綾小路清隆の言い遺し 作:抹茶らて
全校集会は終わった。しかし、生徒たちのどよめきは終わらず、各クラスそれぞれの困惑を見せていた。
当然、綾小路の在籍する2年Bクラスの困惑は、他のどのクラスをも上回っていた。
その中でもとりわけ堀北は────。
「茶柱先生!!」
教室に戻ったBクラス一同。教卓に立つ茶柱に、堀北は大きな声で問いかける。
「どういうことですか…………綾小路くんの余命があと2週間って………!」
「…………………………………」
「先生!!」
普段、声を荒げることは無い堀北。その堀北が、叫ぶように茶柱に詰め寄る。
だがそれは堀北だけではなかった。
「先生、僕にも説明してください!清隆くんが病気なんて………」
「俺にもだ!!」
平田、須藤もまた同様。
逆に、綾小路の恋人である軽井沢は無言。心を手放し、空気に徹しているかのような無言。誰に声をかけられても反応を示さない。
茶柱は苦い表情のまま口を開いた。
「……………私も、そのことを聞かされたのはつい先週のことだった」
「………!!」
「綾小路は見かけ上は何も身体に異常は無いように思えた。だから私も初めは耳を疑ったが……………」
茶柱は目を伏せる。
クラスの混迷は更に深まっていった。
「そんな…………」
堀北は開いた口が塞がらず、ただ瞳をわななかせていた。
「……………………………………」
「何で……………何で綾小路がっ!!!」
「清隆………くん…………………………」
須藤はやり場のない感情に苛まれ、机を思い切り拳で殴る。
平田は青ざめた表情で、力なくその場に崩れ落ちる。
最早授業どころではない。教室のどよめきは凄まじく、収まる気配が全く無い。
そして、その場を収めることは茶柱にさえ不可能であった。
それからどれ程の時間が経過したであろうか。
茶柱がおもむろに口を開く。
「…………堀北。それにお前たちも」
するとどうしてか、それまでの喧騒が嘘のように静まった。物音一つしない教室に、茶柱の声だけが行き渡る。
「綾小路は………もう助からない」
「!!」
「………受け入れたくないが……………………だが………………」
茶柱は強く、強く拳を握る。
綾小路の病。それは誰の手にも治すことの出来ないもの。
どれ程強く願っても、綾小路は助かることはない。
綾小路清隆の人生は、どうあってもあと2週間。3年生を迎えることはおろか、3月を迎えることさえ出来ない。
茶柱に出来ることはただ一つ。
綾小路の最期の望みを後押ししてやることだけだった。
「だから………………最期に会ってやってはくれないか」
茶柱は静かに続ける。
「私は教師として綾小路と接してきた。彼の普段の行動には注目していたつもりだ。だが結局、彼の本質を知ることは出来なかった…………」
綾小路清隆は謎の多い人物。彼の父親についての多少の情報、そしてそれを巡る一連の綾小路とのやりとりから茶柱は、綾小路の謎に近い所で接していた。
そしてそれは堀北も、須藤も、平田も、櫛田も…………彼と関わりを持った生徒たちは、誰もが綾小路の本質を真の意味では理解していない。
だからこそ、茶柱は言いたかった。
「そんな綾小路が、最期にお前たちに会おうとしている。お前たちにどうしても伝えたいことがあるんだ」
「……………………」
「彼の意思を………汲み取ってはくれないか」
嵐の後は静けさが訪れる。
それからは、誰一人として言葉を発する者はいなかった。
吐血の後、オレは病院に運ばれた。医師が素早く処置を施したため、体調は一時的に落ち着いている。
病室の扉がノックされる。入るよう促すと、坂柳理事長が姿を見せた。
「…………気分はどうかな、綾小路くん」
「少しは落ち着きましたよ、坂柳理事長」
こうして問題無く会話も出来る。
少なくとも、今日明日の命では無さそうだな。
「…………」
理事長はその後、微笑むだけで言葉を続けない。続けられない、と言ったら良いのだろうか。
生徒の命が後僅かというこの状況。理事長からすれば快いはずもない。
だからここは、オレから話を切り出す。
「理事長」
「……何かな」
「オレは理事長に感謝しています」
「………!」
理事長が目を見開く。オレはそのまま続けた。
「理事長がオレを入学させてくれなかったら、オレはずっとあの白い教室で機械のように日々を過ごしていたでしょう。オレが最期にほんの少しでも人間らしい感情を持てたのは、あなたのお陰です」
「……………」
「あなたはオレの恩人です」
理事長の顔から笑みが消える。
「………そこまで言ってもらえるなんてね。でも君がそこまで言えるようになったのは君の仲間たちや………茶柱先生のお陰だよ」
「………そうですね。彼らにも感謝をしなければ」
2年少し足らず。この期間にオレが変わり始めたのは、間違いなく彼らの影響だ。
最期に会えるかどうか。それだけが気がかりだ。
「………僕に出来るのはここまでだ。後は君に任せるよ」
「はい」
「………じゃあ。君の安らかなる時を祈っているよ」
理事長はオレに背を向けて部屋を去るべく歩き出した。
「理事長」
オレは最後に、理事長にまた一声をかけることにする。
「ありがとうございました」
理事長は振り返らなかった。
綾小路の病室を後にした坂柳。廊下を歩いている途中で、彼は立ち止まった。
「………………」
坂柳は眼鏡を外すと、眉間を指で押さえる。彼は涙を堪えることに必死になっていた。
「……………高校2年生が…………もう死を迎えるのか」
これまで、体調の悪さを全く感じさせなかった綾小路。しかし、今は病室のベッドで点滴を打ちながら、残された時間を過ごしている。
それが、綾小路が既に助からない状況にあること、彼の死が目前に迫っていることを坂柳に理解させた。
「君は…………死ぬことが怖くないのか…………」
綾小路は、死が目前に迫った若者とは思えない程に落ち着いていた。
それが逆に、坂柳には痛々しく思えた。
「綾小路先生……………あなたは大罪を犯しました……………どれ程の教育を施せば………あんな風に死を……………」
ホワイトルーム。
坂柳はその設立に関わっている。だが、どのような教育を施しているのか、その詳細は知らされていない。
だが、綾小路の様子を目にして、常人では考えも及ばない程の過酷な教育を受けていたことが想像出来てしまった。
「綾小路くん………僕は君に何もしてあげられない………だが…………君が最期にこの学校を楽しい場所だと思えたのなら…………少しだけ………君を救えたように思えるよ…………」
授業が全て終わり、茶柱はホームルームで連絡事項等を生徒たちに伝えた。
だが、恐らくその言葉は彼らには届いていない。
櫛田にも須藤にも平田にも佐藤にも。言うまでもなく、堀北の耳にも届いてはいなかった。
「…………本日のホームルームは以上だ。…………今日は気持ちの整理が出来ないだろう。だが何かあったら私に言ってくれ。私に出来ることなど何も無いかもしれないが…………力になりたいと思う」
そして、本日は解散となる。
高円寺は立ち上がり、教室を出て行った。だが、それに続く者はいない。
「…………………………」
無言が続く。まるで定期試験の最中のように、教室はしんと静まり返っていた。
いつもならばこうした時、率先して皆を鼓舞する平田だが、流石の彼も今回ばかりはその気になれない。彼と浅くない交流を重ねた綾小路の確定した死に、平田はただ俯いていた。
「……………あの、さ」
その沈黙を破ったのは池であった。
「綾小路の話………何かの間違いだったりしないかな……………」
何人かの視線が池に集まる。
「だ、だって綾小路のやつ………今朝まで何ともない顔してたんだぜ?もしかしたら、誤診の可能性も…………」
「……………………」
「う………」
誰も池の言葉に返さない。沈黙が彼の心を押し潰した。
「……寛治。お前の気持ち、分かるよ」
だが、遅れて須藤が口を開いた。
「綾小路が余命あと2週間とか何とか、俺には全く分からねぇ。あいつが死ぬなんて、俺には想像出来ねぇんだ」
「だ………だよなぁ!!だから皆、そんなに落ち込まなくても」
「けどよ………」
須藤は奥歯を強く噛みながら続けた。
「理事長が全生徒を集めてまで、綾小路のことを話したんだ……………検査の一度や二度しただけじゃないだろ…………」
「っ…………」
「綾小路は…………綾小路のやつは………もう……………」
「止めてよ………」
須藤の言葉を遮ったのは、佐藤。
震える声で、須藤に語りかける。
「恵ちゃんがいるんだよ…………恵ちゃんの前で綾小路くんのことがどうだとか、そんなこと言わないでよ………………!」
軽井沢と親友の佐藤。綾小路の恋仲の軽井沢の前で、綾小路の死について語る須藤に、彼女は物申す。
「でもよ………!!綾小路はあんな血まで吐いたんだ…!俺にはあれが間違いには……………」
「止めてっ!!そんなことをここで言わないでっ!!」
汗が滴る須藤。涙が滲む佐藤。クラスメイトたちの負の拍動が強まっていく。
「ひ、平田くん………」
そこで、平田に声がかかる。
混迷に陥り始めたクラスを纏められるとしたら、人望のある平田しかいない。そう思った女子の1人が彼を呼んだのだ。
だが────。
「僕は…………………僕は……………………………………」
平田の顔は青い。
彼もまた、綾小路の死を受け入れられずにいた。
「ほ、堀北…………」
男子の1人が堀北を呼ぶ。だが、堀北も何も言わない。
息を吸っていることすら疑われる程に、微動だにしない。
「………………………」
そのまま、石像のように誰もが動けなくなった。
そのまま彼らは、陽が落ちるまで、ただ無言で身を沈めていた。
教室の凍えるような空気に変化をもたらしたのは、意外にも軽井沢であった。
彼女は無言で立ち上がり、無言で教室を去って行った。その行動には誰もが驚きを禁じ得なかったが、綾小路の恋人である軽井沢の退室は彼らの心に何かを感じさせ、次第に席を立つ者は増えていった。
櫛田もその1人。彼女は席を立つと、堀北の方へと顔を向ける。
既に教室に残る者があと数名という状況、しかし堀北は動かない。
すると櫛田は何を思ったのか、堀北に近付いて行った。
そして、その腕を半ば強引に自らの肩にかけ、彼女を立ち上がらせたのだ。
その時も、堀北は何も言わなかった。何も感じていないかのように、櫛田に一瞥もくれなかった。櫛田もそのことを気にした様子は無く、彼女を連れて教室の出口へと向かった。
堀北の足は、櫛田と同様に動いていた。
そして、堀北をマンションの部屋の彼女の部屋の前まで連れて行った櫛田は、後は知らないというようなぞんざいな動きで堀北から手を離すと、エレベーターの方へと向かった。
いや、櫛田にも余裕は無い。堀北に気をかけてやる余裕など、本当は無いのだ。
それでも堀北に気遣いのようなものを見せたのは何故であろうか。その疑問を、櫛田は浮かべることは無かった。
「……………………」
しばらく、堀北は立ったままであった。
何分、何十分が経過した頃か。彼女の心が望んだものかは定かではないが、堀北は部屋のカードキーを鈍い手つきで取り出すと、ようやく寒い外の世界に別れを告げた。
………………………。
私…………帰ってきたのね。
ここまでどうやって来たか、その記憶が殆ど無い。辛うじて思い出せるのは、櫛田さんの顔。
彼女が私を、ここまで連れてきたんだ。
「……………………………」
靴…………脱がなければならないわね。
気が付いたらベッドの上にいた。
周りには靴下や赤いブレザーが散乱している。
とても見苦しい光景が網膜を焼いている。
でも、そんなことはどうでも良かった。
纏まりのない頭の中が、私を押し付けるようにしてベッドから離さなかった。
白い天井。
ただ白い天井に顔が向いていた。
そこに……………綾小路くんの顔が浮かんできた。
横一文字の愛想のない唇と、何を考えているのか分からない瞳。
綾小路くんはどこか分からない、明後日の方向を向いていた。
一体、どこを見ているのかしら。
その先に何があるの。
あなたが向いているその方向には。
あなたの未来には、一体何が────
『オレの余命は…………もってあと2週間です』
「……………っ!?」
あっ……………。
どうして……………。
どうして今…………………。
「!!?あ…………はっ…………」
息が………。
息が出来ない…………!?
「はっ………はっ…………!?」
苦しい…………。
胸が締め付けられる……………。
「はっ………かっ……………………」
助けて…………。
助けて…………綾小路くん………………。
「はっ……………はぁっ………………………」
身体中が冷や汗にまみれていた。
冬だというのに、真夏の炎天下の運動部のように汗で身体が湿っていた。
何とか。
何とか、息は出来るようになった。
でも…………。
今度は、物凄い寒気が襲ってきた。
身体が濡れてるからじゃない。
あと2週間。
その言葉が、私を凍えさせている。
「2週間…………あと………2週間……………」
…………っ!!
ダメ……………。
考えちゃダメ…………!
考えたら……………!
考えたら………私は耐えられない………!
このまま押しつぶされてしまう…………!
「ダメ……………ダメっ…………………!」
綾小路くん……………。
綾小路くん………………………!
必死に。
必死に、歯を食いしばって恐怖を呑み込もうとした。
布団にくるまって、耳を覆うように枕で頭を包めて。
何の意味も無いというのに。
誰も、私に語り掛けてなどいないのに。
ただ………そうしていないと、私は本当にダメになってしまう気がした。
だから………。
今は…………何とか…………………。
「…………………………………」
………………。
…………今は何も考えたくないのに。
私は勝手に、頭の中に彼を思い浮かべていた。
今から少し前の記憶。
私と彼が出会った、最初の記憶。
『ちょっと』
『さっき私の方を見ていたけれど、なんなの?』
私は綾小路くんに苛立ち混じりに言葉をぶつけていた。
『願わくばあなたのような人とは関わらずに過ごしたいものね』
……………。
今思うと、最悪の出会いだったわね。
あなたと同じクラスだと知って、私はひどく落胆した。
しかも隣の席だった。そのまま卒業まで言葉を交わしたくないと思っていたのに、嫌でも目に入る所にあなたはいた。
あの頃のあなたは、随分とおどけた話し方をしていたわ。
今では考えられない程に間抜けだったし………いえ、それは今でも時々そうね。
でも、今のような頼り甲斐なんて、あの時のあなたからは感じられなかった。
けれども………。
気が付けば、あなたはクラスの陰の立役者になっていた。
明かされる高育の秘密。容赦の無い他のクラス。団結しないDクラス。
歴代最低の落ちこぼれとまで言われた私たちがここまで来られたのは………全てあなたが力を貸してくれたから。
あなたが無人島試験で、絶望した私を支えてくれたから。
あなたが体育祭で、未熟な私の目を覚まさせてくれたから。
あなたが私の背中を押して、最後に兄さんに会わせてくれたから。
全て……………あなたがいたから………今の私がいるのよ。
あなたが……………いてくれたから…………………。
「…………………………………っ」
ダメ…………。
堪えていたのに………………。
抑えていたのに………………………………。
彼の………………。
彼の顔が浮かぶから…………………。
「…………う…………ううっ……………………」
綾小路くん……………。
綾小路くん………………………!
「うぅ……………うあぁぁっ……………………………」
どうして………!
どうして…………………!
どうして死んでしまうの………………!!
あなたはずっと平然としていた…………………!!
どこもおかしいようには見えなかった…………!!!
なのに……………なのにどうして………っ………!!
「綾小路くん……………綾小路くんっ……………!!」
いや…………!
まだあなたと話していたい………!!
あなたと一緒に最後まで戦いたい…………!!
あなたと一緒に学校を卒業して………!!
それからもずっと………あなたの友達でいたい………!!
そうなると思っていたのに…………!
最後にはあなたに認められるような人間になりたかったのに………!!
どうして…………!!
どうしてよ…………!!
「なんでぇ………………なんでよぉ…………綾小路くん…………っ…………」
どうして…………。
どうして……………逝ってしまうのよ…………………。
「ううっ…………うぅ…………………………」
次回、『茶柱佐枝への言い遺し』