綾小路清隆の言い遺し 作:抹茶らて
空が青いな。
オレはそんな当たり前のことをぼんやりと考えていた。
いや、当たり前というのは少し偏った見方かもしれない。
世界には、晴れの日の方が少ないという地域はある。
陽の光を浴びられない所にいる者もいるかもしれない。
かく言うオレも、空というものを初めてこの目で捉えたのは、14歳になってからのことだった。
生まれてから14になるまで、オレは空が何なのかを知識でしか知ることが無かった。
通常であれば、生まれてすぐにでも仰ぎ見るかもしれない空。
オレは陽の光に照らされて育つことは無かった。
だから、こうして青空の下で立つということ自体、オレには貴重な経験だった。
こんなことを誰かに言えば、鼻で笑われるだろうがな………。
「何をしているの、綾小路くん」
と、寮の前で突っ立っているオレに声をかけてくる人物がいる。
凛とした、清涼な声。入学式のあの日から、オレはこの声の主と幾度となく言葉を交わしてきた。時にオレに対する非常に棘のある言葉が飛んできたこともあったな。
「朝からボケっとして、昨日は寝不足かしら?いつどんな試験が始まるとも知らないのに愉快なことね」
ほらな。
こいつは一々オレを刺すようなことを言ってくるんだ。オレでなかったら傷ついて塞ぎ込むかもしれないぞ。
「そういうお前は元気そうだな、堀北」
オレの横に並んだ少女。
彼女は堀北鈴音。オレと同じ2年Dクラスの女子生徒で、この学校でオレと最も付き合いの古い奴だ。
堀北はオレの背中をバシッと叩いてきた。
「痛いぞ」
「これで目が覚めたでしょう?」
「元から寝ぼけてなんかいない。ただ………空を眺めていただけだ」
「空?」
堀北が怪訝な面持ちで首を傾げる。
「空なんて見て、何がしたかったの?」
「いや、青いなと」
「………?」
「空が青いな、と思っていた」
オレは嘘偽りのない、シンプルな事実を報告した。それ以上でもそれ以下でもない、ただそれを感じていただけであった。
なのだが………。
「………やっぱり、寝ぼけているのね」
「寝ぼけてない」
「常日頃から気を緩めないこと。どのクラスがいつ何を仕掛けてくるか分からないわ。クラスのリーダーとして、いち小市民であるあなたにも気を配らないと」
おい。いち小市民って何だ。ちっぽけな虫けらぐらいに思ってるってことか。
今日は朝から辛口だな。
「…………………ほら行くわよ」
バシン。
背中を平手で叩かれる。制服越しだが、結構ヒリヒリするぞ。目覚ましを兼ねてるってことか。
「あなたは………………貴重な戦力なのだから」
「ん……」
「こんな所で躓くなんて、認めないわ」
…………………オレの聞き間違いか。
今、「貴重な戦力」って言ったよな?
オレが貴重な戦力……………オレのことを随分と高く買っているようだな。
………まさか。
「オレに惚れたのか?」
「…………………は?」
あ。
まずいな、この流れ。
これは1年の時、オレに誅罰を与える時に度々見せた鋭いオーラだ。
「よし、今日も元気に学校に行くか」
オレは何事も無かったかのように足を進め、学校への道のりを歩き出す。
空は青い。春風が頬を撫でるようにくすぐり、新たな生命たちの誕生を祝福する。
オレたちももう、2年生だ。
「ぐおっ……………」
………と、綺麗に終われるはずもなく。
オレは堀北にグーパンで腹を殴られた。
1年前の再現をしているかのようだ…………。
あれから半年ぐらいが経過した。
これまでにいくつかの特別試験───無人島試験や満場一致試験、体育祭を経て、オレたち2年Bクラスは傷つきながらも成長を遂げていた。
骨は折れるとより強くなってもとに戻る。筋繊維は傷つくことで痛みを伴いながらも屈強に生まれ変わる。
まさしく、Bクラスは痛みを知ったからこそ、今までよりも強いクラスとして成長出来た。
特に堀北。佐倉の退学に負い目を感じていただろうが、その感情を呑み込んででも前に進もうとする心ゆき。
あいつの成長は、オレの最大の関心事になっている。
まぁ、それを口で言うつもりは無いけどな。
それはそうと……………最近、身体に不調を覚えている。
主に胸のあたりに、時々チクリと痛みが走ることがあるのだ。日常生活に支障をきたしてはいないが、それでも見逃せない事実としてオレはこれを受け止めた。
なので、これからオレは病院に精密検査を受けに行く。
ホワイトルームで医学については学んだが、自分だけで病状を把握することは不可能。専門機関による検査が必須だ。
何も無ければそれが最良の結果だ。願わくば「異常なし」の診断を受けたいものだ……………。
オレは今、理事長室の前にいる。
理由は1つ。オレは先日の診断の結果を受けて、理事長に呼び出されたのだ。
『会って2人で話がしたい』
それが理事長の要望だ。事情が事情なだけに、こればかりはオレと直接話をしなければならないことだろう。
オレは理事長室の扉をノックした。
「………入って良いよ」
誰がやって来たのか、理事長には分かっていたようだ。オレは入室の許しを得たので、扉を開ける。
「こんにちは、理事長」
「…………うん。こんにちは、綾小路くん」
オレと相対する坂柳理事長は、いつもの柔らかな笑みを浮かべてはいなかった。
「……………先生方から聞いたよ。君の検査の結果を」
「…………」
「その…………君の病状のことだけど」
「理事長」
オレは無礼を承知で、理事長の言葉を遮った。
「このことはオレの父親には黙っていてはくれませんか」
「………………!!」
理事長の目が丸くなる。やはりそのことだったようだ。
「あの男がオレの診断結果を知れば、間違いなくオレを連れ戻しに来ます。学校側としても
「それは…………」
「きっとあの男は涙の一つも流しはしないでしょうが、それはそれとしてオレはホワイトルームで最期に数々のデータの収集のために残りの命を使うことになるでしょう。オレはそれを望まない」
「……………」
「死ぬのなら、オレはここが良い。ここでなら死んで良いと思っている」
坂柳理事長の沈黙。
勿論、この話は理事長が首を縦に振らなければ成立しない。理事長が学校で病死者を出したくないという考えを持っているなら、オレは嫌でもホワイトルームに帰らなければならないだろう。
「………本当に、君はそれで良いのかい」
「はい」
「…………君の育った環境は確かに、普通の子供たちとは全く異なる。けれどね、やっぱり僕は親子の絆ってものを信じたい。君の現状を知れば、もしかしたら綾小路先生も………」
「………親子の絆、ですか」
オレは少し上を見上げた。ここでもかつて、あの男と会話をしたのを覚えている。
あの時、あの男はオレに何と言ったか。
『親だと?おまえが一度でも俺に対し親だという認識を持ったことはあるのか』
『おまえは俺の所有物だ。所有者が全ての権利を持っていることは言うまでもない。生かすも殺すもこちらが決める』
オレはこれに対して何も疑問を抱かなかったし、傷つこともなかった。オレ自身、あの男を親だとは認識していないからだ。
オレとあの男の関係などそんなものだ。
「………もしそんなものがあれば、オレはこの学校には入学しなかったでしょう」
「………!」
「理事長。あの男にとって、オレは単なる所有物なんです。愛着も愛情も無い、ただ使い倒すだけの存在。だからこそ、ホワイトルームでオレに教育を施した。オレが潰れようとどうなろうと知ったことではなかったからです」
「そんなことは…………」
「ただ、もしオレがここで最期を迎えることが学校として受け入れられないものならば、オレはこの学校を去ります。残念ですが仕方がないです」
「………………」
理事長は渋い顔を見せる。
学校の面子、などを気にしている顔ではない。オレの願いにどう応えれば良いか、決めあぐねている顔だ。
オレは最後に付け加えることにした。
「…………理事長。オレにはまだやり残したことがあります」
「……やり残したこと?」
「この学校の生徒たちの記憶に残る生徒になる、ということです」
「!」
思い浮かぶのは、堀北学の顔。
オレがこの学校で、恐らく一番影響を受けた生徒だ。
「オレは色々と水面下で計画を進めていました。クラスメイトたちが、ライバルたちが、どうすればオレを覚えていてくれるのか。そのために動き回っていましたが、それもどうやら水の泡となるようです」
「……………」
「しかし…………」
次に浮かぶのは、堀北鈴音の顔。そして龍園、一之瀬、坂柳のことも浮かんでくる。
「最期に、オレは彼らに何かを遺せるかもしれない」
「!!」
「この命を使うとしたら、彼らのためが良い」
沈黙が生まれる。
もしこれでも、オレが学校に残ることが許されなかったら。その時は諦めるしか無い。
「…………分かったよ」
「………」
「君がそれ程までにこの学校を好いていてくれたなんてね。理事長として嬉しいことだよ」
「…………」
「君が………最期の時をここで迎えたいと言うのなら、僕はそれを支持する。難しいことは気にしなくて良い、君はただ学校生活を送り、友人たちと時間を過ごしてくれれば良い」
「ありがとうございます」
理事長は色々と考えていたが、最後にはオレの頼みを聞き入れてくれた。
後はオレにかかっている。オレがどうすれば堀北たちの記憶に残れるのか。
ただクラスに貢献する、ということはしない。あくまでもオレは見守る存在。堀北たちの成長のために、これまで通り動き回る。
だが。
それも途中で終わるだろう。
その今際の際。
オレは彼らに、最期のメッセージを伝える。
綾小路清隆の言い遺しは、その最期の時まで取っておく。
1月。
2年生の生活も終わりに差し掛かって、私たちは3学期を迎えていた。
早々に始まった「生存と脱落の特別試験」。私たちBクラスは3位という苦い結果に終わり、未熟さを痛感させられた。
私───堀北鈴音は、この事実をリーダーとして重く受け止めて、次に生かさなければならないわ。
Aクラスとのポイント差は着実に縮まっている。4月の頃とはまるで違う、クラス全体の成長が表れている。
後は私。私がどう変われば、皆をAクラスに導けるのか。
綾小路くんに相談してみようかしら………………。
………いえ、彼に頼り過ぎるのは良くないわ。
彼はこのクラスに無くてはならない存在。けれども、彼に頼ってばかりでは、クラスの成長とも私の成長とも言えない。
それでは兄さんに誇れる自分になれない。
もっとクラスの皆を集めて話し合いの場所を設ける必要がありそうね。
綾小路くんだけじゃない。クラスメイトの一人一人を戦力にした、強いクラスを作らないと…………。
そうこうして歩いている内に、私たちは体育館に着いた。
今日は全学年をここに集めて、理事長先生からお話があると茶柱先生からホームルームで言われている。
一体何かしら。全学年となると、とても重要なお話に思えるわ。
………それに。
綾小路くんの姿が見当たらない。
さっき教室にはいたのに、クラスで移動する時から姿が見えない。
お手洗いにでも行っているのかしらね。体育館の位置は分かるでしょうから、1人でも問題無いと思うけど。
「皆さん、こんちには」
すると、ステージ上に坂柳理事長が現れた。
始業式や終業式の時以外中々見かけることの無い坂柳理事長。Aクラスの坂柳さんのお父様のようだけど、あまり顔立ちは似ていないように思える。
「今日は緊急で全校集会を開かせてもらいました。…………とても重要なお話を、皆さんにしなければならないからです」
とても重要な………。やっぱり、何かあったようね。
「なんだろうな、重要な話って」
「分かんねー」
クラスの男子からそんな声が聞こえる。
私にも見当がつかないわ。どんなお話が────。
「では……………綾小路くん」
……………………え?
綾小路くん………………?
私の思考が一瞬止まる。その間、綾小路くんがステージ上に姿を私たちに見せる。
「おい、綾小路だぞ」
「そう言えば列にいなかったけど………」
ざわざわと生徒たちの話し声が聞こえる。綾小路くんはただ黙って私たちに目を向けていて、しばらくすると話し声が聞こえなくなった。
ここに来る途中で姿を消した綾小路くん。そんな彼が、今は全生徒の注目を浴びるステージ上にいる。
状況が全く分からないわ………。
「2年Bクラスの綾小路清隆です。今日は皆さんに伝えなければならないことがあります」
伝えなければならないこと………?
こんなに生徒を集めて、綾小路くんは何を──────
「皆には言っていませんでしたが、オレは今、治療不可能な病に冒されています」
……………………………………は?
「オレの余命は…………もってあと2週間です」
…………………え?
………何を。
何を言っているの、綾小路くん……………?
「ただ、最期の時を、オレは外で過ごすということをしたくなかった。オレが最期を迎えるとしたら、ここが良い。理事長に無理を言って、オレはここに残ることにしました」
待って………………待って…………………。
治療出来ない病気…………?
最期の時……………………………………?
さっきから……………さっきからあなたは何を……………?
「そこで、いるかどうか分かりませんが、最後にオレと話をしたいという人がいれば、今週の日曜日………オレは寮の部屋を開けます。最後に少し話が出来ればと思っています」
だから…………。
だからあなたは何を言っているの………?
「それまでオレは、高育内の病院にいます。オレの話は以上です」
以上って…………。
あなたが何を言っているのかまるで分からない……………。
だってあなたは、昨日まで私たちと一緒にいた。
身体だって、悪いような素振りは全く見せなかった。
そんなあなたが余命2週間…………?
何の冗談なの…………?
こんなに生徒たちまで集めて…………。
坂柳理事長の名前まで使って…………………。
あなたは一体何を………………。
「………………かはっ」
「!!?」
は……………………?
血………………………………?
「血っ…………!?」
「うそ…………綾小路くん…………まさか本当に………………」
ステージに血がこぼれてる…………。
制服が血で汚れてる………………………………。
「綾小路!!」
「綾小路くん!!くっ…………早く医務室へ…………」
「…………」
何…………。
何よ…………………。
何よ…………………これ………………………。