迅速に後退を開始した。
回収用のオフロード車両が砂煙を上げて現れる。
エルアドは荷台に飛び乗ると、追撃してくるギエス軍に向けて
牽制射撃を行った。
風を切る音、銃声、爆発音。それらが遠ざかっていく。
揺れる車上で、エルアドは息を整えた。
作戦は成功した。だが、彼の表情は晴れなかった。
破壊工作は失敗し、ギエス総統への直接攻撃の機会は失われた。
そして何より、レリ王女は未だ敵の手中にある。
「……すぐにエザワイス連合軍と合流する」
エルアドは通信機を握りしめた。
「ギエスへの攻撃中止要請を出す。王女が人質に取られている以上、
無差別爆撃はできない」
だが、返ってきた応答は無情なものだった。
作戦の中止は認められない、と。
エルアドは舌打ちをし、通信機を放り投げそうになるのを堪えた。
「ならば、俺たちだけでやるしかない」
彼の脳裏には、次の作戦が描かれていた。
再びギエスの中枢へ戻る。
ミラルと、第一小隊と合流し、レリ王女を奪還する。
それは無謀とも言える作戦だった。
だが、やらねばならない。
最終決戦の時は迫っている。
時間は非情に、刻まれてゆく。
エルアドは、遠くに見えるギエスの首都の灯りを睨みつけた。
「待っていろ、レリ。必ず助け出す」
囚われのレリ、父母との再会、彼女の心に形作られてゆく決意とは、それは、世界を救うのか、さらなる混沌へと導くのか。